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義荘

索引 義荘

義荘(ぎそう)とは、宗族の維持のために設けられた土地及びその運営組織のこと。 「先憂後楽」の語で知られている宋の政治家范仲淹が故郷の蘇州に設けたのが最古の例(范氏義荘)と言われている。以後、華中や華南地域にこうした義荘が設定されるようになり、特に明清時代に盛んになった。現代でも台湾や香港の一部地域に存在している。 義荘の多くは官僚・士大夫・地主・商人などの富裕な族人の寄付あるいは死後の遺産を拠出して設置され、祭田・祀墓と並んで「族産」とも称せられた。運営にあたっては「義荘規矩」と呼ばれる運営規則が定められ、宗族の一員の中から管理者を選んで実際の運営に当たらせた。義荘運営の中心となるのは、義田と呼ばれる田地であり、これを外部の農民に小作させ、そこから得られる田租を収益として義倉に集めてそこから宗族中の生活困難者の生活費や婚嫁、喪葬、祭祀、勉学などの宗族内の互助事業の費用に充てた(ただし、宗族の中から特別の功労によって義荘に対する租税を免除されない限りは収益中から租税を納める必要がある)。 その運営形態からすれば、義荘は一種の地主経営であるが、あくまでも宗族内の互助目的としているため、宗族全体が地主であった(反対に宗族に属するものが、宗族の義田の小作人になることは望ましくなく、規矩で禁じる例もあった)。だが、その所有形態を如何に解釈するかには諸説ある。すなわち、義荘を一種の財団法人とみなす説、法人としての義荘と宗族に属する個々の一員による総有関係とする説、宗族の一員たちによる共有説や宗族の公有説などが存在する。.

9 関係: 台湾宗族宋 (王朝)相互扶助香港范仲淹蘇州市

台湾

台湾(タイワン、臺灣 / 台灣、台: Tâi-oân)は、東アジアの国である。 1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島、金門島、馬祖島、東沙諸島、南沙諸島の太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2018年時点では同島で人口最多の都市である。.

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宗族

宗族(そうぞく、しゅうぞく)とは、父系同族集団のこと。古代東アジア法とローマ法に存在した。.

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宋 (王朝)

宋(そう、拼音 Sòng、960年 - 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。国号の宋は趙匡胤が宋州(河南省商丘県)の帰徳軍節度使であったことによる。通常は、金に華北を奪われ南遷した1127年以前を北宋、以後を南宋と呼び分けている。北宋、南宋もともに、宋、宋朝である。首都は開封、南遷後の実質上の首都は臨安であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分し易い歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区別し難い分野を本記事で解説する。.

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相互扶助

互扶助(そうごふじょ)とは、社会・組織の構成員同士が互いに助け合うこと。互助(ごじょ)とも。 人類の誕生以来、相互扶助そのものは世界各地に存在していたが、ヨーロッパにおいて特に相互扶助が注目されるようになったのは産業革命以後に様々な社会問題が発生するようになった後である。産業革命によって封建社会の共同体下で存在した相互扶助の形態が解体され、これに代わり得るものを人為的に組織する必要が生じたからである。例えば、救貧法はギルドや農村共同体が担ってきた最低限の生活保障の機能を担い、その他の分野でも自発的な結社や慈善団体による相互扶助機能の提供が行われた。 18世紀になると、各地に友愛組合・共済組合・労働組合・協同組合など「集団的自助」を目的とした団体が結成されるようになる。こうした団体は厳格な規則とともに組合員に共同基金の創設・維持のために一定の組合費や拠出金の出費や組織活動への参加を義務付け、代わりに死亡・疾病・老齢・失業などに対する給付を請求する権利を得た。こうした組織はイギリスでは主に労働者階級が主導して結成され、フランスでは名望家階級の後ろ盾の存在が大きかった。また、国家もこうした組織の登録制度や優遇税制による把握に努め、その組織結成を促した。こうした政策は後の社会保障制度や福祉国家の形成に大きな影響を与えた。ただし、その一方でこうした団体は主に組織労働に従事する成人男性とその家族を対象としており、低所得者や女性の参加は考慮されていなかった。 とはいえ、こうした組織は移民や商業活動を通じてヨーロッパ以外の地域にも広まった。アジアでも中国の義荘や日本の講・友子・組などの一族単位、地域単位あるいは職種別の互助組織が存在していたが、近代以後はヨーロッパを範とした共済組合などが結成されるようになった。ただし、当初こうした組織の背景には企業主義に基づく恩恵付与と言う東アジア独特の考えが含まれていた。.

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香港

中華人民共和国香港特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくホンコンとくべつぎょうせいく)、通称香港(ホンコン、、)は、中華人民共和国の南部にある特別行政区(一国二制度)である。同じ特別行政区の澳門からは南西に70km離れている。東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、150年以上のイギリス植民地の歴史で世界に知られる。 広大なスカイライン及び深い天然の港湾を抱える自由貿易地域であり、の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である。 .

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范仲淹

'''范仲淹''' 范 仲淹(はん ちゅうえん、989年(端拱2年) - 1052年(皇祐4年))は、中国・北宋の政治家、文人。字は希文、諡は文正。.

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蘇州市

蘇州市(そしゅうし、、、)は、中華人民共和国江蘇省東南部に位置する地級市。 古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心である。 蘇州で話されている蘇州語(蘇州方言/蘇州話)は、北部呉語を代表する方言と考えられていたが、現在は上海語にその座を譲っている。蘇州方言と上海方言とでは、異なる語彙や発音があるが、しばらく会話すれば意志の疎通に大きな支障はなくなる。但し、学校での普通話(標準語/共通語)一辺倒による教育により、上海語の事例同様、若者は蘇州語を話せなくなってきている。その問題に対し、学校・教育側は方言の授業を設ける等を検討している。また、上海に比べ方言(蘇州語)によるTV番組が多く見られる。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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