ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

緑営

索引 緑営

緑営(りょくえい、満州語:、転写:niowanggiyan turun i kūwaran)は、清の軍事組織の1つで、漢人によって編成された部隊。 順治元年(1644年)に明の滅亡に伴って満洲人の清が入関する以前に帰順した漢人によって編成され、緑色の旗を標としたために、緑営と呼ばれた。満洲人によって編成された八旗の補助的な組織として設置されたが、康熙年間の三藩の乱以降に大幅に増強され、弱体化が進んだ八旗に代わって清軍の主力を担うようになった。だが、白蓮教徒の乱では、戦力の劣化を露呈し、太平天国の乱ではほとんど機能しなくなって、郷勇や団練に取って代わられた。.

34 関係: 同治大砲太平天国の乱三藩の乱康熙帝広州市廈門市弓矢ヌルハチホンタイジ嘉慶 (清)八旗副将団練火縄銃白蓮教徒の乱順治郷勇舟山群島阿片戦争蒙古八旗提督 (清朝)淮軍湘軍満州語満州民族漢人漢軍八旗戊戌の政変新軍

同治

1871年9月13日の日清修好条規。左頁の右側に明治の日付と伊達宗城の花押、左側に同治の日付と李鴻章の花押が見える。 同治(どうち、満州語:、転写:yooningga dasan)は清の穆宗の治世中に使われた元号。1862年 - 1874年。一世一元の制を採用していたため穆宗は同治帝と称される。.

新しい!!: 緑営と同治 · 続きを見る »

大砲

大砲(たいほう)は、火薬の燃焼力を用いて大型の弾丸(砲弾)を高速で発射し、弾丸の運動量または弾丸自体の化学的な爆発によって敵および構造物を破壊・殺傷する兵器(武器)の総称。火砲(かほう)、砲とも称す。.

新しい!!: 緑営と大砲 · 続きを見る »

太平天国の乱

太平天国の玉璽。 天王の玉座 天王府のミニチュア 長江での太平天国軍と清軍との戦い 太平天国の乱(たいへいてんごくのらん)は、清朝の中国で、1851年に起こった大規模な反乱。洪秀全を天王とし、キリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国によって起きた。長髪賊の乱ともいわれる。.

新しい!!: 緑営と太平天国の乱 · 続きを見る »

三藩の乱

三藩の乱(さんぱんのらん)は、清朝第4代康熙帝の1673年に起こった漢人武将による反乱。雲南の呉三桂、広東の尚之信、福建の耿精忠が反乱を起こした。 三藩は明滅亡後に南へ亡命した諸政権(南明)を指す事もあり、その場合は南明を前三藩、呉三桂たちを後三藩として区別する。.

新しい!!: 緑営と三藩の乱 · 続きを見る »

康熙帝

康熙帝(こうきてい)は、清の第4代皇帝。諱は玄燁(げんよう、燁は火偏に華)。君主としての称号はモンゴル語でアムフラン・ハーン、廟号は聖祖、諡号は合天弘運文武睿哲恭倹寛裕孝敬誠信功徳大成仁皇帝(略して仁皇帝)。在世時の元号康熙を取って康熙帝と呼ばれる。 西洋文化を積極的に取り入れ、唐の太宗とともに、中国歴代最高の名君とされる。その事実は歴代皇帝の中で聖の文字を含む廟号がこの康熙帝と、宋と澶淵の盟を締結させた遼最盛期の皇帝'''聖'''宗の2人にしか与えられていないことからも窺える。また祖の文字も、通常は漢の高祖(太祖高皇帝)劉邦など、王朝の始祖あるいは再建者に贈られる廟号であるが、康煕帝は4代目であるにもかかわらず太祖・世祖に続いて3番目に贈られている。.

新しい!!: 緑営と康熙帝 · 続きを見る »

広州市

広州市(こうしゅうし、、、、)は、中華人民共和国広東省に位置する副省級市で、広東省人民政府が置かれる省都。 広東省のみならず、華南地域全体の経済、文化、教育、交通などの中心都市の一つであり、国務院により、国家中心都市の一つに指定されている。2010年の常住人口は1,270万人、市内総生産は1兆0604億元(約13兆円)であり、昔から羊城と愛称され、花城、穂城の名もあり、穂()と略称される。地下鉄、高速道路網が発達している。 一般に北京市、上海市と共に、中国本土の三大都市の一つに数えられる。また、深圳市を含めた4都市は「一線都市」に分類されており、「北上広深」として四大都市に数えられることもある。アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界56位の都市と評価された。中国本土では北京市、上海市に次ぐ3位である。.

新しい!!: 緑営と広州市 · 続きを見る »

廈門市

小金門(中華民国政府支配下)からのアモイの眺め アモイの中心部思明区(2004年撮影) 廈門市(アモイし、、)は、中華人民共和国福建省南部に位置する地級市。中華人民共和国の5大経済特区の1つであり、副省級市に指定されている。 中国語の発音は「Xiàmén (シァメン)」だが、日本はじめ一部の国では、閩南語読みのアモイ (Amoy) の名称で広く知られている。.

新しい!!: 緑営と廈門市 · 続きを見る »

弓矢

弓矢(ゆみや)とは、弓と矢からなる武具。狩猟具、軍事上での武器、祈祷や神事のために使われる。また、武芸のためや、近年にはスポーツ・娯楽などのレクリエーション用途にも用いられる道具である。矢はと総称される矢筒・箙(えびら)といわれる細長い軽量の籠や筒などに収納し携帯する。 湾曲する細長い素材(もしくは湾曲しない素材)の両端に弦を張って作られた弓を両腕で弓と弦をそれぞれ前後に引き離し保持しながら、弦に矢をかける。矢とともに弦を手で強く引いてから離すと、その弾性から得られた反発力で矢が飛翔し、遠方の的や標的を射抜く物をさす。 日本語においては、幸(さち)と言い箭霊(さち)とも表記し、幸福と同義語であり、弓矢とは「きゅうし」とも読み弓箭(ゆみや・きゅうし・きゅうせん)とも表記する。弓矢は、武具や武器、武道や武術、戦い(軍事)や戦(いくさ)そのものを意味する。特に戦に限っては「いくさ」の語源が弓で矢を放ち合うことを表す「射交わす矢(いくわすさ)」が、「いくさ(射交矢)」に変化したといわれる。また的は古くは「いくは」と読み、弓矢そのものであり、「射交わ」が語源となっている。日本の弓を和弓といい、それ以外のものを洋弓という。.

新しい!!: 緑営と弓矢 · 続きを見る »

ヌルハチ

ヌルハチ(努爾哈赤、z)は、後金の創始者。清の初代皇帝とされる。君主としての称号は満洲語でゲンギェン・ハン(genggiyen han)、モンゴル語でクンドゥレン・ハーン、廟号は太祖、諡号は高皇帝(dergi hūwangdi)である。なお、明の文献では童奴兒哈赤あるいは佟奴兒哈赤、朝鮮の文献では老乙可赤あるいは奴兒哈赤、清の文献では弩爾哈齊あるいは弩爾哈奇と記載されている。.

新しい!!: 緑営とヌルハチ · 続きを見る »

ホンタイジ

ホンタイジ(ᡥᠣᠩᡨᠠᡳᠵᡳ 転写:hong taiji、皇太極)は、清(後金)の第2代皇帝。君主としての称号は満州語でスレ・ハン(sure han)、モンゴル語でセチェン・ハーン。皇太極は皇太子、黄台吉とも表記される。三田村泰助は明の陳仁錫『山海紀聞』や李朝の『朝鮮王朝実録』の「仁祖実録」などを根拠に、本名は「ヘカン」であったとする説を提示している。 皇太子とも表記されることから、ヌルハチの生前から後継者と目されていたと考える向きもあるが、ヌルハチが死の際にそれに触れていないことと矛盾する。ヌルハチは自分を部族連合体の長であるとしか考えていなかったので、後継者も自分と同じように周囲の推戴によって選ばれるべきである、と認識していたと考える方が妥当であろう。史書(『清実録』)にはホンタイジは順当に何事もなく即位したように書かれているが、このあたりの記述には潤色があると考えられる。 なお、「ホンタイジ」という単語は上述の通り「皇太子」や「王」「福王」などの意味を含んでおり、満州族以外のユーラシア大陸北方遊牧民の間で広く使われた君主号の一種であり、彼以外にも「ホンタイジ」を名乗った者は多く、同時代だけを見ても複数いる。例えばホンタイジの死後、乾隆帝によって滅ぼされたジュンガルの歴代王は「ホンタイジ」の称号を名乗っていた。.

新しい!!: 緑営とホンタイジ · 続きを見る »

19世紀 フランス海軍将校が使用していた刀 刀「ラハイヤン」とアラビア語の信仰告白「アラーの他に神はなし。ムハンマドはアラーの使徒である」が描かれたサウジアラビアの国旗 刀(かたな)は武器(刀剣)の一種であり、剣の内でもとくに片側にしか刃のない物を指し、切断力を増す為に反りのついた構造のものが多い。反りのついていないものは特に直刀と称する。日本語としては「かた・な」と分解できてそれぞれ片、刃をあらわす。日本の刀に関する詳細は日本刀の項を参照。.

新しい!!: 緑営と刀 · 続きを見る »

嘉慶 (清)

嘉慶(かけい、満洲語:、ローマ字表記:saicungga fengšen)は清の仁宗の治世中に使われた元号。1796年 - 1820年。一世一元の制を採用していたため仁宗は嘉慶帝と称される。.

新しい!!: 緑営と嘉慶 (清) · 続きを見る »

八旗

八旗(はっき・グサ、ᠵᠠᡴᡡᠨᡤᡡᠰᠠ メレンドルフ転写:jakūn gūsa)は、清代に支配階層である満洲人が所属した社会組織・軍事組織のことである。また、この制度を指して八旗制と呼ぶ。 八旗は旗と呼ばれる社会・軍事集団からなり、すべての満洲人は8個の旗のいずれかに配属された。後にはモンゴル人や漢人によって編成された八旗も創設される。八旗に所属する満洲人・モンゴル人・漢人は旗人(きじん、gūsa i niyalma)と総称され、清の支配階層を構成した。.

新しい!!: 緑営と八旗 · 続きを見る »

副将

副将(ふくしょう)とは、以下の意味がある。.

新しい!!: 緑営と副将 · 続きを見る »

団練

団練(だんれん)は、清代の地方に存在した武装集団。地方の有力者が盗賊等から郷鎮を自衛するために自発的に組織した民兵組織である。19世紀初頭の白蓮教徒の乱では、正規軍の八旗や緑営の軍隊では鎮圧できず、清朝政府は地方の郷紳に臨時の軍隊の徴募を命じた。これらの軍隊を「郷勇」と呼ぶが、団練はこれらの軍隊の兵員の有力な供給元となった。郷勇は地方民兵組織の団連をもとに創設されてはいるが、あくまで清朝政府の名のもとに臨時に募られた政府の軍隊である。郷勇では湘軍、淮軍が有名である。.

新しい!!: 緑営と団練 · 続きを見る »

火縄銃

火縄銃(江戸時代) 愛知万博のポルトガル館展示物) 火縄銃(姫路城天守閣蔵) 火縄銃(ひなわじゅう、Matchlock gun / Arquebus)は、初期の火器(火砲)の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式で滑腔銃身のマスケット銃の内で、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを鉄砲、大型のものは大筒と称する。 マッチロック式は、板バネ仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である。(詳細は#射法参照) 火縄銃は、15世紀前半にヨーロッパで発明され、特にドイツにおいて発展した 。最古の記録は1411年のオーストリア写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型のサーペンタインロック式が見られる 。また1430年代に描かれたサーペンタインの金具の図が残っている。 現代の日本では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するにしても登録が必要である。.

新しい!!: 緑営と火縄銃 · 続きを見る »

白蓮教徒の乱

清代の白蓮教徒の乱(びゃくれんきょうとのらん、川楚白莲教起义)は、1796年から1804年にかけて、白蓮教の信徒が起した反乱である。白蓮教の乱ともいう。.

新しい!!: 緑営と白蓮教徒の乱 · 続きを見る »

順治

順治(じゅんち、満州語:、転写:ijishūn dasan)は、清の世祖の治世に使われた元号。1644年 - 1661年。これより一世一元の制を採用したため、世祖は順治帝と称される。.

新しい!!: 緑営と順治 · 続きを見る »

郷勇

郷勇(きょうゆう)は清代に臨時に召募された地方の武装補助部隊、すなわち義勇軍である。それぞれ大隊を形成し、勇営と称した。 郷勇の起源は清初めの郷兵にある。雍正8年(1730年)、オルタイが雲南省の烏蒙の反乱を鎮圧した時、郷兵を召募しているが、すぐに解散させている。つまり常設の軍隊ではなかったのである。その後の嘉慶年間の白蓮教徒の乱でも、郷勇は召募されている。地方有力者が郷鎮を盗賊等から自衛するために自発的に組織した武装集団の団練は、郷勇の有力な兵員の供給源となった。 咸豊2年(1852年)に曽国藩が創設した郷勇である湘勇は、後の湘軍に発展した。また咸豊11年(1861年)には李鴻章が後に淮軍となる郷勇を組織している。湘軍と淮軍は太平天国の乱と捻軍の反乱の鎮圧の主力となり、ついに清末には郷勇は陸軍に組み入れられるようになった。 中華民国期に入ると、軍閥が割拠し、土匪が横行するようになったため、地方の有力者たちは郷勇的な地方武装組織を保有した。 Category:清朝の軍事.

新しい!!: 緑営と郷勇 · 続きを見る »

舟山群島

舟山群島(しゅうざん-ぐんとう、 Zhōushān Islands)は中華人民共和国浙江省で東シナ海海上に浮かぶ群島。行政的には浙江省舟山市を形成する大小1,339個の島嶼。総水域は22,200平方キロメートル、うち陸地面積は1,371平方キロメートル。 2006年4月より中国飛龍専業航空がヘリコプターZ-9による群島間の航空便を開始し、中国国内初の短距離ヘリコプター営業路線となった。.

新しい!!: 緑営と舟山群島 · 続きを見る »

阿片戦争

阿片戦争(アヘンせんそう、第一次鴉片戰爭、First Opium War)は、19世紀前半に清へのアヘン密輸販売で巨利を得ていたイギリスと、アヘンを禁止していた清の間で1840年から2年間にわたり行われた戦争である。 イギリスは、インドで栽培し製造したアヘンを、清に密輸して広く組織的に販売し収益を得ていたため、アヘンの流通販売や摂取を禁止していた清との間で戦争となり、イギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、イギリスへの香港の割譲他、清にとって不平等条約となった。 なお、アロー戦争を第二次とみなして第一次アヘン戦争とも呼ばれる。.

新しい!!: 緑営と阿片戦争 · 続きを見る »

蒙古八旗

蒙古八旗(もうこはっき)は、蒙古人(モンゴル人)によって編成された軍事組織。満洲八旗、漢人八旗と共に清朝の支配階層を担った。.

新しい!!: 緑営と蒙古八旗 · 続きを見る »

提督 (清朝)

提督(ていとく、満州語:、転写:fideme kadalara amban)とは清朝の武官の官職名。従一品官で、位階の上では巡撫(giyarime dasara amban)の上、総督(uheri kadalara amban)・尚書(aliha amban)と同格であった。 提督は各省の緑営(niowanggiyan turun i kūwaran)の最高責任者で、12名の陸路提督がおり、1つないし2つの省を管轄下に置いた。それゆえその管轄区域は数万平方キロメートルから数十万平方キロメートルに及んだ。またその他に3名の水師提督(福建水師提督・広東水師提督・長江水師提督)が置かれた。.

新しい!!: 緑営と提督 (清朝) · 続きを見る »

宮本武蔵が槍で鵺と戦う画(画:歌川国芳) 槍(やり)は刺突を主目的とする猟具、武器・武具の一種。投擲することを目的としたものは投槍という。有史以前から人類が使用し続け、銃剣に代替されるまで長く戦場で使われ続けた。鎗、鑓とも書く。 現代中国語で、「槍」(qiang)という漢字は銃を表す(本来の槍と区別するために銃を「火槍」と表記することもある)。.

新しい!!: 緑営と槍 · 続きを見る »

淮軍

淮軍(わいぐん)は、清朝の重臣李鴻章が同治元年(1862年)に編成した地方軍である。湘軍と並べて湘淮と称される。.

新しい!!: 緑営と淮軍 · 続きを見る »

清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

新しい!!: 緑営と清 · 続きを見る »

湘軍

湘軍(しょうぐん)は、清末の湖南地方の軍の呼称で、湘勇ともいう。太平天国の乱を清朝の正規軍(八旗・緑営)は鎮圧できず、やむを得ず清朝政府の命により各地の郷紳に臨時の軍隊を組織させた。これを郷勇と呼び湘軍はその一つであった。.

新しい!!: 緑営と湘軍 · 続きを見る »

満州語

満州語(滿洲語、まんしゅうご、ᠮᠠᠨᠵᡠᡤᡳᠰᡠᠨ、転写:manju gisun)は、満州族が話すツングース諸語に属する言語。.

新しい!!: 緑営と満州語 · 続きを見る »

満州民族

満州民族(満洲民族、まんしゅうみんぞく、マンジュみんぞく)、満州族(満洲族、まんしゅうぞく、マンジュぞく、ᠮᠠᠨᠵᡠᡠᡴᠰᡠᡵᠠ 、転写:manju uksura)は、満洲(中国東北部、沿海州など)に発祥したツングース系民族。古くは女真族といった。17世紀に現在の中国およびモンゴル国の全土を支配する清を興した。清朝では、民族全体が八つのグサ(.

新しい!!: 緑営と満州民族 · 続きを見る »

漢人

漢人(かんじん).

新しい!!: 緑営と漢人 · 続きを見る »

漢軍八旗

漢軍八旗(かんぐんはっき、ᡠᠵᡝᠨᠴᠣᠣᡥᠠᡞᠵᠠᡣᡡᠨᡤᡡᠰᠠ、転写:ujen coohai jakūn gūsa)は清朝の社会・軍事組織である八旗の一部である。 漢軍八旗の成員の大部分は、清朝が山海関以北の満州(中国東北部)に拠点を置いていた時期に政権に参加した非満州民族・非モンゴル人である。すなわち遼東半島一帯に居住していた漢民族・朝鮮人などである。漢軍八旗は満洲八旗・蒙古八旗とともに清朝初期の軍隊の主力をなした。八旗以外の漢民族はニカンと呼ばれ区別された。 1644年、李自成によって明朝の中央政府が崩壊すると、山海関の守将呉三桂は清に投降し、清は中原に入った。その後の20年間で清軍は李自成・張献忠・南明政権を次々と破り、中国全土を支配した。漢軍八旗は他の八旗兵と同様に清軍の主力部隊となり、大部分の戦闘に参加した。 漢軍八旗の成員は代々満州民族・モンゴル人と通婚し、まとめて「旗人」「旗兵」と呼ばれ、満洲民族やモンゴル人と同等の待遇と特権を得ていた。これにより漢軍八旗の伝統・習俗は、例えば纏足をしないなど、満洲民族に近いものとなった。しかし満漢偶数官制では漢民族として扱われた。このことは漢人任用枠に忠誠度の高い漢軍旗人をあてることが出来るため当初は有効であったが、民籍漢民族の科挙官僚の総督、巡撫といった役職への任用の増加や満洲人の漢語習得・漢文化吸収が進み漢軍旗人の重要度が低下し、乾隆帝時代には旗人の人口増加に伴う八旗の生活困窮が大きな問題となり、漢軍旗人を民間籍に移す「漢軍出旗」が行われた。 辛亥革命以降も漢軍八旗の子孫は旗人を自称し、中華人民共和国成立後の民族区分では大部分が満族に編入された。.

新しい!!: 緑営と漢軍八旗 · 続きを見る »

戊戌の政変

戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)とは、清末において、光緒24年(1898年、戊戌年のおよそ100日間)に西太后が栄禄・袁世凱らと共に、武力をもって戊戌の変法を挫折させた保守派(反変法)のクーデターである。.

新しい!!: 緑営と戊戌の政変 · 続きを見る »

明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

新しい!!: 緑営と明 · 続きを見る »

新軍

新軍(しんぐん)または「新建陸軍」とは清朝政府が日清戦争後に軍を再編成して新たに作った、近代的陸軍である。新軍は軍制や訓練、装備に至るまで完全に西洋式に切り替えられ、清朝末に正規軍として清国軍の中核を担った。.

新しい!!: 緑営と新軍 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »