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粛親王

索引 粛親王

粛親王(しゅくしんのう、満州語:、転写:fafungga cin wang)は、清の皇族。粛親王家は太宗ホンタイジの長子ホーゲに始まり、清朝八大世襲家の筆頭といわれた満州鑲白旗の名家である。 初代粛親王ホーゲは清朝建国時期の征戦で活躍したが、異母弟順治帝の摂政となった叔父ドルゴンによって罪に落とされ獄死した。順治帝はドルゴン死後にホーゲの名誉を回復し、廃されていた粛親王の爵位も復活した。 第10代粛親王善耆は、清末に立憲君主制による近代化改革を推進し、辛亥革命後に清朝復辟運動を行った。善耆の第14王女愛新覚羅顯㺭(㺭は王偏に子)は、川島浪速の養女となって川島芳子を名乗った。.

14 関係: 川島芳子川島浪速ドルゴンホンタイジホーゲ八旗順治帝辛亥革命金壁東満州語愛新覚羅善耆愛新覚羅顕キ愛新覚羅連経

川島芳子

川島 芳子(かわしま よしこ、1907年5月24日 - 1948年3月25日)は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。 本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)、字は東珍、漢名は金璧輝、俳名は和子。他に芳麿、良輔と名乗っていた時期もある。.

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川島浪速

川島 浪速(かわしま なにわ、慶応元年12月7日(1866年1月23日) - 昭和24年(1949年)6月14日)は、日本の大陸浪人。満蒙独立運動の先駆者として知られる。.

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ドルゴン

ドルゴン(満洲語:, ラテン文字転写: dorgon、多爾袞、万暦40年10月25日(1612年11月17日) - 順治7年12月9日(1650年12月31日))は、後金から清初の皇族。。甥にあたる順治帝の摂政となり、清が中華王朝となるにあたって指導力を発揮し、大きな役割を果たした。養子にがいる。.

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ホンタイジ

ホンタイジ(ᡥᠣᠩᡨᠠᡳᠵᡳ 転写:hong taiji、皇太極)は、清(後金)の第2代皇帝。君主としての称号は満州語でスレ・ハン(sure han)、モンゴル語でセチェン・ハーン。皇太極は皇太子、黄台吉とも表記される。三田村泰助は明の陳仁錫『山海紀聞』や李朝の『朝鮮王朝実録』の「仁祖実録」などを根拠に、本名は「ヘカン」であったとする説を提示している。 皇太子とも表記されることから、ヌルハチの生前から後継者と目されていたと考える向きもあるが、ヌルハチが死の際にそれに触れていないことと矛盾する。ヌルハチは自分を部族連合体の長であるとしか考えていなかったので、後継者も自分と同じように周囲の推戴によって選ばれるべきである、と認識していたと考える方が妥当であろう。史書(『清実録』)にはホンタイジは順当に何事もなく即位したように書かれているが、このあたりの記述には潤色があると考えられる。 なお、「ホンタイジ」という単語は上述の通り「皇太子」や「王」「福王」などの意味を含んでおり、満州族以外のユーラシア大陸北方遊牧民の間で広く使われた君主号の一種であり、彼以外にも「ホンタイジ」を名乗った者は多く、同時代だけを見ても複数いる。例えばホンタイジの死後、乾隆帝によって滅ぼされたジュンガルの歴代王は「ホンタイジ」の称号を名乗っていた。.

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ホーゲ

ホーゲ(豪格、ᡥᠣᠣᡤᡝ 、転写:hooge、1609年 - 1648年)、清の太宗ホンタイジ(皇太極)の長男。母は継妃ウラナラ(烏喇那拉)氏(即位前に離縁された)。.

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八旗

八旗(はっき・グサ、ᠵᠠᡴᡡᠨᡤᡡᠰᠠ メレンドルフ転写:jakūn gūsa)は、清代に支配階層である満洲人が所属した社会組織・軍事組織のことである。また、この制度を指して八旗制と呼ぶ。 八旗は旗と呼ばれる社会・軍事集団からなり、すべての満洲人は8個の旗のいずれかに配属された。後にはモンゴル人や漢人によって編成された八旗も創設される。八旗に所属する満洲人・モンゴル人・漢人は旗人(きじん、gūsa i niyalma)と総称され、清の支配階層を構成した。.

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順治帝

順治帝(じゅんちてい)は、清の第3代皇帝。姓名はアイシンギョロ・フリン(ᠠᡞᠰᡞᠨ ᡤᡞᠣᠷᠣᡶᡠᠯᡳᠨ、愛新覚羅 福臨)、廟号は世祖。在世時の元号順治を取って順治帝と呼ばれる。 入関後(中国支配の開始後)の清の土台を確固たるものとし、次代の康熙帝・雍正帝・乾隆帝の三世の春、いわゆる康雍乾盛世の黄金時代を導く役割をした。.

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辛亥革命

辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、清(中国)で発生した共和革命である。名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。 この結果、アジアにおいて史上初の共和制国家である中華民国が誕生した。.

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金壁東

金 壁東(きん へきとう)(1896年-1941年)は、中華民国・満州国の政治家・軍人。清朝皇族、粛親王善耆の第七子。母は第一側妃程佳氏。夫人は武毅謀勇公徳壽の娘烏雅氏。川島芳子の異母兄。 本名:愛新覚羅憲奎。別名:金壁東。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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満州語

満州語(滿洲語、まんしゅうご、ᠮᠠᠨᠵᡠᡤᡳᠰᡠᠨ、転写:manju gisun)は、満州族が話すツングース諸語に属する言語。.

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愛新覚羅善耆

愛新覚羅 善耆(あいしんかくら ぜんき、シャンチー、1866年 - 1922年)は、清の皇族。太祖ヌルハチの孫ホーゲに始まる粛親王を継ぐ。謚は忠。二等鎮国将軍を経て、粛親王の位を継ぎ、立憲君主制の実現を主張した。鑲白旗人。.

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愛新覚羅顕キ

愛新覚羅 顕琦(あいしんかくら けんき、1918年9月14日 - 2014年5月26日)は、清朝八大親王の一人、第10代粛親王善耆の末娘(第十七女)として旅順に生まれた人物である。天津郊外在住。最後の生存王女であった。旧字体では愛新覺羅顯琦。簡体字:爱新觉罗显琦、(アイシンジュエルオ・シエンチー)。中国名は金 黙玉。.

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愛新覚羅連経

愛新覚羅 連経(あいしんかくら れんけい、1940年 - )は中国の画家。粛親王善耆の第16王子憲方の子。川島芳子は叔母に当たる。 旅順市生まれ。山水画を描く中国現代画家の中で最も将来を嘱望されていると言われる。度々来日し日本国画院の画家との交流や個展を開いている。中国美術家協会会員、東方芸術交流会会員である。.

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