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竹簡

索引 竹簡

竹簡(ちくかん)は、東洋において紙の発明・普及以前に書写の材料として使われた、竹で出来た札(簡)。木で作られたものを木簡という。ごく特殊な例として、封禅のために玉で作成した「玉簡」も用いられた。公式文書では通常長さは一尺。紙普及後も、紙の代用として、あるいは荷札などの標識として長く用いられた。 簡をバラバラにならないよう紐でまとめ、編むことを「書を編む、編集」といい、編まれた簡を「一編の書」といい、編まれた書を巻いたものを「一巻の書」という。また簡を紐で束ねたものを「一冊」とする。冊は板(簡)を紐で束ねた象形文字である。ちなみに板を束ねた(並べた)構造物を「柵」という。 一般に竹黄(竹の内側部分)を書写面とするが、竹青(竹の外側部分)に書写されている場合もある。 竹簡が利用されたのは古代のことではあるが、故事・成語などの中では書写素材としての竹簡は健在である。孔子が易経を繰り返し読んで、綴じたひもが3回切れた故事から、本を熟読することを「韋編三絶」というが、「韋」とは「経」(たていと)に対する「緯」(よこいと)の意味で韋編とは横糸で綴じた編綴簡を意味する。革紐ではない。「韋編三絶」とは、何度も切れるほど『易経』を愛読したという意味である。歴史に名を留めることを「名を竹帛に垂れる」というが、名が竹簡や絹に記され、残ることを表現したものである。小役人を刀筆の吏というが、この「刀」は簡を作ったり、削って文字を訂正するための小刀である。 紙の普及に伴い、中国では東晋の桓玄の命によって公の場から竹簡が排除されたと言われている。だが、代わって竹で作られた紙である竹紙が作られ、現在も一部分野で用いられている。 遺跡等から出土して歴史・文字等の重要な史料となっている。木簡(木牘)とを竹簡を合わせて「簡牘」と呼ぶ。.

98 関係: 印台漢簡古代史料双古堆漢簡太康 (晋)孔子孔家坡漢簡安徽省封禅尹湾漢簡山東省岳麓書院蔵秦簡上海博物館上海博物館蔵戦国楚竹書常徳市世界大百科事典九店楚簡張家山漢簡信陽市北京大学蔵西漢竹書包山楚簡ヒスイ周家台秦簡咸寧 (晋)コトバンク冨谷至王家台秦簡睡虎地秦簡穆天子伝竹簡孫子竹紙竹書紀年益陽市盗掘随州市銀雀山漢簡遺跡荊門市西晋香港中文大学文物館蔵簡牘象形文字郭店一号楚墓郭店楚簡阜陽市走馬楼呉簡臨沂市里耶秦簡...長沙市連雲港市東晋桓玄歴史江蘇省江陵市江陵県江陵鳳凰山漢簡汲冢書河南省清華簡湘郷市湖北省木簡成語易経新蔡県文字放馬灘秦簡慈利県書家曾侯乙墓1951年1953年1954年1956年1965年1972年1973年1975年1977年1978年1981年1983年1986年1987年1988年1989年1992年1993年1996年2002年2013年2014年2015年279年281年 インデックスを展開 (48 もっと) »

印台漢簡

印台漢簡(いんだいかんかん)は、中国の湖北省荊州市沙市区関沮郷岳橋村で出土した前漢の簡牘である。.

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古代

古代(こだい、)とは、世界の歴史の時代区分で、文明の成立から古代文明の崩壊までの時代を指す。「歴史の始まり」を意味する時代区分である。古典的な三時代区分の一つであり、元来は古代ギリシア・古代ローマを指した(古典古代)。歴史家にとっては語ることのできる歴史の始まり(書き出し)を意味した。考古学の発達が歴史記述の上限を大幅に拡大したと言える。.

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史料

史料(しりょう、Quellen、Source, historical materials)は、歴史を考察する上で手がかりになるもののことで、紙に文字で書き記された文献や、考古学上の遺構・遺物・遺跡、イメージ史料となる絵画、写真、オーラル・ヒストリー、伝承などを含む。歴史家が歴史を研究・記述する際に用いるあらゆるものが史料である(紙の代わりに古くは木簡・竹簡、粘土板、石板などにも書かれたが、これらは伝世品であれば「文献」と言い、出土品なら遺物と言いわけるのが一般的である)。.

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双古堆漢簡

双古堆漢簡(そうこたいかんかん)は、中国の安徽省阜陽県双古堆で出土した前漢初期の簡牘である。.

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太康 (晋)

太康(たいこう)は、西晋の武帝司馬炎の治世に使われた元号。280年 - 289年。.

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孔子

孔夫子の像 孔子(こうし、くじ、、공자〈〉、蔵: ;、紀元前552年9月28日‐紀元前479年3月9日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音。 有力な諸侯国が領域国家の形成へと向かい、人口の流動化と実力主義が横行して旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子と弟子たちの語録は『論語』にまとめられた。 3000人の弟子がおり、特に「身の六芸に通じる者」として七十子がいた。そのうち特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれ、その才能ごとに四科に分けられている。すなわち、徳行に顔回・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語に宰我・子貢、政事に冉有・子路、文学(学問のこと)に子游・子夏である。その他、孝の実践で知られ、『孝経』の作者とされる曾参(曾子)がおり、その弟子には孔子の孫で『中庸』の作者とされる子思がいる。 孔子の死後、儒家は八派に分かれた。その中で孟軻(孟子)は性善説を唱え、孔子が最高の徳目とした仁に加え、実践が可能とされる徳目義の思想を主張し、荀況(荀子)は性悪説を唱えて礼治主義を主張した。『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』といった周の書物を六経として儒家の経典とし、その儒家的な解釈学の立場から『礼記』や『易伝』『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』といった注釈書や論文集である伝が整理された(完成は漢代)。 孔子の死後、孟子・荀子といった後継者を出したが、戦国から漢初期にかけてはあまり勢力が振るわなかった。しかし前漢・後漢を通じた中で徐々に勢力を伸ばしていき、国教化された。以後、時代により高下はあるものの儒教は中国思想の根幹たる存在となった。 20世紀、1910年代の新文化運動では、民主主義と科学を普及させる観点から、孔子及び儒教への批判が雑誌『新青年』などで展開され、1949年に成立した中華人民共和国では、1960年代後半から1970年代前半の文化大革命において、毛沢東とその部下達は批林批孔運動という孔子と林彪を結びつけて批判する運動を展開。孔子は封建主義を広めた中国史の悪人とされ、林彪はその教えを現代に復古させようと言う現代の悪人であるとされた。近年、中国では、中国共産党が新儒教主義また儒教社会主義を提唱し(儒教参照)、また、「孔子」がブランド名として活用されている(孔子鳥、孔子学院を参照)。.

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孔家坡漢簡

孔家坡漢簡(こうかはかんかん)は、中国の湖北省随州市曽都区北郊街道孔家坡で出土した前漢の簡牘である。.

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安徽省

安徽省(あんきしょう、アンホイしょう、中国語:安徽省、拼音:Ānhuī Shěng、英語:Anhui)は、中華人民共和国の省。名称は安慶の安、徽州(現黄山市)の徽による。省都は合肥市。略称は皖。.

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封禅

封禅(ほうぜん)とは、帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式である。 始皇帝以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと『史記』には伝えられている。その歴史は三皇五帝によって執り行われたのを最初としているが、伝説の時代であるため詳細は不明である。始皇帝以後では、前漢の武帝や北宋の真宗など十数人が、この儀式を行ったと伝えられている。.

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尹湾漢簡

『尹湾漢簡』(いんわんかんかん)は、中国の江蘇省連雲港市東海県温泉鎮尹湾村で出土した漢代の簡牘である。.

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山東省

山東省(さんとうしょう、中国語:山东省、拼音:Shāndōng Shěng、英語:Shandong)は、中華人民共和国の省の一つ。略称は周代の国名より魯。山東とは太行山脈の東方の意。北には渤海、東には黄海があり、黄河の下流に位置する。人口9579.3万人、面積157,126平方キロメートル。省都は、済南。他に青島、泰安などの主要都市がある。.

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岳麓書院蔵秦簡

岳麓書院蔵秦簡(がくろくしょいんぞうしんかん)は、中国の湖南大学岳麓書院が所蔵する秦代の簡牘である。.

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上海博物館

上海博物館(シャンハイはくぶつかん、、)は中華人民共和国上海市黄浦区に位置する博物館である。北京の故宮博物館、南京博物館とともに中国三大博物館の一に数えられる地球の歩き方(2014年)123ページ上海の博物館はこのほか上海自然博物館、上海昆虫博物館、上海科学技術博物館、一大会址博物館などがあるが、単に『博物館』といった場合、地元では上海博物館を指す。.

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上海博物館蔵戦国楚竹書

上海博物館蔵戦国楚竹書(シャンハイはくぶつかんぞうせんごくそちくしょ)は、上博楚簡(じょうはくそかん)ともいい、中国の上海博物館の所蔵する戦国時代の楚の竹簡群である。儒家や道家の思想研究において重要な文献となっている。成書時期は紀元前373年から紀元前278年のあいだと見られている。.

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常徳市

常徳市(じょうとく-し)は、中華人民共和国中南部に位置する湖南省の地級市である。古くは武陵や朗州(唐代)と称した。.

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世界大百科事典

世界大百科事典(せかいだいひゃっかじてん)は、平凡社が出版する百科事典のひとつ。最新版は2007年9月に発売された『改訂新版 世界大百科事典』であり、全35巻、総項約24,900、総項目数約9万、索引項目数約49万である。最新版の編集長は、加藤周一。.

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九店楚簡

九店楚簡(きゅうてんそかん)は、中国の湖北省江陵県九店公社磚瓦廠(現・荊州市荊州区紀南第二磚瓦廠)で出土した戦国時代の楚国の簡牘である。.

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張家山漢簡

張家山漢簡(ちょうかざんかんかん)は、張家山漢墓竹簡ともいい、中国の湖北省江陵県張家山(現在の湖北省荊州市荊州区郢城鎮太暉村)の漢墓から出土した竹簡群である。現在は荊州博物館に収蔵されている。.

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信陽市

信陽市(しんよう-し)は中華人民共和国河南省南東部に位置する地級市。 中国十大銘茶の一つの、信陽毛尖(しんようもうせん)の産地である。.

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北京大学蔵西漢竹書

『北京大学蔵西漢竹書』(ペキンだいがくぞうせいかんちくしょ)は、『北大漢簡』(ほくだいかんかん)ともいい、中国の北京大学が所蔵する前漢の竹簡群である。.

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包山楚簡

包山楚簡(ほうざんそかん)は、中国の湖北省荊門市の楚墓から出土した竹簡群である。.

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ヒスイ

翡翠の原石(ヒスイ輝石) 翡翠製のボタン 翡翠の小杯 オルメカ文化の翡翠の仮面 メソアメリカの先住民ミシュテカの翡翠の仮面、西暦およそ1300年 - 1350年頃 ヒスイ(翡翠、jade、ジェイド)は、深緑の半透明な宝石の一つ。東洋(中国)、中南米(インカ文明)では古くから人気が高い宝石であり、金以上に珍重された。古くは玉(ぎょく)と呼ばれた。 鉱物学的には「翡翠」と呼ばれる石は化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト: 透閃石-緑閃石系角閃石)」に分かれ、両者は全く別の鉱物である。しかし見た目では区別がつきにくいことから、どちらも「翡翠」と呼んでいる。.

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周家台秦簡

周家台秦簡(しゅうかだいしんかん)は、中国の湖北省荊州市沙市区で出土した秦代の簡牘である。.

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咸寧 (晋)

咸寧(かんねい)は西晋の武帝の治世に使われた元号。275年 - 280年.

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コトバンク

kotobank(コトバンク)は朝日新聞社が主体となってとりまとめたインターネット百科事典。新聞社が提供するウェブサイトの特色として報道記事中の用語解説を強化し、朝日新聞サイト掲載記事にリンクする朝日新聞「新用語解説サイト「kotobank」(コトバンク)を4月23日に開設 - asahi.com提供サービス」2009年4月22日 。 2009年4月23日の正式発足時は、同社と講談社、小学館、朝日新聞出版の各社が提供するものを核とした44辞書・事典の計43万項目を網羅する。VOYAGE GROUPがサイト構築と運営を担当し、オーバーチュアの検索エンジンとインターネット広告システムを利用、検索連動型広告(キーワード広告)を収益源とする。 2011年3月より朝日新聞とジェネシックスがiPhone向け電子辞書プラットフォームアプリ「kotobank for iPhone」の配信を開始ECナビ「」2011年3月29日。.

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冨谷至

冨谷 至(とみや いたる、1952年1月1日 - )は、古代中国史学者。京都大学人文科学研究所名誉教授。専門は中国法制史、簡牘学。 大阪府出身、1975年に京都大学文学部東洋史を卒業、1977年同大学院博士課程中退。京大人文研助手、大阪大学教養部助教授、京大人文研助教授を経て現職となる。1997年「秦漢刑罰制度考証」で文学博士を受けた。ケンブリッジ大学訪問研究員、ドイツ・ミュンスター大学客員教授、西北大学客員教授(中国)を歴任。2017年京大を定年退任、名誉教授。.

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王家台秦簡

王家台秦簡(おうかだいしんかん)は、中国の湖北省江陵県荊州鎮郢北村(現・荊州市荊州区郢城鎮郢北村)で出土した戦国時代末期の秦国の簡牘である。.

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睡虎地秦簡

『睡虎地秦簡』(すいこち しんかん)は、1975年に中華人民共和国湖北省雲夢県睡虎地にて発見された竹簡群のことである。秦の官吏を務めていた喜という人物の個人的な所有物であったもので、秦代の法律などの貴重な一次資料となっている。『睡虎地秦墓竹簡』、『雲夢秦簡』(うんぼう しんかん)とも呼ばれる。.

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穆天子伝

『穆天子伝』(ぼくてんしでん)は、周の穆王の伝記を中心とした全6巻からなる歴史書。『周王遊行』とも呼ばれる。穆王在位55年間の南征北戦(外征)について詳しい。その記録は穆王13-17年、崑崙山への9万里の西征で西王母と会い、帰還後は盛姫という美人に対する情愛についての記録で終わっている。『左伝』の歴史記述様式と違って、穆王を中心とした描写風の随筆になっている。.

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竹(タケ)とは広義には、イネ目イネ科タケ亜科のうち、木本(木)のように茎が木質化する種の総称である。 通常の木本と異なり二次肥大成長はせず、これは草本(草)の特徴である。このため、タケが草本か木本かは意見が分かれる(「木#学術的な定義を巡って」も参照)。ただし、タケの近縁種は全て草本で、木本は存在しないので、近縁種に限った話題では、近縁の完全な草本と対比して、タケは木本とされることが多い。 分類学的には従来、タケ連 にまとめられていた。しかし、単系統ではないことが判明し、分割が提案されている。 広義のタケは、その生育型から、狭義のタケ、ササ(笹)、バンブー (bamboo) の3つに分けられる。以下では便宜上、狭義のタケを「タケ」、広義のタケを「タケ類」と表し(ただし一般には、「タケ類」はタケ亜科、あるいは狭義のタケの意味で使われることもある)、タケ類全体について述べる。漢字の「竹」は人文・産業的な文脈に限って用いる。.

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竹簡孫子

竹簡孫子(ちくかん そんし)は、1972年に中国山東省臨沂県銀雀山の前漢時代の墓から出土した春秋戦国時代の兵家・孫武によるとされる『孫子』と孫臏についての兵法書の竹簡写本である。.

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竹紙

竹紙(ちくし)とは、.

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竹書紀年

『竹書紀年』(ちくしょきねん)とは、中国の編年体の歴史書。伝説時代から魏の襄王に至るまでを著述している。作者は不明。 この書物は漢代には既に散逸していたが、西晋の279年に現在の河南省にあった魏の襄王の墓を盗掘した際に大量の文字を記した竹簡が出土し、整理した中の一つがこの本である。竹に書かれていたことから『竹書紀年』の名がある。 『史記』などには登場しないエピソードも見えており、またこの書物を元に『史記』の年表における誤りの修正が為されている。 北宋代には再び散逸し、はるか後世の中華民国の時代になってから唐の司馬貞の『史記索隠』から引用された文献から『竹書紀年』を復元する試みが行われ、大きな成果を上げ、現在でも続いている。 明代に別の『竹書紀年』が出現したが、これは偽作であり、本来の方を「古本」・偽作のほうを「今本」と呼んでいる。.

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紐(ひも、twine)は、繊維を中程度の太さに束ねて細長くした加工品。またはそれを切り取った断片。.

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紙(かみ)とは、植物などの繊維を絡ませながら薄く平(たいら)に成形したもの。日本工業規格 (JIS) では、「植物繊維その他の繊維を膠着させて製造したもの」と定義されている。 白紙.

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益陽市

陽市(えきよう-し)は中華人民共和国の湖南省に位置する地級市。.

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盗掘

盗掘(とうくつ)とは一般に、正当な権利がないにもかかわらず土地(私有地・公有地を問わず)を掘削し、そこから得られた財物(埋蔵物、動植物など)を窃取する行為である。.

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随州市

随州市(ずいしゅう-し)は中華人民共和国湖北省に位置する地級市。炎帝神農の生誕地とされ、また隋朝を開いた楊堅がかつて刺史に任じられたことで、隋朝の名称の由来となった地でもある。なお王朝名は之繞を不祥としたために「随」を「隋」に改められている。.

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銀雀山漢簡

銀雀山漢簡(ぎんじゃくざんかんかん)は、中国山東省臨沂県銀雀山漢墓群で1972年4月に発掘された竹簡群の総称である。銀雀山1号墓からは4942枚、2号墓から32枚の竹簡が出土しており、先秦時代に著された古籍の貴重な資料となっている。この竹簡は発掘現場から程近い銀雀山漢墓竹簡博物館に常設展示されている。.

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遺跡

遺跡(いせき、Site)は、.

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荊門市

荊門市(けいもん-し)は中華人民共和国湖北省に位置する地級市。.

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西晋

西晋(せいしん、)は、司馬炎によって建てられた中国の王朝(265年 - 316年)。成立期は中国北部と西南部を領する王朝であったが、呉を滅ぼして中国全土を統一し、後漢末期以降分裂していた中国を100年振りに統一した。国号は単に晋だが、建康に遷都した後の政権(東晋)に対して西晋と呼ばれる。.

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香港中文大学文物館蔵簡牘

香港中文大学文物館蔵簡牘(ホンコンちゅうぶんだいがくぶんぶつかんぞうかんとく)は、香港中文大学文物館の所蔵する簡牘である。.

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象形文字

象形文字(しょうけいもじ)とは、ものの形をかたどって描かれた文字からなる文字体系で、絵文字からの発展によって生まれたと考えられている。絵文字と象形文字との最大の違いは、文字が単語に結びつくか否かにある。絵文字が文字と語の結びつきを欲せず、その物を必要としたものであるのに対し、象形文字は文が語に分析され、その語と文字とが一対の対応をなす表語文字の一種のことをいう。 象形文字では、文字はもっぱらそのかたどったものの意味を担うが、一般に表語文字では、それぞれの文字が具体的な事物にとどまらず語や形態素を表すことが多い(詳細は表語文字の項を参照)。しかし、漢字における仮借、ヒエログリフなどでの表音的使用など必ずしも象形文字の特徴と一致するわけではないものもまとめて象形文字と呼ぶことが多い。 このような意味での象形文字としては、漢字、ヒエログリフ、楔形文字、インダス文字、トンパ文字などがある。.

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郭店一号楚墓

郭店一号楚墓(かくてんいちごうそぼ)とは、中国湖北省荊門市にある陵墓。 1993年に発掘調査が行われ、大量の竹簡が発見された(郭店楚簡)。その中には、儒家にかかわる未発見の文献や『老子』などが含まれており、中国思想の常識を覆すものであった。 出土した器物の特徴などの観点からみて、紀元前300年頃の楚の貴族の墓である。 また、1994年香港のブラックマーケットに出現した竹簡(「上海博物館蔵戦国楚竹書」。放射性炭素による年代測定の結果は紀元前308年±65年とされる)も、郭店一号楚墓から盗掘されたものとの考えもあるが、詳細は不明である。.

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郭店楚簡

郭店楚簡(かくてんそかん)は、郭店楚墓竹簡ともいい、中国の湖北省荊門市の郭店一号楚墓で発見された竹簡群。1993年10月に出土し、現在は湖北省博物館に所蔵されている。考証によると、郭店楚簡の成書時期は紀元前300年を下ることはなく、およそ戦国時代の中期とみられている。.

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阜陽市

陽市(ふよう-し)は中華人民共和国安徽省に位置する地級市。.

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走馬楼呉簡

走馬楼呉簡(そうまろうごかん)は、中国の湖南省長沙市の古井戸から出土した三国時代の呉の簡牘群である。現在は長沙簡牘博物館に収蔵されている。.

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臨沂市

臨沂市(りんぎ-し)は中華人民共和国山東省東南部に位置する地級市。市名は沂水(ぎすい)という河川に由来する。中国でも10位以内に入る人口規模を有す行政区であり、人口の99.67%が漢族で、その他30以上の少数民族が各地から集まっている。山東省で面積・人口共に最大の地級市。.

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里耶秦簡

里耶秦簡(りやしんかん)は、中国の里耶古城遺跡から出土した秦代の竹簡群。紀元前222年(始皇25年)から紀元前208年(秦二世2年)にいたる秦代の行政文書が秦隷で記載されている。.

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長沙市

長沙市(ちょうさし、、)は中華人民共和国湖南省の省都。古い歴史をもつ国家歴史文化名城であり、経済的にも湖南省の中心として発展している。株洲市・湘潭市とともに、中国の製造業の中心の一つである「長株潭都市群」を構成する。華中地域において、武漢に次いで2番目の大都市となる。.

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連雲港市

連雲港市(れんうんこう-し)は中華人民共和国江蘇省に位置する地級市。全国十大港湾の一つである貿易港を有し、中国に14ある沿海の経済技術開発区の一つでもある。.

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東晋

前涼・前秦・前燕と東晋。 東晋(とうしん、)は、中国の西晋王朝が劉淵の漢(前趙)より滅ぼされた後に、西晋の皇族であった司馬睿によって江南に建てられた王朝である(317年 - 420年)。西晋に対し史書では東晋と呼んで区別する。.

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桓玄

桓 玄(かん げん)は、桓楚の初代皇帝。東晋の安帝より禅譲を受けて皇帝となるが、3ヵ月後にクーデターを起こした劉裕の挙兵によって殺された。.

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歴史

Historia (Allégorie de l'Histoire). ニコラオス・ギジス(Nikolaos Gysis) (1892年) The Historian E. アービング・クーゼ(1902年) 歴史(れきし、羅: historia)は、何かしらの事物が時間的に変遷したありさま、あるいはそれに関する文書や記録のことをいう。主に国家や文明など人間の社会を対象とする。記述されたことを念頭に置いている。ヴィルヘルム・ヴィンデルバントの科学分類に拠れば、「自然科学が反復可能な一般的法則であるのに対し、歴史科学が対象とする歴史は反復が不可能である一回限りかつ個性を持つもの」と定義している。また、現在に至る歴史を「来歴」と言う。.

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江蘇省

江蘇省(こうそしょう、、、)は、中国東部にある行政区。長江の河口域であり、北部は淮河が流れ黄海に面する。名称は江寧(現南京市)の江、蘇州の蘇による。省都は南京市(中華民国政府が公表している省都は鎮江市)。略称は蘇。.

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江陵市

江陵市(カンヌンし)は大韓民国江原道東部の市。.

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江陵県

江陵県(こうりょう-けん)は中華人民共和国湖北省荊州市に位置する県。県人民政府のある郝穴鎮は長江に面した港であり、荊州市の中心部(沙市区および荊州区)からは東南(下流)にあたる。 秦代に南郡の郡治が置かれて以来、江陵は中国の政治・軍事史上でも最重要都市の一つであり、三国志にみられるように兵家必争の地であった。 ただし現在の江陵県は、現在も残る江陵古城からは東南に50km離れている。江陵古城は長らく江陵県およびこの地域一帯の中心都市であったが、1990年代に荊州市ができた時に江陵城周辺は荊州区となり、江陵県は江陵城と切り離され、旧江陵県の東部のみを管轄する県となった。現在の江陵県は古くからの江陵県の一部に過ぎず、しかもその伝統的中心地だった江陵城とは関係のない場所にある。.

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江陵鳳凰山漢簡

江陵鳳凰山漢簡(こうりょうほうおうざんかんかん)は、中国の湖北省荊州市荊州区紀南郷の鳳凰山で発見された鳳凰山漢墓群から出土した簡牘である。.

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汲冢書

『汲冢書』(きゅうちょうしょ)は、中国の西晋の時代に戦国時代の魏の墓から発見されたといわれる文献の総称。.

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河南省

河南省(かなんしょう、中国語:河南省、拼音:Hénán Shěng、英語:Henan)は、中華人民共和国の省の1つ。地域の大部分が黄河の南にあるため河南と称された。古の豫州があったことから、略称は豫である。省都は鄭州市。古代の中原の中心地であり、中国の中でも歴史のある地域である。.

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清華簡

清華簡(せいかかん)は、清華大学が2008年に取得した2000枚あまりの戦国時代の竹簡である。 盗掘によって出土し、海外に流出していたものを、実業家の趙偉国が買い戻して、母校である清華大学に寄贈した。鑑定によれば戦国時代中期から晩期の楚の竹簡である。 調査結果は、2010年以降、『清華大学蔵戦国竹簡』の書名で順次公開されている。.

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湘郷市

湘郷市(しょうきょう-し)は中国湖南省湘潭市に位置する県級市。.

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湖北省

湖北省(こほくしょう、フーペイしょう、中国語:湖北省、拼音:Húběi Shěng、英語:Hubei Province)は、中華人民共和国中部地方にある第一級行政区画である。揚子江中流域に位置し、洞庭湖以北にあるため、「湖北」と言う名称がつけられた。略称は鄂、楚、荊で、荊楚とも呼ばれる。省都は武漢市である。.

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木簡

木簡(もっかん)とは、古代の東アジアで墨で文字を書くために使われた、短冊状の細長い木の板である。紙の普及により廃れたが、荷札には長く用いられた。.

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成語

成語(せいご)とは、.

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易経

『易経』(えききょう、正字体:易經、)は、古代中国の書物。『卜』が動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占うものであるのに対して、『筮』は植物である『蓍』の茎の本数を用いた占いである。商の時代から蓄積された卜辞を集大成したものとして易経は成立した。易経は儒家である荀子の学派によって儒家の経典として取り込まれた。現代では、哲学書としての易経と占術のテキストとしての易経が、一部重なりながらも別のものとなっている。中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。著者は伏羲とされている。 中国では『黄帝内經』・『山海經』と合わせて「上古三大奇書」とも呼ぶ。.

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新蔡県

新蔡県(しんさい-けん)は中華人民共和国河南省の駐馬店市に位置する県。.

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文字

文字(もじ)とは、言葉・言語を伝達し記録するために線や点を使って形作られた記号のこと。文字の起源は、多くの場合ものごとを簡略化して描いた絵文字(ピクトグラム)であり、それが転用されたり変形、簡略化されたりして文字となったと見られる。.

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放馬灘秦簡

放馬灘秦簡(ほうばたんしんかん)は、中国の甘粛省天水市北道区党川郷で出土した戦国時代末期の秦国の簡牘である。.

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慈利県

慈利県(じり-けん)は中国湖南省張家界市に位置する県。.

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書家

『蘭亭序』(部分)神龍半印本 王羲之 宸筆 書譜』(部分)孫過庭書 書家(しょか)は、書における高度な技術と教養を持った専門家のこと。日本では書人ともいい、近年、異称であるが書道家ともいわれるようになった。中国語では、書法家(繁体字)という。独自の感性で墨文字アート、墨象画を手掛けている書き手は、書家とは異なる。.

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曾侯乙墓

曾侯乙墓(そうこういつぼ)あるいは擂鼓墩1号墓(らいことんいちごうぼ)は、中国の湖北省随県(現在の随州市曽都区)で発見された戦国時代初期の諸侯の墓。「卜」字形の竪穴墓で、南北16.5メートル、東西21メートル。.

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1951年

記載なし。

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1953年

記載なし。

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1954年

記載なし。

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1956年

記載なし。

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1965年

記載なし。

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1972年

協定世界時による計測では、この年は(閏年で)閏秒による秒の追加が年内に2度あり、過去最も長かった年である。.

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1973年

記載なし。

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1975年

記載なし。

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1977年

記載なし。

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1978年

記載なし。

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1981年

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1983年

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1986年

この項目では、国際的な視点に基づいた1986年について記載する。.

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1987年

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1988年

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1989年

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1992年

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1993年

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1996年

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2002年

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2013年

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2014年

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2015年

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279年

記載なし。

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281年

記載なし。

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