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童画

索引 童画

童画(どうが)とは、子供向けの絵画で、特に日本の美術史において大正時代中期に童話や童謡などの児童文学の台頭の影響を受けて成立した児童文化に属する絵画の一分野を指す称語。 「童画」という語を初めて用いたのは武井武雄である。武井は1925年に開催した個展「武井武雄童画展」で初めて童画という言葉を用いた。それまで童話の添え物として軽視されていたこの分野を芸術の域まで引き上げることをめざして造語したもので、1927年には武井武雄、初山滋、川上四郎、岡本帰一、深沢省三、村山知義、清水良雄ら7人で「日本童画家協会」を結成した( - 1941年)。 童画という呼称はその後広まった。.

33 関係: 大正岡本帰一川上四郎北田卓史初山滋イラストレーションイルフ童画館コドモノクニ児童文学石田武雄童話童謡絵画絵本絵本美術館黒崎義介林義雄村山知義武井武雄深沢省三深沢邦朗清水良雄挿絵日本童画家協会12月23日1925年1927年1941年1946年1961年1962年1975年1983年

大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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岡本帰一

岡本帰一(おかもと きいち、1888年6月12日 - 1930年12月29日)は、童画家。.

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川上四郎

川上 四郎(かわかみ しろう、1889年11月16日 - 1983年12月30日)は童画画家。 1889年、新潟県古志郡上組村大字摂田屋(現長岡市摂田屋)の豪農であった川上半四郎(通称「川半」)の四男として生まれる。兄の川上漸は医師で慶應義塾大学医学部教授(病理学)を務めた。新潟県立長岡中学校を経て、1913年東京美術学校西洋画科卒業。静岡県立榛原中学校で美術教師を務める。1916年コドモ社に入社。コドモ社が創刊した雑誌「童話」に挿絵を描いた。以後各種の雑誌に表紙画や挿画を描いている。晩年は新潟県湯沢町に在住し、1983年に逝去した。.

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北田卓史

北田 卓史(きただ たくし 1921年1月12日 - 1992年 男性)は、日本のイラストレーター。東京都に生まれ、東京工業専修学校機械科(今の東京工業大学附属科学技術高等学校)卒業。 児童文学の挿絵を多数描いた。マジックのような単一な線、四角い眼、いまいち無機質な表情、大人を描いても手足が短い子供のような等身などが特徴。 乗り物をテーマにした作品が多い。中でもタクシーが好きで、代表作の一つ「車のいろは空のいろシリーズ」もタクシーの話。卓史は本名でなく、タクシーから命名したとされる。イラスト右下の署名は「TAXI」。 児童美術科連盟会員。1958年と1959年に日本童画会賞、1962年に小学館絵画賞佳作賞を受賞。 好きな事はオムレツとチャーハンを作る事、嫌いな事は掃除と片付け。.

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初山滋

初山 滋(はつやま しげる、1897年7月10日-1973年2月12日)は童画画家。本名は「繁蔵」。生涯にわたってひとつの画風に留まることのない自由奔放ぶりで知られる。 版画作品は二十数年にわたり、小学校の国語教科書の表紙に使われた。 主な作品に『たべるトンちゃん』(1937年)、『もず』(1967年)がある。.

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イラストレーション

イラストレーション(-en-short-fr-shortillustration)とは図像によって物語、小説、詩などを描写もしくは装飾し、また科学・報道などの文字情報を補助する、形式よりも題材に主眼を置いた図形的もしくは絵画的な視覚化表現である。 イラストレーションは情報を伝達する媒体の1つであり、目的に沿って作成される絵や図像であり、情報の図解という性格を持つ。マスメディアを通じて社会の中で機能することを大前提としており、グラフィックデザインの中の分野でもある。そのため、作家自身の世界を一貫して追求する芸術・美術とは性質が異なっている。 イラストレーションを描くことを職業にしている人をイラストレーターという。.

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イルフ童画館

イルフ童画館(イルフどうがかん)は、長野県岡谷市中央町にある岡谷市立の美術館である。.

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コドモノクニ

『コドモノクニ』は、1922年1月から1944年3月にかけて東京社(現ハースト婦人画報社)から出版されていた児童雑誌。子供のために描かれる童画という絵画ジャンルの確立に寄与した、大正時代を代表する絵雑誌である。.

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児童文学

児童文学(じどうぶんがく)は、0歳から10代、概ね12歳頃までのプレティーンの読み手や聞き手を対象にした文学作品およびジャンルであるが、ティーンエイジャーまでを範疇に含む場合もある。イラストレーションが添えられている場合が多い。 この語は娯楽性に重きを置いているエンターテイメント作品群であるヤングアダルト小説(ライトノベルや少女小説)や漫画などの他のジャンルと区別する形で使われる場合もある。明確に子ども向けに作られた書物は17世紀までには既に存在していた。児童文学の研究のための職業団体、専門の出版物、大学の専攻課程なども存在する。国や世代を超えて読みつがれる名作や、幅広い世代に受け入れられるベストセラーやロングセラー作品が数多くある。 日本においては、子どもを対象としたフィクションの文学ジャンルについては、童話という用語が使われていることが多い。だが、空想的なお話というジャンルとしての用語として使われることもあり、昭和時代以降は、広義には児童文学が使われるようになっており、童話に関しては、年少者向けという狭義の意味合いで一般には流布している。出版社や出版業界では、こうしたものや絵本を児童書あるいは児童図書と呼んで扱っている。.

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石田武雄

石田武雄(いしだ たけお).

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童話

童話(どうわ)とは、児童が読む、または親などの大人が幼年児童に読み聞かせる子ども向けの、民話、伝説、神話、寓話、創作された物語等である。創作童話の多くは幼年、児童向けの短篇作品をさす。最も古い童話論は「童話は乳母のするおとぎ話である」というプラトンである。.

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童謡

ビクター・レコードから発売された童謡のシングルレコード「仲よし家庭音楽会」 童謡(どうよう)とは、広義には子供向けの歌を指す。 狭義には日本において大正時代後期以降、子供に歌われることを目的に作られた創作歌曲を指す。厳密には創作童謡(そうさくどうよう)と呼ばれる。この意味で用いる場合は、学校教育用に創作された唱歌や、自然発生的に作られたわらべ歌(自然童謡、伝承童謡)は含まれない。日本国外の子供向け歌曲についても、同様の傾向をもつものを「童謡」と呼ぶことがある。.

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絵画

絵画(かいが)は、物体の形象を平面に描き出したもの広辞苑。 日本語では類語の絵が幅広く用いられ、絵画という語は、特に芸術作品としての絵を指す場合がある。ただし、絵と絵画を区別して用いるとは限らない。また画を後ろにつけて描写の技法や対象を示す用語もある(水墨画、静物画など)。 フランス語の peinture(パンチュール)、英語の painting(ペインティング)、日本語の雅言的表現で絵と呼ぶこともある。 文字などを「書く」ことより早く、絵画を「描く」行動は幼少期から見られる行動である。発達心理学などの分野では、14歳から18歳程度で完成期と呼ばれる時期を迎え、多くの人はその頃から、ほとんど描かなくなる。子どもの絵に関する社会科学的研究は豊富だが、大人の絵に関する同様の研究は少ない。その一方で、多くの人が描かなくなる年齢を過ぎても活動的に絵を描く人々が居る。歴史的に代表的なのは画家であると言えるが、現代ではより多くの業種に見出される傾向である。なお、人間の発達には個人差があり、柔軟な姿勢が必要である。.

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絵本

絵本(えほん、Picture book)とは、その主たる内容が絵で描かれている書籍の一種。絵画(イラストレーション)を主体とした書籍のうち、物語などテーマを設けて文章を付与し、これを読ませるものである。 絵物語とは似ている面がある。コマ割りがなされていない点などで漫画とは区別され、文章がなかったり物語(ストーリー)の代わりに解説が付されていたりする点で画集・イラスト集とは異なる。.

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絵本美術館

絵本の部屋(安曇野ちひろ美術館) 絵本美術館(えほんびじゅつかん)は、優れた絵本の原画の展示に合わせて、作品としての絵本コーナーなどが併設されたもの。 世界で初めての絵本美術館は日本の東京都練馬区にある「いわさきちひろ絵本美術館」(現・ちひろ美術館・東京)である。 作家の個人美術館の態をなしたもの、公的な資料収集として設置されたものなど、さまざまな形態、意図によるものが混在している。こぢんまりとした絵本の図書館といった性格も持っているが、貸し出しをするわけではない。まれに喫茶コーナーもある。.

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黒崎義介

黒崎義介(くろさき よしすけ、1905年3月25日-1984年8月12日)は童画画家。.

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林義雄

林 義雄(はやし よしお、1905年1月29日 - 2010年12月9日)は童画画家。 グラフィックデザイナーの福田繁雄は、義理の息子(娘の夫)。画家の福田美蘭は孫。.

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村山知義

村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。 息子の村山亜土は児童劇作家。.

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武井武雄

武井 武雄(たけい たけお、1894年6月25日-1983年2月7日)は、童画家、版画家、童話作家、造本作家である。 童話の添え物として軽視されていた子供向けの絵を「童画」と命名し、芸術の域にまで高めた。武井武雄の童画は、大胆な構図や幾何学的な描線によって、モダンかつナンセンスな味わいを感じさせ、残された作品はいまもって古びていない。「コドモノクニ」をはじめとした児童雑誌の挿画、版画、図案(デザイン)、おもちゃの研究・創作「イルフ・トイス」、本自体を芸術作品と捉えた「刊本作品」、童画批評など多岐多彩な分野で作品を残した。.

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深沢省三

深沢 省三(ふかざわ しょうぞう、1899年3月24日 - 1992年3月24日)は、日本の洋画家、童画家。岩手県内の美術教育にも尽力した。.

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深沢邦朗

深沢 邦朗(ふかざわ くにろう、1923年5月23日 - 2009年1月8日)は、日本の童画家。埼玉県生まれ。.

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清水良雄

清水良雄(しみずよしお、1891年8月4日 - 1954年1月29日)は洋画家、童画家。 東京都文京区本郷に生まれた。旧制京華中学校(現・京華高等学校)卒業。東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科卒業。黒田清輝、藤島武二に師事する。在学中に文部省美術展覧会に入選。戦時中に広島県芦品郡戸手村(現・福山市)に疎開。終戦後も東京へは戻らず広島で没した。 大正の初め頃から挿絵を描く。鈴木三重吉が1918年(大正7年)7月に創刊した童話雑誌『赤い鳥』の挿絵を創刊号から描いた。特に表紙の絵は全196冊のうち163冊を描き、同誌のイメージを視覚的に広めるという大きな役割を果たした。この他、児童雑誌『コドモノクニ』でも多くの作品を見ることができる。 友人に京華中学校の同級生で日本美術研究家の丸尾彰三郎がいた。.

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挿絵

挿絵(さしえ、挿し絵とも表記する)とは、イラストレーションの一種で、雑誌や新聞あるいは書籍など文字主体の媒体において、読者の理解を助けるため等の目的で入れられる絵のこと。挿画(そうが)ともいう。雑誌や書籍の見開きにわたる大きなものから、雑誌の片隅に使われる小さなものまである。正確に説明すれば、挿絵は、本、雑誌、新聞の間にさまざまな大きさで挿入された主に白黒の版画をさして言う。特に小さなものはカットとも呼ばれる。文章の傍らにあるものだけだとする考え方と、それに口絵を含むとする考え方がある。 画家、イラストレーター、漫画家などが担当するが、 専門の挿絵画家も存在する。 日本文学においては、そもそも源氏物語絵巻などの文学作品を視覚化した絵画が多く制作されている。また、江戸時代には草双紙、合巻、狂歌本などに浮世絵師などによる白黒の挿絵が描かれていた。現代では、特に児童文学など低年齢層向けの書物や、図解なしでは理解の困難な専門書などに見られるが、識字率の急激に上昇している社会では一般書物にも多く用いられる傾向にある。たとえば19世紀イギリスの新聞、雑誌掲載の小説(「パンチ」「ストランド・マガジン」など参照)では、ディケンズ、アーサー・コナン・ドイルなどの例を挙げるまでもなく、また18〜19世紀日本の黄表紙・読本等においても挿絵が多用されており、演劇・絵画・文学の境界は非常に流動的なものだったとする研究もある。ライトノベルにおいては、とくに挿絵が不可分のものとなっている。アニメ化・ゲーム化される際の登場人物の造形イメージを共通させるなど挿絵に依存する比率は極めて高い。.

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日本童画家協会

日本童画家協会(にほんどうがかきょうかい)は、子ども向けの絵本などのために絵画を描く画家、美術家の団体。 1927年から1943年ごろまで活動した第1次「日本童画家協会」と1961年から1983年まで活動した第2次「日本童画家協会」がある。第1次と第2次の間に「日本童画会」(1946年から1961年)が活動した。 第1次「日本童画家協会」は、初山滋、武井武雄、川上四郎、岡本帰一、深沢省三、村山知義、清水良雄が1927年に結成。「新ニッポン童画会」「童心美術協会」などとともに、日本少国民文化協会に併合されるまで存在した。 第2次「日本童画家協会」は、「日本童画会」が解散した翌年の1962年、武井武雄、黒崎義介、林義雄らが結成。1983年2月7日、心筋梗塞のため武井武雄が逝去した後、解散。 1965年、日本美術家連盟、日本漫画家協会、日本理科美術協会、児童出版美術家連盟、出版美術家連盟とともに、日本美術著作権連合を設立。林義雄が日本美術著作権連合の理事を務めた。.

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12月23日

12月23日(じゅうにがつにじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から357日目(閏年では358日目)にあたり、年末まであと8日ある。.

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1925年

記載なし。

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1927年

記載なし。

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1941年

記載なし。

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1946年

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1961年

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1962年

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1975年

記載なし。

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1983年

この項目では、国際的な視点に基づいた1983年について記載する。.

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