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称名念仏

索引 称名念仏

名念仏(しょうみょうねんぶつ)とは、仏の名号、特に浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)をいう。「称名」とは、仏・菩薩の名を称えること。また諸仏が阿弥陀仏を称讃することもさす。宗旨により、「称名念仏」を行として捉える場合と、非行として捉える場合がある。.

43 関係: 南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏室町時代一遍平安時代五台山 (中国)仏 (曖昧さ回避)仏陀念仏善導善知識円仁勢至菩薩四十八願称名真盛白蓮社融通念仏宗鎌倉時代選択本願念仏集行 (仏教)題目西教寺親鸞観音菩薩証空賦算般舟三昧経阿弥陀如来阿弥陀三尊臨終良忍来迎極楽法然末法本願浄土浄土宗浄土真宗浄土教慧遠 (東晋)時宗

南無妙法蓮華経

南無妙法蓮華経は、仏教で用いられる言葉である。「南無」はnamo(サンスクリット語)の漢語への音写語で「わたくしは帰依します」を意味し、「妙法蓮華経」の五字はサンスクリット語の「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ (saddharmapuNDariika-suutra、सद्धर्मपुण्डरीक सूत्&#x0930) 」を鳩摩羅什鳩摩羅什は、「羅什(らじゅう)」または単に「什(じゅう)」と略称されることがある。が翻訳した版の法華経の正式な題名(題目)である。「南無妙法蓮華経」の七字で「法華経の教えに帰依をする」という意味である。これらの文字を五字七字の題目とも呼ぶ。.

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南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)とは、名号のひとつで「六字名号」のこと。阿弥陀仏への帰依を表明する定型句である。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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一遍

一遍(いっぺん、延応元年(1239年) - 正応2年(1289年))は鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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五台山 (中国)

五台山(ごだいさん)は、中国山西省東北部の五台県にある古くからの霊山である。標高3,058m。仏教では、文殊菩薩の聖地として、古くから信仰を集めている。旧字表記では五臺山。別名は清涼山。2009年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。.

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仏 (曖昧さ回避)

佛がもとの漢字。国語国字改革以後は「仏」(当用漢字、常用漢字)。.

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仏陀

仏陀(ぶつだ、ぶっだ、बुद्ध、(ブッダ))は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。釈迦牟尼をも意味する。仏(ぶつ)やほとけともいう。.

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念仏

念仏(ねんぶつ)とは、仏教における行のひとつで、仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶこと。サンスクリット語では"buddha-anusmRti"で、仏陀に対する帰敬、礼拝、讃嘆、憶念などの意。日本では一般的には、浄土教系の宗派において合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」と称える「称名念仏」を指すことが多い。.

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善導

善導(ぜんどう、拼音:)は、中国浄土教(中国浄土宗)の僧である。「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立する。姓は朱氏。「終南大師」、「光明寺の和尚」とも呼ばれる。 浄土宗では、「浄土五祖」の第三祖とされる。 浄土真宗では、七高僧の第五祖とされ「善導大師」・「善導和尚」と尊称される。 同時代の人物には、『三論玄義』の著者で三論宗を大成させた吉蔵や、訳経僧で三蔵法師の1人である玄奘がいる。.

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善知識

善知識(ぜんちしき、कल्याणमित्र、)は、「善き友」「真の友人」、仏教の正しい道理を教え、利益を与えて導いてくれる人を指していう。「善友」とも漢訳される。原語の は、「善い」、「徳のある」という意味の形容詞、中性名詞として「善」「徳」の意味。は「友人」。 この意味から、禅宗では参禅の者が師家をこう呼ぶ。 浄土真宗では念仏の教えを勧める人、特に門徒が正しい法の継承者として門主をこう呼ぶ。 日蓮宗系では「善知識」「悪知識」と呼び習わし、同じ知識でも捉え方によって善くも悪くもなるため、何ごとも「善知識」に捉えるようにと教えている。 category:仏教 Category:仏教用語.

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円仁

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。.

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勢至菩薩

勢至菩薩(せいしぼさつ)、梵名マハースターマプラープタ (महास्थामप्राप्त)は、仏教における菩薩の一尊。「大勢至菩薩」、「大精進菩薩」、「得大勢菩薩」の別名がある。現在日本では午年の守り本尊、十三仏の一周忌本尊として知られている。三昧耶形は未敷蓮華(ハスの蕾)。種子(種子字)はサク(सः saḥ)。.

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四十八願

四十八願 (しじゅうはちがん)とは、浄土教の根本経典である『仏説無量寿経』(康僧鎧訳)「正宗分」に説かれる、法蔵菩薩 が仏に成るための修行に先立って立てた48の願のこと。 『仏説無量寿経』のサンスクリット原典である『スカーヴァティーヴューハ』には異訳があり、願の数に相違がある。二十四願系統と四十八願系統とに大別できる。前者は初期の浄土教思想、後者は後期の発展した浄土教思想を示すとされる。.

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称名

名(しょうみょう)とは、仏・菩薩の名を称えること。特に、阿弥陀仏の名号である南無阿弥陀仏を称えること。時には、諸仏が阿弥陀仏の名を称揚し讃歎することをさす(諸仏称名は阿弥陀仏の四十八願中の第十七願)。浄土教では、とくに阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)を称えること。これは浄土に生れるための正定業である。.

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真盛

黒谷青龍寺に隠遁する直前に決死の覚悟の表明として建立、現在のものは天保年間に再建されたもの、滋賀県大津市比叡山延暦寺 真盛(しんせい、嘉吉3年1月28日(1443年2月27日) - 明応4年2月30日(1495年3月26日))は、戦国時代の天台宗の僧。諡号は円戒国師・慈摂大師。伊勢国一志郡仰木 (現在の三重県津市一志町)の出身で、父は小泉左近尉藤能。天台宗真盛派(現在の天台真盛宗)の祖。 比叡山西塔の慶秀に師事し、天台宗の教学を学んだ。その後、同所にある黒谷青龍寺に隠遁し、「往生要集」に拠り称名念仏を唱えた。戒律と称名念仏の一致を唱え、宮中や公家・女官・守護などに無欲と慈悲を説いた。かつて良源や源信などが住み、円観が円頓戒の本寺としたこともある近江国坂本の西教寺を再興して、天台宗真盛派の本寺とした。.

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白蓮社

白蓮社(びゃくれんしゃ)とは、中国・東晋の慧遠が中心となって、在家信者らと共に結成した念仏結社。 402年(元興元年)、廬山・般若台の阿弥陀像前で、慧遠が123名の念仏実践を望む同志たちと誓願を立てたことに始まる。白蓮社の構成メンバーの中には、仏陀跋陀羅・仏陀耶舎・慧永・慧持・道生らの僧と、劉程之・宗炳・雷次宗・周続之らの居士が含まれていた。 中国における浄土教の起こりとされる。なお、白蓮社の念仏の実践とは、支婁迦讖訳の『般舟三昧経』に依拠した般舟三昧である。よって、同じく阿弥陀如来を念ずる浄土教ではあっても、浄土三部経に依る称名念仏を説いた曇鸞・道綽・善導の浄土教とは異なっている。般舟三昧とは、阿弥陀如来を専念することで見仏を得るという禅観の修法であり、称名念仏(および専修念仏)とは別系統の実践であった。.

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融通念仏宗

融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)は、浄土教の宗派の日本仏教の一つである。大阪市平野区にある大念仏寺を総本山とする。 平安時代末期の永久5年5月15日(1117年6月16日)に天台宗の僧侶である聖応大師良忍が大原来迎院にて修行中、阿弥陀如来から速疾往生(阿弥陀如来から誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満」を授かり開宗した。大念仏宗(だいねんぶつしゅう)とも言う。.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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選択本願念仏集

『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう、せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)は、建久9年(1198年)、関白九条兼実の要請によって、法然が撰述した2巻16章の論文。略称は『選択集』(せんちゃくしゅう、せんじゃくしゅう)である。浄土宗は「選択」を「せんちゃく」と、浄土真宗では「せんじゃく」と呼称について差異がある。「浄土三部経」の経文を引用し、それに対する善導の解釈を引き、さらに法然自身の考えを述べている。 法然真筆の冒頭文「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為先」の書かれた草稿本は京都の廬山寺に蔵されている。 末法においては称名念仏だけが相応の教えであり、聖道門を捨てて浄土門に帰すべきで、雑行を捨てて念仏の正行に帰入すべきと説いている。それまでの観想念仏を排して阿弥陀仏の本願を称名念仏に集約することで、仏教を民衆に開放することとなり、日本の浄土教において重要な意義を持つ文献の1つである。 浄土真宗の開祖とされる親鸞は、法然の思想、および著書である『選択本願念仏集』の影響を受けている。.

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行 (仏教)

行(ぎょう、saṅkhāra, saṃskāra, 梵(他):)。サンスクリット原語および漢訳術語の数が多いので、主なものを挙げている。.

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題目

(だいもく)とは、日蓮系・法華経系の宗教団体などにおいて勤行の際に用いられる南無妙法蓮華経の文句のことである。「お題目」とも言う。元来は題名(だいめい)の意であり、法華経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)の翻訳題(あて字)である妙法蓮華経(鳩摩羅什による訳)の五字のことを指しているが、南無(帰依するの意)を加えて七字にしても「題目」と呼ぶ。 なお、お題目は、建前の意味で使用されることもある。ここでは、上記いずれについても記載する。.

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西教寺

西教寺(さいきょうじ)は、滋賀県大津市坂本にある仏教寺院。天台系仏教の一派である天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山である。山号は戒光山、本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は聖徳太子とする伝承もあるが判然とせず、室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺してから栄えた。寺名は詳しくは兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)という。 比叡山東麓の大津市坂本地区の北方にあり、比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口に位置する。付近には比叡山の鎮守である日吉大社などがある。西教寺は、天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)に比べ知名度は高いと言えないが、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400か寺以上の末寺を有する。.

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親鸞

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる。 法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。、既成の仏教教団や、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。.

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観音菩薩

白衣観音図(狩野元信・画、ボストン美術館所蔵) 観音菩薩(かんのん ぼさつ、Avalokiteśvara)は、仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)ともいう。救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。.

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証空

証空(しょうくう・證空、治承元年11月9日(1177年11月30日) - 宝治元年11月26日(1247年12月24日))は、西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の西山三派の祖。法然の高弟であり、はじめ解脱房、のちに善恵(善慧)房と号した。諡号は弥天、鑑知国師。一般には西山国師(せいざんこくし)あるいは西山上人という。 血はつながらないが、道化禅師の長兄にあたる。最近の研究によれば、叔父ともされる。.

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賦算

賦算(ふさん)とは、時宗において「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と記した札「念仏札」と呼ばれるを配ること。 「六十万人」の意味に代表的な二つの説がある。 1.時宗宗門の伝統的教えによると、一遍の偈(『一遍聖絵』第三)、「六字名号一遍法 十界依法正一遍体 万行離念一遍証 人中上々妙好華」の四句の首字をとったものと解されている。 2.『一遍聖絵』第三では、「六」は「南無阿弥陀仏」の六字名号を、「十」は、阿弥陀如来が悟りを開いてからの十劫という長い時間を、「万」は、報身仏である阿弥陀如来の「万徳」(あらゆる徳)を、「人」は、一切衆生が往生して、安楽世界の人となることを意味するとする。 いずれにしても、極楽往生ができる人数を数的に60万人に限定することを意味していない。 『一遍聖絵』第二によると、一遍が四天王寺で仏戒を受けてから、念仏を勧めて賦算を始めた。『一遍聖絵』第三で、「一念の信をおこして南無阿弥陀仏ととなへて、このふだをうけ給ふべし」といって、一念の信を起こすことと、「南無阿弥陀仏」と称することを条件に札を配っていた。しかし既に一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と定まっているので、受け取る人の、信・不信、浄・不浄を嫌わずに配るべきである、という夢における熊野権現の神勅に基づいて、その後は、無条件で配ったという。これと踊念仏によって時宗は鎌倉時代から室町時代にかけて大いに発展した。 現在でも、神奈川県藤沢市の清浄光寺で、毎日、朝勤行の後の他、1月12日の初賦算、4月の春季開山忌(呑海上人忌)、9月の秋季開山忌(一遍上人忌)の際、また11月27日に行われる別時念仏「一つ火」の法会の後等に、遊行上人によって賦算が行われている。.

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般舟三昧経

『般舟三昧経』(はんじゅざんまいきょう、pratyutpannabuddha-saṃmukhāvasthita-samādhi-sūtra、略してpratyutpanna-samādhi-sūtra)は、大乗仏教の経典。サンスクリット原典は散逸し、チベット語訳と数種の漢訳経典が現存する。紀元前後に成立した最初期の大乗仏典のひとつであり、浄土経典の先駆と考えられる。精神統一によって仏の姿を現前に見ることを説く。.

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阿弥陀如来

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つである。梵名はアミターバ()、あるいはアミターユス ()といい、それを阿弥陀と音写する。阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。 梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ(東方は薬師如来)。.

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阿弥陀三尊

阿弥陀三尊(あみださんぞん)は、仏教における仏像安置形式の一つである。 阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍左脇侍・右脇侍とは、中尊から見ての「左」「右」を意味する。したがって、拝観者から見た場合、中尊の向かって右が左脇侍、向かって左が右脇侍である。の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式である。根拠は『無量寿経』・『観無量寿経』である。 観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ、勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされる。 脇侍の観音菩薩は、頭上の髻の正面に阿弥陀の化仏(けぶつ)を表し、勢至菩薩は同じ位置に水瓶を表すので、両脇侍は比較的区別がつけやすい。 日本では、東京国立博物館が収蔵する「銅造阿弥陀如来及両脇侍像(法隆寺献納)」(重要文化財、飛鳥時代)や、橘三千代の念持仏と伝えられる法隆寺の「銅造阿弥陀如来及両脇侍像(伝橘夫人念持仏)」(国宝、飛鳥時代、大宝蔵院収蔵)などが古い作例である。.

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臨終

臨終(りんじゅう)とは、死を迎える直前の時期をいう。臨命終時(りんみょうしゅうじ)の略語。古来、この危機的な時期を巡って、死の受入れと死の看取りに関する様々な慣習と文化が生み出されてきた。.

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良忍

良忍(りょうにん、延久5年1月1日(1073年2月10日)? - 天承2年2月1日(1132年2月19日))は、平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師。 尾張国知多郡の領主の秦道武(はた の みちたけ)の子。良仁とも書き、房号は光静房または光乗房。生年は延久4年(1072年)説もある。 比叡山東塔常行三昧堂の堂僧となり、雑役をつとめながら、良賀に師事、不断念仏を修める。また禅仁・観勢から円頓戒脈を相承して円頓戒の復興に力を尽くした。22歳から23歳のころ京都大原に隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建し(寂光院も良忍による創建説がある)、また分裂していた天台声明の統一をはかり、大原声明を完成させた。 1117年(永久5年)阿弥陀仏の示現を受け、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から融通念仏を創始し、称名念仏で浄土に生まれると説き、結縁した人々の名を記入する名帳を携えて各地で勧進を行った。四天王寺に参籠した時に見た霊夢により、摂津国住吉郡平野庄(現大阪市平野区)の領主の坂上広野の邸宅地に開いた修楽寺が、その後の融通念仏の総本山の大念仏寺の前身である。 1773年(安永2年)聖応大師の謚号を賜った。.

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来迎

来迎(らいごう、浄土教諸宗では、らいこう)とは、仏教において、念仏行者の臨終の際に阿弥陀三尊が25人の菩薩と共に白雲に乗ってその死者を迎えに来て極楽に引き取ること。その様子を描いた図様は来迎図(らいごうず/らいこうず)という。.

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極楽

極楽(ごくらく、sukhāvatī, スカーヴァティー、蔵;, デワチェン)とは、阿弥陀仏の浄土であり、サンスクリット語「スカーヴァティー」は「スカー」(sukhā)に「ヴァティー」(vatī)を加えたもので「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」の意味。須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音表され、安楽、極楽、妙楽などと訳出された。 『阿弥陀経』には「其の国の衆生、衆苦有ること無く、但だ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」という。.

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法然

法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。法然は房号で、諱は源空(げんくう)。幼名を勢至丸。通称は黒谷上人・吉水上人とも。 謚号は、慧光菩薩・華頂尊者・通明国師・天下上人無極道心者・光照大士である.

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末法

末法(まっぽう)とは、仏教で、仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期のこと。または、釈迦の死後1,500年(または2,000年)以降の時期のことである。.

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本願

本願(ほんがん、pūrva-praṇidhāna, プールヴァ・プラニダーナ)とは、仏教において、仏や菩薩が過去において立てた誓願を指す。宿願(しゅくがん)とも言う。菩薩としての修行中に立てたもので、たとえば阿弥陀仏ならば法蔵菩薩としての修行中に立てられたものを言う。 原語のうち「プールヴァ」(pūrva)は「前の」、「プラニダーナ」(praṇidhāna)とは、「あるものに心を寄せる」「切望する」「祈る」などを意味する動詞「プラニダー」(サンスクリット:praṇidhā)からでた名詞であり「誓願」(せいがん)とも訳す。 原始経典では「天国に生れることを希願する」というように用いられる。仏教の場合は、絶対者などに対して祈るのではなく、自己への祈りであり、願いである。その意味で、「真実の祈誓」(sacca-kiriyā)であり、真実の実行を意味する。いわば、悟りを開き仏陀たらんとする願いとその実行をいう。.

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浄土

浄土(じょうど)とは、仏教において、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のこと。清浄仏土、仏国、仏刹(ぶっせつ)、浄刹(じょうせつ)、浄国、浄界などとも言われる。煩悩に汚染されている衆生が住む穢土(えど)と対比される語である。阿弥陀如来の西方極楽浄土、薬師如来の東方浄瑠璃浄土などの種々の浄土があるとされる。浄土の語は大乗仏教における宗教的理想郷を指す言葉としても広く用いられたが、平安後期以降に浄土教が広まるにつれて、浄土は主として阿弥陀如来の西方極楽浄土を指すようになった。.

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浄土宗

#伝統宗派としての浄土宗。浄土宗諸派の総称としての浄土宗。鎮西派と西山派に分かれる。.

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浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨である。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。「浄土真宗」の英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派・真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。.

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浄土教

浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。浄土門、浄土思想ともいう。阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。.

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慧遠 (東晋)

慧遠(えおん、334年 - 416年)は、中国の東晋、廬山に住んだ高僧。隋代、浄影寺の慧遠と区別して廬山の慧遠とも呼ばれる。俗姓は賈氏。中国仏教界の中心的人物の一人である。.

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時宗

時宗(じしゅう)は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教。開祖は一遍。鎌倉仏教のひとつ。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称遊行寺)。 時宗の開祖・一遍像。藤沢市清浄光寺。.

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