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福島宿 (中山道)

索引 福島宿 (中山道)

福島宿(ふくしまじゅく)は中山道37番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曾郡木曽町福島。 関所は、宿場の北入口にあった。.

33 関係: 天保宮ノ越宿宿場島崎藤村上松宿中央本線中山道中山道六十九次一里塚円 (通貨)児玉幸多福島関所遠藤五平太菩提寺馬頭観音興禅寺 (長野県木曽町)関所脇本陣蕎麦長野県東海旅客鉄道松尾芭蕉正岡子規木曽の桟木曽福島駅木曽町木曽郡木曾義昌木曾氏本陣旅籠1843年

天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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宮ノ越宿

宮ノ越宿(みやのこしじゅく)は中山道36番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡木曽町日義。 宿場関連の史跡よりも、木曾義仲関連の史跡が多い。かつては木曽川の水を使った用水が宿場内を流れていた。.

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宿場

中山道妻籠宿 宿場(しゅくば)とは、主に江戸時代、五街道や脇往還において駅逓事務を取り扱うため設定された町場をいう。宿駅ともいい、古代、奈良時代・平安時代から駅馬・伝馬の制度によって整備されていった。 また、宿場を中心に形成された町を宿場町(しゅくばまち)と呼ぶ。.

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島崎藤村

島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日)は、日本の詩人、小説家。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。信州木曾の中山道馬籠2005年2月12日までは、長野県木曽郡山口村神坂馬籠。越境合併により、岐阜県中津川市馬籠となった。所属県が長野県から岐阜県に変更される事で、藤村の出身県を従来どおり長野県とするか、新たに岐阜県とするか、もしくは新旧両方併記するか、関係者の間で混乱が生じている。しかし藤村本人は、「信州人」意識を強く持っている。(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。 『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に、『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがある。.

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上松宿

上松宿(あげまつじゅく)は中山道38番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡上松町。 十王橋から上町、本町、仲町、下町。古い町並みが残るのは上町。.

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中央本線

| 中央本線(ちゅうおうほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から新宿区の新宿駅、長野県塩尻市の塩尻駅を経由して愛知県名古屋市中村区の名古屋駅までを結ぶ鉄道路線(幹線)である。 このうち東京駅 - 塩尻駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)、塩尻駅 - 名古屋駅間は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄となっている。なお、塩尻駅はJR東日本の管轄である。「中央東線」や「中央西線」、「中央線快速」など、区間や系統別に様々な呼称がある(後述)。 『鉄道要覧』上は、重複する東京駅 - 神田駅間は東北本線、代々木駅 - 新宿駅間は山手線となっている(詳しくは概要を参照)。 地域ごとの詳細については、以下の記事も参照。.

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中山道

五十五里塚跡、下諏訪宿 福島宿) 一里塚(岐阜県垂井町) 中山道(なかせんどう)は、江戸時代の五街道の一つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道である。「中仙道板橋駅の北側にある踏切が「中仙道踏切」という名称である。」、「仲仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の異称も有した。.

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中山道六十九次

塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望』渓斎英泉筆。峠から氷結した諏訪湖を臨む。左手に見えるのは八ヶ岳連峰。 加納』歌川広重筆 中山道六十九次(なかせんどう-ろくじゅうきゅうつぎ)は、日本の近世にあたる江戸時代に栄えた五街道の一つ中山道に設けられた、69を数える宿場の総称。 中山道は、江戸・日本橋と京・三条大橋の間を結ぶ主要街道2路のうちの、山地側の1路である。 もう1路である東海道とは、江戸側は同じ日本橋から発するが、山手と海沿いに分かれて西進し、近江国に入って草津宿で合流。そこからは京までの区間を共有する。 また、江戸・日本橋から発する甲州街道とは、その終点である信濃国の下諏訪宿で合流する。 中山道六十九次は天保6- 8年(1835-1837年)頃、浮世絵師・渓斎英泉および歌川広重により、名所絵(浮世絵風景画)『木曽海道六十九次』として描かれている 。.

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一里塚

一里塚(いちりづか)は、旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)である。 塚の側に榎などの木を植えたり標識を立てたりしていた。いわゆる街道のマイルストーン・キロポストと同様であり、一里塚は中国にも存在する。 日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。室町時代の一休(または一休に近しい遊女・地獄太夫)が「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいる。 一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年2月4日(グレゴリオ暦1604年3月4日)、徳川家康が子の徳川秀忠に命じ、金山奉行の大久保長安が総監督となって設置したのが始まりである。江戸幕府は江戸の日本橋を起点として全国の各街道の1里(約4 km)ごとに一里塚を設置するよう指令を出し、長安の指揮の元に一里塚の設置が行われ、10年ほどで完了した。一里塚の大きさは5間(約9 m)四方、高さ1丈(約1.7 m)に土を盛り上げてつくられ、一里塚の上には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていた。また、植えられた樹木は築いた塚の崩壊を根で防ぐ役割も持つ。 一里塚の本来の姿は街道の両側に対で設置されるものである。ただし現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在している事が多い。街道を挟んで一対で現存する一里塚には国の史跡に指定されているものもある。また、都道府県や市町村の史跡に指定されている一里塚や、未指定であっても地域住民の崇敬の対象として守られている塚やその跡地も多い。.

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円 (通貨)

円(えん)は、日本の通貨単位。通貨記号は¥(円記号)、ISO 4217による通貨コードはJPY。旧字体では圓、ローマ字ではyenと表記する。しばしば日本円(にほんえん)ともいう。 通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年6月1日法律第42号)により「通貨の額面価格の単位は円とし、その額面価格は一円の整数倍とする。」と定められている(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第2条第1項)。.

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児玉幸多

児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた文学博士。学習院大学名誉教授、学習院大学元学長、学習院女子短期大学元学長、品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。.

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福島関所

木曾街道六拾九次 福島(歌川広重画) 福島関所(ふくしませきしょ)は、中山道にあった関所の一つ。諸国関所一覧表によると、福島(福島関所)は、所在地が信濃国筑摩郡で、管理者が山村甚兵衛家、管理者身分が尾張藩代官であった。また、関所の最重とされ、東海道の今切関所、箱根関所と同等の扱いであった渡辺(1992)、266頁。。現在は長野県木曾郡木曽町福島。関所は、宿場の北入口にあった。.

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遠藤五平太

遠藤 五平太(えんどう ごへいた、文化5年8月16日(1808年10月4日) - 明治21年(1888年)7月14日)は、幕末の武士、中西派一刀流の剣術家。諱は正贇。.

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菩提寺

菩提寺(ぼだいじ)は、代々その寺の宗旨に帰依して、(先祖の)位牌を納めてある寺。菩提所とも呼ばれる。ここでいう菩提とは「死後の冥福」を指し、菩提を弔う寺院という意味である。例えば、徳川家の寛永寺や増上寺が有名。古代・中世では一般的に氏寺と呼ばれていた。 香華院(こうげいん)は、仏前に香や花を供える役割を担う寺院のこと。香華寺(こうげじ)や香華所(こうげしょ)とも呼ばれる。陵墓・霊廟・墓所などに隣接して置かれる。例えば、皇室の陵墓に隣接する泉涌寺、伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」に隣接する瑞鳳寺などがこれにあたる。 檀那寺、旦那寺(だんなでら)は、檀信徒(檀家)の布施、すなわち檀那(旦那)によって運営される寺のこと。本来の意味では信徒と寺との経済的関係を示しているに過ぎないが、江戸時代に寺請制度によって個人は必ず1つの寺に管理されるようになり、多くの庶民は経済的支援をする寺と先祖の墓を管理してもらうそれが一致する。.

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馬頭観音

頭観音(平安時代、ボストン美術館所蔵) ハヤグリーヴァの彫像(インド、カジュラーホー) 馬頭観音(ばとうかんのん、हयग्रीव、、ハヤグリーヴァ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとるとも言われ、柔和相と憤怒相の二つの相をもつが、日本では柔和相の姿はあまり知られておらず作例も少ない。そのため、通例として憤怒相の姿に対しても観音と呼ぶことが多いが、密教では、憤怒相の姿を区別して馬頭明王とも呼び、『大妙金剛経』に説かれる「八大明王」の一尊にも数える。.

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興禅寺 (長野県木曽町)

興禅寺(こうぜんじ)は 長野県木曽郡木曽町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は萬松山。町内の長福寺、大桑村の定勝寺とともに木曽三大寺のひとつ。 本尊は釈迦如来像。.

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関所

関所の冠木門様式の門(石部宿場の里にて) 関所(せきしょ)とは、交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設である。単に関(せき)とも。陸路(街道)上に設置された関所は「道路関」、海路に設置された関所は「海路関」とも呼ばれる。陸路では、峠や河岸に設置されることが多い。.

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脇本陣

因幡街道 大原宿 脇本陣 脇本陣(わきほんじん)は、江戸時代の宿場に設置された本陣の予備的施設。大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されるなど、本陣に差し支えが生じた場合に利用された。本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったが、脇本陣は大名・勅使などの利用が無い時には一般客の宿泊にも供した。 規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が勤めた。.

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里(り)は、尺貫法における長さの単位である。現在の中国では500m、日本では約3.9km、朝鮮では約400mに相当する。.

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蕎麦

蕎麦の提供例 蕎麦(そば)とは、穀物のソバの実を原料とする蕎麦粉を用いて加工した、日本の麺類、および、それを用いた料理である。今日、単に「蕎麦」と呼ぶ場合、通常は蕎麦切り(そばきり)を指す。中華そばなどと区別して日本蕎麦(にほんそば)とも呼ばれる。 歴史は古く、寿司、天ぷらと並ぶ代表的な日本料理である。この蕎麦の調味として作られる「つゆ(蕎麦汁)」は、地域によって色・濃さ・味になどに明らかな違いがあり、その成分も各地によって好みが分かれる。蕎麦を供する場合には皿(竹簾が敷かれている専用の蕎麦皿など)やざる(ざるそば用)、蕎麦蒸籠などが用いられる。蕎麦つゆを供する場合には徳利(蕎麦徳利)と猪口(蕎麦猪口)が用いられることが多い。また汁を張った丼に蕎麦をいれて供するものもある。蕎麦は専門店のみならず、外食チェーンなどのメニューにも載っており、小売店などでも麺が乾麺、生、または茹で麺の状態で販売され、カップ麺としても販売されている。.

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長野県

長野県空撮画像。長野盆地、富士山、浅間山、日本アルプスなどを望む。 長野県の地形図 長野県(ながのけん)は、本州内陸部に位置する日本の県の一つ。令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれている。海に面していないいわゆる内陸県であり、大規模な山岳地があるため可住地面積率は小さい。県庁所在地は長野市。善光寺の門前町として発展し第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体でもある。.

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東海旅客鉄道

東海旅客鉄道株式会社(とうかいりょかくてつどう、)社名ロゴの「鉄」の字は金を失うという意味を避けるため「金偏に矢」という「鉃」の文字を使い、『東海旅客鉃道株式会社』と表記しているが、登記上の正式な社名では常用漢字の「鉄」である(JR四国以外の各社も同じ)。 は、1987年(昭和62年)に日本国有鉄道(国鉄)新幹線総局・静岡局・名古屋局から鉄道事業を引き継いだ旅客鉄道会社の一つ。 東海道新幹線を軸として東海地方を中心とした地域に鉄道路線網を有する。本社は愛知県名古屋市と東京都港区。通称はJR東海(ジェイアールとうかい)、英語略称はJR Central。乗車券などには「海」の略号が使われることもある「東」はJR東日本となっているため。ため、「JR海」(ジェイアールかい、ジェイアールうみ)と呼ばれることもある。コーポレートカラーはオレンジ色。東証・名証一部上場企業。日経225(日経平均株価)およびTOPIX Core30の構成銘柄の一社。.

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松尾芭蕉

松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日)佐藤編(2011)、p.248-249、松尾芭蕉関係年表)は、江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作佐藤編(2011)、p.30-34、芭蕉の生涯 伊賀上野時代(寛永~寛文期)。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。 俳諧(連句)の芸術的完成者であり東明雅『芭蕉の連句』(岩波新書)蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では俳聖佐藤編(2011)、p.247、あとがきとして世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。芭蕉自身は発句(俳句)より俳諧(連句)を好んだ。 芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名。.

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正岡子規

松山市にある子規記念博物館 正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。.

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木曽の桟

木曽の棧(きそのかけはし)は、長野県木曽郡上松町の旧国道19号(現上松町道)の下にある橋跡で、長野県の史跡、日本百名橋の番外の1つである。歌枕としても知られ、近くには「棧温泉」、木曽川右岸道路には「木のかけはし」がある。.

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木曽福島駅

地下道 プラットホーム 駅舎脇に保存されているD51 775 木曽福島駅(きそふくしまえき)は、長野県木曽郡木曽町福島にある、東海旅客鉄道(JR東海)中央本線の駅である。 木曽町における代表駅であり、木曽地域としての観光等の拠点にもなっている。特急「(ワイドビュー)しなの」をはじめすべての旅客列車が停車する。.

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木曽町

木曽町(きそまち)は、長野県木曽郡中央部にある町。「日本で最も美しい村連合」の一つ。.

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木曽郡

長野県木曽郡の範囲(1.上松町 2.南木曽町 3.木祖村 4.王滝村 5.大桑村 6.木曽町 薄緑:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入した区域) 木曽郡(きそぐん)は、長野県の郡。本項では発足時の名称である西筑摩郡(にしちくまぐん)についても述べる。 以下の3町3村を含む。.

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木曾義昌

木曾 義昌(きそ よしまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。信濃国木曾谷の領主木曾氏の第19代当主。幼名は宗太郎。左馬頭、伊予守。木曾義康の長子。弟に上松義豊。正室は武田信玄の娘・真竜院(真理姫)。子に千太郎、義利、義春、義通、娘(毛利高政正室)などがいる。.

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木曾氏

木曾氏(きそし)は、日本の氏族の一つ。.

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本陣

本陣は、 江戸時代以降の宿場で、大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家。原則として一般の者を泊めることは許されておらず、営業的な意味での「宿屋の一種」とはいえない。宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった。また、本陣に次ぐ格式の宿としては脇本陣があった。.

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旅籠

赤坂宿 大橋屋(2007年) 旅籠(はたご)とは、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする家のことである。旅籠屋(はたごや)の略。江戸時代以降も旅籠または旅籠屋の名称を宿やホテル一般的な名称として使う場合がある。本稿では主に江戸時代の日本の旅籠屋について詳述する。.

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1843年

記載なし。

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