ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

石田波郷

索引 石田波郷

石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日)は、愛媛県出身の俳人。本名は哲大(てつお)。水原秋桜子に師事、「馬酔木」に拠ったのち、「鶴」を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句からはじまり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求、加藤楸邨、中村草田男らとともに人間探求派と呼ばれた。昭和戦前に流行した新興俳句運動を批判し、韻文精神の尊重を説き切れ字を重視。戦中には結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする境涯俳句を詠み続けた。.

84 関係: 加藤楸邨垣生村おうふう博多堤清二境涯俳句夏石番矢大友柳太朗大正富士見書房小島健山東省山本健吉工藤寛正中村草田男三省堂三橋敏雄久保田万太郎人間探求派作品社俳句俳句研究俳号ハルキ文庫ホトトギス (雑誌)国立病院機構東京病院石塚友二石田あき子石田勝彦石橋辰之助現代俳句協会目黒区白水社白水Uブックス芸術選奨華北西東三鬼馬酔木 (雑誌)角川学芸出版角川春樹事務所角川書店読売文学賞調布市高屋窓秋高野公彦講談社講談社文芸文庫鶴 (雑誌)藤田湘子長谷川櫂...森澄雄楠本憲吉横光利一水原秋桜子江東区深大寺温泉郡清瀬市渋柿本阿弥書店明治大学昭和流通経済大学浦和市日本経済新聞社愛媛県愛媛県立松山東高等学校愛媛新聞11月21日1913年1930年1934年1935年1936年1937年1938年1939年1942年1943年1944年1945年1946年1969年3月18日 インデックスを展開 (34 もっと) »

加藤楸邨

加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)は日本の俳人、国文学者。本名は健雄(たけお)。水原秋桜子に師事、はじめ「馬酔木」に拠ったが、苦学する中で同誌の叙情的な作風に飽き足らなくなり、人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求、石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。戦後は戦災や社会運動への参加などを経て幅の広い作風を展開、また主宰した「寒雷」では伝統派から前衛派まで多様な俳人を育てた。.

新しい!!: 石田波郷と加藤楸邨 · 続きを見る »

垣生村

垣生村(はぶむら).

新しい!!: 石田波郷と垣生村 · 続きを見る »

おうふう

おうふうは、東京都千代田区にある出版社で、国語学や国文学などに関する著作を刊行している学術出版社。旧社名の桜楓社でも知られている。桜楓社という社名は、日本大学の国文学者・鈴木知太郎がつけた。.

新しい!!: 石田波郷とおうふう · 続きを見る »

博多

博多総鎮守櫛田神社 博多(はかた)は、九州北部筑前国、現在の福岡県福岡市の地域。 博多湾に面する港町・港湾都市で、博多津などとも呼ばれた。古代からの歴史を持ち、中世には、大商人達による合議制で治められた日本史上初の自治都市として栄えた。江戸時代に黒田氏が入国し那珂川を挟んで城下町福岡を築き、二極都市の性格を持った。明治時代には博多・福岡をまとめて1つの市・福岡市として市制施行されて現在に至り、博多の地名は博多区として残るが同義ではない。.

新しい!!: 石田波郷と博多 · 続きを見る »

堤清二

堤 清二(つつみ せいじ、1927年3月30日 - 2013年11月25日)は、日本の実業家、小説家、詩人。筆名は辻井 喬(つじい たかし)。学位は博士(経済学)(中央大学・1996年)。日本芸術院会員、財団法人セゾン文化財団理事長、社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、『歴程』同人、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長。西武流通グループ代表、セゾングループ代表などを歴任した。異母弟は元西武鉄道会長の堤義明。.

新しい!!: 石田波郷と堤清二 · 続きを見る »

境涯俳句

境涯俳句(きょうがいはいく)は、作者(俳人)の人生・境涯に根ざした俳句のこと。主として病気・逆境・貧困を詠うことが多い。境涯俳句は第二次世界大戦後、花鳥諷詠俳句に代わって、人生俳句(人間探求派)とともに俳壇の大きな潮流となった。 石田波郷は「俳句は私小説である」「俳句は境涯を詠ふものである。境涯とはなにも悲観的情緒の世界や隠遁(いんとん)の道ではない。又哀別離苦の詠嘆でもない。すでにある文学的劇的なものではなくて、日常の現実生活に徹していなくてはならない。小説戯曲、詩それら一連の文学は、創作である。(中略)生活に随ひ、自然に順じて生れるものである。作句の心は先づここになければならない。」()が典型的な主張であろう。波郷の句集『惜命』(しゃくみょう)1950年(作品社)は、療養俳句の典型であり、また境涯俳句の金字塔と目されている。.

新しい!!: 石田波郷と境涯俳句 · 続きを見る »

夏石番矢

夏石 番矢(なついし ばんや、1955年7月3日 - )は、兵庫県相生市生まれの俳人。明治大学法学部教授(専攻は比較文学)。本名:乾 昌幸。 妻は俳人の鎌倉佐弓。埼玉県富士見市在住。 20代より「俳句研究」「俳句評論」「未定」などで俳句・俳論を発表。代表句として「未来より滝を吹き割る風来たる」田中亜美 「夏石番矢」 『現代の俳人101』 pp.216-217「神々のあくびが桜を枯らすのか」など。多数の著書があり、句集では1冊ごとに新しいスタイルを試みる前衛俳人である須藤徹 「夏石番矢」 『現代俳句ハンドブック』 p.69.

新しい!!: 石田波郷と夏石番矢 · 続きを見る »

大友柳太朗

大犮 柳太朗(おおとも りゅうたろう、1912年〈明治45年〉6月5日 - 1985年〈昭和60年〉9月27日)は、山口県出身の俳優。本名は中富 正三。 新国劇出身。戦後の東映時代劇映画で数多く主演を務めた剣豪スター。晩年はテレビの現代劇でも活躍した。.

新しい!!: 石田波郷と大友柳太朗 · 続きを見る »

大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

新しい!!: 石田波郷と大正 · 続きを見る »

富士見書房

富士見書房(ふじみしょぼう)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。 1972年に株式会社富士見書房(初代)として設立され、その後の4度の組織再編を経て、現在に至っているが、本項では一体的に解説する。 なお、辰巳出版傘下の「富士美出版」とは何の関係もない。.

新しい!!: 石田波郷と富士見書房 · 続きを見る »

小島健

小島 健(こじま けん、1946年10月26日 - )は、俳人。新潟県生まれ。中央大学法学部卒業。10代の頃から俳句を始め、岸田稚魚に師事、俳誌「琅玕」(玕:王偏に干)に学ぶ。稚魚没後、角川春樹に師事、俳誌「河」(主宰:角川照子)に入会。角川春樹賞(1990年)、河新人賞(1991年)、河賞(1993年)を受賞。1995年、第一句集『爽』を上梓、翌年、句集『爽』により第19回俳人協会新人賞を受賞。 NHK学園専任講師、俳人協会理事を務める。.

新しい!!: 石田波郷と小島健 · 続きを見る »

山東省

山東省(さんとうしょう、中国語:山东省、拼音:Shāndōng Shěng、英語:Shandong)は、中華人民共和国の省の一つ。略称は周代の国名より魯。山東とは太行山脈の東方の意。北には渤海、東には黄海があり、黄河の下流に位置する。人口9579.3万人、面積157,126平方キロメートル。省都は、済南。他に青島、泰安などの主要都市がある。.

新しい!!: 石田波郷と山東省 · 続きを見る »

山本健吉

福岡県八女市にある八女市立図書館2階にある山本健吉資料室の写真。 山本 健吉(やまもと けんきち、1907年(明治40年)4月26日 - 1988年(昭和63年)5月7日)は、文芸評論家。本名は石橋貞吉(ていきち)。 文芸評論家石橋忍月の三男。最初の妻は俳人の石橋秀野。なお秀野の妹は漫画家の清水崑の妻である歌人の清水恒子。俳文学会、日中文化交流協会、日本ペンクラブ、各会員。.

新しい!!: 石田波郷と山本健吉 · 続きを見る »

工藤寛正

工藤 寛正(くどう ひろまさ、1941年 - )は、歴史家、随筆家。 神奈川県川崎市生まれ。筆名・岩井寛。明治大学文学部史学科卒。雑誌・PR誌編集に携わり、雑誌『歴史と旅』(秋田書店)編集長を経て文筆業に。歌誌『藻』同人。.

新しい!!: 石田波郷と工藤寛正 · 続きを見る »

中村草田男

中村 草田男(なかむら くさたお、1901年(明治34年)7月24日 - 1983年(昭和58年)8月5日)は、中国アモイ出身の俳人。本名清一郎(せいいちろう)。東京大学国文科卒。高浜虚子に師事、「ホトトギス」で客観写生を学びつつ、ニーチェなどの西洋思想から影響を受け、生活や人間性に根ざした句を模索。石田波郷、加藤楸邨らとともに人間探求派と呼ばれた。「萬緑」を創刊・主宰。戦後は第二芸術論争をはじめとして様々な俳句論争で主導的な役割をもった。忌日は「草田男忌」として季語。.

新しい!!: 石田波郷と中村草田男 · 続きを見る »

三省堂

株式会社三省堂(さんせいどう)は、日本の出版社である。辞典・事典・六法・教科書などの出版で知られる。 本社はJR水道橋駅と神田川に挟まれたエリアにある。この場所は、かつて自社印刷工場の倉庫として使われていた場所であった。.

新しい!!: 石田波郷と三省堂 · 続きを見る »

三橋敏雄

三橋 敏雄(みつはし としお、1920年11月8日 - 2001年12月1日)は、俳人。東京都八王子市出身。実家は絹織物業であったが、家業が傾き進学を諦め、書籍取次の東京堂(後に取次部門は日本出版配給に吸収)で働きながら実践商業学校(現実践学園中学・高等学校)夜間部を卒業。1943年召集を受け横須賀海兵団に入団。戦後は1972年まで運輸省所属の練習船事務長として日本丸、海王丸などに勤務した。 俳句は1935年、東京堂の先輩に勧められ社内句会に参加。1936年に「句と評論」「馬酔木」などに投句。1937年渡辺白泉の「風」に参加、白泉に師事し、新興俳句無季派の俳人となる。1938年「広場」同人となり、西東三鬼にも師事。1939年「京大俳句」にも参加するが、新興俳句弾圧事件により終刊に追い込まれた。戦後は西東三鬼主宰の「断崖」、山口誓子主宰の「天狼」同人。同人誌「面」・「俳句評論」同人。1967年、第14回現代俳句協会賞受賞。1986年「壚坶(ローム)」監修。1989年「畳の上」で第23回蛇笏賞受賞。三橋敏雄に強い影響を受け私淑のち師事した俳人に池田澄子、沼尻玲子などがいる。 戦後も無季俳句の好題である戦争にこだわり続けた。代表的な句に「かもめ来よ天金の書をひらくたび」「いつせいに柱の燃ゆる都かな」(以上『まぼろしの鱶』所収)「戦争と畳の上の団扇かな」(『畳の上』所収)などがある。.

新しい!!: 石田波郷と三橋敏雄 · 続きを見る »

久保田万太郎

久保田 万太郎(くぼた まんたろう、1889年(明治22年)11月7日 - 1963年(昭和38年)5月6日)は、浅草生まれの大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家。生粋の江戸っ子として伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。俳人としては岡本松浜、松根東洋城に師事、戦後に俳誌「春燈」を主宰し文人俳句の代表作家として知られる。俳句の別号に暮雨、傘雨。別の筆名に千野菊次郎。文化勲章受章者。贈従三位勲一等瑞宝章(没時叙位叙勲)。.

新しい!!: 石田波郷と久保田万太郎 · 続きを見る »

人間探求派

人間探求派(にんげんたんきゅうは)とは、俳句において、自己の追求がそのまま俳句の追求になるように、自己の内面を生活のうちに詠もうとするもの。 「俳句研究」1939年8月号(改造社)に掲載された座談会「新しい俳句の課題」は、当時難解派と呼ばれていた中村草田男、加藤楸邨、篠原梵、石田波郷が参加して行われた。座談会は、同誌編集長・山本健吉の「貴方がたの試みは結局人間の探求といふことになりますね」という発言に、加藤楸邨が「四人共通の傾向をいへば『俳句に於ける人間の探求』といふことになりませうか」と受けて締め括られ、この4名に代表される作品の傾向が人間探求派と呼ばれるようになる。.

新しい!!: 石田波郷と人間探求派 · 続きを見る »

作品社

作品社(さくひんしゃ)は、東京都千代田区にある人文社会科学系の出版社。 ヘーゲルの著作を長谷川宏の訳で多く出版。そのほか社会科学・哲学書を多数刊行。 『日本の名随筆』シリーズや、八切止夫の作品出版を続けた。傍ら『ペニスの文化史』などの、性にまつわる文化史(あるいはセクソロジー)の翻訳本を多数出版している。『ヴァギナの文化史』は1年間で12刷を数えるほどのヒットとなり、『体位の文化史』はタモリ倶楽部で取り上げられ話題を集めた。仲正昌樹の「入門講義」シリーズが好評を博している。 熊野純彦訳「判断力批判」「実践理性批判」「純粋理性批判」を刊行し、三批判書個人完訳を成し遂げた。海外文学では「金原瑞人選オールタイム・ベストYA」のシリーズがあり、八重樫克彦・八重樫由貴子訳でE・ロセーロ、M・バルガス=リョサ、M・アギニスが刊行されている。岸本佐知子訳のリディア・デイヴィス、佐川愛子訳のE・ダンティカでも知られる。ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』は第一回日本翻訳大賞読者賞を受賞した。.

新しい!!: 石田波郷と作品社 · 続きを見る »

俳句

俳句(はいく)とは、五・七・五の十七音から成る日本語の定型詩である。世界最短の定型詩とされ、十七文字(じゅうしちもじ)、十七音(じゅうしちおん)、十七語(じゅうしちご)とも呼ばれる。俳句の有季定型性を捨象する形で派生した自由律俳句や無季俳句などもある。俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。.

新しい!!: 石田波郷と俳句 · 続きを見る »

俳句研究

『俳句研究』(はいくけんきゅう)は、かつて刊行されていた日本の俳句雑誌。1934年創刊。その後何回か休刊と復刊を繰り返し、2011年8月が最終発行となっている。.

新しい!!: 石田波郷と俳句研究 · 続きを見る »

俳号

俳号(はいごう)あるいは俳名(はいめい、はいみょう)とは、俳諧あるいは後の俳句を作る際に用いる雅号のことである。現在は、俳人の雅号(愛称)という意味では「俳号」、「号」という呼びかたが主であり、「俳名」という場合は後述する歌舞伎役者が持つ異名を指すことが多い。 現代では俳号を持たない俳人もいるが、多くは句会で披講されるときに、選に入って自身の句が読み上げられると俳号を名乗る。 このほかに表徳(ひょうとく)ともいう。表徳とは表徳号のこと。古代中国で本名を呼ばれることを忌ることから付けられた別号のこと。日本では江戸期に通人が吉原などで本名を呼ばれることを嫌ってつけたもので、俳号、俳名とほぼ同じである。(『俳文学大辞典』角川書店) なお、現代の俳句団体では、団体によって差はあるが、常連メンバー同士が句会の際に用いる俳号だけでお互いを認識している場合がある。そういう意味で俳号は、オフラインミーティングを活発に行っているインターネットコミュニティにおけるハンドルネームに近い役割を担っていると言えよう(反対に、投句を機関紙に掲載する際には、俳号ではなく本名を掲載する団体もある)。 俳人以外でも俳号に由来する芸名もある。その代表的な例としては大橋巨泉(本名:大橋克巳)がある。これは元々早稲田大学在学中に俳人として名乗ったものであるが、のちに芸名とした。.

新しい!!: 石田波郷と俳号 · 続きを見る »

ハルキ文庫

ハルキ文庫(ハルキぶんこ、Haruki Bunko)は、株式会社角川春樹事務所が発行している文庫レーベル。本項では、ハルキ・ホラー文庫についても述べる。.

新しい!!: 石田波郷とハルキ文庫 · 続きを見る »

ホトトギス (雑誌)

『ホトトギス』は、合資会社ホトトギス社が発行する俳句雑誌。1897年(明治30年)に正岡子規の友人である柳原極堂が創刊した。夏目漱石が小説『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』を発表したことでも知られる。明治期には総合文芸誌として、大正・昭和初期には保守俳壇の最有力誌として隆盛を誇った。.

新しい!!: 石田波郷とホトトギス (雑誌) · 続きを見る »

国立病院機構東京病院

立行政法人国立病院機構東京病院(どくりつぎょうせいほうじんこくりつびょういんきこうとうきょうびょういん)は東京都清瀬市にある医療機関。独立行政法人国立病院機構が運営する病院である。旧国立療養所東京病院。政策医療分野における呼吸器疾患の基幹医療施設、肝疾患の専門医療施設である。北多摩北部の5市で構成される北多摩北部保健医療圏の災害拠点病院の一でもある。 設立当初は結核療養を目的とし、通称「清瀬の療養所」と呼ばれていたが、現在では結核以外の診療が中心になっている。また、周辺には救世軍清瀬病院など、複数の医療機関が存在する。 附属看護学校は2001年4月1日に、附属リハビリテーション学院は2008年3月に閉校した。.

新しい!!: 石田波郷と国立病院機構東京病院 · 続きを見る »

石塚友二

石塚 友二(いしづか ともじ、1906年9月20日 – 1986年2月8日)は、新潟県出身の俳人・小説家・編集者。俳誌「鶴」の二代目主宰。本名は友次。.

新しい!!: 石田波郷と石塚友二 · 続きを見る »

石田あき子

石田 あき子(いしだ あきこ、1915年11月28日 - 1975年10月28日)は、俳人。石田波郷の妻。本名・せん。旧姓・吉田。埼玉県生、大妻高等女学校卒。「鶴」「馬酔木」同人。 1942年に波郷と結婚、夫の闘病を支えながら子を育て、句作にも励んだ。1970年に出版されたあき子の句集『見舞籠』は波郷が死の直前まで出版の準備を手助けしていたもので、波郷の死の1ヶ月後に刊行され、第10回俳人協会賞の対象となった。また当時のことを綴った『夫帰り来よ』という随筆集がある(題名は『見舞籠』所収の「ひとたびは夫帰り来よ曼珠沙華」による)。 1975年、59歳で死去。死後に『石田あき子全句集』(1977年)も刊行されている。.

新しい!!: 石田波郷と石田あき子 · 続きを見る »

石田勝彦

石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 2004年7月9日)は、北海道出身の俳人。本名は和郎(かずろう)。札幌市生まれ。國學院大學中退。戦後、結核のため清瀬の国立東京病院に入所。1952年、東京療養所俳句サークル誌「松濤」の加藤楸邨の選を受け、翌年、「寒雷」に入会。また石田波郷に師事し、1954年、俳誌「鶴」に入会。「鶴」支部句会で小林康治からも学んだ。波郷没後、1974年、小林康治の「泉」創刊に参加、編集を担当、1980年より「泉」を辞した小林に代わり選を務める。1988年、俳人協会評議員。1990年、健康上の理由で「泉」主宰を綾部仁喜に譲る。2000年、句集『秋興』により第39回俳人協会賞受賞。2004年7月9日午後8時、慢性腎不全のため、東京都八王子市の病院にて死去。 妻の石田いづみ、長女の石田郷子も俳人。.

新しい!!: 石田波郷と石田勝彦 · 続きを見る »

石橋辰之助

石橋 辰之助(いしばし たつのすけ、1909年(明治42年)5月2日 - 1948年(昭和23年)8月21日)は、俳人。栗林一石路や橋本夢道とともにプロレタリア俳句運動に尽力した。別号に竹桜子。.

新しい!!: 石田波郷と石橋辰之助 · 続きを見る »

現代俳句協会

代俳句協会(げんだいはいくきょうかい)は、全国規模の俳句団体。.

新しい!!: 石田波郷と現代俳句協会 · 続きを見る »

目黒区

黒区(めぐろく)は、東京都の特別区のひとつで、23区西部に区分される。 郵便番号(上3桁)は152・153。.

新しい!!: 石田波郷と目黒区 · 続きを見る »

白水社

株式会社白水社(はくすいしゃ)は、日本の出版社。語学書や翻訳書の出版を多く手がける。新人劇作家の登竜門といわれる岸田國士戯曲賞を主催していることでも知られる。 社名は、屈原の長詩「離騒」の註の「淮南子に言ふ、白水は崑崙(こんろん)の山に出で、これを飲めば死せずと。神泉なり」に由来する。.

新しい!!: 石田波郷と白水社 · 続きを見る »

白水Uブックス

白水Uブックス(はくすいユーブックス)とは白水社が発行する小説、ノンフィクションの叢書。ブックデザインは田中一光。判型は新書判。発刊当初は、パブロ・ピカソのデッサン『FAUNSKOPF』がカバーに使われていた。.

新しい!!: 石田波郷と白水Uブックス · 続きを見る »

芸術選奨

芸術選奨(げいじゅつせんしょう)は、文化庁第18回まで文部省。主催の芸術家の顕彰制度。1950年(昭和25年)度発足。 各年度毎に芸術各分野において優れた業績をあげた人物に対し「芸術選奨文部科学大臣賞」が、またその業績により新生面を開いた人物に対し「芸術選奨文部科学大臣新人賞」が贈られる。.

新しい!!: 石田波郷と芸術選奨 · 続きを見る »

華北

華北地域 華北(かほく、North China)とは、中国北部地域の呼称である。華北平原とは、多分に重なるが、必ずしも完全に一致しない。.

新しい!!: 石田波郷と華北 · 続きを見る »

西東三鬼

西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は、岡山県出身の俳人。歯科医として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。.

新しい!!: 石田波郷と西東三鬼 · 続きを見る »

馬酔木 (雑誌)

『馬酔木』(あしび)は、馬酔木発行所が発行する月刊俳句雑誌。.

新しい!!: 石田波郷と馬酔木 (雑誌) · 続きを見る »

角川学芸出版

角川学芸出版(かどかわがくげいしゅっぱん)は、日本の出版社・KADOKAWAと角川文化振興財団の共通ブランド。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川学芸出版についても解説する。.

新しい!!: 石田波郷と角川学芸出版 · 続きを見る »

角川春樹事務所

株式会社角川春樹事務所(かどかわはるきじむしょ)は、東京都千代田区に本社を置く日本の出版社。.

新しい!!: 石田波郷と角川春樹事務所 · 続きを見る »

角川書店

角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.

新しい!!: 石田波郷と角川書店 · 続きを見る »

読売文学賞

読売文学賞(よみうりぶんがくしょう)は読売新聞社が制定した文学賞で、1949年に第二次世界大戦後の文芸復興の一助として発足した。小説、戯曲・シナリオ、随筆・紀行(第19回より創設)、評論・伝記、詩歌俳句、研究・翻訳の6部門に分類し、過去1年間に発表された作品を対象とする。 受賞作品は選考委員の合議によって決定される。受賞者には正賞として硯、副賞として200万円が授与される。年度受賞者は翌年の2月1日に発表するため、受賞年度の表記で混乱が生じることがある。.

新しい!!: 石田波郷と読売文学賞 · 続きを見る »

調布市

調布市域のランドサット 東京都立神代植物公園 調布市(ちょうふし)は、東京都の多摩地域東部にある市である。東京23区に接し交通の便も良いが、古くからの寺社や武蔵野の自然も残っており、都心に近く住環境の整った住宅地である。古刹深大寺で知られ、隣接する神代植物公園は旧寺領であった。名物として深大寺そばがあり、その歴史は古く、江戸名所図絵に記載がみられる。.

新しい!!: 石田波郷と調布市 · 続きを見る »

高屋窓秋

屋 窓秋(たかや そうしゅう、1910年2月14日 - 1999年1月1日)は、俳人。本名正国(まさくに)。従来の写生主義、花鳥諷詠の俳句から離れた句作を行い、昭和初期の新興俳句運動に大きな影響を与えた。代表句に「頭の中で白い夏野となつている」「ちるさくら海あをければ海へちる」「山鳩よみればまはりに雪がふる」など。.

新しい!!: 石田波郷と高屋窓秋 · 続きを見る »

高野公彦

野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )は日本の歌人。歌誌「コスモス」編集人、選者。本名は、日賀志康彦。.

新しい!!: 石田波郷と高野公彦 · 続きを見る »

講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

新しい!!: 石田波郷と講談社 · 続きを見る »

講談社文芸文庫

講談社文芸文庫(こうだんしゃぶんげいぶんこ)は、講談社が発行している文庫判の叢書である。主に純文学、文芸評論の収録が多い。.

新しい!!: 石田波郷と講談社文芸文庫 · 続きを見る »

鶴 (雑誌)

(つる)は、俳句の結社誌。1937年、「馬酔木」の新人会機関誌「馬」と石橋辰之助の「樹氷林」を合併する形で東京にて石田波郷を主宰として創刊。.

新しい!!: 石田波郷と鶴 (雑誌) · 続きを見る »

藤田湘子

藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 2005年4月15日)は、神奈川県出身の俳人。水原秋桜子に師事。俳誌「鷹」を創刊・主宰。本名・良久。.

新しい!!: 石田波郷と藤田湘子 · 続きを見る »

長谷川櫂

長谷川櫂(はせがわ・かい、1954年2月20日、熊本県生まれ)は俳人。 朝日俳壇選者、ネット歳時記「きごさい」代表、俳句結社「古志」前主宰、東海大学文芸創作学科特任教授、神奈川近代文学館副館長。「蛇笏賞」(角川文化振興財団)、「奥の細道文学賞」「ドナルド・キーン大賞」(草加市)選考委員。.

新しい!!: 石田波郷と長谷川櫂 · 続きを見る »

森澄雄

森 澄雄(もり すみお、1919年(大正8年)2月28日 - 2010年(平成22年)8月18日)は、長崎県出身の俳人。加藤楸邨に師事、「杉」を創刊・主宰。本名、森澄夫。.

新しい!!: 石田波郷と森澄雄 · 続きを見る »

楠本憲吉

楠本 憲吉(くすもと けんきち、1921年12月19日 - 1988年12月17日)は、俳人、随筆家。.

新しい!!: 石田波郷と楠本憲吉 · 続きを見る »

横光利一

横光 利一(よこみつ りいち、1898年(明治31年)3月17日 - 1947年(昭和22年)12月30日)は、日本の小説家・俳人・評論家である。本名は横光利一(としかず)。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。『日輪』と『蝿』で鮮烈なデビューを果たし、『機械』は日本のモダニズム文学の頂点とも絶賛され、また形式主義文学論争を展開し『純粋小説論』を発表するなど評論活動も行い、長編『旅愁』では西洋と東洋の文明の対立について書くなど多彩な表現を行った。1935年(昭和10年)前後には「文学の神様」と呼ばれ、志賀直哉とともに「小説の神様」とも称された十重田裕一、早稲田大学、2010.。 戦後は戦中の戦争協力を非難されるなか、『夜の靴』などを発表した。死後、再評価が進んだ。.

新しい!!: 石田波郷と横光利一 · 続きを見る »

水原秋桜子

水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、日本の俳人、医師・医学博士。秋櫻子とも表記する。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。.

新しい!!: 石田波郷と水原秋桜子 · 続きを見る »

江東区

江東区(こうとうく)は、東京都の特別区のひとつで、23区東部に区分される。郵便番号(上3桁)は135・136。.

新しい!!: 石田波郷と江東区 · 続きを見る »

深大寺

深大寺(じんだいじ)は、東京都調布市深大寺元町五丁目にある仏教寺院。天台宗別格本山で、山号は浮岳山。 日本三大だるま市の1つ「深大寺だるま市」で知られている。隣接する東京都立神代植物公園は旧寺領であった。.

新しい!!: 石田波郷と深大寺 · 続きを見る »

温泉郡

*.

新しい!!: 石田波郷と温泉郡 · 続きを見る »

清瀬市

清瀬市(きよせし)は、東京都の多摩地域北東部にある市である。.

新しい!!: 石田波郷と清瀬市 · 続きを見る »

渋柿

『渋柿』(しぶがき)は、渋柿社による俳誌。夏目漱石の弟子、松根東洋城が1915年に大正天皇侍従として式武官在任中に主宰創刊。現在は渡邊孤鷲が主宰。 夏目漱石門下の小宮豊隆、寺田寅彦、安倍能成、鈴木三重吉等、直木賞作家の戸川幸夫、「零の発見」で知られる吉田洋一も投稿している。表紙の題字は漱石の揮毫による。.

新しい!!: 石田波郷と渋柿 · 続きを見る »

本阿弥書店

本阿弥書店(ほんあみしょてん)は、短詩型文学(俳句、短歌)を中心とした日本の出版社である。 1984年に本阿弥秀雄によって創業。定期刊行物に『俳壇』および『歌壇』(いずれも月刊)がある。新人賞として「俳壇賞」(第1回が1987年)、「歌壇賞」(第1回は1990年)を主催している。 また1994年から1995年にかけて、民俗学の雑誌『フォークロア』(隔月刊)を発行していた。.

新しい!!: 石田波郷と本阿弥書店 · 続きを見る »

明治大学

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と明治大学 · 続きを見る »

昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

新しい!!: 石田波郷と昭和 · 続きを見る »

流通経済大学

学校法人日通学園が設置、運営する大学である。.

新しい!!: 石田波郷と流通経済大学 · 続きを見る »

浦和市

浦和市(うらわし)は、関東地方の南部、埼玉県南部に存在した市。県内最大の人口を有し、県庁所在地として県行政の中枢を担っていた。東京都特別区部への通勤率は35.9%(平成12年国勢調査)。市制施行前は北足立郡に所属していた。 2001年に大宮市、与野市と合併してさいたま市となり、廃止。2003年には、さいたま市の政令指定都市移行・区制施行に伴い、概ね旧市域にあたる部分が浦和区、南区、桜区、緑区の4区に分けられ、さいたま新都心にあたる部分は中央区となった。現在でも旧浦和市域を総称して浦和地区という。.

新しい!!: 石田波郷と浦和市 · 続きを見る »

日本経済新聞社

株式会社日本経済新聞社(にほんけいざいしんぶんしゃ、英称:Nikkei Inc.)は、日本の新聞社である。日本経済新聞などの新聞発行の他、デジタル媒体の運営、出版、放送、文化事業や賞の主催・表彰等も行っている。.

新しい!!: 石田波郷と日本経済新聞社 · 続きを見る »

愛媛県

愛媛県(えひめけん)は、日本の都道府県の一つで四国地方の北西部から北中部に位置する県。県庁所在地は松山市。令制国の伊予国に当たる。.

新しい!!: 石田波郷と愛媛県 · 続きを見る »

愛媛県立松山東高等学校

愛媛県立松山東高等学校(えひめけんりつ まつやまひがしこうとうがっこう)は、愛媛県松山市持田町二丁目にある公立の高等学校。.

新しい!!: 石田波郷と愛媛県立松山東高等学校 · 続きを見る »

愛媛新聞

愛媛新聞(えひめしんぶん)は、株式会社愛媛新聞社(えひめしんぶんしゃ)が発行する愛媛県の地方紙。.

新しい!!: 石田波郷と愛媛新聞 · 続きを見る »

11月21日

11月21日(じゅういちがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から325日目(閏年では326日目)にあたり、年末まであと40日ある。.

新しい!!: 石田波郷と11月21日 · 続きを見る »

1913年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1913年 · 続きを見る »

1930年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1930年 · 続きを見る »

1934年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1934年 · 続きを見る »

1935年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1935年 · 続きを見る »

1936年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1936年 · 続きを見る »

1937年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1937年 · 続きを見る »

1938年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1938年 · 続きを見る »

1939年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1939年 · 続きを見る »

1942年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1942年 · 続きを見る »

1943年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1943年 · 続きを見る »

1944年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1944年 · 続きを見る »

1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

新しい!!: 石田波郷と1945年 · 続きを見る »

1946年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1946年 · 続きを見る »

1969年

記載なし。

新しい!!: 石田波郷と1969年 · 続きを見る »

3月18日

3月18日(さんがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から77日目(閏年では78日目)にあたり、年末まであと288日ある。誕生花にはアネモネなどがある。.

新しい!!: 石田波郷と3月18日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »