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石州流宗猿系

索引 石州流宗猿系

石州流宗猿系は武家茶道。石州流の一派。流祖片桐石州(貞昌)の長男片桐貞信(幼名鶴千代)が1000石の旗本に取り立てられ、下條を称し名を信隆にあらためておこした旗本の家系で七世片桐信方まで一子相伝で伝承される。昭和初期までただ石州流と称していたが、石州系他派と区別するため七世の信方の茶号宗猿より流派名をとり石州流茶道宗猿系(せきしゅうりゅうちゃどうそうえんけい)と称している。九世磯貝宗和の門人より石州流片桐宗猿派が分派している。.

11 関係: 下條信隆下條信近石州流石見国磯貝宗和片桐宗猿片桐信與片桐貞昌茶道都古流武家

下條信隆

下條 信隆(しもじょう のぶたか)は、江戸時代前期から中期の旗本。大和国小泉藩の2代藩主の片桐貞昌の長男。父より石州流を相伝する。母が妾腹のため次男に準じて下條を称し、別家を建てて旗本となる。.

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下條信近

下條 信近(しもじょう のぶちか)は、江戸時代中期の旗本、石州流の茶の湯者。 片桐石州直伝の流儀を養父下條信隆より伝授される。牛込御門外若宮に住す。正徳5年(1715年)将軍徳川家継に御目見する。翌享保元年(1716年)8月15日に家督を継ぐ。小普請、御書院番を歴任し、後に二の丸、西城と勤める。 寛保元年(1741年)死去、享年47。 のふちか Category:大久保氏 Category:江戸幕府旗本 Category:茶人 Category:1695年生 Category:1741年没.

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石州流

石州流 (せきしゅうりゅう)は、片桐石州(貞昌)を流祖と仰ぐ茶道の流派の総称。一口に石州流と言っても様々であり、初期の伝承系譜によって大きくいくつかの派に分けられるほか、地域ごとに様々なグループを形成している。さらにこれらのグループには、片桐家を宗家として仰ぐもの、慈光院を宗元として緩やかに糾合したもの、引き続き独立しているものとがある。また片桐家の菩提寺高林庵(芳春院内)を宗元として諸派の糾合グループもある。.

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石見国

石見国(いわみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

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磯貝宗和

磯貝 宗和(いそがいそうわ、1854年 - 1940年)は、石州流の家元。号は桃可菴。都古流華道流祖の空瓢堂磯貝一阿彌の夫人。本名は和歌。 片桐宗猿に伝わる片桐石州の茶の湯を梶宗龍より継承する。 宗猿の茶系譜は宗和によって東京中心に広められた。 Category:茶人 Category:明治時代の人物 Category:1854年生 Category:1940年没.

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片桐宗猿

片桐宗猿(かたぎり そうえん、安永3年(1774年) - 元治元年(1864年))は片桐貞昌の長男下條信隆を祖とする江戸時代末期の旗本。石州流の家元。父は片桐信任。信隆より数えて6代目の旗本家の当主。名は片桐信方(かたぎり のぶかた)。別名靱負。 父片桐信任、祖父片桐信馮より片桐石州伝来の石州流を伝授される。井伊直弼の師匠で有名。茶道、華道、盆石と伝承されていたが宗猿以降に分流される。この茶道の系譜を宗猿系という。 そうえん Category:江戸幕府旗本 Category:幕末の旗本 Category:江戸時代の茶人 そうえん Category:1774年生 Category:1864年没.

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片桐信與

片桐 信與(かたぎり のぶとも、享保10年(1725年) - 天明4年5月17日(1784年7月4日))は江戸時代の旗本。小泉藩片桐氏の一族。石州流の茶の湯者。下條信近の子。別名に吉之丞、賴母、長兵衛がある。 寛保元年(1741年)に遺跡を継ぐ。同3年(1743年)姓を下條から片桐にあらためる。寛延2年(1749年)4月に本家の片桐貞音と喧嘩になり絶交して両家出仕を止められる。5月に赦される。後、御書院番、大的の射手等に列す。将軍徳川家治の鷹狩りの供をしたとき白鳥を捕獲し献上した。この時家治は大いに喜び、物を賜り、白鳥を家紋とすることを許される。明和2年(1765年)番を辞す。安永9年(1780年)致仕し、天明4年(1784年)5月17日死去。享年60。墓所は東京都渋谷区の祥雲寺。 子信馮、孫信任、玄孫信方と家系は幕末まで続く。 のふとも のふとも Category:江戸幕府旗本 Category:江戸時代の茶人 Category:1725年生 Category:1784年没.

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片桐貞昌

片桐 貞昌(かたぎり さだまさ)は、江戸時代前期の大名、茶人。大和小泉藩の第2代藩主。茶道石州流の祖として片桐石州(かたぎり せきしゅう)の名で知られる。.

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茶道

茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).

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都古流

都古流(みやここりゅう)は、1902年(明治35年)11月、空瓢堂磯貝一阿彌が創ったいけばな(華道)の流儀。 都古流(流祖) 、都古流鈴木派(流祖の高弟が分派)、都古流一孝会(1919年(大正8年)に家元を村瀬一水に譲り、 その後内田一油→一孝と継承)、都古流正派と分派している。 都古流の花は、生花(せいか)と自由花の二つに大別される。生花は江戸時代に床の間を飾る為に成立した古典様式のいけばなである。都古流には、流祖より伝わる伝統の「生花」と床の間以外の現代空間に向けて生花を進化させた「新生花」が並立している。 流祖の系譜は代々が流祖二世、三世・・と襲名されている。空瓢堂磯貝一阿彌の夫人(本名・和歌)は磯貝宗和(1854年 - 1940年)として石州流の茶の湯者としても知られる。 Category:華道流派.

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武家

武家(ぶけ)とは、日本における軍事を主務とする官職を持った家系・家柄の総称。江戸時代には武家官位を持つ家系をいう。広義的に現代では武士一般を指すこともある。.

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