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白河藩

索引 白河藩

白河藩(しらかわはん)は、江戸時代に陸奥国白河郡白河(現在の福島県白河市)周辺を知行した藩。藩庁は白河城。支藩として、一時期存在した白河新田藩がある。.

121 関係: 城下町天和 (日本)天領外様大名姫路藩宇都宮藩寛保寛永寛政の改革山名郡山形藩岩代国岩瀬郡上野国丹羽光重丹羽長重丹羽氏三方領知替え下野国一揆幕末享保二本松藩廃藩置県伊勢国伊那県伊那郡伺候席引佐郡御三卿徳川家康徳川宗武忍藩信濃国北島正元備後国備後福山藩出羽国児玉幸多元禄元治国立公文書館磐城国磐前県神戸港福島県美作国田安徳川家白河の関白河小峰城...白河市白河県 (日本)遠江国館林藩西白河郡親藩駿府藩高田藩譜代大名豊田郡 (静岡県)越後国越前松平家麁玉郡阿部正外阿部正定阿部正備阿部正瞭阿部正篤阿部正静阿部正耆阿部正権老中陪臣陸奥国柏崎東北地方東白川郡松平基知松平定信松平定勝松平定綱松平定賢松平定邦松平定永松平忠尚松平忠弘松平忠雅松平知清松平直矩松平長煕松平清照松平明矩村上藩桑名藩桑折藩棚倉町棚倉藩榊原忠次正徳 (日本)武蔵国江戸時代津山藩本多忠平本多忠義戊辰戦争戦国時代 (日本)明治新人物往来社新田新田分知文春新書文政旧高旧領取調帳播磨国攘夷論慶安慶応1627年1997年2003年 インデックスを展開 (71 もっと) »

城下町

山城(波賀城)と城下町 熊本城の城下町 龍野城の城下町 和歌山城の城下町 城下町(じょうかまち)とは、日本における都市の形態の一つ。領主の居城を中心に成立した都市である。江戸時代以降は、必ずしも城が中心とは限らず、戦闘を想定しない行政施設としての陣屋を中心とした陣屋町もあるが、広義ではそれらも含めて城下町と呼ぶ。 城下(じょうか)とも呼ばれ、近世以前はこの呼称が一般的であった。.

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天和 (日本)

天和(てんな、てんわ)は日本の元号の一つ。延宝の後、貞享の前。1681年から1684年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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天領

天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領、徳川幕府領、徳川支配地、幕府領、幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通・商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。 幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。 大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。.

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外様大名

外様大名(とざまだいみょう)は、譜代大名に対して、関ヶ原の戦い前後に新しく徳川氏の支配体系に組み込まれた大名を指す。.

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姫路藩

姫路藩歴代藩主居城姫路城 姫路藩(ひめじはん)は、播磨国飾東郡にあって現在の兵庫県西南部を治めた藩。藩庁は姫路城(姫路市)。藩主ははじめ外様の池田氏で、のち譜代大名が転々とした末に、1749年(寛延2年)から廃藩置県までは徳川譜代の名門酒井氏があった。石高ははじめ52万石、のち15万石。.

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宇都宮藩

宇都宮藩(うつのみやはん)は、下野国宇都宮周辺を支配した藩である。藩庁は宇都宮城に置かれた。.

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寛保

寛保(かんぽう、かんぽ)は日本の元号の一つ。元文の後、延享の前。1741年から1744年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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寛永

寛永(かんえい)は日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.

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寛政の改革

寛政の改革(かんせいのかいかく)は、江戸時代に松平定信が老中在任期間中の1787年から1793年に主導して行われた幕政改革である。享保の改革、天保の改革とあわせて三大改革と並称される。.

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山名郡

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山形藩

山形藩(やまがたはん)は、出羽(羽前)村山郡山形(現在の山形県山形市)に居城(山形城)を置いた藩。本項目では山形藩と関係の深い大森藩(おおもりはん)、朝日山藩(あさひやまはん)についても記述する。.

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岩代国

岩代国(いわしろのくに)は、東北戦争終結直後に陸奥国より分立した、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は岩州(がんしゅう)。領域は現在の福島県西半部にあたる。.

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岩瀬郡

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上野国

上野国(こうずけのくに、かみつけぬのくに、かみつけののくに、かみつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 常陸国・上総国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上野介であった類聚三代格。.

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丹羽光重

丹羽 光重(にわ みつしげ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。陸奥白河藩主、後に陸奥二本松藩主。茶人としての号は半古庵(はんこあん)、画家としての号は玉峰(ぎょくほう)。.

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丹羽長重

丹羽 長重(にわ ながしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。丹羽長秀の長男。.

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丹羽氏

丹羽氏(にわし)は、日本の氏族。.

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三方領知替え

三方領知替え(さんぽうりょうちがえ)とは、江戸時代に江戸幕府が行った大名に対する転封処分の手法のひとつ。大名3家の領地(知行地)を互いに交換させることを言う。例えば、領地aを持っている大名家Aを領地bへ、領地bを持っている大名家Bを領地cへ、領地cを持っている大名家Cを領地aへ同時に転封すること。「三方領地替え」「三方所替え」「三方国替え」とも書く。江戸時代を通じて何回か行われている。4家が関係した「四方領知替え」の例もある。.

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下野国

下野国(しもつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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一揆

一揆(いっき)とは、日本において何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとすること、またはそのために盟約、契約を結んで、政治的共同体を結成した集団及び、これを基盤とした既成の支配体制に対する武力行使を含む抵抗運動。ドイツ語のPutschの訳語としても使われる(カップ一揆や、アドルフ・ヒトラーらが起こしたミュンヘン一揆など)。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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二本松藩

二本松藩(にほんまつはん)は、陸奥国南部(岩代国)安達郡(現在の福島県二本松市郭内三丁目)に存在した藩。居城は二本松城(霞ヶ城)。.

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廃藩置県

廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 各藩の武装解除の過程については「鎮台」を参照。.

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伊勢国

伊勢国(いせのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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伊那県

伊那県(いなけん)は、慶応4年(1868年)に信濃国内の幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された府藩県三治制の県。管轄地域は現在の長野県全域に広く分布している。のちに管轄区域を変更し、現在の長野県南部、愛知県東部を管轄した。.

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伊那郡

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伺候席

伺候席(しこうせき)とは、江戸城に登城した大名や旗本が、将軍に拝謁する順番を待っていた控席のこと。殿席、詰所とも。.

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引佐郡

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御三卿

御三卿(ごさんきょう)は、江戸時代中期に徳川氏の一族から分立した大名家である。以下の三家を指す。.

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徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

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徳川宗武

徳川 宗武(とくがわ むねたけ)は、江戸幕府第8代将軍・吉宗の次男。官位は従三位権中納言。松平定信の実父に当たる。江戸時代の御三卿・田安家の初代当主であり、田安 宗武とも呼ばれる。.

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忍藩

忍藩(おしはん)は、武蔵国埼玉郡に存在した藩の一つ。藩庁は忍城(現在の埼玉県行田市本丸)に置かれた。.

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信濃国

信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。.

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北島正元

北島 正元(きたじま まさもと、1912年8月7日 - 1983年11月1日)は、日本の歴史学者。専門は日本近世史。.

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備後国

備後国(びんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.

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備後福山藩

福山城再建天守 正保城絵図「備後国福山城図」 福山藩(ふくやまはん)は、主に備後国(広島県東部)南部、備中国南西部周辺を領有した藩。藩庁は福山城(福山市)。石高(表高)は10万石で、阿部家7代藩主阿部正弘から11万石。.

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出羽国

出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.

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児玉幸多

児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた文学博士。学習院大学名誉教授、学習院大学元学長、学習院女子短期大学元学長、品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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元治

元治(げんじ)は日本の元号の一つ。文久の後、慶応の前。1864年から1865年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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国立公文書館

国立公文書館(こくりつこうぶんしょかん)とは公文書を一般公開している国立機関。本頁では日本の国立公文書館について記述する。.

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磐城国

城国の位置 磐城国(いわきのくに)は、戊辰戦争終結直後の1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)に、陸奥国が分割されて設立された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は磐州(ばんしゅう)。領域は、現在の福島県浜通り、福島県中通り南部、宮城県南部に当たる。.

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磐前県

前県(いわさきけん)とは、かつて太平洋沿岸に存続していた、日本の県の一つ。概ね現在の福島県浜通りに相当する。1872年1月9日に設置され、1876年8月21日に廃止された。県庁所在地は平(現在:いわき市平)。本項では前身の平県(たいらけん)についても記す。.

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神戸港

戸港(こうべこう)は、兵庫県神戸市にある港湾。港湾法上の国際戦略港湾に指定されている。 日本の主要な国際貿易港(五大港)の一つで、スーパー中枢港湾の指定を大阪港と共に受けている。1868年1月1日(慶応3年12月7日)に開港。現在の日本三大旅客港の一つ。 神戸港夕景(新港第一突堤から西を望む).

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福島県

福島県(ふくしまけん)は、日本の都道府県の一つ。県庁所在地は福島市。 東北地方の南部(南東北)に位置し、東北で宮城県に次ぐ2番目の人口と県内総生産を擁する。面積は北海道、岩手県に次ぐ全国3位、都道府県別の人口は全国21位、人口密度は全国40位である(いずれも2015年10月1日時点の国勢調査および全国都道府県市区町村別面積調による)。 市町村別では概ね、日本海側に面積の4割弱と人口の15%弱が、太平洋側に面積の6割強と人口の85%以上が分布する。.

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美作国

美作国(みまさかのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.

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田安徳川家

安徳川家(たやすとくがわけ)は、徳川氏の一支系で、御三卿の一つ。単に田安家とも言う。.

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白河の関

白河の関(しらかわのせき)は、鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、奥州三関の一つに数えられる関所である。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として史上名高い。 福島県白河市旗宿がその遺構として認定されており、国の史跡に指定されている。.

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白河小峰城

白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、福島県白河市(陸奥国白河郡白河)にあった日本の城。単に小峰城ともいう。同市内にある白川城址と区別するためか、単に白河城とは言わない。国の史跡に指定されている。ほか、日本100名城のひとつに数えられる。.

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白河市

白河市(しらかわし)は、福島県中通り南部に位置する。奥州三関の一つ白河の関が置かれ、みちのくの玄関口として知られる。.

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白河県 (日本)

白河県(しらかわけん)は、1869年(明治2年)に白河藩領であった磐城国南部、岩代国のごく一部および両国内の幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。現在の福島県南東部を管轄した。.

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遠江国

遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.

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館林藩

林藩(たてばやしはん)は、上野邑楽郡にあった徳川家と関わりが深い藩。石高は、短い一時期を除いておおむね5万石から11万石の中藩で、御両典のひとつとして御三家に継ぐ高い家格を持った徳川綱吉とその子・徳松の時代は例外的に25万石だった。藩庁は館林城(現在の群馬県館林市城町)。.

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西白河郡

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親藩

親藩しんぱんは、江戸時代の藩の分類の一つで、徳川家康の男系男子の子孫が始祖となっている藩を指す。特に、徳川姓を名乗った御三家・御三卿の当主は家康の男系男子・子孫に限られ、将軍家の血筋が絶えた場合などに、将軍を出す役割を担った。その他の家は松平姓を名乗った。 下記以外に、家康の女系男子・子孫である奥平松平家、家康の異父弟・子孫である久松松平家(伊予松山藩主と、伊勢桑名藩主の系統)、徳川家光・徳川綱吉の正室の実家鷹司家の出身である鷹司松平家も親藩に準じて扱われることもある。なお、狭義の親藩には御三家・御三卿は含まれない。.

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駿府藩

駿府藩(すんぷはん)は、駿府城(現在の静岡県静岡市葵区)を中心に静岡県の駿河・遠江・愛知県の三河・山梨県の甲斐の地域に江戸時代初期に存在した藩である。駿河府中藩もしくは府中藩とも呼ばれる。なお明治2年8月7日(1869年9月12日)に成立した藩は静岡藩(しずおかはん)と呼ぶ。.

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高田藩

藩(たかだはん)は、越後国に存在した藩。福嶋藩(ふくしまはん)とも呼ばれる。藩庁は高田城(現在の新潟県上越市)にあった。 高田城三重櫓(新潟県上越市).

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譜代大名

譜代大名(ふだいだいみょう)は、江戸時代の大名の出自による分類の一つである。もともと「譜第(譜代)の臣」と言うように、数代にわたり主家に仕え(譜第/譜代)、家政にも関わってきた家臣のことをさす。主家との君臣関係が強く、主家滅亡時に離反すると、世間から激しく非難されることが多かった。 譜代大名のはじまりは徳川家康が豊臣政権のもとで関東地方に移封された際に、主要な譜代の武将に城地を与えて大名格を与えて徳川氏を支える藩屏としたことに由来する。それに対してそれ以外の家臣は徳川氏の直轄軍に編成されて後の旗本や御家人の元となった。.

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豊田郡 (静岡県)

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越後国

越後国(えちごのくに)は、かつて日本の行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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越前松平家

越前松平家(えちぜんまつだいらけ)は、越前国を発祥とする徳川氏の支流で、御家門のひとつ。単に越前家ともいう。越前松平家または越前家という呼称は、徳川家康の次男秀康を家祖とする一門全体を指す場合と、その領地の場所から福井松平家(福井藩)のみを指す場合とがある。幕末の福井藩主と津山藩主は徳川将軍家から養子を迎えたため、御家門筆頭とほぼ同等の扱いを受けた。.

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麁玉郡

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阿部正外

阿部 正外(あべ まさと/まさとう)は、江戸時代末期(幕末)の旗本、譜代大名、老中。陸奥白河藩主。忠秋系阿部家(豊後守家)15代。初め旗本だったが、後に本家を継いで大名となり、幕府の要職を歴任した。.

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阿部正定

阿部 正定(あべ まささだ)は、江戸時代後期の大名。陸奥国白河藩の第5代藩主。忠秋系阿部家13代。 文政6年(1823年)、白河藩阿部家分家で旗本3,000石の阿部正蔵の長男として江戸に生まれる。嘉永元年(1848年)5月10日、先代藩主の阿部正備が隠居したため、養子として跡を継いだが、わずか3ヶ月後の8月25日に病死した。享年26。跡継ぎがいなかったためその死は秘匿され、宗家に当たる備後福山藩阿部家から正耆を養子に迎えて10月15日に養子届出を幕府に提出、同日に正定の死亡届も提出、11月30日に正耆は白河藩を継いだ。その後、正耆の死後に弟の正外が白河藩を継承した。.

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阿部正備

阿部 正備(あべ まさかた)は、江戸時代後期の大名。陸奥白河藩の第4代藩主。忠秋系阿部家12代 文政6年(1823年)、肥前大村藩主・大村純昌の五男として生まれる。天保9年(1838年)5月12日に先代藩主・阿部正瞭が亡くなったため、養子となり同年6月28日に跡を継ぎ、従五位下能登守に叙任された。天保14年(1843年)9月、奏者番になったが、弘化4年(1847年)に辞任。翌年の嘉永元年(1848年)5月10日には隠居し、養子の正定に家督を譲った。明治7年(1874年)、52歳で死去した。 Category:譜代大名 Category:白河藩主 Category:大村氏 まさかた Category:大村藩の人物 Category:1823年生 Category:1874年没.

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阿部正瞭

阿部 正瞭(あべ まさあきら)は、江戸時代後期の大名。陸奥白河藩の第3代藩主。忠秋系阿部家11代。.

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阿部正篤

阿部 正篤(あべ まさあつ)は、陸奥国白河藩の第2代藩主。忠秋系阿部家10代。.

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阿部正静

阿部 正静(あべ まさきよ)は、江戸時代末期(幕末)の大名。陸奥白河藩の第8代藩主、陸奥棚倉藩の藩主。忠秋系阿部家16代。第7代白河藩主・阿部正外の長男。 元治元年(1864年)3月4日、3000石の旗本出身の父が本家の白河藩主阿部正耆の急死で白河藩主(10万石)の座を継承したことに伴い、正静は父が保持していた旗本の家督を継いだ。しかし翌慶応元年(1865年)10月に父が兵庫開港要求事件により朝廷・江戸幕府から謹慎処分にされた上、慶応2年(1866年)6月19日に父が強制隠居処分となったため跡を継いだが、同日に棚倉藩への転封を命じられ、財政逼塞、家臣団を迎える屋敷が手狭など理由をつけて幕府に延期を願い出た。 やがて慶応3年(1867年)1月に正静は棚倉藩へ移封したが、交代で白河藩主になるはずだった棚倉藩主松平康英の移転先が変更、康英は武蔵川越藩へ転封、白河藩は天領とされ幕府の小名浜代官の支配となり、同年8月に白河城が幕府の役人へ引き渡された。翌慶応4年(明治元年、1868年)2月に阿部家に幕府から白河再封の命令が下ったが、3月に中止となり実行されず、白河は領主不在のままとなる一方で白河城は二本松藩(後に会津藩)の管理下に置かれた。 同年から始まった戊辰戦争では、消極的な立場から奥羽越列藩同盟に参加していたが、5月1日に白河口の戦いで新政府軍に敗れ家老の阿部内膳が戦死、6月24日に父が守備していた棚倉城も板垣退助率いる官軍により陥落すると逃亡、9月18日に分領の保原陣屋で降伏する。12月、新政府より同盟に参加した罪を問われて、4万石削減の6万石となった上、家督を義理の叔父・正功(正耆の実子)に譲って東京へ強制隠居処分に処せられた。明治11年(1878年)1月23日、東京で死去した。享年28。 実子に喜久(1866年 - 1887年)、信一郎(1868年 - 1871年)がいたが、いずれも早世している。.

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阿部正耆

阿部 正耆(あべ まさひさ)は、江戸時代後期の大名。陸奥白河藩の第6代藩主。忠秋系阿部家14代。 文政10年(1827年)10月24日、備後福山藩主・阿部正寧の兄・阿部正粹の次男として生まれる。嘉永元年(1848年)に先代藩主・阿部正定が若死にしたため、養子となってその跡を継いだ。嘉永2年(1849年)6月に奏者番となるが、文久の改革で奏者番制度が廃止されたため、文久3年(1863年)4月から江戸、5月には大坂、8月には京都守護職となった松平容保の補佐として、それぞれ警備を務めるなど、佐幕派として行動した。しかし同年12月に病に倒れ、翌元治元年(1864年)3月2日に死去した。享年38。 次男の正功は幼少だったため、養子の正外が跡を継いだ。 Category:白河藩主 Category:譜代大名 Category:幕末の大名 まさひさ Category:備後福山藩の人物 Category:1827年生 Category:1864年没.

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阿部正権

阿部 正権(あべ まさのり、文化3年1月9日(1806年2月26日) - 文政6年10月6日(1823年11月8日))は、江戸時代後期の大名。武蔵忍藩主、陸奥白河藩主。忠秋系阿部家9代。 武蔵忍藩主阿部正由の次男として生まれる。幼名は銕丸。文化5年(1808年)、3歳の時に父が死去し家督を相続した。正権は病弱であったため、藩政は実母・泰寿院と本家筋の備後福山藩主・阿部正精が後見した。 文化13年(1816年)4月に、美濃国・伊勢国・尾張国および東海道にある諸河川の修復助役を命じられ、この普請経費を工面するために藩内の村々へ御用金を賦課した。その結果、以前から逼迫していた藩財政が益々悪くなり、藩士や領民の生活までも苦しくなった。文政元年(1818年)には藩内の足軽65人が諸手当の支給、借金返済の延期などを要求して江戸藩邸に強訴する事件が起きている。 文政6年(1823年)3月24日、幕府より忍藩、伊勢桑名藩、陸奥白河藩の三方領知替えを命じられ、阿部家は183年にわたって統治した忍より白河に移封されることになった。同年(1823年)10月6日、江戸藩邸にて死去。将軍家への御目見が済まないうちに死去したため、官位はない。なお、家督は従兄の正篤(松平頼興の子)が相続した。.

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藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.

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老中

老中(ろうじゅう)は、江戸幕府の役職のひとつ。複数名がその職にあって月番制で政務を執った。名称は三河時代の徳川家でその家政を司った宿老の年寄(としより)に由来する。年寄りを「老」一字で表し、これに「〜の仲間一同」を意味する「中」(連中、氏子中、長屋中などに同じ)がついたものである。 老中の任用要件は、当初は家禄が2万5000石以上の譜代大名であることだった。しかしこの要件は薄禄の大名を排除するためのものではなく、家禄が要件に満たなくても譜代大名であれば才能次第で老中格(ろうじゅうかく)に登用される道が開かれていた。老中格は文字どおり老中より一段格が落ちるが、その職掌や責任はほとんど老中のそれと比べても遜色がないものだった。 なお諸藩では通常藩政を統括する者のことを家老といったが、藩によってはこれを老中と呼ぶところもあった。.

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陪臣

陪臣(ばいしん)は、武家の主従関係において家臣の家臣を指した呼称。又者(またもの)、又家来(またげらい)とも呼ばれた。 他の国々の同様の身分についても用いられる。.

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陸奥国

奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.

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柏崎

柏崎(かしわざき).

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東北地方

東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置している。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。 その範囲に法律上の明確な定義はないものの「そもそも『〜地方』といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)」 首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか 『日本経済新聞』 平成24年6月16日S3面、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、pp.776-777 ISBN 4-09-523101-7。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。.

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東白川郡

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松平基知

松平 基知(まつだいら もとちか)は、江戸時代前期から中期の大名。陸奥白河藩の第2代藩主。直基系越前松平家3代。.

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松平定信

松平 定信(まつだいら さだのぶ)は、江戸時代中期の大名、老中。陸奥白河藩第3代藩主。定綱系久松松平家第9代当主。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。1787年から1793年まで寛政の改革を行った。.

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松平定勝

松平 定勝(まつだいら さだかつ)は、戦国時代の武将、江戸時代前期の大名。徳川家康の異父弟。定勝系久松松平家宗家初代。.

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松平定綱

松平 定綱(まつだいら さだつな)は、江戸時代前期の大名。下総山川藩、常陸下妻藩、遠江掛川藩、山城淀藩、美濃大垣藩、伊勢桑名藩の各藩主。定綱系久松松平家初代。松平定勝の三男。徳川家康の甥に当たる。なお正室は浅野長政の娘で、寛永10年(1633年)に卒去しており、智相院殿光誉馨安樹清大姉を贈られ、霊巌寺に葬られる。.

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松平定賢

松平 定賢(まつだいら さだよし、宝永6年(1709年) - 明和7年7月12日(1770年9月1日))は、越後高田藩の第5代藩主、陸奥白河藩の初代藩主。定綱系久松松平家7代。 陸奥守山藩主・松平頼貞の六男。母は松本氏。正室は高田藩第4代藩主松平定儀の養女(定儀の兄の第2代藩主定逵の娘)、継室は烏丸光栄の娘。子に定邦(長男)、娘(真田幸弘正室)。官位は従四位下、越中守。正徳3年(1713年)6月12日生まれとする説もある。 初名は頼儀、頼軌。通称は左門。享保11年(1726年)12月22日、松平定儀の養子となる。定儀には2人の男子がいたが、いずれも早世していた。同年12月28日、将軍徳川吉宗に御目見する。享保12年11月18日、養父定儀の死去により、家督を継いだ。同年12月18日、従五位下越中守に叙任する。寛保元年(1741年)11月1日、陸奥白河に移封される。寛延2年(1749年)12月18日、従四位下に昇進する。明和7年(1770年)7月12日に死去し、跡を長男の定邦が継いだ。法号は俊徳院殿無誉鎮岩二譲大居士。 さたよし さたよし Category:親藩 Category:高田藩主 Category:白河藩主 Category:守山藩の人物 Category:1709年生 Category:1770年没.

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松平定邦

松平 定邦(まつだいら さだくに)は、江戸時代中期の大名。陸奥白河藩の第2代藩主。定綱系久松松平家8代。.

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松平定永

松平定永の墓(照源寺) 松平 定永(まつだいら さだなが)は、江戸時代後期の大名。陸奥白河藩、のち伊勢桑名藩の藩主。定綱系久松松平家10代。.

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松平忠尚

松平 忠尚(まつだいら ただなお)は、陸奥白河新田藩主、のちに陸奥桑折藩の初代藩主。忠尚系奥平松平家初代。.

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松平忠弘

松平 忠弘(まつだいら ただひろ)は、江戸時代前期から中期の大名。播磨姫路藩主、出羽山形藩主、下野宇都宮藩主、陸奥白河藩主。奥平松平家2代。.

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松平忠雅

松平 忠雅(まつだいら ただまさ)は、江戸時代前期から中期の大名。親藩であった松平家出羽山形藩2代藩主、備後福山藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。奥平松平家3代。.

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松平知清

松平 知清(まつだいら ちかきよ)は、江戸時代中期の大名。陸奥白河新田藩の初代藩主。.

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松平直矩

松平 直矩(まつだいら なおのり)は、江戸時代前期の大名。直基系越前松平家2代。.

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松平長煕

松平 長煕(まつだいら ながひろ)は、美作津山藩の第3代藩主。結城秀康の玄孫にあたる。.

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松平清照

松平 清照(まつだいら きよてる、承応元年(1652年) - 貞享3年5月27日(1686年7月17日))は、陸奥国白河藩主などを務めた松平忠弘の長男。子は松平忠雅(長男)、娘(松平直常正室)、娘(牧野成春正室)、娘(大沢基隆正室)。通称、主税。 奥平松平家の嫡男として生まれたが、病弱を理由に廃嫡となる。以後、将軍家披露もされず、正室も娶らないまま過ごすこととなった。この家に生まれた男子は家祖である祖父・忠明以来、「清」の通字を名乗りに用いていた(忠明は初名を清匡といった)。さらにその中で、奥平松平家の家督を継ぐものだけが「忠」の字を冠することとなっていた。そのため、家督を継がせてもらえなかった清照は、「忠」を冠することが許されなかったのである。 その清照以外にも弟が居たというが、成人せずに死去したようで、父・忠弘にとっては深刻な問題であった。そこで父は清照たち実息に代わって大給松平家から貰い受けた婿養子を松平忠尚と名乗らせ、跡を継がせようとした。ところが、幕府からの了承を取り付けていたものの、忠尚の実息、正室が立て続けに死去し、忠尚の存在価値は著しく低下した。 家運に陰りの見える中、意外にも病弱な清照に長男・左膳(のちの忠雅)が誕生する。そこで、不遇の清照に同情する家臣らは直系たる左膳を後嗣に推したため、家中騒動となった。こうした中、清照は家督相続の決着を見ないまま、失意の中に35歳で没した。 法名は凉雲院南峯道薫。 きよてる Category:廃嫡された人物 Category:江戸時代の大名の嫡男 Category:白河藩の人物 Category:1652年生 Category:1686年没.

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松平明矩

松平 明矩(まつだいら あきのり)は、江戸時代中期の大名。直基系越前松平家4代。.

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村上藩

村上藩(むらかみはん)は、越後国に存在した藩。藩庁は村上城(現在の新潟県村上市)。 豊臣政権下の1598年に村上氏が当地に入ったが1618年に改易。外様大名の堀氏3代を経て、譜代・親藩の大名家が次々に入れ替わった。1720年に内藤氏が入り、以後廃藩置県まで9代150年にわたって内藤氏が5万石の藩を統治した。.

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桑名藩

桑名城の石垣 桑名藩(くわなはん)は、江戸時代に伊勢国に存在した藩。藩庁は桑名城(現在の三重県桑名市吉之丸)。.

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桑折藩

桑折藩(こおりはん)は、江戸時代の無城の藩の一つである。現在の福島県伊達郡桑折町に陣屋を置いた。.

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棚倉町

棚倉町(たなぐらまち)は、福島県東白川郡にある町である。江戸時代には棚倉藩の城下町があった。.

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棚倉藩

棚倉藩(たなぐらはん)は、陸奥国(磐城国)白河郡・菊多郡・磐前郡・磐城郡などを支配した藩。藩庁は白河郡棚倉城に置かれた(現在の福島県東白川郡棚倉町)。.

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榊原忠次

榊原 忠次(さかきばら ただつぐ)または大須賀 忠次(おおすか ただつぐ)は、江戸時代前期の譜代大名、大政参与。はじめ大須賀家を継ぎ、後に榊原氏を継いだ。遠江横須賀藩主、上野館林藩主、陸奥白河藩主、播磨姫路藩主。榊原家3代当主。従四位下式部大輔、侍従。.

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正徳 (日本)

正徳(しょうとく)は日本の元号の一つ。宝永の後、享保の前。1711年から1716年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川家宣、徳川家継。.

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武蔵国

武蔵国(むさしのくに、)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。東山道のち東海道に属する。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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津山藩

津山城古写真(撮影:松平国忠) 津山藩(つやまはん)は、美作国の大半を領有した藩。藩庁は津山城(岡山県津山市)に置かれた。.

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本多忠平

本多 忠平(ほんだ ただひら)は、陸奥白河藩の第2代藩主、下野宇都宮藩主、大和郡山藩の初代藩主。.

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本多忠義

本多 忠義(ほんだ ただよし)は、江戸時代前期の大名。播磨姫路新田藩3代藩主、遠江掛川藩主、越後村上藩主、陸奥白河藩初代藩主。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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新人物往来社

株式会社新人物往来社(しんじんぶつおうらいしゃ)は、かつて存在した日本の出版社。雑誌『歴史読本』の発行元として知られる歴史図書専門の出版社である。 2008年(平成20年)11月26日に中経出版の子会社になり、その後2009年(平成21年)4月7日に中経出版が角川グループホールディングスの子会社となったことにより、新人物往来社も角川グループの1つとなった。さらに2013年(平成25年)4月1日に中経出版に吸収合併され、社名が消滅することとなった。.

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新田

新田(しんでん)とは、新たに田や畑などとするため開墾して出来た農地のことである。また、その地名。その開墾までの流れを新田開発といい、本項では新田開発も含めて解説する。.

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新田分知

新田分知(しんでんぶんち)は、江戸時代における武家の分家形態の一つである。分家の創設の際に、主君から与えられた領地ではなく入封後新規に開発した領地(新田)を分知する方式である。これにより、本家の表高を減少させずに分家を創設する事が出来る。大名および旗本の分家の際に多く認められる。大名家の新田分知において分家も1万石以上の石高がある場合、分家のことを○○新田藩と称することがある。以下においては、大名家の事例を中心に記述するが、特に注釈しない場合は旗本の場合も同様である。 新田分知の形態には、.

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文春新書

文春新書(ぶんしゅんしんしょ、Bunshun shinsho)は、1998年10月に創刊した文藝春秋発行の新書レーベルである。 創刊第1号は高橋紘・所功共著『皇位継承』である。通常月4点刊行だが、6点や8点の月もある。新書の中では比較的重版の率が高い。 2012年1月20日に発刊した阿川佐和子著『聞く力』は、160万部を超えるベストセラーとなった。通巻1000点目となる池上彰・佐藤優共著『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』は、2015年1月時点で31万部を突破している。2015年、ISILの組織の台頭を歴史的背景から解き明かした『イスラーム国の衝撃』(池内恵著)が話題になり、10万5000部を超えるヒット作となる。.

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文政

文政(ぶんせい)は日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1831年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.

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旧高旧領取調帳

旧高旧領取調帳(きゅうだかきゅうりょうとりしらべちょう)とは、明治時代初期に政府が各府県に作成させた、江戸時代における日本全国の村落の実情を把握するための台帳である。.

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播磨国

播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。.

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攘夷論

攘夷論の風刺図(開港直後の横浜で行われた相撲の模様を描いている) 攘夷論(じょういろん)は、日本においては幕末期に広まった、外国との通商反対や外国を撃退して鎖国を通そうとしたりする排外思想である。元は中国の春秋時代の言葉で、西欧諸外国の日本進出に伴い、夷人(いじん)を夷狄 (いてき) 視し攘(はら)おう、つまり実力行使で外国人を排撃しようという考えであり、華夷思想による日本の独善的観念と国学に基づいた国家意識が源となっている。.

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慶安

慶安(けいあん)は日本の元号の一つ。正保の後、承応の前。1648年から1652年までの期間を指す。この時代の天皇は後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光、徳川家綱。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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1627年

記載なし。

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1997年

この項目では、国際的な視点に基づいた1997年について記載する。.

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2003年

この項目では、国際的な視点に基づいた2003年について記載する。.

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