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田峰城

索引 田峰城

峯城(だみねじょう)とは、かつて愛知県北設楽郡設楽町田峯にあった日本の城(山城)である。菅沼家の本城であった。別名「蛇頭城」。笹頭山の中腹に位置する。.

23 関係: こちら三河放送局天正山城北設楽郡菅沼定忠設楽町豊川長篠の戦い武節城武田勝頼文明 (日本)日本の城日本の城一覧愛知県曲輪1470年1575年1576年1582年5月21日 (旧暦)7月14日 (旧暦)7月9日8月18日

こちら三河放送局

こちら三河放送局(こちらみかわほうそうきょく)は、愛知県豊川市から三河地方の情報を発信するインターネットテレビである。通称は「こちみか」。運営は、個人が行っている。 田原市の喧嘩凧合戦、豊川市のうなごうじまつり、岡崎市の岡崎桜まつり和太鼓フェスティバル等のイベント、新城市の鮎滝、豊川市の豊川稲荷等の名所の紹介をはじめ、三河のニュースや、文化、人物紹介等を週1ペースで発信している。.

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天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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山城

山城(やまじろ、やまじょう)は、険阻な山を利用して築かれた城の一種。日本においては、江戸時代の軍学者によって分類された地形による城の分類法の一つ。 ヨーロッパの山城(ドイツ・マルクスブルク城).

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北設楽郡

愛知県北設楽郡の範囲(1.設楽町 2.東栄町 3.豊根村 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄水色:一時的に本郡に所属した区域) 北設楽郡(きたしたらぐん)は、愛知県の郡。新城市とともに新城設楽広域行政圏に所属する。 以下の2町1村を含む。.

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菅沼定忠

菅沼 定忠(すがぬま さだただ)は、日本の戦国時代の武将。父は菅沼定継。.

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設楽町

設楽町(したらちょう)は、愛知県北設楽郡にある町。.

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豊川

豊川(とよがわ)は、愛知県東部を流れ三河湾に注ぐ河川。一級水系の本流。でBOD平均値が全国20位(162河川中)となるなど清浄な水質の川であり、東三河地域における水瓶ともなっている。宇連川との合流分以北では寒狭川と呼ばれることがある。.

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長篠の戦い

長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、戦国時代の天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、3万8千の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千の武田勝頼の軍勢が戦った合戦。 決戦地が設楽原(設楽ヶ原、したらがはら)および有海原(あるみ原)(『藩翰譜』、『信長公記』)だったため長篠設楽原(設楽ヶ原)の戦い(ながしの したらがはら の たたかい)と記す場合もある。.

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武節城

武節城(ぶせつじょう)は三河国設楽郡(現在の愛知県豊田市武節町)にあった城。別名・地伏城。 名倉川沿いに築かれた平山城で、永正年間に田峯城の菅沼定信が築いたとされる。 弘治2年(1556年)に武田信玄の家臣である信濃国伊那郡の下条信氏が攻め込んだ。続いて、元亀2年(1571年)に発生した信玄の西上作戦によって定信の子孫である田峯菅沼氏の菅沼定忠が武田氏に降伏すると、武節城も武田氏の城となった。だが、信玄の没後に田峯菅沼氏が属する山家三方衆は武田氏側と徳川氏側に分裂し、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いの一因になった。 長篠の戦いに敗れた武田勝頼は徳川氏側によって田峯城を追われた菅沼定忠とともにこの城に落ち延び、ここで一泊の後に信濃国に戻った。だが、菅沼定忠も武節城に留まる事はできず、他の武田氏側の山家三方衆と共に伊那郡に拠点を移して反抗を試みるも、最終的には武田氏と運命を供にしている。 その後、この地域は徳川氏についた山家三方衆の1つ奥平氏が支配していたが、天正18年(1590年)の徳川氏の関東地方移封時、もしくは関ヶ原の戦い後に旧領を回復した奥平氏が翌慶長6年(1601年)に再度転封になった際に廃城になったとされている。.

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武田勝頼

武田 勝頼(たけだ かつより) / 諏訪 勝頼(すわ かつより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国の戦国大名。甲斐武田家第20代当主。 通称は四郎。当初は諏訪氏(高遠諏訪氏)を継いだため、諏訪四郎勝頼、あるいは信濃国伊那谷の高遠城主であったため、伊奈四郎勝頼ともいう。または、武田四郎、武田四郎勝頼とも言う。「頼」は諏訪氏の通字で、「勝」は信玄の幼名「勝千代」に由来する偏諱であると考えられている。父・信玄は足利義昭に官位と偏諱の授与を願ったが、織田信長の圧力によって果たせなかった。そのため正式な官位はない。.

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文明 (日本)

文明(ぶんめい)は、日本の元号の一つ。応仁の後、長享の前。1469年から1486年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政、足利義尚。.

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日本の城

日本の城(にっぽんのしろ・にほんのしろ)では、日本国内に築かれた城について解説する。アイヌのチャシや沖縄県および鹿児島県の奄美群島にあったグスクについても一部解説する。 姫路城(世界遺産・現存天守) 日本における城は、古代の環濠集落から石垣と天守を持つ近世の城まで多様なものが含まれる。幕末の台場や砲台も、城に含めることがある。造営は、堀や土塁を築く普請(ふしん、土木工事)と、門や塀を造る作事(さくじ、建築)からなる。屋敷や櫓・天守も作事に含まれる。 中世の城では、戦闘員である武士がおもに駐在し、その武士たちを抱える主君の武家や豪族は、城のある山とは別の場所に館を構えて居住していた。戦国時代には、主君も城内に居住するスタイルが現れ、おもな家臣たちも城内に屋敷を与えられ、その家族や日常の世話をする女性も居住した。戦国末期から近世の城郭では、外郭を築き、城下町も取り込む城も現れた。江戸時代の1615年に一国一城令が発布されるまでは、城は各地に多数存在し、砦のような小さなものも含めると数万城あったといわれる。中世・近世に、平地に築かれた館や館造りの陣屋等は城には含まないものの城郭構の陣屋や館、少しでも城に近づけて造られたものは、城とすることがある。.

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日本の城一覧

日本の城の一覧(にほんのしろのいちらん)は、日本の城(および朝鮮半島の倭城)の都道府県ごとの一覧索引である。財団法人日本城郭協会が選定した100名城の一覧については「日本100名城」を参照のこと。また、天守を主とする「画像」の一覧については、「日本の城の画像」を参照のこと。.

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愛知県

愛知県(あいちけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は名古屋市。.

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曲輪

多数の曲輪で構成された中世山城(千早城) 曲輪(くるわ)は、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称である。郭(くるわ)とも書く。 主要な曲輪内には、曲輪の出入り口である虎口を封鎖する門を始め、最前線の塀、物見や攻撃を与える櫓が建てられる。主郭では司令本部となる城主の居所のほか、兵糧を備蓄する蔵、兵たちの食事を仕込む台所などの建造物が建てられていた。戦時、それぞれの曲輪には守備を担当する兵たちが駐屯した。.

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1470年

記載なし。

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1575年

記載なし。

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1576年

記載なし。

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1582年

記載なし。

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5月21日 (旧暦)

旧暦5月21日は旧暦5月の21日目である。六曜は先勝である。.

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7月14日 (旧暦)

旧暦7月14日(きゅうれきしちがつじゅうよっか)は、旧暦7月の14日目である。六曜は友引である。.

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7月9日

7月9日(しちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から190日目(閏年では191日目)にあたり、年末まであと175日ある。誕生花はギボウシ、ストケシア。.

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8月18日

8月18日(はちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から230日目(閏年では231日目)にあたり、年末まであと135日ある。.

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