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甕棺墓

索引 甕棺墓

甕棺墓(かめかんぼ)とは、甕(かめ)や壺(つぼ)を棺(ひつぎ)として埋葬する墓をいう。歴史的墓制として世界各地に見られるが、乳幼児の墓として用いられる例が多い。1個の甕に土器などの蓋をするもの(単棺)、2個の甕を開口部で合わせたもの(合口棺)などがある。気密性を確保するため、蓋や合口部を粘土などで固定することも多い。甕棺内部では、遺体を屈める屈葬(くっそう)の形態がとられる。屈葬及び甕棺の採用には、死者の魂を遺体にとどめておこうとする思想背景があった、と考える研究者もいる。.

27 関係: 吉野ヶ里遺跡墳丘墓屈葬中国三雲南小路遺跡下船渡貝塚平原遺跡弥生時代弥生時代の墓制ベトナムインドジャワ島福岡平野粘土縄文時代熊本平野銅剣銅矛銅鏡銅戈須玖岡本遺跡黄河文明東南アジア

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。国の特別史跡に指定されている。 およそ50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡で知られる。1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見された。現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園となっている。.

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墳丘墓

墳丘墓(ふんきゅうぼ)とは一般に、上に土あるいは石を積み重ねて丘のような形(墳丘)とした墳墓をいう。墳丘は塚、マウンド(Mound)、土饅頭などと呼ぶこともある。世界の様々な地域にあり、代表的なものとして日本の古墳があるが、日本でも弥生時代から現代の陵墓に至るまでいろいろな時代に造られている。 なお、弥生時代の墳丘墓を古墳時代の古墳と区別して特に墳丘墓(弥生墳丘墓)と呼ぶが、これについては弥生時代の墓制を参照。 古代の王あるいは権力者が巨大な墳丘墓を築いた例がよく知られるが、庶民が葬られたと思われる小型の群集墳などもある。また墓に限らず(墓かどうか不明のものもあるが)記念物あるいは宗教的な目的から造られた同様のものもある(日本の山岳信仰に基づく富士塚など)。 石造の四角錐状のものは特にピラミッドと呼ばれる。.

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墓(はか)は遺体または遺骨を収めて故人を弔う構造物 亘徳、2017年2月6日閲覧。墳墓(ふんぼ)、墳塋(ふんえい)ともいう。一般に墓石・墓碑などの目印を置き、これを墓標(ぼひょう)という。また、この墓石・墓碑を指して墓ということもある。.

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壺(壷、つぼ)は、主として、食糧の貯蔵や水や酒などの飲料の運搬という用途に用いられる器である。焼き物が多いが、ステンレス鋼製(医療用などに)やプラスチック製もある。 一般的に丸い袋状で、通常は、器体に頸の部分を伴う開口部(口縁部)や注口を持ち、人間が1人で運搬可能な大きさの器のことを壺と呼ぶ。.

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屈葬

屈葬 屈葬(くっそう、Flexed burial)とは、文化人類学や考古学で、埋葬の際、死者に手足を折り曲げた姿勢をとらせた方法、または、そのような埋葬の状態をいう。蹲葬という人もいる。 上体が寝ていて背を下にした、つまりあおむけの屈葬を仰臥屈葬、横腹を下にした形を横臥屈葬、腹を下にした形を俯臥屈葬という。また上体を立てた形を座位屈葬という。屈葬の程度にも膝頭が胸に密着する姿勢もあれば、伸展葬というには、膝が曲がっていて、伸展葬を意識した埋葬の方法をとっていないものまで、埋葬の姿勢のみでは定義しきれない部分もある。屈葬を行った理由としては、墓坑を掘る労力の節約、休息の姿勢、胎児の姿を真似ることによる再生を祈る、死者の霊が生者へ災いを及ぼすのを防ぐため、など様々な説がある。近年まで日本で行われていた座棺による土葬も屈葬の一種である。 category:考古遺跡に見る葬制 category:葬儀 category:姿勢.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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三雲南小路遺跡

三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)は、福岡県糸島市にある遺跡で国指定史跡となっており、市内の細石神社の裏手に所在する。 周溝をもつ墳丘墓で、甕棺墓2基をもつ弥生時代の王墓である。.

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下船渡貝塚

下船渡貝塚(しもふなとかいづか)は、岩手県大船渡市大船渡町字宮の前に所在する縄文時代後・晩期の代表的な貝塚である。1934年(昭和9年)1月22日、国の史跡に指定された。.

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平原遺跡

平原遺跡・碑銘 平原遺跡(ひらばるいせき)は、福岡県糸島市にある弥生時代後期のものと考えられる遺跡。 曽根遺跡群の一つとして、昭和57年10月、国の史跡に指定。平成12年10月追加指定。.

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弥生時代

弥生時代(やよいじだい)は、日本列島における時代区分の一つであり、紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした生産経済の時代である。縄文時代晩期にはすでに水稲農耕は行われているが、多様な生業の一つとして行われており弥生時代の定義からは外れる。 2003年に国立歴史民俗博物館(歴博)が、放射性炭素年代測定により行った弥生土器付着の炭化米の測定結果を発表し、弥生時代は紀元前10世紀に始まることを明らかにした。当時、弥生時代は紀元前5世紀に始まるとされており、歴博の新見解はこの認識を約500年もさかのぼるものであった。当初歴博の新見解について研究者の間でも賛否両論があった。しかし、その後研究がすすめられた結果、この見解はおおむね妥当とされ、多くの研究者が弥生時代の開始年代をさかのぼらせるようになってきている。 弥生時代後期後半の紀元1世紀頃、東海、北陸を含む西日本各地で広域地域勢力が形成され、2世紀末畿内に倭国が成立。3世紀中頃古墳時代に移行した。.

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弥生時代の墓制

本項では、弥生時代の墓制(ぼせい)について詳述する。.

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ベトナム

ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく、)、通称 ベトナム()は、東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和国。首都はハノイ。ASEAN加盟国、通貨はドン、人口9,250万人(2014年末)。 国土は南北に細長く、北は中華人民共和国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接する。東は南シナ海に面し、フィリピンと相対する。.

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インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

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ジャワ島

18世紀初頭のジャワ島の地図 ジャワ島(ジャワとう、, )は、インドネシアを構成する島の一つ。スマトラ島などとともに、大スンダ列島を形成する。形状は東西に細長い。スマトラ島の東、カリマンタン島の南、バリ島の西に位置する。ジャワ島には4つの州と2つの特別州がある。.

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福岡平野

福岡平野(ふくおかへいや)は、主に福岡県福岡市の中心部から春日市・大野城市・太宰府市にまたがる、御笠川や那珂川、室見川、樋井川などの下流域に形成された平野部のことを指す。真鍋大覚の調査により、縄文時代は海底であったことが判明している。.

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粘土

粘土(ねんど、)は、以下のような意味をもつ言葉。.

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縄文時代

縄文時代(じょうもんじだい)は、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。 縄文時代の終わりについては、地域差が大きいものの、定型的な水田耕作を特徴とする弥生文化の登場を契機とするが、その年代については紀元前数世紀から紀元前10世紀頃までで、多くの議論がある。 なお、沖縄県では貝塚時代前期に区分される。次の時代は同地域では貝塚時代後期となり、貝塚文化と呼ばれる。また東北北部から北海道では縄文時代の生活様式が継承されるため、続縄文時代と呼ばれる。.

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民家の庭に置かれた甕 甕(かめ、英:pot, urn, 西:cantaro, 希:pithos 、瓶とも書く)は、土器、陶器の一種で、貯蔵、運搬、発酵、化学反応に用いられる容器。.

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熊本平野

本平野(くまもとへいや)は、日本の九州地方、熊本県中北部に位置する沖積平野。広さは775平方キロメートルである。平野の東側は阿蘇山の外輪山に、西側は有明海の島原湾に、南側に宇土半島・雁回山に面しており、白川や緑川が横断する。.

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銅剣

大分市浜遺跡出土細形銅剣(複製) 銅剣(どうけん)とは青銅で作成された剣。出土は世界的な広がりをもつ。.

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銅矛

銅矛(島根県立古代出雲歴史博物館の展示) 銅矛の各部名称 銅矛(どうほこ)は青銅製の武器の一種。銅鉾とも書く。.

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銅鏡

三角縁獣文帯四神四獣鏡レプリカ(椿井大塚山古墳出土) 銅鏡(どうきょう)は、銅合金製の鏡である。銅鏡は各時代に製作されたが、歴史・考古学用語としては中国、朝鮮、日本の遺跡から発掘される青銅製の鏡を指すことが多い。.

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銅戈

銅戈(どうか)は青銅で作られた戈である。 元来は戦車などでの戦闘で適した形状として発達した武器であるが、日本や朝鮮半島では刃部のみが大型化した形態として発掘される。日本における銅戈はその形状や使用痕が殆んどないことから、戦闘用ではなく祭礼用であろうと推測される。 日本では、基本的に九州地方北部に多い綾杉紋のはいったタイプと、大阪府・兵庫県・和歌山県に限定されて見られる鋸歯状紋の入った大阪湾型のタイプがある。 2007年(平成19年)10月に、長野県の中野市の柳沢遺跡で七本の銅戈が発見され、これが北限となる。大阪湾型と九州型が同時に出土したが、これは他に類を見ない。さらに銅鐸と同時に発見されたのは東日本初である。 銅戈には鹿の絵が陽刻が施されたものがまれに存在する。鹿の絵が見られるものは銅鐸には多いが銅戈には殆ど見られない。現在確認されるだけで福岡県小郡市、春日市、筑紫野市と長野県大町市のものを含め4例のみである。.

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須玖岡本遺跡

岡本遺跡(すぐおかもといせき)は、福岡県春日市岡本にある遺跡群。 福岡平野に突き出している春日丘陵上の北側半分に位置する、周辺の南北2キロメートル、東西 1キロメートルの範囲の弥生時代中期から後期の大規模な遺跡群(墳丘墓、甕棺墓、青銅器鋳造跡の遺跡等)を統括して須玖岡本遺跡と呼ぶ。 1986年(昭和61年)6月24日、国の史跡に指定された。 この遺跡の中の巨石下甕棺墓(古名称は須玖岡本遺跡)は明治期に発見されたもので、今現在、遺物は散逸していて、正確な数値は不明である。.

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黄河文明

河文明(こうがぶんめい)は黄河の中・下流域で栄えた古代の中国文明のひとつである。黄河の氾濫原で農業を開始し、やがて黄河の治水や灌漑を通じて政治権力の強化や都市の発達などを成し遂げていった。東アジアの歴史の教科書には「世界四大文明」のうちのひとつとして挙げられていることが多いが、現在は長江文明や遼河文明などさまざまな文明が中国各地で発見されているため、四大文明に黄河文明のみを取り上げる手法はもはや古くなっている(最近の教科書では、「黄河・長江流域の文明」のようにややぼかした表現になっている)。 新石器時代の仰韶(ヤンシャオ)文化から竜山(ロンシャン)文化をへて、殷・周の青銅器文化に発展していった。.

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東南アジア

東南アジア(とうなんアジア)は、中国より南、インドより東のアジア地域を指す。インドシナ半島、マレー半島、インドネシア諸島、フィリピン諸島などを含む。主に、大陸部東南アジアと島嶼部東南アジアに分けられる。 '''東南アジア''' 東南アジアの地図 東南アジアの範域.

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リンカーンの棺 マリア・フョードロヴナの棺。後方の壁に掛けられているのは八端十字架。 棺(かん、ひつぎ、柩)とは、遺体を納めて葬るための容器。 俗に、中身が入っていないものを棺、遺体が収められたものを「柩」とする説があるが、遺体が収められたものを家から火葬場に送り出すことを「出棺」(しゅっかん)といったり、棺に「ひつぎ」の訓があるように、「かん」と「ひつぎ」の使い分けはほとんどない。なお、遺体が収められたものを霊柩(れいきゅう)ともいい、それを運ぶための車(自動車)を霊柩車(れいきゅうしゃ)をもいう。.

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