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猿倉城

索引 猿倉城

猿倉城(さるくらじょう)は富山県富山市(旧上新川郡大沢野町)舟倉にあった日本の城。舟倉城、船倉城、栂尾城、栂野城、戸加尾城、外川城、戸川城ともいう。.

43 関係: 城生城塩屋秋貞増山城大沢野町天正姉小路頼綱姉倉比売神社富山の役富山市富山県山城岩木城上杉謙信上杉景勝上新川郡延喜式神名帳佐々長穐佐々成政元亀国司神通川穴水城飛騨国鰺坂長実越中国金森長近長尾景直長沢光国永禄斎藤信利新川郡日本の城日本の城一覧1558年1570年1571年1572年1576年1577年1578年1580年1583年1585年

城生城

城生城(じょうのじょう)は、富山県富山市八尾町城生字城鉄炮町にあった日本の城。市史跡。蛇尾城とも云う。.

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塩屋秋貞

塩屋 秋貞(しおや あきさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。.

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増山城

増山城(ますやまじょう)は、富山県砺波市(越中国砺波郡・射水郡・婦負郡の三郡境付近)にあった日本の城(山城)。旧名、和田城。国の史跡。続日本100名城(日本城郭協会)。.

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大沢野町

大沢野町(おおさわのまち)は、富山県の南部に位置していた、人口2万人余りの町。 「平成の大合併」により、2005年4月1日に(旧)富山市・大山町・婦中町・八尾町・山田村・細入村の富山地域6市町村と合併し、新設された富山市の一部となった。.

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天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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姉小路頼綱

姉小路 頼綱(あねがこうじ よりつな)は戦国時代・安土桃山時代の武将、大名。飛騨姉小路氏の当主。父は姉小路良頼(嗣頼)。妻が斎藤道三の娘であるため、織田信長とは相婿の間柄になる。.

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姉倉比売神社

姉倉比売神社(あねくらひめじんじゃ)は、富山県富山市にある神社である。姉倉姫神社とも表記する。古墳の上に建造されている。 富山市内に同名社が2社(富山市呉羽町小竹1813、富山市(旧大沢野町)船倉2360)あり、どちらも式内社「越中国婦負郡 姉倉比売神社」の論社となっている。どちらも旧社格は村社。.

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富山の役

富山の役(とやまのえき)は、天正13年(1585年)8月、羽柴秀吉率いる大軍が佐々成政が立て籠もる越中国富山城を包囲し、降伏させた戦い。北国御動座、佐々攻め、越中征伐ともいう。.

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富山市

富山市(とやまし)は、富山県の中央部から南東部にかけて位置する市である。富山県の県庁所在地であり、国から中核市の指定を受けている。.

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富山県

富山県(とやまけん)は、日本の都道府県の一つ。中部地方の日本海側、北陸地方のほぼ中央に位置する。県庁所在地は富山市。.

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山城

山城(やまじろ、やまじょう)は、険阻な山を利用して築かれた城の一種。日本においては、江戸時代の軍学者によって分類された地形による城の分類法の一つ。 ヨーロッパの山城(ドイツ・マルクスブルク城).

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岩木城

岩木城(いわきじょう)は富山県富山市(旧富山県上新川郡大沢野町)岩木に在った日本の城。岩木砦とも呼ばれる。.

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上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。最強の戦国武将の1人といわれ、後世、軍神や越後の虎、越後の龍と称された。 越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景(三条長尾家)の四男として生まれ、初名は長尾 景虎(ながお かげとら)。1561年(景虎31歳)、関東管領・上杉憲政の養子となり山内上杉氏の家督を譲られ(「上杉」姓と憲政の「政」の1字を与えられ)上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名し、上杉氏が世襲していた室町幕府の重職関東管領を引き継いだ。後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱(「輝」の1字)を受けて、最終的には上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)と名乗った。謙信は、さらに後に称した法号である。 内乱続きであった越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、武田信玄、北条氏康、織田信長、越中一向一揆、蘆名盛氏、能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰り広げた。特に宿敵武田信玄との5回にわたる川中島の戦いはよく知られている。さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大したが48歳で志半ばで死去した。兜は、飯綱明神前立鉄錆地張兜。謙信には実子がおらず、謙信の死後、上杉家の家督の後継をめぐって御館の乱が勃発した。 謙信は、「義」を重んじ、戦乱の世にあっても侵略のための戦いはしない一方、他国から救援を要請されると出兵し、「依怙(えこ)によって弓矢は取らぬ。ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す」(私利私欲で合戦はしない。ただ、道理をもって誰にでも力を貸す)『白河風土記』と述べている。また、謙信が敵将武田信玄の領国甲斐が塩不足に苦しんでいるのを知り、塩を送った逸話から、「敵に塩を送る」という故事も生まれた。.

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上杉景勝

上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権の五大老の一人。米沢藩の初代藩主。上杉宗家(山内上杉家)17代目で、同家16代目上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目。 上田長尾家出身で、初名は長尾顕景。同じ長尾家出身の叔父・上杉謙信の養子となり、名を上杉景勝と改めた。実子のいない謙信の死後、上杉家の家督相続を争った御館の乱で勝利し、謙信の後継者として上杉家の当主となった。 豊臣秀吉に仕え、豊臣家五大老の1人として、会津藩120万石を領した。秀吉の死後、徳川家康が景勝討伐に向かい関ヶ原の戦いが幕開け。景勝は、石田三成ら西軍に付き敗北。戦後に、徳川家康から上杉氏の存続は許されたが米沢藩30万石へ減封となった。.

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上新川郡

富山県上新川郡の位置(薄黄:後に他郡に編入された地域 水色:後に他郡から編入した地域) 上新川郡(かみにいかわぐん)は富山県にあった郡。.

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延喜式神名帳

延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。.

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佐々長穐

佐々 長穐(さっさ ながあき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。織田氏の家臣。.

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佐々成政

佐々 成政(さっさ なりまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。佐々成宗(盛政とも)の子。通称は内蔵助。家紋は棕櫚。馬印は金の三階菅笠。鷹司孝子(本理院・徳川家光正室)の外祖父。.

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元亀

元亀(げんき)は、日本の元号の一つ。永禄の後、天正の前。1570年から1573年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義昭。.

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国司

国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す(詳細は古代日本の地方官制も併せて参照のこと)。守の唐名は刺史、太守など。 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。.

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神通川

筏橋からみた宮川(神通川)と中橋 神通川の河川敷に建設された富山空港 神通川(じんずうがわ、じんづうがわ、じんつうがわ)は、岐阜県および富山県を流れる一級河川で、神通川水系の本流。上流側の岐阜県内では支流である高原川との合流点より上流を宮川(みやがわ)と称する。.

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穴水城

水城(あなみずじょう)は、石川県鳳珠郡穴水町に存在した日本の城。現在は町の史跡に指定され、穴水城址公園として整備されている。.

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飛騨国

飛騨国(ひだのくに、)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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鰺坂長実

鰺坂 長実(あじさか ながざね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。越中国・新庄城主、能登国・七尾城将。.

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越中国

越中国(えっちゅうのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。北陸道に属する。現在の富山県にあたる地域である。.

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金森長近

金森 長近(かなもり ながちか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。名ははじめ可近(ありちか)、後に織田信長から一字を賜り、長近を名乗った。通称は五郎八。法印素玄。飛騨高山藩初代藩主。従四位下、兵部大輔、飛騨守。.

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長尾景直

長尾 景直(ながお かげなお).

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長沢光国

長沢 光国(ながさわ みつくに)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。.

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永禄

永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.

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斎藤信利

斎藤 信利'(さいとう のぶとし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・旗本。越中国城生城(蛇尾城)主。.

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新川郡

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日本の城

日本の城(にっぽんのしろ・にほんのしろ)では、日本国内に築かれた城について解説する。アイヌのチャシや沖縄県および鹿児島県の奄美群島にあったグスクについても一部解説する。 姫路城(世界遺産・現存天守) 日本における城は、古代の環濠集落から石垣と天守を持つ近世の城まで多様なものが含まれる。幕末の台場や砲台も、城に含めることがある。造営は、堀や土塁を築く普請(ふしん、土木工事)と、門や塀を造る作事(さくじ、建築)からなる。屋敷や櫓・天守も作事に含まれる。 中世の城では、戦闘員である武士がおもに駐在し、その武士たちを抱える主君の武家や豪族は、城のある山とは別の場所に館を構えて居住していた。戦国時代には、主君も城内に居住するスタイルが現れ、おもな家臣たちも城内に屋敷を与えられ、その家族や日常の世話をする女性も居住した。戦国末期から近世の城郭では、外郭を築き、城下町も取り込む城も現れた。江戸時代の1615年に一国一城令が発布されるまでは、城は各地に多数存在し、砦のような小さなものも含めると数万城あったといわれる。中世・近世に、平地に築かれた館や館造りの陣屋等は城には含まないものの城郭構の陣屋や館、少しでも城に近づけて造られたものは、城とすることがある。.

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日本の城一覧

日本の城の一覧(にほんのしろのいちらん)は、日本の城(および朝鮮半島の倭城)の都道府県ごとの一覧索引である。財団法人日本城郭協会が選定した100名城の一覧については「日本100名城」を参照のこと。また、天守を主とする「画像」の一覧については、「日本の城の画像」を参照のこと。.

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1558年

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1570年

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1571年

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1572年

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1576年

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1577年

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1578年

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1580年

金曜日から始まる。.

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1583年

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1585年

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