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物言い

索引 物言い

土俵での行司・勝負審判・控え力士配置 物言い(ものいい)とは、大相撲において、行司が下した判定(軍配)に対し、勝負審判や控え力士が異議を唱えること。またそれから転じて、異議を申し立てること全般を「物言いをつける」ともいう。.

239 関係: 力士力道山おっつけつき手これより三役うっちゃりかばい手十両十勝岩豊反則行為叩き込み双葉山定次取り直し取組吊り出し吉葉山潤之輔大乃国康大徹忠晃大内山平吉大相撲大相撲中継大麒麟將能大錦卯一郎大鵬幸喜大関大雄辰實大戸平吉太郎太寿山忠明太刀山峯右エ門外掛け安美錦竜児富士乃真司寄り倒し寛政小結小錦八十吉 (6代)小錦八十吉 (初代)小野川喜三郎小手投げ岩友嶋錦博上手投げ不戦勝不戦勝 (相撲)両國梶之助 (瓊ノ浦)常陸山谷右エ門三太夫 (行司)三杉里公似三段目幹事...幕下久留米藩序二段序ノ口二子山 (相撲)二丁投げ五城楼勝洋廻し式守伊之助 (12代)式守伊之助 (19代)式守伊之助 (24代)式守伊之助 (30代)式守伊之助 (8代)式守錦之助引き落とし引分 (相撲)佐田の山晋松待った心臓麻痺土佐ノ海敏生土俵北の富士勝昭北の洋昇北の湖敏満北勝海信芳マイクロフォンラジオマイクブリッジビデオ判定切り返し和晃敏郎もろ差し優勝決定戦 (相撲)出羽錦忠雄八角 (相撲)前頭勝負審判勇み足回向院四股名玉錦三右エ門琴ノ若晴將琴春日桂吾碧山亘右神東山忠也稀勢の里寛突き落とし突っ張り立合い立行司綾川五郎次 (大正)羽黒山政司羽黒岩智一真鶴秀五郎痛み分け男女ノ川登三無勝負 (相撲)番付照國萬藏相撲相撲用語一覧相撲界白鵬翔花田虎上鞍ヶ嶽楯右エ門荒波秀義鏡山 (相撲)預り (相撲)行司風邪西ノ海嘉治郎 (初代)駒ヶ嶽國力高砂浦五郎 (初代)高見山大五郎講談魁聖一郎譴責鯱ノ里一郎豪風旭豪栄道豪太郎貴乃花光司貴ノ花利彰貴闘力忠茂鳳凰馬五郎鶴竜力三郎黒姫山秀男輪島大士霧島一博関脇閂 (相撲)藤島 (相撲)藩士蒼樹山秀樹肩透かし脳震盪長谷川勝敏若左倉与吉若乃花幹士 (初代)若圭翔裕樹若松 (相撲)若浪順雷電爲右エ門雅山哲士送り出し陣幕 (相撲)NHK総合テレビジョン押し出し (相撲)柏戸剛東富士欽壹栃錦清隆梅ヶ谷藤太郎 (2代)横綱武双山正士死に体歌舞伎水入り水戸泉政人汐ノ海運右エ門決まり手湊川 (相撲)朝乃翔嚆矢朝嵐大三郎朝青龍明徳朝汐太郎 (初代)朝潮太郎 (2代)朝潮太郎 (4代)木村庄太郎木村庄之助 (15代)木村庄之助 (17代)木村庄之助 (25代)木村庄之助 (26代)木村庄之助 (29代)木村庄之助 (32代)木村庄之助 (37代)木村光之助木村筆之助木村瀬平木村誠道春ノ山竜尚浴びせ倒し海山太郎 (友綱)海乃山勇日馬富士公平日本相撲協会旭天鵬勝旭富士正也旭國斗雄曙太郎1789年1877年1895年1896年1897年1905年1906年1914年1921年1929年1938年1948年1951年1953年1954年1958年1964年1965年1967年1968年1969年1970年1972年1975年1988年1989年1993年1995年1996年1999年2003年2004年2005年2008年2011年2012年2013年2014年2015年3月10日 インデックスを展開 (189 もっと) »

力士

力士(りきし、ちからひと)とは、相撲をする人間のこと。厳密には、相撲部屋に所属して四股名を持ち、番付に関わらず大相撲に参加する選手の総称。相撲取り(すもうとり)とも呼ばれる。しばしば関取(せきとり)と呼ばれることもあるが、元来は大関のことを指す異称であり、現代では十両以上の力士のことを指す。幕下以下の力士は力士養成員(りきしようせいいん)と呼ばれる。また、本来は神事に関わる者であるため、日常会話では親愛と尊敬をこめてお相撲さんとも呼ばれる。 わんぱく相撲や大学の相撲部などのアマチュア相撲で相撲を取る者は四股名を持たないため厳密には力士ではない。.

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力道山

力道山(りきどうざん / Rikidōzan、朝鮮語:역도산(ヨットサン、Yeokdosan / Yŏktosan)、朝鮮文化語:력도산(リョットサン、Ryeokdosan / Ryŏktosan)、1924年11月14日 - 1963年12月15日)は、日本のプロレスラー。本名・戸籍名・日本名:百田 光浩(ももた みつひろ)、旧名・出生名・朝鮮名:金 信洛(きん・しんらく、キム・シルラク、김신락(Gim Sinrak / Kim Sinrak))。大相撲の力士出身。身長176cm(プロレス時代の公称身長は180cm)、体重116kgベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p21。.

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おっつけ

おっつけ(追っ付け、押っ付け)とは、相撲の技術のひとつである。 相手の差し手を封じるために、相手が差しにきたり突っ張ったりした時に、自分の肘を自分の脇に押し付け(「おっつけ」の名はここに由来している)、手は相手の肘に外側から当てがってしぼり上げる『大相撲ジャーナル』2017年8月号特別付録 相撲用語&決まり手図解ハンドブック p2。ただし決まり手にはならない。そのまま前進して相手の肘や肩を極めることにより、相手の重心を浮き上がらせることも可能。大空出版『相撲ファン』vol.3 16頁おっつける側に足を十分に入れ、低くおっつけないと効果は薄い。攻守ともに威力があり、相撲技の中でも最も重要な技のひとつ。 大正時代の横綱栃木山は左利きであったが、猛稽古で右の腕力も鍛えて、左ハズ押し右おっつけの型になれば大盤石であった。 昭和では大関清國のおっつけが有名。平成に入ってからは横綱3代目若乃花や大関栃東が名手とされていた。 誰かに食事をおごらせるという意味で「おっつける」という単語を使うケースもある。.

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つき手

つき手(つきて)とは、相撲の非技(いわゆる「勝負結果」のこと)である。2000年12月に追加された。相手の力が加わらぬままバランスを崩し、土俵上に手をついてしまうことを言う。 最近では2012年(平成24年)7月場所11日目の琴奨菊 - 妙義龍戦において琴奨菊が、2013年(平成25年)5月場所3日目の十両の取組・磋牙司 - 栃乃若戦において栃乃若が、2013年11月場所初日の十両の取組・朝赤龍 - 千代の国戦で朝赤龍が、それぞれ勝利している。.

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これより三役

これより三役(これよりさんやく)とは、大相撲の千秋楽における結びの3番の取組のことである。.

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うっちゃり

うっちゃりとは相撲の決まり手の一つである。漢字表記は、「打棄」あるいは「打棄り」。.

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かばい手

かばい手(かばいて)は、相撲の流れの中で、先に手をついたにもかかわらず、負けにならない場合の表現である。.

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十両

十両(じゅうりょう)は、大相撲の番付の内の1つ。幕内(前頭)の下、幕下の上。正式名称は十枚目(じゅうまいめ)という。.

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十勝岩豊

十勝岩 豊(とかちいわ ゆたか、1919年1月10日 - 1979年2月12日)は、北海道十勝郡大津村(現在の広尾郡大樹町)出身、出生地は北海道中川郡本別村(現在の足寄郡陸別町)の大相撲力士。所属は二所ノ関部屋(一時期二子山部屋に所属)。本名は三好 豊(みよし ゆたか)。現役時代の体格は176cm、105kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。最高位は西前頭筆頭(1945年6月場所)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p35。.

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反則行為

反則行為(はんそくこうい)とは、任意のルール社会またはルールを定めた状況下において、それを行った場合に何らかの罰則が課せられる行為を指す。 ただし社会体制に関する事例については、「犯罪」もしくは「違反」・「不正」と称する場合が多く、「反則」という言葉は道路交通法などで使われている以外にはスポーツや任意の競技に用いられる事が多い。.

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叩き込み

叩き込み(はたきこみ、たたきこみ)とは、相撲の決まり手の一つである。突きや押しの攻防の中で、体を開き、相手の肩や背中をはたいて倒す技。引き落としは体を開かない点でこの技とは異なる。 立合いの際の変化 で当決まり手が発生するケースが多く、そのような相撲は注文相撲と称されるが、上位力士に奇襲を仕掛けるような場合でもない限り、あまり誉められた形とされていない。迂闊に叩くと引いたところを相手につけ込まれてそのまま土俵を割ることがあるため、大局的に見ると叩き中心の相撲は合理的ではない。 一方で、対戦相手の変化に応じた結果として当決まり手が発生するケースも見られる。具体的には変化した相手に横もしくは背後に回り込まれた際、体を相手の正面に向き替えた結果、攻めようとしていた相手が前に倒れ込み、結果的に「叩き込み」となる場合もある。 当決まり手を得意とする力士には突っ張りから叩き込みに転じる例が多く『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p77、現役では千代大龍が主な使い手で、引退力士では雅山(現・二子山)、舛田山(現・常盤山)、闘牙(現・千田川)らが有名である。突っ張りを得意としていた力士で、体力の衰えと技術の円熟に応じて叩き込みをも得意とした例に千代大海(現・九重)・寺尾(現・錣山)・貴闘力などがいた。 当決まり手が発生する際には必然的に相手の頭・肩・背中のいずれかを押さえる体勢になるため、頭を押さえた際に指が髷に入り、反則負けとなるケースも多く見られる。この傾向は引き落としも同様に見られる。 相撲力が身に付かないため、稽古場ではある意味で本場所以上に好まれない技である。.

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双葉山定次

双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身の元大相撲力士。第35代横綱。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。.

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取り直し

取り直し(とりなおし)は、大相撲で行われる取組の再試合のことである。このシステムは大阪相撲において1925年(大正14年)6月場所に導入され、好評であったことから同年11月の東西連盟相撲を経て、東京相撲でも1926年(大正15年)1月場所から採用された。それ以前は、「引分」か「預」か「無勝負」となっていた。また、状況に応じて「痛み分け」も適用されていた。.

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取組

取組(とりくみ)は相撲の試合のことをいい、大相撲では割と言ったほうが通りがいい。 1950年代以降、関取は15日連続、取的は15日中原則7番の取組で固定されている。.

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吊り出し

吊り出し(つりだし)とは、相撲の決まり手の一つである。クレーンの愛称で知られた元関脇・明武谷や、和製ヘラクレスの異名を持つ元大関・霧島が得意とした。.

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吉葉山潤之輔

吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ、1920年4月3日 - 1977年11月26日)は、北海道厚田郡厚田村(現:石狩市)出身の元大相撲力士。第43代横綱。本名は池田 潤之輔(いけだ じゅんのすけ)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p28。.

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大乃国康

大乃国 康(おおのくに やすし、1962年10月9日 - )は、北海道河西郡芽室町出身の元大相撲力士。第62代横綱。本名は青木 康(あおき やすし)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p23。.

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大徹忠晃

大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - )は、福井県大野市出身で二所ノ関部屋所属の元大相撲力士。本名は南 忠晃(みなみ ただみつ)。身長193cm、体重130kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。最高位は西小結(1987年3月場所)。現在は年寄・湊川。。.

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大内山平吉

大内山 平吉(おおうちやま へいきち、1926年6月19日 - 1985年11月1日)は、茨城県那珂郡平磯町(現:ひたちなか市)出身の元大相撲力士。本名は大内 平吉(おおうち へいきち)ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p22。.

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大相撲

大相撲(おおずもう)は、.

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大相撲中継

『大相撲中継』(おおずもうちゅうけい)とは大相撲の取組の模様を中継する放送事業者(テレビ・ラジオ)の放送番組もしくはインターネット配信業者が配信する番組(スポーツ中継)である。 そこ2018年現在、生中継による放送は日本のテレビ・ラジオメディアでは日本放送協会(NHK)のみで民放については録画放送かダイジェストの放送、または主催しているトーナメント大会や有名力士の断髪式の中継にとどまっている。.

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大麒麟將能

大麒麟 將能(だいきりん たかよし、本名:堤 隆能(つつみ たかよし)、1942年6月20日 - 2010年8月4日) は、二所ノ関部屋に所属していた元大相撲力士。佐賀県佐賀郡東川副村(のち諸富町、現・佐賀市)出身。最高位は東大関。現役時代の体格は181cm、140kg。得意手は右四つ、寄り、吊り、うっちゃり。.

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大錦卯一郎

大錦 卯一郎(おおにしき ういちろう、1891年11月25日 - 1941年5月13日)は、大阪府大阪市中央区出身の元大相撲力士。第26代横綱。本名は細川 卯一郎(ほそかわ ういちろう)。.

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大鵬幸喜

大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉(出生地は樺太敷香郡敷香町)出身の元大相撲力士。第48代横綱。本名は納谷 幸喜(なや こうき)であるが、一時期は母親の再婚によって住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていたこともあった。.

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大関

大関(おおぜき)とは、大相撲の力士の地位の一つ。横綱の下、関脇の上。三役の最上位。幕内に属する。.

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大雄辰實

大雄 辰實(だいゆう たつみ、1940年5月27日 - )は、鹿児島県肝属郡大根占町(現在の肝属郡錦江町)出身で、かつて井筒部屋に所属していた大相撲力士である。本名は柳田 辰実(やなぎだ たつみ)→横山 辰実(よこやま - )。現役時代の体格は179cm、115kg。最高位は東前頭筆頭(1968年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。.

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大戸平吉太郎

大戸平 吉太郎(おおとひら きちたろう、1889年2月5日-1963年8月7日)は、尾車部屋、峰崎部屋に所属した元力士。4代尾車。本名は阿部吉太郎。現在の宮城県石巻市出身。176cm、98kg。最高位は東関脇。.

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太寿山忠明

太寿山 忠明(だいじゅやま ただあき、1959年4月8日- )は、新潟県新津市(現役当時、現・同県新潟市秋葉区)出身で、二子山部屋に所属した大相撲力士。身長183cm、体重161kg。本名は坂爪 忠明(さかづめ ただあき)。得意手は右四つ、上手投げ、うっちゃり。現役時代のあだ名は「ムーミン」。現在は年寄・花籠。最高位は西関脇(1981年11月場所、1982年11月場所、1989年1月場所)。.

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太刀山峯右エ門

太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん、1877年8月15日 - 1941年4月3日)は、富山県婦負郡吉作村(現・富山県富山市呉羽町吉作)出身の元大相撲力士。第22代横綱。本名は老本 弥次郎(おいもと やじろう)。.

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外掛け

* 相撲の決まり手。本項で説明する。.

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安美錦竜児

安美錦 竜児(あみにしき りゅうじ、1978年10月3日 - )は、青森県西津軽郡深浦町出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の現役大相撲力士。本名は杉野森 竜児(すぎのもり りゅうじ)、愛称は「リュウジ」。インターネット上では「あみたん」とも呼ばれる。身長183cm、体重141kg、血液型はA型、星座は天秤座。得意手は、右四つからの寄り、出し投げ、力も強く独特の間合いをとり変化も使う。四股名は、「故郷に錦を飾る」との意味を込めて師匠の伊勢ヶ濱親方(当時の安治川親方:元横綱・旭富士)が命名した。趣味はテレビゲーム。好物はワイン、甘口のカレーライス。嫌いなものは梅全般。最高位は東関脇(2007年9月場所 - 2008年1月場所)。いつも微妙な取り組みにより行司が軍配を上げにくい相撲をとるため「行司泣かせ」の異名を持つ北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)194ページから195ページ。.

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富士乃真司

富士乃真 司(ふじのしん つかさ、1960年11月6日 - )は、千葉県船橋市(出生地は千葉県山武郡)出身で九重部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士。本名は矢木 哲也(やぎ てつや)。最高位は東前頭筆頭(1988年1月場所)。身長181cm、体重147kg。得意手は左四つ、寄り。現在は年寄・陣幕。第65代横綱・貴乃花の長男である花田優一の岳父。.

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寄り倒し

寄り倒し(よりたおし)とは、相撲の決まり手の一つである。四つに組んだ体勢になって自分の体を対戦相手に密着させ、前か横に進みながら相手を土俵外へ倒す技。土俵上で倒せば、浴びせ倒しになる。英語では"Frontal crush out"と呼ぶ大空出版『相撲ファン』vol.06 p106。 1988年11月場所千秋楽結びの一番、西横綱大乃国が、53連勝中で26回目の幕内優勝を決めていた、東横綱千代の富士を破り、見事54連勝を阻止した。また、これが昭和時代最後の取組となったために、まさに大相撲界での歴史的な一番となった。 さらに、2010年1月場所千秋楽結びの一番では、既に25回目の幕内優勝を決めた西横綱朝青龍に対して、東横綱白鵬はこの技で勝利し、意地を見せつけた。だが朝青龍は当場所後に突然現役引退を表明したため、これが現役最後の相撲となった。.

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寛政

寛政(かんせい)は日本の元号の一つ。天明の後、享和の前。1789年から1801年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉。.

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小結

小結(こむすび)とは、大相撲の力士の地位の一つ。関脇の下、前頭の上。三役の最下位。幕内に属し、幕内の地位の中では横綱から数えると第四位に当たる。.

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小錦八十吉 (6代)

KONISHIKI(2005年・減量前) 小錦 八十吉(こにしき やそきち、本名同じ、1963年12月31日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身で現在は日本国籍(帰化)の元大相撲力士(高砂部屋所属)、株式会社KP所属のタレント。現在はKONISHIKI(コニシキ)の芸名でタレント活動を行っている。他に子供向け教育番組などでコニちゃんの芸名を使用することもある。本名の旧姓は塩田、米国籍時代の本名はサレバ・ファウリ・アティサノエ (Saleva'a Fuauli Atisano'e)。帰化以前の大相撲時代にはサレバ・アティサノエと記載されたこともある。愛称はサリー、コニちゃん、黒船。現在の体格は身長184cm、体重153kg。血液型はAB型、星座は山羊座。 関取時代のプロフィールは、身長187cm、体重275kg(最重量時は285kg)。ロンドン巡業では当時大相撲史上最重量の巨体を形容する「ダンプトラック」の異名が与えられた。得意手は突き、押し、きめ出し。最高位は東大関(外国出身初)。横綱を含む幕内力士としては3人目の小錦、十両以下を含めては6人目の小錦である。 生粋のハワイアンではなく、両親はサモアからの移民(ただしポリネシア人の身体形質・言語上の同質性は極めて高い)でサモア系アメリカ人でもある。10人兄弟姉妹の8番目(上から6人はサモア生まれ、小錦含む下の3人はハワイ生まれ、1人は従姉妹)。兄にアントニオ猪木と格闘技戦で戦ったこともあるアノアロ・アティサノエ。親族の中にアメリカのgangsta rapグループ、Boo Yaa T.R.I.B.E.のメンバーがいる。.

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小錦八十吉 (初代)

小錦 八十吉(こにしき やそきち、1866年11月21日(慶応2年10月15日) - 1914年10月22日)は、上総国武射郡(現:千葉県山武郡横芝光町)出身の元大相撲力士。第17代横綱。本名は岩井 八十吉(いわい やそきち)。.

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小野川喜三郎

小野川 喜三郎(おのがわ きさぶろう、1758年(宝暦8年) - 1806年4月30日(文化3年3月12日))は、近江国京町(現:滋賀県大津市)出身の元大相撲力士。第5代横綱。本名は川村 喜三郎(かわむら きさぶろう)。.

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小手投げ

小手投げ(こてなげ)とは、相撲の決まり手の一つである。相手の片方の差手を上手から抱えるように取り、その組んだ腕に重心を預けるようにして投げる。体勢によっては上手出し投げに似るが、小手投げは投げる際に廻しを取らない。 小手投げは相手の腕関節(肘、あるいは肩)を極めつつ投げる複合技であり、完全な体勢で仕掛けられた場合脱出は非常に難しい。堪えたとしても抱えられた差手に多大な加重がかかるため、靱帯損傷などの重傷を負う可能性がある。たびたび強引な小手投げによる負傷者が出ることから、数ある決まり手の中でも危険な技のひとつに数えられている。相撲という競技の性質上致し方ない面もあるものの、この技を多用する力士に親方衆から注意が与えられることも少なくない。安全面を考慮して下へ向かって投げる場合が多い。 欠点としては小手投げを狙うと技の構造上脇が甘くなり、懐に入ってからの速攻に対応し難くなる点などが挙げられる。また、仕掛けに失敗すると側面、最悪の場合背後を無防備な状態で相手に晒してしまうリスクも存在する。.

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岩友

岩友(いわとも)とは、日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、初代・岩友が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。.

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嶋錦博

嶋錦 博(しまにしき ひろし、1928年9月26日-2003年7月18日)は、大阪府大阪市浪速区出身で、1950年代に活躍した大相撲力士。高砂部屋(入門時は芝田山部屋)に所属していた。本名は大嶋 博(おおしま ひろし)。最高位は西前頭筆頭(1957年9月場所)。現役時代の体格は174cm、135kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。.

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上手投げ

上手投げ(うわてなげ)とは、相撲の決まり手の一つである。上手から相手の褌を引き、その上手から相手を投げる技。 四つ相撲の王道を行く技といわれることがままあり、四つに組む相撲での強豪力士の多くは、上手投げを得意としている(例:双葉山、千代の富士、魁皇、白鵬、琴欧洲など)。特に、昭和の大横綱と言われた千代の富士の上手投げは、相手の頭を押さえながら投げる独特のものであり、「ウルフスペシャル」の名で他の力士達に恐れられ、千代の富士の名をいっそう高めた。 一般に、上手投げと下手投げで投げの打ち合いをした場合、上手投げの方が有利といわれる。.

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不戦勝

不戦勝(ふせんしょう)は、文字通り戦わずに勝つこと。.

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不戦勝 (相撲)

不戦勝(ふせんしょう)は、大相撲において、対戦相手が休場や引退などで取組不能状態になったときに与えられる勝星をいう。不戦勝ちともいう。対戦相手は不戦敗になる。星取表では白い四角(□、不戦敗は■)で表示されることが一般的であるが、一部新聞などでは白い三角(△、不戦敗は▲)を用いる。また、不戦勝は力士の出場回数に含まれるが、関取の地位での不戦敗は出場回数に含まれないため、不戦敗のある力士の勝敗数の合計は、通算出場回数に一致しない。.

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両國梶之助 (瓊ノ浦)

両國 梶之助(りょうごく かじのすけ、1907年3月2日 - 1959年11月23日)は、長崎県長崎市出身の元大相撲力士。本名は太田 勇雄(おおた いさお)。.

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常陸山谷右エ門

常陸山 谷右エ門(ひたちやま たにえもん、1874年1月19日 - 1922年6月19日)は、茨城県東茨城郡(現・茨城県水戸市)出身の元大相撲力士。第19代横綱。本名は市毛 谷右衛門(いちげ たにえもん)。.

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三太夫 (行司)

三太夫(さんだゆう)は、大相撲における行司の名跡である式守与太夫・式守勘太夫・式守錦太夫の総称である。もとは伊勢ノ海部屋の名跡で、明治30年代までは伊勢ノ海部屋、もしくはその分家の部屋の行司のみが襲名していた。 木村庄之助や式守伊之助に準ずる由緒ある名跡であり、明文化された規則はないが幕内格以上が襲名する。特に大正後期に5代与太夫 (のちの19代庄之助) ・3代勘太夫 (のちの14代伊之助) ・3代錦太夫 (のちの松翁20代庄之助) の3名が三役格行司に在位した時代は 「名行司三太夫」 と呼ばれた。.

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三杉里公似

三杉里 公似(みすぎさと こうじ、1962年7月1日- )は、滋賀県甲賀郡信楽町(現・滋賀県甲賀市)出身で、1980年代から1990年代にかけて活躍した大相撲力士。現役時代は、二子山部屋(現・貴乃花部屋)に所属した。最高位は東小結(1992年9月場所)。本名は岡本 公似(おかもとこうじ)。現役時代の体格は185cm、159kg。趣味は映画、音楽鑑賞、ゴルフ、格闘技観戦。得意手は右四つ、寄り、上手投げ、突き落とし。愛称は「おかもっちゃん」・「おかもん」。血液型はA型ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p27。.

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三段目

三段目(さんだんめ)は、大相撲の番付の階級。幕下の下、序二段の上。.

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幹事

幹事(かんじ)とは、あるグループを取りまとめる代表となる人をいう。.

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幕下

幕下(まくした)は、大相撲の番付の階級。十両の下、三段目の上。.

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久留米藩

久留米藩(くるめはん)は、筑後国御井郡の久留米城(現在の福岡県久留米市)に藩庁を置いた藩。1620年以降幕末まで摂津有馬氏が藩主を務め、21万石を領した。 米藩(べいはん)とも称される。.

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序二段

序二段(じょにだん)は、大相撲の番付の1つ。三段目の下、序ノ口の上。.

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序ノ口

序ノ口(じょのくち)は、大相撲の番付上の最下位の階級。序二段の下である。番付外(前相撲)の力士よりは上位とされる。.

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二子山 (相撲)

二子山(ふたごやま)は、日本相撲協会の年寄名跡の一つである。2005年5月に当時の所有者である元横綱・一代年寄の貴乃花光司の父、貴ノ花利彰が死去してから1年程株が行方不明になっていたが、2006年12月より正式に貴乃花名義となった。その後は2013年3月に元大関の雅山哲士が取得し、現在襲名中である。.

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二丁投げ

二丁投げ(にちょうなげ)とは、相撲の決まり手のひとつである。自分の右(左)足を相手の右(左)足の外側に当て、払うように投げる技。二丁とは二本の足のことである。柔道の払腰や大外刈と似ている。腕の位置は問わないので、上手からでも下手からでも、また廻しを取っても取らなくてもよい。 幕内では2007年9月場所12日目、春日王が普天王に対して決めた。これは1996年3月場所初日、関脇時代の魁皇が浪之花に対して決めて以来、11年ぶりのことであった。ほか1992年5月場所2日目でも、関脇の琴錦が寺尾戦で、この決まり手により勝利している。 さらに遡れば1991年5月場所2日目、当時小結の貴闘力が大関霧島に対して、土俵の中央で鮮やかな二丁投げを決めていた。(ちなみに貴闘力はこれを含めて通算3回この技を決めている)その後1992年7月場所の11日目にも貴闘力は、この場所平幕優勝を果たした水戸泉に対し、逆転の二丁投げを狙ったがこれは強引過ぎて空振りに終わり、送り出しで敗れている。 なお十両の取組を含めると、2013年9月場所初日の十両の取組で朝赤龍が千代鳳にこの技で勝利している。 2003年1月場所の2日目、当時前頭筆頭の雅山が、横綱貴乃花に対して下手を深く取られるも、その直後土俵中央で二丁投げが決まり見事に貴乃花を裏返し、行司の軍配も雅山の方にあげられた。しかし審判団からは物言いがつき、両者同体取り直しとなり、その取り直しの相撲は貴乃花が左からの上手投げで勝利した。だがこの取組の結末に視聴者からは、相撲協会に抗議の電話が殺到する事態となる。翌3日目から貴乃花は、この相撲で左肩を痛め途中休場(5日目から再出場するも、9日目に現役引退を表明)。雅山も3日目の当時大関の朝青龍戦で、右足首のケガを悪化させて翌4日目から途中休場したため、非常に後味の悪い一番となってしまった。.

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五城楼勝洋

五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ、本名:小島 章朋(こじま あきとも)、1973年8月18日 - )は、仙台市青葉区出身で間垣部屋所属の元大相撲力士。身長191cm、体重156kg。血液型はAB型。得意手は左四つ、寄り、突き、押し。最高位は東前頭3枚目(1998年7月場所)。趣味は釣りとパソコン。現在は年寄・濱風。.

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廻し

廻し(まわし)は相撲競技で用いられる用具。絹で作られ、相撲競技者の腰部を覆い、重心部となる腰や腹を固めて身を護り、更に力を出すために用いられる。ふんどしの一種。まわし、回し、相撲褌とも表記され、外国人競技者の間では「相撲ベルト」とも呼ばれている。 稽古廻しや幕下以下の力士、アマチュア競技者が締める廻しは雲斎木綿または帆布と呼ばれる硬い木綿布で出来ている。これは転倒時の怪我の防止と身体の保護や取組みでの技を掛けることを目的としている。.

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式守伊之助 (12代)

12代 式守 伊之助(じゅうにだい しきもり いのすけ、安政6年6月15日(1859年7月14日) - 昭和12年(1937年)12月25日)は、大相撲の立行司。本名は小島勘治郎。出身地は現在の愛知県名古屋市緑区鳴海。.

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式守伊之助 (19代)

19代式守伊之助(じゅうきゅうだい しきもりいのすけ、1886年12月15日 - 1966年12月14日)は大相撲の立行司である。.

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式守伊之助 (24代)

24代式守伊之助(にじゅうよんだい しきもりいのすけ、1919年4月15日 - 2013年2月1日)は、大相撲の立行司。式守伊之助としての在位期間は1977年11月~1984年3月。朝日山部屋所属。.

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式守伊之助 (30代)

30代 式守 伊之助(さんじゅうだい しきもり いのすけ、1936年1月2日 - 2013年4月14日)は、大相撲の立行司の一人。式守伊之助としての在位期間は2000年9月 - 2000年11月。井筒部屋(1972年 - 1977年は君ヶ濱部屋)所属。.

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式守伊之助 (8代)

8代 式守 伊之助(はちだい しきもり いのすけ、天保14年5月14日(1843年6月11日) - 明治30年(1897年)12月18日)は、大相撲の立行司。本名は後藤文次郎(与太夫)。出身地は現在の岩手県北上市。.

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式守錦之助

式守 錦之助(しきもり きんのすけ)は、大相撲の行司に代々伝わる名跡である。.

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引き落とし

引き落とし(ひきおとし)とは、相撲の決まり手の一つである。相手が低い体勢で攻めているとき、または自分が突っ張りや押し相撲で攻めているときに、相手の前に行こうとする力を利用して相手の腕や肩を正面から手前に引き、相手を倒す技。前褌を引いて倒すこともある。 当決まり手での勝利を狙う際に失敗すると相手を呼び込む形になってあっけなく土俵を割ってしまうため、あまり誉められた技ではないとされる。解説者からも「楽をして勝とうとしてはいけない」と批判されることが多い(一般論として、引きたくなる誘惑に惑わされず前に出て勝つのが本道であるとされている)。また、動作が単純という点でも楽に打てる技であり、実際に高鐵山孝之進は自身が著した暴露本『八百長』で「引き技を多用する力士は八百長力士であると疑った方が良い。」という趣旨の記述を行った。 一方で、土俵際まで押し込まれた力士が抵抗するなど、土俵を割る前に何かしらの理由で相手力士の重心が崩れ、前に倒れることで当決まり手が偶然的に発生するケースや、つきひざやつき手が発生した際に四つに組んでいた場合に、当決まり手が採用されるケースも稀に見られる。 低い体勢で攻める型の力士はどうしても引き技を仕掛けられやすいため、安芸乃島のように「引かれても絶対前に落ちない」というのがそういう力士への褒め言葉としてよく用いられる。 引き技を仕掛けるときに、手が誤ってまげに入ってしまうことが時々あり、まげをつかんで引き倒したと認定されると反則負けとなる。 相撲力が身に付かないため、稽古場ではある意味で本場所以上に好まれない技である。.

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引分 (相撲)

撲用語としての引分(ひきわけ)は、両力士が疲労のためにこれ以上勝負をつけられないときに与える裁定のひとつである。.

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佐田の山晋松

佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 - 2017年4月27日)は、長崎県南松浦郡有川町(現・新上五島町)出身の元大相撲力士。第50代横綱。本名は市川(旧姓:佐々田)晋松(いちかわ しんまつ)。.

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待った

待った(まった)とは、勝負事において、相手の行動に対して満足な状況でないことによりやり直しを要求する状態である。 相撲用語では、やむを得ない理由で勝負開始前、あるいは途中で止める際のかけ声であり、またその止める行為そのものを意味する。 囲碁や将棋では相手の次の手を見て、それが自分が困る手の場合にもう一度前回の自分の手まで戻って指し直しをすることを求める場合に「待った」という。これは正式にはルール違反である。 転じて重要なイベントなどで横やりが入って中断するのを「待ったがかかった」と言ったり、切羽詰っていることを「…まで待ったなし」と表現する例がある。スポーツなどで、相手に優勝がかかる試合などで勝利した場合にも「待ったをかけた」という表現がされることがある。.

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心臓麻痺

心臓麻痺(しんぞうまひ、Heart attack)とは、心臓のポンプ機能が急激に消失すること。医学的な言葉ではなく、日常的に用いる言葉である。心臓麻痺に相当する医学用語はVf(心室細動)であると思われる。厳密な対応を考えると循環器疾患による突然死であるため、意味はもっと広い。 心室細動は心筋が規則正しく収縮できず、血液を組織に送ることができないような病態を示し、心電図によって診断される。AEDを用いると、いったん心室細動に陥った心臓でも正常に回復することがある。 心室細動を起こす基礎疾患とは心筋梗塞のほか、高度房室ブロック、QT延長症候群があげられる。健常人に突然起こることは極めて稀であるものの、救急疾患としての頻度は極めて高い。.

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土佐ノ海敏生

土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお、本名:山本 敏生(やまもと としお)、1972年2月16日 - )は、高知県安芸市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。現在は年寄・立川。得意手は突き、押し、右四つ、上手投げ。最高位は東関脇(1997年7月場所・同年9月場所、2004年1月場所)。安芸市立安芸中学校、高知高等学校、同志社大学商学部卒業。身長186cm、体重162kg、趣味は映画鑑賞、愛称は「トシオ」、好物はケーキ、星座はみずがめ座、血液型はB型、干支は子年ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p29。.

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土俵

村神社 (香川県高松市) の相撲場 土俵(どひょう)とは、土を盛って作る相撲の競技場である。俵に土を詰めた袋(土俵)を使っているため特に土俵場(どひょうば)と呼んでいたが、これを縮めた呼称である。.

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北の富士勝昭

北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき、1942年3月28日 - )は、北海道旭川市(出生は網走郡美幌町)出身の元大相撲力士。第52代横綱。本名は竹澤 勝昭(たけざわ かつあき)得意技は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ、外掛け。.

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北の洋昇

北の洋 昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日 - 2002年1月8日)は、北海道網走郡網走町北浜(現:北海道網走市北浜)出身で、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した大相撲力士である。本名は緒方 昇(おがた のぼる)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p23。.

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北の湖敏満

北の湖 敏満 (きたのうみ としみつ、1953年5月16日 - 2015年11月20日)は、北海道有珠郡壮瞥町出身の元大相撲力士。第55代横綱。本名は小畑 敏満(おばた としみつ)。血液型はAB型。元日本相撲協会理事長(第9代、第12代)。息子は俳優の北斗潤。.

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北勝海信芳

北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし、本名:保志 信芳(ほし のぶよし)、1963年6月22日 - )は、大相撲の力士で、第61代横綱。北海道広尾郡広尾町生まれ。現役時代の体格は身長181cm、体重150kg。得意技は押し、左四つ、寄り。愛称は本名の「ほし」に由来する「ポチ」、海外公演で付けられた「ブルドッグ」。「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。血液型はA型。 現在は、年寄・八角 信芳(はっかく のぶよし)として八角部屋(高砂一門)の師匠。第13代日本相撲協会理事長 朝日新聞 2015年12月18日閲覧。.

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マイクロフォン

ンデンサマイクロフォン(ウィンドスクリーンを外したところ) マイクロフォンまたはマイクロホン(Microphone )は、音を電気信号に変換する機器である。略称マイク(Mic )。.

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ラジオマイク

ラジオマイクは、音声の伝送に電波を用いるマイクロホンである。また、ごく小規模な送信機でもある。.

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ブリッジ

ブリッジ、ブリッヂ (bridge).

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ビデオ判定

ビデオ判定(ビデオはんてい、Instant replay, Challenge)とは、スポーツ競技において審判員の肉眼での判定が難しいときや、審判員の判定に異議があるときに、撮影・録画されたビデオ映像(動画)を活用して判定を行う方式である。本来は人間(審判員)がリプレイ映像を確認する行為を指すが、ホークアイに代表されるような機械判定も広くビデオ判定と呼ばれ、混乱を生んでいる。.

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切り返し

切り返し(きりかえし).

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和晃敏郎

和晃 敏郎(かつひかり としお、1942年8月9日 - 2018年1月1日)は、愛知県蒲郡市神ノ郷町出身で、1960年代から1970年代にかけて活躍した大相撲力士である。伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属していた。本名は杉浦 敏朗(すぎうら としお)。現役時代の体格は186cm、112kg。最高位は東前頭筆頭(1970年9月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。.

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もろ差し

もろ差し(もろざし)とは、相撲において、自分の左右の腕を対戦相手の脇の下に入れる(両下手)など、両腕と胸、腹を相手の胴体に密着させ、相手のまわしをつかむ腕を密着している取り組みの体勢。「二本差し」ともいう。なお、もろ差しをされた相手が、両上手から左右のまわしを掴むとその体勢は、外四つと呼ばれる。.

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優勝決定戦 (相撲)

優勝決定戦(ゆうしょうけっていせん)は、大相撲において、各地位での最高成績者が複数出た場合に、優勝者を決めるための本割以外の取組である。.

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出羽錦忠雄

出羽錦 忠雄(でわにしき ただお、1925年7月15日 - 2005年1月1日)は、東京府南葛飾郡(現:東京都墨田区)出身の元大相撲力士。本名は奈良崎 忠雄(ならざき ただお)(旧姓:小倉)。.

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八角 (相撲)

八角(はっかく)とは、日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、1879年(明治12年)に創設され、鬼面山谷五郎が年寄専務を襲名するにあたり鬼面山の名跡が認められず、八角楯右衛門の名を代わりに名跡として襲名させたことに由来する。.

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前頭

前頭(まえがしら)とは、大相撲の力士の地位の一つ。幕内力士のうち、横綱と三役(大関・関脇・小結)を除いた力士をさす。役についていない幕内力士という意味で、平幕(ひらまく)と呼ばれることもある。幕内力士なので本場所では15日間毎日取組が組まれる。.

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勝負審判

勝負審判(しょうぶしんぱん)は、大相撲において、行司とは別に相撲勝負の判定に加わる審判のことである。日本相撲協会寄附行為相撲規則によると審判委員(しんぱんいいん)と定義されている。 土俵での行司・勝負審判・控え力士配置 勝負審判の装束(紋付羽織袴).

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勇み足

は相撲用語の一つ。.

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回向院

両ごく回向院元柳橋(歌川広重「名所江戸百景」のうち) 回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院、および、過去にその別院であった東京都荒川区南千住五丁目にある寺院。.

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四股名

四股名(しこな)とは、相撲における力士の名前である。 もともとは醜名と書いた。この場合の「醜」とは「みにくい」という意味ではなく、「逞しい」という意味である。いつからか四股と相まって「四股名」と当て字で書かれるようになった。しこ名と書かれることも多い。 改名するときは、各場所の千秋楽から番付編成会議までの間に改名届を提出し、編成会議において承認される。.

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玉錦三右エ門

玉錦 三右エ門(たまにしき さんえもん、1903年12月15日(戸籍上は11月15日) - 1938年12月4日)は、高知県高知市出身の大相撲力士。第32代横綱。本名は西ノ内 彌寿喜(にしのうち やすき)。.

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琴ノ若晴將

ノ若 晴將(ことのわか てるまさ、本名:鎌谷 満也(かまたに みつや、旧姓今野)、1968年5月15日 - )は、山形県尾花沢市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は西関脇(1999年1月場所、3月場所)。身長191cm、体重181kg。引退後部屋を継承し、現在は13代年寄:佐渡ヶ嶽満宗。愛称はワカ、趣味はテレビゲーム、書道。美男子であり、女性ファンが多かった、血液型はB型。長男は、琴鎌谷将且ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p25。.

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琴春日桂吾

春日 桂吾(ことかすが けいご、1977年8月25日 - )は福岡県春日市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。本名は山田桂吾(やまだ けいご)、愛称はケイゴ。身長182cm、体重150kg、血液型はB型、星座は乙女座、干支は巳年。得意手は左四つ、寄り、投げ。趣味はテレビゲーム。最高位は、東前頭7枚目(2010年11月場所)。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。.

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碧山亘右

碧山 亘右(あおいやま こうすけ、1986年6月19日 - )はブルガリア・ヤンボル(2009年9月場所まではソフィア)出身で春日野部屋所属(入門時は田子ノ浦部屋)の大相撲力士。本名はダニエル・イヴァノフ。身長191cm、体重188kg。得意技は右四つ・寄りとあるが、突き・押しでも相撲が取れる。血液型A型。最高位は東関脇(2014年11月場所、2015年1月場所)。好物はサラミ、スイカ。サラミは地元ブルガリアの母が手作りのものを日本まで送ってくれるという。好きな飲み物はワイン。『相撲』2012年3月号73頁趣味は映画鑑賞、釣り。いわゆる「花のロクイチ組」の1人大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71。.

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神東山忠也

東山 忠也(じんとうざん ちゅうや、1913年1月28日 - 1983年6月23日)は、かつて春日野部屋に所属した力士である。本名は神谷 信義(かみや のぶよし)。現在の東京都中央区出身。現役時代の体格は170cm、135kg。最高位は東前頭4枚目(1941年5月場所)。得意手は右四つ、寄り。.

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稀勢の里寛

勢の里 寛(きせのさと ゆたか、1986年7月3日 - )は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市)で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属の現役大相撲力士。第72代横綱。本名は萩原 寛(はぎわら ゆたか)、愛称はハギ、キセノン。身長188cm、体重177kg、血液型はB型。趣味はスポーツ観戦、好きな食べ物はのっぺい汁、焼き鳥、フグ刺し、紀州南高梅 田子ノ浦部屋。茨城県龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校卒。得意手は左四つ・寄り・突き・押し。締め込みの色はナス紺。生まれつき左利きであり、練習により両利きになったが主に左手を使う 日刊スポーツ 2017年1月22日9時57分 紙面から。いわゆる「花のロクイチ組」の1人大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71。.

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突き落とし

突き落とし(つきおとし)とは、相撲の決まり手の一つである。片手を相手の腋に当て、背部などを突いて斜め下に落とす技。引き落としと聞き間違えやすい。動きの最中に決まることが多く、2つとも体を開かず正面から払い落とすように打つ技であるため聞き間違いでなくても引き落としと判別しにくいことがある。実際の判定としては片方の手で差さずにただ単に上から背部を突いて落としただけでも当決まり手が採用される場合も少なくない。 土俵際に追い詰められた力士が抵抗するなど、土俵を割る前に何かしらの理由で相手力士の重心が崩れ、横に倒れることで偶然的に発生するケースも稀に見られる。.

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突っ張り

突っ張り(つっぱり)は、相撲の技の1つである.

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立合い

立合い(たちあい)とは、相撲において、両力士が蹲踞(そんきょ)の姿勢から立ち上がって取組を開始する瞬間のことを言う。.

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立行司

立行司(たてぎょうじ)は大相撲の行司における最高位の階級で、かつては力士の横綱と同様に吉田司家の立行司免許を必要としたため、行司の横綱に相当する。.

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綾川五郎次 (大正)

綾川 五郎次(あやがわ ごろうじ、1883年11月2日 - 1933年2月16日)は、青森県南津軽郡(現:青森県黒石市)出身の元大相撲力士。本名は村上 要作(むらかみ ようさく)。.

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羽黒山政司

羽黒山 政司(はぐろやま まさじ、1914年11月18日 - 1969年10月14日)は、新潟県西蒲原郡松長村大字羽黒(現:新潟県新潟市西蒲区)出身の元大相撲力士。第36代横綱。本名は小林 正治(こばやし まさじ)『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p22。.

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羽黒岩智一

羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず、1946年6月30日 - 2016年10月23日)は、宮崎県延岡市出身で、立浪部屋にかつて所属した大相撲力士である。本名は戸田 智次郎(とだ ともじろう)。最高位は東小結(1973年5月場所)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p24。 引退後は年寄・雷として後進の指導に努め、停年まで日本相撲協会に在籍していた。身長180cm、体重133kg。得意手は右四つ、寄り、押し。 本名の戸田を四股名としていた時期も長く、その当時に横綱・大鵬の連勝を45で止める金星を挙げている(ただし、実は後に「誤審」であると大きな話題となった。詳細は後述)こともあって戸田 智次郎の名でも知られる。.

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真鶴秀五郎

真鶴 秀五郎(まなづる ひでごろう、1902年3月30日 - 1937年12月4日)は、奈良県山辺郡(現:奈良県天理市)出身の元大相撲力士。本名は窪田 正義(くぼた まさよし)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p31。.

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痛み分け

痛み分け(いたみわけ)は相撲における、勝負の判定結果のひとつである。.

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男女ノ川登三

男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 - 1971年1月20日)は、茨城県筑波郡菅間村(現:茨城県つくば市磯部)出身の元大相撲力士。本名は坂田 供次郎(さかた ともじろう(きょうじろう))。.

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無勝負 (相撲)

無勝負(むしょうぶ)は、相撲で廃止された制度の一つで、文字通り「勝負無し」とする裁定。記録上は引き分けの一種の様に扱われる。.

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番付

付表 番付(ばんづけ)は大相撲における力士の順位表。正式には「番付表」という。ここから転じてその他さまざまなものの順位付けの意味でも用いられる(長者番付など)。格下のものが上位のものを倒す「番狂わせ」などの言葉はここから発している。すでに江戸時代にはこの形式を借りて、古典園芸植物の品種や各地の名所、温泉、三味線演奏家、遊女、本拳(数拳/崎陽拳/豁拳)や藤八拳(東八拳)といった拳遊び、落語・講談などの寄席芸人や歌舞伎役者など、ありとあらゆるものをランク付けし、それを番付表として出版することが盛んに行われた。これら相撲以外の様々なものを番付にしたものは「見立て番付」「変わり番付」などと呼ばれる。.

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照國萬藏

照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1977年3月20日)は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現:秋田県湯沢市)出身の元大相撲力士。第38代横綱。本名は菅 萬藏(すが まんぞう)で、のちに大野 萬蔵(おおの まんぞう)となるベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p30。.

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相撲

隅田川テラスにかかる歌川広重の「相撲の図」の模写 相撲(すもう)は、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭りであり、同時に武芸でもあり武道でもある(「弓取り式」の本来の意味から)。古くから祝儀(懸賞金という表現)を得るための興行として、大相撲が行われている。日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。.

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相撲用語一覧

撲用語一覧(すもうようごいちらん)は、大相撲・相撲界の用語一覧である。.

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相撲界

相撲界(すもうかい)は、相撲に関する社会領域。角界(かくかい、かっかい)ともいう。 狭義には、現在大相撲を興行している日本相撲協会の体制を指す。日本相撲協会は文部科学省所管の財団法人で、その評議員である年寄、その年寄が育成する力士・力士養成員、各部屋に所属する行司や呼出、床山、若者頭、世話人を含む。身内の者以外を「余方(よかた)」という場合もある。 広義には、狭義の角界に、相撲茶屋、好角家(相撲愛好家)、総体としての一般相撲ファン、大相撲や国技館に関連した事業にある者などで構成される、ひとつのコミュニティーを指す。 すもうかい.

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白鵬翔

白鵬 翔(はくほう しょう、1985年3月11日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士、第69代横綱(2007年7月場所 - )。本名はムンフバティン・ダワージャルガル(モンゴル語キリル文字表記:Мөнхбатын Даваажаргал、ラテン文字転写:Mönkhbatyn Davaajargal;日本相撲協会による公式表記は「ムンフバト・ダヴァジャルガル」)、モンゴル語での愛称は「ダワー」。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。身長192cm、体重156kg(2016年1月場所現在)、血液型はA型。好物は焼肉と納豆、プレーリードッグ。嫌いなものはあんこ、趣味は読書、チェス、テレビゲーム、ゴルフ。アジア初のユネスコ・スポーツ・チャンピオン。.

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花田虎上

花田 虎上(はなだ まさる、1971年1月20日 - )は、東京都中野区(出生地は杉並区)出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士、第66代横綱・若乃花 勝(わかのはな まさる)、3代目若乃花となる。父は元大関の貴ノ花、母は女優の藤田紀子、弟は第65代横綱の貴乃花、伯父は第45代横綱の初代若乃花、甥(弟・貴乃花の長男)は靴職人・タレントの花田優一。本名は花田 勝(はなだ まさる)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p23。 2011年4月9日より、風水建築デザイナー直居由美里のアドバイスで芸名を「花田虎上」(はなだまさる)に改名。 実業家、タレント、スポーツキャスター、血液型はB型。既婚(再婚)。.

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鞍ヶ嶽楯右エ門

鞍ヶ嶽 楯右エ門(くらがたけ たてえもん、1898年11月6日 - 1939年11月1日)は、熊本県熊本市出身で1920年代に活躍した大相撲力士である。本名は上田善三郎。身長173cm、体重120kg。現役中から二枚鑑札として後進の指導につとめた時期もあった。最高位は西前頭筆頭(1922年1月場所)。.

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荒波秀義

荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日-2010年9月2日)は、1960年代に活躍した佐賀県東松浦郡鎮西町(※現役当時、現・唐津市)出身の大相撲力士である。時津風部屋に所属していた。本名は牧山 通雄(まきやま みちお)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。最高位は西前頭4枚目(1965年3月場所)。現役時代の体格は184cm、106kgベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p27。 同じ東松浦郡鎮西町出身で、小結まで昇進した松浦潟達也(本名・牧山強臣、錦島部屋→立田山部屋)とは、血縁関係にあった。キリスト教徒でもあった。.

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鏡山 (相撲)

鏡山(かがみやま)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、初代・鏡山が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。過去に大阪相撲の頭取にも同名の「鏡山」があったが、東西合併によりそちらの方は廃家となった。.

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預り (相撲)

撲用語としての預り(あずかり)は、引き分けの一種。.

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行司

行司の服装 房の色は三役格だが、実際の三役格行司は帯刀しない 土俵での配置図・土俵中央が行司・土俵脇にいる紋付姿が勝負審判 行司(ぎょうじ)とは、大相撲において、競技の進行及び勝負の判定を決するもの、またはそれを行う人である。.

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風邪

邪(かぜ、common cold, nasopharyngitis, rhinopharyngitis, acute coryza, a cold)とは、ウイルスによる上気道感染症であり、主な影響は鼻に現れる 。 喉、副鼻腔、喉頭も影響を受ける可能性がある。症状はたいてい感染後二日以内に発生する。 症状としては、咳、咽頭痛、くしゃみ、鼻水、鼻閉、頭痛、発熱、嗄声などが現れる。患者の多くは回復まで大抵7-10日間を要し、一部の症状は3週間まで継続しうる。他に健康に問題がある患者は、肺炎に進行する可能性がある。 多くの場合、単に風邪と言えば急性上気道炎(普通感冒)を指し、それ以外を風邪と呼ぶことは少ない。西洋医学的には「風邪症候群」と呼ぶことが多い。俗称として、消化管のウイルス感染によって嘔吐、下痢、腹痛などの腹部症状と上記全身症を来した状態を、「感冒性胃腸炎」「お腹の風邪」(もしくは胃腸かぜ、一部地方では腸感冒)と呼ぶこともある。 成人は平均して年間2-3回の風邪に罹患し、児童ではそれ以上である。風邪に対してワクチンはない。最も一般的な予防法は、手洗いの実施、洗っていない手で目・鼻・口を触らない、病人と同じ空間に居ない事である。いくつかの根拠はマスクの使用を支持している。 治療法は存在せず、罹患期間を短縮させる方法もないが、症状は緩和可能でありイブプロフェンなどのNSAIDsは助けとなるであろう。根拠によれば、抗生物質は使用すべきではなく、総合感冒薬の使用も支持されない。.

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西ノ海嘉治郎 (初代)

西ノ海 嘉治郎(にしのうみ かじろう、1855年2月19日(安政2年1月3日) - 1908年(明治41年)11月30日)は、薩摩国高城郡(現:鹿児島県薩摩川内市)出身の元大相撲力士。第16代横綱。本名は小園 嘉次郎(おぞの かじろう)。.

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駒ヶ嶽國力

駒ヶ嶽 國力(こまがたけ くにりき、1880年12月13日 - 1914年4月11日)は、宮城県出身の元大相撲力士。本名は菊地 國力(きくち くにりき)。.

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高砂浦五郎 (初代)

浦五郎(たかさご うらごろう、天保9年11月20日(1839年1月5日) - 明治33年(1900年)4月8日)は、明治期に活躍した大相撲の力士・年寄。最高位は前頭筆頭。身長170cm、体重100kg。出身は上総国山辺郡(現在の千葉県東金市)。本名は山崎(後に一時今井姓)伊之助(後に浦五郎)。現在まで続く高砂部屋の開祖である。.

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高見山大五郎

見山 大五郎(たかみやま だいごろう、1944年6月16日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ準州 (Territory of Hawaii) マウイ島出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は東関脇。身長192cm、体重205kg。本名は渡辺 大五郎(わたなべ だいごろう)、米国名はJesse James Wailani Kuhaulua(ジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルア)、愛称はジェシー。.

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講談

講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。 演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。上方講談においては、張り扇と拍子木を併用する。.

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魁聖一郎

魁聖 一郎(かいせい いちろう、1986年12月18日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身で友綱部屋所属の現役大相撲力士。日系ブラジル人3世で2014年に日本に帰化。本名は菅野 リカルド。旧名リカルド(ヒカルド)・スガノ。身長194cm、体重205kg、血液型はO型。得意手は右四つ、寄り。最高位は東関脇(2016年7月場所)。いわゆる「花のロクイチ組」の1人大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71。.

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譴責

譴責(けんせき)とは、規則に反した者や信用失墜行為を行った者などに対し、始末書を書かせて提出させ、戒めること。官吏に対する一番緩い叱責であり、法令上では戒告として扱われる。 なお、中国文学史の分野で、19世紀後半から20世紀初頭の、清末の世相を風刺的に描いた小説に対して、魯迅が『中国小説史略』において、譴責小説の名を与えたため、日本語でもそれを踏襲して、この名称を使うことも多い。.

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鯱ノ里一郎

鯱ノ里 一郎(しゃちのさと いちろう、本名:松崎 一雄(旧姓:加藤)、1914年8月11日 - 1981年5月21日)は、愛知県名古屋市中区出身の元大相撲力士。若枩部屋所属。最高位は西前頭3枚目(1938年5月場所)。現役時代の体格は179cm、130kg。得意手は左四つ、上手投げ、寄り。元小結射水川の養子。元関脇房錦の岳父であり養父。.

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豪風旭

豪風 旭(たけかぜ あきら、1979年6月21日 - )は、秋田県北秋田市出身で尾車部屋所属の現役大相撲力士。本名は成田 旭(なりた あきら)、愛称はアキラ。身長171cm、体重150kg、血液型はAB型、星座は双子座。得意技は突き、押し。最高位は西関脇(2014年9月場所) 毎日新聞 2014年08月09日 11時49分。.

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豪栄道豪太郎

豪栄道 豪太郎(ごうえいどう ごうたろう、1986年4月6日 - )は、大阪府寝屋川市出身で境川部屋所属の現役大相撲力士である。本名は澤井 豪太郎(さわい ごうたろう)、愛称はゴウタロウ、豪ちゃん。身長183cm、体重160kg、血液型はB型。得意手は右四つ・寄り・出し投げ・切り返し・外掛け・首投げ。趣味は格闘技テレビ観戦、漫画雑誌を読むこと。好きな食べ物は牛肉、嫌いな食べ物は生魚、納豆、漬け物。最高位は東大関(2016年11月場所、2017年3月場所、2017年11月場所、2018年1月場所)。締め込みの色は現在は黒色。いわゆる「花のロクイチ組」の1人大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71。.

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貴乃花光司

貴乃花 光司(たかのはな こうじ、1972年8月12日 - )は、東京都杉並区出身の元大相撲力士、第65代横綱。所属した相撲部屋は藤島部屋後に二子山部屋。現在は一代年寄・貴乃花で貴乃花部屋の師匠。元日本相撲協会理事。2018年1月4日に横綱(事件当時)日馬富士が起こした傷害事件に関連して理事を解任された。#理事解任参照。相撲教習所所長、審判部長、地方場所部長(大阪)、総合企画部長、巡業部長を歴任。他にスポーツニッポン評論家(大相撲担当)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p23。 本名、花田 光司(はなだ こうじ)。愛称は「コウジ」。.

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貴ノ花利彰

貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 - 2005年5月30日)は、青森県弘前市出身(北海道室蘭市生まれ)の元大相撲力士。現役時は二子山部屋所属であった。最高位は東大関。本名は花田 満(はなだ みつる)。身長183cm、体重114kg、血液型はB型。得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱・初代若乃花の弟という血筋のよさに加え、細身で均整のとれた体格と甘いマスクから、角界のプリンスと呼ばれた。大相撲の歴史上、また日本のスポーツ史上屈指の人気を誇った。位階は従五位旭日小綬章受章。 1993年1月場所後に次男の花田光司が四股名を「貴花田」から「貴ノ花」に変え、そして1994年11月以降の四股名であり後に一代年寄名跡となった「貴乃花」にして以降は、父の方は「初代貴ノ花」または「先代貴ノ花」と呼ばれている。.

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貴闘力忠茂

貴闘力 忠茂(たかとうりき ただしげ、1967年9月28日 - )は、兵庫県神戸市出身(ただし、入門時は出身地を福岡市博多区としていた。)で二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士、プロレスラー。大相撲時代の得意技は突き、押し、張り手、いなし、引き、叩き。三男は大嶽部屋の納谷。甥(姉の子)に元三段目若闘力がいた。所属:株式会社GHKクリエーションズ。現在、全国11店舗の飲食店を展開。講演会活動に加え、グルメ研究家として活動中ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p25。.

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鳳凰馬五郎

鳳凰馬五郎(ほうおう うまごろう、1866年9月3日 - 1907年5月4日)は、下総国千葉郡久々田村(現在の千葉県習志野市津田沼)出身で宮城野部屋(一時錦戸部屋に移籍)所属の元大相撲力士。最高位は大関。5代目年寄・宮城野を襲名。身長179cm、体重117kg。本名は三代川(後に宮城野姓)寅之助。.

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鶴竜力三郎

力三郎(かくりゅう りきさぶろう、1985年8月10日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で井筒部屋所属の現役大相撲力士。本名はマンガルジャラビーン・アナンド(モンゴル語キリル文字表記:Мангалжалавын Ананд、ラテン文字転写:Mangaljalavyn Anand)、愛称はアナンダ。身長186cm、体重155kg、血液型はA型、趣味はスポーツ観戦。得意手は右四つ、寄り、下手投げ、もろ差し。第71代横綱。実際に生まれ育ったのはウランバートル市内だが、取組前の呼び出しでは父親の出身地であるスフバートルを自身の出身地としているモンゴル国では、フビライ帝の時代以前から、自身の名前に「○○ドルジ(朶而只)」等と「○○という父親の息子」という表現を使うことが見られるなど出自には父親の系統が重視され、父の出身地を重視する慣行から、おしなべて多くのモンゴル出身力士は父親の出身地を自分自身の本籍地として表現する傾向がある。。 四股名の「鶴」は部屋ゆかりの四股名「鶴ヶ嶺」から、「力三郎」は尊敬する井筒部屋の大先輩・寺尾が新十両場所だけ名乗っていたゆかりの四股名「源氏山」の下の名前に由来する。締め込みの色は現在紺色。.

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黒姫山秀男

黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 - )は、新潟県西頸城郡青海町(現在の糸魚川市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。本名は田中 秀男(たなか ひでお)。現役時代の体格は182cm、147kg。得意手は押し、右四つ、寄り。最高位は東関脇。四股名の由来は出身地旧青海町の黒姫山から ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p24。.

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輪島大士

輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11日 - )は、石川県七尾市出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。本名は輪島 博(わじま ひろし)。血液型はA型。大相撲時代は身長185cm、体重132kg。ニックネームは蔵前の星・黄金の左、現役引退後はワジーベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ席部屋』p22。.

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霧島一博

霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月3日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。本名は吉永 一美(よしなが かずみ)。最高位は東大関。現役時代の体格は身長187cm、体重132kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、出し投げ。現在は陸奥親方ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p28。.

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関脇

関脇(せきわけ、せきわき)は、大相撲の力士の地位の一つ。大関の下、小結の上。三役の第二位。幕内に属し、幕内の地位の中では横綱から数えると第三位に当たる。.

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閂 (相撲)

閂(かんぬき)は、相撲の取り組み及びレスリング、プロレス、総合格闘技、さらには合気道や少林寺拳法などの武道、武術において用いられる技術である。いわゆる極技の一種である。.

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藤島 (相撲)

藤島(ふじしま)は日本相撲協会における年寄名跡の一つで、初代・冨士嶋が四股名として名乗っていたもの。.

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藩士

藩士(はんし)は、江戸時代の各藩に仕えた武士及びその構成員を指す歴史用語。 江戸時代には「藩」という言葉自体と同様、「藩士」も呼称として用いられなかった。例えば、薩摩藩の藩士なら自らのことを「薩摩藩士某」と名乗るのではなく「島津家家臣某」と名乗った。.

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蒼樹山秀樹

蒼樹山 秀樹(あおぎやま ひでき、1970年2月18日 - )は滋賀県彦根市出身の元大相撲力士。時津風部屋所属。現在は年寄・枝川。本名は寺木秀樹(てらき ひでき)。身長181cm、体重153kg。最高位は西前頭筆頭(1996年7月場所、1998年5月場所)。得意技は突っ張り、押し。趣味はパチンコ、テレビゲーム、音楽鑑賞。愛称にはテラーキ、アオちゃん、血液型はB型ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p27。.

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肩透かし

肩透かし(かたすかし)とは、相撲の決まり手の一つである。差手を相手の腋に引っ掛け、体を開きながら前に引き、もう一方の手で相手の肩を叩き、相手を倒す技。相手の力を利用する為、かなり高度な技術を要する難度の高い決まり手である。なお、この技を仕掛ける場合は「肩透かしを引く」という表現を用いる。 かつては横綱旭富士正也や小結琴稲妻佳弘が得意としており、2010年代に入ってからは栃煌山雄一郎がその使い手となった。又1986年1月場所初日、進退をかけて出場した横綱隆の里俊英は、関脇保志信芳(のち横綱北勝海信芳)にこの決まり手で敗退した後、現役引退を表明した。 相手にはぐらかされたり拍子抜けした際に用いられる慣用句「肩透かしを食らう」の語源ともなっている。.

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脳震盪

脳震盪(のうしんとう、、)は、最も頻発する外傷性脳損傷のタイプであり、頭部に衝撃を受けた直後に発症する一過性および可逆性の意識や記憶の喪失を伴う症状で、一時的な機能停止あるいは一部が損傷や微少出血を受ける病態青村茂、 公益社団法人精密工学会 2015年度精密工学会春季大会 セッションID: O73, 。.

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長谷川勝敏

長谷川 勝敏(はせがわ かつとし、本名同じ、1944年7月20日 - )は、北海道空知郡栗沢村(現在の岩見沢市)出身(出生地は樺太恵須取支庁恵須取郡珍内町)で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。現役時代の体格は身長183cm、体重128kg。得意手は左四つ、寄り、掬い投げ。最高位は東関脇。一時期、四股名を長谷川 戡洋(はせがわ かつひろ)としていた時期もあった。 叔父に大相撲の八百長告発手記を発表した経験のある四季の花範雄がいる。.

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若左倉与吉

若左倉 与吉(わかざくら よきち、1879年10月9日-1944年10月19日)は、八角部屋に所属した元力士。本名は長永與吉郎。現在の石川県金沢市出身。最高位は東前頭2枚目。.

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若乃花幹士 (初代)

初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ)本名:花田 勝治(はなだ かつじ)、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、青森県弘前市青女子(あおなご)出身で、入門当時は二所ノ関部屋(1953年に花籠部屋の独立とともに移籍)に所属した大相撲力士、第45代横綱。身長179cm、体重107kg。血液型はB型。弘前市名誉市民。土俵の鬼と呼ばれた。戦後最軽量横綱である。(歴代史上最軽量は栃木山の103kg)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p22 引退後二子山部屋を創設し、弟である大関・初代貴ノ花(のち藤島→二子山)、横綱・2代若乃花(のち間垣)、横綱・隆の里(のち鳴戸)、大関・若嶋津(のち松ヶ根→二所ノ関)らを育て、日本相撲協会の理事長もつとめた。 第65代横綱・貴乃花(一代年寄・貴乃花親方)と第66代横綱・3代若乃花(のち藤島、現実業家・タレントの花田虎上)の二人は甥にあたる。 愛人関係にあった韓国人女性との間の息子が藤島部屋に入門し、1989年3月初土俵。若剛志の四股名で幕下まで昇進した(1997年1月に引退)。 .

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若圭翔裕樹

若圭翔 裕樹(わかけいしょう ひろき、1984年1月28日 - )は、長崎県島原市出身で追手風部屋に所属していた元大相撲力士。本名は下田 圭将(しもだ けいしょう)。得意は押し。現役時代の体格は身長174cm、体重138kg。最高位は西幕下筆頭(2006年7月場所)。.

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若松 (相撲)

若松(わかまつ)とは、日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、初代・若松が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。.

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若浪順

若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007年4月16日)は、茨城県猿島郡七郷村(現・同県坂東市)出身で、立浪部屋に所属した大相撲力士である。最高位は東小結(1968年5月場所)。本名は冨山 順(とみやま じゅん)。現役時代の体格は178cm、103kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、うっちゃり ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p24。 引退後は、年寄・大鳴戸から同・玉垣を襲名した。.

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雷電爲右エ門

雷電 爲右エ門(為右衛門、らいでん ためえもん、明和4年(1767年)1月 - 文政8年2月21日(1825年4月9日)は、信濃国小県郡大石村(現・長野県東御市)出身の元大相撲力士。 現役生活21年、江戸本場所在籍36場所中(大関在位27場所)で、通算黒星が僅か10・勝率.962で、大相撲史上未曾有の最強力士とされている。.

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雅山哲士

雅山 哲士(みやびやま てつし、1977年(昭和52年)7月28日 - )は、藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)に所属していた元大相撲力士。茨城県水戸市出身。本名は竹内雅人(たけうち まさと)、愛称はマサト。身長187cm、体重188kg、血液型はO型。引退後は、二子山部屋師匠の年寄二子山雅高(ふたごやま まさたか)として後進の指導にあたっている。最高位は西大関(2000年(平成12年)7月場所)。好きな食べ物はリンゴ、焼肉。好きな飲み物は酒、ブラックコーヒー。ZARDとやなせたかし作『アンパンマン』に登場するメロンパンナのファン。 得意技は、突き押し相撲だが、四つでも取れた。相手の顔に向けて行なわれる小刻みな突き・腕の動きを効果的に使う取り口が特徴。 また、重い突きを繰り出してから土俵際を回り込みながらの引き、叩きの巧さもあった。 腰が重い力士としては珍しく足腰が強い力士であり、対戦相手がいなしたり、出し投げを放とうとしても、足腰のバランス感覚で相手をかわしてしまう技術は高い評価を受けていたが、体重の影響による足の怪我も少なくなかった。.

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送り出し

送り出し(おくりだし)とは、相撲の決まり手の一つである。相手の背後に回り込み、後方から相手を押し、土俵の外に出す技。ラジオNIKKEIのアナウンサーでありアマチュア相撲の2段(日本相撲連盟)のキャリアを持っている舩山陽司は自身のコラムで「送り出す際に手を伸ばして背中を押すと簡単にかわされたり腕を取って引っ掛けられたり捻られたりするリスクが高過ぎる。相手の腰または尻に自分の胸や腹をぶつけていくのが正しい。しかも太腿で相手の逃げ場をなくす方が良い。こうすれば相手は振り向く事なく小細工を出す余裕もなく土俵を割るしかない。」と送り出しの鉄則を説いた。 ラジオNIKKEI 2009/09/24(木) 12:29 2003年1月場所8日目、平成の大横綱と呼ばれた貴乃花は、当時前頭4枚目だった安美錦と初対戦。しかし、貴乃花は度重なる怪我の影響もあって全く自分の相撲が取れないまま、安美錦にこの技を決められて敗北。逆に安美錦は、横綱貴乃花戦の勝利が自身初めての金星獲得となる。結局貴乃花はこの安美錦との一番を最後に、翌日の9日目で現役引退を表明した。 この技を好んで使った力士として横綱・朝青龍がおり、2000年代半ばには高い反射神経を活かして立派な武器として活用していた。その朝青龍は2009年9月場所7日目に行われた玉乃島戦で当時痛めていたはずの右ひざを玉乃島の左尻にぶつけた(決まり手は送り出し)ことで「蹴り出し」騒動が起こったが、これに対して舩山陽司は前述の鉄則を挙げて「朝青龍は相撲の基本を守ったに過ぎない」と一般層の批判に対して反論した。.

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陣幕 (相撲)

陣幕(じんまく)は日本相撲協会の年寄名跡の1つ。初代・陣幕長兵衛の四股名が名跡化したものであり、第12代横綱である陣幕久五郎を祖とする名跡ではない。陣幕久五郎を祖とする年寄名跡は北陣を参照。.

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NHK総合テレビジョン

NHK総合テレビジョン(エヌエイチケイ そうごう テレビジョン)は、日本放送協会(NHK)による地上基幹放送の一種別のテレビジョン放送で国内放送でもある。 通称はNHK総合あるいは総合テレビ。また、英語で総合という意味を表す"General"からNHK G、GTV等とも表記される。前者は地上デジタルテレビ放送で東京(NHK放送センター)から送出される番組の放送時に、画面右上に表示されるウォーターマークなどNHK G:地上デジタル放送のチャンネルアイコンでも。で使用され、後者は群馬テレビ(群馬県)との混同を防ぐために協会内に限らないものの多くはNHKを冠す。 新聞や雑誌などの番組表(いわゆるテレビ欄)や各種メディアでの表記は「NHK総合」「NHK総合テレビ」「NHKテレビ」「NHK」「NHK G」等と様々である。.

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押し出し (相撲)

押し出し(おしだし)とは、相撲の決まり手の一つである。相手の胸や喉、腋を押し、土俵の外に出す技。最も基本的な技のひとつ。相手が倒れれば押し倒しになる。まわしをつかんでいても体を密着させずに腕を伸ばして攻めれば押し出しになる。 まわしを取って押した場合にも、「土俵際ではまわしを離して押せ」との実践訓があり、これに従えば押し出しになる。.

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柏戸剛

柏戸 剛(かしわど つよし、1938年11月29日 - 1996年12月8日)は、山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身の元大相撲力士。第47代横綱。本名は富樫 剛(とがし つよし)ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p28。.

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東富士欽壹

東富士 欽壹(あずまふじ きんいち、1921年10月28日 - 1973年7月31日)は、東京市下谷区(現・東京都台東区)出身の元大相撲力士・第40代横綱・元プロレスラー・実業家。本名は井上 謹一(いのうえ きんいち)。.

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栃錦清隆

栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - 1990年1月10日)は、東京府南葛飾郡(現・東京都江戸川区)出身の元大相撲力士。第44代横綱。本名は大塚 清(おおつか きよし)で、のちに栃木山守也の養子となって中田 清(なかた きよし)となる。.

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梅ヶ谷藤太郎 (2代)

梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1878年3月11日 - 1927年9月2日)は、富山県上新川郡水橋町(現・富山県富山市)出身の元大相撲力士。第20代横綱。本名は押田 音次郎(おしだ おとじろう)で、後に小江 音松(おえ おとまつ)となる。.

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横綱

35代横綱・双葉山定次(在位1938 - 1945年) 横綱(よこづな)は、大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号である。語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。 大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。 横綱は、天下無双であるという意味を込めて「日下開山」(ひのしたかいさん)と呼ばれることもある。 本場所では幕内力士として15日間毎日取組が組まれる。 なお、大関が横綱の地位を狙うことを綱取りという。.

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武双山正士

武双山 正士(むそうやま まさし、1972年2月14日 - )は、茨城県水戸市出身(出生地は勝田市、現在のひたちなか市)で武蔵川部屋所属の元大相撲力士。最高位は東大関。本名は尾曽武人(おそ たけひと)。身長184cm、体重177kg。現在は年寄・藤島、得意手は突き、押し、突き落とし、巻き落とし、左四つ、寄り。趣味は釣り。独身。.

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死に体

死に体(しにたい)は、相撲用語で姿勢のバランスが崩れた状態を指す。「体(たい)がない」「体(たい)が死んでいる」ともいう。 この言葉が転じて、レームダックとほぼ同義の政治用語としても使われる。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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水入り

水入り(みずいり)とは、大相撲(十両以上の取組)において、長時間の取組(いわゆる大相撲)になり、疲労などのために取組に進捗が見られない状態になった際、行司あるいは審判委員の判断によって取組を一時中断することである。水入りになることを「水が入る」(あるいはただ単に「水」)ともいう。 また、他のスポーツでも雨天順延のことを「水入り」と呼ぶことがある。.

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水戸泉政人

水戸泉 政人(みといずみ まさと、1962年9月2日 - )は、茨城県水戸市出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は東関脇。本名は小泉 政人(こいずみ まさと)。身長194cm、体重192kg(最高200kg、1996年1月場所)、現在は年寄・錦戸、得意手は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ。愛称は「水戸ちゃん」、「イズミちゃん」など、趣味は油彩画。.

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汐ノ海運右エ門

汐ノ海 運右エ門(しおのうみ うんえもん、1918年3月1日 - 1983年7月18日)は、兵庫県印南郡(現:兵庫県姫路市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士である。最高位は西大関。本名は岸本 忠夫(きしもと ただお)。得意手は右四つ、寄り、筈押しなど。現役時代の体格は180cm、113kg。.

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決まり手

決まり手(きまりて)とは、勝敗が決した際の技のことである。.

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湊川 (相撲)

湊川(みなとがわ)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、初代・湊川が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。.

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朝乃翔嚆矢

朝乃翔 嚆矢(あさのしょう はじめ、1969年12月23日 - )は、神奈川県小田原市出身(出生地は横浜市)で若松部屋所属の元大相撲力士。本名は小塚 一(こづか はじめ、旧姓は大澤)、身長186cm、体重147kg。得意手は突っ張り、押し。最高位は西前頭2枚目(1997年3月場所、1999年9月場所)、血液型O型。.

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朝嵐大三郎

朝嵐 大三郎(あさあらし だいざぶろう、1943年7月8日 - )は、大阪府大阪市東淀川区出身で、かつて高砂部屋に所属した大相撲力士である。本名は、笹木 淳二(ささき じゅんじ)。現役時代の体格は183cm、117kg。最高位は東前頭12枚目(1969年5月場所)。得意手は右四つ、突っ張り、吊り、寄り。.

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朝青龍明徳

朝青龍を応援する幟 朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり、1980年9月27日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱、モンゴル国レスリング協会会長。現在は実業家、モンゴル国民投資銀行(NIBank)の経営者、タレント、コメンテーター、評論家、映画俳優、慈善家として多方面で活躍している。本名はドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ(モンゴル語キリル文字表記:Долгорсүрэнгийн Дагвадорж、ラテン文字転写:Dolgorsürengiin Dagvadorj )。引退後は、「(元・横綱朝青龍の)ドルゴルスレン・ダグワドルジ氏」と報道などで紹介されることも多い。左利き。甥は立浪部屋の豊昇龍 智勝(ほうしょうりゅう ともかつ、長兄スガラクチャーの次男)。.

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朝汐太郎 (初代)

朝汐 太郎(あさしお たろう、1864年12月26日(元治元年11月28日) - 1920年8月26日)は、大相撲の大関(現役中に1日限りの横綱免許)。伊予国宇和郡(現在の愛媛県八幡浜市)に生まれる。本名:杉本→増原太郎吉(ますはらたろきち)。身長179cm、体重102kg。得意手は左四つ、上手投げ、寄り。.

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朝潮太郎 (2代)

朝潮 太郎(あさしお たろう、1879年4月19日 - 1961年4月30日)は、日本の大相撲の力士である。所属部屋:高砂→佐ノ山→高砂。最高位は大関。本名薦田長吉(後に坪井)。身長176cm、体重113kg。.

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朝潮太郎 (4代)

朝潮 太郎(あさしお たろう、1955年12月9日 - )は、高知県安芸郡(現在の高知県室戸市)出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は東大関。現在は年寄・7代高砂浦五郎。本名は長岡 末弘(ながおか すえひろ)、現役時代の体格は身長183cm、体重183kg。得意手は突き、押し、左四つ、寄り。.

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木村庄太郎

木村庄太郎(きむら しょうたろう)は、大相撲の行司の名跡のひとつ。当代は15代目。.

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木村庄之助 (15代)

15代 木村 庄之助(じゅうごだい きむら しょうのすけ、天保10年10月20日(1839年11月25日) - 明治30年(1897年)9月22日)は、大相撲の立行司。本名は深山八三郎。出身地は東京都江東区富岡。.

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木村庄之助 (17代)

17代 木村 庄之助(じゅうしちだい きむら しょうのすけ、1862年-1924年7月18日)は、大相撲の立行司。本名は浪花→酒井兵吉。出身地は徳島県徳島市。.

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木村庄之助 (25代)

25代木村庄之助(にじゅうごだい きむらしょうのすけ、1909年9月1日 - 1991年2月10日)は、大相撲の立行司。本名:山田鈞吾。愛知県名古屋市出身。その風貌から通称「夏ミカン庄之助」。粂川部屋→時津風部屋→中村部屋→二所ノ関部屋と所属が変わっている。.

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木村庄之助 (26代)

26代木村庄之助(26だいきむらしょうのすけ、1912年1月2日 - 1984年3月27日)は、大相撲の立行司の一人。本名は浅井 正(あさい ただし)。木村庄之助としての在位期間は1973年1月~1976年11月。井筒部屋→君ヶ濱部屋所属。.

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木村庄之助 (29代)

29代 木村 庄之助(きむら しょうのすけ、本名:櫻井 春芳(さくらい はるよし、旧姓・梯(かけはし))、1936年3月26日 - )は、大相撲の立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は1995年1月-2001年3月。二所ノ関部屋所属。.

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木村庄之助 (32代)

32代 木村 庄之助(きむら しょうのすけ、本名:澤田 郁也(さわだ いくや)、1941年2月13日 - )は、大相撲の立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。出羽海部屋所属。.

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木村庄之助 (37代)

37代木村庄之助(きむら しょうのすけ、本名:畠山 三郎(はたけやま さぶろう)、1950年3月16日 - )は、大相撲の立行司の1人だった。高島部屋、熊ヶ谷部屋、大島部屋を経て引退時は友綱部屋所属。血液型はA型。.

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木村光之助

木村 光之助(きむら みつのすけ)は、大相撲の行司の名跡の一つ。.

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木村筆之助

木村筆之助(きむら ふでのすけ、1924年1月17日 - 1984年4月26日)は大相撲の元幕内格行司。伊勢ノ海部屋所属。師匠は初代木村今朝三。長野県伊那市出身。本名は田畑 啓。.

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木村瀬平

木村瀬平(きむらせへい)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、木瀬(きせ)の通称で呼ばれている。由来は行司名がそのまま名跡となったものである。.

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木村誠道

木村 誠道(きむら せいどう)は、大相撲の行司の名跡の一つ。明治初頭に起こった名義で、初代から4代続いたが、現在は空き名跡のままである。初代が立行司・木村庄之助、2代目が同・式守伊之助をそれぞれ襲名している。.

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春ノ山竜尚

春ノ山 竜尚(はるのやま たつなお、1976年8月2日 - )は愛知県豊田市出身の元大相撲力士。松ヶ根部屋所属。本名春山 竜尚(はるやま たつなお)。身長188cm、体重180kg。得意技は左四つ・寄り。最高位は東前頭10枚目(2004年5月場所)。 趣味はテレビ鑑賞、血液型はO型。.

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浴びせ倒し

浴びせ倒し(あびせたおし)とは、相撲の決まり手の一つである。四つに組んだ体勢で、自分の体重を相手にかけ、のしかかるように倒す技。吊りが失敗して自身が土俵に倒れた場合、相手はこの決まり手を採用される。寄り倒しと浴びせ倒しはそれぞれ区別をつけづらい技であるが、目安として倒して土俵外に出せば寄り倒し、土俵内で倒せば浴びせ倒しとなる。土俵内で倒しても強引に倒したと言えるほどの勢いがなければ寄り倒しを宣告される場合がある。英語では"Backward force down"と呼ぶ大空出版『相撲ファン』vol.06 p106。 1969年7月場所千秋楽の優勝決定戦で、大関清國が前頭5枚目藤ノ川をこの技で下し、この場所新大関での初優勝を決めた。.

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海山太郎 (友綱)

海山 太郎(かいざん たろう、1854年7月8日 (嘉永7年6月14日)- 1926年(昭和元年)12月30日)は、元大相撲力士である。明治時代から大正時代にかけて、年寄6代友綱として多くの力士を育成した。現在の高知県香南市香我美町岸本出身、本名は松田→河野貞太郎。最高位は東前頭筆頭(1886年5月場所、1887年5月場所、1888年5月場所)。現役時代の体格は173cm、86kgベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p39-40。.

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海乃山勇

海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日-1997年7月5日)は、茨城県龍ケ崎市出身で、1960年代に活躍した大相撲力士である。本名は入井 勇(いりい いさむ)。小野川部屋(のち出羽海部屋)に所属していた。最高位は東関脇(1968年1月場所)。現役時代の体格は172cm、120kg。得意手は左四つ、寄り、蹴手繰り、突き落とし。.

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文(ぶん)とは、一つの完結した言明を表す言語表現の単位である。基本的には主語と述語(一方が省略されることもある)からなる。ただし、これに加えて話題(主題、題目)が重視される場合もある。.

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日馬富士公平

日馬富士 公平(はるまふじ こうへい、1984年4月14日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の元大相撲力士、第70代横綱(2012年11月場所 - 2017年11月場所)。 本名はダワーニャミーン・ビャンバドルジ「ダワーニャミーン」(Даваанямын/Davaanyamyn) は「ダワーニャム(.

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日本相撲協会

公益財団法人日本相撲協会(にほんすもうきょうかい、)は、大相撲興行の幕内最高優勝者に対して「摂政宮賜杯」(現在の天皇賜杯)を授与するために1925年に財団法人として設立され、2014年に公益財団法人に移行した相撲興行団体である。公益法人としての法人格の取得及び維持のため、相撲競技の指導・普及、相撲に関する伝統文化の普及を定款上の目的としている。.

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旭天鵬勝

旭天鵬 勝(きょくてんほう まさる、1974年9月13日 - )は、モンゴル国ウランバートル市ナラフ区ナライハ町出身で、大島部屋→友綱部屋に所属していた元大相撲力士。本名は太田 勝(おおた まさる)、モンゴル名(帰化前)は ニャムジャウィーン・ツェウェグニャム(モンゴル語キリル文字表記:Нямжавын Цэвэгням、ラテン文字転写:Nyamjavyn Tsevegnyam)。現在は年寄・11代友綱を襲名し友綱部屋の師匠として後進の指導に当たっているベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p29。 愛称は「テンホー」(四股名に由来)。37歳で史上最年長初優勝を果たし、40歳になって以降も幕内力士として活躍したことから、マスコミでは「角界のレジェンド」とも形容されていた。現役時代の体格は身長191cm・体重161kgで、長身による懐の深さを生かした取り口で知られた。得意手は右四つ、寄り。最高位は西関脇(2003年7月場所・11月場所、2004年5月場所)。.

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旭富士正也

旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年(昭和35年)7月6日 - )は、青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で大島部屋所属の元大相撲力士、第63代横綱。本名は杉野森 正也(すぎのもり せいや)。現役時代の体格は身長189cm、体重143kg。得意技は右四つ、寄り、掬い投げ。現在は年寄・9代伊勢ヶ濱親方。元日本相撲協会理事日馬富士が起こした傷害事件の監督責任を取り、2017年12月20日理事を辞任。#親方として参照。。 血液型はB型、趣味は音楽鑑賞、映画鑑賞。近畿大学を中途退学して入門後、同大学通信教育課程に再度入学し卒業。.

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旭國斗雄

旭國 斗雄(あさひくに ますお、1947年4月25日 - )は、立浪部屋所属の元大相撲力士。最高位は東大関。北海道上川郡愛別町出身で農家の三男として生まれる。本名は太田 武雄(おおた たけお)、現役時代の体格は身長174cm、体重121kg、血液型はB型。引退後は長く年寄・大島として大島部屋を経営し、日本相撲協会の理事として巡業部長も務めた。.

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曙太郎

曙 太郎(あけぼの たろう、1969年5月8日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロ出身で東関部屋に所属していた大相撲力士。第64代横綱。のちにプロレスラー、総合格闘家、タレントに転向。格闘技・プロレス分野では曙(あけぼの)のリングネームで活動している。2016年現在、東関部屋の師範代もつとめている。 本名同じ(1996年4月22日に日本国籍を取得)。旧名・米国名: チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン(Chad George Haaheo Rowan)。ハワイ・パシフィック大学中退。日本人以外で初の横綱。 プロ野球・横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に所属していたジョーイ・マイヤーは従兄弟に当たる。.

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1789年

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1877年

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1895年

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1896年

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1897年

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1905年

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1906年

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1914年

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1921年

記載なし。

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1929年

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1938年

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1948年

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1951年

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1953年

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1954年

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1958年

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1964年

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1965年

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1967年

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1968年

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1969年

記載なし。

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1970年

記載なし。

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1972年

協定世界時による計測では、この年は(閏年で)閏秒による秒の追加が年内に2度あり、過去最も長かった年である。.

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1975年

記載なし。

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1988年

この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。.

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1989年

この項目では、国際的な視点に基づいた1989年について記載する。.

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1993年

この項目では、国際的な視点に基づいた1993年について記載する。.

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1995年

この項目では、国際的な視点に基づいた1995年について記載する。.

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1996年

この項目では、国際的な視点に基づいた1996年について記載する。.

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1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

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2003年

この項目では、国際的な視点に基づいた2003年について記載する。.

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2004年

この項目では、国際的な視点に基づいた2004年について記載する。.

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2005年

この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.

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2008年

この項目では、国際的な視点に基づいた2008年について記載する。.

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2011年

この項目では、国際的な視点に基づいた2011年について記載する。.

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2012年

この項目では、国際的な視点に基づいた2012年について記載する。.

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2013年

この項目では、国際的な視点に基づいた2013年について記載する。.

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2014年

この項目では、国際的な視点に基づいた2014年について記載する。.

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2015年

この項目では、国際的な視点に基づいた2015年について記載する。.

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3月10日

3月10日(さんがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から69日目(閏年では70日目)にあたり、年末まであと296日ある。.

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