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源氏巻

索引 源氏巻

源氏巻(げんじまき)は、島根県津和野町の銘菓。餡をきつね色に焼いたカステラのような薄い生地に包んだ長方形の菓子であり、茶菓子として用いられる。餡は伝統的に小豆を煮詰めた豆沙餡であるが、近年は抹茶風味の餡なども登場している。 名前の由来は、幕末に藩の御用菓子司が銘名を頂くため、このお菓子に紫色の餡を詰め込んで、藩主に進上した。この際、藩主の妻が紫色の餡に感動し、『源氏物語』の「若紫」に出てくる和歌「手に摘みていつしかも見ん紫の根に通ひける野辺の若草」を詠んだ。それにあやかって「源氏巻」と名付けられたとされる。 源氏巻の誕生の逸話は以下のような話になっている。江戸時代元禄期の津和野藩亀井家の3代目藩主であった亀井茲親が勅使の接待役を任せられた。茲親は指南役の高家の吉良義央に教えを請うが、吉良は接待の方法を教えなかっただけでなく、逆に愚弄したため、茲親は吉良を切ろうと決心する。そこへ藩の家老であった多胡真蔭がこれを知って、小判をカステラの様な平たい生地に包んで吉良に進上して機嫌を取り、吉良から茲親にたいして勅使の接待の方法を伝授させ、結果的には藩に騒動が起こるのを阻止した。これを記念して藩では小判の代わりに餡を包んだお菓子を、藩の危機を救っためでたい物として扱うようになった。 現在津和野町には、源氏巻を扱うメーカーが10軒余り存在し、それぞれにその味を競っている。.

22 関係: きつね色あんまきかす巻吉良義央多胡真蔭家老小判島根県幕末亀井茲親土産菓子カステラ元禄高家 (江戸時代)若紫抹茶江戸時代津和野町津和野藩源氏物語

きつね色

きつね色(きつねいろ)は、色名の一つ。名前の通りキツネの体毛のような、薄い茶褐色を指すことが一般的。.

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あんまき

あんまき 白あんと黒あん 大あんまき(チーズ) あん巻き、大あん巻き(おおあんまき)は、薄く細長い生地(現代でホットケーキ生地)で餡を巻いた和菓子。愛知県知立市では大あんまきが名物とされる。静岡県浜松市の奥山半僧坊の近辺でも売られている。.

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かす巻

かす巻(かすまき)とは、「カステラ巻き」とも呼ばれる「カステラ」を使用した和菓子の事である。 名前の由来は、カステラ生地で餡を巻いていることからついたものという説が有力で、餡をカステラ生地で巻いたもの、もしくはカステラをどら焼き生地で巻いたものである。.

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吉良義央

吉良 義央(きら よしひさ/よしなか(名前の読みについては後述を参照))は、江戸時代前期の高家旗本(高家肝煎)。赤穂事件の一方の当事者であり、同事件に題材をとった創作作品『忠臣蔵』では敵役として描かれる。幼名は三郎、通称は左近。従四位上・左近衛権少将、上野介(こうずけのすけ)。吉良上野介と呼ばれることが多い。本姓は源氏(清和源氏)。家紋は丸に二つ引・五三桐。.

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多胡真蔭

多胡 真蔭 (たご さねかげ、生年不詳 - 享保2年12月14日(1718年1月15日))は、江戸時代前期の武士。津和野藩亀井家の江戸家老。500石。通称は外記(げき)。主水と記している書もあるが、誤伝である。 石見国津和野藩初代家老多胡真清の四男として誕生。正保3年(1644年)9月に200石で召しだされ、藩主亀井茲政の嫡男茲朝付きの家老となった。万治3年(1660年)正月に100石の加増を受けるが、寛文5年(1665年)7月、不調法があり暇を願い出て、15年間京都で隠居した。延宝7年(1679年)再び茲政に召返され、先の知行のままで家老職に復した。茲政の死後も新藩主亀井茲親を支えた。貞享3年(1686年)7月、加判役となり、のちに加増されて都合500石となる。 元禄11年(1698年)3月、藩主茲親が勅使(この年は柳原資廉、正親町実豊)の饗応役を任じられたが、この際に吉良義央のいじめを受けて、耐えかねた茲親はこの苦情を真蔭にもらしたという。真蔭は刃傷に及ばぬよう諫める一方で、密かに金遣役を呼んで、納戸金一箱を取り出させ、これを「菓子源氏巻」として吉良本邸へ持参し、主君の無礼を詫びたうえ、指導引き回しを懇願した。翌日より義央の茲親へ急に優しくなったので、茲親も無事に役目をやりとげることができたという。この時の逸話がモデルとなって歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の桃井若狭之助(亀井茲親)と加古川本蔵(多胡真蔭)が誕生した。 享保2年(1717年)12月14日に死去。島根県鹿足郡津和野町後田の永明寺に葬られた。法名は無為休伯居士。 Category:赤穂事件関係人物 Category:江戸時代の武士 Category:石見国の人物 Category:17世紀生 Category:1718年没.

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家老

家老(かろう)は、武家の家臣団のうち最高の地位にあった役職で、複数人おり、合議によって政治・経済を補佐・運営した。.

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小判

小判(こばん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。金座で用いられた公式な呼称は小判であり『三貨図彙』では「小判」と明記されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には小判金(こばんきん)という名称で収録されており、貨幣収集界では小判金の名称が広く用いられている。当時の文書には単に金と記されていることが多く、「金百両」などと表記された。計数貨幣であるが量目(質量)および金品位が一定に定められており、金含有量が額面を決める秤量貨幣の発展形である。.

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島根県

島根県(しまねけん)は、日本の中国地方の日本海側である山陰地方の西部をなす県。県庁所在地は松江市。離島の隠岐島、竹島なども島根県の領域に含まれる。旧国名は出雲国・石見国・隠岐国であり、現在でも出雲地方・石見地方・隠岐地方の3つの地域に区分されることが多い。全国では鳥取県に次いで2番目に人口が少ない。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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亀井茲親

亀井 茲親(かめい これちか、寛文9年4月(1669年) - 享保16年5月29日(1731年7月3日))は、江戸時代前期の外様大名。石見津和野藩第3代藩主。津和野藩亀井家4代。第2代藩主・亀井茲政の三男。母は側室・水崎豊庵の娘。正室は対馬府中藩主・宗義真の娘。子は茲長(長男)、菅沼定好(次男)、茲満(六男)らがいる。通称は松之助。官位は従五位下、能登守、のち隠岐守。.

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土産菓子

土産菓子(みやげがし、みやげかし)とは、土産として売り出すことを目的として作られる菓子のことである。また地方でしか作られていないため、土産として購入される菓子のことも指す。 以下、この項目では「銘菓・名菓」・「郷土菓子」・「地域限定菓子」に分類できるものも、全て「土産菓子」として扱う。.

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カステラ

テラ(かすていら・家主貞良・加須底羅)は、鶏卵を泡立てて小麦粉、砂糖(水飴)を混ぜ合わせた生地をオーブンで焼いた菓子の一つである。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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日本において餡(あん)は、以下の意味を持つ。.

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高家 (江戸時代)

家(こうけ)は、江戸幕府における儀式や典礼を司る役職。また、この職に就くことのできる家格の旗本(高家旗本)を指す。 役職としての高家を「高家職」と記すことがある。高家旗本のうち、高家職に就いている家は奥高家、非役の家は表高家と呼ばれた。.

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藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.

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若紫

若紫(わかむらさき)は、.

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抹茶

雲龍院で出された抹茶 抹茶(まっちゃ)は、緑茶の一種である。碾茶を粉末にしたもの、またそれに湯を加え撹拌した飲料である。茶道で飲用として用いられるほか、和菓子、洋菓子、料理の素材として広く用いられる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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津和野町

津和野町(つわのちょう)は、島根県の南西に位置する町。.

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津和野藩

津和野藩(つわのはん)は、江戸時代に石見国津和野(島根県鹿足郡津和野町)周辺を治めていた藩。藩庁は津和野城に置かれた。.

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源氏物語

土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。 朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。 『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である物語の他には「紫式部日記」や和歌集の「紫式部集」があり「小倉百人一首」にも和歌が収められている(*)。後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。(*)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。紫式部日記。。 下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。(角川文庫 1999年(平成11年)5月10日)所収、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。なお、藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部は、宮中の様子を中心に書いた「紫式部日記」を残している。。 なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された 五島美術館。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている 総合研究大学院大学教授 伊藤鉃也 日本文学研究専攻。2009年3月時点、刊行されたもの24種類、現在進行中のもの4種類、未確認(あるらしい、というもの)6種類。。.

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