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源氏まつり

索引 源氏まつり

源氏まつり(げんじまつり)は、「清和源氏発祥の地」とされる兵庫県川西市の祭り。毎年4月の第2日曜日に多田神社の例大祭に合わせ、市および観光協会の主催で行われる。 源満仲、源頼光、源頼信、源義家から源頼朝、源義経、源義仲、源実朝など累代の源氏の武将が登場する華麗な馬上の武者行列(懐古行列)が有名。 『平家物語』に鹿ヶ谷の密告者として登場し、あまり評判の良くない多田源氏の多田行綱(源行綱)も、ここでは源満仲(多田満仲)をはじめ、摂津源氏の源頼光や、河内源氏の源義家、その子孫の源頼朝、源義経らと同格の「多田行綱」公、として馬上の鎧武者姿で立派に登場する。 人気があるのは公募で選ばれた美女が扮する巴御前などの女性陣。.

21 関係: 多田神社多田行綱多田源氏川西市巴御前平家物語例祭兵庫県鹿ケ谷の陰謀河内源氏清和源氏源実朝源義家源義仲源義経源頼信源頼光源頼朝源満仲摂津源氏時代行列

多田神社

橋越しに南門を望む 源満仲・源頼光廟 多田神社(ただじんじゃ)は兵庫県川西市にある神社。多田院として国の史跡に指定されている。元々は多田院という天台宗の寺院であった。六孫王神社(京都府京都市南区)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)とともに「源氏三神社」の1つ。.

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多田行綱

多田 行綱(ただ ゆきつな/源 行綱、みなもと の ゆきつな)は、平安時代末期の武将。摂津源氏の流れを汲む多田源氏の多田頼盛の長男。官位は従五位下・伯耆守。 摂津国多田の地に武士団を形成した源満仲(多田満仲)より数えて八代目に当たる多田源氏の嫡流。.

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多田源氏

多田源氏(ただげんじ)は、清和源氏において源満仲(多田満仲)に始まる摂津国多田の地を本拠とした系統を指した呼称。.

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川西市

JR川西池田駅前) 川西市中心部周辺の空中写真。1985年撮影の6枚を合成作成。国土航空写真。 川西市(かわにしし)は、兵庫県南東部の市。大阪府との県境に面する。阪神北県民局管轄区域。.

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巴御前

巴御前(ともえごぜん/ともゑごぜん、鞆絵御前とも、生没年不詳)は、平安時代末期の信濃国の女性。女武者として伝えられている。.

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平家物語

『平家物語』(へいけものがたり)は、鎌倉時代に成立したと思われる、平家の栄華と没落を描いた軍記物語である。 保元の乱・平治の乱勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事に描き出している。平易で流麗な名文として知られ、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しをはじめとして、広く知られている。.

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例祭

例祭(れいさい)とは、神社で毎年行われる祭祀のうち、最も重要とされるもののことである。 例祭は年一回、多くは祭神や神社に特別の由緒のある日に行われる。例えば人物神を祀る神社ではその人物の誕生日や命日に例祭を行うことが多い。特に由緒のある日のない場合は、春祭りや秋祭りをもって例祭としている。例祭が行われる日は毎年一定で、みだりに変えることはできないものとされる。第二次世界大戦以降も、神社本庁被包括の神社については、例祭日を変更する場合は神社本庁の承認を受ける必要がある。.

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兵庫県

兵庫県(ひょうごけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中西部に位置し、近畿地方に属する。県庁所在地は神戸市。.

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鹿ケ谷の陰謀

鹿ヶ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)は、平安時代の安元3年(1177年)6月に京都で起こった、平家打倒の陰謀事件。京都、東山鹿ヶ谷(現在の京都市左京区)の静賢法印(信西の子)の山荘で謀議が行われたとされ、このように呼ばれる。近年では、この陰謀が平清盛によってでっち上げられたものだとする説など解釈に諸説あり、「鹿ヶ谷事件」と著す学者もいる。.

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河内源氏

河内源氏(かわちげんじ)は、河内国(現在の大阪府の一部)に根拠地を置いた清和源氏の一流。一般的に武士で「源氏」という場合、この系統を指す。また、「平家」と称される伊勢平氏と併称される場合には源家(げんけ)という呼称も古くは用いられていた。.

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清和源氏

清和源氏(せいわげんじ)は、第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣。.

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源実朝

源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。 鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男頼朝の子としては第6子で四男、北条政子の子としては第4子で次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。 歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。.

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源義家

源 義家(みなもと の よしいえ)は、平安時代後期の武将。伊予守・源頼義の長男。八幡太郎(はちまんたろう)の通称でも知られる。後に鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる。 比叡山等の強訴の頻発に際し、その鎮圧や白河天皇の行幸の護衛に活躍するが、陸奥国守となった時、清原氏の内紛に介入して後三年の役を起こし、朝廷に事後承認を求める。その後約10年間は閉塞状態であったが、白河法皇の意向で院昇殿を許された。 その活動時期は摂関政治から院政に移り変わる頃であり、政治経済はもとより社会秩序においても大きな転換の時代にあたる。このため歴史学者からは、義家は新興武士勢力の象徴ともみなされ、後三年の役の朝廷の扱いも「白河院の陰謀」「摂関家の陰謀」など様々な憶測がされてきた。生前の極位は正四位下。.

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源義仲

源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉と荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。.

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源義経

源 義経(みなもと の よしつね、源義經)は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。仮名は九郎、実名は義經(義経)である。 河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名をと呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃した。 その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき判官とは義経が後白河法皇より任じられた左衛門尉・検非違使を兼ねた官職名。通常は「はんがん」だが、『義経』の伝説や歌舞伎などでは「ほうがん」と読む。)という言葉を始め、多くの伝説、物語を生んだ。.

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源頼信

源 頼信(みなもと の よりのぶ)は、平安時代中期の武将。摂津国多田現・兵庫県川西市多田。の地に源氏武士団を形成した源満仲の三男。河内国石川郡壺井現・大阪府羽曳野市壺井。を本拠地とする河内源氏の祖。.

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源頼光

源 頼光(みなもと の よりみつ)は、平安時代中期の武将。父は鎮守府将軍・源満仲、母は嵯峨源氏の近江守・源俊の娘。諱はしばしば「らいこう」と有職読みされる。 満仲の長子で清和源氏の3代目。満仲が初めて武士団を形成した摂津国多田の地を相続し、その子孫は「摂津源氏」と呼ばれる。異母弟に大和源氏の源頼親、後に武家源氏の主流となる河内源氏の源頼信がいる。.

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源頼朝

源 頼朝(みなもと の よりとも)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である。 河内源氏の源義朝の三男として生まれる。父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると、北条時政、北条義時などの坂東武士らと平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平氏を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定した。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。 これにより朝廷から半ば独立した政権が開かれ、後に鎌倉幕府とよばれた。 頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は、北条義時の嫡流(得宗家)が鎌倉幕府の支配者となった。.

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源満仲

JR川西池田駅前にある満仲のブロンズ像 源 満仲(みなもと の みつなか)は、平安時代中期の武将。清和源氏、六孫王経基の嫡男。多田源氏の祖で、多田 満仲(ただ の みつなか、ただ の まんじゅう)とも呼ばれる。諱は満中とも記される。神号は多田大権現。.

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摂津源氏

摂津源氏(せっつげんじ)とは、摂津国の多田に根拠地を置いた清和源氏の嫡流(多田源氏と呼ばれることもある)。.

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時代行列

時代行列(じだいぎょうれつ)とは、祭りの中で古墳時代から昭和初期までの時代考証に基づき、各時代の扮装を復元した上で行う行列であり、歴史まつり、武者行列、等の呼称で呼ばれることもある。 特に近代以降を発祥とする都市祭礼のなかで見られ、戦後に観光業振興のため地域の歴史的資源が着目されて創始された例が多い。地域住民を主体とする伝統的祭礼と異なり行政主導である事が多く、宗教的側面が薄く伝統的制約が少ないため集客を目的としたさまざまな趣向が凝らされて華やかなイベントとなる傾向にある。.

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