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海上五十狭茅

索引 海上五十狭茅

海上五十狭茅(うながみのいさち)とは、生田神社社家の先祖。 上総国海上郡の海上氏(祖・天穂日命)との関係も考えられるが、不明。神功皇后から、稚日女尊を祀る事を命ぜられ、初代の生田神社祭主となったという。 麛坂皇子、忍熊皇子側について神功皇后、応神天皇と戦った将軍である五十狭茅宿禰(いさちのすくね、吉師の祖:阿倍氏と共に吉志舞を舞った配下の難波吉師と同じ氏かは不詳)の子であるともいう。なぜ戦った相手の子に奉祀させたかは不明。本当であるとすると、壬申の乱の後の石上麻呂の様に、敗者側関係者が栄達を遂げたこととなる。あるいは子だけが、神功皇后、応神天皇側についたのかも知れない。 名前の五十(い、いと、いそ 等)の部分は皇室関係の古い名に散見されるが、意味は不詳。 海上五十狭茅の子孫は、海上氏から、やがて村田家などの名字を称するようになる。 生田神社を離れた後の村田家は、生田裔神八社の内、天穂日命を祀る五宮神社の近辺に代々住んだ。 Category:日本神話の人物 Category:神道に関連する人物 Category:播磨国の人物 Category:上総国の人物.

17 関係: かご坂皇子吉士吉志舞壬申の乱上総国五宮神社忍熊皇子応神天皇アメノホヒ石上麻呂社家神功皇后稚日女尊生田神社生田裔神八社阿倍氏海上郡 (上総国)

かご坂皇子

関係略系図(表記・記載は『日本書紀』による) 麛坂皇子(かごさかのみこ/かごさかのおうじ、生年不詳 - 神功皇后元年2月)は、記紀に伝わる古代日本の皇族。 『日本書紀』では「麛坂皇子」や「麛坂王」、『古事記』では「香坂王」と表記される。 第14代仲哀天皇皇子で、応神天皇との間での対立伝承で知られる。.

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吉士

吉士とは日本古代のヤマト政権のもとで行われた姓(かばね)の一つ。「吉志」・「吉師」・「企師」とも表記される。.

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吉志舞

吉志舞(きしまい)とは大嘗祭などで、安倍氏の当主等が監督して、闕腋袍(けってきのほう)等、主に武官の服装で、踊られた舞楽。 吉師舞、吉士舞等とも表記される。舞い方自体は伝承されていない。楯節舞(たてふしまい:楯伏舞、楯臥舞等とも表記)と同じものと考えられる。 伝説では、神功皇后が新羅征伐後、凱旋し、安倍氏の祖先によって、大嘗祭で踊られたものであるという。 また、住吉大社には、神功皇后帰還の時、出迎えた、現在堺市にある七道浜の住人が、傘を被って踊ったものが起源であり、住吉踊りはこの伝統を継承している、との伝承がある。 吉師とは大和朝廷にて外交や水軍などに関係した氏族を指し、渡来系のものが多かったという。安倍氏は吉師と関係があった。.

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壬申の乱

壬申の乱(じんしんのらん)は、天武天皇元年6月24日 - 7月23日、(ユリウス暦672年7月24日 - 8月21日)に起こった古代日本最大の内乱である。 天智天皇の太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。反乱者である大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱であった。 名称の由来は、天武天皇元年が干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたることによる。.

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上総国

上総国(かずさのくに、正仮名遣:かづさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。 常陸国・上野国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上総介であった。.

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五宮神社

五宮神社(ごのみやじんじゃ)は兵庫県神戸市兵庫区五宮町に鎮座する神社。生田裔神八社の一社。.

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忍熊皇子

関係略系図(表記・記載は『日本書紀』による) 忍熊皇子(おしくまのみこ/おしくまのおうじ、生年不詳 - 神功皇后元年3月)は、記紀に伝わる古代日本の皇族。 『日本書紀』では「忍熊皇子」や「忍熊王」、『古事記』では「忍熊王」、他文献では「忍熊別皇子」とも表記される。 第14代仲哀天皇皇子で、応神天皇との間での対立伝承で知られる。.

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応神天皇

応神天皇(おうじんてんのう、仲哀天皇9年12月14日 - 応神天皇41年2月15日)は、第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日)。諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)。誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと)、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とも称される。麛坂皇子と忍熊皇子は異母兄にあたる。.

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アメノホヒ

アメノホヒは、日本神話に登場する男神。天之菩卑能命、天穂日命、天菩比神などと書かれる。 天照大神とスサノオが誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実(ものざね:物事のタネとなるもの)の持ち主である天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。 任務を遂行しなかったというのは『古事記』や『日本書紀』による記述だが、『出雲国造神賀詞』では異なる記述になっている。これによれば、アメノホヒは地上の悪神を鎮めるために地上に遣わされ、地上の様子を天照大神にきちんと報告し、子のアメノヒナドリおよび剣の神フツヌシとともに地上を平定した、としている。すなわち、こちらでは地上を平定した偉大な神とされているが、『出雲国造神賀詞』はアメノホヒの子孫である出雲国造が書いたものであるので、そこは割り引かなければならないかもしれない。 名前の「ホヒ」を「穂霊」の意味として稲穂の神とする説と、「火日」の意味として太陽神とする説がある。 農業神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神などとして信仰されており、能義神社(島根県安来市。出雲四大神である野城大神と呼ばれる)などの旧出雲国内だけでなく、天穂日命神社(鳥取県鳥取市福井)、鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮)、桐生天満宮(群馬県桐生市)、芦屋神社(兵庫県芦屋市)、馬見岡綿向神社(滋賀県蒲生郡日野町)など全国で祀られている。六甲山山頂、六甲山カンツリーハウス敷地内にアメノホヒ=天穂日命の磐座がある。.

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石上麻呂

石上 麻呂(いそのかみ の まろ、舒明天皇12年(640年) - 霊亀3年3月3日(717年4月22日))は、日本の飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。麻呂は麿とも書く。氏姓は物部連、のち物部朝臣、石上朝臣。大華上・物部宇麻乃の子。官位は正二位・左大臣、贈従一位。 壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)の側につき、皇子の自殺まで従った。のちに赦されて遣新羅大使となり、その後法官の仕事につき、筑紫総領になった。701年に大納言となって以後、政治の中枢に携わり、右大臣、左大臣に任じられた。717年で死去するまでの数年は太政官の最高位者であった。 なお、『竹取物語』においてかぐや姫に求婚する5人の貴族の一人である「石上まろたり」のモデルであるとされる。.

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社家

家(しゃけ)とは、日本の身分のひとつ。代々特定神社の神職や社僧の職を世襲してきた家(氏族)のことである。明治維新後、現代まで世襲している神職家のことをいう。.

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神功皇后

功皇后(じんぐうこうごう、成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。父は開化天皇玄孫・息長宿禰王で、母は天日矛(あめのひぼこ)裔・葛城高顙媛。応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。弟に息長日子王、妹に虚空津比売、豊姫あり。 三韓征伐を指揮した逸話で知られる。.

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稚日女尊

日女尊(わかひるめのみこと)は、日本神話に登場する神である。生田神社(神戸市中央区)や玉津島神社(和歌山県和歌山市)の祭神として知られる。.

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生田神社

生田神社(いくたじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目にある神社である。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣中社。同じ兵庫県内の廣田神社・長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する。 かつて、現在の神戸市中央区の一帯が社領であり、これが「神戸」という地名の語源となる。地元では「生田さん」として親しまれている。.

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生田裔神八社

生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、兵庫県神戸市の生田神社を囲むように点在している裔神八社のことである。.

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阿倍氏

阿倍氏(あべうじ、のち安倍氏)は、「阿倍(安倍)」を氏の名とする氏族。 孝元天皇の皇子大彦命を祖先とする皇別氏族である。飛鳥時代から奈良時代に大臣級の高官を輩出する。平安時代以後は「安倍」と称して、安倍晴明以後は陰陽師の家系として知られるようになった。.

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海上郡 (上総国)

海上郡(うなかみぐん)は上総国にかつて存在した郡である。 現在の市原市のうちの養老川左岸を領域としていた。 郡(評)の成立以前は上海上国造(かみつうなかみのくにのみやつこ)の領域であった。 中世には海北(かいほう)郡と佐是(さぜ)郡とに分割されていた。 近世(江戸時代)初期に市原郡の一部となった。 下総国にも海上郡(戦後の公式の読み方は「かいじょう」郡)があった。.

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