ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

浅野長貞

索引 浅野長貞

浅野 長貞(あさの ながさだ、延享4年(1747年) - 文化5年7月13日(1808年9月3日))は、江戸時代後期の旗本。浅野長広の孫。通称は源三郎、大学。 旗本浅野長純の次男として誕生。母は不詳。子のない兄長延の養子に入った。明和5年(1768年)8月3日に養父の隠居により500石の家督を相続。12月5日にはじめて将軍徳川家治にお目見えし、安永4年(1775年)2月24日、小姓組番士となった。天明6年(1786年)10月11日には安房国平郡の領地を上総国長柄郡に移された。文化5年(1808年)5月26日に死去。高輪の泉岳寺に葬られた。法名は良俊院殿仁嶺道儀居士。妻は諏訪七左衛門頼容の娘。その間の子長邦が家督を継いだ。 なかさた category:江戸幕府旗本 Category:1747年生 category:1808年没.

24 関係: 天明安永 (元号)安房国上総国平郡延享徳川家治長柄郡江戸時代泉岳寺明和浅野長広浅野長延浅野長純浅野長邦文化 (元号)旗本1747年1768年1775年1786年1808年7月13日 (旧暦)9月3日

天明

天明(てんめい)は日本の元号の一つ。安永の後、寛政の前。1781年から1789年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治、徳川家斉。.

新しい!!: 浅野長貞と天明 · 続きを見る »

安永 (元号)

安永(あんえい)は日本の元号の一つ。明和の後、天明の前。1772年から1781年までの期間を指す。この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

新しい!!: 浅野長貞と安永 (元号) · 続きを見る »

安房国

安房国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

新しい!!: 浅野長貞と安房国 · 続きを見る »

上総国

上総国(かずさのくに、正仮名遣:かづさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。 常陸国・上野国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上総介であった。.

新しい!!: 浅野長貞と上総国 · 続きを見る »

平郡

*.

新しい!!: 浅野長貞と平郡 · 続きを見る »

延享

延享(えんきょう)は日本の元号の一つ。寛保の後、寛延の前。1744年から1748年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇、桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗、徳川家重。.

新しい!!: 浅野長貞と延享 · 続きを見る »

徳川家治

徳川 家治(とくがわ いえはる)は江戸幕府の第10代将軍である(在職:宝暦10年(1760年) - 天明6年(1786年))。父は第9代将軍・徳川家重。母は側室・お幸の方(梅渓通条の娘)。.

新しい!!: 浅野長貞と徳川家治 · 続きを見る »

長柄郡

*.

新しい!!: 浅野長貞と長柄郡 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 浅野長貞と江戸時代 · 続きを見る »

泉岳寺

泉岳寺(せんがくじ)は、東京都港区高輪二丁目にある曹洞宗の寺院。青松寺・総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺の1つに数えられる。 現在の住職は駒澤大学名誉教授の小坂機融。.

新しい!!: 浅野長貞と泉岳寺 · 続きを見る »

明和

明和(めいわ)は日本の元号の一つ。宝暦の後、安永の前。1764年から1772年までの期間、施行された。この時代の天皇は後桜町天皇、後桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

新しい!!: 浅野長貞と明和 · 続きを見る »

浅野長広

浅野 長広(あさの ながひろ、旧字体:淺野 長廣)は、江戸時代前期から中期の旗本。幼名は戌千代(いぬちよ)。通称は大学。一般に浅野 大学(あさの だいがく)として知られる。赤穂事件で改易・切腹となった赤穂藩主・浅野長矩の弟、のち養子。.

新しい!!: 浅野長貞と浅野長広 · 続きを見る »

浅野長延

浅野 長延 (あさの ながのぶ、元文元年(1736年) - 寛政4年1月5日(1792年1月28日))は、江戸時代中期の旗本。浅野長広の孫。通称は政之丞、大学、長兵衛。 旗本浅野長純の長男として誕生。母は村上源左衛門正方の娘。宝暦4年(1754年)に父の死去により500石の家督を相続して幕府に出仕。11月25日にはじめて将軍徳川家重にお目見えし、宝暦5年(1755年)3月29日、小姓組番士となった。宝暦10年(1760年)1月26日より進物役となったが、明和3年(1766年)11月28日に辞職。明和4年(1767年)5月7日には番士も辞した。明和5年(1768年)8月3日に隠居し、弟の長貞に家督を譲った。寛政4年(1792年)1月5日に死去。享年57。赤穂浅野家の菩提寺である高輪泉岳寺に葬られた。法名は恕休。 なかのふ category:江戸幕府旗本 Category:1736年生 category:1792年没.

新しい!!: 浅野長貞と浅野長延 · 続きを見る »

浅野長純

浅野 長純 (あさの ながずみ、宝永4年(1707年) - 宝暦4年7月13日(1754年8月30日))は、江戸時代中期の旗本。浅野長広の子。通称は政次郎、大学、長兵衛。 赤穂藩主・浅野長矩の弟・浅野長広の長男として生まれる。母は伊勢国菰野藩主土方雄豊の養女(雄豊の早世した嫡子土方豊高の娘)。 父は浅野長矩の刃傷事件に連座して広島藩浅野家にお預かりになっていたが、宝永7年(1710年)9月16日幕府に500石の旗本として出仕することが許された。享保8年(1723年)2月9日はじめて将軍徳川吉宗に謁見。享保9年(1724年)7月19日に父の隠居で家督500石を相続。延享2年(1745年)9月13日に小姓組番士に列したが、後に小普請役に落とされた。 宝暦4年(1754年)7月13日に死去。享年48。赤穂浅野家の菩提寺である江戸高輪泉岳寺に葬られた。法名は伊園。妻は村上正方の娘。後妻は牧野忠列の娘。家督は子の長延が継いだ。 なかすみ category:江戸幕府旗本 Category:1707年生 category:1754年没.

新しい!!: 浅野長貞と浅野長純 · 続きを見る »

浅野長邦

浅野 長邦(あさの ながくに、安永5年(1776年) - 嘉永5年3月1日(1852年4月19日))は、江戸時代後期の旗本。通称は久次郎。 旗本浅野長貞の長男として誕生。母は諏訪七左衛門頼容の娘。寛政6年(1794年)11月14日、切米300俵で書院番士として出仕。父の死にともない、文化5年(1808年)8月4日に500石の家督を相続した。このときに300俵は幕府に返上。天保2年(1831年)3月28日に隠居して嫡男の長年に家督を譲った。嘉永5年(1852年)閏3月1日死去。高輪の泉岳寺に葬られた。法名は淨邦院殿閑窓蓮夢大居士。妻は小林仙太郎正方の娘。 なかくに category:江戸幕府旗本 Category:1776年生 category:1852年没.

新しい!!: 浅野長貞と浅野長邦 · 続きを見る »

文化 (元号)

文化(ぶんか)は日本の元号の一つ。享和の後、文政の前。1804年から1818年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇、仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。 町人文化が顕著に発展した時期であり、後続する文'''政'''期とあわせ、化政文化という。.

新しい!!: 浅野長貞と文化 (元号) · 続きを見る »

旗本

旗本(はたもと)は、中世から近世の日本における武士の身分の一つ。主として江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団のうち石高が1万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称。旗本格になると、世間的には「殿様」と呼ばれる身分となった。旗本が領有する領地、およびその支配機構(旗本領)は知行所と呼ばれた。 元は中世(戦国時代)に戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、主家からすると最も信頼できる「近衛兵」の扱いであった。.

新しい!!: 浅野長貞と旗本 · 続きを見る »

1747年

記載なし。

新しい!!: 浅野長貞と1747年 · 続きを見る »

1768年

記載なし。

新しい!!: 浅野長貞と1768年 · 続きを見る »

1775年

記載なし。

新しい!!: 浅野長貞と1775年 · 続きを見る »

1786年

記載なし。

新しい!!: 浅野長貞と1786年 · 続きを見る »

1808年

記載なし。

新しい!!: 浅野長貞と1808年 · 続きを見る »

7月13日 (旧暦)

旧暦7月13日は旧暦7月の13日目である。六曜は先勝である。.

新しい!!: 浅野長貞と7月13日 (旧暦) · 続きを見る »

9月3日

9月3日(くがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から246日目(閏年では247日目)にあたり、年末まであと119日ある。.

新しい!!: 浅野長貞と9月3日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »