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泰山

索引 泰山

泰山(たいざん)は、中華人民共和国山東省泰安市にある山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山(=五岳)のひとつ。華北平原の丘陵を見下す雄健かつ壮観な絶頂は五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも景仰される春秋時代以来の伝統がある。一例として泰山地震は天下の大事であった。ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されている。また「泰山国家地質公園」としてジオパークにも指定されており、ユネスコの世界ジオパークネットワークにより認定されている。.

85 関係: 南燕太山府君太平広記夷堅志姚ダイ姚興孔子孔子廟孔廟宋 (王朝)封禅山東省岱廟中華人民共和国世界遺産平方キロメートル五岳五胡十六国時代仏図澄仏教弥勒菩薩後秦後燕後漢北宋北魏北斉ヴェネツィアとその潟エドゥアール・シャヴァンヌエスカレータージオパーク儒学者冥祥記前秦国際連合教育科学文化機関四庫全書皇始 (前秦)碧霞元君窪徳忠竺僧朗紫禁城県 (中華人民共和国)経典畢ゲン莫高窟聖地道観道武帝道教...荘子菊地章太華厳経顧炎武風俗通義観音菩薩高僧伝魏書魏晋南北朝時代軍人勅諭霊巌寺 (泰山)舟山市舟山群島阮元関帝廟蒿里山釈老志苻堅捜神記李斯東魏桑原隲蔵水経注泰安市澤田瑞穂浙江省日知録慕容垂慕容徳曹洞宗普照寺普陀山351年 インデックスを展開 (35 もっと) »

南燕

南燕(なんえん、398年 - 410年)は、五胡十六国時代に鮮卑慕容部の慕容徳によって建てられた国。国号は燕。.

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太山府君

太山府君(たいざんふくん)は、十二天の一人焔摩天に従う眷属の1人。中国の泰山の信仰と結びついて泰山府君とも書かれ、道教では東嶽大帝(仁聖大帝)(とうがくたいてい)とも呼ばれる。 胎蔵界曼荼羅に焔摩天の眷属の1人として描かれ、その形象は1面2臂で左手に人の顔のついた杖を持ち、右手で書物を書く姿に描かれる。 十王信仰に取り入れられ、十王のうちの太山王(泰山王)となった。また、陰陽道の主祭神でもある。 陰陽道などを題材とした物語では、安倍晴明が使ったとされる陰陽道の最高奥義「泰山府君の祭」は死者を蘇らせる秘術であるとされることが多いが、文献では風前の灯であった高僧の命を救ったとされるのみであり、死者を蘇らせた記述はない。天皇などに対する健康長寿を祈祷する祭祀である。.

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太平広記

『太平広記』(たいへいこうき)は、北宋時代に成立した類書のひとつ。『太平御覧』、『文苑英華』、『冊府元亀』とあわせて四大書と称せられる。太宗の勅命を奉じて李昉ら12名が太平興国2年(977年)から翌3年(978年)にかけて編纂したもので、全500巻、目録10巻。.

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夷堅志

『夷堅志』(いけんし)は、中国南宋の洪邁(1123年 - 1202年)が編纂した志怪小説集である。1198年(慶元4年)頃の成立、206巻。.

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姚ダイ

姚鼐 姚 鼐(よう だい、雍正9年(1731年) - 嘉慶20年(1815年))は、清朝の散文家、能書家。桐城出身(行政区画の変更により、現在は安徽省銅陵市樅陽県)で、字は姫伝、号は夢穀などがある。堂号は惜抱軒(せきほうけん)で、これにより惜抱先生と呼ばれた。古文学を標榜する桐城派の礎を築き、桐城派文人の巨頭といわれた。また、能書家としての評価も頗る高かく、柔軟な書風を能くした中西慶爾 p.940鈴木洋保 p.217飯島春敬 pp..823-824。.

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姚興

姚 興(よう こう)は、五胡十六国時代の後秦の第2代皇帝。羌の出身で、姚萇の子。諡号は文桓皇帝だが、在位のほとんどは皇帝ではなく天王を名乗った。 姚興は前秦の残党勢力を滅ぼし、一時的に西秦、南涼、北涼、西涼、後蜀を形式上は従えて華北の西部に巨大な勢力を築き上げた。姚興の没後の後秦は、赫連勃勃の独立や皇位をめぐる親族の争いにより実質的に滅んだ。姚興は熱心な仏教徒であり、仏教が中国において国の支援を受けたのは姚興の後秦が初めてである。401年、後涼で暮らしていた仏僧の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)を常安(長安)に迎え入れた。.

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孔子

孔夫子の像 孔子(こうし、くじ、、공자〈〉、蔵: ;、紀元前552年9月28日‐紀元前479年3月9日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音。 有力な諸侯国が領域国家の形成へと向かい、人口の流動化と実力主義が横行して旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子と弟子たちの語録は『論語』にまとめられた。 3000人の弟子がおり、特に「身の六芸に通じる者」として七十子がいた。そのうち特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれ、その才能ごとに四科に分けられている。すなわち、徳行に顔回・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語に宰我・子貢、政事に冉有・子路、文学(学問のこと)に子游・子夏である。その他、孝の実践で知られ、『孝経』の作者とされる曾参(曾子)がおり、その弟子には孔子の孫で『中庸』の作者とされる子思がいる。 孔子の死後、儒家は八派に分かれた。その中で孟軻(孟子)は性善説を唱え、孔子が最高の徳目とした仁に加え、実践が可能とされる徳目義の思想を主張し、荀況(荀子)は性悪説を唱えて礼治主義を主張した。『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』といった周の書物を六経として儒家の経典とし、その儒家的な解釈学の立場から『礼記』や『易伝』『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』といった注釈書や論文集である伝が整理された(完成は漢代)。 孔子の死後、孟子・荀子といった後継者を出したが、戦国から漢初期にかけてはあまり勢力が振るわなかった。しかし前漢・後漢を通じた中で徐々に勢力を伸ばしていき、国教化された。以後、時代により高下はあるものの儒教は中国思想の根幹たる存在となった。 20世紀、1910年代の新文化運動では、民主主義と科学を普及させる観点から、孔子及び儒教への批判が雑誌『新青年』などで展開され、1949年に成立した中華人民共和国では、1960年代後半から1970年代前半の文化大革命において、毛沢東とその部下達は批林批孔運動という孔子と林彪を結びつけて批判する運動を展開。孔子は封建主義を広めた中国史の悪人とされ、林彪はその教えを現代に復古させようと言う現代の悪人であるとされた。近年、中国では、中国共産党が新儒教主義また儒教社会主義を提唱し(儒教参照)、また、「孔子」がブランド名として活用されている(孔子鳥、孔子学院を参照)。.

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孔子廟

孔子廟(こうしびょう)は、中国、春秋時代の思想家、儒教の創始者である孔子を祀っている霊廟(霊を祀る建物)。.

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孔廟

孔廟(こうびょう)は、中華人民共和国山東省曲阜市中心部に位置する、孔子を祭祀する廟所。中国最大の孔子廟でもある。中国歴代の皇帝達によって増築・補修された結果、宮殿のような壮大な建築群となり、紫禁城、岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築の一つと呼ばれている。1994年以降、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に孔府、孔林とともに三孔として登録された。.

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宋 (王朝)

宋(そう、拼音 Sòng、960年 - 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。国号の宋は趙匡胤が宋州(河南省商丘県)の帰徳軍節度使であったことによる。通常は、金に華北を奪われ南遷した1127年以前を北宋、以後を南宋と呼び分けている。北宋、南宋もともに、宋、宋朝である。首都は開封、南遷後の実質上の首都は臨安であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分し易い歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区別し難い分野を本記事で解説する。.

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封禅

封禅(ほうぜん)とは、帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式である。 始皇帝以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと『史記』には伝えられている。その歴史は三皇五帝によって執り行われたのを最初としているが、伝説の時代であるため詳細は不明である。始皇帝以後では、前漢の武帝や北宋の真宗など十数人が、この儀式を行ったと伝えられている。.

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山東省

山東省(さんとうしょう、中国語:山东省、拼音:Shāndōng Shěng、英語:Shandong)は、中華人民共和国の省の一つ。略称は周代の国名より魯。山東とは太行山脈の東方の意。北には渤海、東には黄海があり、黄河の下流に位置する。人口9579.3万人、面積157,126平方キロメートル。省都は、済南。他に青島、泰安などの主要都市がある。.

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岱廟

岱廟 岱廟(たいびょう、簡体字中国語:岱庙)は、山東省の泰安市にある、泰山を祭る廟である。 泰山の別名を岱山と言ったので、この名がある。 歴代の皇帝が、泰山を訪問した折に立ち寄る、行宮としても使われた。 岱廟の内部には、北宋時代の壁画が残されている。 岱廟の壮大な有様は中国三大建築(他に、孔廟、紫禁城)の一つに数えられる。岱廟は現在は泰安博物館となっており、封禅の時に記念して彫られた多くの碑文が此処にある。有名なところでは、秦の始皇帝が行幸の折に泰山に残した李斯の碑文とされる始皇七刻石の一つ、泰山刻石の模刻が見られる。 Category:霊廟 Category:中国の道観 Category:山東省の建築物 Category:山東省の歴史 Category:泰安市 Category:中華人民共和国全国重点文物保護単位.

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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世界遺産

世界遺産(せかいいさん、World Heritage Site)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リスト(世界遺産一覧表)に登録された、文化財、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産が対象となっている。なお、慣例的な用法として、その中の文化遺産を世界文化遺産、自然遺産を世界自然遺産と呼ぶことがある。 なお、世界遺産の制度では正式な文書は英語とフランス語で示され、日本語文献では英語が併記されることがしばしばある一方、フランス語が併記されることは普通ないため、以下では参照しやすさを考慮して、などに依拠して、主たる用語には英語を併記しておく。.

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平方キロメートル

平方キロメートル(へいほうキロメートル、記号km)は、国際単位系の面積の単位(SI組立単位)で、一辺の長さが1キロメートルである正方形の面積。平方キロと略称することもある。.

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五岳

五岳(ごがく)は、5つの山の総称。.

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五胡十六国時代

五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)は、中国の時代区分のひとつ。304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一までを指す。五胡十六国(ごこじゅうろっこく)は、当時、中国華北に分立興亡した民族・国家の総称である。十六国とは北魏末期の史官・崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づくものであり、実際の国の数は16を超える。 後漢末期から北方遊牧民族の北方辺境への移住が進んでいたが、西晋の八王の乱において諸侯がその軍事力を利用したため力をつけ、永嘉の乱でそれを爆発させた。.

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仏図澄

仏図澄(ぶっとちょう、skt:buddhacinga、232年 - 349年1月13日(永和4年12月8日))は中国の神異僧の第一に挙げられる、五胡十六国時代の西域からの渡来僧。姓は帛、亀茲国の出身であるという。烏萇で出家したのち、罽賓で仏学の研鑚に励んだ。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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弥勒菩薩

弥勒菩薩(みろくぼさつ)、maitreya(マイトレーヤ)、metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、スッタニパータ第五章や、『中阿含経』中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人であり、弥勒は仏陀となるという記別を受け、また阿逸多は仏陀ではなく転輪聖王となるという記別を受けている。 弥勒は音写であり、「慈しみ」(maitrī, mettā)を語源とするため、慈氏菩薩(“慈しみ”という名の菩薩)とも意訳する。 三昧耶形は蓮華上の塔、賢瓶(水瓶)。種子(種子字)はयु(yu)。.

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後秦

後秦(こうしん、384年 - 417年)は、中国の五胡十六国時代に羌族の族長姚萇によって建てられた国。姚秦(ようしん)とも呼ばれる。.

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後燕

後燕(こうえん、拼音:Hòu-yàn)は、中国の五胡十六国時代に存在した国(384年 - 407年)。華北を統一した前秦が383年の淝水の戦いで東晋に大敗した後、前燕の将軍だった慕容垂によって建国された。中山(河北省定県)に都し、華北東部と遼西を領有した。.

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後漢

後漢(ごかん、東漢、、25年 - 220年)は、中国の王朝。漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許昌へと遷都)。五代の後漢(こうかん)と区別するため、中国では東漢と言う(この場合、長安に都した前漢を西漢という)。.

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北宋

北宋(ほくそう、拼音:Bĕisòng、960年 - 1127年)は、中国の王朝。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建てた。国号は宋であるが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けている。北宋期の首都は開封であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも社会・経済・文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分しやすい歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区分しにくい分野を宋で解説することにする。.

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北魏

北魏(ほくぎ、、386年 - 534年)は、中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。前秦崩壊後に独立し、華北を統一して五胡十六国時代を終焉させた。 国号は魏だが、戦国時代の魏や三国時代の魏などと区別するため、通常はこの拓跋氏の魏を北魏と呼んでいる。また三国時代の魏は曹氏が建てたことからこれを曹魏と呼ぶのに対して、拓跋氏の魏はその漢風姓である元氏からとって元魏(げんぎ)と呼ぶこともある(広義には東魏と西魏もこれに含まれる)。さらに国号の由来から、曹魏のことを前魏、元魏のことを後魏(こうぎ)と呼ぶこともある。.

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北斉

北斉(ほくせい、550年 - 577年)は、中国の南北朝時代に高氏によって建てられた国。国号は単に斉であるが、春秋戦国時代の斉や南朝の斉などと区別するために北斉・高斉と呼ぶ。.

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ヴェネツィアとその潟

ヴェネツィアとその潟(ヴェネツィアとそのかた)は、イタリアのヴェネツィアの世界遺産登録物件名。.

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エドゥアール・シャヴァンヌ

ドゥアール・シャヴァンヌ(Édouard Chavannes、1865年10月5日 - 1918年1月20日)は、フランスの歴史学者・東洋学者。リヨン生まれ。姓はシャバンヌとも表記される。中国の名前は沙畹、字は滋蘭、号は獅城博士。 フランスにおける中国学・東洋学・東洋史学の草分け的存在とされる。 1893年よりコレージュ・ド・フランスの教授となる。 1885年から1905年にかけて『史記』の翻訳注釈を行った(“Les Mémoires historiques de Se-ma Ts'ien ”)。日本では解説論文が岩村忍訳『司馬遷と史記』で出版(新潮選書、現在は絶版)。 1913年には、1907年にオーレル・スタインによって発見された木簡の「敦煌漢簡」700片余の解読を完了し、“Les documents chinois: découverts par Aurel Stein dans les sables du Turkestan oriental ”としてオックスフォード大学出版部より出版した。 1910年にフランスのアジア協会副会長、1916年にイギリスのアジア協会の名誉会員となった。 主な論文に“le t'ai chan: essai de monographie d'un culte chinois”があり、日本では菊地章太訳『泰山:中国人の信仰』(勉誠出版・アシアーナ叢書 001)で出版された。他に『古代中国の社:土地神信仰成立史』(菊地章太訳注、平凡社東洋文庫)がある。 編纂としては“Documents sur les Tou-kiue (Turcs) occidentaux”があり、『西突厥史料』として馮承鈞によって訳され(1934年)、2004年の中華書局版など、中国本土と台湾で数種の版が出版されている。.

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エスカレーター

古いエスカレーター(ステップ上面や手すり部分が木製、ニューヨークのメイシーズデパートにて) 現代のエスカレーター(台北捷運忠孝復興駅構内) エスカレーター(Escalator)は、主として人が建物の各階を移動する目的で設置・利用される階段状の昇降装置。自動階段のこと。.

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ジオパーク

パーク()とは、地球科学的な価値を持つ遺産(大地の遺産、ジオヘリテイジ、)を保全し、教育やツーリズムに活用しながら、持続可能な開発を進める地域認定プログラムである。ジオパークは、地球・大地を意味するジオ(Geo)と公園を意味するパーク(Park)とを組み合わせた言葉である。「ジオ」の意味を地質に限定した「地質公園」という表現を用いる国や地域もあるが、これは誤訳である。日本ではそのままジオパークの語を用いるとともに、意味を説明する際には「大地の公園」と表現している。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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儒学者

儒学者(じゅがくしゃ)とは、儒教を自らの行為規範にしようと儒教を学んだり、研究・教授する人のことである。一般的には儒者(じゅしゃ、ずさ)と称され、特に儒学を学ぶものは儒生(じゅせい)と呼ばれる。.

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冥祥記

冥祥記(めいしょうき)は、中国・南朝の宋・斉代の人である王琰が撰した志怪小説集である。 撰者の王琰は、当時の名家である太原の王氏の出身であり、南斉の太子舎人、梁の呉興県令となったことが知られている。本書の成立は、自序中に見える479年(建元元年)より、本書に触れる『観世音応験記』が成立した501年(中興元年)の間に比定されている。 『隋書』「経籍志」は、本書を子部・小説家類とはせず、史部・雑伝類に著録している。このことは、単に本書のみにとどまらず、志怪小説が創作の産物ではなく、事実を記録したものとして認識されていたことを示している。.

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前秦

前秦(ぜんしん、、 351年 - 394年)は、中国の五胡十六国時代に氐族によって建てられた国。国号は単に秦だが、この秦を滅ぼして起こった西秦と後秦があるために前秦と呼んで区別する。 一時は華北を平定し中華統一を目指したが、南下して東晋に大敗。敗戦後に華北で諸国の自立と離反が相次ぎ滅亡した。.

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国際連合教育科学文化機関

フランス、パリのユネスコ本部庁舎と平和の庭園(日本庭園) 日本ユネスコ国内委員会が入居する東京都の霞が関コモンゲート東館(右側) 国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization, UNESCO ユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関である。 1945年11月に44カ国の代表が集い、イギリス・ロンドンで開催された国連会議 "United Nations Conference for the establishment of an educational and cultural organization" (ECO/CONF)において11月16日に採択された 「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された。 分担金(2016年現在)の最大の拠出国はアメリカ合衆国(22%)、2位は日本(9%)である(米国は拠出金支払いを全額停止しているため、実質的に最大の拠出国は日本であるなおアメリカは2018年12月31日付でのユネスコ脱退を表明している。)。.

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四庫全書

四庫全書(荘子の書) 『四庫全書』(しこぜんしょ、、、満州語: 、転写:duin namun-i yooni bithe)は、中国・清朝の乾隆帝の勅命により編纂された、中国最大の漢籍叢書である。 全般著書は経・史・子・集4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている(部数・巻数の数え方には数種あり)。実際に編纂に参加して正式に名前が登録された文人学者だけで400人を超える。印刷物ではなく、すべて手書きであり、筆写人員は 4000人余りである。.

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皇始 (前秦)

皇始(こうし)は、五胡十六国時代、前秦の君主苻健の治世で使用された元号。351年 - 355年5月。.

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碧霞元君

碧霞元君(へきかげんくん)は、中国の女神であり、泰山信仰でもっとも人気がある女神である。 別名:天仙聖母碧霞玄君(てんせんせいぼへきかげんくん)、泰山老母(たいざんろうぼ)、泰山玉女(たいざんぎょくじょ)、天仙娘々(てんせんにゃんにゃん)、天仙玉女碧霞元君(てんせんぎょくじょへきかげんくん)など。 神格:人々の出世、結婚、豊作など全般にわたる。.

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窪徳忠

徳忠(くぼ のりただ、1913年〈大正2年〉9月25日 - 2010年〈平成22年〉10月2日)は、日本の宗教民俗学者、東京大学名誉教授。.

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竺僧朗

僧朗(じく そうろう、生没年不詳)は、中国で4世紀に活躍した僧である。.

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紫禁城

紫禁城(しきんじょう、、、満州語:、転写:dabkūri dorgi hoton)または故宮(こきゅう、、)は、中華人民共和国北京市に所在する明清朝の旧王宮である歴史的建造物。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。面積は 725,000m2 あり、世界最大の木造建築群である。別称の故宮とは「古い宮殿、昔の宮殿」という意味で、現在は博物館(故宮博物院)になっている。.

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県 (中華人民共和国)

中華人民共和国における県(けん )は1949年の建国時に中華民国の行政督察区の管轄下の県を引き継いで誕生した。当初は専区(行政督察専区)の管轄下で、2007年現在は地区あるいは地級行政区の管轄である。 2002年12月31日現在で、県級行政区は2860個あった。平均人口は63.13万人。工業化の発展と都市化にともない、中国大陸全土で県級市が急増したため、2007年12月31日現在、1470県と県が急減した。少数民族の自治県は117である。県級行政区は省の下、地級行政区に属するのが基本であるが、海南省全域など省に直属する場合もある。.

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経典

経典(きょうてん、きょうでん、sūtra, スートラ、sutta, スッタ、経)とは、仏教において釈迦が説いた教えを記録した聖典のこと。.

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畢ゲン

沅(ひつ げん、Bi Yuan、1730年 - 1797年)は、清の官僚、歴史家。字は纕蘅、号は秋帆、晩年は霊巌山人と号した。 江蘇省鎮洋(現在の太倉)出身。蘇州の霊巌山で沈徳潜について学ぶ。1753年、郷試に合格すると内閣中書に任ぜられ、軍機処に入った。1760年に進士となり、1765年に翰林院侍読学士となった。1770年に陝西按察使、翌年には陝西布政使となった。官は最終的に湖広総督にまで昇った。湖広総督在任中の1796年、枝江の白蓮教徒聶人杰が蜂起すると畢沅は枝江に向かいこれを鎮圧した。1797年に病死すると太子太保を贈られたが、1799年に白蓮教の鎮圧に力を注がずに軍費を濫用したとして、世職を奪われ、家財を没収された。 学識は幅広く、経学・史学・金石学・地理学に通じていた。著作には『続資治通鑑』220巻がある。これは宋・遼・金・元の正史を通史とするために、『資治通鑑続編』『宋元資治通鑑』『続資治通鑑長編』『資治通鑑後編』などの史料をもとに、20年かけて編纂したものである。 門人の洪亮吉によると畢沅は常日頃から賢才を重用したという。そのため著名な学者の章学誠、孫星衍、汪中、段玉裁らが幕下に集まった。 一方、男色家とも知られ、戯曲の演員・李桂官に恋慕し、著名な詩人の袁枚に恋慕の詩を依頼して、求愛の詩を詠った逸話がある。.

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莫高窟

莫高窟(ばっこうくつ)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の近郊にある仏教遺跡。この中から出た敦煌文書でも有名である。敦煌石窟(とんこうせっくつ)・敦煌千仏洞(とんこうせんぶつどう)とも。1961年に中華人民共和国の全国重点文物保護単位に、1987年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。.

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聖地

聖地(せいち、、)とは、特定の宗教・信仰にとっての本山・本拠地・拠点となる寺院・教会・神社のあるところ、またはその宗教の開祖・創始者にまつわる重要なところ、あるいは奇跡や霊的な出来事の舞台となったところをいう。 そこに参拝することは、信者にとって特別なことであり、それへの巡礼は信仰生活にとって特別な意味を持っている。 また英語で"the Holy Land"(大文字始まり)というと、神がイスラエル民族に与え、イエス・キリストが誕生したとされるイスラエル・パレスチナの地を指す。.

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道観

道観(どうかん、)とは、道教教団において、出家した道士が集住し、その教義を実践し、なおかつ祭醮を執行する施設である。道教寺院。道教宮観の略。宮観(きゅうかん、)とも呼ばれる。.

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道武帝

道武帝(どうぶてい)は、北朝北魏の初代皇帝。姓諱は拓跋珪(たくばつ けい)。別名は渉珪、什翼圭、翼圭、開。.

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道教

道教(どうきょう、)は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。中国の歴史記述において、他にも「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、それぞれ若干ニュアンスの違いがある横手(2008)、p.001-008、中国史の中の道教。.

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荘子

荘子(そうし、紀元前369年頃 - 紀元前286年頃)は、中国の戦国時代の宋国の蒙(現在の河南省商丘あるいは安徽省蒙城)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。荘周(姓=荘、名=周)。字は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。曾子と区別するため「そうじ」と濁って読むのが中国文学、中国哲学関係者の習慣となっている。.

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菊地章太

菊地章太(きくち のりたか、1959年4月2日『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.312 - )は、日本の宗教史学者、東洋大学教授。専門は比較宗教史。 神奈川県横浜市出身。1982年筑波大学美術史卒業、1984年同大学院修士課程修了、フランス・トゥールーズ神学大学高等研究院でカトリック神学を学ぶ。 桜花学園大学助教授、2005年東洋大学ライフデザイン学部教授。2009年「神呪経研究 六朝道教における救済思想の形成」で東洋大学文学博士。.

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華厳経

『華厳経』(けごんぎょう、Avataṃsaka Sūtra, アヴァタンサカ・スートラ)、正式名称『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう、Buddhāvataṃsaka-nāma-mahāvaipulya-sūtra, ブッダーヴァタンサカ・ナーマ・マハーヴァイプリヤ・スートラ)は、大乗仏教経典の1つ。 経名は「大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え」の意。「大方広仏」、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。 元来は『雑華経』(ぞうけきょう、Gaṇḍavyūha Sūtra, ガンダヴィユーハ・スートラ)、すなわち「様々な華で飾られた・荘厳された(ガンダヴィユーハ)教え」とも呼ばれていた。.

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顧炎武

顧 炎武(こ えんぶ、ピン音:Gù Yánwŭ、万暦41年5月28日(1613年7月15日) - 康熙21年1月9日(1682年2月15日))は中国明末、清の歴史で初めての儒学者。明の滅亡に際して反清運動に参加した。経学や歴史学の研究の傍ら経世致用の実学を説き、考証学正統派の始祖とされる。.

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風俗通義

『風俗通義』(ふうぞくつうぎ)は、後漢末の応劭の著作。『風俗通』とも呼ぶ。さまざまな制度、習俗、伝説、民間信仰などについて述べた書物。.

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観音菩薩

白衣観音図(狩野元信・画、ボストン美術館所蔵) 観音菩薩(かんのん ぼさつ、Avalokiteśvara)は、仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)ともいう。救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。.

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高僧伝

『高僧伝』(こうそうでん)とは、一般名詞として、高僧の伝記、あるいは列伝を指して言う場合もあるが、固有名詞としては、中国の梁の慧皎(497年 - 554年)の撰した中国伝来以来、梁代までの高僧の伝記を集めたものを指す。全14巻、519年(天監18年)成立。また「梁高僧伝(梁伝)」ともいう。.

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魏書

『魏書』(ぎしょ)は、中国北斉の魏収が編纂した北魏の正史である。『北魏書』、『後魏書』とも。二十四史の一。構成は、本紀14巻、列伝96巻、志20巻で、全130巻からなる紀伝体。本紀と列伝の部分は、554年(天保5年)に、志の部分は、559年(天保10年)に成立した。.

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魏晋南北朝時代

魏晋南北朝時代(ぎしんなんぼくちょうじだい)とは、中国史において、後漢末期の黄巾の乱からはじまり、隋が中国を再び統一するまで、同時代の中国本土に複数の王朝が割拠していた時期を表す(184年-589年)。なお、長江中下流域(江南)における六朝時代がほぼこの時期と対応している。.

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軍人勅諭

『軍人勅諭』(ぐんじんちょくゆ)は、1882年(明治15年)1月4日に明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭である。正式には『陸海軍軍人に賜はりたる敕諭』という。.

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霊巌寺 (泰山)

霊巌寺(れいがんじ)は、中国の山東省済南市長清区にある仏教寺院。中国各地の名山中でも屈指の名刹として知られ、玉泉寺・棲霞寺・国清寺とともに、天下の四絶の一つに数えられている。.

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舟山市

舟山市(しゅうざん-し)は中華人民共和国浙江省に位置する地級市。.

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舟山群島

舟山群島(しゅうざん-ぐんとう、 Zhōushān Islands)は中華人民共和国浙江省で東シナ海海上に浮かぶ群島。行政的には浙江省舟山市を形成する大小1,339個の島嶼。総水域は22,200平方キロメートル、うち陸地面積は1,371平方キロメートル。 2006年4月より中国飛龍専業航空がヘリコプターZ-9による群島間の航空便を開始し、中国国内初の短距離ヘリコプター営業路線となった。.

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阮元

阮元(げん げん、乾隆29年1月20日(1764年2月21日) - 道光29年10月13日(1849年11月17日))は、清の政治家、学者。政府高官であると同時に、多くの編纂事業を行った。.

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日本での図像化の一例。『狂歌百物語』より「大鵬」。 鵬、鳳(ほう/おおとり、Peng)は、中国に伝わる伝説の鳥。その体の大きさから、大鵬/大鳳(たいほう、Dapeng)とも呼ばれる。.

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関帝廟

関帝廟(かんていびょう)は、関帝(関羽・関聖帝君・関帝聖君)を祀る廟。孔子を祀る孔子廟(文廟)に対比させて、武廟(ぶびょう)とも呼ぶ場合もある。.

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蒿里山

蒿里山(こうりざん)は、山東省泰安市の泰山の麓の山。地獄を祀る祠が有ったとされる場所である(現在は廃墟)。漢語では「蒿里」だけで死者の国(=黄泉)と言った意味にもなる。また封禅の儀に際しては禅が行われた場所でもある。.

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釈老志

釈老志」(しゃくろうし)は、中国北魏の正史『魏書』に立てられた志の名称で、北魏までの仏教「釈」と道教「老」の歴史が記されている。この種の仏教道教関係の篇目が立てられるのは、儒教を正統としてきた「中国正史」においては、極めて異例のことである。 正史での同種の篇目には、『元史 釈老伝』が在るのみである。.

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苻堅

苻 堅(ふ けん)は、五胡十六国時代の前秦の第3代皇帝(大秦天王)川本『中国の歴史、中華の崩壊と拡大、魏晋南北朝』、P91。 氐族である苻堅は、宰相の王猛を重用して前燕や前涼等を滅ぼし、五胡十六国時代において唯一の例である華北統一に成功した上に東晋の益州を征服して前秦の最盛期を築いた。中国統一を目指して383年に大軍を南下させたが、諸因により淝水の戦いで東晋に大敗した。以後統治下の諸部族が反乱・自立すると前秦は衰退し、苻堅は385年に独立した羌族の部下姚萇に殺害された。.

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捜神記

『捜神記』(そうじんき )とは、4世紀に中国の東晋の干宝が著した志怪小説集。『隋書』「経籍志」などによると、もとは30巻あったというが、散逸し、現存する20巻本は、後の人が蒐集、再編して万暦年間に『干宝撰捜神記』と題して刊行したもの。 原書は、著者の干宝が、先立つ書より収録したものと、自身の見聞とを併せたものであるとされる。本書を著述するようになった機縁は、干宝の父の婢が埋葬ののち10数年後に蘇ったことに感じ入って、本書を著すようになったという。 現行20巻本は、神仙・方士・徴応・感応・再生・魑魅・妖怪・人間や動植物の怪異などに関係する470余の説話を、説話の型で巻ごとに分類して収録している。中には後世の作も混入しており、仏教的な説話も含まれている。 後の書にも『捜神記』からの引用とする説話が多くあり、『太平広記』では80数条が収録されている。.

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李斯

李 斯(り し、拼音:Lǐ Sī、? - 紀元前208年)は、中国秦代の宰相。字は通古。子はら。法家を思想的基盤に置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて、趙高によって処刑された。.

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東魏

東魏(とうぎ、534年 - 550年)は、中国の南北朝時代にあった北朝の国の一つ。北魏が分裂して成立した二つの魏のうち、函谷関の東側で中原を中心とした版図を持つ国の呼び名。函谷関の西側で関中を中心とした版図を持つ国の方は、西魏と呼んで区別する。 「北魏」「東魏」「西魏」は、いずれも後代の史家が便宜上そう呼びはじめたもので、本来の国号はみな魏である。また、東魏・西魏のそれぞれが魏(北魏)の正統を自認していた。.

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桑原隲蔵

桑原 隲蔵(くわばら じつぞう、明治3年12月7日(1871年1月27日) - 1931年(昭和6年)5月24日)は、日本の東洋史学者・京都帝国大学教授。.

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水経注

『水経注』(すいけいちゅう)は、中国北魏代の地理書である。40巻。撰者(注者)は酈道元(469年 - 527年)、延昌4年(515年)の成立と推定される。.

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泰安市

泰安市(たいあん-し)は中華人民共和国山東省西部に位置する地級市である。封禅の儀式が行われる山で五岳のひとつ・泰山が位置し、道教・仏教の中心としても多くの文化人や参拝客を集めてきた。人口の98.7%を漢族が占め、他に回族などが居住する。.

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澤田瑞穂

澤田 瑞穂(さわだ みずほ、1912年5月23日 - 2002年1月28日)は、中国文学者。 高知県幡多郡大方町(現・黒潮町)生まれ。1934年國學院大學高等師範部卒。1977年「宝巻の研究」で早大文学博士。跡見学園女子大学助教授、天理大学教授、早稲田大学文学部教授、1982年定年退任。中国の怪異研究の第一人者。娘婿は清末小説研究家の樽本照雄(大阪経済大学名誉教授)。中国滞在時に収集した中国民間信仰、風俗に関する書物らが「風陵文庫」として早稲田大学図書館に収蔵されている。 .

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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浙江省

浙江省(せっこうしょう、中国語:浙江省、拼音:Zhèjiāng Shěng、英語:Zhejiang)は、中華人民共和国の省の一つ。略称は浙。華東地区中部に位置し、東シナ海に面す。省都は杭州市。浙とは省内最大の河川・銭塘江を指す。銭塘江は蛇行が激しいことから曲江・之江・折江・浙江などと呼ばれてきた。.

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日知録

日知録(にっちろく)32巻は、中国の清朝の顧炎武(1613年 - 1682年)の著である。 その初刻本は、1670年(康熙9年)に江蘇省の淮安県で出版されており、8巻本であった。現行の32巻本が、弟子の潘耒らの手によって福州(福建省)で出版されたのは、1695年(康熙34年)のことであった。自序は、1676年(康熙15年)に記されている。 その体裁は随筆体によっているが、全体は、経義・政事・世風・芸文・史法・天象術数・地理などの諸篇に分かれる。その精緻な考証は、後の清朝の考証学の範となった。その特徴は、考証を目的とした考証に甘んじず、考証によって、現実の政治や社会に対する批判精神や、斬新な政治思想を展開している点に見られる。補遺編としての、日知録之余4巻も、同じく顧炎武の著作であり、併せ見るべきものである。清水茂による抄訳が『中国文明選7 顧炎武集』にある(朝日新聞社、1974年・1977年) 黄汝成による日知録集釈によって読まれるのが、一般的である。 Category:中国の歴史書 Category:17世紀の書籍.

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慕容垂

慕容 垂(ぼよう すい、)は、五胡十六国時代の後燕の創建者。 当初は前燕の皇族で、桓温を撃退するなど活躍したが、奸臣の慕容評等に命を狙われて前秦に亡命した。383年に前秦が淝水の戦いで大敗すると自立して前燕の復興として後燕を建国した。395年、太子の慕容宝が参合陂の戦いで大敗すると自ら反撃したが退軍中に病を患って死去した。.

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慕容徳

慕容 徳(ぼよう とく)は五胡十六国時代の南燕の初代皇帝。前燕の建国者慕容皝の子。.

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曹洞宗

曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つ。鎌倉仏教のひとつである。本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)。専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴とするが、仏陀つまり悟りを開いた人・目覚めた人の教えであるので、出家在家に拘らず、求道者各自が悟りを開くことを標榜する。 中国禅宗の祖である達磨(5C後半 - 6C前半)から数えて6代目の南宗禅の祖・曹渓宝林寺の慧能(638 - 713年)の弟子の1人である青原行思(? - 740年)から、石頭希遷(700 - 790年、石頭宗)、薬山惟儼(745 - 828年))、雲巌曇晟(782 - 841年 )と4代下った洞山良价(807 - 869年)によって創宗された。.

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普照寺

普照寺(ふしょうじ); 日本.

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普陀山

普陀山(ふださん、)は中華人民共和国浙江省・舟山群島にある島。中国四大仏教名山(仏教の聖地。五台山、九華山、峨眉山、普陀山)の一つで、観音菩薩が祀られている。年間360万人を超える観光客が訪れる。.

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351年

記載なし。

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