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水谷縫治

索引 水谷縫治

水谷 縫治(みずたに ぬいじ、弘化3年(1846年) - 明治17年(1884年)11月27日)は、囲碁の棋士。伊予国出身、方円社に所属、七段。ほうじとも読む。明治初期に本因坊秀甫に次ぐ実力を持ち、方円社四天王にも数えられたが、38歳で死去。.

29 関係: 大島 (愛媛県今治市)妙手巌崎健造平凡社今治城代用教員伊予国弘化ヨセ喜多文子因島囲碁囲碁の手合割福井正明瀬越憲作高橋杵三郎高木祥一棋士 (囲碁)模様 (囲碁)渋沢栄一本因坊秀策本因坊秀甫明治明治維新方円社打ち込み (囲碁)11月27日1846年1884年

大島 (愛媛県今治市)

大島(おおしま)は、愛媛県に属する面積41.89km(国土地理院による)の島。芸予諸島に属する。行政区分は越智郡吉海町と宮窪町の2町に分かれていたが、2005年1月16日に今治市などとの合併により同市の一部となった。旧町時代には伯方島、大三島とともに三島五町と総称されていた。 島の北東部の宮窪地域は、中世に瀬戸内海を舞台として縦横に活躍した村上水軍(能島村上水軍)が本拠をおき、水軍遺跡や言い伝えも多数ある。これにちなみ、宮窪港を会場に村上水軍にちなんだ水軍レースなどのイベントが毎年7月に開催され、多くの人でにぎわう。特産品には大島石等がある。.

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妙手

妙手(みょうしゅ)とは、囲碁や将棋において特に優れた着手のことを指す。多くの場合、通常予想しえないような、意外性の高い着手というニュアンスが含まれる。.

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巌崎健造

巌崎健造(いわさきけんぞう、天保12年(1841年) - 大正2年(1913年)10月2日は、囲碁の棋士。武蔵国出身、9世安井算知門下、八段。元の名は海老沢健造。方円社3代目社長として、碁界のもう一方の本因坊秀栄とともに明治後半の囲碁界を取り仕切り発展に努めた。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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今治城

今治城(いまばりじょう)は、伊予国越智郡今治(四国・愛媛県今治市通町三丁目)にあった日本の城。昭和28年(1953年)10月9日に愛媛県史跡に指定された。別称「吹揚城(吹上城)」。.

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代用教員

代用教員(だいようきょういん)とは、戦前の小学校等に存在していた、教員資格を持たない教員。.

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伊予国

伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.

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弘化

弘化(こうか)は日本の元号の一つ。天保の後、嘉永の前。1845年から1848年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇、孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家慶。.

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ヨセ

ヨセは囲碁用語の一つで、通常対局終盤に打たれる地の境界に関する着手のこと。かつては「侵分」とも呼んだが、現在では一般的ではない。布石、中盤を通じて明らかになってきた双方の地を確定していく段階である。 下図は、九路盤対局におけるヨセの例。 ヨセでは、一般に大きなところからお互いにヨセてゆき、次第に小さな場所に移って、最後は半コウを争って終局となるのが一般的な流れである。このため、どのヨセが何目の価値があるか、判定しながらうち進めることが大切である。ヨセ合いで互いに反発したりして、思わぬところから戦いが発生して、中盤に戻ることもある。また、特に石の根拠にかかわるような場合では、序盤から大きなヨセの手が打たれることもある。 ヨセの名手として安井知得、石田芳夫、李昌鎬、朴永訓などが知られている。.

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喜多文子

喜多文子(きた ふみこ、明治8年(1875年)11月16日) - 昭和25年(1950年)5月10日)は、囲碁の棋士。東京生まれ、方円社、日本棋院に所属、名誉八段。女流棋士として初の実力四段となり、また多くの女流棋士を育て、現代女流碁界の母と言われる。大正の碁界大合同、日本棋院設立にも大きな功績があった。.

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因島

周辺 2005年国土航空写真 因島(いんのしま)は、広島県尾道市に属する島である。.

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囲碁

囲碁(いご)とは、2人で行うボードゲームの一種。交互に盤上に石を置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを争う。単に碁(ご)とも呼ばれる。.

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囲碁の手合割

囲碁における手合割(てあいわり)とは、囲碁の対局における実力差に応じたハンディキャップのこと。またそれに基づく実力差、ないし段級位差を指すこともある。.

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福井正明

福井 正明(ふくい まさあき、1944年1月15日 - )は、日本の囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、岩本薫門下、九段。首相杯争奪戦優勝など。古碁の研究、発掘、紹介に尽力。福井進九段は実弟。2008年に通算600勝達成。.

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瀬越憲作

越 憲作(せごえ けんさく、1889年(明治22年)5月22日 - 1972年(昭和47年)7月27日)は、大正、昭和時代の囲碁棋士。広島県佐伯郡能美村(現広島県江田島市)出身。方円社、日本棋院などに所属、名誉九段。1946年から48年に日本棋院理事長を務めるなど、棋院運営や囲碁普及に大きく貢献した。.

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高橋杵三郎

橋杵三郎(たかはし きねさぶろう、1836年(天保7年) - 1902年(明治35年)12月19日)は、江戸時代、明治時代の囲碁棋士。江戸生まれ、本因坊秀和門下、のち方円社に所属、六段。方円社四天王と呼ばれた一人で、定石の通、活きた碁経とも称された。.

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高木祥一

木 祥一(たかぎ しょういち、1943年(昭和18年)11月7日 - )は、囲碁の棋士。横浜市出身、日本棋院所属、中川新之七段門下、九段。2005年から日本棋院常務理事。 第11期十段戦挑戦者、NHK杯テレビ囲碁トーナメント準優勝2回。棋道賞最多勝利賞・最高勝率賞・連勝賞・技能賞受賞。 1972年に二十三世本因坊栄寿に次いで歴代2位記録となる22連勝を達成(現在歴代6位タイ)。.

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棋士 (囲碁)

棋士(きし)は、碁打ちともいい、囲碁を打つ人の総称。 プロを指す事が多いが、アマチュアでも棋士と呼ぶ事もある。.

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模様 (囲碁)

模様(もよう)は囲碁用語の一つで、大きな地になりうる可能性のある勢力圏のことを指す。多くの場合、隅から辺、中央へ広がるものを呼ぶ。カタカナで「モヨウ」と表記されることもある。 例えば下図では、右辺一帯が黒の「模様」である。黒模様はaなどへの侵入、bなどへの消しの余地があって完全な地ではなくこの先の展開によっては目減りすることも有り得るが、一方でcなどに打てばさらにスケールを拡大し、より大きな利得に成り得る。 このような性質のため、確定地は価値が変動することがない「現金」、模様は状況によって価値が変動する「株式などの投資」にたとえられることがある。 多くの場合、模様を築くには相手に実利を譲る必要がある。棋士の棋風は、先に実利を取りに行くタイプと、相手に地を与えて模様を張るタイプに大別することができる。模様を張るためには、隅の着点を星や高目など位の高い位置に打つことが多い。模様を築くことを目的とした布石としては、三連星などが代表的である。 模様は確定地ではないため、相手から打ち込みを受けて荒らされる可能性を残している。この侵入してきた相手の石を攻めて利得を図るのも、模様を張る目的の一つである。また、ほぼ確定地に近いような固まった模様を「地模様」と呼ぶことがある。.

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渋沢栄一

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。理化学研究所の創設者でもある。 正二位勲一等子爵。雅号に青淵(せいえん)。.

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本因坊秀策

ムネイル 本因坊 秀策(ほんいんぼう しゅうさく、文政12年5月5日(1829年6月6日) - 文久2年8月10日(1862年9月3日))は江戸時代の囲碁棋士。備後国因島(現・広島県尾道市因島外浦町)出身で俗姓は桑原。幼名は虎次郎。法名は日量。父は桑原輪三。.

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本因坊秀甫

本因坊 秀甫(ほんいんぼう しゅうほ、天保9年(1838年) - 明治19年(1886年)10月14日)は江戸時代から明治にかけての囲碁棋士。本名は村瀬秀甫(むらせしゅうほ)。生国は江戸。本因坊丈策、秀和門下、八段準名人、十八世本因坊。法名は日寿。 奔放な棋風で知られる。江戸幕府の庇護がなくなった明治期に囲碁結社方円社を主宰して囲碁界を支え、さらに西欧にまで広める端緒をつくった。著書に『方円新法』など。2007年に囲碁殿堂入り。秀甫の養子の村瀬彪は棋士にならず、第一銀行に勤務した。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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方円社

方円社(ほうえんしゃ、方圓社)は、明治、大正時代の日本の囲碁の組織。 1879年に村瀬秀甫(後の本因坊秀甫)、中川亀三郎らにより設立され、1924年の碁界大合同による日本棋院設立まで続いた。明治後期の日本における最も繁栄した囲碁組織で、本因坊家などと対立しながらも、封建的な家元制度を脱却し、実力主義を導入、従来の段位制度に代わり、級位制を取り入れるなど、次々と新しい試みを打ち出し、囲碁の普及と近代化に大いに功績があった。 「方円」とは、四角の碁盤と丸い碁石を用いる囲碁の、古来からの別名である。機関誌「囲棋新報(囲碁新報)」は、世界初の囲碁雑誌であった。方円社を援助した財界人には、井上馨、後藤象二郎、岩崎弥太郎、渋沢栄一らがいる。.

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打ち込み (囲碁)

打ち込み(うちこみ)は囲碁用語で、以下の意味を表す。.

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11月27日

11月27日(じゅういちがつにじゅうしちにち、じゅういちがつにじゅうななにち)はグレゴリオ暦で年始から331日目(閏年では332日目)にあたり、年末まであと34日ある。.

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1846年

記載なし。

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1884年

記載なし。

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