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気象学者の一覧

索引 気象学者の一覧

気象学者の一覧(きしょうがくしゃのいちらん)は、気象学を専攻する研究者(気象学者)の一覧である。気候学者を含む。なお気象予報士は気象学者ではないので本項には掲載しない。.

71 関係: 大山勝通大村纂学者安成哲三小倉義光岡田武松中村精男住明正地球科学者地理学者の一覧北尾次郎マシュー・フォンテーン・モーリーチャールズ・ハットフィールドチャールズ・ソーンスウェイトハラルド・スヴェルドラップバーナード・ヴォネガットバート・ボリンモジブ・ラティフヤコブ・ビヤークネスラルフ・アバークロンビー (気象学者)ルイス・フライ・リチャードソンレオン・ティスラン・ド・ボールヴィルヘルム・ビヤークネストマス・メンデンホールトール・ベルシェロンヘルマン・フローンヘルムート・ランズベルクニコラス・シャックルトン和田雄治和達清夫アルフレート・ヴェーゲナーアルベルト・デファントウラジミール・ペーター・ケッペンウィリアム・フェレルウィルソン・ベントレーエマニュエル・ドゥ・マルトンヌエドワード・ローレンツオラス=ベネディクト・ド・ソシュールカール・トロールカール=グスタフ・ロスビークリストフ・ボイス・バロットジュール・グレゴリー・チャーニージョン・フォン・ノイマンジェローム・ナミアス光田寧矢沢大二福井英一郎真鍋淑郎畠山久尚荒川秀俊...荒川昭夫荒井郁之助高橋浩一郎鈴木秀夫阿部正直 (伯爵)藤原咲平藤田哲也 (気象学者)野中到 (気象学者)根本順吉横山長之正野重方気候学気象学気象学・気候学に関する記事の一覧気象予報士江守正多木村龍治 (気象学者)浅井冨雄新田尚新田次郎日本の地理学者の一覧 インデックスを展開 (21 もっと) »

大山勝通

大山 勝通(おおやま かつゆき、1927年3月5日 - 2006年12月19日)は日本の気象学者。北海道札幌市生まれ。海外ではvic ooyamaの名前でも知られる。 1951年東京大学物理学科卒。中央気象台(現気象庁)で天気予報などを担当した後、1955年渡米、ニューヨーク大学で学ぶ。そのまま同大学に残り、後に教授に就任。 1960年代前半、数値実験により、台風の発達メカニズムを解明することに初めて成功し、その後の台風の力学的研究の発展の基礎を築いた。同功績により、1972年度の日本気象学会賞を受賞。 その後はアメリカ国立大気研究所 (NCAR) 員、ハリケーン研究所 (NHRL) 員を歴任。.

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大村纂

大村 纂(おおむら あつむ、1942年 - )は、日本の気候学者。グローバルディミングの発見者。東京都文京区出身。.

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学者

学者(がくしゃ)とは、何らかの学問の研究や教授を専門職とする人、およびその職業人の総称である。研究者(けんきゅうしゃ)とも言う。学問の専門家。.

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安成哲三

安成 哲三(やすなり てつぞう、1947年7月8日 - )は、日本の気象学者。気候学者。京都大学、筑波大学を経て、現在は総合地球環境学研究所所長、名古屋大学地球水循環研究センター教授。筑波大学名誉教授。21世紀COEプログラム「太陽・地球・生命圏相互作用系の変動学」拠点リーダー。 専門はアジア地域の気候変動。特に、アジアモンスーンの周期的変動の実態を観測的に解明したのが大きな業績である。その後、アジアモンスーンの気象学的過程と大陸スケールでの大気・陸面の相互作用との関係の解明に力を注ぎ、現在ではこの分野での国際的リーダーとなっている。さらに近年は、気候と植生との関係についても研究の手を広げている。.

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小倉義光

小倉 義光(おぐら よしみつ、1922年5月11日 - )は、日本の気象学者、イリノイ大学名誉教授。 神奈川県出身。東京帝国大学理学部卒。1953年「大気乱流の研究」で東京大学理学博士。1964年東京大学海洋研究所教授となり、65年所長。1971年米国・イリノイ大学教授、同気象研究所所長、名誉教授。大気の乱流の研究で知られる。1954年日本気象学会賞受賞。.

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岡田武松

岡田 武松(おかだ たけまつ、1874年(明治7年)8月17日 - 1956年(昭和31年)9月2日)は、千葉県東葛飾郡布佐町(現・我孫子市)生まれの気象学者。第4代中央気象台長を多年に亘り務めた。.

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中村精男

中村 精男(なかむら きよお、1855年6月2日(安政2年4月18日) - 1930年(昭和5年)1月3日)は、明治・大正期の気象学者。第3代中央気象台台長。気象事業の整備や科学的な気象学の育成に尽力。日本の理科教育にも貢献した。.

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住明正

住明正をモデルとしたイラスト 住 明正(すみ あきまさ、1948年(昭和23年)9月2日 - )は、日本の気象学者。岐阜県出身。東京大学名誉教授。専門分野は気象学、気候力学。.

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地球科学者

地球科学者(ちきゅうかがくしゃ、earth scientist)とは、地球科学の研究者である。地質学者・古生物学者・鉱物学者・岩石学者・鉱床学者・火山学者・地球化学者・地球物理学者・地震学者・海洋学者・惑星科学者・気象学者・自然地理学者等の総称である。.

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地理学者の一覧

地理学者の一覧(ちりがくしゃのいちらん)は、地理学に実績がある人物(地理学者)の一覧である。広い意味での地理に影響を与えた人物も含める(日本以外)。なお、日本の地理学者は、多数にわたるので日本の地理学者の一覧を参照。.

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北尾次郎

黒田清輝による肖像画(1907年、島根県立美術館蔵) 北尾 次郎(きたお じろう、嘉永6年7月4日(1853年8月8日) - 明治40年〔1907年〕9月7日)は、日本の気象学者・物理学者。.

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マシュー・フォンテーン・モーリー

ニューヨークにあるモーリーの胸像 マシュー・フォンテーン・モーリー(Matthew Fontaine Maury、1806年1月14日 - 1873年2月1日)はアメリカ合衆国の海軍士官、海洋学者、海洋気象学者。.

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チャールズ・ハットフィールド

チャールズ・ハットフィールド(Charles M. Hatfield、1876年 - 1958年1月12日)はアメリカ合衆国の気象学者。『レインメイカー』の異名を取り、現在から100年以上前に人工降雨を成功させた人物として知られる。.

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チャールズ・ソーンスウェイト

チャールズ・ウォーレン・ソーンスウェイト(Charles Warren Thornthwaite, 1899年3月7日 - 1963年6月11日)は、アメリカ合衆国の地理学者。専門は気候学。陸域の水循環と水収支を研究し、1948年に可能蒸発散の推定法を提示した「合理的な気候分類への一つのアプローチ」で知られる竹内・杉浦 編(2001):66 - 67ページ。.

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ハラルド・スヴェルドラップ

ハラルド・スヴェルドラップ(Harald Ulrik Sverdrup、1888年11月15日 - 1957年8月21日)は、ノルウェーの海洋学者・気象学者。論文著作は200篇以上にものぼり、海洋学の発展、国際協力、後進の指導に尽力した。 1911年にオスロ大学を卒業してから、ヴィルヘルム・ビヤークネスの助手となり、海洋学、気象学の理論的研究をした。初期の研究には気象学の分野のものが多く、学位論文は北大西洋の貿易風に関するものであった。 1917年から1925年にかけて、ロアール・アムンセンを隊長とするモード号の北極探検に参加、1931年にもアメリカ合衆国の潜水艦ノーチラス号によるウィルキンス(Wilkins)の北極探検に加わった。これらの観測を元にして、海洋循環に関する新しい理論を出した。 1925~40年はベルゲン地球物理学研究所の、クリスチャン、ミッケルソン研究所の教授であった。その間アメリカにわたり、カーネギー研究所でカーネギー号の海洋観測の資料の整理をした。1936年カリフォルニア大学サンディエゴ校付属のスクリプス研究所所長となる。在任中の12年間に海流理論、大気と海洋と境界の問題、乱渦、湧昇などに関する多くの業績を残した。 第二次世界大戦中はカルフォルニア大学で戦時研究に従事し、水中音波、救命いかだ、風浪とうねりの研究などを指導して、上陸作戦などに成果を挙げる結果を出した。 1948年海洋循環のエネルギー源は密度差でなく、海面を吹く風によることを発表した。1948年に帰国してオスロの極地研究所所長となり、1957年~1958年の国際地球観測年には、南極観測、その他の研究を指導した。 1950年には、極地探検と海洋学への功績に対して、王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた。.

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バーナード・ヴォネガット

バーナード・ヴォネガット(Bernard Vonnegut、1914年8月29日 - 1997年4月25日)はアメリカ合衆国の気象学者である。人工降雨・人工降雪のためのクラウドシーディングにヨウ化銀が有用であることを発見した業績がある。小説家カート・ヴォネガットは弟である。 バーナードはインディアナポリスで生まれた。マサチューセッツ工科大学に通い1936年に化学で学士号を、1939年に物理化学で博士号を得た。.

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バート・ボリン

バート・ボリン(Bert Bolin, 1925年3月15日 - 2007年12月30日)は、スウェーデン王国の気象学者。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の初代議長。 1925年、スウェーデン中部セーデルマンランド県のニーショーピングに生まれた。1946年にウプサラ大学を卒業後、1956年にストックホルム大学で博士号を取得。その後、1961年から1990年まで同大学で気象学を教えた。また、欧州宇宙研究機構(現在の欧州宇宙機関)の科学ディレクターを務めた。 1988年、気候変動に関する政府間パネルが設立されると初代議長に選出された。地球温暖化問題への対応を世界各国に求め、地球温暖化対策における科学者の影響力を高めた。 ボリンの気候に関する調査は世界的にも高く評価され、カール=グスタフ・ロスビー研究賞(1984年)、タイラー賞(1988年)、ブループラネット賞(1995年)などを受賞している。Rodhe, H. (1991).

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モジブ・ラティフ

モジブ・ラティフ(Mojib Latif、1954年9月29日 - )はドイツ生まれのパキスタン系の気象学者、海洋学者である。過去の海洋気象を調査し、海流の動きには周期があることを発見したことなどで知られる。 ハンブルクで生まれた。父親は1957年に建設された Fazle Omar Mosque のイマームである。1985年からマックス・プランク・気象研究所 (Max-Planck-Institut für Meteorologie) で働いた。キール大学 (University of Kiel) のライプニッツ海洋科学研究所 (Leibniz-Institut für Meereswissenschaften) 教授となった。 2000年にアメリカ気象学会からスヴェルドラップ金メダルを授与された。.

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ヤコブ・ビヤークネス

ヤコブ・ビヤークネス(Jacob Aall Bonnevie Bjerknes、1897年11月2日 - 1975年7月7日)はノルウェーの気象学者。父である気象学者のヴィルヘルム・ビヤークネスとともにノルウェー学派の代表者。 スウェーデン・ストックホルム生まれ。オスロ大学、ライプツィヒ大学で学び、ベルゲン地球物理研究所所員(1918年 - 1920年)、同予報担当官(1920年 - 1931年)、同教授(1931年 - 1940年)などを務めた。1940年からはカリフォルニア大学ロサンゼルス校気象学教授となった。 スイス、イギリス、カナダ、アメリカの天気予報業務の顧問をし、第二次世界大戦中はアメリカ空軍の顧問をした。温帯低気圧の構造、大気の安定度に関する研究、多重成層圏の確認などで名高い。.

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ラルフ・アバークロンビー (気象学者)

ラルフ・アバークロンビー(Ralph Abercromby、1842年 - 1897年)は、イギリスの気象学者。.

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ルイス・フライ・リチャードソン

ルイス・フライ・リチャードソン(Lewis Fry Richardson、1881年10月11日 - 1953年9月30日)は、イギリスの数学者・気象学者・心理学者。数値解析による天気予報と並列計算の予言となった「リチャードソンの夢」や、マンデルブロによって引用されフラクタル研究の嚆矢とされる海岸線や国境線の長さの調査で知られる。.

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レオン・ティスラン・ド・ボール

レオン・ティスラン・ド・ボール(Leon Philippe Teisserenc de Bort、1855年11月5日 - 1913年1月2日 )はフランスの気象学者である。成層圏を発見したことで知られる。 パリで生まれた。1892年から1896年の間、フランス政府の機関である国立気象管理センター(Bureau Central de Météorologie)の所長を務めた。退職後 Trappes に個人の気象観測所を作り、無人観測気球を使った高空の気象の実験を行った。高空の観測に無人気球をつかった最初の科学者となった。 ティスランは、地上約11kmまでは高度が上がるにしたがって一様に気温が低下するのに対して、その高度をこえると温度が一定になることに気が付いた。この現象が計測のあやまりでないことを確認するために、太陽による輻射の影響をなくするために夜間に実験することも含めて、200回以上も実験を繰り返した。1902年に大気の層は性質の異なる2つの層に分かれているという結果を発表した。2つの層を対流圏と成層圏と名付けた。1913年にティスランが没したあと、ティスランの観測所は国に寄付され研究は継続された。 月のクレーター、火星のクレーターに命名された。.

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ヴィルヘルム・ビヤークネス

ヴィルヘルム・ビヤークネス(Vilhelm Friman Koren Bjerknes、1862年3月14日 – 1951年4月9日)はノルウェーの気象学者、海洋学者。流体力学の分野で優れた研究業績がある。父は数学、流体力学を研究したカール・アントン・ビヤークネスである。息子に気象学者であるヤコブ・ビヤークネスがいる。 オスロ大学卒業後、ハインリヒ・ヘルツの指導を受けた。1893年~1907年ストックホルム大学の数学、力学教授。1907年~1912年オスロ大学教授。1913年~1917年ライプツィヒ大学教授兼地球物理研究所初代所長。1926年~1932年オスロ大学教授、1906年~1946年アメリカ合衆国のカーネギー研究所所員などを歴任。 1888年流体力学についての重要な論文を提出して以来、長く海洋学・気象学の理論的研究を行った。また弟子を多く育て、ノルウェー学派・ベルゲン学派と呼ばれる一派を作った。気圧の絶対単位ミリバールを導入したり、極前線などの新しい学術用語を作った。.

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トマス・メンデンホール

トマス・メンデンホール(Thomas Corwin Mendenhall、1841年10月4日-1924年3月23日)はアメリカ合衆国の物理学者、気象学者。オハイオ州生まれ。.

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トール・ベルシェロン

トール・ハロルド・パーシヴァル・ベルシェロン(Tor Harold Percival Bergeron、1891年8月15日 - 1977年6月13日)は、スウェーデンの気象学者。ノルウェー学派の1人であり、雲物理学の父と称される。 1930年代にドイツのヴァルター・フィンダイセン(Walter Findeisen)と共に過冷却水滴と氷晶が共存する雲における降水粒子の生成理論を基礎とする、降水過程のメカニズムを確立した高橋ほか(1987):116ページ。.

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ヘルマン・フローン

ヘルマン・フローン(Hermann Flohn, 1912年2月19日 - 1997年6月23日)は、ドイツの気象学者、気候学者、地理学者。20世紀を代表する気候学者として知られる。 総観気候学と動気候学を大成し、大気大循環という気候システムを元に気候区分を試みた。特にアジアのモンスーンの研究は名高く、エルニーニョなど現在の地球規模での気象現象に関する研究でも欠かせないものとなっている。ボン大学の学生からはモンスーン・フローンとあだ名を付けられた。.

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ヘルムート・ランズベルク

ヘルムート・ランズベルク(Helmut Erich Landsberg, 1906年2月9日 - 1985年12月6日)はドイツ出身の気象学者。主にアメリカ合衆国で働いた。名前は英語読みでヘルマット・ランズバーグとも表記される。 フランクフルト・アム・マインに生まれた。フランクフルト大学でPh.D.を取り、タウナス地球物理学・気象学観測所で働いた後、1934年にアメリカに移り、ペンシルベニア州立大学で地球物理学と気象学の教職についた。1930年代に粒子状物質の空気汚染や人間の健康への影響についての重要な研究をおこなった。1941年にシカゴ大学に職を得、第二次世界大戦中はアメリカ空軍のために作戦地域の気象や天候統計の情報を集めるプロジェクトを指揮し、空軍首脳から賞賛された。1949年にはハリー・S・トルーマン大統領の空気汚染委員会に任命され、アメリカにおける空気汚染規制の形成に貢献した。1967年からメリーランド大学で働き、自ら創設した大気科学・気象学部と流体力学・応用数学研究所の所長を務めた。1968年から1970年の間、アメリカ地球物理学連合の会長をつとめた。世界気象機関の会合に出席中にスイスのジュネーヴで没した。 アメリカ海洋大気庁とアメリカ気象学会がランズベルクの名前を冠した賞を創設している。.

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ニコラス・シャックルトン

ー・ニコラス・ジョン・シャックルトン(Sir Nicholas John Shackleton、1937年6月23日 - 2006年1月24日)はイギリスの地質学者、気象学者である。第四紀の気候に関する研究をおこなった。父親は野外調査をした地質学者のロバート・シャックルトンであり、南極探検家のアーネスト・シャクルトンの親類である。.

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和田雄治

和田 雄治(わだ ゆうじ、1859年9月29日(安政6年9月4日) - 1918年(大正7年)1月5日)は日本の気象学者、海洋学者。東京大学理科大学物理学科を卒業し中央気象台の前身である内務省地理局測量課気象掛に勤め、気象事業の統轄と気象の調査研究に一生をささげた。暴風警報や天気予報の創始者である。主な業績は1880年の富士山頂での気象観測、日本近海の海流調査、及び研究。また東京物理学講習所(現東京理科大学)の設立者の一人でもある。 1893年農商務省水産調査所の水産調査委員会会員として海流瓶による日本近海の海流調査を提唱し、1893,94,95年に海流瓶を放って親潮、黒潮の状況を調査した。科学的に日本近海の海流が調査されたのは初めての事だった。1913年よりは大阪毎日新聞社の後援を受け大規模な海流瓶による海洋調査を実施し、1917年までに13357本を投入、その内2990本が回収された(回収率22%)。この調査により日本近海の海流の大勢が明らかとなった。この調査の報告は和田がまとめたが、生前には出版されず、1922年に「日本環海海流調査業績」として出版された。北西太平洋各月平均水温分布図も発表している。 1904年には、日露戦争に際して朝鮮の仁川に設けられた臨時観測所の所長に任ぜられた。後に総督府観測所所長を歴任した。朝鮮に赴任中、測雨器(雨量計)や瞻星台(天文台)のような伝統的な天文・気象観測機器に関して多くの報告を残し、遺物や文献記録の収集と保護に努めた。.

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和達清夫

和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。子息に物理学者・和達三樹がいる。.

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アルフレート・ヴェーゲナー

『大陸と海洋の起源』第4版(1929年)より アルフレート・ロータル・ヴェーゲナー(Alfred Lothar Wegener、1880年11月1日 - 1930年11月2日もしくは3日)は、大陸移動説を提唱したドイツの気象学者。現在でいう地球物理学者である。1908年からマールブルク大学で教鞭を執り、1924年にオーストリアのグラーツ大学の教授に就任した。義父(妻の父親)は「ケッペンの気候区分」で有名なロシア出身のドイツ人気象学者ウラジミール・ペーター・ケッペン。日本では英語読みでアルフレッド・ウェゲナーとも表記される。.

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アルベルト・デファント

アルベルト・ヨーゼフ・マリア・デファント(Albert Joseph Maria Defant、1884年7月12日 - 1974年12月24日)はオーストリアの海洋物理学者、天体物理学者、大気物理学者、気象学者。.

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ウラジミール・ペーター・ケッペン

ウラジミール・ペーター・ケッペン ヴラディーミル(またはヴラーディミル)・ペーター・ケッペン(Wladimir Peter Köppen, 1846年9月25日 - 1940年7月22日)は、ドイツの気象学者・気候学者、また植物学者である。サンクトペテルブルク(ロシア)生まれで、グラーツ(オーストリア)没。ドイツ学派の気候学の大成者として著名であり、彼の考案したケッペンの気候区分は、改良を加えられながら現在も広く使われている。ロシア語名はヴラジーミル・ペトローヴィチ・キョーペン(Влади́мир Петро́вич Кёппен)。.

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ウィリアム・フェレル

ウィリアム・フェレル(William Ferrel、1817年1月29日 - 1891年9月18日)は、アメリカ合衆国の気象学者、海洋学者。家が貧しかったので農業に従事するかたわら独学で勉強し、マーシャル大学(w:Marshall University)に入学したが学費の理由から退学、後にベサニー大学 (w:Bethany University) に移り1844年に卒業した。合衆国沿岸測量局などに勤務し理論気象学に数々の業績がある。 海洋学方面では潮汐の研究を行い、また独自の検潮器を発明した。.

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ウィルソン・ベントレー

ウィルソン・アルウィン・ベントレー(Wilson Alwyn Bentley、1865年2月9日 - 1931年12月23日)はアメリカ合衆国の雪のアマチュア研究家。雪の結晶の写真家として知られる。 バーモント州ジェリコー(Jericho)に農夫の子として生まれた。学校教育としてはジェリコーの公民学校を出ただけであった。15歳のときに、母が顕微鏡を通して見せた雪の結晶に魅了され、以後生涯にわたって農業のかたわら雪の結晶の写真を撮り続けた。雪の研究のために彼が撮影した写真は全部で5381枚にのぼる。うち2453枚の写真を収録した『Snow Crystals(雪の結晶)』と題する写真集が、当時のアメリカ気象学会の会長であったウィリアム・ジャクソン・ハンフリース(w:William Jackson Humphreys)の尽力により、1931年の秋、ベントレーが亡くなる直前にマック・グロービル社から出版された。生涯独身であった。 その生涯を絵本化した『雪の写真家ベントレー』は1999年度のコールデコット賞を受賞している。.

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エマニュエル・ドゥ・マルトンヌ

マニュエル・ドゥ・マルトンヌ エマニュエル・ドゥ・マルトンヌ(Emmanuel de Martonne、1873年4月1日-1955年7月25日)は、フランスの地理学者。気候学を中心とした自然地理学が専門で、特に彼の乾燥指数はよく知られている。他、自然地理学の体系化に大きな功績を残す。またフランス近代地理学の祖・ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュの娘婿でもあり、 ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュ亡き後のフランス地理学界のリーダーであった。.

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エドワード・ローレンツ

ドワード・ノートン・ローレンツ(Edward Norton Lorenz、1917年5月23日 - 2008年4月16日)はマサチューセッツ工科大学の気象学者。 彼は1960年に、初期変数を色々変えて初歩的なコンピュータシミュレーションによる気象モデルを観察していたところ、気象パターンが初期値のごく僅かな違いにより大きく発散することに気づいた。これには次のようなエピソードが残されている。計算結果の検証のため同一のデータを初期値として複数回のシミュレーションを行うべきを、二度目の入力の際に手間を惜しみ、初期値の僅かな違いは最終的な計算結果に与える影響もまた小さいだろうと考えて、小数のある桁以降の入力を省いたところ、結果が大きく異なった。この繊細な初期状態依存性はバタフライ効果と後に呼ばれるようになった。また、これによりコンピュータによる気象の正確な長期予報が不可能であることが明らかになった。 ローレンツは根底にある数学的性質について探求を続け、結果を「Deterministic Nonperiodic Flow (決定論的な非周期の流れ)」として1963年に気象学の学会誌に発表した。この論文のなかで、方程式による比較的単純な系が無限に複雑なパターンに行き着く、と記述している。これがローレンツ・アトラクタである。.

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オラス=ベネディクト・ド・ソシュール

ャモニーにあるオラス・ド・ソシュールとジャック・バルマの像 オラス=ベネディクト・ド・ソシュール(Horace-Bénédict de Saussure、1740年2月17日 – 1799年1月22日)はスイスの貴族で、アルプス山脈の山々を登破するとともにそこで地質学、気象学、化学などに関わる様々な学術的観測を行った自然科学者である 。1762年、22歳でジュネーヴ大学の哲学の教授に就任した。またしばしば近代登山の創始者ともみなされている。.

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カール・トロール

ール・トロール(Carl Troll, 1899年12月24日 - 1975年7月21日)は、ドイツの地理学者。専門は気候学、植物地理学などの自然地理学。国際地理学連合会長を務めるなど、20世紀のドイツの地理学界をリードした人物のひとりである。景観生態学(地生態学)の父としても知られる。兄は植物学者のヴィルヘルム・トロール。.

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カール=グスタフ・ロスビー

ール=グスタフ・ロスビー(Carl-Gustaf Arvid Rossby、1898年12月28日 - 1957年8月19日)は、スウェーデン生まれのアメリカの気象学者。 ストックホルム生まれ。ストックホルム大学を卒業後、V・ビヤークネスに招かれ、ノルウェーのベルゲン地球物理学研究所で極前線論の研究を始める。1926年渡米し、気象局に務めた後、1928年マサチューセッツ工科大学の助教授に就任。1939年アメリカに帰化し、気象局の副局長となり、研究と教育部門の責任者となった。1941年シカゴ大学の気象学主任教授となり、以後約10年間は彼を中心とするシカゴ学派が気象力学の面で活躍した。1950年からはストックホルム大学の教授も兼ね、同地に国際的な気象研究所を開設。 気団分析用のロスビー図の考案やロスビー波の発見、ジェット気流・偏西風・絶対渦度保存の研究、アイセントロピック解析などが主要な業績である。大気の大規模な運動を熱学的に論じて、気象学を飛躍的に発展させた功績は大きく、「近代気象学の父」と呼ばれる。また、多数の優秀な弟子を育成し、アメリカの「気象学雑誌(Journal of Meteorology)」やスウェーデンの気象誌「Tellus」を創刊するなど、教育者・組織者としても国際的に活躍した。.

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クリストフ・ボイス・バロット

リストフ・ボイス・バロット (Christophorus Henricus Diedericus Buys Ballot、1817年10月10日 - 1890年2月3日)は、オランダの気象学者である。気象に関するボイス・バロットの法則やボイス・バロット表で知られる。 Kloetinge に生まれた。ユトレヒト大学で学び、1844年からユトレヒト大学の鉱物学や地質学の講師になった。1846年から化学の講師も兼ね、1847年から数学の教授、1867年から物理学の教授になった。ドップラー効果を調べるために列車に楽団を乗せて、決められた高さの音を演奏させる実験を行った。 気象学に関する業績で最も知られる。1854年にオランダ気象学会を設立し終生会長を務めた。気象学における国際協力の必要性を認めた最初のひとりで、1873年に国際気象委員会の議長を務めた。国際気象委員会は世界気象機関(World Meteorological Organization: WMO)に発展した。 1893年からオランダ科学アカデミーは、気象学の分野の業績に対して授与するボイス・バロット・メダル (Buys Ballot Medal) を設けている。.

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ジュール・グレゴリー・チャーニー

ュール・グレゴリー・チャーニー(Jule Gregory Charney、1917年1月1日 - 1981年6月16日)は、アメリカ合衆国の気象学者・海洋学者。 ロシア移民の子としてサンフランシスコに生まれ、1938年にカリフォルニア大学数学物理学科を卒業。シカゴ大学・オスロ大学の研究員を経て、1948年プリンストン高等研究所の研究員に就任。数学者フォン・ノイマンの協力の下に、気象力学の基礎方程式をコンピュータを使って解く方法を発展させ、今日のいわゆる数値予報業務の基礎を作り上げた。1947年に発表した論文『傾圧不安定波の力学』と翌年発表した『大規模な大気運動のスケール・アナリシス』は、数値予報の基礎となり、49年には世界で初めて数値予報に成功している。1956年からはマサチューセッツ工科大学の気象学教授を務めた。 また、アメリカ海洋気象庁の地球流体研究所の創設、地球大気開発計画(GARP)など、大気物理学の発展にも尽くし、海洋学者としても湾流・赤道潜流の研究にすぐれた業績を残している。これらの業績によって第1回のWMO賞を受賞し、欧米の研究機関からも数多くの賞を受けている。日本の気象学者に与えた影響も大きい。.

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ジョン・フォン・ノイマン

ョン・フォン・ノイマン(ハンガリー名:Neumann János(ナイマン・ヤーノシュ、)、ドイツ名:ヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン、John von Neumann, Margittai Neumann János Lajos, Johannes Ludwig von Neumann, 1903年12月28日 - 1957年2月8日)はハンガリー出身のアメリカ合衆国の数学者。20世紀科学史における最重要人物の一人。数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・心理学・政治学に影響を与えた。第二次世界大戦中の原子爆弾開発や、その後の核政策への関与でも知られる。.

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ジェローム・ナミアス

ジェローム・ナミアス(Jerome Namias, 1910年3月19日 - 1997年2月10日)はアメリカ合衆国の気象学者である。エル・ニーニョの研究などで知られる。 コネチカット州のブリッジポートで生まれ、マサチューセッツ州フォール・リバーで育った。ミシガン大学で学んだ後、マサチューセッツ工科大学で研究助手となった。1930年代にダストボウルの研究を行い、1941年にアメリカ航空宇宙学会からマスターの称号を得た。 1941年から1971年の間アメリカ気象局の予報部門で働き、1940年代から長期予報を始めた。第二次大戦中は北アフリカの軍のための天候予想を行った。民間航空のための天気予報システムの開発に従事し、海洋と大気の相互作用を研究した。太平洋におけるエルニーニョ現象とその世界的な気象への影響の研究を行った。1971年にスクリプス研究所に移り、最初の実験的気候研究センターを創設した。 アメリカ気象学会から1938年にClarence Leroy Meisinger賞、1981年にスヴェルドラップ金メダルを受賞した。 Category:アメリカ合衆国の気象学者 Category:カリフォルニア大学サンディエゴ校の教員 Category:スクリップス海洋研究所の人物 Category:マサチューセッツ州フォールリバー出身の人物 Category:コネチカット州ブリッジポート出身の人物 Category:1910年生 Category:1997年没.

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光田寧

光田 寧(みつた やすし、1933年10月13日 - 1999年3月25日 日本気象学会機関誌「天気」46巻8号)は日本の気象学者。超音波風速温度計の開発で有名。「気団変質実験計画(AMTEX)」や「黒河流域における地空相互作用に関する日中共同研究 (HEIFE)」、標準計画台風の概念の導入で知られる。腎臓障害で週3回の人工透析を19年あまり続けながら研究を推進した。.

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矢沢大二

沢 大二(やざわ だいじ、1913年5月1日 - 1994年5月29日)は、日本の地理学者である。.

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福井英一郎

福井 英一郎(ふくい えいいちろう、1905年9月9日 - 2000年11月3日)は、日本の気候学者、自然地理学者 。東京教育大学教授を務め、門下から多数の気候学者を輩出した「日本の気候学の父」。.

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真鍋淑郎

真鍋 淑郎(まなべ しゅくろう、1931年9月21日 - )は、日本出身の気象学者。 愛媛県生まれ。1953年東京大学理学部卒。1958年同大大学院博士課程修了。同年アメリカ国立気象局(現・米国海洋大気庁)に入り、後に主任研究員に。同年アメリカ合衆国国籍を取得。 大気大循環に海洋大循環を考慮した新しい大気・海洋結合モデルを開発、気候変動の研究に適用した。地球科学分野での数値シミュレーション導入の先駆的存在である。特に地球温暖化の研究では世界的に知られ、1988年には北半球で温暖化が先行すると発表し注目を集めた。 1968年からプリンストン大学客員教授を兼任し、1997年帰国、科学技術庁地球フロンティア研究システム地球温暖化予測研究領域長に就任。その後2001年に再渡米し、プリンストン大学研究員に転じた。.

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畠山久尚

山 久尚(はたけやま ひさなお、1905年1月20日 - 1994年2月11日)は、日本の気象学者。 新潟県出身。1928年東京帝国大学理学部卒、40年「地磁気及び地電流の湾型変化並に脈動に関する研究」で理学博士。中央気象台に入り、1944年日本学士院賞受賞。49年気象研究所長。58年東京管区気象台長、63年気象庁長官。65年退官、のち二松学舎大学教授、75年名誉教授。86年日本学士院会員。73年日本気象学会藤原賞受賞、75年勲二等旭日重光章受勲、77年交通文化賞、78年日本雪氷学会功績賞受賞。.

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荒川秀俊

荒川 秀俊(あらかわ ひでとし、1907年8月4日 - 1984年12月23日)は日本の昭和期の気象学者。 福島県白河市に生まれる。1931年東京帝国大学理学部物理学科卒業後、すぐさま中央気象台に入る。1941年東京大学講師を兼任。1943年軍の依頼により偏西風を利用した風船爆弾の気象調査を行う。1964年福岡管区気象台台長、1966年気象研究所所長、1968年東海大学教授を歴任。予報技術の発展に貢献したほか、古文書により気象・災害と歴史的事件の関係を研究し、理論気象、気候学、災害史、気象学史などの分野で業績を残した。 1939年、東京大学理学博士。論文の題は「大気風系の研究」。 勲二等瑞宝章を受章。1984年の年末心不全のため死去。.

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荒川昭夫

荒川 昭夫(あらかわ あきお)は日本の気象学者である。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で大気の循環モデルを開発したことで知られる。 東京大学で物理学を学び、1950年に卒業、1961年に博士号を得た。気象庁の研究員となり、渡米しUCLAで研究した。1963年に日本に戻ったが、再度渡米し、1965年からUCLAの研究員となった。UCLAの名誉教授を務めている。 1963年に日本気象学会賞を受賞し、1977年アメリカ気象学会からカール=グスタフ・ロスビー研究賞を受賞した。1991年に日本気象学会藤原賞を「数値モデルによる大気大循環の研究」により受賞。.

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荒井郁之助

荒井 郁之助(あらい いくのすけ、天保7年4月29日(1836年6月12日) - 明治42年(1909年)7月19日)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣。明治期の官僚。初代中央気象台長。幼名は幾之助。諱は顕徳(あきのり)、後に顕理(あきよし)とした。従五位。.

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高橋浩一郎

橋浩一郎(たかはし こういちろう、1913年5月3日-1991年8月21日)は、日本の気象学者。 東京市下谷区生まれ。1936年東京帝国大学理学部物理学科卒、中央気象台に入る。1948年「外插法に基く量的天気予報の研究」で東京帝国大学理学博士。気象研究所予報研究部長、札幌管区気象台長、気象庁予報部長、気象庁長官、筑波大学教授、77年定年退官。日本気象協会副会長。.

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鈴木秀夫

鈴木 秀夫(すずき ひでお、1932年12月19日 - 2011年2月11日)は、日本の地理学者。.

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阿部正直 (伯爵)

阿部 正直(あべ まさなお、1891年(明治24年)1月9日 - 1966年(昭和41年)1月1日)は、日本の理学博士、気象研究所長。伯爵。 父は備後福山藩第10代目藩主・阿部正桓。弟は農林大臣や日本中央競馬会理事長などを歴任した酒井忠正。姉の貞子は小笠原長幹妻。.

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藤原咲平

藤原 咲平(ふじわら さくへい、1884年10月29日 - 1950年9月22日)は、日本の気象学者。アルファベット表記(日本語のローマ字表記)で Fujiwhara となっていることも多いのは、本人がそのように綴ることを好んだためであり、発音として「ふじはら」に近い「ふじわら」であったことの影響でもある。.

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藤田哲也 (気象学者)

藤田 哲也(ふじた てつや、Tetsuya Theodore "Ted" Fujita、1920年10月23日 - 1998年11月19日)は、アメリカ合衆国の気象学者。出身地は日本の福岡県企救郡曽根村(後の北九州市小倉南区)である。ダウンバースト(下降噴流)とトルネード(竜巻)の研究における世界的権威として知られ、その優れた業績から Mr.(ミスター・トルネード)、Dr.(竜巻博士)とも称された。また観測実験で得た難解な数式なども、見やすい立体図などの図解にしてしまうことから「気象界のディズニー」とも呼ばれていた。.

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野中到 (気象学者)

野中 到(のなか いたる、1867年9月19日(慶応3年8月22日) - 1955年(昭和30年)2月28日)は、日本の気象学者。妻・千代子と共に富士山頂で最初の越冬観測を試みたことで知られる。 多くの場合、野中至と表記されるが、本名は「到」であり、「至」はペンネームである。墓所は妻・千代子と共に東京都文京区の護国寺にある。.

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根本順吉

根本 順吉(ねもと じゅんきち、1919年3月30日 - 2009年9月22日)は、日本の気象研究家。.

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横山長之

横山 長之(よこやま おさゆき、1936年3月13日 - )は、日本の気象学者。大気中における拡散研究の第一人者である。.

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正野重方

正野 重方(しょうの しげかた、1911年12月26日 - 1969年10月27日)は日本の気象学者。理学博士。専門は気候力学。正野博士の著書は、今日でも気象学を学ぶ者の必携書である。大阪府出身。.

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気候学

気候学(きこうがく、英語:climatology)は、気候を取り扱う自然科学の一分野である。気象学(地球物理学の一分野)と近い内容を持つが、気象学と異なり、気候学では人間活動の影響を考えることで自然地理学の一分野を成している。 18~19世紀では、気候は特定地点(地域)の大気の平均状態のことを指していた。この構成要素である気温や降水量をデータから算出し、その出現頻度や平均値との差などの研究していた(ケッペンの気候区分など)。しかし、近代以降、気候システムや気候変動についての考察が行われ、航空技術の発達などにより気象現象を捉える技術が向上した事により、気象現象の過程やメカニズムを捉えることに重点を置く学問へと移行していった。 取り扱う分野から、総観気候学、物理気候学、農業気候学、天候気候学などの一般気候学、気候誌(気候地理学)、取り扱うスケールから、大・中・小・微の各気候学、さらに地質時代の気候復元などを行う古気候学などに細分化される。 近年クローズアップされている、地球温暖化、ヒートアイランド、エルニーニョ、酸性雨などの環境問題へのアプローチにも、気候学が果たす役割は欠かせないものである。.

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気象学

気象学(きしょうがく、meteorology)は、地球の大気で起こる諸現象(気象)や個々の流体現象を研究する学問。自然科学あるいは地球科学の一分野。 気象を長期的な傾向から、あるいは地理学的観点から研究する気候学は、気象学の一分野とされる場合もあるが、並列する学問とされる場合もある。現代では気象学と気候学をまとめて大気科学(atmospheric science)と呼ぶこともある。 なお、将来の大気の状態の予測という実用に特化した分野を天気予報(気象予報)という。.

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気象学・気候学に関する記事の一覧

気象・気象学および気候・気候学に関連する項目の一覧。;掲載範囲外の項目 以下の一覧及びカテゴリに含まれる項目であるため本一覧に掲載していない。.

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気象予報士

気象予報士(きしょうよほうし)は、日本の国家資格の一つで、気象業務法第3章の2に基づき、指定試験機関(気象業務法第24条の5、財団法人気象業務支援センター)が実施する知識及び技能についての試験(以下、気象予報士試験という)に合格した者(同法第24条の4)であって、気象庁長官による登録(同法第24条の20)を受けた者をいう。 1993年の気象業務法改正によって、気象庁以外の者に対する予報業務の許可が一般向け予報業務についても実施されることになった際、その予報業務の技術水準及び信頼性を担保するための予想担当者の技能試験として創設された。第1回試験は、1994年8月28日に実施されている。.

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江守正多

江守 正多(えもり せいた、1970年1月 - )は日本の気象学者。国立環境研究所地球環境研究センター温暖化リスク評価研究室室長。海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究センターグループリーダーおよび東京大学気候システム研究センター客員准教授を兼務。研究分野はコンピュータシミュレーションによる地球温暖化の将来予測。 神奈川県生まれ。1992年、東京大学教養学部基礎科学科第二卒業。1997年、東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士課程修了。学術博士 論文の題は「A Numerical Study of the Feedback Processes in the Hydrological Cycle in the Land-Atmosphere System(陸面-大気水循環におけるフィ-ドバック過程の数値的研究) 」。 地球シミュレータなどでのシミュレーションに用いられる気候モデルの開発・改良や、地球温暖化予測の不確実性の定量的評価などを専門とする。 著作は研究論文だけではなく、一般向けに地球温暖化に関する解説書も執筆している(#著書・共著を参照)。国立環境研究所のQ&A(国立環境研究所によるQ&A)に寄稿しているほか、メディアにおいても解説役を務める。近年は地球温暖化に対する懐疑論に対抗する「懐疑派バスターズ」の一員も務める。.

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木村龍治 (気象学者)

木村 龍治(きむら りゅうじ、1941年 - )は、日本の気象学者(理学博士)、気象予報士。東京大学名誉教授、気象予報士会初代会長。専門は気象学、海洋物理学、地球流体力学。.

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浅井冨雄

浅井 冨雄(あさい とみお、1932年9月15日 - )は、日本の気象学者。 1955年、京都大学理学部を卒業。気象研究所、京都大学、東京大学、広島大学に勤務する。東京大学名誉教授。元東京大学海洋研究所所長。元日本気象学会理事長。 1964年 京都大学より理学博士 論文の題は「Study of cumulus convection based on numerical model experiment 」。 雲の形成と降水の物理過程に関する研究を主として行い、気象予報の高精度化に貢献した。「積雲対流に関する理論的研究」に対しては日本気象学会賞が与えられた。また、多数の専門書・啓蒙書を執筆し、気象学分野の発展に貢献した。.

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新田尚

新田尚(にった たかし、1932年10月24日- )は、日本の気象学者、元気象庁長官。 大阪市西区九条出身。旧姓・内田。1955年東京大学理学部地球物理学科卒、中央気象台に入り、大阪管区気象台、59年予報部電子計算室、65年理学博士。77年同数値予報班長、80年予報部業務課長、83年総務部企画課長、86年通信参事官。90年気象庁予報部長。92年気象庁長官。93-2000年東海大学教養学部特任教授。2000-06年株式会社ハレックス相談役、顧問歴任。76年日本気象学会岡田賞、82年同藤原賞。専攻は天気予報技術(数値予報論)、大気大循環論。.

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新田次郎

新田 次郎(にった じろう、本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)、1912年6月6日 - 1980年2月15日)は、日本の小説家、気象学者。電機学校(現:東京電機大学)卒業。.

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日本の地理学者の一覧

日本の地理学者の一覧(にほんのちりがくしゃのいちらん)は、現在に至るまでの日本における地理学者の一覧である(地理に見るべき影響を与えた人物も含む)。.

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