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死刑囚の希望

索引 死刑囚の希望

『死刑囚の希望』(しけいしゅうのきぼう、)はジョアン・ミロが1974年に制作した、3枚からなる油彩画の連作。これらは現在ミロ美術館に所蔵されている。 この連作は、サルバドール・プッチ・アンティックの処刑という政治的事件にまつわる作品である。彼の処刑はフランコ政権における最後の死刑執行であり、それはヨーロッパの多くの国から非難された。同じカタルーニャ人としてミロはアンティックに大きな同情心を寄せていたが、この作品は期せずして彼の処刑日に完成した。各々の絵の一本線は途切れた生命の糸を意味し、死刑の恐怖を表現している。 ミロはこの作品がバルセロナに置かれ続けることを望み、1975年6月にこれをミロ美術館へ寄贈した。 ミロの「3連画」は『青』(1961年)に始まり、『神殿のための壁画 - 橙、緑、赤』(1963年)、『隠修士の居室のための白地絵画』(1968年)、この『死刑囚の希望』(1974年)、『花火』(1974年)と続く。いずれも神殿・隠修所・刑務所といったうら寂しい場所が想定され、画面には詩的かつ虚無的な空間が広がる。大画面かつ簡素な描写の3連画という形式でミロが意図したのは、「最大限の強さを最小限の手段で獲得する」ことだった。.

8 関係: 大高保二郎岩波書店ミロ美術館バルセロナフランシスコ・フランコカタルーニャ人ジョアン・ミロサルバドール・プッチ・アンティック

大高保二郎

大高 保二郎(おおたか やすじろう、1945年8月24日 - )は、日本の美術史学者、早稲田大学名誉教授。専攻はスペイン美術史。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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ミロ美術館

ミロ美術館(ミロびじゅつかん、)は、ジョアン・ミロの作品を主に収めた、バルセロナのムンジュイックの丘にある現代美術館。個人美術館としては世界最大であり、バルセロナの人々からは「ミロからの贈り物」と呼ばれているNHK (2005) p.52。.

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バルセロナ

バルセロナ(Barcelona、 バルサローナ)は、スペイン・カタルーニャ州バルセロナ県のムニシピ(基礎自治体)。カタルーニャ州の州都であり、バルセロナ県の県都である。2017年に独立を宣言したカタルーニャ共和国の首都にもなっている。人口はマドリードに次いでスペインで第2位、カタルーニャでは第1位である。.

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フランシスコ・フランコ

フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(、1892年12月4日 - 1975年11月20日)は、スペインの軍人、スペイン軍大元帥、政治家、独裁者(総統)、首相を歴任した。ガリシア出身。 一般には、フランシスコ・フランコ(、IPA: )として知られる。称号は「カウディーリョ・デ・エスパーニャ(Caudillo de España)」。.

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カタルーニャ人

タルーニャ人(Catalans)は、インド・ヨーロッパ語族に属する民族で、イベリア半島のカタルーニャ地方に分布する。カタラン人、カタロニア人とも。文脈により以下の定義を有す。.

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ジョアン・ミロ

ョアン・ミロ( 、ジュアン・ミロー・イ・ファラー, 1893年4月20日 - 1983年12月25日)は、20世紀のスペインの画家。カタルーニャ地方の出身。かつてスペインではカスティーリャ語以外の言語は公的には禁止されていたので(フランコ体制下)、カスティーリャ語式の読みでホアン・ミロと書かれることもしばしばある。独裁者フランコの死去(1975年)以降、地方語は復権され、現在言語正常化の途上にある。現在ではカタルーニャ語の原音を尊重して「ジョアン・ミロ」または「ジュアン・ミロ」と表記するのが通例である。 ミロはパリでシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるのが通例だが、ミロの描く人物、鳥などを激しくデフォルメした有機的な形態、原色を基調にした激しい色使い、あふれる生命感などは、古典的・写実的描法を用いることが多い他のシュルレアリストの作風とは全く異なり、20世紀美術に独自の地位を築いている。 ミロは1893年、スペイン、カタルーニャ地方の中心都市、バルセロナに生まれた。ちなみに、ガウディ、ダリもカタルーニャの出身である。 ミロは1911年、18歳の時、うつ病と腸チフスを患い、療養のためカタルーニャのモンロッチという村に滞在した。このモンロッチの村の環境がミロの芸術に大きな影響を与えたようである。ミロはこの頃から画家を目ざすようになり、翌1912年、バルセロナの美術学校に入学した。1919年にはパリに出、この頃からモンロッチとパリを往復しつつ制作するようになる。パリではピカソら芸術家とも知り合い、また、シュルレアリスム運動の主唱者であるアンドレ・ブルトンと出会う。 ミロの作風は同じシュルレアリストでもベルギーのルネ・マグリットやダリらの古典的・写実的描写法とは全く異なる自由奔放なものであるが、ブルトンはこうしたミロの絵画こそが真のシュルレアリスムであるとして共鳴し、ミロはシュルレアリストのグループに迎え入れられることとなった。ミロは「画家」という肩書きにこだわって狭い世界に閉じこもることを嫌い、パリではアメリカの作家のアーネスト・ヘミングウェイやヘンリー・ミラーなどとも交流があった。 1930年代からミロはバルセロナ、パリ、マリョルカ島(スペイン領)のパルマ・デ・マヨルカにアトリエを持ち制作した。1944年からは陶器や彫刻の制作を始め、作品の幅を広げていった。1956年にはパルマに大規模なアトリエを造り、作品の規模も大きくなっていく。また、このアトリエでは絵画以外の分野の職人との共同制作を行い、陶器、壁画、彫刻などを次々と生み出した。晩年にはコンクリート製の大型彫刻や壁画などのパブリック・アートの大作を数多く残している。1970年には日本万国博覧会(大阪万博)のガス館に陶板壁画『無垢の笑い』を制作するため来日した。ミロは1983年、アトリエのあるパルマ・デ・マヨルカで老衰のため90歳で死去した。 愛知県美術館には「絵画」(1925)が、福岡市美術館には「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」(1945)が、岐阜県美術館には「人と月」(1950)が、富山県立近代美術館には「パイプを吸う男」(1925)がそれぞれ収蔵されている。.

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サルバドール・プッチ・アンティック

サルバドール・プッチ・アンティック(、1948年 – 1974年3月2日)は1960年代のスペインのカタルーニャの反政府活動家。 Movimiento Ibérico de Liberación (MIL) のメンバーでフランコ政権末期のスペインで反政府組織の一員として資金調達のために銀行強盗をくり返し、警察官と銃撃戦になり警察官1名を射殺し、自分自身も重傷を負って警察病院に収監された。裁判で警官殺しの罪により死刑判決を受け、1974年3月2日にバルセロナの刑務所で鉄環絞首刑によって死刑が執行された。彼はスペインで鉄環絞首刑による最後の死刑を執行された2人のうちの1人である。 後に、反政府活動から死刑執行までの実話を描いた映画『サルバドールの朝』が製作された。 Category:刑死した人物 Category:バルセロナ出身の人物 Category:カタルーニャの人物 Category:スペインのアナキスト Category:1948年生 Category:1974年没 Category:銀行強盗.

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