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歌舞伎の家の芸一覧

索引 歌舞伎の家の芸一覧

歌舞伎の家の芸(かぶきの いえのげい)では、歌舞伎役者の権門がお家芸として特に定めた演目集をあげる。.

53 関係: 古劇八種可江集家の芸尾上菊五郎尾上菊五郎 (5代目)尾上菊五郎 (6代目)中村吉右衛門中村吉右衛門 (初代)中村鴈治郎中村鴈治郎 (初代)中村歌右衛門中村歌右衛門 (5代目)市川左團次市川左團次 (2代目)市川團十郎市川團十郎 (7代目)市川團十郎 (9代目)市川團蔵市川團蔵 (6代目)市川猿之助市川猿翁 (2代目)市村羽左衛門市村羽左衛門 (15代目)三河屋 (歌舞伎)玩辞楼十二曲秀山十種紀伊國屋 (歌舞伎)猿之助十八番猿之助四十八撰猿翁十種片岡十二集片岡仁左衛門片岡仁左衛門 (11代目)芸道論音羽屋高島屋 (歌舞伎)高賀十種杏花戯曲十種松嶋屋橘屋歌舞伎歌舞伎の演目一覧歌舞伎十八番淀君集澤瀉十種澤瀉屋澤村宗十郎澤村宗十郎 (7代目)成田屋成駒屋...新古演劇十種新歌舞伎十八番播磨屋 (歌舞伎) インデックスを展開 (3 もっと) »

古劇八種

古劇八種(こげき はっしゅ)は、六代目市川團蔵が撰じた三河屋・市川團蔵家のお家芸。 初代市川團蔵の当たり役といわれるが、仔細は不明。歌舞伎研究家の渥美清太郎は、いくつかの演目は荒事に関するものではないかと推測している。.

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可江集

可江集(かこうしゅう)は十五代目市村羽左衛門が自らの当たり芸を十二種選定したもの。 いわゆる歌舞伎の家の芸であるが、十五代目市村羽左衛門没後思わしい後継者に恵まれず、家系は実質上絶えてしまったこともあって、市村家の芸であることが強く意識されることはあまりない。また型としても九代目市川団十郎や六代目尾上菊五郎のものとそう大きく変わるところはないため、むしろ十五代目市村羽左衛門の稀有な個性と仁によって生みだされた特色ある役を列挙した「十五代目市村羽左衛門の十八番」的な性格のほうが濃い。 役としては白塗りの二枚目立役または若衆役かそれに類するものであること、調子のよい口跡を聞かせる役が多いこと、世話ものでは江戸前の粋でいなせな風情を見せる役が多いこと、丸本歌舞伎が少ないことなどが特徴。; 石切梶原(いしきりかじわら);盛綱陣屋(もりつなじんや); 直侍(なおざむらい):『天衣紛上野初花』(雪暮夜入谷畦道)の片岡直次郎; 切られ与三郎(きられよさぶろう):『与話情浮名横櫛』の与三郎; お祭り左七(おまつりさしち):『江戸育御祭佐七』のお祭り左七; 富樫(とがし):『勧進帳』の富樫左衛門; 実盛(さねもり):『源平布引滝』(実盛物語)の斎藤実盛; 助六(すけろく):『助六』の花川戸助六; 権八(ごんぱち):『其小唄夢廓』の白井権八; 御所五郎蔵(ごしょのごろぞう):『曾我綉侠御所染』の御所五郎蔵; いがみの権太(いがみのごんた):『義経千本桜』のいがみの権太; 勘平(かんぺい):『仮名手本忠臣蔵』の早野勘平.

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家の芸

家の芸(いえの げい)とは、能・狂言・浄瑠璃・歌舞伎・歌舞伎舞踊・上方舞などの伝統芸能において、宗家や家元とみなされる家に代々相伝する、その家が特に得意としている芸や演目。 古来「お家芸」(おいえげい)と呼ばれていたものの現代的な表現である。.

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尾上菊五郎

尾上 菊五郎(おのえ きくごろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。役者文様に斧琴菊がある。;初代 尾上菊五郎;二代目 尾上菊五郎;三代目 尾上菊五郎;四代目 尾上菊五郎;五代目 尾上菊五郎;六代目 尾上菊五郎;七代目 尾上菊五郎.

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尾上菊五郎 (5代目)

五代目 尾上菊五郎(ごだいめ おのえ きくごろう、1844年7月18日(天保15年6月4日)- 1903年(明治36年)2月18日)は、明治時代に活躍した歌舞伎役者。本名は寺島 清(てらしま きよし)。 尾上菊五郎としての屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に梅幸。 市村羽左衛門としての屋号は菊屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に家橘。 九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」の黄金時代を築いた。.

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尾上菊五郎 (6代目)

六代目 尾上 菊五郎(ろくだいめ おのえ きくごろう、1885年(明治18年)8月26日 - 1949年(昭和24年)7月10日)は大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に三朝がある。本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。 初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指す。.

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中村吉右衛門

中村 吉右衛門(なかむら きちえもん)は、歌舞伎役者の名跡。江戸時代中期に佐野川屋系が二人、明治以降に播磨屋系二人がいる。今日ただ「中村吉右衛門」というと、通常は播磨屋系の吉右衛門を指す。.

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中村吉右衛門 (初代)

初代 中村 吉右衛門(しょだい なかむら きちえもん、1886年(明治19年)3月24日 - 1954年(昭和29年)9月5日)は、明治末から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は播磨屋。定紋は揚羽蝶、替紋は村山片喰。大向うからの「大播磨」(おおはりま)の掛け声で知られた。.

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中村鴈治郎

中村 鴈治郎(なかむら がんじろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は三代目までが成駒屋、四代目は成駒家。定紋はイ菱、替紋は蝶花菱。.

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中村鴈治郎 (初代)

初代 中村 鴈治郎(しょだい なかむら がんじろう、安政7年3月6日(1860年3月27日) - 1935年(昭和10年)2月1日)は明治・大正の上方歌舞伎役者。屋号は成駒屋。定紋はイ菱。俳名に扇若・亀鶴、雅号に玩辞楼、浄瑠璃名に吉田玉太郎。本名は林 玉太郎(はやし たまたろう)。.

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中村歌右衛門

中村 歌右衛門(なかむら うたえもん)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は初代と三代目が加賀屋、二代目が蛭子屋、四代目以降が成駒屋。定紋は祇園守、替紋は裏梅。 もとは上方の役者だったが、三代目が江戸に下った。四代目までは立役として、五代目以降は女形として活躍。成駒屋系の最も古く権威ある名跡で、現在ある中村姓の名跡は、中村勘三郎系と中村富十郎系を除くすべてがこの歌右衛門系となっている。墓所は、初代・三代目は大阪市中央区中寺の正法寺、二代目・六代目が青山霊園にある。.

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中村歌右衛門 (5代目)

五代目 中村 歌右衛門(ごだいめ なかむら うたえもん、1866年2月14日(慶応元年12月29日) - 1940年(昭和15年)9月12日)は、明治から大正、戦前昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は成駒屋。定紋は祇園守、替紋は裏梅。俳名に魁玉・梅玉・梅苔。 大向うからは大成駒屋(おおなりこまや)の掛け声がかかった。本名は中村 榮太郎(なかむら ひでたろう)。.

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市川左團次

市川左團次(いちかわ さだんじ)は、歌舞伎役者の名跡。初代と二代目は明治座の座元もつとめた。屋号は高島屋。定紋は三升に左(みますに ひだり)、替紋は松皮菱に鬼鳶(まつかわびしに おにづた)。ただし代々の左團次は通常替紋の「松皮菱に鬼蔦」を使用している。.

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市川左團次 (2代目)

二代目 市川 左團次(にだいめ いちかわ さだんじ、1880年(明治13年)10月19日 - 1940年(昭和15年)2月23日)は、明治・大正・昭和に活躍し、歌舞伎の近代化に尽くした歌舞伎役者。屋号は高島屋、定紋は三升に左(みますに ひだり)、替紋は松皮菱に鬼蔦(まつかわびしに おにづた)。俳名に杏花・松莚。本名は高橋 榮次郎(たかはし えいじろう)。.

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市川團十郎

三升 杏葉牡丹 鎌輪ぬ 市川 團十郞(いちかわ だんじゅうろう、新字体:団十郎)は歌舞伎役者の名跡。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。役者文様は鎌輪ぬ(かまわぬ)。 昭和初期に山梨県笛吹市一宮町の旧家で発見された堀越氏系図によると、遠祖は能係を務めた武田家臣で、初代團十郎の曾祖父にあたる堀越十郎が市川三郷町(旧三珠町上野)の地を領し、武田滅亡後に下総国へ落ち延びたという。ただし市川宗家は、初代團十郎は成田山新勝寺にほど近い幡谷の出身で、新勝寺とは少なからず縁があったと公式に表している。これが「成田屋」という市川宗家の屋号の由来である。--> -->.

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市川團十郎 (7代目)

七代目 市川 團十郎(しちだいめ いちかわ だんじゅうろう、寛政3年(1791年) - 安政6年3月23日(1859年4月25日))は化政期から天保にかけて活躍した江戸の歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)。俳名は三升、白猿、夜雨亭、壽海老人、子福者、二九亭。 天保の改革のあおりを受けて江戸を追放されたことで有名。.

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市川團十郎 (9代目)

九代目 市川 團十郞(くだいめ いちかわ だんじゅうろう、新字体:団十郎 1838年11月29日(天保9年10月13日) - 1903年(明治36年)9月13日)は明治時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。俳号に紫扇(しせん)・團州(だんしゅう)・壽海(じゅかい)・三升(さんしょう)、雅号には夜雨庵(ようあん)。本名は堀越 秀(ほりこし ひでし)。 五代目 尾上菊五郎、初代 市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」を築いた。写実的な演出や史実に則した時代考証などで歌舞伎の近代化を図る一方、伝統的な江戸歌舞伎の荒事を整理して今日にまで伝わる多くの形を決定、歌舞伎を下世話な町人の娯楽から日本文化を代表する高尚な芸術の域にまで高めることに尽力した。 その数多い功績から「劇聖」(げきせい)と謳われた。また歌舞伎の世界で単に「九代目」(くだいめ)というと、通常はこの九代目 市川團十郎のことをさす。.

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市川團蔵

市川 團藏(いちかわ だんぞう、新字体:団蔵)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は三河屋、六代目は三芳屋とも。定紋は縦長三升、替紋は結び柏。.

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市川團蔵 (6代目)

六代目 市川團蔵(ろくだいめ いちかわ だんぞう、寛政12年〈1800年〉 - 明治4年10月22日〈1871年12月4日〉)とは、江戸時代の歌舞伎役者。屋号は三河屋、定紋は縦長三升、替紋は結び柏。俳名は三猿、團猿、雅号に市紅庵、松秀舎。 父は四代目市川團蔵の門弟初代市川荒五郎。江戸に生まれ、文化2年(1805年)市川昭世と名乗って初舞台を踏む。文化10年 、七代目市川團十郎の門下に加わり市川三蔵と改名。文化13年には初代市川茂々太郎と改名、この間に子供芝居に出る。上方や九州の舞台にも立ち、天保2年(1831年)、大坂で初代市川白蔵と改名。天保5年、江戸に帰って二代目市川九蔵を襲名する。その後は江戸と上方を往復しながら舞台を務める。嘉永5年8月(1852年)、五代目市川團蔵の未亡人の養子となり、同年10月大坂角の芝居『金烏玉兎倭入船』で六代目市川團蔵を襲名した。 体格は小柄ではあったがいろいろな役をこなした。しかし芸風は地味で人気は上がらなかったという。一方、初代團蔵と二代目團蔵が得意とした演目を「古劇八種」というお家芸にまとめている。養子に七代目市川團蔵がいる。墓所は谷中墓地にある。.

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市川猿之助

二代目市川段四郎の六部実ハ将軍太郎良門(左)と二代目市川猿之助の下男実ハ田原小藤太。二代目段四郎は前の初代猿之助で、二代目猿之助の父にあたる。明治43年 (1910) 10月東京歌舞伎座「二代目市川段四郎・二代目市川猿之助 襲名披露興行」より。『鎌髭』は四代目市川團十郎が安永3年 (1774) に初演した成田屋 市川宗家の「歌舞伎十八番」の一つだが、早くから台本が散逸してその大略も分からなくなっていた。これを大幅な創作を加えて復活上演したのが猿之助父子で、それ以来この演目は澤瀉屋 猿之助・段四郎家のお家芸として定着した。 代々喜熨斗家の墓は台東区寛永寺。 --> 市川 猿之助(いちかわ えんのすけ)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三つ猿。;初代 市川猿之助;二代目 市川猿之助;三代目 市川猿之助;四代目 市川猿之助 Category:歌舞伎役者の名跡 Category:歌舞伎役者.

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市川猿翁 (2代目)

二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年(昭和14年)12月9日 - )は、日本の俳優、演出家、歌舞伎役者。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三ツ猿。俳名に華果(かか)がある。また、紫派藤間流二代目家元として二代目藤間紫を名乗る。「猿翁」は隠居名で、49年間にわたって使い続けた三代目 市川 猿之助(さんだいめ いちかわ えんのすけ)としても広く知られる。本名は喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)。 慶應義塾大学文学部国文学科卒業。京都造形芸術大学の教授 学内の春秋座の芸術監督もを務めていたこともある。.

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市村羽左衛門

市村 宇左衞門 / 羽左衞門(いちむら うざえもん、新字体:羽左衛門)は、歌舞伎役者の名跡。名の部分は七代目までが宇左衛門、以後が羽左衛門。 屋号は七代目までは不詳、七代目から十六代目までは菊屋、十六代目以降は橘屋。 十六代目以降の定紋は根上り橘(ねあがり たちばな)、替紋は渦巻(うずまき)。.

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市村羽左衛門 (15代目)

十五代目 市村 羽左衛門(じゅうごだいめ いちむら うざえもん、1874年(明治7年)11月5日 - 1945年(昭和20年)5月6日)は、大正から戦前昭和の歌舞伎を代表する役者の一人。屋号は橘屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に可江(かこう)がある。本名は市村 録太郎(いちむら ろくたろう)。 二枚目や若衆役を中心とする白塗りの立役として活躍。時代を代表する美男子で、そのあまりもの美貌から「花の橘屋」と呼ばれた。.

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三河屋 (歌舞伎)

三河屋(みかわや)は、歌舞伎役者の屋号。 由来は未詳。 三河屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.

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玩辞楼十二曲

玩辞楼十二曲(がんじろうじゅうにきょく)とは、初代中村鴈治郎が撰んだ成駒屋(中村鴈治郎家)のお家芸のこと。.

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秀山十種

山十種(しゅうざん じっしゅ)は、初代中村吉右衛門が撰じた播磨屋の中村吉右衛門家のお家芸。「秀山」は中村吉右衛門の俳号である。.

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紀伊國屋 (歌舞伎)

紀伊國屋(きのくにや)は、歌舞伎役者の屋号。 初代澤村宗十郎が紀伊國の出身だったことがその名の由来。 紀伊國屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.

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猿之助十八番

猿之助十八番(えんのすけ じゅうはちばん)は、三代目市川猿之助が昭和63年(1988年)に撰した澤瀉屋・市川猿之助家のお家芸。.

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猿之助四十八撰

三代猿之助四十八撰(さんだい えんのすけ しじゅうはっせん)は、三代目市川猿之助が平成22年(2010年)に撰した澤瀉屋・市川猿之助家のお家芸。 従前の「猿之助十八番」を新たに見直し、自らが深く関わった演目を 1) 通し狂言を復活させたもの、2) 古典歌舞伎を新しい演出で再構成したもの、3) 自身が得意とする舞踊劇、4) スーパー歌舞伎と新作歌舞伎、の4項目に分類し、それぞれに18種・10種・10種・10種を撰した。また各項目には「復活通し狂言」、「猿之助新演出」、「華果」(かか、三代目猿之助の俳名)、「スーパー歌舞伎」と、いずれも三代目猿之助の舞台とは不可分の表現となった文言で括られており、文字通り自身の舞台活動の集大成としてこれを前面に押し出したかたちの一覧ともなっている。.

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猿翁十種

猿翁十種(えんおう じっしゅ)は、昭和39年(1964年)に三代目市川猿之助が撰じた澤瀉屋・市川猿之助家のお家芸。 祖父・二代目市川猿之助(初代市川猿翁)が創作し、得意とした舞踊劇を十番選んだものである。.

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片岡十二集

片岡十二集(かたおか じゅうにしゅう)は、十一代目片岡仁左衛門が撰じた松嶋屋のお家芸。.

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片岡仁左衛門

片岡 仁左衛門(かたおか にざえもん、旧字体:仁左衞門)は、歌舞伎役者の名跡。 屋号は初代と二代目は不詳、三代目から五代目までが土佐屋、六代目が富桝屋、七代目以降が松嶋屋。七代目以降の定紋は七つ割丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。.

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片岡仁左衛門 (11代目)

十一代目 片岡 仁左衛門(じゅういちだいめ かたおか にざえもん、安政4年12月4日(1858年1月18日) - 昭和9年(1934年)10月16日)は、明治から昭和初期にかけて活躍した歌舞伎役者。主に立役。屋号は松嶋屋。定紋は七ツ割丸に二引。俳名に我當、萬麿。本名は片岡 秀太郎(かたおか ひでたろう) 養子に十三代目片岡仁左衛門。.

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芸道論

芸道論(げいどうろん)とは、平安時代から江戸時代あたりまでの和歌、猿楽、生け花、茶の湯、香、武術などの道を究めるために、その道の達人が後継者や師弟、門人の修行のよすがとして書き残したもの。 芸道教育といった言い方をする場合もある。 代表的な芸道論には次のようなものがある。.

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音羽屋

音羽屋(おとわや)は、歌舞伎役者の屋号。 初代尾上菊五郎の父・半平は、京の都萬太夫座(みやこ まんだゆう ざ)付き芝居茶屋の出方を営んでいたが、生まれたのが東山の清水寺にほど近い地だったことから、その境内の「音羽の滝」にちなんで、自らを音羽屋半平(おとわや はんぺい)と名乗っていたことがその名の由来。 音羽屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.

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高島屋 (歌舞伎)

島屋(たかしまや、島屋)は、歌舞伎役者の屋号。 四代目市川小團次の実家が江戸市村座で火縄を売る茶屋・高島屋だったことにその名は由来する。 高島屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.

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高賀十種

賀十種(こうが じっしゅ)は、七代目澤村宗十郎が撰じた選定した紀伊國屋 澤村宗十郎家のお家芸。.

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杏花戯曲十種

杏花戯曲十種(きょうか ぎきょく じっしゅ)は、二代目市川左團次が撰した高島屋 市川左團次家のお家芸8種。当初は松莚戯曲十種(しょうえん ぎきょく じっしゅ)といったが、後に二代目左團次の俳名である「杏花」に拠って現行の名称になった。 いずれも新歌舞伎の演目で、岡本綺堂作の演目が6種を占める。.

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松嶋屋

松嶋屋(まつしまや)は、歌舞伎役者の屋号。 由来は不詳。 松嶋屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.

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橘屋

橘屋(たちばなや)は、歌舞伎役者の屋号。 市村羽左衛門の系統と、吉澤あやめの系統の、二通りがある。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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歌舞伎の演目一覧

歌舞伎の演目一覧(かぶきの えんもく いちらん)では、歌舞伎の代表的な演目をあげる。 以下一覧中:.

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歌舞伎十八番

歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)は、天保年間に七代目市川團十郎(当時五代目市川海老蔵)が市川宗家のお家芸として選定した、18番の歌舞伎演目。当初は歌舞妓狂言組十八番(かぶき きょうげん くみ じゅうはちばん)といい、それを略して歌舞伎十八番といったが、後代になると略称の方がより広く一般に普及した。 十八番の演目は、いずれもかつて初代團十郎・二代目團十郎・四代目團十郎が特に得意とした荒事ということになっているが、そのなかには、すでに撰者の七代目團十郎の時代には内容がよくわからなくなってしまっていたものも含まれている。そうした演目は、いずれも明治以降に大幅な創作が加えられた上で「復活上演」されている。 十八番のなかで最も人気が高い(=上演回数が多い)のは『助六』『勧進帳』『暫』の三番。『助六』は原型となった演目の初演から100年近くも経った七代目團十郎の時代に現行の体裁に落ち着いたもの、『勧進帳』はその七代目自身が数年の歳月をかけて新たに書き下ろし九代目團十郎が現行の型を完成させたもの、『暫』もまた先述の九代目が明治の中頃になって現行の型を完成させたもので、これらはいずれも初代や二代目の團十郎とは関連性が希薄な、当時における事実上の新作といえるものである。.

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淀君集

淀君集(よどぎみしゅう)は、五代目中村歌右衛門が撰じた成駒屋中村歌右衛門家のお家芸。 いずれも淀君が主要な役どころとして登場する演目で、五代目が得意としたものばかりである。ひとつのお家芸を構成する役柄がすべて同一人物というのは、この「淀君集」をおいて他に例を見ない。当初は10種の予定だったが6種にとどまった。.

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澤瀉十種

澤瀉十種(おもだかじっしゅ)は、昭和50年(1975年)に三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)が撰した澤瀉屋・市川猿之助家のお家芸。 祖父の二代目市川猿之助(初代市川猿翁)が創作して初演した舞踊に、三代目が演出した舞踊を加えたものである。これに先立つ「猿翁十種」とは異なり、こちらは祖父・孫の二代にわたる猿之助の創作舞踊なので、屋号の澤瀉屋をこの名称に冠した。.

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澤瀉屋

澤瀉屋(おもだかや)は、歌舞伎役者の屋号。 初代市川猿之助(二代目市川段四郎)の生家が副業として薬草の澤瀉を扱う薬屋を商なっていたといわれることに由来する。.

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澤村宗十郎

澤村 宗十郎(さわむら そうじゅうろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は紀伊國屋。定紋は丸にいの字、替紋は花有り足有りの笹竜胆。 代々の墓は田島山十一ヶ寺受用院にある。.

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澤村宗十郎 (7代目)

七代目 澤村宗十郎(しちだいめ さわむら そうじゅうろう、1875年(明治8年)12月30日 - 1949年(昭和24年)3月2日)は歌舞伎役者。女形、立役。本名は澤村福蔵。屋号は紀伊國屋。俳名に高賀。東京市出身。一説には東本願寺法主の隠し子とも言う。二代目澤村訥升の養子。.

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成田屋

成田屋(なりたや)は、歌舞伎役者の屋号。歌舞伎における屋号の始まりといわれる。.

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成駒屋

成駒屋・成駒家(なりこまや)は、歌舞伎役者の屋号。.

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新古演劇十種

新古演劇十種(しんこ えんげき じっしゅ)は、五代目尾上菊五郎と六代目尾上菊五郎によって撰じられた音羽屋 尾上菊五郎家のお家芸。.

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新歌舞伎十八番

新歌舞伎十八番(しん かぶきじゅうはちばん)は、七代目市川團十郎と九代目市川團十郎が撰した成田屋・市川宗家のお家芸。.

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播磨屋 (歌舞伎)

播磨屋(はりまや)は、歌舞伎役者の屋号。 初代中村歌六は、大坂三井の番頭・丹波屋甚助の子に生まれたが、播磨屋作兵衛の養子に出されたことにその名は由来する。 中村歌六は五代目のとき、中村歌昇は三代目のとき、中村時蔵は五代目のとき、いずれも「萬屋」に替わったが、このうち歌六・歌昇の兄弟は後年元の播磨屋に復帰している( → 詳細は「萬屋」の項を参照)。三代目中村歌六の長男が「大播磨」(おおはりま)と呼ばれた初代中村吉右衛門である。 播磨屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.

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