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歌人一覧

索引 歌人一覧

歌人一覧(かじんいちらん)は、著名な歌人の一覧。.

363 関係: 加藤千恵 (歌人)加藤孝男加藤克巳加藤英彦加藤治郎 (歌人)まほろば薫十市遠忠千代國一千々和久幸千葉聡南原繁古泉千樫吉川宏志吉井勇吉田兼好吉田漱吉野秀雄吉植庄亮吉澤義則坪野哲久坂井修一堀田季何塚本邦雄塩谷朝業大口玲子大友黒主大塚寅彦大島史洋大弐三位大伴家持大伴旅人大田美和大西民子大谷和子大辻隆弘大松達知大森静佳大滝和子天道なお天野慶太田青丘太田水穂奥田亡羊奥村晃作宮崎信義宮英子宮柊二宗不旱安立スハル安森敏隆...安永蕗子寺山修司富小路禎子小島なお小島ゆかり小川佳世子小川真理子小中英之小式部内侍小高賢小野小町小野茂樹小野興二郎小林幹也小池光尾崎まゆみ尾崎左永子山崎方代山川登美子山上次郎山上憶良山中智恵子山田富士郎山田航山田消児山部赤人岡しのぶ岡崎裕美子岡井隆岡部桂一郎岡野弘彦岡本かの子岡本勝 (法学者)岩田正岸上大作島田幸典島田修三島田修二島津忠景島木赤彦川島喜代詩川田順川野里子巽聖歌上田三四二上村典子 (歌人)与謝野鉄幹与謝野晶子中城ふみ子中原中也中古三十六歌仙中家菜津子中野嘉一中村徳也中村憲吉中沢直人中河幹子中澤系中濱絲子三十六歌仙三井修三ヶ島葭子三枝昂之三枝浩樹下村宏平兼盛平賀元義久木田真紀五島美代子五味保義井辻朱美今井邦子今野寿美今橋愛建礼門院右京大夫仙波龍英伊勢 (歌人)伊藤左千夫伊藤一彦会津八一式子内親王似雲住友友成住谷三郎佐久良東雄佐伯裕子佐佐木幸綱佐佐木信綱佐藤弓生佐藤佐太郎佐藤志満佐藤羽美佐藤真由美 (歌人)佐藤通雅徽子女王俵万智土屋文明土岐善麿在原業平北原白秋北久保まりこ北村季吟初井しづ枝嵯峨直樹喜多昭夫喜撰和泉式部内山晶太内藤明入江相政八木沼丈夫六歌仙光栄堯夫光森裕樹前川佐美雄前田夕暮前登志夫勝野かおり石川不二子石川啄木石川美南石田比呂志玉井清弘玉田黙翁福島泰樹秋山佐和子秋山律子秋葉四郎秋村功稲葉京子穂村弘窪田空穂窪田章一郎竹山広笹井宏之笹公人筒井富栄篠弘築地正子米川千嘉子紫式部細溝洋子紀友則紀貫之紀野恵真中朋久猿丸大夫結城哀草果生沼義朗生方たつゑ田中濯田中拓也田井安曇田谷鋭田捨女田村元 (歌人)田江岑子由谷一郎花山多佳子遍昭道浦母都子違星北斗荻原裕幸萩原広道萩原朔太郎萩原慎一郎須永朝彦飯富季貞西四辻公業西王燦西行馬場あき子香取秀真香川ヒサ香川美人香川末光香川景樹角宮悦子高安国世高山鉄男高島裕高嶋健一高畠式部高瀬一誌高野公彦高村光太郎高橋俊人高木佳子鳥居 (歌人)賀茂真淵黒田淑子黒瀬珂瀾齋藤芳生辰巳泰子辺見じゅん近藤芳美霊元天皇錦三郎茅野雅子都築直子背奈行文鈴鹿俊子鈴木重嶺阿木津英赤染衛門鵜飼康東藤原基俊藤原定家藤原俊成藤原兼輔藤原元真藤原為時藤原顕季藤原顕輔藤原龍一郎藤原清輔藤井常世葛原妙子蒔田さくら子脇坂安元野口あや子野口恵子長塚節長沢美津長澤一作良寛若山牧水若林牧春雨宮雅子雪舟えま折口信夫折口春洋柚木圭也柳澤美晴柴生田稔柿本人麻呂染野太朗枡野浩一林和清李正子来嶋靖生東直子松山茂助松平盟子松野志保松村由利子松村正直松木秀松本典子 (歌人)板宮清治杉山太郎杉浦翠子栗木京子桑原正紀梅内美華子棚木恒寿森岡貞香横山未来子樋口智子 (歌人)橘曙覧橋本喜典櫟原聰正岡子規正徹武川忠一武者小路実陰歌人水原紫苑永井陽子永田和宏永田紅永田淳江戸雪池田はるみ河野裕子河野愛子沼波万里子沖ななも渡辺松男清少納言清水比庵清水房雄源季遠源実朝源仲政源俊頼源光行源義家源頼政源順源親行澤村斉美服部真里子木下幸文木下利玄木下勝俊木俣修本多俊民本多稜本田一弘成沢未来春日井建浜名理香浜田康敬斎藤史斎藤喜博斎藤瀏斎藤茂吉文屋康秀斉藤斎藤日高堯子曲亭馬琴時田則雄 インデックスを展開 (313 もっと) »

加藤千恵 (歌人)

加藤 千恵(かとう ちえ、1983年11月10日 - )は北海道旭川市出身の歌人、小説家。通称、ニックネームは、かとちえ。.

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加藤孝男

加藤 孝男(かとう たかお、1960年11月20日 - )は、日本の歌人、身体哲学研究者。東海学園大学教授。歌誌「まひる野」所属。.

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加藤克巳

加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、歌人。.

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加藤英彦

加藤 英彦(かとう ひでひこ、1954年9月30日 - )は、歌人。短歌誌「Es」編集・発行人。日本文藝家協会会員。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ会員。FLYING KIDSのギタリストは同姓同名の別人。 広島県生まれ。1972年に短歌誌「創作」に、1976年に短歌誌「氷原」に入会。1988年、同人誌「DOA」創刊に参加。1998年に退会した後、2001年より短歌誌「Es」同人。2007年、第1歌集「スサノオの泣き虫」で第13回日本歌人クラブ新人賞を受賞。.

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加藤治郎 (歌人)

加藤 治郎(かとう じろう、1959年11月15日 - )は、日本の歌人。歌誌「未来」選者。.

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まほろば薫

まほろば 薫(まほろば かおる)は日本の歌人。 雙葉学園、学習院大学卒業。 1997年11月に神戸国際展示場で開催された「地球環境フェアin神戸'97」ではイベントの一環として「まほろば薫環境短歌ライブショー」を開催する。 1997年12月に京都で開催された地球温暖化防止会議(COP3)では、当時の環境庁(現環境省)監修のもとに環境事業団より英訳付きの和綴じの環境和歌集『夢紅葉』を発刊する。 2005年12月にカナダで開催された地球温暖化防止会議でも現地で各国政府関係者に自作の短歌と小学生たちの短歌をまとめた歌集、『たまゆら―永遠の刻(とき)』を配る。 2015年文化の日には、東久邇宮文化褒賞を受賞。.

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十市遠忠

十市 遠忠(とおち / とおいち とおただ、1497年(明応6年)-1545年(天文14年))は、室町時代-戦国時代の武将。十市遠治の子。大和国龍王山城主。官位は従五位下兵部少輔。.

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千代國一

千代 國一(ちよ くにいち、1916年1月30日 - 2011年8月29日)は、日本の歌人。.

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千々和久幸

千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )は、歌人、詩人。.

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千葉聡

千葉 聡(ちば さとし、1968年9月4日 - )は、日本の歌人、高校教諭。短歌同人誌「かばん」所属。.

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南原繁

南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京帝国大学の総長を務めた。東京大学名誉教授。.

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古泉千樫

古泉 千樫(こいずみ ちかし、1886年9月26日 - 1927年8月11日)は、日本の歌人。本名は幾太郎。 貧困と病弱に苦しみながら創作を続けたことで知られる。.

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吉川宏志

吉川 宏志(よしかわ ひろし、1969年1月15日 - )は、日本の歌人。塔短歌会主宰。妻は歌人の前田康子 。 宮崎県東郷町出身。宮崎県立宮崎大宮高等学校、京都大学文学部国文学科卒業。高校の教諭だった志垣澄幸の紹介で「塔」に入会し、永田和宏に師事。「京都大学短歌会」復興メンバーとなり、梅内美華子、島田幸典、林和清らとともに活動する。京都新聞歌壇選者。.

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吉井勇

吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、大正期・昭和期の歌人、脚本家である。華族(伯爵)でもあった。.

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吉田兼好

吉田 兼好(よしだ けんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔・卜部兼顕の子。本名は卜部兼好(うらべ かねよし/うらべ の かねよし)。 卜部氏の嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになり、江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している。また、兼好と呼ぶこともある。 日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者であり、また私家集に『兼好法師家集』がある。.

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吉田漱

吉田 漱(よしだ すすぐ、1922年3月11日 - 2001年8月21日)は、日本の歌人、浮世絵研究家。筆名・利根光一。.

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吉野秀雄

吉野 秀雄(よしの ひでお、1902年(明治35年)7月3日 - 1967年(昭和42年)7月13日)は、近代日本の歌人、書家、文人墨客。号は艸心。多病に苦しみながら独自の詠風で境涯の歌を詠んだ。.

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吉植庄亮

吉植 庄亮(よしうえ しょうりょう、1884年4月3日 - 1958年12月7日)は、日本の歌人、政治家。.

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吉澤義則

吉澤 義則(よしざわ よしのり、1876年8月22日 - 1954年11月5日)は、日本の国語学者、国文学者、歌人。 氏名の表記は吉沢義則とされることも多い。.

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坪野哲久

坪野哲久(つぼの てっきゅう、1906年9月1日-1988年11月9日)は、日本の歌人。本名、坪野久作。妻は歌人の山田あき。.

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坂井修一

坂井 修一(さかい しゅういち、1958年11月1日 - )は、日本の歌人、情報理工学者、東京大学教授。愛媛県出身。 短歌結社「かりん」に所属。科学者としての視点を生かしながら人間的な振幅を示す表現が特徴。現在、「かりん」編集人、現代歌人協会理事。 また、情報理工学の分野でも活躍し、電子技術総合研究所(現:産業技術総合研究所)に勤務していたときに、汎用性があるという意味で世界初といわれている高並列データ駆動計算機「EM-4」の開発に携わる。その後マサチューセッツ工科大学招聘研究員、筑波大学助教授、東京大学工学部助教授、同大学情報理工学系研究科教授。情報処理学会フェロー、電子情報通信学会フェロー、 放送倫理・番組向上機構(BPO)理事、日本学術会議連携会員などでもある。 妻は同じく歌人の米川千嘉子。.

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堀田季何

堀田 季何(ほった きか、1975年12月21日 - )は、日本の歌人、俳人、翻訳家。東京都文京区本郷生まれ。本名、勤務・所属先(文芸関係以外)非公開。.

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塚本邦雄

塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。若い頃の別名に碧川瞬、火原翔(この二つは、日本現代詩歌文学館にて確認 )、菱川紳士( 士 は省かれる場合もある )等があり、晩年の教授時代の学生たちとの歌会では鴻池黙示を好んで使った。それでも、著書目録にある単行本や文庫本には、これらの著者名で出版されたものはない。 長男は作家の塚本靑史。.

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塩谷朝業

塩谷 朝業(しおのや ともなり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・御家人・歌人。宇都宮成綱の子。母は平忠正の長子の新院蔵人長盛(新院は崇徳天皇の事)の娘。実父と養父の名を取って朝業と名乗る。下野宇都宮氏の生まれだが、当代の清和源氏流塩谷氏当主朝義に子が無かったことから、朝義の娘婿となり塩谷氏の名跡を継ぐ。系図では、子に塩谷親朝、笠間時朝、26歳で出家して親鸞の弟子となった塩谷朝貞(賢快・肥前法師)、三人の男子の間に一人ずつ娘(第二子、第四子)がいる。.

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大口玲子

大口 玲子(おおぐち りょうこ、1969年11月17日 - )は日本の歌人。歌誌「心の花」所属。宮崎県宮崎市在住。本名、宮下玲子。.

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大友黒主

大友 黒主 / 大伴 黒主(おおとも の くろぬし、生没年不詳)は平安時代の歌人・官人。姓は村主。六歌仙の一人。官位は従八位上・滋賀郡大領。.

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大塚寅彦

大塚 寅彦(おおつか とらひこ、1961年5月17日 - )は、日本の歌人。2004年より中部短歌会主幹、歌誌「短歌」編集発行人。.

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大島史洋

大島 史洋(おおしま しよう、1944年7月24日 - )は、歌人。本名読み、ふみひろ。岐阜県中津川市出身。歌誌「未来」選者・運営委員長。現代歌人協会理事長。歌人としての実作活動のみならず、「未来」誌の編集実務を取り仕切る編集者としても活躍。マガジンハウスで「鳩よ!」などの編集長を務めた大島一洋は兄。.

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大弐三位

大弐三位 大弐三位歌碑、有馬山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする、京都市上京区廬山寺内 大弐三位(だいにのさんみ、長保元年(999年)頃? -永保2年(1082年)頃?)は、平安時代中期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原宣孝の娘、母は紫式部。本名は藤原賢子(ふじわら の かたいこ/けんし)。藤三位(とうのさんみ)、越後弁(えちごのべん)、弁乳母(べんのめのと)とも呼ばれる。.

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大伴家持

大伴 家持(おおとも の やかもち)は、奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。 『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残すを生き延び、延暦年間には中納言まで昇った。.

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大伴旅人

大伴旅人(菊池容斎・画、明治時代) 大伴 旅人(おおとも の たびと、天智天皇4年(665年) - 天平3年7月25日(731年8月31日)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族・歌人。名は多比等とも記される。大納言・大伴安麻呂の長男。官位は従二位・大納言。.

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大田美和

大田 美和(おおた みわ、1963年1月15日 - )は、歌人、英文学者。中央大学文学部教授。専門は19世紀英国小説。夫は歌人の江田浩司。.

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大西民子

大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名菅野民子。日常の風景をあらわした短歌で知られる。.

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大谷和子

大谷 和子(おおたに かずこ、1955年6月5日 - )は歌人。歌誌「花笑み」代表。夫は俳人の遠藤若狭男。.

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大辻隆弘

大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )は、歌人、高校教諭(国語科)。現代歌人協会会員、現代歌人集会理事、日本文藝家協会会員、中部日本歌人会副委員長、三重県歌人クラブ委員長、『未来』選者、同人誌「レ・パピエ・シアン・Ⅱ」代表。 元皇學館大学講師。現三重県立津西高等学校国語科教諭。.

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大松達知

大松 達知(おおまつ たつはる、1970年12月30日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」選者・編集委員・О先生賞選考委員。同人誌「COCOON」発行人。現代歌人協会会員。高野公彦に師事。中野区在住。.

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大森静佳

大森 静佳(おおもり しずか、1989年5月11日 - )は、歌人。岡山県出身、京都市在住。「塔」編集委員。 岡山県立岡山朝日高等学校在学時に短歌に出会い、2年次より「毎日歌壇」への投稿を始める。高校3年時に毎日歌壇賞を受賞。京都大学文学部入学と同時に京都大学短歌会に入会、のちに同会代表を務める。 大学在学中の2010年に作品「硝子の駒」50首で第56回角川短歌賞受賞。 2013年、第1歌集『てのひらを燃やす』を刊行し、第39回現代歌人集会賞受賞。翌2014年、同歌集で第20回日本歌人クラブ新人賞、第58回現代歌人協会賞を受賞。なおいずれの賞でも史上初の平成生まれの受賞者である。.

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大滝和子

大滝 和子(おおたき かずこ、1958年11月1日 - )は、歌人。本名、矢口和子。.

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天道なお

天道 なお(てんどう なお、1979年4月26日 - )は、歌人。千葉県出身。 早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。高校3年生時の自由研究の時間に「簡単なものを選べば楽できるかな」という理由で短歌創作を選択したことから作歌を始める。大学在学中に早稲田大学短歌会に入会、水原紫苑の短歌創作ゼミを受講。2000年、短歌研究社主催「うたう」作品賞候補作。2001年、『午後光』で第2回大西民子賞奨励賞。2003年、「未来」短歌会に入会し、加藤治郎に師事。 毎日新聞 Women interactive カモミールにて連載されていた、短歌+イラストの動画配信サービス「テノヒラタンカ」に参加。.

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天野慶

天野 慶(あまの けい、1979年10月19日 - )は歌人。「短歌人」所属。東京都三鷹市出身。 日常における様々な“言葉にならない思い”を言葉にする現代歌人。繊細な感性と力強い表現力で、新しい時代の短歌をつくり続けている。近年は百人一首関連の著書が多い。.

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太田青丘

太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 1996年11月15日)は、日本の歌人、漢文学者、法政大学名誉教授。 長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)生まれ。本名・兵三郎。太田水穂の兄の子で、のち水穂・四賀光子の養子となる。1928年水穂の歌誌『潮音』に入会。旧制武蔵高等学校を経て、1934年東京帝国大学文学部支那文学科卒。大学院をへて文部省国民精神文化研究所所員。1949年法政大学教授。1955年「日本歌学と支那詩学との交渉」で東京大学文学博士。1965年『潮音』代表者。1980年法政大学定年。1984年編者として『太田水穂全歌集』(短歌新聞社)を刊行。妻は歌人の太田絢子。.

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太田水穂

太田 水穂(おおた みずほ、1876年(明治9年)12月9日 - 1955年(昭和30年)1月1日)は、日本の歌人、国文学者。本名は太田貞一、別号・みづほのや。.

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奥田亡羊

奥田 亡羊(おくだ ぼうよう、1967年6月5日 - )は、日本の歌人。現代歌人協会理事。相模女子大学講師。篤志面接委員。本名は奥田 尚良(おくだ たかよし)。.

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奥村晃作

奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は、歌人。歌誌「コスモス」選者。.

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宮崎信義

宮崎 信義(みやざき のぶよし 1912年2月24日 - 2009年1月2日)は、日本の歌人。口語自由律短歌(いわゆる新短歌)の隆盛に努めた。短歌雑誌「未来山脈」代表。京都歌人協会委員長。新短歌人連盟会長。現代歌人協会会員。.

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宮英子

宮 英子(みや ひでこ、1917年2月23日-2015年6月26日)は、歌人。夫は宮柊二。 富山県出身。旧姓・瀧口。瀧口修造の従妹にあたる。東京女子高等師範学校卒。1937年、歌誌「多磨」に入会し、北原白秋に師事。同門の宮柊二と結婚し、1953年に「コスモス」創刊に参加。1986年の柊二没後、後を継いで「コスモス」発行人となった。2008年宮中歌会始で召人を務めた。2005年『西域更紗』で第20回詩歌文学館賞受賞、2013年『青銀色』で第36回現代短歌大賞受賞。.

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宮柊二

宮 柊二(みや しゅうじ、1912年(大正元年)8月23日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。 妻は同じく歌人の宮英子(旧名、瀧口英子)。.

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宗不旱

宗 不旱(そう ふかん、1884年5月14日 - 1942年5月末)は、歌人。万葉調の歌をよみ、漂泊の歌人と称された。.

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安立スハル

安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - 2006年2月26日)は、歌人。京都市東山区出身。 1940年、京都府立桃山高等女学校卒業。1941年、歌誌「多磨」入会。1949年、宮柊二に初めて会い、指導を受けるようになる。1949年、歌誌「コスモス」創刊に参加。1964年、第一歌集『この梅生ずべし』を刊行。.

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安森敏隆

安森 敏隆(やすもり としたか、1942年 - 2018年1月9日)は、日本の歌人、日本近代文学研究者、同志社女子大学名誉教授。広島県出身。 専門は近代・現代の詩歌文学。斎藤茂吉と塚本邦雄研究。短歌結社誌「ポトナム」代表。「京都短歌」(朝日新聞京都版)選者。現代歌人集会理事。全国大学国語国文学会常任理事。キリスト教文学会関西支部理事。 学生時代、「立命短歌」「京都大学短歌会」に参加。「幻想派」を永田和宏・河野裕子等と、「枯野」を俳人の坪内稔典等と創刊。1981年、歌集「沈黙の塩」で第5回現代歌人集会賞受賞。2009年、歌集「百卒長」で第36回日本歌人クラブ賞受賞。近年は、介護する人・される人たちへの「介護百人一首」(NHK教育テレビ「福祉ネットワーク・介護の達人」)や「城崎百人一首」「城崎百人一句」(城崎温泉主催)や「SEITO百人一首」(同志社女子大学主催)を中心に「介護短歌」等を提唱した。.

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安永蕗子

安永 蕗子(やすなが ふきこ、1920年(大正9年)2月19日 - 2012年(平成24年)3月17日)は、熊本県熊本市御徒町(現・中央区安政町)出身の歌人・宮中歌会始選者。熊本県熊本市名誉市民。「春炎」の号を持つ書家でもあり、毎日書道展名誉会員。ノンフィクション作家の永畑道子は妹。.

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寺山修司

寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年(昭和10年)12月10日 - 1983年(昭和58年)5月4日)は日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。 「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。.

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富小路禎子

富小路 禎子(とみのこうじ よしこ、1926年8月1日 - 2002年1月2日)は、歌人。敗戦で没落した旧華族に生きる青春の歌などで知られる。.

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小島なお

小島 なお(こじま なお、1986年8月31日 - )は、日本の歌人。本名、横井直子。「コスモス」短歌会所属。母は歌人の小島ゆかり。.

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小島ゆかり

小島 ゆかり(こじま ゆかり、1956年9月1日 - )は、歌人である。本名:横井ゆかり。.

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小川佳世子

小川 佳世子(おがわ かよこ、1960年5月31日 - )は、歌人、能楽研究者。京都府出身。.

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小川真理子

小川 真理子(おがわ まりこ、1970年3月15日 - )は、歌人。東京都品川区出身。 明治大学大学院文学研究科仏文学専攻博士前期課程修了。渋沢孝輔に師事。明治大学仏文科4年時に早稲田大学での佐佐木幸綱の講義を聴講したことがきっかけで、1994年に短歌結社竹柏会「心の花」に入会し、佐佐木幸綱に師事。2001年に「盗めざる宝石」20首で第1回心の花賞受賞、「逃げ水のこゑ」30首で第44回短歌研究新人賞を受賞。 生業であるフランス語教師としての立場から、言葉や文字に目を向けた作風が特徴。第一歌集のタイトルとなっている「母音梯形(トゥラペーズ)」とは、「ある言語の母音を発音する際に、口をどのように開き舌をどこに置くかなどということを、一つの梯形で図示したもの」だという。.

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小中英之

小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 2001年11月21日)は、歌人。 海軍士官だった父の勤務地・京都府舞鶴市に生まれる。戦後は海上保安庁に勤めた父に従って小樽市、釧路市、江差町と移り住む。北海道江差高等学校卒業後、上京して文化学院文科に入学するも中退。1955年の春より、詩人・俳人の安東次男に師事。1961年、歌誌「短歌人」に入会。斎藤史を慕っての入会だったが、歌誌「原型」を創刊して脱会した動きには同調しなかった。 若くから結核などの病に苦しみ、死と背中合わせの日常の中で作歌を続けた。生前には二冊の歌集しか残さず、歌壇的な交流も少ない孤高の歌人であった。1997年から2000年まで、角川短歌賞選考委員を務めた。2001年11月21日、虚血性心不全にて死去。.

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小式部内侍

小式部内侍(こしきぶ の ないし、長保元年(999年)頃 - 万寿2年(1025年)11月)は平安時代の女流歌人。掌侍。女房三十六歌仙の一人。父は橘道貞、母は和泉式部。母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・彰子に出仕した。そのため、母式部と区別するために「小式部」という女房名で呼ばれるようになった。.

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小高賢

小高 賢(こだか けん、1944年7月13日 - 2014年2月10日)は、日本の編集者、歌人。本名・鷲尾賢也。.

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小野小町

小野小町(『前賢故実』菊池容斎画、明治時代) 歌碑(京都随心院)「花の色は」の歌が刻まれている。 小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。.

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小野茂樹

小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。.

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小野興二郎

小野 興二郎 (おの こうじろう、1935年 - 2007年10月28日)は歌人。歌誌「泰山木」主宰。.

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小林幹也

小林 幹也(こばやし みきや、Mikiya Kobayashi、1981年 - )は日本のデザイナー。東京都生まれ。MIKIYA KOBAYASHI DESIGN 代表。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒。.

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小池光

小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日 - )は、日本の歌人。学位は理学修士(東北大学)。本名は小池 比加兒。仙台文学館館長(第2代)。.

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尾崎まゆみ

尾崎 まゆみ(おざき まゆみ、1955年1月17日 - )は、愛媛県今治市生まれの歌人。本名は尾﨑。兵庫県神戸市在住。 早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業。1991年、「微熱海域」で第34回短歌研究新人賞受賞。塚本邦雄が創刊した歌誌『玲瓏』の編集委員で選者を務める。神戸新聞文芸短歌選者。.

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尾崎左永子

尾崎 左永子(おざき さえこ、1927年11月5日 - )は、歌人、随筆家。歌誌「星座」主筆。本名は尾崎磋瑛子(読みは同じ)。.

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山崎方代

山崎 方代(やまざき ほうだい、1914年(大正3年)11月1日‐1985年(昭和60年)8月19日)は、日本の歌人。.

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山川登美子

山川登美子(やまかわ とみこ、1879年(明治12年)7月19日 - 1909年(明治42年)4月15日)は、歌人である。本名・とみ。弟は小説家の山川亮。.

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山上次郎

山上 次郎(やまがみ じろう、1913年(大正2年)1月1日- 2010年(平成22年))は、日本の歌人・文筆家。別名「童馬堂人」。.

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山上憶良

山上 憶良(やまのうえ の おくら、斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?)は、奈良時代初期の貴族・歌人。名は山於 億良とも記される。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。.

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山中智恵子

山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)は日本の歌人。 愛知県名古屋市出身。三重県鈴鹿市に居住した。京都女子専門学校(現・京都女子大学)卒業。21歳のとき「日本歌人」に入会し、前川佐美雄 に師事。深い古典教養と幻想性を混交させた作風から「現代の巫女」とも評された。女流における前衛歌人の代表的存在である。斎宮の研究でも知られる。 1956年、第1回日本歌人賞を受賞。1978年、『青章』で第3回現代短歌女流賞を受賞。1984年、「星物語」(歌集『星醒記』に収録)で第20回短歌研究賞を受賞。1985年、『星肆』で第19回迢空賞を受賞。2005年、『玲瓏之記』で第3回前川佐美雄賞を受賞。.

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山田富士郎

山田 富士郎(やまだ ふじろう、1950年11月4日 - )は、歌人。新潟県出身・在住。「未来」選者。本名、山田富士雄。 立教大学文学部日本文学科卒業。在学中は井上宗雄に学んだ。藤田湘子に師事して俳句を作った後、短歌に転向。1985年に未来短歌会に入会し、岡井隆に師事。1987年、作品「アビー・ロードを夢みて」で第33回角川短歌賞を受賞。1991年、歌集『アビー・ロードを夢みて』で第35回現代歌人協会賞を受賞。2001年、歌集『羚羊譚』で第6回寺山修司短歌賞と第1回短歌四季大賞を受賞。「歌壇」にて、新潟県出身の歌人・會津八一の評伝を連載している。.

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山田航

山田 航(やまだ わたる、1983年8月22日 - )は、日本の歌人。.

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山田消児

山田 消児(やまだ しょうじ、1959年10月31日 - )は歌人。.

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山部赤人

山部赤人像/ 蜷川式胤所蔵品 山部 赤人(やまべ の あかひと、生年不詳 - 天平8年(736年)?)は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。大山上・山部足島の子とし、子に磐麻呂がいたとする系図がある鈴木真年『諸系譜』第二冊、山宿禰。官位は外従六位下・上総少目。後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。.

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岡しのぶ

岡 しのぶ(おか しのぶ、1976年12月28日- )は北海道恵庭市出身の女流歌人。 中学3年の時に旭川市に移住し、旭川工業高等専門学校2年の時から短歌を作り始める。デビューするや、早熟な女流歌人として大きく評価を得た。 容姿や歌はまさしく早熟な女流歌人としての評価を得るに相応しかった。卒業後は札幌テレビ放送に入社し、「岡しのぶの明日への伝言板」というラジオ番組のパーソナリティも担当していた。 その後結婚出産などで執筆活動から離れていたが、現在は徳長しのぶに名を改め「塔」短歌会に所属して活動している。.

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岡崎裕美子

岡崎 裕美子(おかざき ゆみこ、1976年10月12日 - )は日本の歌人。.

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岡井隆

岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - )は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。.

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岡部桂一郎

岡部 桂一郎(おかべ けいいちろう、1915年(大正4年)4月3日 - 2012年(平成24年)11月28日)は歌人。.

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岡野弘彦

岡野 弘彦(おかの ひろひこ、1924年(大正13年)7月7日 - )は、日本の歌人。日本芸術院会員、文化功労者、國學院大學名誉教授。.

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岡本かの子

岡本 かの子(おかもと かのこ、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られる。.

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岡本勝 (法学者)

岡本 勝(おかもと まさる、1947年11月11日 - )は、日本の法学者、歌人。東北大学名誉教授。専攻は、刑法、近代ドイツ刑法史、犯罪論と刑法哲学。宮城県出身。.

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岩田正

岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 -2017年11月3日)は、歌人。妻は歌人の馬場あき子。 東京世田谷生まれ。早稲田大学国文科卒。1946年に早稲田大学短歌会に入会し、同年歌誌「まひる野」創刊に参加。窪田空穂、窪田章一郎に師事。1978年に馬場あき子とともに歌誌「かりん」を創刊。朝日カルチャーセンター、角川短歌通信講座などで短歌を指導。1974年、第1回「短歌」愛読者賞を受賞(同期受賞は山崎方代)。その後は長らく実作を離れ短歌評論に専念していたが、1990年代に入ってから実作に復帰する。 2000年『和韻』で第28回日本歌人クラブ賞、2006年『泡も一途』で第40回迢空賞、2011年『岩田正全歌集』で第34回現代短歌大賞受賞。 2017年11月3日、心不全のため、自宅で入浴中に死去。。.

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岸上大作

岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10月21日 - 1960年(昭和35年)12月5日)は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。.

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島田幸典

島田 幸典(しまだ ゆきのり、1972年5月27日 - )は、日本の政治学者、歌人。京都大学大学院法学研究科教授。専門は比較政治学、比較国制史。 歌人としては、高校在学中の1990年より短歌結社「牙」にて石田比呂志に師事。石田死去による「牙」解散後は、2012年より阿木津英とともに「八雁」を創刊。京大在学中には吉川宏志、梅内美華子、林和清らとともに京都大学短歌会に所属した。現在は同会顧問。.

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島田修三

島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )は、歌人、日本古典文学研究者、愛知淑徳大学学長。 神奈川県横浜市生まれ。歌誌「まひる野」運営委員。1975年横浜市立大学文理学部日本文学専攻卒業、「まひる野」に入会。1982年早稲田大学大学院博士課程中退。専攻は万葉集。在学中に武川忠一が顧問を務める「短歌研究会」に所属し、内藤明、小島ゆかり、米川千嘉子らと活動した。愛知淑徳大学文化創造学部教授、副学長を経て、2011年より学長。学生時代に吉野秀雄『寒蝉集』の影響を受け、窪田章一郎に師事。中日新聞歌壇選者。「まひる野」では若手の多いマチエール欄の選歌を担当。ゼミ出身者には後藤由紀恵、富田睦子、飛鳥井千砂(小説家)などがいる。.

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島田修二

島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成17年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。宮中歌会始選者も務めた。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。.

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島津忠景

島津 忠景(しまづ ただかげ)は、鎌倉時代中期の武将・歌人。鎌倉幕府御家人。薩摩国知覧院(現在の鹿児島県南九州市)地頭。但馬国朝来郡粟鹿大社(規模100町)地頭(「弘安5年(1285年)但馬国大田文」・『兵庫県史』所収)。.

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島木赤彦

下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館) 島木 赤彦(しまき あかひこ、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。.

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川島喜代詩

川島 喜代詩(かわしま きよし、1926年10月29日‐2007年4月24日)は昭和から平成期の日本の歌人である。出版業に携わりながら佐藤佐太郎門下で活躍した。後「歩道」を離れ「運河」を結成、同人として活躍した。.

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川田順

川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日 - 1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。住友総本社常務理事。 漢学者川田甕江の三男。女優・歌手の佐良直美は従曾孫娘。.

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川野里子

川野 里子(かわの さとこ、1959年5月27日- )は、歌人。本姓・高橋。.

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巽聖歌

巽 聖歌(たつみ せいか、1905年2月12日 - 1973年4月24日)は、日本の児童文学者、歌人。本名は野村 七蔵(のむら しちぞう)。童謡「たきび」の作詞者として知られる。 北原白秋に師事し、佐藤義美・与田凖一と並び称された。また新美南吉を世に送り出すことに尽力した。『赤い鳥』出身の童謡詩人・『多磨』出身の歌人として、童謡・少年詩・近代短歌の歴史の上に業績を残した。 短歌においては、持田勝穂、木俣修、宮柊二、玉城徹の同門に当たり、白秋の没後、玉城徹を指導した。また、出身地である紫波町立日詰小学校の校歌をはじめ、全国的に多くの校歌の作詞をしている。.

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上田三四二

上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、日本の歌人、小説家、文芸評論家。.

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上村典子 (歌人)

上村 典子(うえむら のりこ、1958年11月16日 - )は、歌人。 山口県山口市出身。サビエル高等学校を経て、ノートルダム清心女子大学文学部国文学科卒業。高校時代より作歌を始める。1985年、音短歌会に入会。1990年、作品「通過列車の風」50首で第36回角川短歌賞佳作。1991年、作品「貝寄風」50首で第37回角川短歌賞佳作。2005年、歌集『貝母』にて第14回ながらみ書房出版賞を受賞。山口県歌人協会理事を務める 。.

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与謝野鉄幹

与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。.

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与謝野晶子

与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。 雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった。.

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中城ふみ子

中城 ふみ子(なかじょう ふみこ、1922年(大正11年)11月15日〈戸籍上は11月25日〉 - 1954年(昭和29年)8月3日)は、日本の歌人。北海道河西郡帯広町(現・帯広市)出身。本名は野江富美子。妹の野江敦子(1932年7月21日 -)も歌人。中城は離婚した夫の姓。戦後の代表的な女性歌人の一人で、後進に大きな影響を与えた。.

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中原中也

中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。 代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待され、小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟がかぜにより病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。その一部は、結婚の翌年刊行した処女詩集『山羊の歌』、および、中也の死の翌年出版された第二詩集『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』や数は少ないがアンドレ・ジイドの作品などフランス人作家の翻訳もしている。日本大学予科、中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。.

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中古三十六歌仙

中古三十六歌仙(ちゅうこさんじゅうろっかせん)は、藤原範兼の『後六々撰』に載っている和歌の名人36人の総称。三十六歌仙が選ばれた後に称されたもので、三十六歌仙に属されなかったが秀でた歌人とそれ以後の時代の歌人が選ばれている。.

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中家菜津子

中家 菜津子(なかいえ なつこ、1975年- )は、日本の歌人、詩人。歌誌「未来」会員。.

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中野嘉一

中野 嘉一(なかの よしかず/かいち、1907年4月21日 - 1998年7月23日)は、日本の詩人、歌人、精神科医。.

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中村徳也

中村 徳也(なかむら とくや、1895年6月10日 - 1939年10月28日)は、日本の歌人である。.

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中村憲吉

中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年5月14日 - 1934年5月5日)は、歌人。 広島県三次郡上布野村(現・三次市)生まれ。三次中学、七高、東京帝国大学法科大学経済科卒。大阪毎日新聞の経済部記者を経て、実家の酒造業に携わる。伊藤左千夫に師事。1909年『アララギ』に参加、斎藤茂吉や古泉千樫らと交流を持つ。1913年島木赤彦との合著歌集『馬鈴薯の花』刊行。『中村憲吉全集』がある。1934年、肺結核と急性感冒のため尾道市の仮寓で死去。戒名は林泉院釈浄信憲吉居士。 広島県尾道市に保存されている中村憲吉旧居.

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中沢直人

中沢 直人(なかざわ なおと、1969年11月22日 - )は、日本の歌人、憲法学者。専門は英米法、憲法。成蹊大学法学部法律学科教授。本名、安部圭介。 福岡県福岡市出身。久留米大学附設高等学校、東京大学法学部卒業、ハーバード大学法科大学院修了。博士(法学)。 1999年に歌誌「未来」「かばん」に入会し、岡井隆に師事。2002年より「未来」編集委員。2003年に作品「極圏の光」で第14回歌壇賞、未来年間賞を受賞。2010年、第1歌集『極圏の光』で第16回日本歌人クラブ新人賞を受賞。.

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中河幹子

中河 幹子(なかがわ みきこ、1897年7月30日 - 1980年10月26日)は、日本の国文学者、歌人。中河与一の妻。旧姓は林。 香川県坂出市生まれ。津田英学塾卒。在学中の1920年に中河与一と結婚をする。女性文芸誌『ごぎやう』を創刊し、後に短歌誌『をだまき』と改め主宰となる。門下に高瀬一誌、蒔田さくら子らがいる。共立女子大学教授を務め、共立女子学園歌の作詞も手がけている。.

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中澤系

中澤 系(なかざわ けい、1970年9月22日 - 2009年4月24日)は、歌人。本名、中澤圭佐。 神奈川県茅ヶ崎市出身。神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校、早稲田大学第一文学部哲学科卒業。 1997年、未来短歌会に入会し、岡井隆に師事。1998年、連作「Uta0001.

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中濱絲子

中濱 いと(なかはま いと、1881年(明治14年)12月25日 - 1964年(昭和39年)8月14日)は、月刊文芸誌「明星」を中心に活躍した明治時代の女流歌人。「白藤の君」と謳われた。.

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三十六歌仙

三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)は、藤原公任の『三十六人撰』(さんじゅうろくにんせん)に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称である。36人の家集を集大成した現存する最古の写本は、西本願寺本三十六人家集である。 これに影響されて、中古三十六歌仙や女房三十六歌仙などが後世にできた。 なお連句の形式で三十六句のものを「歌仙」と呼ぶのは、これにちなんだものである。.

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三井修

三井 修(みつい おさむ、1948年7月21日 -)は、日本の歌人。 石川県金沢市出身。石川県立七尾高等学校、東京外国語大学アラビア語学科を卒業後、三井物産に入社。2000年に退社するまで中東関係の業務に従事。海外(中東)駐在も2回経験している。 退社後、一橋大学大学院言語社会研究科中退。 30代から短歌を始め、「長風」を経て「塔」入会、現選者。北陸中日新聞歌壇選者。東京外国語大学非常勤講師。 現代歌人協会会員。日本文芸家協会会員。.

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三ヶ島葭子

三ヶ島 葭子(みかじま よしこ、本名:三ヶ島よし→倉片よし、1886年(明治19年)8月7日 - 1927年(昭和2年)3月26日)は、日本の女流歌人。生涯で6000首以上の短歌を残したという。 俳優の左卜全(本名:三ヶ島一郎、1894年 - 1971年)は、異母弟にあたる。.

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三枝昂之

三枝 昂之(さいぐさ たかゆき、1944年1月3日 - )は日本の歌人・文芸評論家。歌誌「りとむ」主宰。日本歌人クラブ会長。山梨県立文学館館長。宮中歌会始の選者でもある。山梨県甲府市生まれ。父・清浩は窪田空穂門下の歌人。五人兄弟の四男。歌人の今野寿美は妻、同じく歌人の三枝浩樹は弟(五男)。.

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三枝浩樹

三枝 浩樹(さいぐさ ひろき、1946年(昭和21年)10月17日 - )は歌人。本名は三枝 亨。河野裕子(1946年 - 2010年)、永田和宏(1947年 - )、小池光(1947年 - )、道浦母都子(1947年 - )らと共に、団塊世代を代表する歌人の一人。.

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下村宏

下村 宏(しもむら ひろし、1875年(明治8年)5月11日 - 1957年(昭和32年)12月9日)は、明治・大正・昭和の官僚、新聞経営者、政治家、歌人。号は海南(かいなん)。 玉音放送の際の内閣情報局総裁であり、ポツダム宣言受諾の実現に尽力したことでも知られている。拓殖大学第6代学長。.

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平兼盛

平兼盛(菊池容斎画/江戸時代) 平 兼盛(たいら の かねもり、生年不詳 - 正暦元年12月28日(991年1月16日))は、平安時代中期の歌人・貴族。臣籍降下前は兼盛王と称す。光孝平氏、大宰大弐・平篤行の三男。官位は従五位上・駿河守。三十六歌仙の一人。.

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平賀元義

平賀 元義(ひらが もとよし、寛政12年7月3日(1800年8月22日) - 慶応元年12月28日(1866年2月13日))は、幕末期岡山の国学者、歌人、書家。 賀茂真淵に私淑し独学により国学を修め、中国地方の地理歴史、神社史研究に打ち込んだが、本人は余技とした万葉調の和歌により名を知られる。また、その独特の筆跡で能書家としても愛好されている。元の姓は平尾、幼名は猪之介、後に七蔵とした。喜左衛門、丹介とも称す。名は直元、長元、義元とも言う。また、祖母の姓を借り、興津(沖津)姓を名乗ったこともあった。号は源猫彦(ねこのひこ)、吉備雄、備前処士等。友人に同じく国学者、歌人の萩原広道がいる。.

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久木田真紀

久木田 真紀(くきだ まき)は、日本の歌人。1989年の第32回短歌研究新人賞を「時間(クロノス)の矢に始めはあるか」30首で受賞した。藤沢螢の別名がある。.

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五島美代子

五島 美代子(ごとう みよこ、1898年(明治31年)7月12日 - 1978年(昭和53年)4月15日)は、日本の歌人。東京出身。本名は美代。父は歌人・動物学者の五島清太郎。夫は歌人・経済史学者の五島茂。 1915年佐佐木信綱の『心の花』に入会。1925年、東京大学文学部聴講生。1929年には茂、前川佐美雄、栗原潔子らと新興歌人連盟を結成、短歌雑誌『尖端』を創刊し、坪野哲久らが結成したプロレタリア歌人同盟にも加盟。新興歌人連盟解散後、茂とともに歌誌『立春』を主宰した。1940年、伝説的な合同歌集「新風十人」(八雲書林)に参加。戦後は葛原妙子、森岡貞香、長沢美津らとともに「女人短歌会」に参加した。 成長する我が子に対する愛情、喜びなどを歌にし、「母の歌人」と呼ばれる。後の急逝した長女を歌った、哀惜の情あふれる歌も多い。1958年には第9回読売文学賞を「新輯母の歌集」で受賞。1959年より皇太子妃美智子の御歌指南。1971年、紫綬褒章。 墓所は豊島区駒込の染井霊園。.

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五味保義

五味 保義(ごみ やすよし、1901年8月31日 - 1982年5月27日)は、長野県下諏訪町出身の歌人、万葉学者である。 旧制諏訪中学卒業。東京高等師範学校文科を出て、京都帝国大学国文科卒業。中学時代より同郷の島木赤彦の影響を受け、短歌の道を志した。1929年上京後、齋藤茂吉、土屋文明の指導を受けながら歌誌「アララギ」の発行に携わり、特に戦後は、世田谷区奥沢の自宅を「アララギ」発行所として専念した。数多くの学校で教壇に立ち、日本女子大学の教授も勤めた。末弟はやはり万葉学者の五味智英。 初期の歌風は、赤彦の影響により自然詠が主体であったが、中期は文明の指導で現実に即した生活詠も作るようになった。晩年は病を得たこともあり、写実に加え人間味ある歌風の新境地に入った。文明の万葉集研究を手伝ったことから自らも万葉集の研究に深く係わった。 .

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井辻朱美

井辻 朱美(いつじ あけみ、1955年12月12日 - )は日本の翻訳家、ファンタジー小説家、歌人。東京大学理学部生物学科卒・同大学院人文系研究科比較文学比較文化専攻修了。白百合女子大学文学部児童文化学科教授。 トールキンなどの正当ファンタジーの愛好家として出発し石堂藍「挑戦するファンタジー」『幻想文学58 特集 女性ファンタジスト2000』、幻想文学企画室 編集、アトリエOCTA、2000年、英米のファンタジー小説を多く翻訳する。また自身も、ロード・ダンセイニなどの英米ファンタジーの世界観の影響を受けたファンタジー小説を多数著している。作風は軽やかで明るいものが多い。ファンタジー評論家の石堂藍は、言葉への深いこだわりを持ち、徹底して空想的な世界を描く作家と評し、山尾悠子と好一対のファンタジストと述べている。児童文学総合雑誌「ネバーランド」(てらいんく刊行)編集委員。 歌人としては短歌結社「詩歌」にて、前田夕暮の長男である前田透に師事した後、1984年より歌人集団「かばん」創刊メンバーとして所属。本人がFT短歌(ファンタジー短歌)と呼ぶ独特の世界観を持ったファンタジックな短歌を詠む。詩人・翻訳家の原葵は「壮大なスペース・ロマンが短歌の中で繰りひろげられている。どの歌もすべて物語の予感にみちている。」と評している。現在、同誌発行人。 オペラが趣味でドイツ語に長じ、NHK-BSで字幕を手がけた経験もある。裏千家茶道準教授、藤間流の日舞名取でもある。夫は哲学者の黒崎政男。.

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今井邦子

今井 邦子(いまい くにこ、明治23年(1890年)5月31日 - 昭和23年(1948年)7月15日、旧姓山田、本名くにえ)は、徳島市出身の「アララギ」の歌人、小説家。後に短歌誌「明日香」を創刊した。元通産省事務次官の両角良彦は甥にあたる。.

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今野寿美

今野 寿美(こんの すみ、1952年5月10日 - )は、歌人。夫は同じく歌人の三枝昂之。2015年から宮中歌会始の選者を務めている。 東京都生まれ。本姓・三枝。横浜市立大学文理学部卒。1976年「まひる野」入会。1978年、「かりん」創刊に参加。馬場あき子に師事。1992年より「りとむ」短歌会編集人。.

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今橋愛

今橋 愛(いまはし あい、1976年 - )は、歌人。大阪府大阪市出身。 京都精華大学人文学部卒業。在学中に岡井隆の講義を受講し、23歳の頃から作歌をはじめる。2002年、『O脚の膝』で第1回北溟短歌賞(石川啄木賞の前身)を、穂村弘から高く評価され受賞。歌誌 、snell(雪舟えまとの二人誌)、未来短歌会、六本木詩人会に所属。ひらがなや多行書きを多用し、現代詩のような独特の表現スタイルを用いる。.

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建礼門院右京大夫

建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ、保元2年(1157年)? - 没年未詳)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての女流歌人。父は藤原(世尊寺)伊行。母は大神基政の娘で箏の名手である夕霧。名は伊子という説がある。 承安3年(1173年)高倉天皇の中宮建礼門院平徳子に右京大夫として出仕。藤原隆信、平資盛と恋愛関係にあり、資盛の死後、供養の旅に出たという。建久6年(1195年)頃後鳥羽天皇に再び出仕した。 家集に隆信、資盛との恋の歌を中心とする「建礼門院右京大夫集」がある。 山路の露の作者であるとする説がある。.

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仙波龍英

仙波 龍英(せんば りゅうえい、1952年3月30日 - 2000年4月10日)は歌人。本名、仙波 龍太。.

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伊勢 (歌人)

佐竹本三十六歌仙絵巻より 伊勢(百人一首より) 伊勢 (いせ、872年(貞観14年)頃 - 938年(天慶元年)頃)は平安時代の日本の女性歌人。三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。藤原北家真夏流、伊勢守藤原継蔭の娘。伊勢の御(いせのご)、伊勢の御息所とも呼ばれた。.

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伊藤左千夫

伊藤 左千夫(いとう さちお、1864年9月18日(元治元年8月18日) - 1913年(大正2年)7月30日)は日本の歌人、小説家。本名 幸次郎。.

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伊藤一彦

伊藤 一彦(いとう かずひこ、1943年9月12日 - )は、歌人。宮崎県立看護大学客員教授、宮崎県立図書館名誉館長。「心の花」所属。「現代短歌・南の会」代表。.

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会津八一

会津 八一(あいづ やいち、會津八一、1881年(明治14年)8月1日 - 1956年(昭和31年)11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎。1951年に新潟市名誉市民。 .

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式子内親王

式子内親王(しょくし/しきし(のりこ)ないしんのう、久安5年(1149年) - 建仁元年1月25日(1201年3月1日))は、平安時代末期の皇女、賀茂斎院である。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。後白河天皇の第3皇女。母は藤原成子(藤原季成の女)で、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王は同母兄弟。高倉天皇は異母弟にあたる。萱斎院、大炊御門斎院とも呼ばれた。法号承如法。.

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似雲

似雲(じうん、寛文13年1月2日(1673年2月18日)- 宝暦3年7月8日(1753年8月6日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧・歌人。俗姓は河村氏。通称は金屋吉右衛門。安芸国の出身。.

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住友友成

住友 友成(すみとも ともなり、1909年(明治42年)2月20日 - 1993年(平成5年)6月14日)は住友家16代当主で、最後の住友本社社長。アララギ派の歌人でもあり、斎藤茂吉、川田順(住友本社の重役)とも交流があった。歌人の雅号は「泉幸吉」。幼名は厚。男爵。.

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住谷三郎

住谷 三郎(すみや さぶろう、1900年1月10日 - 1967年1月21日)は歌人。.

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佐久良東雄

佐久良 東雄(さくら あずまお、文化8年3月21日(1811年5月13日) - 万延元年6月27日(1860年8月13日))は日本の幕末時代の国学者、歌人。本姓は飯島。東雄の他の通称に靱負(ゆきえ)、寛、静馬、健雄。雅号は薑園(きょうえん)。尊皇攘夷の志士として活動した。.

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佐伯裕子

佐伯 裕子(さえき ゆうこ、1947年6月25日 - )は歌人。歌誌「未来」選者。 未来では、さいとうなおこより4歳下で、4年後に入会。同年代では、かりんの日高堯子らと交流がある。 また、少し若い世代では。藤原龍一郎に門下の歌集の栞を頼むなど、友好関係がある。.

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佐佐木幸綱

佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )は、日本の歌人、国文学者、日本芸術院会員。「心の花」主宰・編集長。現代歌人協会理事長。早稲田大学名誉教授。曽祖父の佐々木弘綱、祖父で文化勲章受章者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱、母の佐佐木由幾、長男の佐佐木頼綱、次男の佐佐木定綱も歌人である。 本名は佐々木幸綱で、祖父、父に倣って「佐佐木」を称する。.

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佐佐木信綱

佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位勲六等文学博士。.

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佐藤弓生

佐藤 弓生(さとう ゆみお、女性、1964年2月15日 - )は、日本の歌人、翻訳家。石川県金沢市生まれ。関西学院大学社会学部卒業。夫は作家・評論家の高原英理。井辻朱美の影響により作歌を始め、1998年より歌誌「かばん」所属。 2001年、作品「眼鏡屋は夕ぐれのため」50首で第47回角川短歌賞受賞。幻想的な作風。.

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佐藤佐太郎

佐藤 佐太郎(さとう さたろう、1909年(明治42年)11月13日 - 1987年(昭和62年)8月8日)は、日本の歌人。日本芸術院会員。妻の佐藤志満も歌人。.

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佐藤志満

佐藤 志満(さとう しま、1913年(大正2年)- 2009年(平成21年))は福岡県出身の歌人。夫の佐藤佐太郎も歌人。昭和20年代後半の5年間の作品を収めた第一歌集「草の上」では、戦後の貧しい日常生活を抒情豊かに詠じた。歌誌「歩道」の発行に力を注ぎながら生涯にわたり精力的に作歌を続け、晩年には、文芸評論家梶木剛が「志満調」と呼んだ、自宅庭前を中心とする独自の歌風を確立した 。.

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佐藤羽美

佐藤 羽美(さとう うみ、1980年3月25日 - )は、歌人、社交ダンス指導員。青森県青森市出身・在住。 弘前大学人文学部(社会学専攻)卒業。2002年に作歌を始める。2003年、短歌サイト『ヒナウタ』を開設。2004年、「甘い日々」で第47回短歌研究新人賞候補に選ばれる。2005年に未来短歌会に入会し、加藤治郎に師事。2009年、2008年度未来賞次席に選ばれる。同年、作品「ここは夏月夏曜日」で第20回歌壇賞を受賞。.

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佐藤真由美 (歌人)

佐藤 真由美(さとう まゆみ、1973年(昭和48年) - )は、歌人、女性誌編集者。 新潟県出身。上智大学外国語学部英語科卒業。出版社にて女性誌の編集者をつとめているとき、仕事で出会った歌人・枡野浩一に影響を受け、作歌を開始。2000年、『高円寺南4丁目16-13』30首で短歌研究社主催「うたう」作品賞入選。現代女性の感性を生かした歌風で人気を集め、エッセイなどにも表現の幅を広げつつある。また、MISIAの曲の作詞をいくつか手がけている。既婚者で三児の母。.

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佐藤通雅

佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、日本の歌人、評論家。元高校教師。岩手県出身。東北大学教育学部卒業。 歌誌『短歌人』を経て、1966年文学思想個人編集誌『路上』を創刊。短歌、詩、評論、児童文学研究などの分野で編集。宮沢賢治論、北原白秋論が多い。2011年の第120号にて第1期を終刊、第2期へと移行した。河北新報歌壇選者。 1965年、「青海」で第11回角川短歌賞候補。1971年『新美南吉童話論』で第4回日本児童文学者協会新人賞受賞。1986年『日本児童文学の成立・序説』で日本児童文学学会賞奨励賞。2000年『宮沢賢治 東北砕石工場技師論』で第10回宮沢賢治賞受賞。2012年歌集『強霜』で第27回詩歌文学館賞短歌部門を受賞。.

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徽子女王

徽子女王(きし(よしこ)じょおう、延長7年(929年) - 寛和元年(985年))は平安時代中期の皇族、歌人。式部卿宮・重明親王の第1王女(醍醐天皇の皇孫)。母は藤原忠平の次女・寛子。朱雀天皇朝の伊勢斎宮、のち村上天皇女御。斎宮を退下の後に女御に召されたことから、斎宮女御と称され、また承香殿女御、式部卿の女御とも称された。三十六歌仙および女房三十六歌仙の1人。.

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俵万智

俵 万智(たわら まち、1962年12月31日 - )は、日本の歌人。本名、同じ。結社「心の花」所属。所属事務所は東京コンサーツ。父は希土類磁石の研究者の俵好夫。.

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土屋文明

土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。.

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土岐善麿

土岐 善麿(とき ぜんまろ、1885年(明治18年)6月8日 - 1980年(昭和55年)4月15日)は、日本の歌人・国語学者。.

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在原業平

在原 業平(ありわら の なりひら)は、平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。 六歌仙・三十六歌仙の一人。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。 全百二十五段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。.

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北原白秋

北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野でも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を代表する詩人である。 弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエ社を創業し、従弟の北原正雄も写真系の玄光社を創業した。.

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北久保まりこ

北久保 まりこ(きたくぼ まりこ、1959年10月4日 - )は、日本の歌人。英語短歌の創作や短歌の国際化運動に取り組んでいる。.

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北村季吟

北村 季吟(きたむら きぎん、寛永元年12月11日(1625年1月19日) - 宝永2年6月15日(1705年8月4日))は、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。名は静厚、通称は久助・再昌院、別号は慮庵・呂庵・七松子・拾穂軒・湖月亭。.

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初井しづ枝

初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。.

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嵯峨直樹

嵯峨 直樹(さが なおき、1971年9月15日 - )は、日本の歌人。ミュージシャンの宙也は叔父。.

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喜多昭夫

喜多 昭夫(きた あきお、1963年1月10日 - )は歌人、俳人、文芸評論家。石川県文芸協会事務局長、石川県歌人協会幹事、つばさ短歌会主宰。.

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喜撰

喜撰(きせん).

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和泉式部

菊池容斎『前賢故実』より 小倉百人一首56番「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」 和泉 式部(いずみ しきぶ、天元元年(978年)頃 - 没年不詳)は平安時代中期の歌人である。越前守・大江雅致の娘。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。.

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内山晶太

内山 晶太(うちやま しょうた、1977年1月9日 - )は、歌人。千葉県八千代市出身。妻は第28回歌壇賞を受賞した、歌人の大平千賀。 1992年より作歌をはじめる。1998年、「風の余韻」で第13回短歌現代新人賞受賞。2012年、第1歌集『窓、その他』を刊行。翌2013年、同歌集で第57回現代歌人協会賞を受賞。短歌結社「短歌人」および歌誌「pool」に所属。2017年、「短歌人」編集委員に就任。.

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内藤明

内藤 明(ないとう あきら、1954年8月10日 - )は、日本の国文学者、万葉学者、歌人。早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授。 宮中「歌会始の儀」選者。.

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入江相政

入江 相政(いりえ すけまさ、1905年(明治38年)6月29日 - 1985年(昭和60年)9月29日)は、日本の官僚、歌人・随筆家である。昭和天皇の侍従・侍従長を長く務めた。従二位勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、紺綬褒章・賞杯。 堂上華族の入江家出身入江家は、藤原北家・長家流御子左家の支流、冷泉家(上冷泉家)の分家で、旧家格は羽林家である。鎌倉時代初期の歌人・藤原定家の子孫。。歌人・柳原白蓮の甥であり、元岩崎勝商事社長・岩崎勝太郎は相政の義弟にあたる。柳原前光の孫である。.

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八木沼丈夫

八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) - 1944年(昭和19年)12月12日)は、日本の陸軍軍属、歌人。日中戦争(支那事変)において日本軍が本格的に宣撫官を導入するきっかけとなった人物。.

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六歌仙

六歌仙の図、喜多川歌麿画。 六歌仙(ろっかせん)とは、『古今和歌集』の序文に記された六人の代表的な歌人のこと。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の六人を指す。ただし「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられたものである。.

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光栄堯夫

光栄 堯夫(みつはな たかお、1946年12月22日 - )は歌人、文芸評論家。.

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光森裕樹

光森 裕樹(みつもり ゆうき、1979年5月26日 - )は日本の歌人。.

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前川佐美雄

前川 佐美雄(まえかわ さみお、1903年2月5日 - 1990年7月15日)は、歌人。日本芸術院会員。妻の前川緑、長男の前川佐重郎も歌人。.

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前田夕暮

前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 長男の前田透も歌人であり、歌誌『詩歌』を引き継いだ。.

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前登志夫

前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)4月5日)は、日本の歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。.

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勝野かおり

勝野 かおり(かつの かおり、女性、1969年12月18日『短歌年鑑 平成27年度版』 (『短歌』1月号増刊、角川学芸出版、2014年12月発行) 巻末「全国短歌人名録」 より -)は、日本の現代歌人。.

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石川不二子

石川 不二子(いしかわ ふじこ、1933年11月22日 - )は、歌人。神奈川県藤沢市出身。岡山県吉備中央町在住。歌誌「心の花」選者。本名は黒井不二子。.

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石川啄木

石川 木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は、日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。.

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石川美南

石川 美南(いしかわ みな、1980年5月7日 - )は、歌人。神奈川県横浜市出身。 16歳の時に作歌をはじめ、「短歌朝日」などに投稿する。神奈川県立柏陽高等学校を経て2000年、早稲田大学の短歌実作ゼミで水原紫苑に学ぶ。同年、同人誌「punch-man」に参加(翌年、同誌解散)。2002年、『祖父の帰宅/父の休暇』で第1回北溟短歌賞(石川啄木賞の前身)次席。2003年、東京外国語大学卒業。一貫して短歌結社には属さず、同人誌を拠点として活動している。歌誌「pool」および に所属。 海外文学の影響を受けた綺想的作風が特徴。柴田元幸に見出され文芸誌「モンキービジネス」に作品を発表し、2008年のsummer vol.2に掲載された連作『眠り課』は大森望が注目し年刊日本SF傑作選「超弦領域」に収録された。豊崎由美、北村薫、北村想など歌壇外の愛読者も多い。2008年から2年に渡って「すばる」に短歌エッセイ『ききみみはひだり耳』を連載した。.

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石田比呂志

石田 比呂志(いしだ ひろし、1930年10月27日 - 2011年2月24日)は、歌人。福岡県出身。本名は裕志。.

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玉井清弘

玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は、歌人。歌誌「音」選者・編集運営委員会代表。香川県高松市在住。.

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玉田黙翁

玉田 黙翁(たまだ もくおう, 元禄10年(1697年) - 天明5年(1785年))は、江戸時代中期の儒学者。名を信成、通称記内、別号適山、また虎渓庵とも称した。播磨国印南郡東志方村細工所の生まれで大庄屋柔庵玉田義道の嫡子である。母は播磨細工所陣屋(一橋徳川家)代官・宮永氏の出身。 山崎闇斎門下の三宅尚斉の門人で程朱の儒学に於いて一家をなしていたうえに医学にも造詣が深く、弓馬槍剣の術にも秀で、産業経済についても見識を持っていた。しかし名声を求めることはせず、自ら天地一閑人と称し播州の僻地に住み天命を楽しみながら質素な生活を送っていた。ところが領主である大久保侯が、黙翁の晩年にこれを聞き是非所説を拝聴したいと招請したが固く辞退していた。度重なる熱心な懇請に折れて74歳の時に二回、78歳の時一度江戸へ出て大久保侯に講義をした。以後は相模国小田原藩大久保家の客将として史学編纂や儒学の研究に貢献。画家の浦上玉堂などに講義を行った。 Category:江戸時代の儒学者 Category:18世紀の学者 Category:播磨国の人物 Category:小田原藩の人物 Category:1697年生 Category:1785年没.

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福島泰樹

福島 泰樹(ふくしま やすき、1943年3月25日 - )は日本の僧侶、歌人、朗読家、ナレーター。東京都台東区下谷の法華宗本門流法昌寺住職。「短歌絶叫コンサート」と称する感情を込めた力強い声色を多用する朗読パフォーマンスで知られる詩人。早稲田大学理工学部非常勤講師、日本大学芸術学部非常勤講師。.

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秋山佐和子

秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 山梨県東山梨郡後屋敷村(現山梨市)生まれ。旧姓、堀内。山梨英和中学校・高等学校、國學院大學文学部卒。岡野弘彦に師事し、1974年「人」短歌会入会。1985年、「応答に抑揚ひくき日本語よ―宮柊二の歌とともに」で第3回現代短歌評論賞次席。日本語教師として働くかたわら、1990年の第5回「現代短歌を評論する会」にて「フェミニズムを体現した歌人たち」のテーマで研究発表。以後、三ヶ島葭子などの女性歌人を中心に「青鞜」の女性運動について研究を行うようになる。 1993年、「人」解散に伴い藤井常世主宰の「笛」に参加。2002年、「玉ゆらの会」を結成、主宰となる。2003年、『歌ひつくさばゆるされむかも 歌人三ヶ島葭子の生涯』で第1回日本歌人クラブ評論賞を受賞。2012年、「青鞜」に関わった歌人原阿佐緒と三ヶ島葭子の研究で第8回平塚らいてう賞を受賞。.

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秋山律子

秋山 律子(あきやま りつこ、1940年11月23日 - )は歌人。.

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秋葉四郎

秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人、文芸評論家、随筆家、教育者、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(前会長)。千葉県出身。.

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秋村功

秋村 功(あきむら いさお、1932年7月24日 - 1990年7月4日)は、宮崎県宮崎市出身の歌人・短歌評論家、環境問題を専門とする国際公務員(元国際連合環境計画(UNEP)支援措置部長)である。一橋大学商学部卒。本名崎村久夫。 未来短歌会の同人で、我妻泰(田井安曇)の「未来手帖」のあとを継ぎ、洗練された文章を記していた。その我妻泰と歌誌『河』を編む。岡井隆が吉本隆明と定型論争を繰り広げた際は、アメリカ社会学や社会心理学の知識を授けてブレーンとなった。 1958年、「短歌散文化の性格」で第3回現代短歌評論賞受賞。 晩年は環境問題に取り組み、国際湖沼委員会などの設立に尽力した。 野村総合研究所上席研究員の崎村夏彦は長男。.

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稲葉京子

葉京子(いなば きょうこ、1933年6月1日 - 2016年11月19日)は、歌人。歌誌「短歌」選者。 愛知県江南市生まれ。本姓・大竹。1952年愛知県立尾北高等学校卒。小学校教師となるが、体力がなく翌年退職。童話を書くようになり、与田準一の紹介で同人誌「童話」に入会。1957年『婦人朝日』に投歌、選者の大野誠夫の薦めで「砂廊」(のち「作風」)入会。同年、「中部短歌会」にも入会。1958年銀行員と結婚。 童話を書いていた経験から、初期作品は少女の夢想のような物語性が濃い。第一歌集『ガラスの檻』は青井史に「現代のメルヘン」と評された。後年は人生の悲哀を深く見つめた作風へと変化した。.

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穂村弘

村 弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日本の歌人。歌誌「かばん」所属。 加藤治郎、荻原裕幸とともに1990年代の「ニューウェーブ短歌」運動を推進した、現代短歌を代表する歌人の一人。批評家、エッセイスト、絵本の翻訳家としても活動している。.

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窪田空穂

(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人、国文学者。日本芸術院会員。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。.

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窪田章一郎

一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 - 2001年4月15日)は、歌人。窪田空穂の長男として東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)南榎町に生まれる。旧制私立豊山中学校(日本大学豊山高等学校)四年修了後、早稲田大学文学部国文科卒。1943年、武川忠一らが創設した早稲田大学短歌会に指導役として参加。そこから発展した歌誌『まひる野』を創刊主宰した。早稲田大学講師、教授、名誉教授を歴任。国文学者としては西行研究の第一人者であった。 1980年、「素心臘梅」で第14回迢空賞受賞。1988年、「窪田章一郎全歌集」で第11回現代短歌大賞受賞。1995年、「定型の土俵」で第2回短歌新聞社賞および第10回詩歌文学館賞受賞。 門下に馬場あき子、岩田正、橋本喜典、篠弘、島田修三など。.

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竹山広

竹山 広(たけやま ひろし、1920年(大正9年)2月29日 - 2010年(平成22年)3月30日)は、日本の歌人。本名は竹山 廣(たけやま ひろし)。.

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笹井宏之

笹井 宏之(ささい ひろゆき、1982年8月1日 - 2009年1月24日)は、歌人。歌誌「未来」所属。本名、筒井宏之。実父の筒井孝司は碗琴奏者。.

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笹公人

笹 公人(ささ きみひと、1975年7月8日 - )は、歌人並びにミュージシャン。東京都出身・在住。戦国時代の武将可児吉長の末裔。文化学院文学科卒業。大正大学客員准教授。文化学院講師。NHK学園講師。現代歌人協会理事。日本文藝家協会会員。.

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筒井富栄

井 富栄(つつい とみえ、1930年6月22日 - 2000年7月23日)は歌人。.

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篠弘

弘(しの ひろし、1933年3月23日 - )は、歌人、近代短歌研究者。短歌結社「まひる野」代表。日本現代詩歌文学館館長、日本文藝家協会理事長。.

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築地正子

築地 正子(ついじ まさこ、1920年(大正9年)1月1日 − 2006年(平成18年)1月27日、享年八十六)は、日本の歌人。本名は築地 正(ついじ まさ)。.

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米川千嘉子

米川 千嘉子(よねかわ ちかこ、1959年10月29日 - )は、日本の歌人。 千葉県野田市生まれ。千葉県立東葛飾高等学校、早稲田大学第一文学部日本文学科卒業、早稲田大学国語国文学専攻科修了。 大学在学中に武川忠一が顧問を務める「短歌研究会」に所属し、内藤明、島田修三、小島ゆかりらと活動した。1979年、短歌結社「かりん」に入会し馬場あき子に師事。「慎重、丁寧な心づかいから生れる物言いに柔軟さと芯の強さをみせる歌人」「一つの歌材に対して深く思い入り、時間をかけて自分のものにするところに信頼がもてる」とは、その馬場による米川評である。 毎日新聞、信濃毎日新聞他歌壇選者。角川短歌賞、短歌研究新人賞選考委員。「かりん」編集委員。現代歌人協会、日本文藝家協会、日本歌人クラブ各会員。 夫は同じく歌人の坂井修一。また日本画家の後藤純男は叔父にあたる。.

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紫式部

紫式部 (土佐光起筆 石山寺蔵) 紫式部(むらさきしきぶ、生没年不詳)は、平安時代中期の女性作家、歌人。正確な誕生年は特定できないが、近年の研究では、970年(天禄元年)から978年(天元元年)の間に生まれ、1019年(寛仁3年)までは存命したことがわかっている上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK出版「100分de名著」ブックス 紫式部『源氏物語』P26(2015/12/25発行)。。 「源氏物語」の作者とされ、藤原道長の要請で宮中に上がった際に宮中の様子を書いた「紫式部日記」も残している。源氏物語と紫式部日記の2作品は、後に「源氏物語絵巻」、「紫式部日記絵巻」として絵画化された。また、歌人である紫式部には、子供時代から晩年に至るまで自らが詠んだ歌から選び収めた「紫式部集」がある。「小倉百人一首」にも和歌が収められており、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人でもある。 父の藤原為時は、官位は正五位下と下級貴族ながら上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、花山天皇に漢学を教えた漢詩人、歌人である。紫式部は藤原宣孝に嫁ぎ、一女(大弐三位)を産んだ。1001年(長保3年)に結婚後3年程で夫が死去する。その後「源氏物語」を書き始め紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その評判を聞いた藤原道長に召し出されて、一条天皇の中宮であり藤原道長の娘でもある中宮彰子(藤原彰子)に仕えている間に「源氏物語」を完成させた。 なお、「紫式部集」には、夫の藤原宣孝の死去に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている和歌の意「夫が火葬により煙となった夜から塩釜をとても身近に思う」(塩釜:海藻を焼き塩を取ることで知られる地名で、現在の宮城県塩竈市)。.

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細溝洋子

細溝 洋子(ほそみぞ ようこ、1956年10月12日 - )は、歌人。愛知県名古屋市出身。.

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紀友則

紀友則(百人一首より) 紀 友則(き の とものり、承和12年(845年)? - 延喜7年(907年))は、平安時代前期の歌人・官人。宮内権少輔・紀有友(有朋)の子。官位は六位・大内記。三十六歌仙の一人。.

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紀貫之

紀 貫之(き の つらゆき)は、平安時代前期の歌人・貴族。下野守・紀本道の孫。紀望行の子。『古今和歌集』の選者の一人で、三十六歌仙の一人。.

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紀野恵

紀野 恵(きの めぐみ、1965年3月17日 - )は、歌人である。「未来」「七曜」所属。岡井隆、柏原千恵子に師事。 徳島県麻植郡生まれ。徳島市立高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。高校在学中の1982年に「異郷にて」で第28回角川短歌賞次席。1983年、「荷風氏のくしゃみ」で第26回短歌研究新人賞次席。古典和歌調の典雅で技巧的な作風であり、選考会の場では熟練したベテランの作品と思われていたため早熟の天才少女歌人として衝撃的なデビューを果たした。同様に古典和歌風の作風である水原紫苑とともに「新古典派」と称される。大学卒業後は帰郷して高校教諭を務める。徳島新聞歌壇選者。 大和和紀との共著『イラスト古典枕草子』(学習研究社 1990)がある。.

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真中朋久

真中 朋久(まなか ともひさ、1964年6月2日 - )は、歌人、気象予報士。茨城県出身。朝日カルチャーセンター講師、毎日新聞「兵庫文芸」選者。 京都大学理学部卒業、同大学院地球物理学専攻修士課程修了。1991年に「塔」入会、現選者。2002年に第1歌集『雨裂』で第46回現代歌人協会賞を受賞。2010年には第3歌集『重力』で第15回寺山修司短歌賞を受賞。.

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猿丸大夫

猿丸大夫」 狩野探幽筆「三十六歌仙額」より。 猿丸大夫(さるまるのたいふ / さるまるだゆう)とは、三十六歌仙の一人。生没年不明。「猿丸」は名、大夫とは五位以上の官位を得ている者の称。.

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結城哀草果

結城 哀草果(ゆうき あいそうか、1893年10月13日 - 1974年6月29日)は、歌人、随筆家。.

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生沼義朗

生沼 義朗(おいぬま よしあき、1975年1月29日 - )は、歌人。東京都新宿区出身。 日本大学芸術学部在学中の1994年に「短歌人」入会。当初は蒔田さくら子、後に中地俊夫の選歌を受ける。1998年、第43回短歌人新人賞を受賞。2000年、「祭都」30首で第11回歌壇賞候補。2002年に第1歌集『水は襤褸に』を刊行。翌2003年、同歌集で第9回日本歌人クラブ新人賞を受賞。2004年、第49回短歌人賞受賞。2005年、歌誌創刊に参加。2007年より「短歌人」会務委員兼公式サイト管理担当。2011年より2013年まで、詩歌梁山泊〜三詩形交流企画サイト「詩客」実行委員。2017年より「短歌人」編集委員、日本歌人クラブ広報部委員。.

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生方たつゑ

生方 たつゑ(うぶかた たつえ、1905年2月23日 - 2000年1月18日)は、歌人。沼田市名誉市民。.

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田中濯

中 濯(1976年 - )は、歌人。福岡県福岡市出身。 福岡県立筑紫丘高等学校、京都大学農学部卒業。「塔」所属。2007年に作品「フォトグラフ」で第18回歌壇賞次席、作品「プラットホーム」で第53回角川短歌賞佳作。2011年、第1歌集『地球光』で第17回日本歌人クラブ新人賞を受賞。.

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田中拓也

中 拓也(たなか たくや、1971年12月22日 - )は、歌人。短歌結社竹柏会「心の花」所属。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ会員。茨城県歌人協会会員。千葉県柏市生まれ。現在、茨城県水戸市在住。全国高校生短歌大会審査員。.

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田井安曇

井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。.

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田谷鋭

谷 鋭(たや えい、1917年12月15日 - 2013年11月6日)は、歌人。 千葉県千葉市寒川町生まれ。千葉関東商業学校(現敬愛学園高等学校)卒業後、国鉄に勤務。つつましさ、はじらいを特徴とする。1934年北原白秋が顧問の「香蘭」に入会。1935年白秋創刊の「多磨」に移る。1939年4月、応召、習志野陸軍病院に衛生兵として勤務。1942年1月召集解除、国鉄に復帰。1953年3月宮柊二の「コスモス」創刊に参加。1958年『乳鏡』で第2回現代歌人協会賞受賞。1973年刊行の『水晶の座』で第8回迢空賞、第1回日本歌人クラブ賞受賞。1978年『母戀』で第30回読売文学賞受賞。1984年紫綬褒章受章。2013年11月6日、肺炎のため死去。95歳没。.

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田捨女

捨女または、田 ステ女(でん すてじょ/すてめ、1634年(寛永11年) – 1698年9月13日(元禄11年8月10日))は、江戸時代の女流歌人・俳人。貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人。 氏名は田ステで、「女」は名の一部ではなく女流歌人の名に添える接尾辞である。法名は貞閑で、貞閑尼とも呼ぶ。.

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田村元 (歌人)

村 元(たむら はじめ、1977年2月11日 - )は、日本の歌人。.

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田江岑子

江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15日日外アソシエーツ『新訂現代日本人名録2002』第三巻、2002年、日外アソシエーツ、p.44- )は日本の歌人。岩手県宮古市出身で盛岡市に在住。.

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由谷一郎

由谷一郎(ゆたに いちろう、1919年(大正8年)-)は、和歌山県生まれの歌人。 第一歌集『砕氷搭』は、生業の遠洋漁業経営の日常を静かに見つめた清明な作品を特色とする。以後第7歌集『秋茜』まで、一貫して佐藤佐太郎の純粋短歌論を軸とする作品を発表、清澄静謐な歌風を持ち味とする。佐藤佐太郎に関する論考や作品鑑賞を収めた著書数冊がある。.

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花山多佳子

花山 多佳子(はなやま たかこ、1948年3月5日 - )は、日本の歌人。歌人の玉城徹は実父。娘の花山周子も歌人。 東京都出身、千葉県在住。同志社大学文学部在学中に京都大学短歌会および「塔」に入会し、高安国世に学ぶ。現在、選者。河北新報「河北歌壇」、NHK短歌(2011年-2012年度)選者。.

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遍昭

遍昭(へんじょう、弘仁7年(816年) - 寛平2年1月19日(890年2月12日))は、平安時代前期の僧・歌人。俗名は良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)。大納言・良岑安世の八男。官位は従五位上・左近衛少将。花山僧正とも号す。六歌仙および三十六歌仙の一人。.

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道浦母都子

道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は、歌人。『未来』選者。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府吹田市在住。大阪府立北野高等学校を経て、1972年早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。大学在学中の1971年短歌結社『未来』に入会し、近藤芳美に師事。1980年、全共闘運動に関わった学生時代を歌った歌集『無援の抒情』を発表し、第25回現代歌人協会賞を受賞する。2008年、和歌山県文化賞受賞。静岡新聞、中国新聞、信濃毎日新聞歌壇選者。2003年から2011年まで、吹田市教育委員を務めた。.

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違星北斗

違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) - 1929年(昭和4年)1月26日)はアイヌの歌人・社会運動家。 アイヌ民族の地位向上のための運動に一生を捧げ、その思想を新聞や雑誌に短歌の形で発表して、同時代のアイヌの青年たちに影響を与えた。また道内のアイヌコタンを廻って、まずアイヌ自身が自覚し、団結することが必要であると説いた。 バチラー八重子、森竹竹市と並ぶ、「アイヌ三大歌人」の一人。「アイヌの啄木」と称されることもある。著作に『違星北斗遺稿 コタン』(昭和5年・希望社、現在は草風館より復刊)がある。.

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荻原裕幸

荻原 裕幸(おぎはら ひろゆき、1962年8月24日 - )は、日本の歌人。.

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萩原広道

萩原 広道(はぎわら ひろみち、文化12年2月19日(1815年3月29日) - 文久3年12月3日(1864年1月11日))は、江戸時代末期の歌人・翻訳家・作家・国学者である。号は蒜園(にらぞの)。備前(現・岡山市中区網浜)出身。代表作は、『源氏物語評釈』。.

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萩原朔太郎

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。.

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萩原慎一郎

萩原 慎一郎(はぎはら しんいちろう、1984年9月16日 - 2017年6月8日)は日本の歌人、詩人。.

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須永朝彦

永 朝彦(すなが あさひこ、1946年(昭和21年)2月5日 - )は、歌人、小説家、評論家。幻想的な作風が特徴。栃木県足利市出身。 少年時代から和歌・短歌・俳句・詩などに親しみ、在原業平、和泉式部、式子内親王、藤原良経、藤原定家、與謝蕪村、與謝野寛、與謝野晶子、北原白秋、木下杢太郎、日夏耿之介、安西冬衛などを愛誦。日本古典は『源氏物語』などの王朝物語や戦記から中世の短篇物語、江戸文芸全般に至るまで広く親しむ一方、能・浄瑠璃や歌舞伎など。近代文学は森鴎外・幸田露伴・泉鏡花・谷崎潤一郎・佐藤春夫・稲垣足穂・三島由紀夫など。外国文学はE.T.A.ホフマン、スタンダール、メリメ、トーマス・マンなどを愛読。17歳の頃、三島の評論・エッセイから澁澤龍彦、森茉莉、ジャン・ジュネ、テネシー・ウィリアムズ、サドなどの文芸を教えられ、眼を灼かれる。 1964年、栃木県立足利高等学校卒業。詩作を試みていたが、1965年に詩人高橋睦郎を訪ねて面談、「詩よりも短歌に向いているのでは」との指摘を受け、現代最高の歌人として塚本邦雄と葛原妙子の存在を教えられる。二人の歌集を需めて熟読する傍ら短歌の制作に没頭、1966年2月、手作りの木版刷歌集を作成し、堀口大學・澁澤龍彦・塚本邦雄など数名に献呈。塚本より返書あり、師事を許される。師の奨めを受け同人誌「喜望峰」に参加、8月初めて短歌36首を公表。師の縁にて葛原・森岡貞香・山中智恵子・中井英夫・松田修・春日井建・寺山修司・加藤郁乎・堂本正樹・高柳重信・永田耕衣・種村季弘・相澤啓三などと相識ることを得る。1971年、「話の特集」「ミステリマガジン」「海」などから散文の原稿依頼を受ける。また村上一郎の慫慂を容れて評伝『鉄幹と晶子』を紀伊國屋新書から上梓、作家専業となる。 1971年に古典芸能学者の郡司正勝と出会い、以後27年間、郡司の逝去まで交友を続け、その間『古典芸能 鉛と水銀』『かぶき夢幻』【郡司正刪定集(全六巻)】等の編集に従う。1972年に歌集『東方花傳』を上梓、漸次短歌の制作から遠ざかり、1974年刊『就眠儀式』以降、小説やエッセイの刊行を重ねる。佐藤春夫、稲垣足穂などの影響を受けた独特の作品世界を形成と評されるも果たして正鵠を得たものか、少なからず疑問が残る。散文の先達として日影丈吉・澁澤龍彦・多田智満子を三絶として敬い、追悼文を草している。 1983年、歌舞伎への親炙が機縁となり、坂東玉三郎の日生劇場ギリシア悲劇公演『メディア』の翻訳潤色台本を担当する。1980年代以降は『幻想文学』誌にしばしば寄稿、また幻想文学関連の叢書・選集・アンソロジー等の編集にも携わり、内外古典の翻訳も数多く手がけており、この仕事に関しては相応の評価を得ている。.

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飯富季貞

飯富 季貞(おぶ すえさだ/源 季貞(みなもと の すえさだ)、生没年不詳)は、平安時代末期の武将・歌人。清和源氏の河内源氏義忠流とも満政流、満快流ともいう。清和源氏の一族でありながら平家の侍大将であり、文武両道に秀でた武将。本拠地飯富庄(現千葉県)に由来し、飯富氏を称した。通称は源大夫判官。子孫に飯富虎昌がいる。.

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西四辻公業

西四辻 公業(にしよつつじ きみなり/きんなり、天保9年3月5日(1838年3月30日) - 明治32年(1899年)10月7日)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した勤王派公家、政治家。父は権中納言・高松公祐。西四辻公恪の養子となる。西四辻家は藤原北家閑院流四辻家の分家にあたり、家格は羽林家・新家。.

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西王燦

西王 燦(にしおう さん、1950年12月29日 - )は、歌人。短歌結社誌『短歌人』の元編集委員。 妻の武下奈々子も歌人で、1983年に短歌研究新人賞を受賞している。また、実娘は枡野浩一「かんたん短歌の作り方」の常連投稿者であった。.

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西行

西行像(MOA美術館蔵) 西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。 勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)『山家心中集』(自撰)『聞書集』、その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。.

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馬場あき子

場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日 - )は、東京都出身の歌人、文芸評論家。短歌結社「かりん」主宰。日本芸術院会員。朝日歌壇選者。古典や能に対する造詣が深く、喜多実に入門、新作能の制作も行っている。また、『鬼の研究』など民俗学にも深い知識を持つ。本名:岩田暁子(いわた あきこ)。夫は歌人の岩田正。 日本女子専門学校(現・昭和女子大学)国文科卒業。門下には梅内美華子、坂井修一、米川千嘉子、今野寿美、日高堯子、松村由利子、日置俊次など。.

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香取秀真

香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954年1月31日)は日本の鋳金工芸作家、歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授、芸術院会員。帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員、国宝保存会常務委員、文化財審議会専門委員などを歴任。秀真は雅号で、本名は秀治郎。金工の人間国宝である香取正彦は長男。.

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香川ヒサ

香川 ヒサ(かがわ ひさ、1947年3月1日 - )は日本の歌人。.

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香川美人

香川 美人(かがわ よしと、1915年(大正4年)― 2008年(平成20年))は愛媛県大三島出身の歌人。実兄の香川末光,甥の香川哲三も歌人。1930年(昭和5年)、「満州短歌」(後の「短歌中原」)に入会し八木沼丈夫に師事した。終戦後、郷里の愛媛県大三島に引き揚げ、1948年(昭和23年)に香川末光・藤原弘男らと「うづしほ短歌会」を結成した。1954年(昭和29年)に「歩道短歌会」に入会し佐藤佐太郎に師事した。「満州短歌」及び「短歌中原」時代の作品を纏めた歌集『碧落』、「歩道」入会後の作品を収めた歌集『風濤』、歌集『海光』がある。写生に立脚した精緻な対象描写と日常生活を柔軟な感性で捉えた歌風に特色がある。.

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香川末光

香川末光(かがわ すえみつ、1911年(明治44年) - 2003年(平成15年))は愛媛県出身の歌人。弟の香川美人、長男の香川哲三も歌人。1929年(昭和4年)八木沼丈夫主宰の「満州短歌」に入会し、昭和11年頃以降より終刊号まで「満州短歌」の発行者となる。「満州短歌」終刊後は「短歌精神」「短歌中原」に所属した。終戦後、愛媛県大三島に帰郷し農業に従事、1948年(昭和23年)には藤原弘男・香川美人らとともに「うづしほ短歌会」を結成した。1961年(昭和36年)に「歩道短歌会」。 に入会し佐藤佐太郎に師事した。「歩道」入会後の作品を収めた『叢島』『冬果』2冊の歌集があり、瀬戸内の風光と蜜柑づくりを対象とした抒情豊かな生活詠を特色とする。.

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香川景樹

香川 景樹(かがわ かげき、明和5年4月10日(1768年5月25日)天保14年3月27日(1843年4月26日))は、江戸時代後期の歌人。父は鳥取藩藩士荒井小三次。初名は、純徳・景徳。通称は銀之助・真十郎・式部・長門介。号は桂園(けいえん)・東塢亭(とううてい)・梅月堂・観鶩亭(かんぼくてい)・臨淵社・万水楼・一月楼。出仕した徳大寺家では「景樹」を「かげしげ」と呼んでいたが、景樹自身は自身の署名で「かげき」の読みを使っており、こちらの呼称が一般に通用している。.

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角宮悦子

角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 2016年3月22日 東京新聞 2016年3月24日)は歌人。歌誌「はな」代表。.

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高安国世

安 国世(たかやす くによ、男性、1913年8月11日 - 1984年7月30日)は、日本の歌人、ドイツ文学者。専門はリルケであり、多くの作品を翻訳している。短歌結社「塔」創設者。 大阪府大阪市道修町出身。父高安道成は医師、母やす子はアララギの歌人、叔父に高安月郊。母の影響を受けて短歌を志し、アララギに入会、土屋文明に師事する。リアリズムに基礎を置きながらも、現実には存在しないものを表現の対象に求めるなど、常に新しい表現を求め続けた。 京都大学短歌会の顧問もつとめ、永田和宏や栗木京子を育てた。三男高安醇は画家。 評伝に、水沢遥子『高安国世ノート』(不識書院、2005年)、松村正直『高安国世の手紙』(六花書林、2013年)がある。.

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高山鉄男

山 鉄男(たかやま てつお、1935年1月18日 - )は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学名誉教授。.

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高島裕

島 裕(たかしま ゆたか、1967年9月28日 - )は歌人。.

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高嶋健一

嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2003年5月18日)は、日本の教育学者(教育心理学)、歌人。静岡県立大学名誉教授。 池田市教育研究所所員、兵庫県立湊川高等学校教諭、静岡女子短期大学助教授、静岡女子大学文学部教授、水甕選者、水甕運営委員長などを歴任した。.

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高畠式部

高畠 式部(たかばたけ しきぶ、天明5年(1785年) - 明治14年(1881年)5月28日)は、日本の幕末期から明治初期にかけての女性歌人。本名は刀美。式部は雅号である。 伊勢国松坂の商家に生まれる。 香川景樹から桂園流の歌を学び、景樹の歿後は千種有功に師事。和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ。 歌集に、『麦の舎集』、『式部蓮月二女和歌集』などがある。 墓は、京都市東山区円山町626の時宗寺院、黄台山長楽寺にある。 Category:江戸時代の歌人 Category:江戸時代の文人 Category:江戸時代の女性 Category:幕末の女性 Category:明治時代の人物 Category:伊勢国の人物 Category:三重県出身の人物 Category:1785年生 Category:1881年没.

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高瀬一誌

髙瀬 一誌(たかせ かずし、1929年12月7日 - 2001年5月12日)は歌人。.

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高野公彦

野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )は日本の歌人。歌誌「コスモス」編集人、選者。本名は、日賀志康彦。.

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高村光太郎

村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。 日本を代表する彫刻家であり、画家でもあったが、今日にあって『道程』、『智恵子抄』等の詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。著作には評論や随筆、短歌もある。能書家としても知られる。弟は鋳金家の高村豊周。甥は写真家の高村規で、父である高村光雲等の作品鑑定も多くしている。.

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高橋俊人

髙橋 俊人(たかはし としんど、1898年8月4日 - 1976年1月13日)は日本の歌人、郷土史家。.

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高木佳子

木 佳子(たかぎ よしこ、1972年11月7日 - )は日本の歌人。神奈川県生まれ。福島県いわき市在住。短歌結社「潮音」所属。.

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鳥居 (歌人)

鳥居(とりい)は、日本の歌人。三重県生まれ。 セーラー服を着た歌人として知られる。両親の離婚、母の死、養護施設での虐待、ホームレス生活を体験したのち、短歌を独学で学んだ。第61回現代歌人協会賞受賞。.

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賀茂真淵

賀茂 真淵(かも の まぶち)は、江戸時代中期の国学者、歌人。通称三四。真淵は出生地の敷智(ふち)郡にちなんだ雅号で、淵満(ふちまろ)とも称した。 荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされ、その門流を「県居(あがたい)学派」、あるいは「県門(けんもん)」と称した。.

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黒田淑子

黒田 淑子(くろだ よしこ、1929年(昭和4年)9月9日 - )は、日本の歌人。岐阜県生まれ。岐阜女子専門学校(現岐阜市立女子短期大学)卒業。第一歌集『丘の外燈』は、繊細な感覚の働いた抒情性の高い作品を特色とする。佐藤佐太郎の純粋短歌論に立脚しながら詩情を中心に据えた作歌活動を今日まで続けている。また、女子受刑者に対する短歌指導を長年続けており、藍綬褒章などを受章している。.

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黒瀬珂瀾

黒瀬 珂瀾(くろせ からん、1977年7月22日 - )は歌人。 大阪府豊中市生まれ。大阪星光学院高等学校卒業後、大阪大学文学部比較文学専攻卒、同大学院文学研究科修士課程修了。在学中は京都大学短歌会に参加したほか、阪大下の古書店・太田書店でアルバイトをしていた。 師・春日井建の影響を強く受けた耽美的世界観が特徴的だった初期の歌風から、岡井隆の影響が濃い修辞主体の写生的な作風に変貌しつつある。また、オタク文化を始めとするサブカルチャーに造詣が深いことでも知られる。浄土真宗本願寺派の僧籍を持ち、富山県富山市の寺院の住職。 妻は金沢大学准教授の鈴木暁世。富山市在住。.

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齋藤芳生

齋藤 芳生(さいとう よしき、1977年2月20日 - )は歌人。本名は齋藤周子(さいとうちかこ)。.

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辰巳泰子

辰巳 泰子(たつみ やすこ、1966年1月10日 - )は、歌人。 大阪市東淀川区(現・淀川区)生まれ。13歳から歌作を開始する。1985年に高瀬一誌の導きにより「短歌人」に入会。大阪府立北野高等学校を経て、1987年京都府立大学女子短期大学部国語科卒。同年、『家族の季』で第33回角川短歌賞佳作。教材制作会社の営業をするが体調を崩し退職。89年まで大阪市立中学校国語講師。90年第1歌集『紅い花』で第34回現代歌人協会賞を当時最年少の24歳で受賞。98年夫と編集プロダクション海門イデア設立。99-2001年文芸誌「月鞠」を発行。2008年より結社「月鞠の会」として再出発し、主宰となる。.

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辺見じゅん

辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆみ、旧姓:角川、邊見)、1939年7月26日 - 2011年9月21日)は、日本の歌人・ノンフィクション作家。.

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近藤芳美

近藤 芳美(こんどう よしみ、男性、1913年5月5日 - 2006年6月21日)は、日本の歌人である。 本名は近藤 芽美(読みは同じ)。戦後の歌壇を牽引する歌人として活動し、文化功労者に選ばれた。長年「朝日歌壇」(朝日新聞)の選者を務めたことで知られるほか、建築家としての顔も持ち、ゼネコンや大学に籍を置く。.

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霊元天皇

霊元天皇(れいげんてんのう、承応3年5月25日(1654年7月9日) - 享保17年8月6日(1732年9月24日))は、江戸時代前期の第112代天皇(在位:寛文3年1月26日(1663年3月5日)- 貞享4年3月21日(1687年5月2日))。幼名は高貴宮(あてのみや)、諱は識仁(さとひと)。「仙洞様」とよばれることが多い(譲位後の期間が長いため)。歌人、能書家でもある。.

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錦三郎

錦 三郎(にしき さぶろう、1914年 - 1997年5月8日)は、日本のエッセイスト、歌人、蜘蛛研究家、特にバルーニングの研究で著名。山形県山形市出身。山形師範学校卒業。.

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茅野雅子

茅野 雅子(ちの まさこ、1880年5月6日 - 1946年9月2日、旧姓増田)は、大阪市出身の歌人である。 1880年、大阪市道修町の「増田順血湯」本舗で知られた薬種問屋の次女として生まれる。相愛女学校退学。1900年与謝野鉄幹が主宰する「新詩社」に加入、「明星」へ投稿。1904年上京して日本女子大学に入学。1905年、与謝野晶子、山川登美子と3人で歌集「恋衣」を刊行、明星派3才媛として雅子の名を世に広めた。1907年、明星同人で東京帝国大学独文科の学生であった茅野蕭々の熱烈な求婚を受け、親の反対に遇ったが、絶縁を覚悟の上で、女子大学卒業後に結婚。「明星」廃刊の後、北原白秋、吉井勇、石川啄木らと「スバル」に参加、「青鞜」、「婦人の友」等にも短歌、随筆等を発表するなど意欲的に活動した。1921年日本女子大学の教授となり晩年まで勤めた。また、「春草会」、「茅花会」などの短歌会を主宰した。1946年、東京大空襲で被災した翌年、夫蕭々の病死した4日後、後を追うようにこの世を去った。.

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都築直子

都築 直子(つづき なおこ、1955年8月12日 - )は歌人、小説家、スカイダイビング・インストラクター。.

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背奈行文

背奈 行文(せな の ゆきふみ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族・歌人。姓は公(キミ)のち王(コニキシ)。高句麗系渡来人である背奈福徳の子『続日本紀』延暦8年10月17日条。官位は従五位下・大学助。.

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鈴鹿俊子

鈴鹿 俊子(すずか としこ、1909年9月18日 - 2008年2月20日)は、日本の歌人、随筆家。川田順の妻。本名・川田俊子。 京都生まれ。同志社女子専門学校(のち同志社女子大学)中退。京都帝国大学教授(経済学者)中川与之助と結婚。1942年「ハハキギ」に入会。1944年から川田順に師事するが恋となり、1948年川田は苦しんで自殺未遂を起こし「老いらくの恋」として世間を騒がせるが、中川が離婚を承諾し、1949年結婚。女人短歌会会員。.

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鈴木重嶺

鈴木 重嶺(すずき しげね)は、江戸時代後期の旗本、明治期の官僚、歌人。最後の佐渡奉行。.

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阿木津英

阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は日本の歌人。短歌結社「八雁(やかり)」主宰。本名は末永英美子(すえなが えみこ)。現代短歌にフェミニズム思想を導入し、女歌運動に影響を与える。.

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赤染衛門

赤染衛門 『前賢故実』より '''赤染衛門'''(小倉百人一首より) 『やすらはで寝なましものを 小夜ふけて かたふく迄の月を見しかな』(月岡芳年『月百姿』) 赤染衛門(あかぞめえもん、天暦10年(956年)頃? - 長久2年(1041年)以後)は、平安時代中期の女流歌人。大隅守・赤染時用の娘。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。.

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鵜飼康東

康東(うかい やすはる、1946年6月20日 - )は、日本の経済学者、歌人。関西大学名誉教授。President, The Society of Socionetwork Strategies。現代歌人協会会員。日本文藝家協会会員。滋賀県出身。.

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藤原基俊

藤原基俊(小倉百人一首) 藤原 基俊(ふじわら の もととし、康平3年(1060年)- 永治2年1月16日(1142年2月13日))は、平安時代後期の公家・歌人。父は右大臣藤原俊家。 藤原氏の主流である藤原北家の出身で藤原道長の曾孫にあるが、官位には恵まれず従五位上左衛門佐にとどまった。1138年(保延4年)に出家し、覚舜(かくしゅん)と称した。.

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藤原定家

藤原 定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と音読みされることが多い。小倉百人一首の撰者で権中納言定家を称する。.

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藤原俊成

藤原俊成歌碑「又や見む交野の御野の桜狩 花の雪散る春の曙」(枚方市) 愛知県蒲郡市竹島園地の藤原俊成卿像。『吾妻鏡』(元暦二年二月十九日条)に竹谷・蒲形荘(現在の蒲郡市)の開発領主として「散位俊成」の名がある蒲郡市ホームページ(http://www.city.gamagori.lg.jp/site/museum/shunzei.html)久曽神昇「特別展『藤原俊成の古典』に寄せて」(蒲郡市博物館『特別展 藤原俊成の古典』、1991年 p.62-64) 藤原 俊成(ふじわら の としなり)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ勧修寺流・藤原顕頼の猶子となり顕広(あきひろ)を名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。法名は釈阿。最終官位は正三位・皇太后宮大夫。『千載和歌集』の撰者として知られる。.

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藤原兼輔

藤原 兼輔(ふじわら の かねすけ、元慶元年(877年) - 承平3年2月18日(933年3月21日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、右中将・藤原利基の六男。官位は従三位・中納言。また賀茂川堤に邸宅があったことから堤中納言とよばれた。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言兼輔。.

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藤原元真

藤原 元真(ふじわら の もとざね、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人・貴族。藤原南家、右大臣・藤原三守の曾孫。甲斐守・藤原清邦の三男。官位は従五位下・丹波介。三十六歌仙の一人。.

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藤原為時

藤原 為時(ふじわら の ためとき)は平安時代中期、一条朝の貴族、歌人、漢詩人。藤原北家良門流、中納言・藤原兼輔の孫で、刑部大輔・藤原雅正の三男。紫式部の父。官位は正五位下・左少弁。.

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藤原顕季

藤原 顕季(ふじわら の あきすえ) は、平安時代後期の貴族・歌人。藤原北家魚名流、正四位下美濃守・藤原隆経の次男。官位は正三位・修理大夫。六条修理大夫と号した。歌道家の流派の一つ六条藤家の祖。善勝寺流初代。.

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藤原顕輔

藤原 顕輔(ふじわら の あきすけ)は、平安時代後期の公家・歌人。修理大夫・藤原顕季の三男。官位は正三位・左京大夫。六条と号す。小倉百人一首では左京大夫顕輔。六条藤家2代。.

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藤原龍一郎

藤原 龍一郎(ふじわら りゅういちろう、1952年1月18日 - )は、歌人、俳人。福岡県出身。歌誌「短歌人」編集人。.

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藤原清輔

藤原 清輔(ふじわら の きよすけ)は、平安時代末期の公家・歌人。藤原北家末茂流、左京大夫・藤原顕輔の次男。官位は正四位下・太皇太后宮大進。初名は隆長。六条を号す。六条藤家3代。.

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藤井常世

藤井 常世(ふじい とこよ、女性、1940年12月3日 - 2013年10月30日)は、歌人。 折口信夫門下の歴史学者・藤井貞文の娘として東京都に生まれる。弟は藤井貞和。「常世」は本名で、折口が名付け親。國學院大學文学部文学科卒業。香川進の歌誌『地中海』を経て、1972年岡野弘彦の歌誌『人』創刊に参加。1993年『笛の会』を結成、代表となる。現代歌人協会会員。2002年「NHK歌壇」選者。2013年10月30日、急性心不全のため死去。72歳没。.

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葛原妙子

葛原 妙子(くずはら たえこ、1907年(明治40年)2月5日 - 1985年(昭和60年)9月2日)は、歌人、潮音社友、日本歌人クラブ会員、女人短歌会会員。現代歌人協会発起人。南日本新聞歌壇選者。現代短歌女流賞選考委員。 東京出身。父、外科医の山村正雄、母、つね。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校)卒業。夫の葛原輝は外科医。長女は児童文学者の猪熊葉子。 戦後の歌壇に大きな影響を与えた代表的歌人の一人である。日常のうちに「見てはならぬものを視、聞いてはならぬものを聴きだし」(菱川善夫)、その景色を自ら「表現の我儘についてゆるし得る限界」とする破調の歌に詠むその歌風から、「現代の魔女」「球体の幻視者」(中井英夫)、「幻視の女王」(塚本邦雄)と称される。.

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蒔田さくら子

蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - )は歌人。本名・浜高家さくら子。東京都豊島区目白生まれ。 東京府立第三高等女学校(現在の東京都立駒場高等学校)卒業。1946年(昭和21年) 「をだまき」に入社。高瀬一誌らと中河幹子(小説家・中河与一の妻)に師事。その後、「短歌人」に入会し小宮良太郎に師事した。1953年(昭和28年)、「短歌人」が編集委員制度移行の際、編集委員に就任。以後55年間に渡って編集に携わる。1982年(昭和57年)歌集『紺紙金泥』で第9回日本歌人クラブ賞。1994年(平成6年)、歌集『鱗翅目』で第15回ミューズ女流文学賞。1983年(昭和58年)より1987年(昭和62年)まで現代歌人協会理事。1985年(昭和60年)より1996年(平成8年)まで「短歌人」発行人。2002年(平成14年)度「NHK歌壇」(現・「NHK短歌」)選者。2014年、歌集『標のゆりの樹』およびこれまでの全業績により第37回現代短歌大賞受賞。.

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脇坂安元

脇坂 安元(わきざか やすもと)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名・歌人。伊予国大洲藩2代藩主、のち信濃国飯田藩初代藩主。播磨国龍野藩脇坂家2代。 当時の将軍徳川家光の信任が厚い下総国佐倉藩主・堀田正盛の次男・安政を養子とすることを願い出て許されたことにより、外様の小藩であった脇坂家は譜代大名となることができた。なお、安元は2代・安政より以前に、実弟・安経、次いで堀田正盛の弟・安利を養子としていたが、いずれも早世した。.

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野口あや子

野口 あや子(のぐち あやこ、1987年5月23日 - )は日本の歌人。.

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野口恵子

野口 恵子(のぐち けいこ、1975年 - )は、歌人。 東京都出身。早稲田大学理工学部卒業後、IT関連企業に勤務する。田島邦彦が講師を務めていた短歌教室に通い始めたのがきっかけで2003年に歌誌「開放区」に参加。.

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長塚節

長塚 節(ながつか たかし、1879年(明治12年)4月3日 - 1915年(大正4年)2月8日)は、歌人、小説家。.

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長沢美津

長沢 美津(長澤 美津、ながさわ みつ、女性、1905年11月14日 - 2005年4月26日)は、歌人、国文学者。.

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長澤一作

長澤 一作(ながさわ いっさく 1926年 - 2013年)は、日本の歌人。佐藤佐太郎の初期の弟子にあたる。.

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良寛

良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。.

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若山牧水

若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。.

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若林牧春

若林 牧春(わかばやし ぼくしゅん、男性、1886年9月11日 - 1974年6月29日)は、明治・大正・昭和期の日本の歌人、詩人、教育者。本名は岡部 軍治文献によっては、名前を「軍二」としているものもある。たとえば、倉間勝義ほか編『多摩の人物史 古代より現代まで800人』(武蔵野郷土史刊行会、1977年)、横山吉男『多摩の文学碑 百三十碑余の詳細解説』(武蔵野郷土史刊行会、1981年)、横山吉男『多摩文学散歩 文学碑・墓碑を歩く』(有峰書店新社、1996年、ISBN 4-87045-215-4)など。(おかべ ぐんじ)。他の雅号に暁花、星骨がある。.

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雨宮雅子

宮 雅子(あめみや まさこ、1929年3月28日 - 2014年10月25日)は、日本の歌人。.

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雪舟えま

雪舟 えま(ゆきふね えま、1974年10月7日 - )は、日本の小説家、歌人。北海道札幌市生まれ。.

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折口信夫

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。 歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。.

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折口春洋

折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓:藤井、1907年2月28日 - 1945年3月19日)は、日本の国文学者。.

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柚木圭也

柚木 圭也(ゆずき けいや、1964年5月11日 - )は歌人。.

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柳澤美晴

柳澤 美晴(やなぎさわ みはる、1978年12月31日 - )は、歌人。北海道旭川市出身。 北海道教育大学旭川校卒業。「学校で児童がほっとできる場をつくりたい」と養護教諭を志し、臨時採用の養護教諭として札幌、小樽、苫前などを転々とする。その後 本採用となり、小学校の養護教諭として勤務。 大学在学中に和歌の講義に熱中し、大学4年生で作歌を始める。 2001年に未来短歌会に入会。岡井隆、加藤治郎に師事。 2006年に作品「モノローグ」で未来賞を受賞。同年、作品「WATERFALL」で49回短歌研究新人賞次席入選。 2008年に作品「硝子のモビール」で第19回歌壇賞受賞。 第一歌集『一匙(ひとさじ)の海』で2011年に第12回現代短歌新人賞および第26回北海道新聞短歌賞(当時最年少受賞)を、2012年に第56回現代歌人協会賞をそれぞれ受賞。 樋口智子や山田航らとともに、同人誌『アークレポート』を発行している札幌の短歌勉強会「アークの会」の主要メンバーの一人。.

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柴生田稔

柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 1991年8月20日)は、日本の歌人、国文学者。.

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柿本人麻呂

柿本人麻呂(百人一首より) 柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、斉明天皇6年(660年)頃 - 神亀元年(724年)3月18日)は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。.

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染野太朗

染野 太朗(そめの たろう、1977年10月21日 - )は、歌人。茨城県生まれ、埼玉県に育つ。福岡市在住。 高校生のときに短歌を始め、1995年に歌誌「まひる野」入会。国際基督教大学教養学部卒業後、国語の教員免許を取得するために早稲田大学第二文学部に学士入学、「早稲田大学短歌会」に参加する。2004年より私立中高一貫校教員として勤務。2012年、第1歌集『あの日の海』で第18回日本歌人クラブ新人賞を受賞。2015年4月より1年間、NHKテレビ「NHK短歌」選者を担当。2018年、第2歌集『人魚』で第48回福岡市文学賞を受賞。.

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枡野浩一

枡野 浩一(ますの こういち、1968年9月23日 - )は、歌人。東京都杉並区西荻窪生まれ。 コピーライター、フリーライターを経て1997年、短歌集『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロップ』で歌人デビュー。短歌小説『ショートソング』は約10万部のベストセラーとなり、小手川ゆあによって漫画化される。短歌以外にも現代詩、作詞、漫画評、演劇評、エッセイ、小説などさまざまなジャンルで作品を発表している。漫画家の南Q太は元妻。芸人トリオ「詩人歌人と植田マコト」の元メンバー。 芸人活動休止後は漫画家の古泉智浩とポッドキャスト番組「本と雑談ラジオ」のパーソナリティーとして活動。ババロア研究家。阿佐ヶ谷「枡野書店」店主。.

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林和清

林 和清(はやし かずきよ、1962年3月14日生まれ - )は、歌人。京都府京都市出身・在住。佛教大学文学部国文学科卒業。「玲瓏」選者、現代歌人集会理事長、現代歌人協会会員。既婚。 大学では中世和歌を専攻。また、京都大学短歌会に所属し、梅内美華子、吉川宏志、島田幸典らとともに活動。23歳で創刊まもない「玲瓏」に入会、塚本邦雄に師事。1989年、「未来歳時記」30首で第32回短歌研究新人賞次席。1991年、第一歌集『ゆるがるれ』で現代歌人集会賞受賞。NHK文化センター、毎日文化センター、よみうり文化センターなどのカルチャーセンターで、万葉集、源氏物語、枕草子などの講座を担当している。 阪神ファン。.

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李正子

李 正子(이정자、1947年3月3日 - )は、三重県伊賀市出身の在日コリアン二世の女性歌人である。未来短歌会所属。最終学歴は三重県立上野高等学校卒業。.

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来嶋靖生

来嶋 靖生(きじま やすお、1931年8月28日 - )は、日本の歌人、編集者。.

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東直子

東 直子(ひがし なおこ、1963年12月23日 - )は、日本の歌人、小説家、脚本家。 広島県安佐郡安佐町(現・広島市安佐北区)生まれ。神戸女学院大学家政学部食物学科卒業。姉の小林久美子も歌人。.

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松山茂助

松山 茂助(まつやま もすけ、1890年12月2日 - 1973年6月25日)は日本の醸造学者、実業家。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)の酒造業者に生まれる。旧制飯山中学(現長野県飯山北高等学校)を経て北海道帝国大学農学部卒業。ビール醸造学を修めて1919年日本麦酒鉱泉に入社。カタラーゼに関する研究で農学博士号を得る。研究部長となりドイツに留学。1961年日本麦酒(サッポロビール)社長に就任。著書に「麦酒醸造学」、歌集に「川」がある。.

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松平盟子

松平 盟子(まつだいら めいこ、1954年7月24日 - )は、愛知県岡崎市生まれの歌人。 南山大学文学部国語国文学科卒業。国語教師を経て、コスモス短歌会に入会する。1977年、「帆を張る父のやうに」で角川短歌賞を受賞した。1990年、『プラチナ・ブルース』で河野愛子賞を受賞した。歌誌『プチ☆モンド』を主宰する。.

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松野志保

松野 志保(まつの しほ、1973年2月10日 - )は、歌人。山梨県出身。 山梨県立甲府南高等学校、東京大学文学部日本語日本文学専修卒業。高校在学中より短歌を作り始め、雑誌に投稿。1993年、短歌結社「月光の会」に入会し、福島泰樹に師事。2000年、「永久記憶装置」で第43回短歌研究新人賞候補。2003年より短歌同人誌「Es」に参加。ボーイズラブを好み、短歌にもそのテイストを持ち込むことを特徴としている。第一歌集『モイラの裔』では萩尾望都、高河ゆん、森茉莉などからエピグラフの引用を行っている。.

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松村由利子

松村 由利子(まつむら ゆりこ、1960年9月14日 - )は、日本の歌人。.

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松村正直

松村 正直(まつむら まさなお、1970年9月3日 - )は、歌人。東京都町田市出身。京都市在住。歌誌「塔」編集長。妻の川本千栄も歌人。 駒場東邦高等学校、東京大学文学部独文科卒業後、8年間フリーターをしながら全国の地方都市を移り住む。1996年に石川啄木の影響で短歌をはじめ、翌年「塔」入会。1999年「フリーター的」で第45回角川短歌賞次席。2000年毎日歌壇賞受賞。2002年第1歌集『駅へ』で第10回ながらみ書房出版賞受賞。2011年評論集『短歌は記憶する』で第9回日本歌人クラブ評論賞受賞。2014年第3歌集『午前3時を過ぎて』で第1回佐藤佐太郎短歌賞受賞。NHKラジオ「夜はぷちぷちケータイ短歌」にも選者として出演経験を持つ。.

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松木秀

松木 秀(まつき しゅう、1972年1月14日 - )は、歌人、川柳作家。北海道登別市出身・在住。 北海道室蘭栄高等学校、札幌学院大学法学部卒業。1996年に川柳、1997年に短歌をはじめる。1998年に歌誌「短歌人」および川柳誌「川柳さっぽろ」に入会。2001年、「川柳展望」に入会および第46回短歌人新人賞を受賞。2006年、第1歌集『5メートルほどの果てしなさ』で第50回現代歌人協会賞を受賞。川柳の影響を受けたシニカルで風刺的な作風。 第1歌集の『5メートルほどの果てしなさ』は加藤治郎のプロデュースにより設立されたオンデマンド印刷形式の歌集専門レーベル「歌葉」からの出版であり、同レーベルの歌集として初めて現代歌人協会賞を受けた。.

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松本典子 (歌人)

松本 典子(まつもと のりこ、1970年2月6日 - )は、歌人。千葉県鴨川市出身。 千葉県立安房高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、国立能楽堂を経て国立劇場に勤務する。1997年に短歌をはじめ、同年短歌結社「かりん」入会、馬場あき子に師事。2000年、第20回かりん賞、第46回角川短歌賞受賞。2003年、第一歌集『いびつな果実』で第4回現代短歌新人賞受賞。現代歌人協会会員。.

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板宮清治

板宮清治(いたみや せいじ、1935年(昭和10年)2月22日『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.442 - )は、岩手県生まれの歌人。 昭和30年代の農村生活と自然を主な内容とする第一歌集『麥の花』は、青春期のみづみづしい作品を特色とする。現在までに六冊の歌集を発行しており、何れも東北の風土に根差した鋭敏な感性と清新な詠風によって貫かれている。病を克服して後の作品を収めた『杖』により、平成18年度の日本歌人クラブ賞を受賞。 地元の金ケ崎町立図書館には特設文庫として「板宮文庫」があり、板宮寄贈による現代歌人の歌集を中心とした書籍が収められている。.

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杉山太郎

杉山 太郎(すぎやま たろう、1952年9月 - 2001年2月5日)は、中国演劇研究者、明星大学教授。日本語教育、中国語教育、中国人口論にも業績がある。.

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杉浦翠子

杉浦 翠子(すぎうら すいこ、1885年(明治18年)5月17日 - 1960年(昭和35年)2月16日)は、明治から昭和にかけての歌人。旧姓は岩崎翠。日本のグラフィックデザインの礎を築き多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)の初代学長となった杉浦非水の妻でもある。洋画家の岩崎勝平は甥。.

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栗木京子

栗木 京子(くりき きょうこ、本名:中原 京子(旧姓・山本)、1954年10月23日 - )は、日本の歌人。栗木は母方の姓。 愛知県名古屋市出身。京都大学在学中に「コスモス」に入会し、また京都大学短歌会顧問であった高安国世の指導を受ける。1981年に「塔」入会、現選者。「読売新聞歌壇」選者。 初期は代表歌「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」に象徴されるような、清新な青春歌を持ち味とした。結婚後は教養ある主婦が身辺をつぶさに歌う日常詠へと作風が変化している。.

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桑原正紀

桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )は歌人。.

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梅内美華子

梅内 美華子(うめない みかこ、1970年4月28日 - )は、歌人。短歌結社「かりん」所属。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校、同志社大学文学部文化学科卒業。 小学生の頃より作歌を開始し、1988年、高校生の時に「歌林の会」入会、馬場あき子に師事。同年、作品「放物線」50首で第34回角川短歌賞最終候補となる。大学生時代は京都大学短歌会に所属。吉川宏志、島田幸典、林和清らとともに京大短歌黄金時代のひとつを彩った。1991年、作品「横断歩道(ゼブラ・ゾーン)」50首で第37回角川短歌賞を受賞する。2001年、『若月祭』で第1回現代短歌新人賞を受賞。NHK歌壇の司会もつとめる。2008年より角川短歌賞選考委員。2012年、『エクウス』で芸術選奨新人賞および第8回葛原妙子賞を受賞。「あぢさゐの夜」20首で第48回短歌研究賞を受賞。2013年、青森県褒章。 第一歌集『横断歩道(ゼブラ・ゾーン)』の頃は俵万智の影響がみられるが、「自立した女性像」を青春の叙情とともに描いた芯の強い歌風に特色がある。第二歌集『若月祭』以降には巧みな叙景を用いた重厚さのある歌が多く詠まれるようになった。.

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棚木恒寿

棚木 恒寿(たなき こうじゅ、1974年5月25日 - )は、歌人。.

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森岡貞香

森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - 2009年1月30日)は、歌人。.

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横山未来子

横山 未来子(よこやま みきこ、1972年1月9日 - )は、歌人。東京都出身。 生来病弱で養護学校に通う生活を送る。1990年大学受験資格検定試験合格。三浦綾子をきっかけに短歌に関心を持ち始める。20歳のときにプロテスタントの洗礼を受ける。1994年に短歌結社竹柏会「心の花」に入会し、佐佐木幸綱に師事。1996年に「啓かるる夏」30首で第39回短歌研究新人賞を受賞。2008年に歌集「花の線画」で第4回葛原妙子賞を受賞。2011年、『短歌研究』(短歌研究社)7月号より同誌上にて「うたう☆クラブ」コーチを担当。2012年より日本文藝家協会会員。.

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樋口智子 (歌人)

樋口 智子(ひぐち さとこ、1976年2月18日 - )は、歌人。北海道岩見沢市出身、札幌市在住。 北海道ハイテクノロジー専門学校在学中の1997年に作歌を始める。北海道新聞の「日曜文芸」に投稿を始め、松川洋子に師事。同じ選歌欄に投稿していた田村元、雪舟えまらと知り合う。 1999年、歌誌「りとむ」に入会。2006年に作品「夕暮れを呼ぶ」で第17回歌壇賞を受賞。2009年、第1歌集「つきさっぷ」で第15回日本歌人クラブ新人賞、第24回北海道新聞短歌賞佳作をそれぞれ受賞。柳澤美晴や山田航らとともに札幌の短歌勉強会「アークの会」に参加している。本職は視能訓練士。.

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橘曙覧

橘 曙覧(たちばな あけみ、文化9年(1812年)5月 - 慶応4年8月28日(1868年10月13日))は、日本の歌人、国学者。身近な言葉で日常生活を詠んだ和歌で知られる。.

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橋本喜典

橋本 喜典(はしもと よしのり、1928年11月11日 - )は、歌人。東京生まれ。早稲田大学第一文学部国文学専修卒業後、早稲田中学校・高等学校教諭。大学在学中は早稲田大学短歌会に参加し、後輩の篠弘や来嶋靖生らとともに活動した。窪田章一郎に師事。篠弘と『まひる野』を創刊し、発行編集人を務める。1995年、歌集『無冠』で第22回日本歌人クラブ賞受賞。2004年、歌集 『一己』で第4回短歌四季大賞受賞。2009年、歌集『悲母像』で第24回詩歌文学館賞と短歌新聞社賞を受賞。2015年、「わが道」で第51回短歌研究賞受賞。2017年、歌集『行きて帰る』で第28回斎藤茂吉短歌文学賞、第51回迢空賞を受賞。2018年、旭日小綬章受章。.

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櫟原聰

櫟原 聰(いちはら さとし、1953年6月1日 - )は歌人、東大寺学園中学校・高等学校前教頭。奈良県大和郡山市出身。奈良市在住。「ヤママユ」「木霊」「京大短歌」所属。「ヤママユ」編集委員。前登志夫に師事。日本ペンクラブ・現代歌人協会・現代歌人集会理事。萬葉学会・上代文学会・萬葉語学文学研究会・古代談話会・歌謡研究会所属。.

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正岡子規

松山市にある子規記念博物館 正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。.

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正徹

正徹(しょうてつ、永徳元年(1381年) - 長禄3年5月9日(1459年6月9日))は、室町時代中期の臨済宗の歌僧。道号(字)は清巌(岩)で、法諱は正徹、庵号は招(松)月庵。清巌正徹。俗名は正清。 石清水八幡宮に仕える祀官一族の出身で、父は小松(または小田)康清といわれ、備中国(現岡山県)小田郡の小田荘を知行していた。.

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武川忠一

武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月10日 - 2012年(平成24年)4月1日)は、日本の歌人。.

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武者小路実陰

武者小路 実陰(むしゃのこうじ さねかげ)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿・歌人。官位は従一位・准大臣。武者小路家2代当主。.

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歌人

歌人(かじん)とは、和歌または短歌を詠む人物のことをいう。歌詠み(うたよみ)ともいう。.

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水原紫苑

水原 紫苑(みずはら しおん、1959年2月10日- )は、日本の歌人。 神奈川県横浜市生まれ。父は陸軍士官学校卒の軍人で戦時中は皇居にいた。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒業、同大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。1986年「中部短歌会」に入会し、以後春日井建に師事。1987年に『しろがね』で第30回短歌研究新人賞候補。1989年に第1歌集『びあんか』を刊行し翌年現代歌人協会賞受賞。第3歌集『客人(まらうど)』で第1回駿河梅花文学賞受賞。第4歌集『くわんおん(観音)』で第10回河野愛子賞受賞。第7歌集『あかるたへ』で第5回山本健吉文学賞・第10回若山牧水賞を受賞。2017年、「極光」30首で第53回短歌研究賞受賞。 世代的には穂村弘、加藤治郎ら「ニューウェーブ」と重なるが、水原の作風は端正な古典文法を駆使した伝統的和歌の衣鉢を受け継ぐものであり、紀野恵らとともに「新古典派」と称された。 テレビにも出演し、1999-2000年には『太陽』で、文化人女性へのインタビュー「美女論」を連載した。歌舞伎好きとしても知られる。また小説を『すばる』にいくつか発表したことがある。.

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永井陽子

永井 陽子(ながい ようこ、1951年4月11日 - 2000年1月26日)は日本の歌人。歌集に『樟の木のうた』、『ふしぎな楽器』、『モーツァルトの電話帳』、『小さなヴァイオリンが欲しくて』など。音楽に関連した言葉と「柔らかな音色」の作品が特徴的。 愛知県瀬戸市城屋敷町に生まれ、1967年に愛知県立瀬戸高等学校入学。その頃より古典に強く心を惹かれ、作歌を開始。当時の学習雑誌の詩や歌の欄へ投稿。1969年には短歌結社「短歌人」へ入会して現代短歌を作り続ける。1970年に愛知県立女子短期大学(愛知県立大学)国文科入学。学内文芸同好会誌「轍」に参加。1971年、『太陽の朝餉』で角川短歌賞候補。1972年1月、短歌人新人賞受賞。同年3月短大卒業後、1974年4月より愛知県立芸術大学音楽学部勤務。1975年10月東洋大学国文学科に編入学し司書資格取得。 1978年に『なよたけ拾遺』(短歌人会刊)で第4回現代歌人集会賞受賞。1980年9月に大学卒業後、11月に短歌人賞受賞。翌年4月より愛知県立図書館勤務。短歌人編集委員、現代歌人協会会員となった。 1989年4月から2年間愛知県立女子短期大学非常勤講師。1994年4月から愛知芸術文化センター勤務。翌年3月退職。同年4月より愛知文教女子短期大学助教授。7月に『てまり唄』(砂子屋書房)を刊行し、翌年第6回河野愛子賞受賞。1999年2月から40日間肝炎により入院し、10月から休職。2000年1月26日に死去。享年48。自殺と記してある文献もある。.

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永田和宏

永田 和宏(ながた かずひろ、1947年5月12日 -)は、日本の歌人、細胞生物学者、京都産業大学教授、京都大学名誉教授。短歌結社「塔」前主宰。夫人は歌人の河野裕子。長男永田淳、長女永田紅も歌人。滋賀県出身。.

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永田紅

永田 紅(ながた こう、1975年5月31日 - )は、日本の生化学研究者、歌人。京都大学助教。滋賀県出身。.

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永田淳

永田 淳(ながた じゅん、1973年8月20日 - )は、歌人、出版社「青磁社」代表。短歌結社「塔」編集委員。父永田和宏、母河野裕子、妹永田紅、妻植田裕子も歌人。滋賀県出身。 1988年、父の主宰する短歌結社「塔」に入会。同志社大学文学部英文学科卒業後、釣り雑誌の記者を経て出版社を立ち上げる。2009年、第一歌集『1/125秒』で第35回現代歌人集会賞を受賞。史上初となる親子二代での受賞となった。.

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江戸雪

江戸 雪(えど ゆき、1966年12月12日 - )は日本の歌人。本名同じ。「塔」短歌会所属(「選者」2015年より)。大阪府大阪市在住。現代歌人協会会員。.

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池田はるみ

池田 はるみ(いけだ はるみ、1948年3月5日 - )は、歌人。和歌山県生まれ、大阪府豊中市出身。NHK学園短歌講座専任講師、現代歌人協会会員、「未来」選者・編集委員。 京都女子大学短期大学部国語専攻卒業。1985年、作品「白日光」で短歌研究新人賞を受賞。1987年に未来短歌会に入会し、岡井隆に師事。1991年に歌集『奇譚集』を刊行。1997年、歌集『妣が国(ははがくに) 大阪』を刊行。翌1998年、同歌集でながらみ現代短歌賞・現代歌人集会賞を受賞。2001年、歌集『ガーゼ』を刊行。翌2002年、同歌集で河野愛子賞を受賞。2002年・翌2003年、NHK全国短歌大会ジュニアの部選者。大の好角家であり、相撲をテーマにしたエッセイも執筆している。.

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河野裕子

河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年7月24日 - 2010年8月12日 訃報:河野裕子さん 64歳=歌人 - 毎日jp(毎日新聞))は、日本の歌人。「塔」選者。夫は歌人の永田和宏。長男永田淳、長女永田紅も歌人。.

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河野愛子

河野 愛子(こうの あいこ、1922年10月8日 - 1989年8月9日)は、歌人。栃木県宇都宮市出身。 広島女学院高等女学校卒。1947年、「アララギ」に入会。1951年、『未来』創刊に参加。以後その中心女流歌人として、鋭いメタフィジカルな作風で活躍。門下に中川佐和子、干場しおりなど。 1982年、『リリヤンの笠飾』で第18回短歌研究賞受賞。1983年、『黒羅』で第8回現代短歌女流賞受賞。.

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沼波万里子

沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - )は、日本の女性の歌人である。父は国文学者の沼波瓊音(本名: 沼波 武夫)。母は神戸女子薬学専門学校(現神戸薬科大学)元理事の沼波たき。また、名付け親は、安井哲(元東京女子大学学長)。.

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沖ななも

沖 ななも(おき ななも、1945年9月24日 - )は歌人。歌誌「熾」代表。本名は中村眞理子。.

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渡辺松男

渡辺 松男(わたなべ まつお、1955年5月13日 - )は、歌人。.

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清少納言

清少納言(せいしょうなごん-->、康保3年頃〈966年頃〉 - 万寿2年頃〈1025年頃〉)は、平安時代中期の女流作家、歌人。随筆『枕草子』は平安文学の代表作の一つ。.

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清水比庵

清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。晩年は「今良寛」と呼ばれた。.

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清水房雄

清水 房雄(しみず ふさお、1915年8月7日 - 2017年3月3日)は、歌人。.

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源季遠

源 季遠(みなもと の すえとお、生没年不詳)は平安時代後期の武士・歌人。実父は源義忠の三男源忠宗。後に源重時の養子に入った。子に光季(光遠とも、豊後守)、飯富季貞がいる。 平忠盛や清盛の郎党として近侍し右兵衛尉、安芸守、信濃守を歴任した。久寿2年(1155年)、後白河天皇の時代には北面武士、二条天皇が立太子されると帯刀舎人となった。 著名な歌人ではないが、勅撰和歌集(詞花和歌集)に入選している(子の季貞は千載和歌集に入選している)。.

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源実朝

源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。 鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男頼朝の子としては第6子で四男、北条政子の子としては第4子で次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。 歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。.

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源仲政

源 仲政(みなもと の なかまさ)は、平安時代後期の武将・歌人。三河守源頼綱の次男。馬場仲政(ばば の なかまさ)ともいう。.

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源俊頼

源 俊頼(みなもと の としより、天喜3年(1055年) - 大治4年1月1日(1129年1月22日))は、平安時代後期の官人・歌人。宇多源氏。大納言・源経信の三男。官位は従四位上・木工頭。.

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源光行

源 光行(みなもと の みつゆき)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての政治家・文学者・歌人。源氏物語の研究者であり、河内方の創始者に位置付けられる。.

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源義家

源 義家(みなもと の よしいえ)は、平安時代後期の武将。伊予守・源頼義の長男。八幡太郎(はちまんたろう)の通称でも知られる。後に鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる。 比叡山等の強訴の頻発に際し、その鎮圧や白河天皇の行幸の護衛に活躍するが、陸奥国守となった時、清原氏の内紛に介入して後三年の役を起こし、朝廷に事後承認を求める。その後約10年間は閉塞状態であったが、白河法皇の意向で院昇殿を許された。 その活動時期は摂関政治から院政に移り変わる頃であり、政治経済はもとより社会秩序においても大きな転換の時代にあたる。このため歴史学者からは、義家は新興武士勢力の象徴ともみなされ、後三年の役の朝廷の扱いも「白河院の陰謀」「摂関家の陰謀」など様々な憶測がされてきた。生前の極位は正四位下。.

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源頼政

源 頼政(みなもと の よりまさ)は、平安時代末期の武将・公卿・歌人。兵庫頭源仲政の長男。朝廷で平家が専横を極める中、それまで正四位下を極位としていた清和源氏としては突出した従三位に叙せられたことから源三位(げんざんみ)と称された。また、父と同じく「馬場」を号とし馬場頼政(ばば の よりまさ)ともいう。 保元の乱と平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まった。平清盛から信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に昇り公卿に列した。だが、平家の専横に不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで挙兵を計画し、諸国の源氏に平家打倒の令旨を伝えた。計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、そのまま平家の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ自害した(以仁王の挙兵)。.

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源順

源 順(みなもと の したごう、延喜11年(911年) - 永観元年(983年))は、平安時代中期の学者・歌人・貴族。嵯峨源氏、大納言・源定の曾孫。左馬允・源挙(みなもと の こぞる)の次男。官位は従五位上・能登守。.

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源親行

源 親行(みなもと の ちかゆき、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の文人政治家・古典学者・歌人。いわゆる河内方のひとり。大和守源光行の子。清和源氏義忠流。子に源義行。.

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澤村斉美

澤村 斉美(さわむら まさみ、1979年5月7日 - )は、歌人。岐阜県岐阜市出身。「塔」短歌会所属。 京都大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程中退。1999年、京都大学短歌会に入会し歌作を始める。2006年に「黙秘の庭」50首で第52回角川短歌賞受賞。2007年、毎日新聞社に校閲記者として入社。2008年、第一歌集『夏鴉』にて第34回現代歌人集会賞、第9回現代短歌新人賞をそれぞれ受賞。.

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服部真里子

服部 真里子(はっとり まりこ、1987年7月31日 - )は、歌人。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業。 高校時代は演劇活動を行い、北区つかこうへい劇団で戯曲を学んだ。2006年、早稲田大学の新入生勧誘で早稲田短歌会のチラシを受け取ったのがきっかけで同会に入会、作歌を始める。2009年、早稲田短歌会、京都大学短歌会出身者で集まった同人誌「町」に参加。2011年、解散。 2012年より未来短歌会所属、黒瀬珂瀾に師事。同年、「行け広野へと」30首で第55回短歌研究新人賞次席。 2013年に作品「湖と引力」30首で第24回歌壇賞受賞。同年、作品「いつの日か君がなくしてしまうライター」20首で未来賞を受賞。 2014年、第1歌集『行け広野へと』を刊行。翌2015年、同歌集で第21回日本歌人クラブ新人賞、第59回現代歌人協会賞を受賞。.

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木下幸文

木下 幸文(きのした たかふみ、安永8年(1779年) - 文政4年11月2日(1821年11月26日))は、江戸時代後期の歌人。父は木下義綿。初名は義壽・義方・義質。通称は民蔵。号は朝三亭・亮々舎(さやさやのや)・蓼園・風漪亭・風漪温者・渚の笹屋などと称した。備中国浅口郡長尾村(現・岡山県倉敷市)の生まれ。 16歳の時小野猶吉に伴われて上洛し、澄月・慈延に師事して和歌を学び、その後桂園派の祖香川景樹に入門して、桂門下の俊秀として活躍した。 歌集に「亮々遺稿」、随筆に「亮々草紙」がある。 category:江戸時代の歌人 category:備中国の人物 Category:1779年生 Category:1821年没.

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木下利玄

木下利玄歌碑(足守・近水園) 木下 利玄(きのした りげん、1886年(明治19年)1月1日 - 1925年(大正14年)2月15日)は日本の歌人、子爵。本名は利玄(としはる)。.

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木下勝俊

木下 勝俊(きのした かつとし)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名、歌人。 若狭小浜城(後瀬山城)主で、官位が従四位下式部大夫、左近衛権少将であったので、通称を若狭少将と言う。一時期はキリシタンでもあって洗礼名は「ペテロ」と伝わる。歌人としては長嘯(ちょうしょう)または長嘯子(ちょうしょうし)、あるいは挙白(きょはく)、天哉爺(てんかおう)など様々の称を用いた。一般には木下長嘯子の名が高名。 関ヶ原の戦いでは東軍に属して伏見城留守居の将とされたが、鳥居元忠に退去を迫られ、これに従った結果、敵前逃亡したと戦後に責められて改易された。次いで父家定の備中足守藩を継いで第2代藩主となったが、異母弟利房と遺領を争って公儀の沙汰で所領没収とされた。以後、京の東山に隠棲して文人となった。作風は近世初期における歌壇に新境地を開いたものとされ、その和歌は俳諧師松尾芭蕉にも影響を与えた。.

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木俣修

木俣 修(きまた おさむ、1906年(明治39年)7月28日 - 1983年(昭和58年)4月4日)は日本の歌人。本名は修二。.

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本多俊民

本多 俊民(ほんだ としたみ、文政7年3月27日(1824年4月26日) - 明治20年(1887年)3月18日)は、幕末・明治の尾張藩士・歌人。通称は熊之進、忠左衛門、藤太。雅号は葵苑・風翁など、字は伯章(ただし、後に中国の慣例であるとしてこれを廃した)。 本多俊茂の子。10歳の頃より馬場守信・氷室長翁に和歌を、植松茂岳に国学を学ぶ。後に間島冬道・羽島春隆と深く結んだ。嘉永5年(1853年)に家督を継いで250石を与えられ、使番格書院番頭・旗奉行などを歴任、第1次長州征伐や戊辰戦争に参加、廃藩置県後は若宮八幡社祀官を務めた後に三河国碧海郡に帰農して和歌に勤しんだ。.

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本多稜

本多 稜(ほんだ りょう、1967年10月17日 - )は、歌人。静岡県浜松市出身。歌誌「短歌人」所属。 関西学院大学商学部卒業、ロンドン経済政治学院(LSE)修士課程修了。外資系金融機関に勤務しながら作歌活動を行う。1998年に「蒼の重力」で第9回歌壇賞を受賞。2004年に第1歌集「蒼の重力」で第48回現代歌人協会賞を受賞。2008年には第2歌集「游子」で第13回寺山修司短歌賞を受賞。2017年から「短歌人」編集委員。登山やスキューバ・ダイビングを題材とした、躍動的でスケールの雄大な歌を得意とする。.

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本田一弘

本田 一弘(ほんだ かずひろ、1969年3月14日 - )は、歌人、高校教員。短歌結社竹柏会「心の花」に所属し、佐佐木幸綱に師事。現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。.

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成沢未来

成沢 未来(なるさわ みらい、1986年4月23日 - )は、日本の歌人、エッセイスト日本歌人クラブ会員、「白夜」短歌会同人。.

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春日井建

春日井 建(かすがい けん、1938年12月20日 - 2004年5月22日)は、日本の歌人。父・春日井瀇、母・春日井政子はともに太田水穂に師事した歌人であり、建も実質「潮音」系と云える。作家・ゲームデザイナーの小太刀右京は大甥にあたる。第99回 全国高校野球選手権大会(甲子園)に出場した早稲田佐賀高等学校の春日井湧も大甥。 初期は幻想・耽美的かつ背徳的な作風で知られるが、次第に肉体と精神の観念を中心とした美学に移り、死病を得た晩年は、病と対峙する劇化された自己および現実に近い場面を均整のとれた文語体で詠んだ。前衛短歌運動の一人とされることもある。.

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浜名理香

浜名 理香(はまな りか、1963年〈昭和38年〉6月11日 − )は、日本の歌人。熊本市出身で、短歌結社「石流」を主宰。.

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浜田康敬

浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - )は、日本の歌人。短歌結社には無所属。.

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斎藤史

斎藤 史(齋藤史、さいとう ふみ、1909年(明治42年)2月14日 - 2002年(平成14年)5月26日)は、日本の歌人。東京都四谷生まれ。福岡県立小倉高等女学校(現・福岡県立小倉西高等学校)卒業。.

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斎藤喜博

斎藤 喜博(さいとう きはく、1911年3月20日 - 1981年7月24日)は群馬県出身の日本の教育者。元宮城教育大学教授。群馬師範(現群馬大学教育学部)卒。また、早くからアララギ派の歌人としても活躍し、ケノクニ選者をながく務めた。歌集『職場』などの短歌はすべて彼の師である土屋文明の選を経ている。著書の多くは国土社から刊行されている。斎藤喜博全集は、第25回毎日出版文化賞(全18巻、国土社)を受賞した。.

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斎藤瀏

斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。長女の斎藤史は同じく歌人。.

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斎藤茂吉

斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年(明治15年)5月14日 - 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院(現在の都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。長女は百合子、次女は晶子。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。.

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文屋康秀

文屋康秀(百人一首より) 文屋 康秀(ふんや の やすひで、生年不詳 - 仁和元年(885年)?)は、平安時代前期の歌人。文琳とも。縫殿助・文屋宗于または大舎人頭・文屋真文の子。子に文屋朝康がいる。官位は正六位上・縫殿助。六歌仙および中古三十六歌仙の一人。.

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斉藤斎藤

斉藤 斎藤(さいとう さいとう、1972年5月7日 - )は、日本の歌人。東京都出身。斉藤斎藤という名前は本名であるとされている。.

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日高堯子

日高 堯子(ひたか たかこ、1945年6月29日 - )は、日本の歌人。歌誌「かりん」編集委員。同人誌「鱧と水仙」同人。.

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曲亭馬琴

曲亭 馬琴(きょくてい ばきん、明和4年6月9日(1767年7月4日) - 嘉永元年11月6日(1848年12月1日))は、江戸時代後期の読本作者。本名は滝沢興邦(たきざわ おきくに、)で、後に解(とく)と改める。号に著作堂主人(ちょさくどうしゅじん)など(#名前について参照)。 代表作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』。ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である。.

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時田則雄

時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、歌人。北海道帯広市生まれ。北海道帯広農業高等学校、帯広畜産大学別科草地畜産専攻修了。歌誌『辛夷』主宰を長く務めた。野原水嶺に師事。十勝にて農業を経営しながら文芸活動を行っている農民歌人。佐佐木幸綱の男歌の影響のもとに北海道の風土を描いた、躍動的でスケールの大きな歌風が特徴。道新歌壇選者。特定非営利活動法人十勝文化会議理事。.

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