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棋聖 (囲碁)

索引 棋聖 (囲碁)

棋聖(きせい).

107 関係: 加藤充志加藤正夫十段 (囲碁)名人 (囲碁)坂田栄男大平修三大竹英雄天元戦女流棋聖戦宮崎志摩子宮沢吾朗封じ手小県真樹小林光一小林覚小林泉美 (棋士)小松英樹将棋山城宏山下敬吾山田規三生山梨県中国中国囲棋協会常磐ホテル三村智保一力遼久島国夫交通事故井山裕太今村俊也張栩彦坂直人余正麒依田紀基志田達哉ツケ呉清源アタリ (囲碁)コミスイス式トーナメントタイトル囲碁囲碁のタイトル在位者一覧石倉昇石田章石田芳夫王座 (囲碁)王立誠王銘エン...碁聖秋山次郎窪内秀知竜王戦羽根直樹羽根泰正結城聡産業経済新聞社甲府市片岡聡瀬戸大樹聶衛平許家元骨折読売新聞読売新聞社高尾紳路趙善津趙治勲黄龍士蘇耀国関西棋院藤沢秀行酒井猛苑田勇一柳時熏林海峰李沂修東北地方太平洋沖地震東野弘昭村川大介棋聖 (囲碁)棋聖戦 (将棋)棋聖戦 (中国)棋聖戦 (韓国)棋戦 (将棋)棋戦 (囲碁)楊嘉源橋本宇太郎橋本昌二武宮正樹江戸時代河野臨淡路修三清成哲也溝上知親持ち時間本因坊本因坊丈和本因坊秀策本因坊道策本田邦久本木克弥新海洋子1976年2009年 インデックスを展開 (57 もっと) »

加藤充志

加藤 充志(かとう あつし、1974年(昭和49年)8月14日 - )は、日本の囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、菊池康郎に師事、九段。JT杯星座囲碁選手権戦優勝など。中央を好む棋風。.

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加藤正夫

加藤 正夫(かとう まさお 1947年3月15日 - 2004年12月30日)は日本の囲碁棋士。号は「劔正」。名誉王座。 同じ木谷實門下の石田芳夫・武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金トリオ」と呼ばれ、名人2期、本因坊4期、王座11期など数々のタイトルを獲得。七大タイトル獲得数歴代4位。棋道賞最優秀棋士賞を7度受賞(歴代2位タイ記録)。 若い頃は力ずくで大石を仕留める豪腕から「殺し屋」のニックネームがあった(なお、加藤の前に大平修三が「殺し屋」とあだ名されていた)が、棋風とは裏腹に穏和で面倒見の良い人柄で人望が厚かった。2004年には日本棋院理事長に就任、日本棋院の改革に取り組むが、2004年暮れに脳梗塞に倒れ、死去した。享年57。門下に大森泰志、岡田伸一郎、鈴木伊佐男、梅沢由香里、小山栄美ら。 妻は書家の加藤石泉。妻の両親もそれぞれ書家である佐々木泰南・佐々木月花であり、佐々木泰南は木谷道場に書の指導に来ていた。 2005年2月8日、その功績により旭日小綬章追贈。.

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十段 (囲碁)

十段(じゅうだん)は、囲碁の棋戦の一つである十段戦で優勝した棋士に贈られるタイトル。日本棋院および関西棋院の昇段制度(初段~九段)とは別個に運営される、独立した称号である。.

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名人 (囲碁)

名人(めいじん)は、囲碁の棋戦の一つである名人戦に優勝した棋士に贈られるタイトルである。.

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坂田栄男

二十三世本因坊栄寿(にじゅうさんせいほんいんぼうえいじゅ、1920年(大正9年)2月15日 - 2010年(平成22年)10月22日)、本名:坂田 栄男 (さかた えいお)は、囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、増淵辰子八段門下、九段。名誉日本棋院選手権者、名誉NHK杯選手権者。 本因坊戦で7連覇他、選手権制初の名人・本因坊、7タイトル制覇、タイトル獲得64回など数々の記録を持つ、呉清源と並び称される昭和最強棋士の一人。切れ味の鋭いシノギを特徴として「カミソリ坂田」の異名を持ち、数々の妙手、鬼手と呼ばれる手を残している。また布石での三々を多用した。 日本棋院理事長を1978年から1986年まで務めた後、1988年7月より日本棋院顧問。2000年2月15日に現役を引退。2009年より日本棋院名誉顧問。.

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大平修三

大平修三(おおひら しゅうぞう、1930年(昭和5年)3月16日 - 1998年(平成10年)12月11日)は、日本の囲碁棋士。岐阜県出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。日本棋院選手権戦4連覇5期など。棋風は剛腕で、「ハンマーパンチ」「丈和の再来」と称された。また、加藤正夫より前に「殺し屋」とあだ名された。準棋士小山嘉代三段は実姉。.

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大竹英雄

大竹 英雄(おおたけ ひでお、1942年(昭和17年)5月12日 - )は、囲碁棋士。'''名誉碁聖'''。福岡県北九州市出身、日本棋院所属・顧問、木谷實九段門下、九段。 碁聖位6連覇、名人位4期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など。 厚く味のよい形を好む本格的な棋風で大器、大竹美学と呼ばれる。布石では小目を好む。またNHK杯優勝5回など早碁を得意とし「早碁の神様」、名人戦では挑戦手合通算12回出場などで「名人戦男」などのニックネームを持つ。同年同月生まれでライバルでもある林海峰と並んで"竹林"とも称される。 通算タイトル獲得数は48。門下に西村慶二八段。木谷門下の塾頭格として、後輩の指導などでも評価が高い。 2008年12月9日-2012年6月26日は日本棋院理事長、2010年から全日本囲碁連合の会長も務めた。日本棋院の新旧タイトル保持者で作る名棋会の会長でもある。 現在、存命の名誉称号資格者・三大タイトル獲得経験者・碁聖位獲得者・十段位獲得者では林海峰名誉天元と並び最年長である。.

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天元戦

天元戦(てんげんせん)は、日本で開かれている囲碁の棋戦。優勝者には天元のタイトルが与えられる。.

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女流棋聖戦

ドコモ杯女流棋聖戦(ドコモはい じょりゅうきせいせん)は、囲碁の女流棋士による棋戦。1997年に創設。囲碁・将棋チャンネル(パーフェクTVのちスカパー!プレミアムサービス)で放映される。.

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宮崎志摩子

宮崎 志摩子(みやざき しまこ、1968年10月22日 - )は、日本の囲碁棋士。福島県双葉郡出身、日本棋院所属、大枝雄介八段門下、五段。第1期女流名人、女流鶴聖など。夫は将棋棋士の中川大輔八段。弟は囲碁棋士の宮崎龍太郎七段。.

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宮沢吾朗

宮沢吾朗(みやざわ ごろう、1949年11月29日 - )は、囲碁の棋士。北海道出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。.

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封じ手

ラーセンの対局のもの) 封じ手(ふうじて)とは、主にボードゲームにおいて、対局の中断時に有利不利がでないよう、次の手をあらかじめ決めておく方法のことである。.

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小県真樹

小県 真樹(おがた まさき、1964年9月7日 - )は、囲碁のプロ棋士、九段。岐阜県出身。日本棋院中部総本部所属、院生師範。土田正光九段門下。.

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小林光一

小林 光一(こばやし こういち、1952年9月10日 - )は、囲碁のプロ棋士。名誉棋聖、名誉名人、名誉碁聖。北海道旭川市出身。木谷實九段門下。日本棋院東京本院所属。前妻の小林禮子(1996年逝去)との間に一男一女がいる。後妻との間にも子どもがいる。長女は小林泉美。娘婿は張栩。門下に河野臨、大矢浩一、酒井真樹、大木啓司、金澤秀男、桑原陽子、穂坂繭がいる。 タイトル獲得数歴代3位。棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇など、数々のタイトル連覇記録を樹立。日本の現役囲碁棋士の中で井山裕太と並ぶ3つの名誉称号を持つ。棋道賞「最優秀棋士賞」7回(歴代2位タイ記録)、秀哉賞7回。6年連続賞金ランキング1位(1988-1993)。 2006年から2007年5月まで、日本棋院副理事長。 現在、存命の棋聖位獲得者では最年長である。.

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小林覚

小林 覚(こばやし さとる、1959年4月5日 - )は、囲碁棋士。日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。 第19期棋聖。第20期碁聖、三星火災杯世界オープン戦準優勝など。第29回棋道賞最優秀棋士賞受賞。 木谷道場の中で最も若い七大タイトル獲得者(門下では7人目で最後の獲得者)。 兄姉弟4人皆プロ棋士で(小林千寿五段、小林健二七段、小林孝之準棋士二段)その末弟。なお同姓の小林光一名誉三冠は同じ木谷門下の兄弟子ではあるが血縁関係は無い。.

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小林泉美 (棋士)

小林 泉美(こばやし いづみ、1977年(昭和52年)6月20日 - )は、日本棋院所属の囲碁の女流棋士。小林光一名誉三冠門下。東京都出身。タイトル10期。 女流棋士初の女流タイトルグランドスラム達成者。 祖父は木谷実九段、父は小林光一名誉三冠、母は小林禮子七段という囲碁一家に生まれる。弟と妹がいる。.

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小松英樹

小松 英樹(こまつ ひでき、1967年(昭和42年)3月4日 - )は、日本の囲碁棋士。愛知県出身、日本棋院所属、安永一に師事、九段。 棋道賞優秀棋士賞・最多勝利賞などを受賞。 NECカップ囲碁トーナメント戦優勝、新人王戦2回優勝など。師の安永の研究した中国流布石に詳しい。夫人は小松英子四段、小松大樹二段は実子。.

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将棋

将棋(しょうぎ)は、2人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種で、一般に「将棋」というときは特に本項で述べる本将棋(ほんしょうぎ、古将棋や現代の変形将棋類、変則将棋などと区別するための名称)を指す。 チェスなどと同じく、古代インドのチャトランガが起源と考えられている。 以下、本項では主に本将棋について解説する(本将棋以外の将棋及び将棋に関連する遊戯については将棋類の一覧を参照)。.

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山城宏

山城宏(やましろ ひろし、1958年8月12日 - )は、日本の囲碁棋士。山口県下松市出身、日本棋院中部総本部所属、島村俊廣九段門下、九段。王冠戦優勝15回、棋聖戦挑戦、本因坊戦挑戦3回など。若手の頃から「中京の豆ダイヤ」と言われ、地に辛く中盤以降の追い込みが強い棋風で「浸透流」とも呼ばれる。2012年より日本棋院副理事長を務める。.

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山下敬吾

山下 敬吾(やました けいご、1978年9月6日 - )は、日本棋院所属のプロ棋士。九段。北海道旭川市出身。緑星囲碁学園出身。棋聖、名人、本因坊などのタイトルを獲得。雅号は「道吾(どうわ)」。 張栩、羽根直樹、高尾紳路らとともに「若手四天王」「平成四天王」と称される。 3大タイトル獲得数歴代6位タイ、棋聖位獲得数歴代4位。棋道賞最優秀棋士賞を2度・優秀棋士賞を6度受賞。.

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山田規三生

山田 規三生(やまだ きみお、1972年(昭和47年)9月9日 - )は、囲碁の棋士。大阪市出身、日本棋院関西総本部所属、九段、山下順源七段門下。 第45期王座。第5回三星火災杯世界オープン戦準優勝。第58回NHK杯優勝。第31回棋道賞優秀棋士賞受賞。 関西総本部の棋士として初の七大タイトル獲得者。また14年後に井山裕太が取るまで唯一の獲得者だった。 山田至宝七段、和貴雄七段は兄。.

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山梨県

山梨県(やまなしけん)は、本州の内陸部に位置する日本の県の一つ。県庁所在地は甲府市。令制国の甲斐国に相当する。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中国囲棋協会

中国囲棋協会(ちゅうごくいききょうかい)は、中国の囲碁の組織。プロの囲碁棋士が所属し、囲碁普及活動や、棋士の育成、棋戦などを行う。英語名はChinese Weiqi Association。.

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常磐ホテル

常磐ホテル(ときわホテル)は、山梨県甲府市の湯村温泉にあるホテル。.

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三村智保

三村 智保(みむら ともやす、1969年7月4日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁のプロ棋士。九段。福岡県北九州市出身、千葉県育ち。藤沢秀行名誉棋聖門下。 第35回棋道賞勝率第一位賞受賞。.

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一力遼

一力 遼(いちりき りょう、1997年6月10日 - )は、日本の囲碁棋士。 第42期棋聖戦挑戦者。天元戦挑戦者2回。第65期王座戦挑戦者。NHK杯準優勝2回。2014年グロービス杯世界囲碁U-20優勝。 棋聖戦・王座戦・天元戦の最年少挑戦記録他、多数の最年少記録を保持している。.

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久島国夫

久島 国夫(ひさじま くにお、1946年6月5日 - 2006年4月5日)は、日本棋院囲碁棋士九段。 福井県出身。1957年(11歳)に神奈川県の木谷實の道場に入門。入門してまもなく全身に発疹が表れ、木谷は久島を田舎へ返そうとしたが、弟子の部屋に住まわせてもらっていた老人に助けられ、その後も門下にい続けることが出来たという。 同世代の棋士として加藤正夫がおり、幼い頃から同じ門下にて稽古を受けていた。 2006年4月5日に十二指腸潰瘍のために川崎市の病院にて死去。享年59。.

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交通事故

木に正面衝突した単独事故 横転したトラックミキサ 交通事故(こうつうじこ)とは、広義には陸上・海上・航空交通における事故の総称をいう。交通安全の施策や統計などでは道路交通事故のほか、鉄道交通事故、海上交通事故、航空交通事故などを含む広い意味で用いられる場合もある。一般的には道路における自動車・自転車・歩行者などの間に発生した道路交通事故を指すことが多い。 以下では基本的に道路交通事故について記述する。踏切事故を含む鉄道の事故は鉄道事故、船舶の事故は海難事故・水難事故(川下りなど)、航空機の事故は航空事故の項をそれぞれ参照。.

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井山裕太

井山 裕太(いやま ゆうた、1989年5月24日 - )は、日本棋院関西総本部所属の囲碁棋士。九段。大阪府東大阪市出身。石井邦生九段門下。名誉棋聖・二十六世本因坊・名誉碁聖の名誉称号資格保持者。号は本因坊文裕(ほんいんぼう もんゆう)。 囲碁界・将棋界通して史上初の2度の七冠達成者であり史上初の年間グランドスラム(その年の七大タイトルをすべて独占)達成者。また、囲碁界史上初の七冠達成者・六冠達成者。2016年4月21日から11月3日までの197日間、2017年10月18日から現在まで日間、七冠を保持中。 七大タイトル獲得数歴代2位(歴代1位タイまであと1期)、三大タイトル獲得数歴代2位、タイトル総獲得数歴代4位記録。 天元位歴代最多獲得記録「6期」、碁聖位連覇最多タイ「6連覇」記録保持者。 史上2人目の大三冠達成者。史上3人目のグランドスラム達成者。また、七大タイトルの数々の最年少記録を保持している。2013年から5年連続棋道賞最優秀棋士賞を受賞。2011年から7年連続賞金ランキング1位。 世界戦ではLG杯世界棋王戦準優勝、テレビ囲碁アジア選手権戦で優勝を果たしている。 2012年7月24日から現在まで間、七大タイトルのうち四冠以上を保持し続けている。 平成30年、国民栄誉賞を受賞。.

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今村俊也

今村 俊也(いまむら としや、昭和41年(1966年)3月29日 - )は、囲碁の棋士。奈良県奈良市出身、関西棋院所属、苑田勇一九段門下、九段。関西棋院常務理事(渉外・ネット担当)。元NHK囲碁講座講師。 第14期碁聖戦挑戦者。第55期王座戦挑戦者。 独創的かつじっくり手厚く構える棋風で「世界一厚い碁」とも呼ばれる。また早島戸川氏(岡山県早島町)の国家老(70石)の末裔として知られる人物である。 門下に長谷川広六段。康子夫人はアマチュア強豪であり、TV司会などでも活躍。.

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張栩

張栩(ちょう う、1980年1月20日 - )は、日本棋院所属の囲碁棋士。九段。林海峰名誉天元門下。小林光一名誉三冠は義父にあたる。 史上初の五冠王、史上二人目のグランドスラム達成、通算七大タイトル獲得数歴代5位、3大タイトル獲得数歴代6位、棋道賞最優秀棋士賞7回(歴代2位タイ)、王座位獲得数歴代2位など多数の記録を保持。4年連続通算7回の賞金ランキング1位(2003-05・07-10年).

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彦坂直人

彦坂 直人(ひこさか なおと、1962年〔昭和37年〕3月17日-)は、日本の囲碁の棋士。名古屋市出身、酒井利雄八段門下、日本棋院中部総本部所属、九段。 第36期十段位、棋道賞優秀棋士賞受賞。世界囲碁選手権富士通杯4位など。中央を重視する奔放な碁風。一方で「ポカ」が多いとも自認している。 中部総本部の棋士として史上2人目の七大タイトル獲得者である。.

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余正麒

余 正麒(よ せいき、1995年6月19日 - )は、台湾、日本の囲碁棋士。台湾台北市北投区出身。張呂祥六段門下、台湾棋院、関西棋院所属、七段。 第64期王座挑戦者。第55期十段位挑戦者。.

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依田紀基

依田 紀基(よだ のりもと、1966年2月11日 - )は日本の囲碁のプロ棋士。北海道岩見沢市出身。安藤武夫七段門下、九段。名人4期、碁聖6期、NHK杯優勝5回、世界棋戦で第1回三星火災杯世界オープン戦優勝など、タイトル獲得数35。棋道賞優秀棋士賞4回。左利だが、石を打つのは右手。.

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志田達哉

志田 達哉(しだ たつや、1990年12月6日 - )は、日本棋院中部総本部所属の囲碁棋士。福井県あわら市出身。 第20期阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦準優勝。日本棋院初の90年代生まれの入段者。.

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ツケ

ツケは囲碁用語で、着手を表す言葉のひとつ。すでに打たれている相手の石に隣接させるように打つ手を指す。例えば下図の黒1などがツケの例である。 ただし「ツケ」という言葉は多くの場合単独で打つ場合を指し、打った石の周辺に味方や相手の石がある場合には別の用語を使うことが多い。例えば下図左の黒1は「ハネ」であり、下図右の黒2は「ワリコミ」である。.

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呉清源

呉 清源(ご せいげん、1914年6月12日 - 2014年11月30日 )は、囲碁の棋士。中国福建省出身、日本棋院瀬越憲作名誉九段門下。本名は呉 泉(ご せん、帰化後は くれ いずみ)、清源は字。一時日本棋院を離れて読売新聞嘱託となるが、後に復帰。日本棋院名誉客員棋士。 木谷実とともに「新布石」の創始者としても知られる。門下に林海峰、芮廼偉。.

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アタリ (囲碁)

アタリは、囲碁用語の一つ。相手の石を完全に囲んで取る一歩手前の状態のこと。次に相手が逃げ出さなければ石を取られることになる。アタリの状態にすることを「アタリをかける」「アテる」などといい、アタリをかける手のことをアテと呼ぶ。.

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コミ

ミ、コミ出しは、囲碁のルールの一つ。ゲームの性質上先手が有利であるため、地の計算の段階で与えられるハンデキャップを指す。.

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スイス式トーナメント

イス式トーナメントとは、勝ち残り式ではなく、すべての参加者が一定数の試合を行うトーナメント方式である。スイスドローとも呼ばれる。 スイス式トーナメントでは、すべての競技者(チーム、個人)が複数回の試合を行うが、総当たり戦のように他のすべての競技者と試合をするわけではなく、総当たり戦に比べて試合数が大幅に削減される。対戦相手の決定はできる限り同程度の力量を持つ競技者同士が対戦し、同じ相手と二度以上対戦することがないように予め作られた規則に沿って行われる。全試合終了後に最も多くの得点を集めたものが勝者となる。 1895年にスイスのチューリッヒで行われたチェスの大会で初めてこの方式が使われたことからスイス式トーナメントと名付けられている。.

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タイトル

タイトル (title).

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囲碁

囲碁(いご)とは、2人で行うボードゲームの一種。交互に盤上に石を置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを争う。単に碁(ご)とも呼ばれる。.

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囲碁のタイトル在位者一覧

囲碁のタイトル在位者一覧は、日本国内棋戦七大タイトルの歴代在位者一覧であり、1941年の本因坊戦創設から現在までを網羅する。.

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石倉昇

石倉 昇(いしくら のぼる、1954年6月22日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。神奈川県横浜市出身。九段。.

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石田章

石田章(いしだ あきら、1949年5月23日 - )は、囲碁の棋士。東京都出身、日本棋院所属、福田正義八段門下、九段。新人王戦2連覇、名人戦リーグ6期など。筋のよい本格的な棋風の実力者として知られる。2014年引退。.

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石田芳夫

二十四世本因坊秀芳 (にじゅうよんせいほんいんぼう しゅうほう、1948年8月15日 -)、本名:石田芳夫( いしだ よしお )は、日本の囲碁棋士。愛知県西春日井郡新川町(現清須市)出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。タイトル獲得数は24。 史上3人目の七大タイトル名誉称号資格者。本因坊の史上最年少獲得者。史上3人目の名人本因坊。大手合30連勝達成。 正確な計算と形勢判断により「コンピュータ」のニックネームがある。.

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王座 (囲碁)

王座(おうざ)は囲碁の棋戦の一つである王座戦で優勝した棋士に贈られるタイトル。.

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王立誠

王 立誠(おう りっせい、1958年11月7日 - )は日本、台湾の囲碁棋士。日本棋院東京本院所属、加納嘉徳九段門下、九段。 棋道賞最優秀棋士賞を2度受賞。3年連続賞金ランキング1位(2000年-02年)。 棋聖位3連覇、十段4連覇、LG杯世界棋王戦優勝など。シノギを得意とする勝負強い棋風で、特に中盤から終盤にかけての逆転力があり、「逆転の王」「王立誠マジック」と称される。 夫人との間に1女、1男。日本棋院中部総本部所属の王景怡三段は実娘、関西棋院研修棋士の王景弘初段は実息。台湾プロ棋士の張正平三段(陳詩淵九段の夫人)と張原栄二段は実甥。 呉清源の研究会に参加し、1990年代以降に呉が「21世紀の碁」として提唱する、コゲイマへの肩ツキ等の手法を実戦で用いて一般化させた。また早碁棋戦優勝が多く、「早碁の王様」のニックネームもある。門下に張豊猷八段、関西棋院の呉柏毅三段。.

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王銘エン

王 銘 (おう めいえん)は台湾の囲碁棋士。日本棋院所属、九段、瓊韻社の富田忠夫名誉九段門下。プロ棋士鄭銘瑝、鄭銘琦は実弟。台湾プロ棋士の周俊勲は義弟(妹の夫)。 第34回棋道賞優秀棋士賞受賞。獲得タイトルに本因坊2期、王座1期など。 厚み重視の棋風で、「ゾーンプレス」と名付けた序・中盤理論に基づく中央重視の戦法など独特な感覚を見せ、「銘ワールド」とも呼ばれる。またTV番組での解説や著書などで見せるユーモアあふれる語り口も人気が高い。.

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碁聖

碁聖(ごせい)は.

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秋山次郎

秋山 次郎(あきやま じろう、1977年11月23日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。東京都世田谷区出身。菊池康郎に師事。NEC俊英囲碁トーナメント戦優勝、天元戦挑戦者など。.

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窪内秀知

内秀知(くぼうち しゅうち、1920年(大正9年)1月25日 - )は、日本の囲碁棋士。大阪府出身、久保松勝喜代名誉九段門下、関西棋院所属、九段。関西棋院第一位決定戦優勝、名人戦リーグ4期・本因坊戦リーグ3期など。力戦派で、「サビ刀」(切られるとすごく痛い)と呼ばれた。一時雅邦に改名。関西棋院監事も務めた。2009年引退。.

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竜王戦

王戦(りゅうおうせん)は、読売新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。第1期は1987年であるが、前身の十段戦、さらにその前身の九段戦(第1期は1950年)から数えると、タイトル戦の中で名人戦(第1期は1935 - 1937年)に次いで2番目に長い歴史を有している。七番勝負の勝者は竜王のタイトル称号を得る。 竜王位は名人位とともに、プロ将棋界の頂点とされている。.

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羽根直樹

羽根直樹(はね なおき、1976年8月14日 - )は囲碁のプロ棋士。日本棋院中部総本部所属。三重県志摩市磯部町出身。A型。七大タイトル獲得は8期。 棋聖2連覇、本因坊2連覇、天元位3連覇。中部総本部初の三大タイトル獲得者。 張栩、山下敬吾、高尾紳路らとともに「平成四天王」と称される。 親子棋士としても有名で史上初の親子での七大タイトル獲得者でもある。.

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羽根泰正

羽根 泰正(はね やすまさ、昭和19年(1944年)6月25日 - )は、日本の囲碁棋士。三重県度会郡神原村(現志摩市)出身、日本棋院中部総本部所属、島村俊廣九段門下、九段。王座1期、日中スーパー囲碁では聶衛平を破って日本の初勝利をもたらした。攻めの強い棋風で、特に高中国流の布石からの「戦いの碁」を得意とする。呼び名は「中京のダイヤモンド」。羽根直樹九段は実子。.

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結城聡

結城 聡(ゆうき さとし、1972年(昭和47年)2月11日 - )は、囲碁の棋士。元NHK囲碁講座講師。兵庫県神戸市出身、関西棋院所属、佐藤直男九段門下、九段。 第36期天元位、第51期十段位、NHK杯5回優勝、テレビ囲碁アジア選手権戦準優勝。橋本宇太郎・橋本昌二以来約30年ぶりの関西棋院所属のトップ棋士。関西棋院最優秀棋士賞7回。 2017年には史上最年少・最速・最高勝率・関西棋院初の1200勝達成。.

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産業経済新聞社

株式会社産業経済新聞社(さんぎょうけいざいしんぶんしゃ、Sankei Shimbun Co., Ltd.)は、フジサンケイグループの新聞社、出版社である。フジ・メディア・ホールディングスの持分法適用会社である。通称は産経新聞社(さんけいしんぶんしゃ)。 産経新聞、サンケイスポーツ、夕刊フジの発行元である。.

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甲府市

府市(こうふし)は、山梨県の中部に位置する同県の県庁所在地。 市域は山梨県の中央を南北に三日月形に縦断しており、市街中心部は甲府盆地の中央北寄りに位置する。山梨県は首都圏整備法上の首都圏に属する県であり、その位置関係から東の関東地方への志向性が強い。 甲府という名称は、1519年(永正16年)に甲斐国の守護大名武田信虎が、居館を石和(現在の笛吹市石和町)、次いで川田(現在の甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(現在の武田神社・甲府市古府中町)へ移した際に、甲斐国の府中という意味から甲府と命名したことに始まるものである(律令制に基づく国衙が置かれたわけではない)。戦国時代には大名領国を形成した武田氏の本拠地となり、武田氏滅亡後は徳川氏や豊臣系大名浅野氏の甲斐国経営の中心となり、国中地域や甲斐国の政治的中心地と位置付けられる。江戸時代には江戸の西方の守りの要として重要視され、また甲州街道の宿場町としても盛えた。近年では、宝石研磨産業が盛んである。 2000年(平成12年)11月1日に特例市に指定され、現在は施行時特例市として2019年4月の中核市移行を目指している。2016年7月現在、全国の県庁所在地の中で人口が最も少ない。.

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片岡聡

片岡 聡(かたおか さとし、1958年(昭和33年)8月3日 - )は、囲碁の棋士。千葉県松戸市出身、日本棋院所属、榊原章二九段門下、九段。天元位獲得、本因坊戦挑戦者など。手厚くバランスのよい本格的な棋風。.

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瀬戸大樹

戸 大樹(せと たいき、1984年3月27日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士。三重県出身。.

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聶衛平

聶衛平(じょう えいへい、聂卫平、ニエ・ウェイピン、1952年8月17日 - )は、中華人民共和国の囲碁棋士。河北省深県出身。現代中国のプロ棋士制度の第1号であり、1982年に3人目の九段となる。1980〜90年代の中国の代表的棋士であり、世界最強棋士の一人でもあった。孔祥明八段は元夫人、日本棋院の孔令文は実子。 中国囲棋協会副主席、中国棋院技術顧問。.

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許家元

許 家元(きょ かげん / Hsu Chia Yuan、1997年12月24日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。高林拓二六段門下。台湾出身。 碁聖戦挑戦最年少記録保持者(20歳5ヵ月)。2015年阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦準優勝者。棋道賞勝率第1位賞(2014)最多勝利賞(2015)。.

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骨折

折(こっせつ、)とは、直達外力や介達外力により骨が変形、破壊を起こす外傷であり、構造の連続性が絶たれた状態のことである。.

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読売新聞

読売新聞東京本社(千代田区大手町) 読売新聞旧東京本社(千代田区大手町、現存せず) 2010年10月から2014年1月まで読売新聞東京本社の仮社屋として使用されていた旧日産自動車本社ビル(中央区銀座) 読売新聞中部支社新社屋 読売新聞中部支社(旧中部本社)旧社屋 読売新聞大阪本社 読売新聞西部本社 読売新聞(よみうりしんぶん、新聞の題字および漢字制限前の表記は讀賣新聞、英語:Yomiuri Shimbun)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社および株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。 題号は、江戸時代に瓦版を読みながら売っていた「読売」に由来する。.

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読売新聞社

読売新聞社(よみうりしんぶんしゃ)は、日本で『読売新聞』を発行する新聞社の名称である。.

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高尾紳路

尾 紳路(たかお しんじ、1976年10月26日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁のプロ棋士、九段。千葉県千葉市出身、藤沢秀行名誉棋聖門下。本因坊雅号は「秀紳(しゅうしん)」。血液型A型。 本因坊3連覇、名人2連覇、十段2連覇、史上6人目の名人本因坊。2006年賞金ランキング1位。 張栩、山下敬吾、羽根直樹らとともに「平成四天王」と称される。 2015年4月23日以降、井山裕太九段以外で七大タイトルを獲得した唯一の棋士である。.

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趙善津

趙 善津(ちょう そんじん、조선진、1970年4月18日 - )は日本の囲碁棋士。韓国出身、日本棋院所属、安藤武夫七段門下、九段。 棋道賞優秀棋士賞受賞。本因坊1期、三星火災杯世界オープン戦準優勝1回。 本因坊10連覇・棋聖4連覇・名人3連覇・大三冠と絶頂期だった趙治勲(現名誉名人)から本因坊を獲得し、趙治勲の時代に最初に風穴を空けた棋士として知られる。.

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趙治勲

趙 治勲 (ちょう・ちくん、チョ・チフン、1956年6月20日 -)は、囲碁のプロ棋士。名誉名人・二十五世本因坊。韓国釜山広域市出身。日本棋院所属。血液型はB型。木谷實九段門下。本因坊10連覇の功績により特例で60歳未満で名誉称号を名乗ることができ、2016年6月19日まで無冠の際は二十五世本因坊治勲と表記されていた60歳以後は序列が上の名誉名人が表記されている。。 タイトル獲得数歴代1位、七大タイトル獲得数歴代1位、大三冠達成(史上初)、グランドスラム達成(史上初)、本因坊位獲得数・連覇数歴代1位、名人位歴代1位、棋聖位歴代1位タイ、棋道賞最優秀棋士賞9回(歴代最多)、秀哉賞9回(歴代最多)、公式戦通算1500勝(史上初)など数々の記録を保持している。 叔父に囲碁棋士の趙南哲、兄も囲碁棋士の趙祥衍。.

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黄龍士

龍士(こう りゅうし、1651年(順治8年)(または1654年(順治11年)) - 1700年頃)は、中国清朝初期の囲碁棋士。江蘇省泰州姜堰生まれ、名は霞、字は月天。康熙の頃において最強と言われ、現代でも棋聖と呼ばれている。 10歳の頃に既に近辺で相手がいなくなり、父に連れられて北京などを訪ねて対局した。1668年(康熙7年)に当時の国手である盛大有と対局して7戦7勝、他の相手にも勝ち、周東侯には互角であり「黄龍士龍のごとく、周東侯虎のごとし」と称された。しかしその後、周も圧倒して並ぶ者がなくなり、十四聖人の一人にもたとえられる。 黄は、弟子であり国手の一人でもある徐星友には先ニの手合だったが、三子(2箇所の隅の星と天元)で十番碁を打つことになり、黄の負け越しとなった。この十番の棋譜「血涙篇」が後世にも著名となった。著書に「弈括」「黄龍士全図」がある。後半生についてはなにも伝わっていない。.

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蘇耀国

蘇耀国(そようこく、1979年9月11日 - )は囲碁のプロ棋士。中華人民共和国広東省広州市生まれ。日本棋院東京本院所属、九段。敖立テイ四段門下。 第37回棋道賞勝率第一位賞受賞。.

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関西棋院

一般財団法人関西棋院(いっぱんざいだんほうじんかんさいきいん)は囲碁の棋士を統括し、近畿を中心として棋戦や囲碁普及などの活動を行う組織(一般財団法人)。日本棋院から1950年に分離独立。現在117人の棋士、女流棋士が所属。機関誌『囲碁関西』(月刊)を発行している(2019年4月号をもって廃刊予定)。 なお、同じく大阪府大阪市にある囲碁団体の関西総本部は日本棋院の関西支部であり、関西棋院とは別の法人である。.

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藤沢秀行

藤沢 秀行(ふじさわ ひでゆき、ふじさわ しゅうこう、1925年6月14日 - 2009年5月8日)は、日本の囲碁棋士。本名:「藤沢 保(たもつ)」。棋聖戦6連覇、史上最年長タイトル保持者などに輝いた、昭和を代表する棋士の1人。 甥(秀行の方が年下)に藤沢朋斎九段、子(五男)に藤沢一就八段、孫に藤沢里菜四段。 正しい名前の読み方は「ひでゆき」だが、生涯を通じて「しゅうこう」と呼ばれ続けた。.

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酒井猛

酒井猛(さかい たけし、昭和23年(1948年)1月2日-)は、囲碁の棋士。日本棋院所属、九段。東京都出身、中岡二郎九段門下。一時、伸武、丈彰と改名。NEC杯準優勝、本因坊戦リーグ入りなど。現日本囲碁規約を起草。ネット棋院代表。.

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苑田勇一

苑田 勇一(そのだ ゆういち、1952年(昭和27年)3月30日 - )は、囲碁の棋士。大阪府出身、関西棋院所属、小川正治六段門下、九段。天元戦、碁聖戦挑戦者など。中央を志向する独創的な棋風で「西の宇宙流」と称される。.

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柳時熏

柳 時熏(りゅう しくん、류시훈、ユ・シフン、1971年12月8日 - )は、囲碁の棋士。韓国ソウル市出身、日本棋院所属、九段、大枝雄介九段門下。天元戦4期、王座戦1期、棋聖戦挑戦など。棋風は全局的に手厚く、スケールの大きな攻めと柔軟性が特長。名前は日本では日本語読みで呼ばれている。.

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林海峰

林 海峰(りん かいほう、1942年5月6日 - )は日本、台湾の囲碁棋士。名誉天元。上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下。中華職業圍棋協会理事。海峯棋院設立者。元・全日本学生囲碁連盟副会長、特別顧問。 名人8期、本因坊5期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など獲得タイトルは35。史上2人目の1400勝達成。 名人戦挑戦手合に10年連続出場。名人戦リーグに最長記録となる35期連続在籍。 若い頃には地に辛く粘りのある棋風で「二枚腰」と呼ばれたが、壮年以後は戦闘的な棋風となった。同世代のライバルである大竹英雄とともに「竹林」とも称される。林海峯の表記も多く使われている。 2017年秋・旭日中綬章受賞。 現在、存命の名誉称号資格者・三大タイトル獲得経験者・碁聖位獲得者・十段位獲得者では大竹英雄名誉碁聖と並び最年長である。.

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李沂修

李沂修(り いしゅう、1988年6月16日 - )は、日本の囲碁の棋士。台湾出身、日本棋院東京本院所属、潘善琪門下、七段。新人王戦U-25優勝、棋聖戦リーグ1期など。.

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東北地方太平洋沖地震

東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分頃に、日本の三陸沖の太平洋を震源として発生した地震である。 地震の規模はマグニチュード (Mw) 9.0で、日本の観測史上最大規模だった。また宮城県で最大震度7が観測された。震度7の観測は1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)、2004年の新潟県中越地震以来、観測史上3回目である。 この地震による被害は「東日本大震災」と呼ばれるの英語版、Prime Minister of Japan and His Cabinet "Countermeasures for 2011 Tohoku - Pacific Ocean Earthquake"より。2011年4月1日閲覧。。本震の地震動とそれに伴う津波、およびその後の余震は東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらし、日本において第二次世界大戦後最悪の自然災害となった。また、国際原子力事象評価尺度で最も深刻なレベル7と評価された福島第一原子力発電所事故も併せて発生した。.

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東野弘昭

東野弘昭(とうの ひろあき、1939年(昭和14年)8月22日 - )は、囲碁の棋士。愛媛県出身、関西棋院所属、橋本宇太郎九段門下、九段。2005年10月31日引退。NHK杯戦優勝、関西棋院第一位決定戦優勝2回など。極めて渋い棋風。東野政治九段は弟。 1994年から2001年まで関西棋院理事。.

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村川大介

村川 大介(むらかわ だいすけ、1990年12月14日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士。兵庫県西宮市出身。森山直棋九段門下。 第24代王座(第69期)。2013年阿含・桐山杯優勝。 関西棋院の最年少プロ入り記録を保持(11歳10か月)。囲碁界初の平成生まれかつ90年代生まれ、2004年に廃止された大手合を経験した最年少の棋士。 現在、井山裕太九段より年下で井山から七大タイトルを奪取した唯一の棋士であり、王座位獲得経験者では最年少である。.

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棋聖 (囲碁)

棋聖(きせい).

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棋聖戦 (将棋)

棋聖戦(きせいせん)は、産業経済新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。前身の棋戦は早指し王位決定戦である。三社連合と共同開催の王位戦を経由して、1962年より棋聖戦開始。1994年までは年2回(前期・後期)行われていた。五番勝負の勝者は棋聖のタイトル称号を得る。2018年4月からはヒューリックが特別協賛に入り、正式名称をヒューリック杯棋聖戦とすることとなった。 「棋聖」は、本来は将棋・囲碁に抜群の才能を示す者への尊称であった。将棋では、特に、江戸時代末期に現れた、不世出の天才棋士・天野宗歩を指すことが多い。.

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棋聖戦 (中国)

棋聖戦(きせいせん、棋圣赛)は、中国の囲碁の棋戦。1998年に創設、2001年第3期まで行われた。日本の棋聖戦と同様に、各段戦、全段争覇戦、最高棋士決定戦から構成され、中国最大規模、最高賞金額の棋戦として開催。第1期は渓口杯棋聖戦、第3期は联洋新社区杯棋聖戦。2002年に第4期衝和鉄皮楓頭杯棋聖戦として再開を試みるが中断、2004年に再度蕪湖邦妮杯棋聖戦として再開するが中断となる。.

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棋聖戦 (韓国)

棋聖戦(きせいせん、기성전)は、韓国の囲碁の棋戦。1989年に開始。当時は賞金総額1億5千万ウォンで韓国では最高額の棋戦として創設された。2001年から現代自動車杯棋聖戦。2008年19期まで行われた。.

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棋戦 (将棋)

棋戦(きせん)は将棋のタイトルや優勝を争う争奪戦のこと。プロ(棋士、女流棋士)のものを指すことが多く、女流棋士のものは特に「女流棋戦」という。 プロ棋戦のうち対局結果が記録(棋士や女流棋士の成績等)として残るものを「公式戦」あるいは「公式棋戦」と言う。公式戦はタイトル戦と一般棋戦とに分かれていて、現在プロ将棋界には8つのタイトル戦と6つの女流タイトル戦がある。他に記録として残らないプロ棋戦を「非公式戦」と言う。達人戦が主な例である。 タイトル戦は将棋界では非常に重んじられていて、一般棋戦とは明確に差別化がされている。タイトル戦と一般棋戦とを分ける基準は公表されていないが、特徴として、前回のタイトル獲得者(現在のタイトル在位者)に挑戦者が挑戦する挑戦手合制と言う形式で行われ、またその勝負が番勝負タイトル戦以外でも、たとえば竜王戦の挑戦者決定戦では三番勝負、新人王戦の決勝戦では三番勝負が行われる。(「シリーズ」と表現する)である。しかし、王座戦はこれらの特徴を満たしていながら1982年まではタイトル戦ではなかった。2006年まで行われていた「朝日オープン将棋選手権」もこれらを満たしていながらタイトル戦ではなかった。 タイトル在位者は、在位中は段位ではなくタイトルを付して(例:佐藤天彦名人、名人 佐藤天彦)、あるいはタイトルそのもの(例:名人)で呼称される。 アマチュアのものは「将棋大会」「アマチュア大会」と呼ばれ、規模の大きいものは「アマチュア棋戦」と呼ばれることがある。.

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棋戦 (囲碁)

棋戦(きせん)とは囲碁の大会、特にプロのものを指す言葉。.

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楊嘉源

楊 嘉源(よう かげん、1970年(昭和45年)4月29日 - )は、日本の囲碁棋士。台湾出身、日本棋院所属、大枝雄介九段門下、九段。新鋭トーナメント戦優勝、本因坊戦リーグ3期など。妻は知念かおり四段、楊嘉栄八段は弟。.

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橋本宇太郎

橋本宇太郎(はしもと うたろう、1907年〔明治40年〕2月27日 - 1994年〔平成6年〕7月24日)は、昭和の囲碁棋士。第2、5、6期本因坊で本因坊昭宇と号する。大阪府出身、瀬越憲作名誉九段門下。1950年に関西棋院を率いて日本棋院から独立した。才気と闘志溢れる碁風で「天才宇太郎」「火の玉宇太郎」のニックネームを持つ。 1950年7月から1994年7月まで関西棋院総帥、1986年5月から1994年4月まで同棋院理事長。 1945年の第3期本因坊戦での岩本薫七段との挑戦手合において、広島市郊外の五日市町(現:広島市佐伯区)で行われた第2局は原爆下の対局として有名。 2014年7月18日、囲碁殿堂入り(第11回囲碁殿堂表彰)。.

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橋本昌二

橋本昌二(はしもと しょうじ、1935年(昭和10年)4月18日 - 2009年(平成21年)12月2日)は、日本の囲碁棋士。兵庫県明石市出身、関西棋院所属、橋本国三郎七段門下、九段。関西棋院独立当時から若手のエースとして活躍し、「天才昌二」とも言われ、入段から11年で九段に昇段、十段、王座などのタイトルを獲得。関西棋院第一位決定戦で12回優勝し、関西棋院名誉第一位の称号を持つ。棋風は深い読みの力戦型、長考派としても有名で、「重戦車」の異名を取った。 1994年から1998年まで関西棋院理事長。その後特別顧問。.

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武宮正樹

武宮 正樹(たけみや まさき、1951年1月1日 - )は、囲碁のプロ棋士、九段。名人1期、本因坊6期など。東京都葛飾区出身。日本棋院所属。本因坊時代の雅号は当初「秀樹(しゅうじゅ)」であったが、2度目の獲得以降は「正樹(せいじゅ)」と改めた。また世界選手権設立当初に活躍したため、「世界最強の男」の異名を取った。 中央に大模様を作る厚み重視の棋風は、「宇宙流」という愛称で知られる。田中三七一・木谷実に師事。尊敬する棋士は藤沢秀行名誉棋聖など。同じ木谷実門下の石田芳夫、加藤正夫と並んで「黄金トリオ」「木谷三羽烏」と呼ばれ、木谷一門黄金時代の一翼を担った。プロ棋士の武宮陽光は長男。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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河野臨

河野 臨(こうの りん、1981年1月7日 - )は、囲碁のプロ棋士、九段。東京都西東京市出身、明保中学校卒業、日本棋院東京本院所属。小林光一名誉三冠門下。 天元位3連覇(第31期-第33期)。棋聖位・名人位・碁聖位挑戦者。.

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淡路修三

淡路 修三(あわじ しゅうぞう、1949年8月13日 - )は、日本の囲碁棋士。東京都出身、伊藤友恵七段門下、日本棋院東京本院所属、九段。名人戦、本因坊戦挑戦者など。青山学院大学法学部卒業という、棋士としては異色の経歴を持つ。兄は法学者の淡路剛久。 読み合い、ねじり合いを信条とする戦闘的な棋風で、接近戦を得意とし、打たれ強く倒すか倒されるかのスタイルから、「ロッキー」の異名をとり、ファンが多い。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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清成哲也

清成哲也(きよなり てつや、1961年(昭和36年)11月27日 - )は、囲碁の棋士。宮崎県延岡市出身、関西棋院所属、倉橋正蔵八段門下、九段。長男真央も関西棋院の棋士。主要な良績に NHK杯テレビ囲碁トーナメント準優勝、関西棋院第一位決定戦優勝2回など。入段から九段昇段まで10年3ヶ月の、日本棋院を含めての最短昇段記録を持っていた。.

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溝上知親

溝上 知親(みぞかみ ともちか、1977年6月22日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。九段。長崎県佐世保市出身。妻は加藤啓子。緑星学園出身。.

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持ち時間

持ち時間(もちじかん)とは、将棋、囲碁などのボードゲームをする際にあらかじめ定められた対局に使用できる時間限度のこと。持ち時間を使い切った対局者は負けとなる。対局両当事者に同じ持ち時間を定めることで公平を保ち、ゲームの途中放棄や故意の遅滞による相手への嫌がらせを排除する目的で設定される。.

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本因坊

一世本因坊算砂旧跡、京都市左京区仁王門通東大路西入南側寂光寺前 囲碁本因坊発祥の地、京都市中京区寺町通夷川上る東側 本因坊(ほんいんぼう).

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本因坊丈和

本因坊 丈和(ほんいんぼう じょうわ、天明7年(1787年) - 弘化4年10月10日(1847年11月17日))は、江戸時代の棋士。十二世本因坊、名人碁所。法名は日竟。本因坊元丈門下。元の姓は戸谷、後に葛野(かどの)。 丈和の生地は明らかでなく、信濃、武蔵国、伊豆、江戸などの説があるが、伊豆説が有力。幼名は松之助。16歳で初段。文化4年(1807年)に庄内藩士長坂猪之助と二十一番碁を打ち(丈和定先)、12局目まで8勝4敗で先相先とした。当時元丈の跡目には丈和の1歳上の奥貫智策が据えられていたが、智策は文化9年(1812年)に27歳で夭逝、文政2年(1819年)に丈和が跡目となる。その後33歳で六段。 文政10年(1827年)40歳の時、七段に進み、元丈の跡を継いで十二世本因坊丈和となる。翌年八段。天保2年(1831年)に、ライバル井上幻庵因碩を策謀によって降し、名人碁所に就く(後述)。 長男の戸谷梅太郎は、水谷琢順の養子となった後に井上家を継ぎ、12世井上節山因碩となった。三男は明治期方円社2代目社長の中川亀三郎。長女はなは本因坊秀策に嫁いだ。.

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本因坊秀策

ムネイル 本因坊 秀策(ほんいんぼう しゅうさく、文政12年5月5日(1829年6月6日) - 文久2年8月10日(1862年9月3日))は江戸時代の囲碁棋士。備後国因島(現・広島県尾道市因島外浦町)出身で俗姓は桑原。幼名は虎次郎。法名は日量。父は桑原輪三。.

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本因坊道策

ムネイル 本因坊 道策(ほんいんぼう どうさく、正保2年(1645年) - 元禄15年3月26日(1702年4月22日))は江戸時代の囲碁棋士。四世本因坊、名人碁所。本因坊算悦、本因坊道悦門下、生国は石見国、本姓は山崎、幼名は三次郎。法名は日忠。道策は圧倒的強さを誇り、当時の一流棋士達をことごとく先以下に打ち込み、実力十三段と称揚された。 道策は手割の考え方など多くの革新的な手法を生み出した。また、従来の力戦ではなく、全局の調和を重視した合理的な打ち方を用いたことなどから、近代囲碁の祖と呼ばれる。丈和・秀策の後聖に対して、前聖と称される。史上最強の棋士として、道策の名を挙げる人も多い。 名人を九段、名人上手間を八段(準名人)、上手を七段とし、以下二段差を1子とする段位制を確立した。この段位制は1924年に日本棋院が設立されるまで使われていた。.

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本田邦久

本田邦久(ほんだ くにひさ、昭和20年(1945年)6月15日 -)は、日本の囲碁棋士。関西棋院所属、橋本宇太郎九段門下、九段。NHK杯戦優勝、関西棋院第一位決定戦優勝4回。布石では小目を多用する。人柄は温厚だが、盤上では相手の意図に反発して難解な接触戦になることが多い。趣味は山登り。.

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本木克弥

本木 克弥(もとき かつや、1995年8月2日 - )は 、囲碁の棋士。段位は八段。群馬県出身。日本棋院東京本院 所属。藤澤一就八段の門下。 第72期本因坊挑戦者。.

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新海洋子

新海 洋子(しんかい ひろこ、1958年2月13日 - )は、日本棋院所属の囲碁の女流棋士。東京都出身。岩本薫九段門下。.

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1976年

記載なし。

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2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。.

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