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梅若六郎 (55世)

索引 梅若六郎 (55世)

五十五世梅若六郎(うめわか ろくろう、1907年8月3日 - 1979年2月8日)は、観世流シテ方能楽師、日本芸術院会員。本名は梅若亀之(うめわか たかし)、別名として梅若景英、梅若六之丞20世紀日本人名事典。三代梅若実を追贈。.

28 関係: 厩橋吉住小三郎上方舞シテ勲等瑞宝章芸術祭 (文化庁)道成寺褒章観世流能楽協会能楽師船弁慶重要無形文化財長唄東中野梅若実梅若実 (初世)梅若六郎 (54世)梅若六郎 (56世)梅若恭行武原はん日本芸術院1907年1964年東京オリンピック1979年2月8日8月3日

厩橋

東京都墨田区から。(2005年8月) 1893年完成の旧鉄橋 厩橋(うまやばし)は、隅田川にかかる橋で、東京都道453号本郷亀戸線(春日通り)を通す。西岸は台東区蔵前二丁目、および駒形二丁目を分かち、東岸は墨田区本所一丁目。 橋全体に馬を連想させるレリーフなどが施されている。橋名は西岸にあった「御厩河岸(蔵前の米蔵の荷駄馬用の厩)」にちなむ。.

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吉住小三郎

吉住 小三郎(よしずみ こさぶろう)は、近世中期以来の長唄の唄方。6代目を数える。.

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上方舞

上方舞(かみがたまい)とは、江戸時代中期(1800年頃)から末期にかけて上方で発生した日本舞踊の一種。着流しに、屏風を立てた座敷で舞う素踊りを基本とする。源流となった御殿舞と、能を基本にした静的な舞に、人形浄瑠璃や歌舞伎の要素を加味しており、しっとりとした内面的な舞い方をする。歌舞伎舞踊より抽象的で単純化された動きである。本来、舞台より座敷で舞われることが多いとされていたので座敷舞と呼ばれたり、伴奏に地唄が用いられることから、地唄舞とも呼ばれる。また上方舞のうち、京都で発展した井上流、篠塚流を京舞(きょうまい)と呼ぶ。毎年、11月に東京の国立劇場で行われる「京阪の座敷舞」は、東京で上方舞が観られる数少ない機会であり、最も大規模なものである。.

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シテ

テ.

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勲等

勲等(くんとう)とは勲功に対して授与されたものである。日本においては律令制度が出来た当時は勲位と称し、勲一等以下勲十二等までの12等級あった。また、位階勲等という様に叙勲は位階に応じて行われた。 以下、日本の勲等について詳述する。.

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瑞宝章

勲一等瑞宝章の正章1895年(明治28年)、西園寺公望が授与された物。国立公文書館所蔵(請求番号:寄贈02112100)。。現行の瑞宝大綬章と本体部分の意匠は同じ。 勲一等瑞宝章の副章。現行の瑞宝大綬章と意匠は同じ。 瑞宝章(ずいほうしょう、Orders of the Sacred Treasure)は、日本の勲章の一つ。.

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芸術祭 (文化庁)

芸術祭(げいじゅつさい、National Arts Festival)は、1946年(昭和21年)から文化庁の主催(文化庁設置前の1967年(昭和42年)までは文部省の主催)により、毎年秋に日本国内で行なわれている諸芸術の祭典。 ここでは1985年(昭和60年)から一時期、文化庁主催により設けられていた「芸術作品賞」についても述べる。.

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道成寺

道成寺 (どうじょうじ)は、和歌山県日高郡日高川町にある天台宗の寺院。新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所である。道成寺創建にまつわる「髪長姫伝説」(「宮子姫伝記」)や、能、歌舞伎、浄瑠璃の演目として名高い、「安珍・清姫伝説」で知られる。この伝説は、平安時代中期に編纂された『大日本国法華験記』にすでに見える古い話である。 拝観の際には縁起堂で「安珍清姫」の絵巻物を見せながらの絵説き説法が行われる。.

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褒章

褒章(ほうしょう)とは、社会や公共の福祉、文化などに貢献した者を顕彰する日本の栄典の一つ。対象となる事績により、紅綬褒章、緑綬褒章、黄綬褒章、紫綬褒章、藍綬褒章、紺綬褒章の6種類がある。 英訳名は、褒章全体が“Medals of Honour”であり、各章はそれぞれ、“Medal with Red Ribbon”、“Medal with Green Ribbon”、“Medal with Yellow Ribbon”、“Medal with Purple Ribbon”、“Medal with Blue Ribbon”、“Medal with Dark Blue Ribbon”である。 日本政府による英訳では、勲章は“order”であり、褒章は記章(記念章および従軍記章)と同様に“medal”とされている。欧米で日本の勲章、褒章および記章に相当するものには、英語で“order”、“decoration”、“Cross”、“medal”と名付けられたものがある。しかし、日本と欧米ではこれら“勲章等”(勲章等着用規程(昭和39年4月28日総理府告示第16号)第1条)の分け方が異なっており、日本には無い“Cross”の扱いは区々であり、“medal”と称されるものの一部は記章ではなく勲章とされることもある。一方、日本の法令上は、他国の褒章に相当するものは記章として扱われる(勲章等着用規程(昭和39年4月28日総理府告示第16号)第11条第1項4号)。.

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観世流

観世流(かんぜ-りゅう)は能楽における能の流派の一。シテ方、小鼓方、大鼓方、太鼓方がある。.

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能楽協会

公益社団法人能楽協会(こうえきしゃだんほうじん のうがくきょうかい)とは、大和猿楽四座の流れを直接継承している流派に所属する能楽師によって構成される団体である。.

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能楽師

能楽師(のうがくし)は、職業的に能楽を演じる人。.

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船弁慶

『大物之浦ニ霊平知盛海上に出現之図』(月岡芳年『新形三十六怪撰』) 『船弁慶』(ふなべんけい)は、『平家物語』、『吾妻鏡』などに取材した能楽作品。表記は「舟弁慶」(また旧字で「船辯慶」、「舟辯慶」)とも。作者はほぼ観世小次郎信光と比定されている。源義経、武蔵坊弁慶、静御前、平知盛を主たる登場人物とし、前半と後半でシテの演じる役柄がまったく異なるなど、華やかで劇的な構成が特徴である。この記事では合わせて派生作品についても記述する。.

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重要無形文化財

重要無形文化財(じゅうようむけいぶんかざい)とは、日本において、同国の文化財保護法に基づいて、同国の文部科学大臣によって指定された、無形文化財のこと。.

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長唄

長唄(ながうた)は、近世邦楽の一ジャンル、三味線音楽の一ジャンル、江戸の音曲の一つであり、正式名称は江戸長唄(えど ながうた)という。 またこれとは別に、地歌の一分類として上方長歌(かみがた ながうた)がある。.

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東中野

東中野 (ひがしなかの).

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梅若実

梅若 実(うめわか みのる/みのり)は能楽シテ方観世流梅若家において隠居名として用いられる名である。詳しくはおのおのの項目を参照のこと。.

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梅若実 (初世)

五十二世梅若六郎(うめわか ろくろう、文政11年5月26日(1828年7月7日) - 明治42年(1909年)1月19日)とは、観世流シテ方能楽師。明治5年(1872年)以後は初世梅若 実(うめわか みのる)を名乗り、こちらの名でよく知られる。.

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梅若六郎 (54世)

五十四世梅若六郎(うめわか ろくろう、1878年(明治11年)4月28日 - 1959年(昭和34年)8月16日)とは、観世流シテ方能楽師。二世梅若実。 東京生まれ。初世梅若実の二男。兄に初世梅若万三郎。義兄・五十三世梅若六郎の準養子となり、梅若六郎家を継承。1948年隠居し、二世梅若実を襲名。浅草厩橋に能楽堂を構えていたが戦災で焼失し、1949年に後援会長の親族の土地(東中野)に移転。1955年日本芸術院会員となる。 長男が五十五世梅若六郎。.

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梅若六郎 (56世)

五十六世 梅若 六郎(ごじゅうろくせい うめわか ろくろう、1948年(昭和23年)2月16日 - )は、観世流シテ方能楽師。梅若六郎家当代、重要無形文化財保持者(人間国宝)、日本芸術院会員。1988年(昭和63年)五十六世梅若六郎を襲名。2009年(平成21年)二世梅若玄祥へ改名。2018年(平成30年)2月16日、四世梅若実を襲名。 現代を代表するシテ方の一人として知られ、数多くの賞を受賞している。また新作能に意欲的に取り組んでいることでも知られ、これまでに瀬戸内寂聴原作『夢浮橋』、美内すずえ原作『紅天女』(くれないてんにょ)、堂本正樹作『空海』、山本東次郎作『伽羅沙』(がらしゃ)・『大坂城』、馬場あき子作『額田王』、ミハイル・マルマリノス演出『ネキア』、村上元三作『覚鑁』などを初演している。 三世藤間勘祖との間の子に八世藤間勘十郎がいる。妻の梅若和子は、マドラス (企業)創業者一族の娘で、慶應義塾大学法学部卒業後、英国ケンブリッジ大学に留学、梅若インターナショナル代表兼日本伝統文化交流協会会長を務める。.

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梅若恭行

梅若 恭行(うめわか やすゆき、1917年(大正6年)10月6日 - 2003年(平成15年)1月20日)は、シテ方観世流能楽師。 二世梅若実の三男。父、兄の五十五世梅若六郎に師事。1921年『猩々』で初舞台、1926年『忠信』で初シテ。 1988年日本芸術院賞受賞。1992年日本芸術院会員。重要無形文化財「能楽」保持者に認定(総合認定)。能楽界における最長老、重鎮として活躍。 長男が梅若靖記。.

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武原はん

武原 はん(たけはら はん、1903年(明治36年)2月4日 - 1998年(平成10年)2月5日)は、昭和期に活躍した上方舞の日本舞踊家である。本名・武原幸子。.

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日本芸術院

日本芸術院(にほんげいじゅついん、旧字体:日本藝術院、英語:The Japan Art Academy)は、美術・文芸・音楽・演劇など芸術のさまざまな分野において優れた功績のある芸術家を優遇し顕彰するために置かれた国の栄誉機関で、文化庁の特別の機関である。.

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1907年

記載なし。

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1964年東京オリンピック

18回オリンピック競技大会(だい18かいオリンピックきょうぎたいかい、Jeux de la XVIIIe olympiade、Games of the XVIII Olympiad)は、1964年(昭和39年)10月10日(後の体育の日)から10月24日までの15日間、日本の東京で開かれたオリンピック競技大会。一般的に東京オリンピック(とうきょうオリンピック)と呼称され、東京五輪と略称される。公用文では第十八回オリンピック競技大会の表記もみられる。.

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1979年

記載なし。

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2月8日

2月8日(にがつようか)はグレゴリオ暦で年始から39日目にあたり、年末まであと326日(閏年では327日)ある。.

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8月3日

8月3日(はちがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から215日目(閏年では216日目)にあたり、年末まであと150日ある。.

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