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桂米團治 (3代目)

索引 桂米團治 (3代目)

3代目 桂 米團治(3だいめ かつら よねだんじ、1869年 - 1943年10月29日)は上方噺家。本名:早田 福松。 大阪の堂島生まれ。3代目桂文團治門下で、初代米歌子(べかこ)、1894年頃、初代米之助、1896年1月、2代目米朝を経て、1910年3月、3代目米團治を襲名。当時「3代目」と言えば師匠の3代目桂文團治であったので、3代目米團治は「シンサン(新3)」と呼ばれ、これがあだ名となった。 米相場のあった堂島生まれで、入門時からずっと「米」の付く名前を名乗ってきたため、堂島の旦那衆の贔屓を受け、2代目米朝時代から中堅として活躍した。師匠の3代目文團治に可愛がられ、嫌味や小言の言い方までそっくりであったため、師匠が「大毛虫」、米團治が「小毛虫」と呼ばれた。口の悪さや気障な態度は若い時からのようで、1907年7月の落語相撲見立番付には「いやみ灘米朝」の名で出ている。 昭和に入ると一時吉本興業を離れ、お座敷で贔屓の客相手の落語や時々ラジオに出演するのみだった。 後輩の指導にも熱心で、晩年は5代目笑福亭松鶴が主催する「楽語荘」同人の長老格であった。 奈良で隠居生活し、同地で死去した。 上方落語の絶頂期に修行を積んだだけあって、舞踊・音曲も巧みで、人情噺・芝居噺・怪談噺・旅ネタまであらゆる噺に通じており、いずれも名人の域であったという。十八番は『手切れ丁稚』。その他にも『逆さま蚊帳』『深山がくれ』『大黒頭巾』など。特に『古手買い』は絶品で、弟子の4代目桂米團治でさえ、生涯の間に遂に手掛けることができない程であった。SPレコードは『一枚起請』『大安売』『ぬの字鼠』『月並丁稚』等を1925年から1926年頃に吹き込んでいる。 門下には4代目米團治、2代目桂歌團治らがいる。.

28 関係: 吉本興業堂島大阪奈良上方噺家上方落語三友派人情噺笑福亭松鶴 (5代目)音曲舞踊SPレコード桂べかこ桂米之助桂米團治 (4代目)桂米朝桂米朝 (3代目)月亭春松怪談噺10月29日1869年1894年1896年1907年1910年1925年1926年1943年

吉本興業

吉本興業株式会社(よしもとこうぎょう、)は、大阪府大阪市中央区(登記上の本店)と東京都新宿区に本社 を置く、マネジメント、プロモーター、テレビ・ラジオ番組製作、演芸の興行等をグループで行う吉本興業グループの持株会社。通称「吉本」、「よしもと」。 1912年(明治45年)4月1日の創業以来、2007年(平成19年)9月30日までは日本の芸能プロダクションで、95年半の最も古い歴史を持っていたが、2007年(平成19年)10月1日から持株会社制へ移行し、同社の事業部門は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー、よしもとデベロップメンツ、よしもとアドミニストレーションにそれぞれ分社化され、「吉本(よしもと)」を名乗る芸能プロの歴史は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに引き継がれた。現在の東京証券取引所で上場廃止され、その後TOBで非上場化され、在京・在阪の主要民放局などが主要株主となっている。 日本経済団体連合会と日本商品化権協会加盟。.

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堂島

堂島アバンザ(旧毎日新聞大阪本社社屋跡に建設された複合ビル) 堂島(どうじま)は、大阪府大阪市北区・福島区の地域名。または、北区の町名。現行行政地名は堂島一丁目から三丁目まで。2010年10月1日現在の人口は202人、世帯数は103世帯。郵便番号は530-0003。.

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大阪

大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.

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奈良

奈良(なら)は、日本国の発祥とされる歴史的地名である。 異表記として那羅・平城・寧楽などがある(読みは全て「なら」)。平安京(京都)に都が遷った後は南都(なんと)とも呼ばれた。古くは大和と呼ばれ、また平城京にも相当した。.

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上方噺家

上方噺家(かみがたはなしか)とは、上方落語の噺家(落語家)のこと。一般的には「上方落語家」「上方落語の噺家(落語家)」などと称する。 現存する亭号は、桂、笑福亭、林家、月亭、橘家、立花家、露(の)、森乃、(明石家)である。かつては立川、三遊亭もあったが、前者は明治期に、後者は太平洋戦争後に断絶している。 現在では上方落語協会などを設立している。.

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上方落語

上方落語(かみがたらくご)とは、大阪・京都を中心とする地域で主に演じられる落語。.

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三友派

三友派(さんゆうは)とは、上方落語の諸派。歴史上以下の2つが存在する。.

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人情噺

人情噺(にんじょうばなし)とは、落語の演目の中のひとつのカテゴリである。一般には親子や夫婦など人間の情愛を描いた噺を指しており、「大ネタ」と呼ばれる長い噺が多い『CD付 落語入門』(2008)p.17。人情噺を最初に演じたのは朝寝房夢羅久だといわれている。.

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笑福亭松鶴 (5代目)

5代目笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1884年9月5日 - 1950年7月22日)は、上方噺家。大阪市出身。本名は竹内梅之助(たけうち うめのすけ)。妻は6代目林家正楽の娘。次男は6代目笑福亭松鶴。.

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音曲

音曲(おんぎょく)とは、近代以前において音楽、あるいは音楽を用いた芸能のことを指した。 例えば、貴人が死去した時に行われた「歌舞音曲停止(ちょうじ)」の場合の「歌舞」「音曲」は、ともに音楽を伴った芸能全般の意味を指している。『風姿花伝』では、能などの舞のうち音楽的部分(特に謡)だけを指す場合に「音曲」という言葉が用いられている。 近世においては、「俗曲」と並んで卑俗な音楽、裏を返せば大衆的な軽音楽の意味で用いられた。寛政年間に初代船遊亭扇橋が始めた音曲噺は、落語の間に下座の三味線に合わせて「都都逸」「奴さん」「二上り新内」などの歌を歌うというスタイルで人気を博し、これを真似して俗曲や流行歌を歌う人が登場した。こうした人たちを音曲師と称した。続いて文化年間に入ると女性の音楽家が登場して長唄や常盤津、幕末期には俗曲や舞踊まで教えるようになり、こうした女性たちを「五目の師匠」「音曲師匠」「女師匠」などと呼んだ。明治に入ると、寄席で様々な音楽芸を行う「音曲吹き寄せ」が盛んに行われた。 現代では古語に近いが、近世邦楽を主として、その他の関連する音楽を中心とした伝統芸能を意味している。そのため古代の音楽や宗教音楽である雅楽や声明などを含めないことが多い(雅楽は「音楽」、「楽」と呼ばれることが多かった)。 そもそも「音楽」との定義上の区別が困難であり、ことによっては差別的な用いられ方をすることもあり、現代では一部を除いてあまり使われず、普通に「音楽」と呼ばれることが多い。 『守貞謾稿』巻之二十三、音曲の項に挙げられている伝統芸能を中心に、以下に列挙する。.

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舞踊

舞踊(ぶよう).

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SPレコード

SPレコード(78 rpm disc)は、1948年頃にプラスチックを材料にmicro grooveで溝を刻んだLPレコード(long playing:LP)が登場して以降、それ以前の蓄音機用レコードを “standard playing” と呼んで区別するようになり、これを略した呼び名で、レトロニムである。 すなわち、1887年にエミール・ベルリナーが開発した円盤状の蓄音機用レコードの総称(商標では「グラモフォン」という)といってよく、初期の縦溝レコードや片面レコードなども含まれる。1950年代後半まで生産されその後はLPレコードに完全に移行した。 SPレコードという呼称は日本ではよく通用する言い方だが、国際的には “78s” または “78rpm record” と呼ばれることの方が多い。.

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桂べかこ

桂 べかこ(かつら べかこ)は、上方落語の名跡。3代目が南光を襲名してからは、空き名跡となっている。 べかことは大阪弁であっかんべーの意。.

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桂米之助

桂 米之助(かつら よねのすけ)は上方落語の名跡。現在は空き名跡となっている。 6人前後いるのだが他の2人が大成しなかったのと4代目が4代目米團治から3代目を許されたのを元に代数を数えている。.

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桂米團治 (4代目)

4代目 桂 米團治(4だいめ かつら よねだんじ、1896年9月3日 - 1951年10月23日)は、落語家(上方噺家)。本名は中濱 賢三(なかはま けんぞう)。出囃子は『羯鼓』。.

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桂米朝

結び柏は、桂米朝一門の定紋である。 桂 米朝(かつら べいちょう)は、上方落語の名跡。本来は、大名跡である桂米團治を継ぐ前段階の名跡。初代が入門した際、師匠の「米」と夫人の名前である「あさ」から「米朝」とつけたのが始まり。.

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桂米朝 (3代目)

3代目桂 米朝(かつら べいちょう、1925年(大正14年)11月6日 - 2015年(平成27年)3月19日)は、旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家。本名、中川 清(なかがわ きよし)。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。俳号は「八十八」(やそはち)。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われた。1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。1979年(昭和54年)に帝塚山学院大学の非常勤講師を務めた。所属は米朝事務所。尼崎市に住んだ。.

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月亭春松

月亭 春松(つきてい はるまつ)は、上方噺家。『落語系圖』の編者。本名は植松秀一郎。生没年不詳。 明治初期頃の生まれで1892年1月15日、2代目月亭文都門下となり、春松を名乗る。1893年11月には京都板井席の今枝恒吉一座で植松一郎の名で出演を皮切りに、1894年以降、東京や京都で歌舞伎・新派の劇団にも所属し、役者として活動するが、1913年、7代目朝寝坊むらく(後の3代目三遊亭圓馬)門下で小夢、1914年、同門の月亭小文都の尽力で再び文都門下に復帰し、5代目月亭文當を名乗る。師匠の死後は2代目桂文團治(7代目桂文治)の預かり弟子となり、後、再び月亭春松を名乗る。初め三友派に所属、文當を名乗ってからは自ら都三友派を組織したり京都に出向いたりなどした後、浪花落語反対派から花月派(後の吉本興業部)に移り、後年は吉本興業で事務を務めたという。1922年以降の落語家連名表には名前が掲載されていないので、恐らく、その頃には落語を廃業していたと思われる。没年は昭和初期。.

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怪談噺

怪談噺(かいだんばなし)とは、落語の演目のなかで幽霊や化け物、死神などといった怪異を扱う噺の総称『CD付 落語入門』(2008)p.17。文化・文政のころにはじまり、幕末から明治期に隆盛した百科事典マイペディア「怪談噺」。林家の始祖で、文化・文政・天保に活躍した初代林家正蔵(当時は「林屋」と表記)が怪談噺の元祖とされており、三遊亭圓朝(初代)や桃川如燕なども名手とされた初代正蔵は「怪談の正蔵」と称せられた。。.

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10月29日

10月29日(じゅうがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から302日目(閏年では303日目)にあたり、年末まであと63日ある。.

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1869年

記載なし。

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1894年

記載なし。

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1896年

記載なし。

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1907年

記載なし。

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1910年

記載なし。

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1925年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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1943年

記載なし。

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