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桂枝太郎

索引 桂枝太郎

桂 枝太郎(かつら えだたろう)は、落語の名跡である。当代は3代目にあたる。初代は上方落語家(京都系)。2代目以降は東京の名跡となった(2代目桂小文治の一門)。柳家枝太郎と混合されやすいが、全く別の名跡である。.

77 関係: 古今亭今輔 (3代目)名跡大丸屋騒動富士正晴寄席小文治一門川柳上京上方落語中央区立常盤小学校平凡社享年京都京都市レコード出囃子 (落語)先斗町篤志面接委員紙屑屋真打生駒雷遊相場師落語落語芸術協会青山学院大学褒章都々逸関東大震災柳家枝太郎東山 (京都府)桂小金治桂小文治 (2代目)桂三木助 (3代目)桂圓枝 (3代目)桂猫丸桂燕太郎桂枝助桂枝雁桂桃太郎桂歌丸桂歌春桂派桂春之助桂文生桂慶治橘家花圓蔵橘ノ圓 (初代)活動弁士月亭春松月亭文都 (2代目)...明治薬科大学春風亭柳枝 (6代目)春雨や雷蔵浅草フランス座演芸場東洋館浅草演芸ホール新作落語日本橋本石町曽呂利新左衛門1866年1875年1885年1886年1887年1895年1908年1917年1924年1927年1938年1943年1977年1978年2009年2月6日3月6日5月1日5月7日 インデックスを展開 (27 もっと) »

古今亭今輔 (3代目)

3代目古今亭 今輔(ここんてい いますけ、明治2年(1869年)6月27日 - 大正13年(1924年)8月18日)は、落語家。本名:村田 政次郎。浅草代地に住んでいたことから俗に「代地の今輔」やせっかちなエピソードが多いことから「せっかちの今輔」。 東京深川の生まれ、子供の時の1883年、4年ころに2代目古今亭志ん生の門に入り志ん丸を名乗った。志ん丸は2代目今輔の前座名で待望されているのが分かる。 1889年3月に志ん猫と改名、師匠志ん生死去に伴い4月に4代目三升亭小勝(2代目禽語楼小さんないし3代目柳家小さんの説も)の門で三升亭小つね(ないし柳家小常や柳家小つねとも)さらに1896年1月に柳家小文吾となり1897年?に柳派の出世名である3代目柳家小三治襲名。 1904年半ばころに3代目今輔襲名。 糖尿病で死去。 おせっかちで高座では落着きがなく投げやりな感じが多く音曲噺をはじめ噺も多かったが評価は少なかった。 「囃子長屋」「しらみ茶屋」「三人片輪」他多数の速記本が残されている。SPレコードは音曲噺を中心に大正時代に数枚吹き込んでいる。 弟子に4代目鈴々舎馬風(今之助と名乗っていた。)、2代目桂枝太郎(今輔門で古蔵宝輔と名乗っていた。)、3代目柳亭痴楽らがいる。評論家に転進した野村無名庵も一時弟子であった。.

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名跡

名跡(みょうせき)は、家制度と密接に結びつき、代々継承される個人名。もしくは家名。「めいせき」と発音するのは誤り。.

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大丸屋騒動

大丸屋騒動(だいまるやそうどう)は上方落語の演目の一つである。安永年間に実際に京で起こった事件がモデルで、講釈ネタを落語化したものである。上方落語には珍しい人情噺(厳密にはサゲがあるので、狭義の人情噺ではなく落とし噺だが)で、前半部の宗三郎と番頭の軽妙なやりとり、富永町で悲劇へたたみかける演出、後半部の芝居噺風の演出などかなり手が込んでいる。サゲは地口落ち。 妖刀村正、愛想尽かし、狂乱した宗三郎が祇園二軒茶屋の踊りの輪に乱入する場面など、歌舞伎の『縮屋新助』『伊勢音頭恋寝刃(油屋騒動)』のパロディが見られる。はめものとの呼吸に注意を払い、歌舞伎や京の風景・風俗に精通しなければならないなど、高度な技術を要する。 太平洋戦争前は先斗町で生まれ育った初代桂枝太郎の十八番として知られていた。戦後は長く演者がいなかったが、1970年代に入ると初代森乃福郎や2代目露の五郎兵衛が相次いで高座にかけ、5代目桂文枝、3代目桂米朝も得意とした。文枝は1990年の口演で芸術祭賞を受賞している。.

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富士正晴

富士 正晴(ふじ まさはる、本名・冨士正明 1913年10月30日 - 1987年7月15日)は小説家・詩人。 .

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寄席

寄席(よせ)とは、日本の都市において講談・落語・浪曲・萬歳(から漫才)・過去に於いての義太夫(特に女義太夫)、などの技芸(演芸)を観客に見せる興行小屋である。.

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小文治一門

小文治一門(こぶんじいちもん)は、かつて上方落語の大家として「桂派」を率いた7代目桂文治の弟子であり、東京に転籍して一門を築いた2代目桂小文治とその弟子たちで構成される落語家の一派。小文治は他門で失敗した落語家も多く引き取ったことから、多くの門弟を輩出した。既に小文治死後から50年近くが経過し、一門の高弟たちも多くがこの世を去っているが、一門の大半が現在でも落語芸術協会に所属し、同協会の落語家の一定数を占めており、また芸術協会会長の直近4代は、全員が同一門から選出されている。 なお、2代目枝太郎門下であった3代目桂文生一門、2代目小南門下であった2代目桂文朝(2005年没)と桂南喬については、芸術協会が1984年9月に上野鈴本演芸場から撤退(興行成績不振により落語協会と合同での番組編成を提案した処から確執が生じたため)した際、出演機会の減少を危惧して同年12月に落語協会に移籍している。.

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川柳

川柳(せんりゅう)は、五・七・五の音を持つ日本語の詩の一つ。.

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上京

上京(じょうきょう、かみぎょう、じょうけい); じょうきょう; かみぎょう; じょうけい.

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上方落語

上方落語(かみがたらくご)とは、大阪・京都を中心とする地域で主に演じられる落語。.

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中央区立常盤小学校

中央区立常盤小学校(ちゅうおうくりつ ときわしょうがっこう)は、東京都中央区日本橋本石町四丁目にある公立小学校。 都内でも有数の歴史を持つ学校の1つで、同敷地内に常盤幼稚園(2009年度まで休園)がある。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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享年

享年(きょうねん)とは人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。「行年(ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)『漢字源』学研、「行」の項を参照。の年数」の意味。「享年70(満68歳)」(数え年の場合)のように用いる。享年を数え年ではなく満年齢で表し「享年68(歳)」と表すこともある。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

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レコード

ングルレコード盤(ドーナツ盤ともいわれる) レコード (record, vinyl record, 英語版ではgramophone record)とは、音声記録を意味し、主に樹脂などでできた円盤(最初期には円筒状の蝋管レコードを含む)に音楽や音声などの音響情報を刻み込み記録したメディアの一種を示すことが多い。音盤などその他の呼び方で呼ばれることもある。 音の再生の方法は信号としての振幅の情報の読み取り方と情報の増幅により異なる。針で読み取った振幅の情報を、機械的に増幅する蓄音機の時代、電気信号に変えて増幅するレコードプレーヤーの時代、そして針を使わずレーザーを用いて非接触再生するレーザーターンテーブルの時代(レコード末期以降から近年にかけての特殊な時代)に大まかに分類することができる。.

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出囃子 (落語)

落語における出囃子(でばやし)は、落語家が高座に上がる際にかかる音楽であり、寄席囃子のひとつである。寄席や落語会では、落語家に限らず、芸人が登場する際の音楽全てを指すことがある。.

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先斗町

先斗町 夜の様子 先斗町歌舞練場(鴨川側より撮影) 鴨川沿いの先斗町 先斗町(ぽんとちょう)は京都市中京区に位置し、鴨川と木屋町通の間にある花街。「町」と付くが地名としての先斗町はない。先斗町通については「先斗町通四条上る柏屋町」等、公文書(四条通地区地区計画:京都市都市計画局)にも使用されている。.

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篤志面接委員

志面接委員(とくしめんせついいん)とは、日本の矯正施設内で、悩み事相談にのったり、また、矯正のために面談や講話を行ったりするボランティアのこと。 宗教教誨師、元職あるいは現職の地方議会議員、地元の有力者、教職員OB、刑事施設OBなどに多い。.

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紙屑屋

紙屑屋(かみくずや)は古典落語の演目の一つ。上方落語では『天下一浮かれの屑より』という演目で、音曲がふんだんに入った複雑な噺となっている。 2代目桂小文治や5代目桂文枝が得意としていた。.

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真打

真打(しんうち)とは、.

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生駒雷遊

生駒 雷遊(いこま らいゆう、1895年4月1日 - 1964年12月2日)は、活動弁士、俳優である。本名は生駒 悦(読み不明)。.

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相場師

場師(そうばし)は、株や為替・商品などの相場で、投機を行う者をさす呼称。 相場で利益を追求する投機行為の源流は遠く江戸時代の大坂・堂島の米相場に遡る。米相場の参加者は幕府から免許を受けた米商人に限られていたが、明治に入って株式や生糸など市場が整備されるにつれ、現物商品を扱わず、取引所で投機的売買のみを行う者が現れ「相場師」と呼ばれるようになり、財閥を形成するほどの巨額の利益を得る者も現れる。明治大正期から昭和に至るまで、相場師は金融市場を巡る多くのドラマの主人公とされ、また大衆小説の主人公ともなって、世間の耳目を集めた。 現在でも相場の世界ではよく使用される言葉であり、とくに株や商品先物と言った古くからある市場で活躍する人は依然「相場師」と自称し、またそう表現されることは珍しくない。日計り商い(デイトレード)をする者も相場師であるが、これは日計り筋(デイトレーダー)と呼ばれる。相場師は、一般に、日計りや鞘取りのほか、中長期投資で利益を得ようとする。しばしば仕手戦や、買い占めなど、大胆な相場操縦を試み、社会的に非難を浴びることもある。.

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落語

落語の口演 落語(らくご)は、江戸時代の日本で成立し、現在まで伝承されている伝統的な話芸の一種である。最後に「落ち(サゲ)」がつくことをひとつの特徴としてきた経緯があり、「落としばなし」略して「はなし」ともいう。「はなし」は「話」または「噺」とも表記する。 都市に人口が集積することによって市民・大衆のための芸能として成立した。成立当時はさまざまな人が演じたが、現在はそれを職業とする落語家によって演じられることが多い。 能楽や歌舞伎など他の芸能と異なり、衣装や道具、音曲に頼ることは比較的少なく、ひとりで何役も演じ、語りのほかは身振り・手振りのみで物語を進め、また扇子や手拭を使ってあらゆるものを表現する独特の演芸であり、高度な技芸を要する伝統芸能である。.

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落語芸術協会

公益社団法人落語芸術協会(こうえきしゃだんほうじん らくごげいじゅつきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する公益社団法人。1977年まで日本芸術協会の名称であった。現在は桂歌丸が会長を務める。東京の落語家だけでなく、上方落語家の笑福亭鶴光や提携団体の日本講談協会所属の講談師も多数加入している。春風亭柳昇や桂米丸など新作落語の大家を多数輩出して永年「古典の協会、新作の芸協」と称されたが、米丸の弟子の桂歌丸が会長を務めるなど古典落語の名人も多く所属している。.

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青山学院大学

記載なし。

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褒章

褒章(ほうしょう)とは、社会や公共の福祉、文化などに貢献した者を顕彰する日本の栄典の一つ。対象となる事績により、紅綬褒章、緑綬褒章、黄綬褒章、紫綬褒章、藍綬褒章、紺綬褒章の6種類がある。 英訳名は、褒章全体が“Medals of Honour”であり、各章はそれぞれ、“Medal with Red Ribbon”、“Medal with Green Ribbon”、“Medal with Yellow Ribbon”、“Medal with Purple Ribbon”、“Medal with Blue Ribbon”、“Medal with Dark Blue Ribbon”である。 日本政府による英訳では、勲章は“order”であり、褒章は記章(記念章および従軍記章)と同様に“medal”とされている。欧米で日本の勲章、褒章および記章に相当するものには、英語で“order”、“decoration”、“Cross”、“medal”と名付けられたものがある。しかし、日本と欧米ではこれら“勲章等”(勲章等着用規程(昭和39年4月28日総理府告示第16号)第1条)の分け方が異なっており、日本には無い“Cross”の扱いは区々であり、“medal”と称されるものの一部は記章ではなく勲章とされることもある。一方、日本の法令上は、他国の褒章に相当するものは記章として扱われる(勲章等着用規程(昭和39年4月28日総理府告示第16号)第11条第1項4号)。.

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都々逸

都々逸(どどいつ)とは、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された、口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う。.

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関東大震災

関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒頃(日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって、南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害である。.

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柳家枝太郎

柳家枝太郎(やなぎや えだたろう)は落語家の名跡。元々は上方落語の名跡であった桂枝太郎と混合されやすいが別の名跡。現在は空位。.

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東山 (京都府)

東山(ひがしやま)は京都盆地の東側にある山の総称である。またその山麓の地域を指すこともある。.

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桂小金治

桂 小金治(かつら こきんじ)は落語家の名前。当代は2代目。2代目桂小文治の門弟に与えられる名前である。.

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桂小文治 (2代目)

2代目(一説には初代)桂 小文治(かつら こぶんじ、1893年(明治26年)3月28日 - 1967年(昭和42年)11月28日は、大正・昭和期に活躍した落語家。本名は稲田 裕次郎。出囃子は『野崎』。.

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桂三木助 (3代目)

3代目桂 三木助(かつら みきすけ、1902年3月28日〈戸籍上は1903年2月17日〉 - 1961年1月16日)は、日本の落語家。本名小林 七郎(こばやし しちろう)。出囃子は「つくま」。NHKとんち教室落第生。日本芸術協会所属だったが最晩年に脱退し、フリーを経て落語協会に移籍。当時まではとりわけて注目もされていなかった、円朝作と云われる落語芝浜を独自に練り上げ得意にした。以降、芝浜は夫婦の情愛を美しく描いた名作落語として認識されるようになり、多くの落語家が口演するようになった。現在でも3代目三木助のものが傑作と云われることから通称「芝浜の三木助」他にも通称は「田端の三木助」、「隼の七」。.

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桂圓枝 (3代目)

3代目桂 圓枝(かつら えんし、1931年12月21日 - 2011年2月16日)は、日本の落語家。落語芸術協会に所属していた。出囃子は『デカンショ節』。本名は香川 伸雄(かがわ のぶお)。.

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桂猫丸

桂 猫丸(かつら ねこまる)は、上方落語の名跡。現在は空き名跡となっている。.

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桂燕太郎

桂 燕太郎(かつら えんたろう、1885年 - 1912年2月24日)は、落語家(上方噺家)。本名:西脇 清次郎。実の父は同門下の桂枝雁。 最初、5代目林家正三の門下となり、4代目林家小正三を名乗る。その後、1903年に初代桂枝太郎が大阪の寄席に来た際、見込んで京都に連れて帰り、修行することになる。期待も多く、入門祝いの宴が盛大に行なわれ、幟まで贈与されている。初高座も芸妓が総見するほどの騒ぎになった。 役者の経験もあるらしく、芝居噺に秀でていた。その後、枝太郎や父・枝雁の勧めで大阪の三友派に加入し、出世街道を歩んでいたが、久々に京都の寄席に出演した直後に病気で早死した。.

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桂枝助

桂 枝助(かつら えだすけ、1943年(昭和18年)3月22日 - 2004年(平成16年)1月2日)は、東京都墨田区出身の落語家。本名は小林 光久(こばやし みつひさ)。血液型はO型。生前は落語芸術協会所属。出囃子は『串本節』。.

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桂枝雁

桂 枝雁(かつら しがん、生没年不詳)は、上方噺家。本名:西脇 清太郎。枝鴈と表記するのは誤記。 最初桂三之助の門人だったがどういう高座名だったが不明。その後5代目林家正三の門下になり林家新昇、明治30年代はじめ頃に正宗を経て3代目林家小正楽となり1903年春に初代桂枝太郎の門下で枝楽から同年秋に枝雁となった。若いころは大阪で修行をし枝太郎の一座に加わりその後京都に腰をすえた。 経歴も古く、修行期間が長く、ネタも多く、晩年は稽古台として重宝された。「嗅鼻長兵衛」等人がやらないネタを多くこなした。「子讚め」が笑福亭枝雁の名でSPレコードが残されている。実の子は同じ一座で桂燕太郎を名乗った。.

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桂桃太郎

桂 桃太郎(かつら ももたろう、1880年 - 1928年8月)は、上方噺家。本名: 松下 多三郎。ほか桃太郎の名は名跡で昔々亭桃太郎が存在する。 大阪北堀江の生まれ、前身は道頓堀の芝居裏のかき餅屋。井菱の主人が座長であった素人連の自由派に加わり、はじめ七五三丸と名乗っていたという。22歳の時に下阪中の桂派等で活躍中だった2代目三遊亭圓馬の門下に入りしん馬(新馬)と名乗って玄人の仲間入りした、1907年頃に初代桂枝太郎の門下になり桃太郎となった。師匠の枝太郎の活動拠点だった京都にて活動が主で師匠の芸、ネタをよく受け継ぎ得意ネタは『大丸屋騒動』『島原八景』『菊江仏壇』等がある。 晩年は吉本の勢力拡大で京都落語の衰退に伴い噺家が離合集散の騒動に巻き込まれ本人は廃業余儀なくされうどん屋を営んだ。 SPレコードは大正時代に『紙屑屋』『住吉駕籠』『佐々木裁き』を吹き込んでおり『ご存じ 古今東西噺家紳士録』『古今東西噺家紳士録』にも収録されている。.

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桂歌丸

桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14日 - )は、日本の落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。 神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)の出身・在住。定紋は『丸に横木瓜』。血液型はA型。横浜市立横浜商業高等学校定時制中退。 出囃子は『大漁節』。公益社団法人落語芸術協会会長(5代目)。当初は新作落語中心だったが、近年は、廃れた演目の発掘や三遊亭圓朝作品など古典落語に重点を置いて活動している。地元・横浜においては横浜にぎわい座館長(2代目)、横浜橋通商店街名誉顧問も務めている。位階勲等は旭日小綬章。 演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利メンバーとして活躍し2016年に番組を勇退するまでは、『笑点』開始からはもちろん、『金曜夜席』時代からの唯一の出演者であった。、2006年(平成18年)5月21日から2016年(平成28年)5月22日まで同番組の5代目司会者を務め、同日付で終身名誉司会者となった。.

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桂歌春

桂 歌春(かつら うたはる、本名:田代 修吉、1949年9月9日 - )は、日本の落語家。宮崎県東臼杵郡富島町(現在の日向市)出身。落語芸術協会所属。同協会理事。.

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桂派

桂派(かつらは)とは、明治から昭和初期まで存在した上方落語の諸派。.

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桂春之助

桂 春之助(かつら はるのすけ)は、上方落語の名跡。本来は桂文枝系統の名前だが、4代目は桂春團治系統が名乗っていた。3代目のみ文の家春之助と名乗った。.

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桂文生

桂 文生(かつら ぶんしょう)は、落語家の名跡。当代は落語協会のHPには3代目と記載されている。三遊亭文生を含めると過去7人前後の文生が存在する。上方落語には同じ読みの「桂文昇」という名跡がある。.

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桂慶治

桂 慶治(かつら けいじ)は上方落語の名跡。現在は空き名跡となっている。 初代桂文治の登場から大正期まで、「慶治」を名乗る人物が数人確認できる。ただし、桂慶枝、慶司などの表記があり、何人いたかは不明。 本項では、4代目桂文治門下の慶治について述べる。 ---- 初代?桂 慶治(1823年?・1835年? - 1892年ころ)は、落語家(上方噺家)。本名、出生地不詳。.

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橘家花圓蔵

橘家 花圓蔵(たちばなや かえんぞう、生年不詳 - 1942年(昭和17年)2月)は、落語家。本名は川崎 仙太郎。 元は薪屋の主人で天狗連でいろはを名乗っていたという。最初1891年、2年ころに2代目桂才賀の門下で桂才郷を名乗ったというが確証する史料はない。その後明治30年初めに4代目麗々亭柳橋の門下で麗々亭柳左衛門、その後明治30年代末に三遊派に移り初代三遊亭圓遊の門下で三遊亭遊橋、長らく旅巡業に出て大正の半ばに入り4代目橘家圓蔵の門下で橘家花圓蔵となった。圓蔵没後、5代目三遊亭圓生(当時5代目圓蔵)の内輪になった。 芸は百面相などの色物が中心であった。昭和に入り耳が遠くなり引退同然だった。晩年は蒲田で隠居生活をしていたという。 よく筆も立ち1930年の都新聞に5ヶ月間にわたり『昔恋しい三遊柳・思い出漫談』というエッセイを連載している。 2代目桂枝太郎が一時廃業していたのを噺家に復帰させたのはこの人物。.

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橘ノ圓 (初代)

初代橘ノ 圓(たちばなの まどか、1868年 - 1935年6月29日)は、落語家。本名、五十嵐銀次郎。兄は2代目三遊亭圓馬。.

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活動弁士

活動弁士(かつどうべんし)は、活動写真すなわち無声映画(サイレント映画)を上映中に、その内容を語りで表現して解説する専門の職業的解説者。活動写真を弁ずるというところから活動写真弁士(かつどうしゃしんべんし)と呼ばれる。略して活弁(かつべん)とも言うが、俗称である。無声映画期の活動弁士達は活弁と呼ばれることを酷く嫌った。単に弁士(べんし)ということも多い。関東圏では映画説明者、関西圏では映画解説者とも名乗っていた。 今日では活弁士(かつべんし)という呼び名も用いられている。史的には誤用であるが「活弁をする人」という意味を表現する上で分かり易く、今後は広く用いられる可能性が高い。NHKもこの用語を用いている。 いわゆる「ナレーター」の前身職の1つに当たる。.

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月亭春松

月亭 春松(つきてい はるまつ)は、上方噺家。『落語系圖』の編者。本名は植松秀一郎。生没年不詳。 明治初期頃の生まれで1892年1月15日、2代目月亭文都門下となり、春松を名乗る。1893年11月には京都板井席の今枝恒吉一座で植松一郎の名で出演を皮切りに、1894年以降、東京や京都で歌舞伎・新派の劇団にも所属し、役者として活動するが、1913年、7代目朝寝坊むらく(後の3代目三遊亭圓馬)門下で小夢、1914年、同門の月亭小文都の尽力で再び文都門下に復帰し、5代目月亭文當を名乗る。師匠の死後は2代目桂文團治(7代目桂文治)の預かり弟子となり、後、再び月亭春松を名乗る。初め三友派に所属、文當を名乗ってからは自ら都三友派を組織したり京都に出向いたりなどした後、浪花落語反対派から花月派(後の吉本興業部)に移り、後年は吉本興業で事務を務めたという。1922年以降の落語家連名表には名前が掲載されていないので、恐らく、その頃には落語を廃業していたと思われる。没年は昭和初期。.

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月亭文都 (2代目)

2代目 月亭 文都(にだいめ つきてい ぶんと、1843年 - 1900年4月25日)は、日本の落語家(上方噺家)。本名: 岡田龜吉。出囃子は『玉川くずし』。.

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明治薬科大学

記載なし。

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春風亭柳枝 (6代目)

6代目春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし、1881年(明治14年)1月 - 1932年(昭和7年)3月1日)は、神奈川県横浜市出身の落語家。本名、松田 幸太郎。俗に「ゴミ六の柳枝」「横浜の柳枝」「桃太郎の柳枝」など。 横浜の消防団の組頭で居留地のごみ清掃を家業とする家の長男に生まれる。「ゴミ六」とは実家の屋号。横浜商業学校(現:横浜市立横浜商業高等学校)卒業後に勤めながら天狗連で一枝を名乗り宴会や端席で一席やったり演芸会を開いたりしていて人気になった。それが高じ3代目柳家小さんの門を叩く。1910年3月にさん枝で初高座。1913年2月に4代目春風亭柳枝(初代春風亭華柳)門下で真打となり3代目春風亭小柳枝を名乗る。3年目の真打で異例のスピード出世だった。1917年8月、師匠柳枝が結成した睦会に加入。 1921年3月、睦会「三柳の改名」 師弟トリプル襲名.

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春雨や雷蔵

4代目春雨や雷蔵(はるさめや らいぞう、1951年1月27日 - )は落語家。東京都葛飾区出身。本名は山田 良平。落語芸術協会所属。出囃子は「本調子かっこ」。 古典落語、5代目古今亭今輔作の新作落語両方演じる。.

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浅草フランス座演芸場東洋館

浅草フランス座演芸場東洋館(あさくさフランスざえんげいじょうとうようかん)は、東京都台東区浅草公園六区に所在する演芸場。東洋館の通称で営業している。東洋興業株式会社経営。かつては長い間ストリップ劇場として営業していた。.

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浅草演芸ホール

浅草演芸ホール(あさくさえんげいホール、英語:ASAKUSA ENGEI HALL)は、東京都台東区浅草の通称「公園六区」と呼ばれる歓楽街の中心に位置する寄席である。都内に4軒ある落語定席の一つで、落語を中心に、漫才、手品などの色物芸が多数執り行われている。東洋興業株式会社が経営している。.

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新作落語

新作落語(しんさくらくご)、創作落語(そうさくらくご)は、日本の話芸のひとつで、古典落語に対して用いられる落語の分類である。現在では主に大正時代以降に創作された落語を指す。 明治期における三遊亭圓朝による「牡丹灯篭」「真景累ヶ淵」やオペラを翻案した「死神」、後に上方に伝わって昭和戦後期に「ぜんざい公社」となる「御膳しるこ」などをその嚆矢とすることができる。.

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日本橋本石町

日本橋本石町(にほんばしほんごくちょう)は、東京都中央区の地名で、旧日本橋区にあたる日本橋地域内である。 現行行政地名は日本橋本石町一丁目から日本橋本石町四丁目。郵便番号は103-0021。.

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曽呂利新左衛門

曽呂利 新左衛門(そろり しんざえもん)は、落語家の名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。.

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1866年

記載なし。

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1875年

記載なし。

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1885年

記載なし。

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1886年

記載なし。

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1887年

記載なし。

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1895年

記載なし。

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1908年

記載なし。

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1917年

記載なし。

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1924年

記載なし。

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1927年

記載なし。

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1938年

記載なし。

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1943年

記載なし。

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1977年

記載なし。

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1978年

記載なし。

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2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。.

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2月6日

2月6日(にがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から37日目に当たり、年末まであと328日(閏年では329日)ある。.

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3月6日

3月6日(さんがつむいか)はグレゴリオ暦で年始から65日目(閏年では66日目)にあたり、年末まであと300日ある。.

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5月1日

5月1日(ごがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から121日目(閏年では122日目)にあたり、年末まであと244日ある。誕生花はプリムラ・ポリアンサ。.

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5月7日

5月7日(ごがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から127日目(閏年では128日目)にあたり、年末まではあと238日ある。誕生花はボタン。.

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