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桂家残月

索引 桂家残月

桂家 残月(かつらや ざんげつ、1874年11月28日 - 1926年6月29日)は、上方噺家・上方講釈師。本名: 小野菊水。 生まれは東京。書籍商、新聞社の小使、弁護士の書生などの職業を転々とした後に講釈師の弟子で2代目錦城斎(錦城齋)一山の門で残月楼(残月樓)菊水、1901年に上方に移り結婚を機に7代目桂文治の身内になり桂家残月を名乗った。大阪では講釈の寄席には出ず落語の席で「改良人情噺」と称し講釈を演じていた。 主なネタが講釈主が多く「藤田伝三郎伝」等を演じた、他にも皇族など皇室関係者の美談を演じ、そうした縁で久邇宮や賀陽宮夫妻の前で演じたこともあり本人は自慢していた。明治末期から大正初期頃に一時活動弁士に転じたがそこでも人気を博し1918年には再度寄席に復帰している。SPレコードも残されている。妻の連れ子は小残月から桂家?残月楼(残月樓)を名乗っている。妻は夫の活躍触発され浮世節で新柳小歌を名乗り寄席の高座に出ていた。.

26 関係: 大阪大正寄席上方噺家上方落語久邇宮弁護士皇室講談賀陽宮SPレコード東京桂家残月楼桂文治 (7代目)活動弁士月亭春松明治新聞書生11月28日1874年1901年1918年1926年6月29日

大阪

大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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寄席

寄席(よせ)とは、日本の都市において講談・落語・浪曲・萬歳(から漫才)・過去に於いての義太夫(特に女義太夫)、などの技芸(演芸)を観客に見せる興行小屋である。.

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上方噺家

上方噺家(かみがたはなしか)とは、上方落語の噺家(落語家)のこと。一般的には「上方落語家」「上方落語の噺家(落語家)」などと称する。 現存する亭号は、桂、笑福亭、林家、月亭、橘家、立花家、露(の)、森乃、(明石家)である。かつては立川、三遊亭もあったが、前者は明治期に、後者は太平洋戦争後に断絶している。 現在では上方落語協会などを設立している。.

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上方落語

上方落語(かみがたらくご)とは、大阪・京都を中心とする地域で主に演じられる落語。.

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久邇宮

久邇宮(くにのみや)は、明治時代前期に伏見宮邦家親王の第4王子・朝彦親王が創立した宮家。.

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弁護士

弁護士(辯護士、べんごし)は、依頼を受けて法律事務を処理することを職務とする専門職である。.

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皇室

皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。.

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講談

講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。 演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。上方講談においては、張り扇と拍子木を併用する。.

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賀陽宮

賀陽宮(かやのみや)は、明治中期に久邇宮朝彦親王の第2王子邦憲王が、父宮がかつて称していた宮号を受け継いで、新しく創設した宮家である。賀陽宮の宮号は、朝彦親王の宮邸の榧(かや)の老木に由来するという。.

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SPレコード

SPレコード(78 rpm disc)は、1948年頃にプラスチックを材料にmicro grooveで溝を刻んだLPレコード(long playing:LP)が登場して以降、それ以前の蓄音機用レコードを “standard playing” と呼んで区別するようになり、これを略した呼び名で、レトロニムである。 すなわち、1887年にエミール・ベルリナーが開発した円盤状の蓄音機用レコードの総称(商標では「グラモフォン」という)といってよく、初期の縦溝レコードや片面レコードなども含まれる。1950年代後半まで生産されその後はLPレコードに完全に移行した。 SPレコードという呼称は日本ではよく通用する言い方だが、国際的には “78s” または “78rpm record” と呼ばれることの方が多い。.

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東京

西新宿東京スカイツリー/レインボーブリッジ渋谷/国会議事堂 東京(とうきょう、)は、日本の関東平野中央部の東京湾に面する都市、あるいは都市圏であり、江戸幕府の所在地・江戸が慶応4年7月(1868年9月)に「東京」に名称変更されたものである。 明治2年3月28日に、日本の都(みやこ)が京都から「東京」に遷された。そして現在の日本の事実上の首都である。 現在の東京は世界都市であり、都市圏として世界最大の人口・経済力を擁している。.

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桂家残月楼

桂家 残月楼(かつらや ざんげつろう、1890年7月30日 - 昭和極初期没)は、落語家・講釈師。本名: 増田繁太郎。亭号ははっきりしていないが桂家と推測される。 母は日本橋の芸者で後に浮世節で新柳小歌を名乗り寄席の高座に出ていた、父は当時人気歌舞伎役者の5代目市川新蔵、義理の父は上方の7代目桂文治の門下の菊水(後の桂家残月)。 母は新蔵早死後に上方で残月と結婚した。 明治30年代末に義理の父の元で昇龍斎?錦水を名乗る。1911年?に2代目桃川如燕(3代目麗々亭柳橋の次男)の門下で如水、桃川燕国を経て1917年、8年頃に再度、父の門下で桂家?小残月と改名し、1921年頃に桂家?残月楼となった。新講談を演じていたようで6代目三遊亭圓生よると『まことにおとなしい人で、講談の修行はちゃんとしたんでしょうけれども、おとっつァンがやっていたように、たって、テーブルも何も置かず、その当時の宮様のお話といったようなものを演りました。(省略)病身で、あまり長生きをしず、昭和の初めごろでしょうか、四十代ぐらいで亡くなりました。』とある。落語芸術協会の顔付は1931年まで確認できるがそれ以降不明。.

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桂文治 (7代目)

7代目 桂 文治(7だいめ かつら ぶんじ、嘉永元年4月15日(1848年5月17日) - 昭和3年(1928年)9月18日)は、大阪の落語家。.

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活動弁士

活動弁士(かつどうべんし)は、活動写真すなわち無声映画(サイレント映画)を上映中に、その内容を語りで表現して解説する専門の職業的解説者。活動写真を弁ずるというところから活動写真弁士(かつどうしゃしんべんし)と呼ばれる。略して活弁(かつべん)とも言うが、俗称である。無声映画期の活動弁士達は活弁と呼ばれることを酷く嫌った。単に弁士(べんし)ということも多い。関東圏では映画説明者、関西圏では映画解説者とも名乗っていた。 今日では活弁士(かつべんし)という呼び名も用いられている。史的には誤用であるが「活弁をする人」という意味を表現する上で分かり易く、今後は広く用いられる可能性が高い。NHKもこの用語を用いている。 いわゆる「ナレーター」の前身職の1つに当たる。.

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代的な本 本(部分) 本(ほん)は、書籍(しょせき)または書物(しょもつ)とも呼ばれ、木、竹、絹布、紙等の軟質な素材に、文字、記号、図画等を筆写、印刷し、糸、糊等で装丁・製本したもの(銭存訓(1990)p.208)。狭義では、複数枚の紙が一方の端を綴じられた状態になっているもの。この状態で紙の片面をページという。本を読む場合はページをめくる事によって次々と情報を得る事が出来る。つまり、狭義の本には巻物は含まれない。端から順を追ってしかみられない巻物を伸ばして蛇腹に折り、任意のページを開ける体裁としたものを折り本といい、折本の背面(文字の書かれていない側)で綴じたものが狭義の「本」といえる。本文が縦書きなら右綴じ、本文が横書きなら左綴じにする。また、1964年のユネスコ総会で採択された国際的基準は、「本とは、表紙はページ数に入れず、本文が少なくとも49ページ以上から成る、印刷された非定期刊行物」と、定義している。5ページ以上49ページ未満は小冊子として分類している。 内容(コンテンツ)的にはほぼ従来の書籍のようなものでも、紙などに文字を書いたり印刷するのではなく、電磁的または光学的に記録・再生されるものやネットワークで流通させるものは、電子書籍という。.

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月亭春松

月亭 春松(つきてい はるまつ)は、上方噺家。『落語系圖』の編者。本名は植松秀一郎。生没年不詳。 明治初期頃の生まれで1892年1月15日、2代目月亭文都門下となり、春松を名乗る。1893年11月には京都板井席の今枝恒吉一座で植松一郎の名で出演を皮切りに、1894年以降、東京や京都で歌舞伎・新派の劇団にも所属し、役者として活動するが、1913年、7代目朝寝坊むらく(後の3代目三遊亭圓馬)門下で小夢、1914年、同門の月亭小文都の尽力で再び文都門下に復帰し、5代目月亭文當を名乗る。師匠の死後は2代目桂文團治(7代目桂文治)の預かり弟子となり、後、再び月亭春松を名乗る。初め三友派に所属、文當を名乗ってからは自ら都三友派を組織したり京都に出向いたりなどした後、浪花落語反対派から花月派(後の吉本興業部)に移り、後年は吉本興業で事務を務めたという。1922年以降の落語家連名表には名前が掲載されていないので、恐らく、その頃には落語を廃業していたと思われる。没年は昭和初期。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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新聞

新聞(しんぶん)は、事件、事故や政治や経済や芸能やスポーツや国際情勢などの動向などのニュースを報じるためのメディアで、記事文章や写真、図面などが紙(新聞紙)に印刷され綴じていないものである。 「ポスト」を名に冠する新聞が存在しているのは、帝国郵便が自前の新聞を発行していたことに由来する。.

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書生

書生(しょせい)とは、勉学を本分とする者。 漢語本来は、勉学をする余裕のある者という意味合いだったが、日本では主として明治・大正期に、他人の家に住み込みで雑用等を任される学生を意味した。.

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11月28日

11月28日(じゅういちがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から332日目(閏年では333日目)にあたり、年末まであと33日ある。.

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1874年

記載なし。

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1901年

20世紀最初の年である。.

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1918年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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6月29日

6月29日(ろくがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から180日目(閏年では181日目)にあたり、年末まであと185日ある。誕生花はアガパンサス、ペラルゴニウム。.

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