ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

格間

索引 格間

パンテオンの格間に覆われた天井(格天井) 格間(ごうま、coffer)とは、建築において天井やヴォールトを覆う正方形、長方形、八角形などの形状のくぼんだパネルを意味する。格間で覆われた天井を格天井(ごうてんじょう)と呼ぶ。格間は天井やヴォールトの装飾であり、caissons(「箱」の意)あるいは lacunaria(「空隙」の意)とも呼ぶ。したがって英語では格天井を lacunar とも呼ぶ。構造の強度は格間の枠部分で保つ。古代ギリシアや古代ローマの石造りの格間も現存する古い例だが、紀元前7世紀のエトルリアのネクロポリスの石室墳でも柔らかいトゥファ状の石を削って直交する梁を再現し、格天井を形成している。木製の格間の初期の例としては、ルネサンス初期のロワール渓谷の城の天井などがある。 格間をどういう形状にするかは平面充填問題の一種であり、イスラム建築やルネサンス建築で様々な実験が行われた。ドームやヴォールトの曲面をより細かい格間で覆うという問題はさらに複雑である。 ドームの重量を軽くするために格間を採用した古代ローマの特筆すべき例としては、パンテオンのドームの天井がある。 中国では、格天井を「藻井」と呼んだ。.

31 関係: 古代ローマ古代ギリシア天井中国平面充填建築ナザレ (ポルトガル)ネクロポリスポルチコポルトガルルネサンスルネサンス建築ロワール渓谷ローマワシントンメトロヴェッキオ宮殿ヴォールトトゥファパンテオン (ローマ)ピサのドゥオモ広場フィレンツェフォンテーヌブロー宮殿ドームアプスエトルリアジュリアーノ・ダ・サンガッロサモトラキ島サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂八角形梁 (建築)新古典主義建築

古代ローマ

古代ローマ(こだいローマ、Roma antiqua)は、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家の総称である。当時の正式な国号は元老院ならびにローマ市民(Senatus Populusque Romanus)であり、共和政成立から使用されて以来滅亡まで体制が変わっても維持された。伝統的には476年のロムルス・アウグストゥルスの退位をもって古代ローマの終焉とするのが一般的であるが、ユスティニアヌス1世によってイタリア本土が再構成される554年までを古代ローマに含める場合もある。ローマ市は、帝国の滅亡後も一都市として存続し、世界帝国ローマの記憶は以後の思想や制度に様々な形で残り、今日まで影響を与えている。.

新しい!!: 格間と古代ローマ · 続きを見る »

古代ギリシア

この項目では、太古から古代ローマに占領される以前までの古代ギリシアを扱う。.

新しい!!: 格間と古代ギリシア · 続きを見る »

天井

天井(てんじょう)とは、部屋など構造物内部の上側の面である。天井仕上材及び天井下地構成材の総称である。.

新しい!!: 格間と天井 · 続きを見る »

中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

新しい!!: 格間と中国 · 続きを見る »

平面充填

平面充填(へいめんじゅうてん)とは、平面内を有限種類の平面図形(タイル)で隙間なく敷き詰める操作である。敷き詰めたタイルからなる平面全体を平面充填形という。 平面敷き詰め、タイル貼り、タイリング (tiling) 、テセレーション (tessellation) ともいう。ただし「平面」を明言しない場合は、曲面充填や、場合によっては2次元以外の空間の充填を含む。広義のテセレーション等については、空間充填を参照。平面充填は広義の空間充填の一種で、2次元ユークリッド空間の充填である。 多面体は多角形による球面充填(曲面充填の一種)と考えることができる。そのため、多角形による平面充填は多面体と共通点が多く、便宜上多面体に含めて論じられることもある。.

新しい!!: 格間と平面充填 · 続きを見る »

建築

建築(けんちく)とは、人間が活動するための空間を内部に持った構造物を、計画、設計、施工そして使用するに至るまでの行為の過程全体、あるいは一部のこと。また、そのような行為によって作られた構造物そのものを指すこともある。後者は建築物とも呼ばれる。.

新しい!!: 格間と建築 · 続きを見る »

ナザレ (ポルトガル)

ナザレ (Nazaré)は、ポルトガルの町、及び基礎自治体。3つの教区を持ち、レイリア県に属す。コスタ・デ・プラタ(銀海岸)に面したポルトガル屈指のリゾート地である。.

新しい!!: 格間とナザレ (ポルトガル) · 続きを見る »

ネクロポリス

ネクロポリス(necropolis, 複数形:necropolises or necropoleis)は、巨大な墓地または埋葬場所である。語源は、ギリシャ語のnekropolis(死者の都)。大都市近郊の現代の共同墓地の他に、古代文明の中心地の近くにあった墓所、しばしば人の住まなくなった都市や町を指す。.

新しい!!: 格間とネクロポリス · 続きを見る »

ポルチコ

ポルチコ(イタリア語:Portico、またはポーチコ、ポルティコ)は、建物の玄関に導く、あるいは柱列として拡がるポーチであり、柱で支えられるか壁で囲まれた歩道上に屋根がある構造である。この概念は古代ギリシアでまず現れ、西洋文化の大半など多くの文化に影響を与えてきた。 ポルチコの特筆すべき例としては、アメリカ合衆国議会議事堂の東ポルチコ、ローマのパンテオンを飾るポルチコ、およびユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのポルチコがある。 イタリアのボローニャがそのポルチコで大変有名である。全体では45 km 以上のアーケードになっており、市内中心部だけでも38 km ある。世界で最長のポルチコは市の端からマドンナ・ディ・サン・ルカ教会までのもので約3.5 km ある。イタリアのトリノではポルチコが18 km にわたって伸びている。 16世紀イタリアの建築家アンドレーア・パッラーディオが宗教建築の寺院正面に使ったことでは先駆者だった。イギリスではハンプシャー州のザ・バインに適用された寺院正面がイギリスのカントリー・ハウスに適用された最初のポルチコだった。 プロナオス(pronaos) はギリシアやローマの神殿のポルチコの内側であり、ポルチコの柱あるいは壁とセラ(cella) すなわち神殿の玄関との間の部分である。ローマの神殿では開放的プロナオスであり、通常柱だけで壁が無く、プロナオスはセラの延長であり得る。プロナオスという言葉はギリシア語で「寺院の前」とい意味である。ラテン語ではanticumあるいはprodomusと呼ばれる。.

新しい!!: 格間とポルチコ · 続きを見る »

ポルトガル

ポルトガル共和国(ポルトガルきょうわこく、República Portuguesa、República Pertuesa)、通称ポルトガルは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置する共和制国家である。北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,214kmに及ぶ。西と南は大西洋に面している。ヨーロッパ大陸部以外にも、大西洋上にアソーレス諸島とマデイラ諸島を領有している。首都はリスボン。 ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家である。ヨーロッパで最初に海路で中国や日本など東アジアとの接触を持った。.

新しい!!: 格間とポルトガル · 続きを見る »

ルネサンス

レオナルド・ダ・ヴィンチによるウィトルウィウス的人体図、科学と芸術の統合 ルネサンス(Renaissance ルネサーンスイギリス英語発音: リネイスンス、アメリカ英語発音: レナサーンス)は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。 日本では長らく文芸復興と訳されており、ルネサンスの時代を「復興期」と呼ぶこともあったが、文芸のみでなく広義に使われるため現在では余り使われない。ルネッサンスとも表記されるが、現在の歴史学、美術史等ではルネサンスという表記が一般的である。.

新しい!!: 格間とルネサンス · 続きを見る »

ルネサンス建築

ルネサンス建築(~けんちく)は、一義的にイタリアのフィレンツェで1420年代に始まり、17世紀初頭まで続いた建築様式を指す。古典古代を理想とするルネサンスの建築における表現といえる。 人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、ローマ建築の構成を古典主義建築として理論づけた。ルネサンス建築にはじまる古典主義建築の系譜は、後のバロック建築・新古典主義建築を通じて継承され、西欧建築の主流であったが、19世紀の歴史主義において相対化し、やがて解体した。 ルネサンス建築は、本質的な意味では15-16世紀のイタリアの一部の都市にのみ成立したといえるが、フランス、イギリス、ドイツなど、西欧諸国の建築活動にも影響を与えた。当初これらの国々では、主にルネサンス建築の表層的な意匠が導入されたため、各国独自の嗜好が表れており、それぞれ特徴を持った建築になっている。.

新しい!!: 格間とルネサンス建築 · 続きを見る »

ロワール渓谷

ワール渓谷(ロワールけいこく)は、フランスのロワール川流域に広がる渓谷。アンボワーズ、アンジェ、ブロワ、オルレアン、トゥールといった歴史上の重要都市が点在し、また何よりも数々の名城が現存していることから「フランスの庭園」の異名を取る。また、かつての宮廷が多く置かれ、典雅なフランス語が発達したことから「フランス語の揺籃地」とも呼ばれる。 2000年にメーヌ川からシュリー=シュル=ロワールまでの渓谷の主要部分がユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」)。なお、これに伴い、1981年に「シャンボールの城と領地」(Chateau and Estate of Chambord) として単独登録されていたシャンボール城は、この物件に包含されることとなった。.

新しい!!: 格間とロワール渓谷 · 続きを見る »

ローマ

ーマ(Roma、Roma)は、イタリアの首都。欧州有数の世界都市であり、ラツィオ州の州都、ローマ県のコムーネの一つで、ローマ県の県都でもある。英語とフランス語の表記は「Rome」。.

新しい!!: 格間とローマ · 続きを見る »

ワシントンメトロ

ワシントン・メトロ路線図(2015年) ワシントンメトロ(Washington Metro)は、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.を中心にメリーランド州とバージニア州に広がる地下鉄・バスを中心とする公共交通ネットワーク。ワシントン首都圏交通局(Washington Metropolitan Area Transit Authority: WMATA)によって所有および運営されている。 1976年の開業以降、計画当初の路線網(83駅・165.5km)は、2001年1月13日の時点で完成し、現在、計5路線、170.5kmの鉄道路線と多数のバス路線をかかえている。2004年の段階で、1億9千万人(1日平均、約52万人)が、ワシントンメトロの地下鉄を利用しており、ニューヨーク市地下鉄に次いで、アメリカ国内で2番目に利用者の多い公共交通ネットワークである。.

新しい!!: 格間とワシントンメトロ · 続きを見る »

ヴェッキオ宮殿

ヴェッキオ宮殿 ライトアップされたヴェッキオ宮殿 ヴェッキオ宮殿(ヴェッキオきゅうでん、Palazzo Vecchio、パラッツォ・ヴェッキオ)は、イタリアのフィレンツェにある宮殿。シニョリーア広場に面している。 1299年から1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設され、初めは、フィレンツェ共和国の政庁舎として使われ、一時、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としていた。1550年から1565年の間に、ジョルジョ・ヴァザーリによって部分的に改築された。現在でも、フィレンツェ市庁舎として使われている。内部は、「フランチェスコ1世の仕事部屋」「500人大広間」「レオ10世の間」「ゆりの間」などの部屋に分かれている。 2007年5月、イタリア文化庁は、レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の壁画「アンギアーリの戦い」が500人大広間にあるヴァザーリの壁画の裏側に隠されていると発表した。.

新しい!!: 格間とヴェッキオ宮殿 · 続きを見る »

ヴォールト

ヴォールト(英語:vault、ラテン語:camera、アラビア語: قبو)とは、アーチを平行に押し出した形状(かまぼこ型)を特徴とする天井様式および建築構造の総称である。日本語では穹窿(きゅうりゅう)と訳される。.

新しい!!: 格間とヴォールト · 続きを見る »

トゥファ

トゥファ(Tufa)は炭酸塩堆積物(石灰岩の一種)で、天水(地表から浸透した水)起源の泉源水や鍾乳洞から湧出した水が沈殿し堆積したもの。これに対し、温泉水から生成したものをトラバーチンという。やや黄色味掛かった白色堆積物であり、脆く多孔質で通常の岩石と比べ軽い。 トゥファを堆積させる泉源水は石灰岩地帯に降った雨水であり、雨水は大気中の二酸化炭素を含み酸性であるため、石灰岩をわずかに溶解する。この水が土壌中を通過する過程で土壌中の二酸化炭素をさらに取り込むため、石灰岩をさらに溶解するため、水の中に大量の炭酸カルシウムを溶解するようになる。このように大量の炭酸カルシウムを溶解した水が洞内から湧き出て大気に触れると(大気二酸化炭素濃度との平衡により)二酸化炭素が失われるため、炭酸塩が沈殿する。このようにして生成されるのがトゥファである。 例えば、山口県の秋芳洞では、トゥファは主に洞口から鍾乳洞内部の約100mの範囲で堆積している。.

新しい!!: 格間とトゥファ · 続きを見る »

パンテオン (ローマ)

パンテオン パンテオン(Pantheon)は、ローマ市内のマルス広場に建造された神殿。元々は、様々なローマ神を奉る万神殿であった。.

新しい!!: 格間とパンテオン (ローマ) · 続きを見る »

ピサのドゥオモ広場

ピサのドゥオモ広場(ピサのドゥオモひろば、Piazza del Duomo)は、イタリアにある世界遺産の物件名である。.

新しい!!: 格間とピサのドゥオモ広場 · 続きを見る »

フィレンツェ

フィレンツェ(Firenze)は、イタリア共和国中部にある都市で、その周辺地域を含む人口約36万人の基礎自治体(コムーネ)。トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県都である。 中世には毛織物業と金融業で栄え、フィレンツェ共和国としてトスカーナの大部分を支配した。メディチ家による統治の下、15世紀のフィレンツェはルネサンスの文化的な中心地となった。 市街中心部は「フィレンツェ歴史地区」としてユネスコの世界遺産に登録されている。1986年には欧州文化首都に選ばれた。.

新しい!!: 格間とフィレンツェ · 続きを見る »

フォンテーヌブロー宮殿

フォンテーヌブロー宮殿(仏:Palais de Fontainebleau)はセーヌ=エ=マルヌ県に在する、フランスで最も大きな宮殿。フォンテーヌブロー城(城館) (Château de Fontainebleau) とも呼ばれる。「フォンテーヌブロー」は「フォンテンブロー」とも表記する。宮殿の現在の姿は多くのフランス王による築城の結実であり、基本的な建築構造はフランソワ1世による。建物は中庭を囲むように広がり、フォンテーヌブローの街がかつての王の狩猟場(フォンテーヌブローの森)跡を取り囲むように発展している。.

新しい!!: 格間とフォンテーヌブロー宮殿 · 続きを見る »

ドーム

ドーム ドーム(dome)あるいは丸屋根(まるやね)は、建築における屋根の形式のひとつで、半球形をした屋根のことである。.

新しい!!: 格間とドーム · 続きを見る »

アプス

3つのアプスを持つ、救世主修道院大聖堂(16世紀初頭建造、ヤロスラヴリ) フレスコ画の描かれたアプス内観 アプス、またはラテン語で 、または後陣は、壁面に穿たれた半円形、または多角形に窪んだ部分である。 ローマ建築に起源を持ち、宗教建築・世俗建築の双方において見られる。.

新しい!!: 格間とアプス · 続きを見る »

エトルリア

トルリア(Etruria)は、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群。ギリシア語ではテュッレーニア。 各都市国家は宗教・言語などの面で共通点があり、統一国家を形成することはなかったものの、12都市連盟と呼ばれるゆるやかな連合を形成し、祭祀・軍事で協力することもあった。 古代ギリシアとは異なる独自の文化をもっていた。当時としては高い建築技術をもち、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされた。王政ローマの7人の王の最後の3人はエトルリア系である。 鉄を輸出し古代ギリシアの国家と貿易を行っていた。 夫婦と思われる男女の横たわる石像が残っており、男女平等の考えをもつ稀な民族だった。.

新しい!!: 格間とエトルリア · 続きを見る »

ジュリアーノ・ダ・サンガッロ

ュリアーノ・ダ・サンガッロ(Giuliano da Sangallo、1445年 - 1516年10月20日)は、初期ルネサンスのイタリアの建築家、彫刻家、および造兵技師。革新的な建築家ではなかったが、初期から盛期に至るルネサンスのデザインを継承した。.

新しい!!: 格間とジュリアーノ・ダ・サンガッロ · 続きを見る »

サモトラキ島

モトラキの紋章 サモトラキの港 サモトラキ島(Σαμοθράκη / Samothráki; Samothrace)は、エーゲ海北東部に位置するギリシャ領の島。行政上は東マケドニア=トラキア地方エヴロス県に含まれ、ギリシャ領トラキアの南端にあたる。サモトラケ島とも呼ばれ、「サモトラケのニケ」像の発掘地として知られる。.

新しい!!: 格間とサモトラキ島 · 続きを見る »

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

ンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(“Basilica di Santa Maria Maggiore”)はイタリア、ローマにあるカトリック教会の聖堂。「偉大なる聖母マリアにささげられた聖堂」の意で、教皇が建築させたローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられる。四大バシリカとはこのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)である。さらにサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖ラウレンティウス大聖堂)を加えて五大バジリカと呼ぶこともある。.

新しい!!: 格間とサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 · 続きを見る »

八角形

八角形(はちかくけい、はちかっけい、はっかくけい、はっかっけい、英:octagon)とは、8個の頂点と8本の辺で構成される多角形の総称。.

新しい!!: 格間と八角形 · 続きを見る »

梁 (建築)

彦根城の梁 明治時代の町屋「吉島家」(岐阜県高山市)の梁 梁(はり、りょう)とは建物の水平短径方向に架けられ、床や屋根などの荷重を柱に伝える材のことであり、主に曲げ応力を担う。 梁はおもに鉛直荷重を伝えるが、地震などに際しては水平方向の荷重を支えることにもなる。 梁にかけられた荷重は、柱・壁・大梁に伝えられる。梁の端部に柱があるものを大梁、柱に直接繋がっていないものを小梁とよぶ。W造・S造・SRC造と算定方法は異なる。 梁の特性は、断面形状・長さ・材料によって決定される。現代の建築においては、梁はおもに鉄骨・鉄筋コンクリート・木材で造られる。鉄骨製の梁部材に広く使われるのは、幅の広いフランジを持ったH形鋼であり、橋梁にも用いられる。その他にも、溝型鋼、山型鋼、パイプなどの型鋼が梁に用いられている。.

新しい!!: 格間と梁 (建築) · 続きを見る »

新古典主義建築

新古典主義建築(しんこてんしゅぎけんちく、Neoclassical Architecture)は、18世紀後期に、啓蒙思想や革命精神を背景として、フランスで興った建築様式。ロココ芸術の過剰な装飾性や軽薄さに対する反動として荘厳さや崇高美を備えた建築が模索されたが、やがて19世紀の歴史主義、様式濫用の中に埋没した。 パンテオン たんなる古代の復興にとどまらず、当時の政治情況とも関連していた。ルイ15世の時代を中心に展開したロココ様式の官能性や通俗性に対し、論理的で厳粛な、啓蒙的性格をもつ様式におきかえようとする動きが広がっていった。その後、革命運動をへてフランスとアメリカに共和国が樹立されると、古代ギリシャや共和政時代の古代ローマ民主主義との結び付きから、新政府の指導者たちは公式の美術として新古典主義を採用した。しかしナポレオンがフランスで権力の座につくと、この様式はナポレオンの宣伝効果をあげるためのものに変質する。またロマン主義の台頭にともない、個人的な表現に対する好みが固定的な理想的価値観にもとづく美術にとってかわることになった。 新古典主義という名称は、その格式ばった様式に対する蔑称として19世紀に考案された呼び方である。また、ナチスやファシスト党において、国家的モニュメントに新古典主義が採用されたため、その歴史的意義について否定的な見方をされることもある。 しかし、18世紀にこの様式が勃興した当初は「真の様式」と呼ばれ、古代または始源に存在したとされる真理を再生・復興することを目的とした画期的な建築運動であった。美を具現する唯一の様式としてイギリス、ドイツ諸国に波及したという意味で一種の普遍性があり、その建築思想はモダニズム建築にも受け継がれている。.

新しい!!: 格間と新古典主義建築 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »