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柳家三語楼

索引 柳家三語楼

柳家 三語楼(やなぎや さんごろう)は、落語家の名跡。柳派に属する。 初代より以前に、1903年7月、三遊亭花圓遊(本名:佐々木 安太郎)が3代目柳家小さん門下で「柳家三語楼」を名乗ったという記録があるが、代数にはカウントされていない。.

84 関係: 古今亭志ん好古今亭志ん生 (5代目)古今亭志ん朝古今亭甚語楼 (2代目)古典落語名跡天狗連寝床小林十市岩倉高等学校三味線三遊亭圓生 (5代目)三遊亭圓生 (6代目)三遊亭圓遊三遊亭花圓遊平凡社幇間俳優セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ出囃子国立演芸場締め込み (落語)落語協会落語家談洲楼燕枝 (2代目)金原亭馬生英語陸軍記念日SPレコード柳家小さん (3代目)柳家小さん (5代目)柳家小さん (6代目)柳家三好柳家三亀坊柳家三亀松柳家花緑柳家菊語楼柳家金語楼柳家東三楼柳家権太楼 (初代)柳派林家三平 (2代目)林家三平 (初代)林家正蔵 (9代目)東京都板橋区桂春団治 (初代)横浜横浜市...橘家圓喬 (4代目)漫談新作落語12月15日1875年1898年1901年1903年1910年1912年1913年1916年1921年1922年1924年1927年1930年1932年1938年1946年1975年1976年1999年2002年2006年2010年2014年3月10日6月21日6月29日7月8月17日9月9月11日 インデックスを展開 (34 もっと) »

古今亭志ん好

古今亭 志ん好(ここんてい しんこう)は、落語の名跡。当代は5代目。.

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古今亭志ん生 (5代目)

5代目古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、1890年〈明治23年〉6月5日 - 1973年〈昭和48年〉9月21日)は、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家。本名、美濃部 孝蔵(みのべ こうぞう)。生前は落語協会所属。出囃子は「一丁入り」。戦後の東京落語界を代表する落語家の一人と称される。 長男は10代目金原亭馬生(初代古今亭志ん朝)、次男は3代目古今亭志ん朝。孫に女優の池波志乃(10代目馬生の娘)。俳優の中尾彬は池波の夫で、義理の孫に当たる。.

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古今亭志ん朝

古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう)は、東京の落語家の名跡。3代目の死去に伴い、現在は空席。5代目古今亭志ん生門下より生まれた名前であり、これまで名乗った3人は全員5代目志ん生を師匠に持っていた(初代と3代目は実子)。.

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古今亭甚語楼 (2代目)

2代目古今亭 甚語楼(ここんてい じんごろう、1903年4月12日 - 1971年1月14日)は、落語家。本名、田中 秀吉。出囃子は『新曲 浦島』。.

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古典落語

古典落語(こてんらくご)とは、落語の演目のうち、一般に江戸時代から明治時代・大正時代にかけて作られたものを指すことが多いCD付 落語入門(2008)p.74。それよりも新しい時代に作られた演目は、「新作落語」と呼んで区別される。なお、「創作落語」は関西の落語家たちによる造語である。.

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名跡

名跡(みょうせき)は、家制度と密接に結びつき、代々継承される個人名。もしくは家名。「めいせき」と発音するのは誤り。.

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天狗連

天狗連(てんぐれん)はアマチュアの芸人達のことをいう。素人連ともいう。趣味が嵩じて自らも舞台に上がるようになった素人衆をさす。特に、素人同士でグループを結成した場合、そのグループを指す。.

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寝床

寝床(ねどこ)は落語の演目の一つ。原話は、安永4年(1775年)に出版された笑話本「和漢咄会」の一遍である『日待』。 元々は『寝床浄瑠璃』という上方落語の演目で、明治中期に東京へ移入された。 主な演者には、8代目桂文楽や5代目古今亭志ん生、3代目古今亭志ん朝、2代目古今亭圓菊、6代目三遊亭圓生、8代目橘家圓蔵などがいる。.

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小林十市

小林 十市(こばやし じゅういち、本名:小林 十一(読み同じ)、1969年3月11日 - )は、元バレエダンサーであり振付家。近年では俳優としても舞台などで活動している。キョードーファクトリー所属。.

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岩倉高等学校

岩倉高等学校(いわくらこうとうがっこう)は、東京都台東区上野七丁目にある私立高等学校。設置者は学校法人明昭学園。上野駅入谷口の目の前に位置し、運輸科・普通科を置く。かつては機械科と商業科も置いていた。鉄道の各コースに関しては、全国でも数少ない鉄道関係の教育を行う日本最古の鉄道学校であり、卒業生は半数以上の生徒が鉄道業界へ進んでいる。また、過去に野球部が甲子園へ数回出場したことがある。 「岩倉」の校名は、鉄道創設に貢献した明治時代の政治家・岩倉具視に因んだものである。学校の校章は岩倉家の家紋「笹竜胆」と鉄道の「レール」を組み合わせたデザインである。.

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三味線

三味線(しゃみせん)は、日本の有棹弦楽器。もっぱら弾(はじ)いて演奏される撥弦楽器である。四角状の扁平な木製の胴の両面に猫や犬の皮を張り、胴を貫通して伸びる棹に張られた弦を、通常、銀杏形の撥(ばち)で弾き演奏する。.

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三遊亭圓生 (5代目)

5代目三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1884年(明治17年)10月 - 1940年(昭和15年)1月23日)は、東京の落語家。本名、村田源治。通称「デブの圓生」。(約85キロもある巨体であったため)。弟は5代目三遊亭圓窓。6代目三遊亭圓生は義理の息子(妻の連れ子)。また一時兵役逃れで4代目三遊亭圓生門下の三遊亭桃生(堀江元次郎)の養子になっていたことがある。.

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三遊亭圓生 (6代目)

6代目三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1900年〈明治33年〉9月3日 - 1979年〈昭和54年〉9月3日)は、大阪市西区出身で東京の落語家、舞台俳優。本名、山﨑 松尾(「﨑」は右上が「大」ではなく「立」)。東京の新宿に長年住み、当時の地名から「柏木(の師匠)」とも呼ばれた。昭和の落語界を代表する名人の一人と称される。出囃子は『つくま祭』、のち『正札付』。 5代目三遊亭圓生は継父、5代目三遊亭圓窓は義理の叔父にあたる。また、橘家圓晃(本名:柴田啓三郎)は異父弟。.

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三遊亭圓遊

三遊亭 圓遊(さんゆうてい えんゆう)は落語家の名跡である。三遊派の系統から生まれた名である。当代は5代目。 初代とされている圓遊は本来は3代目である。過去2人の圓遊は売れなかった訳ではなく、きちんと名を残した落語家が名乗っているのだがこの「3代目」圓遊が珍芸「ステテコ」で大人気を博し、あまりにも売れたためこのステテコの圓遊が初代ということで完全に定着した。.

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三遊亭花圓遊

三遊亭 花圓遊(さんゆうてい かえんゆう、安政3年5月(1856年6月ないし7月) - 没年月日不詳・大正中期)は、落語家。本名は佐々木安太郎。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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幇間

幇間(ほうかん、たいこ)は、宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる職業。歴史的には男性の職業である。.

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俳優

俳優(はいゆう、actor)は、演劇、映画等において、その人物に扮して台詞、身振り、表情などで演じる人のこと。またその職業。役者(やくしゃ)とも呼ばれる。.

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セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ

ント・ジョセフ・カレッジ(Saint Joseph College)は、かつて神奈川県横浜市に存在したインターナショナルスクールである。1980年代に、学校名がセント・ジョセフ・カレッジ(Saint Joseph College)からセント・ジョセフ・インターナショナル・スクール(Saint Joseph International School)へ改名された。明治時代に設立され、2000年(平成12年)に廃校となった。.

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出囃子

出囃子(でばやし).

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国立演芸場

国立演芸場(こくりつえんげいじょう、英語:National Engei Hall)は、東京都千代田区隼町の国立劇場の一部として1979年(昭和54年)に開場した国立の演芸場。独立行政法人日本芸術文化振興会が運営している。.

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紋.

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締め込み (落語)

締め込み(しめこみ)は、古典落語の演目のひとつ。同演題では、東京落語で広く演じられる。この項では、上方落語の盗人の仲裁(ぬすとのちゅうさい)についても記述する。.

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落語協会

一般社団法人落語協会(いっぱんしゃだんほうじん らくごきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する一般社団法人。2014年6月から四代目柳亭市馬が会長を務める。日本芸能実演家団体協議会(芸団協)演芸部門 正会員。.

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落語家

落語家(らくごか)は、落語を演じることを職業とする人。戦前は、寄席がおもな活動の拠点で、グループを組んで地方公演も行っていたが、戦後はその話術を生かしテレビやラジオの司会業、パーソナリティなどを行うことも多かった。話家・噺家・咄家(はなしか)は、「落語家」の古い表現である。 落語家の演ずる噺は大別して二種類ある。.

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談洲楼燕枝 (2代目)

2代目談洲楼 燕枝(だんしゅうろう えんし、明治2年2月25日(1869年3月18日) - 昭和10年(1935年)7月6日)は江戸の落語家。本名は町田 銀次郎。 芝仲門前の法衣屋嶋屋久兵衛の子で生家が没落し上州前橋の親戚の家に預けられる。その前橋へ、前から知っていた噺家、遊雀と左遊の二人が興行にやって来た。仕事もなく遊んでいた銀治郎、根が好きな道だけに、誘われたことを良い口実に燕雀などと勝手に名乗っていた、のちに初代快楽亭ブラックの一座で快楽(またはシュラク)を名乗り地方廻りをする、東京に戻ったのちに2代目禽語楼小さんの門で柳家小山三、さらに師匠小さんが柳家禽語楼を名乗り、弟子の初代柳家小三治が3代目柳家小さん襲名して小三治が空いたため、2代目小三治を名乗った。その後1897年に小燕枝、1901年2月に初代燕枝の一周忌に柳亭燕枝を襲名し、1904年12月に亭号を談洲楼と改め、2代目談洲楼燕枝となった。 人情噺を得意とした。落語は面白くなかったが聞く人が聞けばまことに結構な芸だったという。 下谷西町に住んでいたことから「西町の御前」と呼ばれた。 1934年3月11日に「雪の杖 道問う人に 譲りけり」と引退の句を残し日本橋俱楽部で引退興行を行なった。その後は下谷同朋町に芸者屋のご隠居の身になり隠居した。丹毒症で亡くなった。 実の長男が歌舞伎役者の2代目中村歌門といい、その妹が前進座創立者3代目中村翫右衛門の妻。 弟子には5代目(3代目とも)春風亭柳好、6代目林家正蔵、4代目三升家勝次郎、3代目瀧川鯉かん、入船米蔵(板橋啓次郎)、3代目柳亭燕枝、漫才に転向したリーガル千太らがいる。.

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金原亭馬生

金原亭 馬生(きんげんてい ばしょう)は、落語家の名跡。当代は11代目。 名跡の由来は、野馬の生産地として有名な金原(こがねはら:小金原とも書き下総中野牧の一部)で馬が生まれるという意味の地口である。 初代馬生を祖とする一門は馬派(うまは)と呼ばれた。馬派に属していた落語家は、蝶花楼馬楽や鈴々舎馬風の様に、馬の字は使っても亭号は独自のものを使用していた者が多い(但し、馬楽・馬風の名跡は後に柳派の流れを汲む落語家に継承される様になった)。 大正時代、東京で同時期に「馬生」が2人存在したことがある。5代目が大阪に移住していた間に6代目が誕生し、その後5代目が帰京したため、この様な事態が生じた。寄席ではめくりの色を変えて峻別した。めくりは通常は黒字で書くが、5代目の馬生は赤字で(赤馬生)、6代目の馬生は黒字で(黒馬生)書き表した。この2人馬生時代は、6代目馬生が4代目古今亭志ん生を襲名するまで続いた。.

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英語

アメリカ英語とイギリス英語は特徴がある 英語(えいご、)は、イ・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、イギリス・イングランド地方を発祥とする言語である。.

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陸軍記念日

軍記念日(りくぐんきねんび)とは、一般に陸軍の勝戦を祝う記念日である。.

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SPレコード

SPレコード(78 rpm disc)は、1948年頃にプラスチックを材料にmicro grooveで溝を刻んだLPレコード(long playing:LP)が登場して以降、それ以前の蓄音機用レコードを “standard playing” と呼んで区別するようになり、これを略した呼び名で、レトロニムである。 すなわち、1887年にエミール・ベルリナーが開発した円盤状の蓄音機用レコードの総称(商標では「グラモフォン」という)といってよく、初期の縦溝レコードや片面レコードなども含まれる。1950年代後半まで生産されその後はLPレコードに完全に移行した。 SPレコードという呼称は日本ではよく通用する言い方だが、国際的には “78s” または “78rpm record” と呼ばれることの方が多い。.

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柳家小さん (3代目)

3代目柳家 小さん(やなぎや こさん、1857年9月20日 - 1930年11月29日)は落語家。本名は豊島銀之助。生家は一橋家家臣の家である。.

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柳家小さん (5代目)

5代目柳家 小さん(やなぎや こさん、1915年1月2日 - 2002年5月16日)は、長野県長野市出身の落語家、剣道家。本名、小林 盛夫(こばやし もりお、4代目桂三木助の本名と同姓同名)。出囃子は『序の舞』。1995年、落語家として初の人間国宝に認定された。剣道の段位は範士七段。 息子は落語家の6代目柳家小さん。娘は元タレントの小林喜美子。孫は元バレエダンサーで俳優の小林十市と、その弟で落語家の柳家花緑(二人の母が喜美子)。.

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柳家小さん (6代目)

6代目柳家 小さん(ろくだいめ やなぎや こさん、本名:小堀 義弘(こほり よしひろ、旧姓:小林)、1947年7月21日 - )は、東京都出身の落語家。落語協会所属、同協会常任理事。出囃子は「楠公」。愛称はよっちゃん。.

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柳家三好

柳家 三好(やなぎや さんこう)は、落語家の名。過去に三遊亭三好を含めると4人確認されている。.

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柳家三亀坊

柳家 三亀坊(やなぎや みきぼう、1900年6月11日 - 1982年5月9日)は、立体紙芝居芸人、ヴァイオリン漫談家。本名・大橋璋。.

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柳家三亀松

初代柳家 三亀松(しょだい やなぎや みきまつ、1901年9月1日 - 1968年1月20日)は都々逸、三味線漫談家、粋談。本名・伊藤亀太郎(いとう かめたろう)。出囃子は『佃』。1962年設立の東京演芸協会会長。当時住んでいた住所から「池之端の師匠」と呼ばれた。戦前は主に吉本興業(東京吉本)所属。弟の隆啓は映画俳優だったが若くして戦争で亡くなっている。.

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柳家花緑

柳家 花緑(やなぎや かろく、本名:小林 九(こばやし きゅう/以前は鳩と使っていた時期もあるが戸籍は九)、1971年8月2日 - )は、社団法人落語協会所属の落語家(真打)。東京都豊島区生まれ。出囃子は「お兼ざらし」。5代目柳家小さんは母方の祖父に当たる。兄は振付家(元バレエダンサー)小林十市。叔父は6代目柳家小さん。父は画家、俳優、声優、歌手の和田恵秀。母は元タレントの小林喜美子。血液型A型。Me&Herコーポレーション所属。.

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柳家菊語楼

柳家 菊語楼(やなぎや きくごろう)は、東京の落語家の名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。.

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柳家金語楼

初代柳家 金語楼(やなぎや きんごろう 1901年2月28日 - 1972年10月22日)は、喜劇俳優、落語家、落語作家・脚本家(筆名・有崎勉)、発明家、陶芸家。本名・山下敬太郎(やました けいたろう)。落語家時代の出囃子は『琉球節』。禿頭を売り物にし、エノケン・ロッパと並ぶ三大喜劇人として知られた。戦前は主に吉本興業(東京吉本)に所属し、戦後は自ら「金星プロ」を立ち上げた。旧字体による芸名表記は柳家金語樓。.

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柳家東三楼

柳家 東三楼(やなぎや とうざぶろう)は、落語家の名跡。 2014年3月に3代目柳家権太楼(梅原健治)門下の柳家小権太が真打昇進と同時に3代目として襲名。.

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柳家権太楼 (初代)

初代柳家 権太楼(やなぎや ごんたろう、1897年(明治30年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月8日)は、日本の落語家。本名、北村 市兵衛。.

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柳派

柳派(やなぎは)は、江戸(東京)落語の一派のことである。.

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林家三平 (2代目)

2代目林家 三平(はやしや さんぺい、本名:海老名 泰助(えびな たいすけ)、1970年12月11日 - )は、日本の落語家、タレント。出囃子は『祭りばやし』。二代 林家三平と表記されることもある。前名は林家いっ平。 落語協会真打。かつてはタレントとしてホリプロにも所属していた。ねぎし三平堂堂長。英語が得意であり、中国語も話せる。 2016年5月より笑点の大喜利メンバーとなる。左利き。.

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林家三平 (初代)

初代林家 三平(はやしや さんぺい、本名:海老名 泰一郎(えびな やすいちろう。旧名:栄三郎(えいざぶろう))、1925年11月30日 - 1980年9月20日)は、落語家。社団法人落語協会理事。 東京市下谷区(現在の東京都台東区)根岸出身。旧制明治中学卒業、明治大学商学部入学。通称は「根岸」。出囃子は『祭囃子』。.

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林家正蔵 (9代目)

林家三平一門の定紋で九代目正蔵の定紋でもある。 9代目林家 正蔵(はやしや しょうぞう、本名:海老名 泰孝〈えびな やすたか〉、1962年12月1日 - )は、東京都台東区根岸出身の落語家(落語協会副会長)、タレント、声優、司会者、大学教員。 血液型A型。東京都立竹台高等学校卒業「時代を駆ける:林家正蔵:SHOZO HAYASHIYA(1)」 『毎日新聞』 2009年10月19日、13版、5面。。出囃子は『あやめ浴衣』。前名は林家こぶ平。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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板橋区

板橋区(いたばしく)は、東京都の特別区のひとつ。旧武蔵国豊嶋郡。 郵便番号(上3桁)は、173・174・175。.

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桂春団治 (初代)

初代 桂 春団治(しょだい かつら はるだんじ、1878年8月4日 - 1934年10月6日)は、上方落語の落語家。 従来の古典落語にナンセンスなギャグを取り入れた大胆な改作をはかり、天才的かつ巧みな話術で、爆笑王として人気を集め、戦前の上方落語界のスーパースター的存在となった。当時の先端技術でもあったレコードに落語を吹き込んだ。「奇行」とも評された奔放な私生活がのちに伝説化し、脚色が加えられ、小説、演劇、歌謡曲などの題材となった(後述)。 本名は皮田 藤吉(かわだ とうきち)。最後の妻・岩井志う(いわい じゅう)との結婚では春団治が婿入りという形をとったため、以後、本名は岩井 藤吉(いわい とうきち)と変わった。.

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横浜

横浜、橫濱(よこはま).

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横浜市

横浜市(よこはまし)は、関東地方南部、神奈川県の東部に位置する都市で、同県の県庁所在地。政令指定都市の一つであり、18区の行政区を持つ。現在の総人口は日本の市町村では最も多く、四国地方に匹敵するおおよそ373万人であり1府37県の人口を上回る。人口集中地区人口も東京23区(東京特別区)に次ぐ。神奈川県内の市町村では、面積が最も広い。市域の過半は旧武蔵国で、南西部は旧相模国(戸塚区、泉区、栄区の全域と瀬谷区、港南区の一部)。 幕末以降(詳しくは後述)から外国資本が積極的に当地に進出。そのため近代日本において有数の外資獲得力を誇った。関東大震災後は政府による積極的な振興政策により、京浜工業地帯の中核都市となった。.

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橘家圓喬 (4代目)

4代目橘家 圓喬(たちばなや えんきょう、慶応元年11月9日(1865年12月26日) - 大正元年(1912年)11月22日)は、東京出身の落語家。本名:柴田清五郎。(元は桑原で養子になり柴田になったと思われる。) 1865年11月9日本所柳原の生まれ、父は政府の御家人。近所に義理の姉婿であった4代目橘家圓太郎(「ラッパの圓太郎」)が住んでおり、叔父が三遊亭圓朝の贔屓客だった関係で幼いころから寄席の楽屋に出入りするようになり、1872年に7歳で三遊亭圓朝門下に入門し三遊亭朝太を名乗る。1878年に二つ目昇進し、2代目三遊亭圓好に改名。このころから4代目三遊亭圓橘の助言で素噺に転向も周囲の評判が悪く廃業し1882年には東京を離れ焼き物師を志すために京都を目指したが途中に立花家橘之助の一座に出会い帯同、3年間上方で修行、1885年に兵役検査で東京に戻り4代目三遊亭?圓喬となり1887年ころには改めて4代目橘家圓喬を襲名し、日本橋瀬戸物町の伊勢本で真打昇進披露。1903年には「第一次落語研究会」発足に参加。1912年11月16日新宿末廣亭での最後の高座。その6日後、宿痾の肺病のため死去。日本橋住吉町の玄冶店に住んでいたので「住吉町の師匠」や「住吉町さん」や「玄冶店の師匠」などで呼ばれた。圓朝門下の逸材で師の名跡を継ぐ話もあったが、狷介な性格が災いして立ち消えになった。 気に入らない者には、わざとその前の高座に上がって噺をみっちりやって次に出た者を困らせ、それを楽屋で聞いて冷笑していたり、4代目橘家圓蔵が高座に上がっている時、楽屋で「何でげす。品川のはア。ありゃ噺(はなし)じゃありやせんな。おしゃべりでげす。」と聞こえよがしに悪口を言うなど、仲間うちから嫌われていた。 だが、芸に対しては真剣であり、前座や若手相手に熱心に噺の指導をして自分の出番を忘れたり、5代目三遊亭圓生が前座のころ、圓喬に噺の間違いを指摘したらいきなり正座して「ありがとうございました。」と一礼したという。また初代三遊亭右女助(後の4代目古今亭今輔)が大阪からきたばかりで、馴染みがなく困っていたところを、圓喬は右女助の高座の前で引っ込む際に「さて次に上がりまする右女助は大阪から来たばかりなので、よろしくおひきたてのほどをお願い申し上げます。」との口上を毎晩言って助けるなど人情味の厚い一面もあった。 墓所は豊島区法明寺。辞世の句は『筆持って月と話すや冬の宵』。 「鰍沢」「三軒長屋」「牡丹灯籠」「柳の馬場」「真景累ヶ淵」「たらちね」「安中草三郎」などを得意とする。後世に大きな影響を与えた名人であり、「魚売人」「二人癖」など20種類ほどのSPレコードを遺している。 弟子に2代目蜃気楼龍玉、橘家小圓喬(立岩栄吉、4代目三遊亭圓生の実子)、4代目三遊亭圓好(中田音吉)、3代目三遊亭金朝、橘家林喬(林林蔵)、橘家喬之助(畑中ます、「チンクシャ」の喬之助)、橘家岩喬(瀬川栄助、後の3代目柳亭左龍)、橘家東喬(小林捨吉、後の9代目金原亭馬生)、橘家喬雀(小林兼次郎、後の三遊亭遊朝)、橘家喬雀(郷嘉七)、橘家喬生(中田徳太郎、後の朝寝坊志らく、初代三遊亭圓之助の実子)、橘家喬太(山内正次郎、後の三遊亭圓丈)、橘家三木助(上方の桂仁左衛門門下から東京に出て2代目桂三木助)、橘家右圓喬(後の初代柳家三語楼)、橘家喬松(後の9代目土橋亭里う馬)などがいた。.

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漫談

漫談(まんだん)とは、初代大辻司郎が命名したとされる、大正ごろに創設された演芸である。元来は音声付き映画(トーキー)が主流となったため失業した無声映画(活動写真)の活動弁士が、巧みな話術を生かして寄席の高座等に出演したのを発端とする。.

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新作落語

新作落語(しんさくらくご)、創作落語(そうさくらくご)は、日本の話芸のひとつで、古典落語に対して用いられる落語の分類である。現在では主に大正時代以降に創作された落語を指す。 明治期における三遊亭圓朝による「牡丹灯篭」「真景累ヶ淵」やオペラを翻案した「死神」、後に上方に伝わって昭和戦後期に「ぜんざい公社」となる「御膳しるこ」などをその嚆矢とすることができる。.

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12月15日

12月15日(じゅうにがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から349日目(閏年では350日目)にあたり、年末まであと16日ある。.

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1875年

記載なし。

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1898年

記載なし。

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1901年

20世紀最初の年である。.

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1903年

記載なし。

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1910年

記載なし。

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1912年

記載なし。

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1913年

記載なし。

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1916年

記載なし。

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1921年

記載なし。

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1922年

記載なし。

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1924年

記載なし。

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1927年

記載なし。

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1930年

記載なし。

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1932年

記載なし。

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1938年

記載なし。

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1946年

記載なし。

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1975年

記載なし。

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1976年

記載なし。

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1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

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2002年

この項目では、国際的な視点に基づいた2002年について記載する。.

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2006年

この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.

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2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

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2014年

この項目では、国際的な視点に基づいた2014年について記載する。.

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3月10日

3月10日(さんがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から69日目(閏年では70日目)にあたり、年末まであと296日ある。.

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6月21日

6月21日(ろくがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から172日目(閏年では173日目)にあたり、年末まであと193日ある。誕生花はツキミソウ、マツヨイグサ、サツキ、ウマゴヤシなどがある。.

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6月29日

6月29日(ろくがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から180日目(閏年では181日目)にあたり、年末まであと185日ある。誕生花はアガパンサス、ペラルゴニウム。.

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7月

7月(しちがつ)はグレゴリオ暦で年の第7の月に当たり、31日ある。 日本では、旧暦7月を文月(ふづき、ふみづき)と呼び、現在では新暦7月の別名としても用いる。文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものである。そこで、稲の穂が含む月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるとする説もある。また、「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」の別名もある。 英語での月名 July は、ユリウス暦を創った共和政ローマ末期の政治家、ユリウス・カエサル(Julius Caesar)からとられた。カエサルは紀元前45年にユリウス暦を採用するのと同時に、7月の名称を「5番目の月」を意味する "Quintilis" から自分の家門名に変更した。なお、8月の英名 August はアウグストゥスにちなんでいる(ギリシャ語で Αύγουστος は8月を表す)。詳細は8月を参照。.

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8月17日

8月17日(はちがつじゅうななにち、はちがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から229日目(閏年では230日目)にあたり、年末まであと136日ある。.

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9月

9月(くがつ)はグレゴリオ暦で年の第9の月にあたり、30日ある。 日本では、旧暦9月を長月(ながつき)と呼び、現在では新暦9月の別名としても用いる。長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力である。他に、「稲刈月(いねかりづき)」が「ねかづき」となり「ながつき」となったという説、「稲熟月(いねあがりづき)」が略されたものという説がある。また、「寝覚月(ねざめつき)」の別名もある。 9月はその年の12月と同じ曜日で始まるのと同じである。 英語での月名 September は、ラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第7の」という意味の「septem」の語に由来しているのに不一致が生じているのは、紀元前153年に、それまで3月を年の始めとしていた慣例を1月に変更したにもかかわらず、名称を変えなかった為であり、7月と8月にローマ皇帝の名が入ってずれたというのは俗説である。これは7月がガイウス・ユリウス・カエサルによって「Julius」に改める以前は「Quintilis」といい、これがラテン語で「第5の」という意味の「quintus」の語に由来していて、既にずれが発生していたことからもわかる。 日本の学校年度や会計年度は大半が4月始まりであるが、世界に目を向けると9月を採用している国が多い。(アメリカ合衆国、カナダ、ヨーロッパ、中華人民共和国など).

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9月11日

9月11日(くがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から254日目(閏年では255日目)にあたり、年末まであと111日ある。.

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