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松江藩

索引 松江藩

藩庁松江城 松江藩(まつえはん)は、出雲1国または隠岐国を加えた2国を領有した藩。藩庁は松江城(島根県松江市殿町)。藩主は外様大名の堀尾氏、京極氏と続き、親藩の越前系松平氏が廃藩置県まで支配した。.

159 関係: 城主大名城下町たたら製鉄参勤交代吉川広家堀尾吉晴堀尾忠氏堀尾忠晴大原郡大名大政奉還天和 (日本)天領外様大名奈良市子爵定府宝永守護守護代安来市寛永寛文寛政小沼氏小浜藩尼子氏専売制岩国藩島根県島根郡不昧流帝鑑の間中国地方幕末享保京都市京極忠高京極高和京極氏仁多郡延宝廃藩置県伯爵信濃国北島正元北青山嘉永周吉郡周防国...オタネニンジン内分分知出雲国出雲郡児玉幸多元禄知夫郡石見国石見銀山王政復古神門郡福島正則秋鹿郡穏地郡美作国結城秀康結城氏版籍奉還狩野氏隠岐国隠岐騒動遠江国華族華族令飯石郡親藩豊臣政権貞享鳥取藩越後騒動越前国越前松平家龍野藩茶道能義郡関ヶ原の戦い邑智郡邇摩郡金沢市長門国酒井忠勝 (若狭国小浜藩主)若狭国松平吉透松平定安松平宣維松平宗衍松平綱隆松平綱近松平直きよ松平直寛松平直巳松平直丘松平直員松平直哉松平直義松平直道松平直行松平直諒松平直興松平直温 (母里藩主)松平直方 (母里藩主)松平直政松平隆政松平近貞 (出雲国広瀬藩主)松平近輝松平近栄松平近朝松平近明松平近時松平治郷松平斉恒松平斉斎松江城松江市松江県松江藩松本藩森忠政楯縫郡毛利氏江戸幕府江戸藩邸江戸時代津山藩港区 (東京都)朝日茂保木蝋末期養子月山富田城戊辰戦争明治維新海士郡浜田県浜松市新人物往来社新田分知文春新書播磨国改易意宇郡慶応慶長1600年1666年1704年1871年1997年2003年 インデックスを展開 (109 もっと) »

城主大名

城主大名(じょうしゅだいみょう)とは、近世江戸時代における大名の格式の一つであり、大名家をその居地・居城で区別する国主(国持大名) - 準国主 - 城主 - 城主格 - 無城(陣屋)の5階級のうち、国許の屋敷に城が認められている大名をいう。その他、大名統制には、並大名が諸大夫(従五位下)である官位が四品(従四位下)以上に叙任される家格であったり、伺候席によって区別されていた。慶応3年(1867年)で151家。 享保2年(1717年)の『武家諸法度』によると、城主は櫓・塀・門以下は届出をし許可を得たうえで補修することが可能で、石塁・石壁が壊れたときは奉行に報告し、その差図を受けることとなっていた。このことから徳川幕藩体制下における城の定義は石垣の上に塀と櫓を有しているものとされていた。城主の領知の居地を居城といい、陣屋に居地を置く在所と区別して表現した。.

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城下町

山城(波賀城)と城下町 熊本城の城下町 龍野城の城下町 和歌山城の城下町 城下町(じょうかまち)とは、日本における都市の形態の一つ。領主の居城を中心に成立した都市である。江戸時代以降は、必ずしも城が中心とは限らず、戦闘を想定しない行政施設としての陣屋を中心とした陣屋町もあるが、広義ではそれらも含めて城下町と呼ぶ。 城下(じょうか)とも呼ばれ、近世以前はこの呼称が一般的であった。.

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たたら製鉄

たたら製鉄(たたらせいてつ、英:Tatara)とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする。近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担った清永 1994, p. 1453.

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参勤交代

参勤交代(さんきんこうたい)とは、各藩の藩主を一年おきに江戸に出仕させる江戸幕府の法令のことである。参勤交替、参覲交代、参覲交替などとも書く。 藤堂様御国入行列附版画/伊賀文化産業協会蔵.

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吉川広家

吉川 広家(きっかわ ひろいえ)は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけての武将。周防国岩国領初代領主長州藩の主張によれば広家はあくまでも毛利氏の家老であるため、岩国藩主と呼ぶのは誤りであるとしている。。毛利氏の家臣。.

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堀尾吉晴

堀尾 吉晴(ほりお よしはる)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将・大名。豊臣政権三中老の1人。.

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堀尾忠氏

堀尾 忠氏(ほりお ただうじ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。出雲松江藩の初代藩主藩主の順番に関しては初代、2代の両説がある(後述)。.

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堀尾忠晴

堀尾 忠晴(ほりお ただはる)は、江戸時代前期の大名。出雲松江藩第2代藩主。堀尾忠氏の長男。江戸初期の書物『寧固斎談叢』では前田利常との恋愛関係が取りざたされている。.

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大原郡

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大名

大名(だいみょう)は、大名主より転じた語。大いに名の轟く者のことを指す。対義語は小名である。.

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大政奉還

大政奉還(たいせいほうかん)とは、江戸時代末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上し、翌15日に天皇が奏上を勅許した政治的出来事である。 「大政奉還図」これは「10月13日に二条城において将軍・徳川慶喜が諸藩重臣に大政奉還を諮問した様子を描いた絵」であり「慶喜が明治天皇に大政を奉還している様子を描いた絵」ではない。 邨田丹陵.

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天和 (日本)

天和(てんな、てんわ)は日本の元号の一つ。延宝の後、貞享の前。1681年から1684年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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天領

天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領、徳川幕府領、徳川支配地、幕府領、幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通・商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。 幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。 大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。.

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外様大名

外様大名(とざまだいみょう)は、譜代大名に対して、関ヶ原の戦い前後に新しく徳川氏の支配体系に組み込まれた大名を指す。.

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奈良市

奈良市(ならし)は、日本の奈良県の北部に位置する市で、同県の県庁所在地である。中核市に指定されている。.

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子爵

子爵(ししゃく、 )は、中国で儒教の経典によって古代より用いられたと主張された爵位(五爵)の第4位。伯爵の下位、男爵の上位に相当する。近代日本の華族の爵位にも取り入れられた。ヨーロッパ諸国の貴族の爵位の訳語にも使われる。.

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定府

定府(じょうふ)とは、江戸時代において参勤交代を行わずに江戸に定住する将軍や藩主およびそれに仕える者の状態を示す。.

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宝永

宝永(ほうえい、旧字体: 寶永)は日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。.

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守護

守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。鎌倉時代はといい、室町時代にはといった。 制度としては室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなり守護制度が自然消滅するまで続いた。.

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守護代

守護代(しゅごだい)とは、鎌倉時代と室町時代に守護の下に置かれた役職である。.

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安来市

和鋼博物館 安来市(やすぎし)は、島根県(旧出雲国東部)の市。出雲国風土記よりスサノオノミコトより安来と命名されたと伝えられている。旧能義郡(『出雲国風土記』:意宇郡)。.

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寛永

寛永(かんえい)は日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.

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寛文

寛文(かんぶん)は日本の元号の一つ。万治の後、延宝の前。1661年から1673年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇、霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。.

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寛政

寛政(かんせい)は日本の元号の一つ。天明の後、享和の前。1789年から1801年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉。.

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小沼氏

小沼氏(おぬまし)は日本の武家のひとつ。本姓は源氏。時代により藤原氏。.

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小浜藩

小浜城に現存する本丸 小浜藩(おばまはん)は、若狭国一国および越前敦賀郡を領した藩。藩庁は小浜城。.

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尼子氏

尼子氏(あまごし)は、京極氏の一族で代々出雲守護代を務めた。京極氏から室町時代中期に分かれた家であり、京極尼子家とも呼ばれる。山陰地方で活動し、戦国大名となった一族である。こちらの一族は出雲尼子氏と呼ばれ最盛期には中国八カ国を領域に起き120万石の広大な領土を支配した。通字は「久」(ひさ)。.

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専売制

専売制(せんばいせい, Government monopoly)とは、国家などが財政収入を増加させるために、特定物資の生産・流通・販売などを全面的に管理下に置いて、そこから発生する利益を独占する制度。品質保証、安全管理、公衆衛生上の意味合いもある。 専売制を導入するためには対象となる消費物資の生産・流通が集中的である必要がある。例えば、特定の地域でしか生産が出来ず生産地域及び生産者が限定的であることが重要である(生産地も全国的に拡散しているよりも産地が限定されていた方が生産・流通の把握の面で望ましい)。また、消費物資に対する需要が恒常的・普遍的に高いことも重要であり、「生活必需品」であればなお望ましいと言える。専売制の対象となるケースになりやすい塩や酒、煙草などはその条件に近い場合が多く、逆に耕作地が全国的に広がっており大量生産されている穀物類の専売は実例はあるものの多くはない。 また、専売の対象が域内であるか域外であるかも、重要な要素となる。域内の人民に対して租税の代わりとして専売を行う方法と域外の市場に対して独占的に販売する専売が考えられる。生産に対する姿勢は両者の場合で異なり、前者においては生産も統制される場合があるが、後者においてはやや緩やかで生産奨励策が合わせて行われる場合もある。.

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岩国藩

岩国城天守閣(復元) 岩国藩(いわくにはん)は、周防国大島郡の一部(鳴門村・神代村)及び玖珂郡南部を領地とした藩。藩庁は岩国陣屋(現在の山口県岩国市)岩国領の支配拠点は当初岩国城だったが、元和元年(1615年)の一国一城令で破却されて岩国陣屋となった。慶応4年(1868年)まで岩国領は「藩」ではないと長州藩によって主張されていたため、正式な「藩庁」としては岩国陣屋となる。。江戸時代を通じて長州藩毛利氏一門の吉川氏が領主だったため、吉川藩(きっかわはん)という通称もある。 長州藩の支藩とみなされるが、長州藩では幕府に岩国領(いわくにりょう)を支藩とする届けを出しておらず、吉川家は毛利家の家臣であり、徳川家の陪臣であるによって諸侯に非ず(大名ではない)と主張していた。その一方で幕府からは3万石の外様大名格として扱われるという、極めて変則的な存在が江戸時代を通じて続いた。正式に岩国藩が認められたのは、大政奉還後の慶応4年(1868年)3月、新政府によってのことである。 本項では、岩国藩とその前身である岩国領について合わせて述べる。.

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島根県

島根県(しまねけん)は、日本の中国地方の日本海側である山陰地方の西部をなす県。県庁所在地は松江市。離島の隠岐島、竹島なども島根県の領域に含まれる。旧国名は出雲国・石見国・隠岐国であり、現在でも出雲地方・石見地方・隠岐地方の3つの地域に区分されることが多い。全国では鳥取県に次いで2番目に人口が少ない。.

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島根郡

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不昧流

不昧流(ふまいりゅう)は、松平不昧に始まり、松江藩で伝わった茶道の一派。元来は雲州流として知られていたが、現在の伝承組織では不昧流あるいは石州流不昧派と称している。.

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帝鑑の間

帝鑑の間(ていかんのま)は、江戸城本丸表屋敷のなかの白書院下段の間の東につらなる部屋。 北は連歌間につづき、東は畳縁(たたみべり)の入側(いりかわ)の外に伯夷・叔斉をえがいたスギ戸をたて、さらに入側をへだてて紅葉間ととなりあい、南は畳縁あって中庭に面し、松の廊下と相対する。 天井は格天井であり、襖には歴代将軍の亀鑑となるべき唐代の帝王をえがく(これが室名のおこるゆえんである)。 将軍が白書院に出て諸侯を引見するさい、この間に詰める諸侯を「帝鑑間詰」という。 越前庶流、10万石以上の諸大名および交代寄合その他がこれに属する。慶応2年の武鑑によれば、家門4家、譜代60家、合わせて64家が挙げられている。石高は1万石ないし10万石余、そのうち5万石およびそれ以上のものが28家、その他は5万石以下である。無城のものが10家である。.

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中国地方

中国地方(ちゅうごくちほう)は、本州の西部に位置する、日本の地域のひとつ。 鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県の5県より構成される『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.730 ISBN 4-09-523101-7。なお、行政上の管轄としては気象庁は山口県を除き、海上保安庁は山口県西北部、国土交通省海事事務所は下関市を除く。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

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京極忠高

京極 忠高(きょうごく ただたか)は、江戸時代前期の大名。若狭小浜藩第2代藩主、出雲松江藩主。高次流京極家2代。 初代藩主京極高次の長男。母は側室。正室は江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の四女・初姫(高次正室・常高院の養女).

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京極高和

京極 高和(きょうごく たかかず)は、江戸時代前期の大名。播磨龍野藩主、讃岐丸亀藩初代藩主。丸亀藩京極家3代。.

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京極氏

京極氏(きょうごくし)は、日本の武家の一つ。本姓は源氏。宇多源氏の流れを汲む近江源氏、佐々木氏の別家である。.

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仁多郡

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延宝

延宝(えんぽう、旧字体: 延寳)は日本の元号の一つ。寛文の後、天和の前。1673年から1681年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱、徳川綱吉。.

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廃藩置県

廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 各藩の武装解除の過程については「鎮台」を参照。.

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伯爵

伯爵(はくしゃく、、)とは爵位の一つである。侯爵の下位、子爵の上位に相当する。もともとは古代中国で使われていた名称で、近代日本の華族の五爵第3位として採用され、転じてヨーロッパの貴族の称号の訳語にも用いられるようになった。.

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信濃国

信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。.

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北島正元

北島 正元(きたじま まさもと、1912年8月7日 - 1983年11月1日)は、日本の歴史学者。専門は日本近世史。.

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北青山

北青山(きたあおやま)は、東京都港区青山の地名。現行行政町名は北青山一丁目から北青山三丁目。赤坂地区総合支所管内に属する。郵便番号は107-0061(赤坂局管区)。.

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嘉永

嘉永(かえい)は日本の元号の一つ。弘化の後、安政の前。1848年から1855年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家慶、徳川家定。.

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周吉郡

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周防国

周防国(すおうのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.

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オタネニンジン

タネニンジン(御種人蔘) は、ウコギ科の多年草。原産地は中国の遼東から朝鮮半島にかけての地域といわれ、 中国東北部やロシア沿海州にかけて自生する。 薬用または食用に用いられ、チョウセンニンジン(朝鮮人蔘)、コウライニンジン(高麗人蔘)、また単に人蔘とも呼ばれる。 一方、野菜のニンジンはセリ科であり、本種の近類種ではなく全く別の種である。.

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内分分知

内分分知(ないぶんぶんち)は、江戸時代における武家(特に大名、旗本)の分家形態の一つである。分家の創設の際に、主君から与えられた領知の表高を減らすことなく、新規に分家を興す形態をいう。新田分知は内分分知の形態の一つである。.

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出雲国

出雲国(いずものくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

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出雲郡

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児玉幸多

児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた文学博士。学習院大学名誉教授、学習院大学元学長、学習院女子短期大学元学長、品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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知夫郡

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石見国

石見国(いわみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

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石見銀山

石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれた。明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。本項では石見銀山の概要と歴史、および2007年に登録された世界遺産としての石見銀山についても言及する。.

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王政復古

王政復古(おうせいふっこ)は、君主によって統治された国家において、クーデターや内戦などによって一度は弱まったり、廃止されるなどした君主制が、何等かの理由によって復活する現象である。復辟(ふくへき)、政体が帝国の場合は帝政復古とも言う。.

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神門郡

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福島正則

福島 正則(ふくしま まさのり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。賤ヶ岳の七本槍、七将の一人。.

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秋鹿郡

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穏地郡

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美作国

美作国(みまさかのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.

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結城秀康

結城 秀康(ゆうき ひでやす)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。越前北ノ庄藩初代藩主。越前松平家宗家初代。.

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結城氏

結城氏(ゆうきし)は、日本の氏族。平安時代末期から戦国時代にかけて、主に下総で活動した大身。通字として「朝」(とも)や「広」(ひろ)が名前に用いられている。.

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版籍奉還

籍奉還(はんせきほうかん)は明治維新の一環として全国の藩が、所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還した政治改革。明治2年6月17日(1869年7月25日)に勅許された。.

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狩野氏

狩野氏(かのうし、かのううじ)は、日本の氏族の一つ。加納、嘉納とも表記されることがある。.

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隠岐国

岐国(おきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

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隠岐騒動

岐騒動(おきそうどう)は、明治元年(1868年)に江戸幕府領で松江藩が実効支配していた隠岐国で起こった、松江藩と隠岐島住民の一連の騒動。雲藩騒動ともいわれる。.

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遠江国

遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.

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華族

華族(かぞく)は、明治2年(1869年)から昭和22年(1947年)まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家の堂上家に由来する華族を堂上華族、江戸時代の大名家に由来する華族を大名華族、国家への勲功により華族に加えられたものを新華族(勲功華族)、臣籍降下した元皇族を皇親華族と区別することがある。.

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華族令

華族令(かぞくれい)は、日本の法令。1884年(明治17年)7月7日に制定された明治17年宮内省達無号と、それを廃して1907年(明治40年)に制定された皇室令がある。明治40年制定の華族令(明治40年皇室令第2号)は昭和22年(1947年)に廃止された。.

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飯石郡

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親藩

親藩しんぱんは、江戸時代の藩の分類の一つで、徳川家康の男系男子の子孫が始祖となっている藩を指す。特に、徳川姓を名乗った御三家・御三卿の当主は家康の男系男子・子孫に限られ、将軍家の血筋が絶えた場合などに、将軍を出す役割を担った。その他の家は松平姓を名乗った。 下記以外に、家康の女系男子・子孫である奥平松平家、家康の異父弟・子孫である久松松平家(伊予松山藩主と、伊勢桑名藩主の系統)、徳川家光・徳川綱吉の正室の実家鷹司家の出身である鷹司松平家も親藩に準じて扱われることもある。なお、狭義の親藩には御三家・御三卿は含まれない。.

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豊臣政権

豊臣政権(とよとみせいけん)は、天正18年(1590年)、(ただし、実質的には天正13年(1585年))から、慶長8年(1603年)まで成立していた豊臣氏による日本国の政権。豊臣氏政権(とよとみしせいけん)とも言われる。また羽柴氏政権とも言われる。.

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貞享

貞享(じょうきょう)は日本の元号の一つ。天和の後、元禄の前。1684年から1688年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇、東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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鳥取藩

鳥取藩(とっとりはん)は、因幡国・伯耆国(現在の鳥取県)の2国を領有した大藩である。石高は32万5千石。藩庁は因幡の鳥取城(鳥取市東町)に置いた。久松山城とも称した。.

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越後騒動

越後騒動(えちごそうどう)は、江戸時代前期に越後国高田藩で起こったお家騒動。藩政を執っていた首席家老小栗美作と、これに敵対するお為方を称する一族重臣とが争い、将軍徳川綱吉の裁定で両派に厳しい処分が下され、高田藩は改易となった。.

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越前国

越前国(えちぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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越前松平家

越前松平家(えちぜんまつだいらけ)は、越前国を発祥とする徳川氏の支流で、御家門のひとつ。単に越前家ともいう。越前松平家または越前家という呼称は、徳川家康の次男秀康を家祖とする一門全体を指す場合と、その領地の場所から福井松平家(福井藩)のみを指す場合とがある。幕末の福井藩主と津山藩主は徳川将軍家から養子を迎えたため、御家門筆頭とほぼ同等の扱いを受けた。.

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龍野藩

龍野藩(たつのはん)は、播磨国龍野周辺を領有した藩。藩庁は龍野城(現兵庫県たつの市)に置かれた。.

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茶道

茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).

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能義郡

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関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦、関ヶ原合戦とも呼ばれる。合戦当時は南北朝時代の古戦場・「青野原」や「青野カ原」と書かれた文献もある近衛前久書状(慶長5年9月20日付)、三河物語には「青野カ原ニテノ合戦」となっている。東照宮御実紀においては「関原青野が原に陣取て、関原の戦」と記載されている。また、吉川広家の書状や「慶長記略抄」所収の狂歌でも「青野か原」と記されている( 毎日新聞 2016年4月4日)。近衛前久書状では「大垣表」という記載もある。。 主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。.

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藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.

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邑智郡

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邇摩郡

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金沢市

金沢市(かなざわし)は、石川県のほぼ中央に位置する、石川県の県庁所在地。旧石川郡および河北郡。1996年4月1日、中核市に指定された。.

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長門国

長門国(ながとのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.

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酒井忠勝 (若狭国小浜藩主)

酒井 忠勝(さかい ただかつ)は、武蔵川越藩の第2代藩主、後に若狭小浜藩の初代藩主。第3代将軍・徳川家光から第4代将軍徳川家綱時代の老中・大老。.

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若狭国

若狭国(わかさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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松平吉透

松平 吉透(まつだいら よしとお)は、出雲松江新田藩主、のち松江藩第4代藩主。直政系越前松平家宗家4代。.

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松平定安

松平 定安(まつだいら さだやす)は、幕末の大名。出雲松江藩の第10代(最後)の藩主。直政系越前松平家宗家第10代・12代当主。.

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松平宣維

松平 宣維(まつだいら のぶずみ)は、出雲松江藩の第5代藩主。直政系越前松平家宗家5代。.

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松平宗衍

松平 宗衍(まつだいら むねのぶ、享保14年5月28日(1729年6月24日) - 天明2年10月4日(1782年11月8日))は、出雲松江藩の第6代藩主。直政系越前松平家宗家6代。.

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松平綱隆

松平 綱隆(まつだいら つなたか)は、出雲松江藩の第2代藩主。直政系越前松平家宗家2代。松江藩初代藩主・松平直政の長男。.

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松平綱近

松平 綱近(まつだいら つなちか)は、出雲松江藩の第3代藩主。直政系越前松平家宗家3代。第2代藩主・松平綱隆の四男。別名、綱通(つなみち)。.

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松平直きよ

松平 直暠(まつだいら なおきよ)は、出雲母里藩の第6代藩主。直政系越前松平家母里藩分家6代。 安永5年(1776年)12月12日、播磨明石藩主・松平直泰の四男として生まれる。寛政3年(1791年)4月16日、母里藩の第5代藩主・松平直行の婿養子として迎えられ、寛政4年(1792年)10月27日の直行の隠居により家督を継ぐ。 寛政8年(1796年)7月27日に死去した。享年21。跡を実弟で養子の直方が継いだ。 *06 なおきよ なおきよ Category:1777年生 Category:1796年没.

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松平直寛

松平 直寛(まつだいら なおひろ、天明3年6月27日(1783年7月26日) - 嘉永3年10月21日(1850年11月24日))は、出雲広瀬藩の第8代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家8代。 第6代藩主・松平近貞の長男。母は側室・佐野氏。正室は前田利物の娘、継室は内藤政韶の娘。側室は安達氏ほか。子に松平直諒(長男)、菅谷政徳(次男)、松平直審(三男、仏光寺猶子)、蒔田定詢(四男)、松平直慈(五男、専光寺附弟)、米津政雅(六男)、河野道久(七男)、松平直行(八男、願竜寺附弟)、町野直在(九男)、芦野資貞(十男)、松平直巳(十一男)、蔵子(山名義問正室)、娘(酒井道教室)、娘(阿部正義正室)、娘(佐野時行正室)、娘(平野長発継室)、娘(加藤明軌正室)、娘(形原松平信敏正室)、娘(高木某正室)など多数。官位は従四位下、宮内大輔。 父が老年でようやく生まれた実子であったが、すでに父は家督を養嗣子の直義に譲っていたため、享和3年(1803年)の直義の死去により家督を継ぐこととなった。天保12年(1841年)に譜代衆取締役となり、功を挙げたことから城主格を与えられた。しかし藩政においては水害に見舞われたにもかかわらず、藩政そっちのけで帰国しなかった。嘉永3年(1850年)10月21日、68歳で死去し、家督は長男・直諒が継いだ。 なおひろ *08 Category:1783年生 Category:1850年没.

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松平直巳

松平 直巳(まつだいら なおおき、天保3年2月23日(1832年3月25日) - 大正6年(1917年)3月23日)は、出雲広瀬藩の第10代(最後)の藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家10代。 第8代藩主・松平直寛の十一男。母は側室の安達氏。正室は内藤正誠の姉(内藤正義の娘)・幸姫、継室は松平信順の娘・愛姫、継々室は吉田良熙の娘・錦姫。官位は従五位下、佐渡守。 文久元年(1861年)、兄の死去によりその養子として家督を継いだ。しかし兄のように有能ではなく、幕末期の政局に耐えられる人物ではなかったため、藩は混乱したという。しかし家老の岩崎広勤の手腕により、医学所や洋学所を設置して人材育成に努めた。明治2年(1869年)の版籍奉還で広瀬藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で東京に移住した。明治9年(1876年)、養子の直平(松江藩主松平定安の四男)に家督を譲る。大正6年(1917年)3月23日、86歳で死去した。 なおおき *10 Category:幕末の大名 Category:幕末松江藩の人物 Category:日本の華族 Category:1832年生 Category:1917年没.

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松平直丘

松平 直丘(まつだいら なおたか、寛文5年6月26日(1665年8月7日) - 正徳2年12月27日(1713年1月23日))は、江戸時代前期から中期の大名。出雲母里藩の第2代藩主。直政系越前松平家母里藩分家2代。 松江藩主・松平直政の四男。母は側室の篠塚氏。正室は熊本新田藩主・細川利重の養女(細川綱利の娘)、継室は水戸支流額田藩主・松平頼元の娘。子に初(久松松平定基正室)、娘(京極高通正室)、娘(竹谷松平守信(もりのぶ)正室)。官位は従五位下、美作守。通称は頼母(たのも)、諱(実名)には直丘のほか、直高(読み同じ)、直能(なおよし)など様々な名が伝わっている。 延宝元年(1673年)、兄の隆政の死後、その相続が認められて藩主となった。その後、大番頭・御側衆となっている。男子がいたが早世していたため、新庄直詮の次男・直員を養嗣子として迎えた(以降、直員とその長男・直道、次男・直行と、越前松平家出身でない当主が続いたが、その後に直良系の松平直暠・直方兄弟が養子入りしている)。 正徳2年(1712年)12月27日に死去した。享年48。法号は法性院。 なおたか *02 Category:1665年生 Category:1713年没.

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松平直員

松平 直員(まつだいら なおかず)は、出雲母里藩の第3代藩主。直政系越前松平家母里藩分家3代。.

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松平直哉

松平 直哉(まつだいら なおとし)は、出雲母里藩の第10代(最後)の藩主。直政系越前松平家母里藩分家10代。 嘉永元年(1848年)2月29日、第9代藩主・松平直温の長男として生まれる。安政3年(1856年)に父が死去したため家督を継いだ。元治元年(1864年)の第1次長州征伐に藩は消極的な立場をとった。後に幕府に懇願して10万石の格式を許されている。 明治2年(1869年)6月25日、版籍奉還により母里藩知事に任じられ、明治3年(1870年)の藩政改革では士族の帰農政策を推進したが失敗した。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県で藩知事を免職されて東京へ移ろうとしたが、領民の反対にあっている。明治17年(1884年)7月8日、華族令により子爵となった。 明治30年(1897年)12月31日に死去した。享年50。 なおとし *10 Category:幕末の大名 Category:幕末松江藩の人物 Category:貴族院子爵議員 Category:1848年生 Category:1897年没.

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松平直義

松平 直義(まつだいら なおよし / ただよし、宝暦4年4月28日(1754年6月18日) - 享和3年10月22日(1803年12月5日))は、出雲広瀬藩の第7代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家7代。初名は長善(ながよし)、のち近義(ちかよし)、直義と改名。通称は主税(ちから)。.

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松平直道

松平 直道(まつだいら なおみち、享保9年8月26日(1724年10月12日) - 安永5年11月16日(1776年12月26日))は、江戸時代中期の大名。出雲母里藩4代藩主。直政系越前松平家母里藩分家4代。 3代藩主・松平直員の長男。母は島氏。正室は佐竹義道の娘、継室は毛利高通の娘。幼名は辰之助。 直道には世子が無かったため、父・直員は次男(直道の弟)の直行に家督を相続させようとしたが、直道はこれに反対し、家臣の平山弾右衛門に下げ渡したかつての愛妾が生んだ子・弥市を世子に据えようとしたことでお家騒動(母里騒動)が発生した。結局、明和3年(1766年)5月18日に事件が公に露見し、本藩の松江藩の介入により平山を斬首、その他関わった一味を追放処分とすることで収まり、世子は当初の直員の思惑通り直行に決定した。.

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松平直行

松平 直行(まつだいら なおゆき)は、出雲母里藩の第5代藩主。直政系越前松平家母里藩分家5代。.

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松平直諒

松平 直諒(まつだいら なおあき(なおよし)、文化14年10月5日(1817年11月13日) - 文久元年9月5日(1861年10月8日)?)は、出雲広瀬藩の第9代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家9代。 第8代藩主・松平直寛の長男。母は内藤政韶の娘。正室は尾張支流松平義和の娘・宣姫。継室は青山忠良の娘・銑姫。子は娘(大橋某室)、娘(松平定法室)。官位は従五位下、佐渡守。幼名は大助。号に沾嶺(俳号)、玉峯(画号)、浩斎(書号)。 有能で、俳諧・絵画・書道を嗜むなど多趣味な人物で、歴代藩主のほとんどが江戸に定府していたのに対して、直諒は嘉永3年(1850年)に父が死去して家督を継ぐと、ただちに国元に入って製糸業や製油業、和紙、鋳物、陶器、織物(広瀬絣)等の産業奨励、文化の奨励などを行い、領民に善政を敷いた名君であった。このため、領民も直諒を暖かく出迎えたという。文久元年(1861年)9月5日(異説として7月19日)に広瀬にて死去した。享年45。跡を弟の直巳が継いだ。 直諒の文化政策の遺構は、現在においても広瀬町に現存している。ちなみに直諒だけが歴代で唯一、広瀬町に墓所が存在する。 なおあき *09 Category:幕末の大名 Category:幕末松江藩の人物 Category:1817年生 Category:1861年没.

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松平直興

松平 直興(まつだいら なおおき)は、出雲母里藩の第8代藩主。直政系越前松平家母里藩分家8代。 寛政12年(1800年)9月25日、第7代藩主・松平直方の長男として生まれる。文化14年(1817年)3月25日、父の隠居により家督を継ぐ。財政難を再建するため、黒川羽左衛門を登用して新田開発、灌漑用水の改良を行なった。 しかし実際は文学肌の藩主で、田川鳳朗に俳句を学び、小林一茶の「おらが春」にも彼の俳句が残されている。また、俳句で使った号は10を越えるものである。その他、狩野派の絵画、嵯峨様の書道、道具名器の蒐集にも傾倒した。 天保14年(1843年)9月13日、病気を理由に家督を娘婿で養子の直温に譲って隠居する。嘉永7年(1854年)閏7月24日に死去した。享年55。 母里藩中興の名君といわれている。 なおおき *08 Category:1800年生 Category:1854年没.

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松平直温 (母里藩主)

松平 直温(まつだいら なおより)は、出雲母里藩の第9代藩主。直政系越前松平家母里藩分家9代。名は「なおはる」とも。 文政13年(1830年)3月24日、美作津山藩の第7代藩主松平斉孝の五男として生まれる。天保11年(1840年)4月26日、母里藩の第8代藩主松平直興の婿養子となる。天保14年(1843年)9月13日、直興が病気により隠居したため家督を継いだ。 安政3年(1856年)9月21日に死去した。享年27。跡を長男の直哉が継いだ。 なおより なおより *09 Category:幕末の大名 Category:幕末松江藩の人物 Category:1830年生 Category:1856年没.

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松平直方 (母里藩主)

松平 直方(まつだいら なおかた)は、出雲母里藩の第7代藩主。直政系越前松平家母里藩分家7代。 安永8年(1779年)11月6日、播磨明石藩主・松平直泰の九男として生まれる。寛政8年(1796年)に実兄で母里藩の第6代藩主である直暠が死去すると、兄の養女と結婚して婿養子となった上で家督を相続した。 文化14年(1817年)3月25日、家督を長男・直興に譲って隠居し、看雲と号した。天保13年(1842年)7月21日に死去した。享年64。 *07 なおかた なおかた Category:1779年生 Category:1842年没.

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松平直政

松平 直政(まつだいら なおまさ)は、江戸時代前期の大名。上総国姉ヶ崎藩主、越前国大野藩主、信濃国松本藩主を経て出雲国松江藩初代藩主。直政系越前松平家宗家初代。.

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松平隆政

松平 隆政(まつだいら たかまさ、慶安元年7月8日(1648年8月26日) - 延宝元年2月4日(1673年3月22日))は、江戸時代前期の大名。出雲母里藩の初代藩主。幕府の奏者番を務めた。直政系越前松平家母里藩分家初代。 松江藩主・松平直政の三男。母は側室の長谷川氏。正室は松平憲良の娘。官位は従五位下、左近大夫。 松江藩主を継いだ長兄の松平綱隆から偏諱を与えられて隆政(「政」は父・直政より1字を取ったもの)と名乗る。また、綱隆からは1万石を与えられて母里藩を立藩したが、はじめは領地ではなく蔵米による支給だったという。 延宝元年(1673年)2月4日に26歳で死去した。嗣子がなく、所領は綱隆に返されたが、弟の直丘が継いで存続することとなった。法号は徳翁院。 たかまさ *01 Category:1648年生 Category:1673年没.

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松平近貞 (出雲国広瀬藩主)

松平 近貞(まつだいら ちかさだ、享保18年9月16日(1733年10月23日) - 天明5年9月7日(1785年10月9日))は、出雲広瀬藩の第6代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家6代。 第4代藩主・松平近明の三男。母は側室・千寿院。正室は筑前秋月藩主黒田長邦の娘、永姫。側室は佐野氏。子に松平直寛(長男)。官位は従五位下。淡路守。 宝暦7年(1757年)、兄の松平近輝が嗣子無くして死去したため、その跡を継いだ。このとき、近峰という名を近貞と改めている。安永2年(1773年)7月4日、従兄の津山藩主松平長孝の次男直義を養嗣子として迎え、同年11月23日に隠居して家督を譲って隠居し、大内記と号した。天明5年(1785年)9月7日、江戸にて53歳で死去した。法号は本源院。 ちかさた *06 Category:1733年生 Category:1785年没.

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松平近輝

松平 近輝(まつだいら ちかてる、享保15年7月9日(1730年8月22日) - 宝暦7年5月9日(1757年6月25日))は、出雲広瀬藩の第5代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家5代。 第4代藩主・松平近明の長男。母は側室・千寿院。正室は永井直陳の娘・久姫(のち離縁)、継室は有馬一準の娘・安姫。官位は従五位下、式部少輔。幼名は多一郎。 寛延2年(1749年)、父の隠居により家督を継いだが、特に藩政に見るところもなく、宝暦7年(1757年)5月9日に江戸で死去した。娘しかいなかったため、家督は弟の近貞が継いだ。法号は成覚院。 ちかてる *05 Category:1730年生 Category:1757年没.

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松平近栄

松平 近栄(まつだいら ちかよし、寛永9年9月28日(1632年11月10日) - 享保2年9月19日(1717年10月23日))は、出雲広瀬藩の初代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家初代。 松江藩初代藩主・松平直政の次男。母は久松松平忠良の娘。兄に松江藩第2代藩主となった松平綱隆がいる。正室は大野藩主・松平直良の娘・了達院(満姫)。子に近時(長男)、繁姫(田村建顕正室)、娘(戸田光正継室)。官位は従五位下、上野介。諱の「近」の字は、甥(綱隆の子)で松江藩第3代藩主となった松平綱近から偏諱を賜ったものと考えられるが確証はない。.

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松平近朝

松平 近朝(まつだいら ちかとも、延宝9年6月22日(1681年8月5日) - 享保13年11月15日(1728年12月15日))は、出雲広瀬藩の第3代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家3代。 第2代藩主・松平近時の長男。母は松平綱隆の娘・清高院。子に松平長孝(次男)、輝(松平直員と婚約、のち丹羽氏栄正室)、娘(近藤用俶継室)、娘(藤掛永種正室)。官位は従五位下、隼人正、飛騨守。幼名は大助、安五郎。 元禄15年(1702年)、父の死去により家督を継ぐ。幕府に命じられて利根川・荒川などの普請で活躍した。 普通なら他の大大名から娘を正室としてもらうこともできる親藩大名ながら、なぜか近朝は高い身分の娘を嫌って、常に低い身分の娘を妻とした。そして5男12女と、多くの子女に恵まれた。 享保13年(1728年)11月15日、江戸で死去した。享年48。家督は弟の近明が継いだ。法号は円徳院。 ちかとも *03 Category:1681年生 Category:1728年没.

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松平近明

松平 近明(まつだいら ちかあきら、元禄15年8月12日(1702年9月3日) - 宝暦5年4月21日(1755年5月31日))は、出雲広瀬藩の第4代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家4代。 第2代藩主・松平近時の四男。母は側室・大竹氏。側室に千寿院。子に松平近輝(長男)、松平近哲(次男)、松平近貞(三男)、娘(渡辺信綱正室)。官位は従五位下、肥前守、式部少輔、近江守。幼名は亀之助。 江戸にて生まれる。享保13年(1728年)、兄の近朝が死去した際、その養子として家督を継いだ。享保17年(1732年)から大飢饉に見舞われたため、幕府から3,000両を借りて何とか窮状を凌いだが、享保20年(1735年)にも飢饉に遭うなど、藩政は多難を極め、財政難が始まった。また、近明は生来から病弱で、入国したことがあるのは1回だけ、おまけに登城する時にも代理人を立てるなどの有様で、寛延2年(1749年)8月9日に家督を長男・近輝に譲って隠居し、猪寛と号した。宝暦5年(1755年)4月21日、江戸にて死去した。享年54。法号は瑞雲院。 ちかあきら *04 Category:1702年生 Category:1755年没.

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松平近時

松平 近時(まつだいら ちかとき、万治2年4月7日(1659年5月27日) - 元禄15年閏8月18日(1702年10月9日))は、出雲広瀬藩の第2代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家2代。 初代藩主・松平近栄の長男。母は越前松平直良の娘・了達院。正室は越前松平綱隆の次女・清高院。側室は大竹氏。子に松平近朝(長男)、松平直之(次男)、松平近明(四男)。官位は従五位下、式部少輔。幼名は大助。 元禄15年(1702年)3月23日、父の隠居により家督を継いだが、半年足らずの同年閏8月18日に江戸で死去した。享年44。家督は長男・近朝が継いだ。法号は瑞岸院。 ちかとき *02 Category:1659年生 Category:1702年没.

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松平治郷

月照寺にある墓所 松平 治郷(まつだいら はるさと)は、出雲松江藩の第7代藩主。直政系越前松平家宗家7代。江戸時代の代表的茶人の一人で、号の不昧(ふまい)で知られる。その茶風は不昧流として現代まで続いている。.

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松平斉恒

松平 斉恒(まつだいら なりつね)は、江戸時代後期の大名。出雲松江藩の第8代藩主。直政系越前松平家宗家8代。.

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松平斉斎

松平 斉斎(まつだいら なりとき)は、出雲松江藩の第9代藩主。直政系越前松平家宗家9代。藩主在任中は松平 斉貴を名乗った。.

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松江城

松江城(まつえじょう)は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の日本の城。別名・千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城).

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松江市

松江市(まつえし)は、島根県の東部(出雲地方)に位置する市。同県の県庁所在地である。 2012年(平成24年)4月1日に特例市に、2018年(平成30年)4月1日には中核市に移行した。.

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松江県

松江.

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松江藩

藩庁松江城 松江藩(まつえはん)は、出雲1国または隠岐国を加えた2国を領有した藩。藩庁は松江城(島根県松江市殿町)。藩主は外様大名の堀尾氏、京極氏と続き、親藩の越前系松平氏が廃藩置県まで支配した。.

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松本藩

松本城(現存天守) 松本藩(まつもとはん)は、江戸時代に信濃国に存在した藩。藩庁は松本城。延宝年間の人口は90,000人。.

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森忠政

森 忠政(もり ただまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将、大名。信濃川中島藩主、後に美作津山藩の初代藩主。.

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楯縫郡

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毛利氏

毛利氏(もうりし)は、日本の武家の氏族で、本姓は大江氏。家紋は一文字三星。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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江戸藩邸

松平忠昌上屋敷(龍ノ口屋敷)模型 江戸藩邸(えどはんてい)は、江戸時代に江戸に置かれた藩邸(藩の屋敷)である。ただし、江戸時代当時の歴史的呼称ではなく、後世つくられた歴史用語である。当時は、単に武家屋敷もしくは江戸屋敷と呼ばれ、個別の屋敷は当該屋敷を使用する武家の家名を付して○○家屋敷などと呼ばれた。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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津山藩

津山城古写真(撮影:松平国忠) 津山藩(つやまはん)は、美作国の大半を領有した藩。藩庁は津山城(岡山県津山市)に置かれた。.

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港区 (東京都)

港区(みなとく)は、東京都の特別区の一つ。23区のうち、千代田区や中央区とともに都心3区と位置づけられる。.

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朝日茂保

朝日 茂保(あさひ しげやす、宝永2年2月17日(1705年3月12日) - 天明3年4月10日(1783年5月10日))は、江戸時代後期の松江藩の家老。朝日丹波とも呼ばれる。経世家とされることもある。 6代藩主・松平宗衍および7代藩主・松平治郷に仕え、特に治郷の代には、任命されて後に「御立派の改革」(おたてはのかいかく)と呼ばれる藩政改革を行った。後年は治郷から一字を与えられ郷保(さとやす)を名乗るなど、厚遇された。.

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木蝋

木蝋の塊 木蝋(もくろう)とは、生蝋(きろう)とも呼ばれ、ウルシ科のハゼノキ(櫨)やウルシの果実を蒸してから、果肉や種子に含まれる融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出した広義の蝋。化学的には狭義の蝋であるワックスエステルではなく、中性脂肪(パルミチン酸、ステアリン酸、オレイン酸)を主成分とする。 搾ってからそのまま冷却して固めたものを「生蝋」(きろう)と呼び、さらに蝋燭の仕上げ用などにはこれを天日にさらすなどして漂白したものを用いる。かつては蝋燭だけでなく、びんつけ、艶(つや)出し剤、膏薬などの医薬品や化粧品の原料として幅広く使われていた。このため商品作物として明治時代まで西日本各地で盛んに栽培されていた。 長崎県では島原藩が藩財政の向上と藩内の経済振興のため、特産物として栽培奨励をしたので、島原半島で盛んにハゼノキの栽培と木蝋製造が行われた。特に昭和になってから選抜された品種である「昭和福櫨」は、果肉に含まれる蝋の含有量が多く、島原半島内で広く栽培された。木蝋製造は島原市の本多木蝋工業所が伝統的な玉絞りによる製造を続け、伝統を守っている。 愛媛県では南予一体、例えば内子(現:内子町)や川之石(現:八幡浜市、旧・西宇和郡保内町)は、ハゼノキの栽培が盛んであった。中でも内子は、木蝋の生産が盛んで、江戸時代、大洲藩6万石の経済を支えた柱の一つであった。明治期には一時、海外にも盛んに輸出された。.

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末期養子

末期養子(まつごようし)は、江戸時代、武家の当主で嗣子のない者が事故・急病などで死に瀕した場合に、家の断絶を防ぐために緊急に縁組された養子のことである。これは一種の緊急避難措置であり、当主が危篤状態から回復した場合などには、その縁組を当主が取り消すことも可能であった。当主が既に死亡しているにもかかわらず、周囲の者がそれを隠して当主の名において養子縁組を行う場合も指す。.

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月山富田城

月山富田城(がっさんとだじょう)は、島根県安来市広瀬町富田に所在した日本の城。月山(標高197m)に営まれる。戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となった。城郭跡は国の史跡に指定されている。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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海士郡

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浜田県

浜田県(はまだけん)は、1871年(明治4年)に石見国、隠岐国内の幕府領、旧浜田藩領を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は現在の島根県石見地方、隠岐諸島。本項では前身の隠岐県(おきけん)、大森県(おおもりけん)についても記す。.

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浜松市

浜松市(はままつし)は静岡県西部にある政令指定都市。面積と人口は浜松市が同県最大である。 戦国時代には浜松城の城下町、江戸時代には東海道の宿場町として栄えた。.

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新人物往来社

株式会社新人物往来社(しんじんぶつおうらいしゃ)は、かつて存在した日本の出版社。雑誌『歴史読本』の発行元として知られる歴史図書専門の出版社である。 2008年(平成20年)11月26日に中経出版の子会社になり、その後2009年(平成21年)4月7日に中経出版が角川グループホールディングスの子会社となったことにより、新人物往来社も角川グループの1つとなった。さらに2013年(平成25年)4月1日に中経出版に吸収合併され、社名が消滅することとなった。.

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新田分知

新田分知(しんでんぶんち)は、江戸時代における武家の分家形態の一つである。分家の創設の際に、主君から与えられた領地ではなく入封後新規に開発した領地(新田)を分知する方式である。これにより、本家の表高を減少させずに分家を創設する事が出来る。大名および旗本の分家の際に多く認められる。大名家の新田分知において分家も1万石以上の石高がある場合、分家のことを○○新田藩と称することがある。以下においては、大名家の事例を中心に記述するが、特に注釈しない場合は旗本の場合も同様である。 新田分知の形態には、.

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文春新書

文春新書(ぶんしゅんしんしょ、Bunshun shinsho)は、1998年10月に創刊した文藝春秋発行の新書レーベルである。 創刊第1号は高橋紘・所功共著『皇位継承』である。通常月4点刊行だが、6点や8点の月もある。新書の中では比較的重版の率が高い。 2012年1月20日に発刊した阿川佐和子著『聞く力』は、160万部を超えるベストセラーとなった。通巻1000点目となる池上彰・佐藤優共著『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』は、2015年1月時点で31万部を突破している。2015年、ISILの組織の台頭を歴史的背景から解き明かした『イスラーム国の衝撃』(池内恵著)が話題になり、10万5000部を超えるヒット作となる。.

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播磨国

播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。.

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改易

改易(かいえき)は、律令制度では現職者の任を解き新任者を補任することを、鎌倉時代・室町時代には守護・地頭の職の変更を意味した。江戸時代においては大名・旗本などの武士から身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること。除封ともいう。所領を削減されることを減封という。.

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意宇郡

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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1600年

400年に一度の世紀末閏年(16世紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年となる(グレゴリオ暦の規定による)。。.

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1666年

記載なし。

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1704年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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1997年

この項目では、国際的な視点に基づいた1997年について記載する。.

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2003年

この項目では、国際的な視点に基づいた2003年について記載する。.

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