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木曽三川

索引 木曽三川

多度山から望む木曽三川(手前から揖斐川、長良川、木曽川) 多度山縦走路から望む木曽三川(手前から揖斐川、長良川、木曽川) 木曽三川(きそさんせん)とは、濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川の3つの川の総称である。.

36 関係: 十里の渡し千本松原 (岐阜県)宝暦治水事件山田省三郎七里の渡し三里の渡し伊勢大橋伊勢国マツヨハニス・デ・レーケ国営木曽三川公園立田大橋織田信長美濃国輪中船頭平閘門薩摩藩葛木渡船長良川長良川大橋揖斐川揖斐長良大橋東海3県東海道五十三次森下渡船水系江戸時代油島大橋渡し船濃尾平野木曽川木曽三川分流工事木曽三川公園センター日原渡船愛知県道・岐阜県道・三重県道125号佐屋多度線

十里の渡し

十里の渡し(じゅうりのわたし)は、かつて東海道の宮宿(愛知県名古屋市熱田区)と四日市宿(三重県四日市市)を結んでいた渡し。.

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千本松原 (岐阜県)

多度山から望む揖斐川(手前)と長良川(その奥)の堤防にある千本松原 千本松原(せんぼんまつばら)は岐阜県海津市海津町油島にある松が植えられた堤防。木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の三川分流工事に伴い、分流堤に約1000本の松が植えられた。油島千本松締切堤ともいい、1940年(昭和15年)7月12日に国の史跡に指定された。岐阜県の「千本松原県立自然公園」(面積42 ha)である。.

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宝暦治水事件

宝暦治水事件(ほうれきちすいじけん、ほうりゃくちすいじけん)は、江戸時代中期に起きた事件。幕命によって施工された木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業(宝暦治水)の過程で、工事中に薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害した。.

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山田省三郎

山田 省三郎(やまだ しょうざぶろう、1843年1月5日(天保13年12月5日) - 1916年(大正5年)3月8日)は日本の政治家。衆議院議員。現在の東海地方を代表する木曽三川の水害対策(木曽三川分流工事)に翻弄し、生涯を治水に捧げた人物。.

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世界最長の川であるナイル川 世界最大の流域面積を有する川であるアマゾン川 日本最長の川である信濃川 日本最大の流域面積を有する川である利根川 川(かわ)は、絶えず水が流れる細長い地形である。雨として落ちたり地下から湧いたりして地表に存在する水は、重力によってより低い場所へとたどって下っていく。それがつながって細い線状になったものが川である。河川(かせん)ともいう。時期により水の流れない場合があるものもあるが、それも含めて川と呼ばれる。.

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七里の渡し

七里の渡し(しちりのわたし)は東海道五十三次で知られる宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの海路で、かつての官道。この渡しの宮宿側、または、桑名宿側の渡船場のみを指して「七里の渡し」と呼ぶことも多い。.

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三里の渡し

三里の渡し(さんりのわたし)は、東海道の脇往還佐屋路の佐屋宿(愛知県愛西市)と桑名宿(三重県桑名市)を結んでいた渡しで、かつての官道。「佐屋の渡し」とも呼ばれた。.

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伊勢大橋

伊勢大橋(いせおおはし)は、三重県桑名市の長良川、揖斐川にかかる国道1号の橋である。 長良川と揖斐川の合流区域に位置し、千本松原の南端を跨ぐ。千本松原の上を走る県道(三重県道106号桑名海津線)が橋に直接接続しており、橋の中ほどに丁字路交差点がある(中堤入口交差点)。なお、中堤入口交差点および西詰交差点においては7:00 - 19:00の間、長島町方面からの下り車両は右折禁止である。.

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伊勢国

伊勢国(いせのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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マツ

マツ属(マツぞく、学名:)は、マツ科の属の一つ。マツ科のタイプ属である。日本に広く分布するアカマツ、クロマツは英語でそれぞれJapanese red pine、Japanese black pineと呼ばれる。.

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ヨハニス・デ・レーケ

ヨハニス・デ・レーケ(Johannis de Rijke、1842年12月5日 - 1913年1月20日)は、オランダ人の土木技師。ヨハネス・デ・レーケ、ヨハネス・イ・デレーケとも。いわゆるお雇い外国人として日本に招聘され、砂防や治山の工事を体系づけたことから「砂防の父」と称される。 日本の土木事業、特に河川改修や砂防における功績から、日本の農林水産省ウェブサイトに土木史の偉人の一人として取り上げられている - 農林水産省。.

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国営木曽三川公園

国営木曽三川公園(こくえいきそさんせんこうえん、Kiso Sansen National Government Park)は、1987年10月に開設された、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川。濃尾三川ともいう)下流域一帯、愛知県・岐阜県・三重県にわたる、日本最大の国営公園。.

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立田大橋

立田大橋(たつたおおはし)は、愛知県愛西市の木曽川に架かる愛知県道・岐阜県道・三重県道125号佐屋多度線の桁橋である。.

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織田信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏(斯波武衛家)をも凌ぐ力をつけて、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼして、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。 しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。.

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美濃国

美濃国(みののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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輪中

輪中(わじゅう)は、集落を水害から守るために周囲を囲んだ堤防。また、堤防で囲まれた集落や、それを守るための水防共同体も指す。 岐阜県南部と三重県北部、愛知県西部の木曽川、長良川、揖斐川とその支流域の扇状地末端部から河口部に存在したものが有名。この地域では、曲輪(くるわ)、輪之内(わのうち)とも呼ばれる。加納輪中や室原輪中のように、集落が山裾や高位部に接していて、上流側からの大量の水が流入する可能性が低いため、その部分に大きな堤防を持たないものもみられるなど、完全に堤防に囲われていない例外もある。.

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船頭平閘門

船頭平閘門(せんどうひらこうもん、せんどひらこうもん)は、愛知県愛西市立田町福原にある木曽川と長良川の間をつなぐ閘門である。.

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薩摩藩

薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.

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葛木渡船

木曽川左岸の葛木渡船の建物2011年3月30日に運行終了 葛木渡船(かつらぎとせん)とは、愛知県愛西市にあった木曽川の渡し舟である。2011年3月31日をもって廃止となった。 正式には、「愛知県営葛木渡船場」と言う。.

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長良川

長良川(ながらがわ)は、岐阜県郡上市の大日ヶ岳に源を発し、三重県を経て揖斐川と合流し、伊勢湾に注ぐ木曽川水系の一級河川である。濃尾平野を流れる木曽三川のひとつ。なお、下流の一部では愛知県にも面し、岐阜県との県境を成している。.

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長良川大橋

長良川大橋(ながらがわおおはし)は、岐阜県海津市と愛知県愛西市を結ぶ、長良川にかかる愛知県道・岐阜県道・三重県道125号佐屋多度線の橋である。 木曽川の立田大橋、揖斐川の油島大橋とともに、愛知県、岐阜県、三重県の三県共同で同県道の一部として建設されたもので、3つの橋の中で最後に完成、これにより愛知県側の国道155号から三重側の国道258号線間5.8 kmが接続された。愛知県、三重県方面から木曽三川公園(木曽三川公園センター)へのアクセス道路である。.

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揖斐川

揖斐川(手前)・木曽川(奥)河口空撮 揖斐川(いびがわ)は、岐阜県、三重県を流れる木曽川水系の一級河川。いわゆる木曽三川のひとつである。.

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揖斐長良大橋

揖斐長良大橋(左側が下流側、2005年5月撮影) 揖斐長良大橋(いびながらおおはし)は、三重県桑名市にある国道23号の揖斐川、長良川に架かる橋である。 延長1,039.9mの14連単純平行弦下路鋼ワーレントラス橋。日本道路公団によって施工され、1963年2月16日、木曽川大橋とともに一般有料道路「名四道路」の一部として供用開始された。1972年12月27日無料開放。現在は名四国道の一部となっている。 橋の約3km上流には長良川河口堰がある。.

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東海3県

東海3県(とうかい3けん)は、東海道筋が通っている3県を表す名称である。愛知県・岐阜県・三重県の3県を指す場合が比較的多い溝口常俊は『世界大百科事典』の「東海地方」の項目において、東海地方の狭義の意味を東海3県であるとする。そしてその3県は「愛知県・岐阜県・静岡県」を指し、「愛知県・岐阜県・三重県の3県を指す場合もある」とする少数説もある。。3県の頭字語として「愛三岐(あいさんぎ)」があり、また「中部3県」や「中京地方」などという呼び方をする場合もある。更に静岡県を加えた場合は、「東海4県」と呼ぶ。.

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東海道五十三次

日本橋」 東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は、江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられた。なお五十三次と称す場合は京都までの場合であり、さらに大阪までを加えて東海道五十七次とする説 「東海道は品川宿より守口宿」(幕府道中奉行所御勘定 谷金十郎、宝暦8年(1758年))「東海道と申すは、熱田より上方は、伊勢路、近江路を通り伏見、淀、牧方、守口迄外はこれ無き」(土佐藩から問いに対する幕府大目付勘定奉行からの回答、寛政元年1789年)もある。また、奈良時代の律令制による東海道では、延喜式によると、伊勢の鈴鹿駅から常陸の雄醍(おさか)駅まで55駅が設置されている。.

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森下渡船

森下渡船(もりしたとせん)とは、岐阜県海津市と愛知県愛西市を結んでいた長良川の渡し舟である。 正式には、「岐阜県営森下渡船場」と言った。利用者の減少や船頭の人材難などにより、2011年3月31日で廃止された。.

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水系

水系(すいけい、英語:drainage system)は、河川に関連する用語である。ある河川とそれに合流する他の河川や内水面(湖沼や池)、さらには分岐する河川を含めた、流路を部分的に共有する河川や湖沼全体を体系化した概念と、その概念に基づく分類をいう。 水系は分水界により区分される。ある水系に降水が流入する範囲を流域という。水系と流域は、よく似た概念だが、流域が面的な広がりを表すのに対し、水系は水の線的なつながりを表している。また、他に類似の言葉として流路形状がある。流路形状は、河川の流路の部分的な地形そのものを表す。つまり川筋の形のことである。一般的には、地表水のつながりのみを水系と考えられがちであるが、ある河川から別の河川へ地下を通じて水が移動(水文循環)することはよく見られることから、水系概念に地下水のつながりも含めるべきとされている。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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油島大橋

油島大橋(あぶらじまおおはし)は、岐阜県海津市と三重県桑名市の揖斐川に架かる県道(岐阜県道・三重県道23号北方多度線)の橋である。 木曽川の立田大橋、長良川の長良川大橋と合わせて、愛知県、岐阜県、三重県を結ぶ重要な橋である。愛知県、三重県方面から木曽三川公園(木曽三川公園センター)へのアクセス道路であり、休日などは混雑する。.

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渡し船

渡し船(わたしぶね)とは、港湾・河川・湖沼などで両岸を往復して客や荷物を運ぶ船及び航路のことである。渡船(とせん)とも言う。また、渡し船に乗り降りするところを渡し場(わたしば)、渡船場(とせんじょう、とせんば)などという。 広義の「渡し船」には、離島との航路などや、釣り客を沖の独立した防波堤や岩礁へ運ぶ渡船業、リゾート企業などが顧客専用として運用するものも含まれる。本稿では狭義の渡し船として、「比較的狭い距離の対岸同士を渡し、庶民の日常の交通手段や観光に利用され、公共性の高いもの」について述べる。大型かつ航路の長いものはフェリーを、単純な対岸往復でなく、河川や運河の流れに沿って複数の船着場を行き来する船は水上バスを参照のこと。なお、フェリーと渡し船を呼び分ける文化は日本以外にはあまり存在しないため、各国語版へのリンクはフェリーのほうを主に参照されたい。.

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濃尾平野

濃尾平野(のうびへいや)は、岐阜県(美濃)南西部から愛知県(尾張)北西部と三重県北部の一部にかけて広がる平野である。地質学的には木曽三川(木曾川・長良川・揖斐川)により形成された沖積平野であり、その土壌は肥沃である。西は伊吹山地と養老山地、東は尾張丘陵、北は両白山地に囲まれ、南は伊勢湾に面する。南西部の木曽三川の河口付近で伊勢平野とつながっている。.

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木曽川

木曽川(きそがわ)は、長野県から岐阜県、愛知県、三重県を経て伊勢湾に注ぐ木曽川水系の本流で一級河川、いわゆる木曽三川の一つ。源流部では、「味噌川」(みそがわ)とも呼ばれる。.

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木曽三川分流工事

海津市南端の木曽三川公園。川は上から木曽川、長良川、揖斐川。三川分流工事によってこのように完全に3つの川が分離された。 木曽三川分流工事(きそさんせんぶんりゅうこうじ)とは、1887年(明治20年)から1912年(明治45年)に行われた木曽三川完全分流工事。オランダ人技師ヨハニス・デ・レーケが作成した計画に基づいて施工された。単に「三川分流工事」、あるいは宝暦治水と区別する意味で「明治治水」とも呼ばれる。.

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木曽三川公園センター

木曽三川公園センター(きそさんせんこうえんセンター)とは、岐阜県海津市にある1987年(昭和62年)10月31日に供用開始された、国営木曽三川公園中央水郷地区の施設である。 国営木曽三川公園の中で最初に供用開始された施設で、一般に国営木曽三川公園を言う場合、この木曽三川公園センターを指すことが多い。.

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日原渡船

日原渡船(ひわらとせん)とは、愛知県愛西市と岐阜県海津市を結んでいた木曽川、長良川の渡し舟である。2011年3月31日をもって廃止となった。 正式には、木曽川側が「愛知県営日原渡船場」、長良川側が「岐阜県営日原渡船場」という。愛知県営日原渡船場の別名は「塩田の渡し」。.

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愛知県道・岐阜県道・三重県道125号佐屋多度線

立田大橋の東。(愛知県愛西市立田町) 長良川大橋(手前)と立田大橋(奥)。(岐阜県海津市、木曽三川公園センター展望タワーより愛知県方面を望む。) 揖斐川に架かる油島大橋。(岐阜県海津市、木曽三川公園センター展望タワーより三重県方面を望む。) 愛知県道・岐阜県道・三重県道125号佐屋多度線(あいちけんどう・ぎふけんどう・みえけんどう125ごう さやたどせん)は、愛知県愛西市と三重県桑名市を結ぶ一般県道である。.

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