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明応地震

索引 明応地震

http://cais.gsi.go.jp/KAIHOU/report/kaihou35/05_17.pdf 宇佐美龍夫(1986) 宇佐美龍夫(1986): 東海沖四大地震の震度分布(明応・宝永・安政東海・東南海地震), 地震予知連絡会報, '''35''', 343-351.宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年 明応地震(めいおうじしん)は、室町時代後期(戦国時代初期)に発生した地震である。南海トラフ沿いの巨大地震(南海トラフ巨大地震)と推定されている。 記録にある被害分布が安政東海地震に類似しており、震源域は東海道沖と思われるものであった 小山真人:(2008) 東海地震はどんな地震か?, 『地震防災』 学術図書出版, 1498年明応東海地震 -津波で外海とつながった浜名湖-。一方で、四国でも一部大地震があったとする記録が発見され、また発掘調査から同時期の南海道沖の地震の存在の可能性が唱えられている。.

186 関係: 力武常次千葉県南海地震南海トラフ南海トラフ巨大地震吉野川堀越公方塩田大乗院寺社雑事記大井俣窪八幡神社大永大湊 (伊勢市)太平洋奈良実隆公記宝永地震室町時代宮川 (三重県)宗長宇津徳治安濃津安房国安政南海地震安政東海地震寛永小山真人小田原城山梨市山梨県巨大地震中国中村市中日新聞丸善雄松堂三重県三河国九州乙卯京都仁和地震仏堂伊予国伊勢市伊勢国伊勢神宮伊豆半島伊豆市伊豆国...伊東市余震御前崎御前崎市御湯殿上日記徳島県後法興院記応仁の乱志太郡志摩半島志摩市志摩国土肥町地震地震モーメント北条早雲マグニチュードユリウス暦ヒラメ呉州 (江蘇省)和歌山市和歌浦スギ八丈島八丈町元禄地震副振動国崎町国立天文台四万十川四万十市四国矢田俊文 (歴史学者)石橋克彦災害記念碑理科年表磐田市神奈川県稲沢市紀の川紀伊国紀伊続風土記紀伊長島町続史愚抄羽鳥徳太郎田原市由比ヶ浜甲州市甲斐国町 (単位)焼津市熊野熊野市熊野年代記熊野本宮大社畿内相模・武蔵地震相模トラフ相模トラフ巨大地震相模国銭洲銭洲海嶺鎌倉鎌倉大日記鎌倉市遠江国静岡市静岡県飯田汲事西伊豆町駿河国駿河湾言国卿記高徳院高知県豊予海峡地震鳥羽市鴨川市足利茶々丸鶴岡八幡宮黒川金山都司嘉宣興福寺藤沢市那智長江東京都東海道板野町歴史地震気象庁震度階級江の島江蘇省江戸時代河角廣沼津市沖積平野津市津波液状化現象渥美町清水清水区湯の峰温泉湖西市戊午戦国時代 (日本)戸田村 (静岡県)房総房総半島明応明治浜名湖浜島町塩屋浙江省新宮市新居宿新居浜市日向灘日向灘地震 (1498年)愛媛県慶長豊後地震1495年1498年14世紀1522年15世紀16世紀1703年1707年1854年18世紀878年887年 インデックスを展開 (136 もっと) »

力武常次

力武 常次(りきたけ つねじ、1921年3月30日 - 2004年8月22日)は、日本の地球物理学者。東京大学名誉教授、東京工業大学名誉教授。理学博士。.

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千葉県

千葉県(ちばけん)は、日本の関東地方の南東側、東京都の東方に位置する県。房総半島と関東平野の南部にまたがる。県庁所在地は千葉市。 平野と丘陵が県土の大半を占め、海抜500m以上の山地がない日本で唯一の都道府県である。地勢上、広大な可住地と、長大な海岸線を有している。.

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南海地震

南海地震(なんかいじしん)は、紀伊半島の紀伊水道沖から四国南方沖を震源域とする巨大地震の呼称。南海トラフ西側でプレート間の断層滑りが発生する低角逆断層型の地震と考えられている。 狭義の南海地震は1946年(昭和21年)に発生した昭和南海地震を指す名称であるが、広義には安政南海地震や宝永地震(南海トラフのほぼ全域が震源域)など南海道沖を震源域とする歴史地震も含まれ、さらに将来、南海トラフ西部で起きると想定される地震も含めて南海地震と総称される。また、南海大地震(なんかいだいじしん)や南海道地震(なんかいどうじしん)と呼称される場合もある。.

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南海トラフ

赤線) 南海トラフ(なんかいトラフ)は、四国の南の海底にある水深4,000m級の深い溝(トラフ)のこと。非常に活発で大規模な地震発生帯である。南海トラフ北端部の駿河湾内に位置する右図黄線の部分は駿河トラフとも呼称される。.

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南海トラフ巨大地震

南海トラフ巨大地震(なんかいトラフきょだいじしん)は、フィリピン海プレートとアムールプレート一般的にはユーラシアプレートとの収束型境界とされるが、石橋(2014)は南海トラフの地震を考える上ではアムールプレートの東北日本に対する東進を考慮した方が良いとしている。とのプレート境界の沈み込み帯である南海トラフ沿いが震源域と考えられている巨大地震のことである石橋克彦『南海トラフ巨大地震 -歴史・科学・社会』岩波出版、2014年瀬野徹三(2011):, 東京大学地震研究所, 2011年。 また、2011年8月に内閣府に設置された「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が検討を行っている、南海トラフ沿いで発生すると想定される最大クラスの地震も「南海トラフ巨大地震」と称されており、本項でもそれを基に解説している。.

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吉野川

吉野川(よしのがわ)は、一級水系である吉野川水系の本川で、高知県および徳島県を流れる幹川流路延長194 km、流域面積3,750 km2の河川である。最長川幅は荒川の2,537 mに次いで広く、2,380 mである。 日本三大暴れ川の1つとして数えられ、利根川(坂東太郎)・筑後川(筑紫次郎)と並び四国三郎(しこくさぶろう)の異名を持つ。(順位争いで「四国次(二)郎」といわれることもある)。.

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堀越公方

堀越公方(ほりごえくぼう/ほりこしくぼう)とは、室町時代に関東で勢力を持った公方の一。伊豆堀越(静岡県伊豆の国市)を本拠地とした。『国史大辞典』『日本史大事典』によると、地名は「ほりごえ」だが、慣用として「ほりこしくぼう」と読んでいる。『日本史広事典』(角川書店)では「ほりごえくぼう」となっている。.

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塩田

塩田(えんでん)は、大量の海水から水分を蒸発させ、塩だけを取り出すために用いられる場所および施設。狭義には後述の天日塩田を指すが、この項では海水を用いた製塩技術全般について記述する。.

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大乗院寺社雑事記

大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)は、興福寺大乗院で室町時代に門跡を務めた、尋尊・政覚・経尋が三代に渡って記した日記。約190冊。原本は1450年(宝徳2年)から1527年(大永7年)までが現存しており、国立公文書館が所蔵し、重要文化財に指定されている。尋尊の書いた部分は特に「尋尊大僧正記」「尋尊大僧正記補遺」などとも呼ばれ、応仁の乱前後の根本史料とされている。またほとんどの項に紙背文書があり、あわせて貴重な資料となっている。.

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大井俣窪八幡神社

大井俣窪八幡神社(おおいまたくぼはちまんじんじゃ)は、山梨県山梨市北にある神社である。通称窪八幡神社。.

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大永

大永(だいえい、たいえい)は、日本の元号の一つ。永正の後、享禄の前。1521年から1527年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇、後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義稙、足利義晴。.

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大湊 (伊勢市)

大湊(おおみなと)は、三重県伊勢市にある港町。宮川河口付近の三角州にあり、中世から近世の伊勢湾における商業・海運の中心地であった。住所表記上の町名は大湊町(おおみなとちょう)。 1943年(昭和18年)に宇治山田市に編入され、1955年(昭和30年)に市名改称により伊勢市となった。.

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太平洋

太平洋(たいへいよう)は、アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれる、世界最大の海洋。大西洋やインド洋とともに、三大洋の1つに数えられる。日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5,555万7千平方キロメートルであり、全地表の約3分の1にあたる。英語名からパシフィックオーシャン(Pacific ocean)とも日本語で表記されることもある。.

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奈良

奈良(なら)は、日本国の発祥とされる歴史的地名である。 異表記として那羅・平城・寧楽などがある(読みは全て「なら」)。平安京(京都)に都が遷った後は南都(なんと)とも呼ばれた。古くは大和と呼ばれ、また平城京にも相当した。.

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実隆公記

『実隆公記』(さねたかこうき)は、室町時代後期の公家、三条西実隆の記した日記。期間は、文明6年(1474年)から天文5年(1536年)までの60年以上に及ぶ。同時代の一級資料。記述は京都の朝廷、公家や戦国大名の動向、和歌、古典の書写など多岐に及ぶ。自筆本が現存し、1995年(平成7年)に重要文化財に指定された。.

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宝永地震

井(1982), p42-43.。 宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、東海道沖から南海道沖(北緯33.2度、東経135.9度 - 震度分布による推定で、断層破壊開始点である本来の震源、その地表投影である震央ではない。)を震源域として発生した巨大地震。南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、記録に残る日本最大級の地震とされている宇佐美(2003), p75-90.『理科年表』, p737, 767.。世にいう宝永の大地震(ほうえいのおおじしん)、あるいは宝永大地震(ほうえいおおじしん)とも呼ばれ、亥の大変(いのたいへん)とも呼ばれる。地震の49日後に起きた宝永大噴火は亥の砂降り(いのすなふり)と呼ばれる。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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宮川 (三重県)

宮川(みやがわ)は、三重県南部を流れる一級河川。延長91kmは、三重県のみを流れる河川としては最も長い。 国土交通省の一級河川水質調査(BODを基準としている。2012年に順位付け廃止)で、過去11回(2006年からは6年連続)1位となっており、清流で知られる。神宮式年遷宮のお白石持行事に使用する石は、この宮川の河原から採集する。.

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宗長

宗長(そうちょう、1448年(文安5年) - 1532年4月11日(天文元年3月6日))は室町時代後期の連歌師である。号は柴屋軒。駿河国島田(現在の静岡県島田市)の出身。鍛冶職五条義助の子として生まれた。.

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宇津徳治

宇津 徳治(うつ とくじ、1928年4月13日 - 2004年8月18日)は、日本の地震学者。東京市芝区(現東京都港区)生まれ。.

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安濃津

安濃津(あのうつ、あのつ、あののつ)は、伊勢国安濃郡(現在の三重県津市)に位置し、日本の古代から中世にかけて栄えた港湾。漢字は安乃津・阿野津とも表記され、洞津(あなつ)とも言う。.

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安房国

安房国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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安政南海地震

安政南海地震(あんせい なんかいじしん)は、江戸時代後期の嘉永7年11月5日(1854年12月24日)に発生した南海地震「南海地震」とは、本来1946年南海地震を指していたが、南海トラフ沿い西側半分の南海道沖を震源域とする地震も一般的に南海道地震と呼ばれてきた。2001年の「東南海、南海地震等に関する専門調査会」設置以来、土佐湾から紀伊水道沖を震源域として発生するとされる固有地震の名称としても使われ始め、「」(平成14年法律第92号)に明記された。である。 南海トラフ巨大地震の1つとされ、約32時間前に発生した安政東海地震と共に安政地震沢村(1959), p59-60.、安政大地震とも総称される門村(1983).。この地震は嘉永年間に起きたが、この天変地異や内裏炎上、前年の黒船来航を期に改元されて安政と改められ、歴史年表上では安政元年(1854年)であることから安政を冠して呼ばれる。当時は寅の大変(とらのたいへん)とも呼ばれた。.

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安政東海地震

安政東海地震(あんせいとうかいじしん)は、江戸時代後期の嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に発生した東海地震である。ここでいう「東海地震」とは南海トラフ沿い東側半分の東海道沖が震源域となる地震のことであり、いわゆる東南海地震「東南海地震」とは、本来1944年東南海地震を指していたが、2001年の「東南海、南海地震等に関する専門調査会」設置以来、熊野灘から遠州灘を震源域として発生するとされる固有地震の名称として使われ始め、「東南海・南海地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」(平成14年法律第92号)に明記された。-石橋(2014), p137-138.の領域も本地震の震源域に含まれていたと考えられている。 また、南海トラフ巨大地震の一つとされ、約32時間後に発生した安政南海地震とともに安政地震沢村(1959), p59-60.、あるいは安政大地震とも総称される門村(1983).。この地震は嘉永年間に起きたが、この天変地異や前年の黒船来航を期に改元されて安政と改められ、歴史年表上では安政元年であることから安政を冠して呼ばれる。当時は寅の大変(とらのたいへん)とも呼ばれた。.

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寛永

寛永(かんえい)は日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.

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小山真人

小山 真人(こやま まさと、1959年 - )は、日本の火山学者。静岡大学防災総合センター副センター長、同大学教育学部教授。静岡県浜松市生まれ小山真人 『富士山大噴火が迫っている! - 最新科学が明かす噴火シナリオと災害規模』 技術評論社 2009年。うさはかせの愛称も持つ。.

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小田原城

小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にあった、戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)で、北条氏の本拠地として有名である。江戸時代には小田原藩の藩庁があった。城跡は国の史跡に指定されている。.

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尺(しゃく)は、尺貫法における長さの単位である。東アジアでひろく使用されている。ただし、その長さは時代や地域によって異なる。 人体の骨格の尺骨は、この尺とほぼ同じの長さであることに由来する。 また、もともとは長さの単位であった尺が、転じて物の長さのことや物差しのことも「尺」と呼ぶようになった。.

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山梨市

笛吹川から見た市街 笛吹川 山梨市(やまなしし)は、山梨県にある市。甲府盆地の東部に位置する 山梨市オフィシャルサイト。面積は289.80km2であり、県内第4位である。甲州ワインの産地として知られる。 国宝の仏殿を有する清白寺、古今和歌集「しほの山差出の磯にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞなく」を代表に多くの歌人にも詠まれた名勝地差出の磯(さしでのいそ)、武田信玄の隠し湯ともいわれる県内最古の温泉である岩下温泉などがある。.

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山梨県

山梨県(やまなしけん)は、本州の内陸部に位置する日本の県の一つ。県庁所在地は甲府市。令制国の甲斐国に相当する。.

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巨大地震

巨大地震(きょだいじしん)は、地震の中でとくに規模が大きなものを指す言葉である。学術用語ではないが、日本地震学会の発表や各種教科書・論文でもしばしば使われる表現であるたとえばやなどにこのような記載がある。。また地震の大きさを端的に表す言葉であるためか、マスメディアも積極的に使用している。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中村市

中村市(なかむらし)は、高知県西部に位置していた市。 2005年(平成17年)4月10日、隣接する西土佐村と合併し、四万十市(しまんとし)となった。.

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中日新聞

中日新聞(ちゅうにちしんぶん)は、日本の新聞社・中日新聞社が東海地方を中心とする地域で発行する日刊新聞である。 戦時統合により新愛知と名古屋新聞が統合して創刊。その関係で、今なお大島家と小山家の2オーナー制が続いている。名古屋圏では圧倒的なシェアを誇っており2017年9月現在、中日新聞単独部数は235万部(朝刊)だが、中日新聞東京本社が発行する東京新聞や中日新聞北陸本社が発行する北陸中日新聞などを併せれば約302万部(朝刊)(ABCレポート、但し日刊県民福井は自社公称)に達し、地方紙ながら全国紙である産経新聞(約155万部)、日経新聞(約260万部)、毎日新聞(約294万部)を上回り全国第3位の部数となる。.

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丸善雄松堂

丸善雄松堂株式会社(まるぜんゆうしょうどう、)は、日本の大手書店、出版社、専門商社。文化施設の建築・内装、図書館業務のアウトソーシング等も行い、幅広い業務を手がけている。大日本印刷の子会社である丸善CHIホールディングスの完全子会社である。 なお、かつての丸善石油(後のコスモ石油)、「チーかま」など珍味メーカーの丸善、業務用厨房機器メーカーのマルゼン、エアソフトガンメーカーのマルゼンとは無関係である。 本店は東京都中央区日本橋二丁目に、本社事務所は港区海岸一丁目にある。.

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記載なし。

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三重県

三重県(みえけん)は、日本の都道府県の一つで紀伊半島の東側に位置する。県庁所在地は県中部の津市。.

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三河国

三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。三の大字を用いて参河国(參河國)とも表記する。現在の愛知県東半部。.

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九州

九州(きゅうしゅう)は、日本列島を構成する島の一つで島国 (領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け ⇒ 6,852島(本土5島・離島6,847島)。<出典>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識) 2009年11月27日閲覧。ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。、その南西部に位置する。 北海道・本州・四国とともに主要4島の一つでもあり、この中では3番目に大きい島で【参考】 日本の島の面積順に上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。  国立天文台 (編)理科年表 平成19年版 P565、ISBN 4621077635。、世界の島の中では、スピッツベルゲン島(ノルウェー)に次ぐ第37位の大きさである。 地質学や考古学などでは九州島という名称も使用される。 九州とその付随する島を合わせて九州地方(きゅうしゅうちほう)と言う。九州の最高標高は1,791メートル (m) で、大分県の九重連山・中岳の標高である。また、九州地方の最高標高は1,936 mで、鹿児島県の屋久島・宮之浦岳の標高である。(「#地理」および「日本の地理・九州」を参照) 九州には7つの地方公共団体(県)があり、7県総人口は13,108,027人、沖縄県を含めた8県総人口は14,524,614人である。都道府県の人口一覧#推計人口(右表 九州地方のデータ参照) 九州の古代の呼称は、「筑紫島」・「筑紫洲」(つくしのしま)である(#歴史書における呼称)。.

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乙卯

乙卯(きのとう、いつぼう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの52番目で、前は甲寅、次は丙辰である。陰陽五行では、十干の乙は陰の木、十二支の卯は陰の木で、比和である。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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仁和地震

仁和地震(にんなじしん)は平安時代前期に起きた南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。 この地震の9年前(878年)には関東地方で大地震(相模・武蔵地震)、18年前(869年)には三陸沖を震源とする甚大な津波被害を伴った巨大地震である貞観地震があった。.

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仏堂

仏堂(ぶつどう)とは、仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物である。境内以外に単独で建てられたものは境外仏堂(けいがいぶつどう)ということがある。.

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伊予国

伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.

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伊勢市

伊勢市(いせし)は、三重県南東部に位置する都市である。市域の大半は旧度会郡であり、一部に旧多気郡域を含む。.

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伊勢国

伊勢国(いせのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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伊勢神宮

伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宫(じんぐう)」法人としての名称も「神宮」であり、事務をつかさどる機関として「神宮司庁」がある。主たる事務所の所在地は伊勢市宇治館町1番地(神宮司庁の所在地)。。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。 二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ神宮で神階が無いのは、伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである。。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。.

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伊豆半島

伊豆半島のランドサット。スペースシャトル 伊豆半島(いずはんとう、Izu peninsula)は、日本列島のうち本州の南東部に位置する半島。出典: - 静岡県、2012年11月6日閲覧。★この部分は、「行政」という主語が広すぎるのと、伊豆半島の定義というよりも静岡県の海岸保全行政における所管区域にすぎないため非表示にしました(ちなみに、静岡県では県内の沿岸を「伊豆半島沿岸」(神奈川県境~大瀬崎)、「駿河湾沿岸」(大瀬崎~御前崎)、「遠州灘沿岸」(御前崎~伊良湖岬(御前崎から愛知県の伊良湖岬))の三つに分けて海岸保全を行っています)。★-->明治以前は伊豆国として東海道の1国を構成していた。.

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伊豆市

伊豆市(いずし)は、静岡県の伊豆半島中央部に位置する市。この半島で最大の面積を占める基礎自治体である。.

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伊豆国

伊豆国(いずのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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伊東市

伊東市(いとうし)は、静岡県の最東部に位置する市。.

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余震

余震(よしん、)とは大きな地震の後に、近接地域で引き続いて多数発生する地震である。最初の大きな地震を本震と言い、本震より前に発生する地震を前震という。震源の浅い規模の大きな地震のほとんどは、余震を伴う。余震の規模は本震より小さいが、本震に近い規模の余震が発生することもある。一般的には最大余震のマグニチュードは本震のそれよりも1程度小さいとされる。.

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御前崎

西側の海岸線から望む御前埼灯台と御前崎(右端) 御前崎(おまえざき)は、静岡県御前崎市御前崎に属し、東に駿河湾を、南に遠州灘を望む岬。静岡県では島嶼を除けば最南端である。.

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御前崎市

御前崎市(おまえざきし)は、静岡県の中西部、御前崎にあり、電力、水産、観光を主な産業とする市。.

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御湯殿上日記

御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき・お湯殿の上の日記)とは、御所に仕える女官達によって書き継がれた当番制の日記。禁裏(宮中)にある御湯殿の側に女官達の控えの間があり、そこに備え付けられていたといわれている。当番の女官によって交替で書かれたもので字体は女房文字(仮名文)。稀に当代の天皇自身が代わりに書いたと思われる部分もあるとされている。 本来はいわば宮中の機密日誌(秘記)であり非公開のものであったが、後日の参考のために写本が作られる場合もあり、そのため正本・写本・抄本を合わせると室町時代の文明9年(1477年)から文政9年(1826年)の350年分の日記が途中に一部欠失があるもののほとんどが伝わっている。特に戦乱の激しかった戦国時代の記録が残されているという点で貴重な史料である。また宮廷の女性達が用いていた文字や言語(女房言葉)の研究の分野においても貴重な資料となっている。 主に天皇の日常の動向が記述の中心であるが、宮廷行事や任官叙位、下賜進献などの宮中での出来事、皇族や女官の動向等、有職故実面や政治の表舞台には現れない記事も見られる。『群書類従』に慶長3年(1598年)分が収録されて以来、宮廷史・政治史の根本史料として注目されるようになった。.

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徳島県

徳島県(とくしまけん)は、日本の県の一つ。四国の東部に位置する。県庁所在地は徳島市。.

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後法興院記

後法興院記(ごほうこういんき)は、室町時代後期から戦国時代初期にかけて関白・太政大臣を務めた公卿近衛政家の日記。.

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応仁の乱

応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって継続した内乱。室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国に争いが拡大した。明応2年(1493年)の明応の政変と並んで戦国時代移行の原因とされる。十数年に亘る戦乱は和睦の結果、西軍が解体され収束したが、主要な戦場となった京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。 応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦乱期間の大半は文明年間であったため応仁・文明の乱(おうにん・ぶんめいのらん)とも呼ばれる。.

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志太郡

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志摩半島

志摩半島(しまはんとう)は、三重県の中東部に位置する半島。北側は伊勢湾、東側は遠州灘、南側は熊野灘に面している。度会郡・伊勢市・鳥羽市・志摩市を含み、大部分が伊勢志摩国立公園に指定されている。このうち、志摩市の大王町から志摩町にかけて英虞湾を囲む部分を「さきしま半島」と呼ぶ(表記に関しては後述)。.

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志摩市

志摩市(しまし)は、三重県志摩半島南部に位置する市。 2016年、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)が市内の賢島で開催されたことでも知られる。.

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志摩国

志摩国(しまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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土肥町

土肥町(といちょう)は、静岡県の西部、伊豆半島の駿河湾に面する町である。2004年4月1日に、周辺3町との合併により伊豆市の一部となった。.

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地震

地震(じしん、earthquake)という語句は、以下の2つの意味で用いられる日本地震学会地震予知検討委員会(2007)。.

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地震モーメント

地震モーメント(じしん-)とは、地震の大きさを示す指標のひとつで、断層運動の力のモーメント(エネルギー)の大きさを表す。 断層面の剛性率を\mu(Pa)、断層面積の合計をA(m2)、断層全体での変位(すべり)量の平均を\bar(m)としたとき、地震モーメントM_0は、 と表される。単位はニュートンメートル(N・m)である。.

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北条早雲

北条 早雲(ほうじょう そううん)は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖である。伊勢 宗瑞(いせ そうずい)とも呼ばれる。北条早雲は戦国大名の嚆矢であり、早雲の活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。.

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マグニチュード

地震のマグニチュード (magnitude) とは、地震が発するエネルギーの大きさを対数で表した指標値である。揺れの大きさを表す震度とは異なる。日本の地震学者和達清夫の最大震度と震央までの距離を書き込んだ地図に着想を得て、アメリカの地震学者チャールズ・リヒターが考案した。 リヒターの名からリヒター・スケール (Richter scale, 、読:リクター・スケール) ともいう。マグニチュードは地震のエネルギーを1000の平方根を底とした対数で表した数値で、マグニチュードが 1 増えると地震のエネルギーは約31.6倍になり、マグニチュードが 2 増えると地震のエネルギーは1000倍になる。 地震学ではモーメントマグニチュード (Mw) が広く使われる。日本では気象庁マグニチュード (Mj) が広く使われるが、長周期の波が観測できるような規模の地震(Mj5.0以上)ではモーメントマグニチュードも解析・公表されている。 一般的にマグニチュードは M.

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ユリウス暦

ユリウス暦(ユリウスれき、、、)は、共和政ローマの最高神祇官・独裁官・執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施された、1年を365.25日とする太陽暦である。もともとは共和政ローマおよび帝政ローマの暦であるが、キリスト教の多くの宗派が採用し、西ローマ帝国滅亡後もヨーロッパを中心に広く使用された。 ローマ教皇グレゴリウス13世が1582年、ユリウス暦に換えて、太陽年との誤差を修正したグレゴリオ暦を制定・実施したが、今でもグレゴリオ暦を採用せずユリウス暦を使用している教会・地域が存在する。グレゴリオ暦を導入した地域では、これを新暦(ラテン語: Ornatus)と呼び、対比してユリウス暦を旧暦と呼ぶことがある。 なお、天文学などで日数計算に用いられるユリウス通日があるが、これはユリウス暦とは全く異なるものである。.

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ヒラメ

ヒラメ(鮃、英名:Bastard halibut、学名:Paralichthys olivaceus)は、カレイ目カレイ亜目ヒラメ科に属する魚の一種。広義には、ヒラメ科とダルマガレイ科に属する魚の総称である(「ヒラメ類」の項を参照)。有眼側(目のある方)が体の左側で、日本では「左ヒラメに右カレイ」といってカレイ類と区別する(後述)。また口と歯が大きいのが特徴で、ヒラメ類のことを英語では'''Large-tooth flounders''' という。.

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呉州 (江蘇省)

呉州(ごしゅう)は中国にかつて存在した州。.

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和歌山市

和歌山市(わかやまし)は、近畿地方の南西部、和歌山県の北部に位置する市で、和歌山県の県庁所在地。江戸時代には御三家のひとつである紀州徳川家が治める紀州藩の城下町として栄え、「若山」とも表記された。 県の面積の約4%ほどだが、県人口の約40%が暮らしているプライメイトシティである。中核市に指定されている。.

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和歌浦

塩竈神社 三断橋と妹背山、海禅院 和歌浦(わかのうら)は和歌山県北部、和歌山市の南西部に位置する景勝地の総称。国指定の名勝。 住所表記での「和歌浦」は「わかうら」と読むために、地元住民は一帯を指して「わかうら」と呼ぶことが多い。狭義では玉津島と片男波を結ぶ砂嘴と周辺一帯を指すのに対し、広義ではそれらに加え、新和歌浦、雑賀山を隔てた漁業集落の田野、雑賀崎一帯を指す。名称は和歌の浦とも表記する。 『万葉集』にも詠まれた古からの風光明媚なる地で、近世においても天橋立に比肩する景勝地とされた。近現代において東部は著しく地形が変わったため往時の面影は見られないが2011年に漸く国の名勝に指定され、また自然海岸を残す西部の雑賀崎周辺は瀬戸内海国立公園の特別地域に指定されており、其々保護されている。 本項では和歌山市和歌浦支所の管轄地域と、その前身である海草郡和歌浦町(わかうらちょう)、同町の町制前の名称である海部郡・海草郡和歌村(わかむら)についても述べる。.

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スギ

(杉、Cryptomeria japonica)は、ヒノキ科スギ亜科スギ属の常緑針葉樹である(以前はスギ科 Taxodiaceae に分類されていた)。.

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八丈島

八丈島(はちじょうじま)は、伊豆諸島の島。行政区分は東京都八丈町。隣の八丈小島と区別するため、八丈本島もしくは八丈大島と呼ばれることもある。日本の気象庁による火山活動度ランクCの活火山である。1964年、富士箱根伊豆国立公園に指定された。.

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八丈町

八丈町(はちじょうまち)は、伊豆諸島にある東京都の町である。伊豆諸島南部の八丈島および八丈小島を町域とする。八丈小島は現在無人島である。.

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元禄地震

元禄地震(げんろくじしん)は、元禄16年11月23日(1703年12月31日)午前2時ごろ、関東地方を襲った巨大地震。 震源は相模トラフの房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点震度分布による推定で、断層破壊開始点である本来の震源、その地上投影である震央ではない。にあたる。マグニチュード(M)は7.9-8.5と推定されている。元禄大地震(げんろくおおじしん、げんろくだいじしん)あるいは元禄の大地震(げんろくのおおじしん)とも呼ばれ、大正関東地震に対比して元禄関東地震(げんろくかんとうじしん)の名称もしばしば使用される。 大正12年(1923年)に起きた関東地震(関東大震災)と類似のタイプの海溝型地震である上に、震源分布図も類似することから大正関東地震以前の相模トラフ巨大地震と考えられている。ただし、地殻変動は大正関東地震よりも大きいものであった大正関東地震の震源域に加えて、房総半島南東沖も震源域となる連動型地震であった可能性が指摘されている(詳細は「相模トラフ巨大地震#再来間隔」参照)。。大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したという。 江戸時代中期の元禄から宝永年間は巨大地震、噴火が続発した時期であり、本地震の4年後の宝永4年(1707年)にはM 8.4-8.6(Mw 8.7-9.3)と推定される宝永地震、および宝永大噴火も発生している安藤雅孝(1974): 東海沖か房総沖で大地震, 科学朝日, 34, No.3, 34-37.

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副振動

副振動(ふくしんどう、)とは潮位の変化のうち潮汐や高潮、津波などによって発生する以外のものを指す言葉である。数分から数十分程度の周期の水面振動で湾や海峡においてはごく一般的に見られる現象。潮汐によって発生する潮位の変化を主振動と考えて、それに対する用語である。スイスのレマン湖で発生する同様の現象に対する言葉から「セイシュ」(Seiche)とも呼ばれる。また、気象現象が原因となっている副振動波は、気象津波とも呼ばれる。 原因がはっきりとわからない潮位の異常を指す異常潮の一種にも分類される。異常潮にはもう1つ、数日程度持続する異常潮位というものがある。.

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国崎町

国崎町(くざきちょう)は、三重県鳥羽市の町名。国崎は文字通り「くにざき」と読むこともある「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):423ページ。紀伊半島および志摩半島の最東端に位置し、それが町名の由来となった。郵便番号は517-0031。住民基本台帳に基づく2015年7月31日現在の人口は344人、2010年10月1日現在の面積は3.572644km2。 伊勢神宮の神饌として代表的なアワビはこの国崎町で調製されている。「石鏡女に国崎男」と言われ、国崎町には美男が多いとされている。.

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国立天文台

国立天文台(こくりつてんもんだい、National Astronomical Observatory of Japan, NAOJ)は、理論・観測の両面から天文学を研究する日本の研究所・大学共同利用機関である。大学共同利用機関法人自然科学研究機構を構成する研究所の1つでもある。 日本国外のハワイ観測所などいくつかの観測所や、三鷹キャンパスなどで研究活動をしており、総称として国立天文台と呼ばれる。本部は東京都三鷹市の三鷹キャンパス内にある。.

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四万十川

四万十川(しまんとがわ)は、高知県の西部を流れる渡川水系の本川で、一級河川 。全長196km、流域面積2186km2187kmとする文献も存在する。海津正倫(1982)愛媛県の地形地域区分.『愛媛県の地域区分と地域設定に関する研究』.

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四万十市

四万十市(しまんとし)は、高知県南西部に位置する市。.

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四国

四国内の高速道路網(緑線)および本四架橋を含む県境をまたぐ大規模架橋(青線)。赤星および赤丸は人口上位10都市 四国(しこく)は、日本列島を構成する島の一つである島国 (領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け ⇒ 6,852島(本土5島・離島6,847島)。<出典>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識) 2009年11月27日閲覧。 ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。。 北海道・本州・九州とともに主要4島の一つでもあり、この中では最も小さい 国土地理院(注:表中の「沖縄島 おきなわじま」は、通称名「沖縄本島」の正式名称)【参考】 日本の島の面積順に上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。 国立天文台 (編)理科年表 平成19年版 P565、ISBN 4621077635。。最高標高は石鎚山の1,982mで、福井・石川・岐阜県境の両白山地三ノ峰 (2128m) 以西の西日本では最も高い。面積は18,297.78km2で、世界の島の中では、バナナル島(ブラジル)に次ぐ第50位の大きさである世界の島の面積順位より抜粋、出典 List of islands by area(島:オーストラリア大陸の面積未満で、四方を水域に囲まれる陸地) ------------------------- ------------------------- ------------------------- ------------------------- 四国とその付随する島(小豆島、大三島、大島、中島、伯方島、豊島など)を合わせて「四国地方」と言う地方公共団体(都道府県)別では、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4県が所在する。 。これら付随する島を含めないことを強調したい場合、「四国本土」あるいは「四国島」と呼ぶこともある。(日本の地理・四国、日本の地域・四国地方も参照) 四国には、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4つの地方公共団体(県)があり、4県総人口は3,762,941人であり、概ね横浜市人口に匹敵する,。(表右下 四国地方も参照) 四国の古代の呼称は、「伊予之二名島」・「伊予二名洲」(いよのふたなのしま)である。.

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矢田俊文 (歴史学者)

俊文(やた としふみ、1954年1月 - )は、日本の歴史学者、新潟大学人文学部教授。日本中世史、特に越後の上杉氏を中心とした戦国大名に関する業績や、歴史学の立場からの地震研究によって知られる。新潟史学会会長。.

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石橋克彦

石橋 克彦(いしばし かつひこ、1944年8月1日 - )は、日本の地球科学者、理学博士、神戸大学名誉教授。専門は歴史地震、地震テクトニクス。.

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災害記念碑

昭和8年に建てられた大津波記念碑(岩手県宮古市) 災害記念碑(さいがいきねんひ)は、地震、津波、噴火、火災、事故といった大規模な災害の実情を後世に伝え残すために、教訓として作られた記念碑である。全国に存在するが、津波被害の多かった三陸海岸に特に多く津波記念碑のみで約200基が存在する。.

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理科年表

科年表(りかねんぴょう、Chronological Scientific Tables)は、国立天文台が編纂し丸善が発行する自然科学に関するデータ集である。.

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磐田市

市(いわたし)は、静岡県西部地区の市。旧磐田郡の一部。.

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神奈川県

奈川県(かながわけん)は、日本の県の一つ。関東地方の南西端、東京都の南に位置する。県庁所在地は横浜市。県名は東海道筋に古くから栄えた宿場町神奈川宿(現・横浜市神奈川区)、および幕末に戸部町(現・横浜市西区紅葉ヶ丘)に置かれた神奈川奉行所に由来する。これら「神奈川」の由来は、京急仲木戸駅近くに流れていた長さ300メートル (m) ほどの小川の名前からで、現在は道路になっている。 都道府県別の人口は東京都に次ぐ第2位、人口密度は東京都、大阪府に次ぐ第3位である。県内総生産も東京都、大阪府、愛知県に次ぐ第4位となっている。県内の政令指定都市数は3つと日本最多で、面積は第43位の規模である(平成19年度面積)、国土地理院。。.

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稲沢市

沢市(いなざわし)は、愛知県の北西部、濃尾平野中央部にある市である。 旧中島郡の一部。 市が掲げるキャッチコピーは「自然の恵みと心の豊かさ 人が輝く文化創造都市」。植木・苗木の産地として全国的に知られる。また、旧祖父江町は全国一の銀杏の産地である飯田憲、花岡洋二、高木香奈(2014年11月21日). “イチョウ:ギンナンにおい、困った 秋の風物詩なのに、邪魔者扱い 名産地の愛知・稲沢は達観、黄葉まつり”. 毎日新聞 (毎日新聞社)。かつては旧国鉄の操車場があることでも知られた。 名古屋市へのアクセスが良いため、ベッドタウンとしての発展がめざましく、交通の便のよさからソニーグループや豊田合成などの工場が数多く立地する。 尾張大国霊神社(国府宮神社)や矢合観音、善光寺東海別院は、尾張地方の人々から広く崇拝を集めている。.

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紀の川

紀の川(きのかわ)は、奈良県から和歌山県へと流れ紀伊水道に注ぐ一級水系の本流。 奈良県内では奈良県南部の地名「吉野」に因み「吉野川(よしのがわ)」と呼ばれるが、河川名を案内する標識などには水系名である「紀の川(きのかわ)」が併記される(例:「よしのがわ(きのかわ)」)。地図や橋の銘板には吉野川と記される。なお、四国を流れる一級河川「吉野川」ほか、日本各地にある同名の川は『吉野川 (曖昧さ回避)』を参照。.

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紀伊国

紀伊国(きいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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紀伊続風土記

紀伊続風土記(きいぞくふどき、きいしょくふどき)は、紀州藩が編纂した地誌。.

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紀伊長島町

紀伊長島町(きいながしまちょう)は、三重県南部の北牟婁郡(きたむろぐん)にあった町。2005年10月11日に、隣の海山町と合併して紀北町となり、合併特例法で定められた地域自治区制度を導入して紀北町紀伊長島区となったが、2016年3月31日に廃止された。 主な産業として、黒潮の恩恵を受けて漁業が盛ん。気候は温暖で雨が多い。熊野灘レクリエーション都市開発を進めており観光立町を目指している。世界遺産熊野古道がある。毎年7月には海のねぶたと呼ばれる巨大燈籠と花火の祭典燈籠祭が開催される。 三重県内にはもうひとつ県北部に長島温泉やナガシマスパーランドで知られる桑名郡長島町(現・桑名市長島町)が存在していた。こちらは旧伊勢国にあり伊勢長島と称されることも多い。.

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続史愚抄

続史愚抄(ぞくしぐしょう)は、江戸時代後期に権大納言柳原紀光によって記された編年体歴史書。全81冊。亀山天皇が譲位を受けた正元元年(1259年)から、後桃園天皇が崩御した安永8年(1779年)までの33代521年間を記す。体裁としては、六国史及び『百錬抄』を継承する形となっているが、構想としてはそこから遡って六国史最後の『日本三代実録』の巻末にあたる仁和3年(887年)とつなげる意図を有していたことは紀光自身の自序に記され、また朱雀天皇・三条天皇の時代を記した草稿も現存している。 父・柳原光綱は六国史以後、正史が完成しなかったことを嘆いてその続編を編纂することを意図していたが果たせずに死去、紀光はその遺志を継ぐ形で安永6年(1777年)から執筆を始めた。ところが、天明8年(1789年)になって突如勅勘解官処分を受け、その後許されたものの以後は出仕せずに歴史書の編纂に務めた。寛政5年(1793年)には中清書本が成立、寛政10年(1798年)に清書本81冊が完成した。その後、清書本の校訂・浄書最中の寛政12年(1800年)に紀光が急死したために完成には至らなかった。 漢文の編年体形式を採用し、天皇1代ごとに在位期間中にあった出来事を年月日順に掲載している。天皇の動静や朝儀公事、摂関大臣の人事や社寺・災害など公家社会を中心として幅広い分野に関して記されている。記載内容は簡潔であるが、依拠史料を注記しており、必要に応じて按文とその考拠を明らかにするなど、その史料としての評価は高い。また、南北朝時代については、柳原家が仕えていた北朝正統論に基づいて記されている。 紀光自身の自筆清書本は火災によって失われたものの、その転写本が宮内庁書陵部・内閣文庫に伝えられている他、焼失前に『国史大系』の底本としても用いられている。また、紀光自筆のものとしては中清書本が全部(正親町天皇以前29冊は岩瀬文庫、後陽成天皇以後19冊は宮内庁書陵部)に残されている他、岩瀬文庫には東山天皇までの草稿本28冊と後花園天皇までの未完の最終浄書本46冊が現存している(これは柳原家の旧蔵文書が同文庫に保管されていることによる)。.

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羽鳥徳太郎

羽鳥 徳太郎(はとり とくたろう、1922年 - 2015年12月6日) は日本の地震学者。歴史地震により生じた津波に関し多くの研究がある。.

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田原市

原市(たはらし)は、愛知県南端、渥美半島にある市。.

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由比ヶ浜

由比ヶ浜(ゆいがはま)は、現在の神奈川県鎌倉市南部の相模湾に面した海岸の名称。海水浴場として有名。.

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甲州市

州市中心部(旧塩山市)周辺の空中写真。市街地の北西に隣接した単独峰は、塩山の地名の由来となった塩ノ山である。1976年撮影の2枚を合成作成。国土航空写真。 甲州市(こうしゅうし)は、山梨県北東部に位置する市である。.

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甲斐国

斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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町 (単位)

(ちょう)は尺貫法での長さ(距離)または面積の単位である。.

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焼津市

津市(やいづし)は、静岡県中部に位置する市。漁港を中心に発展し、遠洋漁業・水産加工業は全国的に有名である。.

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熊野

野(旧牟婁郡)の範囲 青岸渡寺と那智滝(那智勝浦町) 熊野本宮大社(田辺市) 熊野灘(紀北町) 熊野川(紀宝町⇔新宮市) 三段壁(白浜町) 熊野(くまの)は、和歌山県南部と三重県南部からなる地域である。紀伊半島南端部を占める。 旧国では紀伊国南部にあたり、上古の熊野国と大概一致する。熊野三山(田辺市の熊野本宮大社・新宮市の熊野速玉大社・那智勝浦町の熊野那智大社)を中心とする熊野信仰の中心地として知られる。.

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熊野市

野市(くまのし)は、三重県の南部に位置し、熊野灘に面する市である。吉野熊野国立公園内に位置し、豊かな自然と温暖な気候に恵まれる。旧南牟婁郡。.

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熊野年代記

野年代記(くまのねんだいき)は、熊野新宮の本願所であった新宮庵主霊光庵により編纂された編年体の歴史書。古代から明治時代前半までの熊野三山の歴史を伝え、熊野の歴史研究において重要な史料と評価されている。.

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熊野本宮大社

野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社。熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする。.

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畿内

畿内(きない、きだい、うちつくに)とは、.

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相模・武蔵地震

模・武蔵地震(さがみむさしじしん)は平安時代前期のユリウス暦878年10月28日(グレゴリオ暦11月1日)(元慶2年9月29日)に発生した地震。「元慶地震」、「元慶の関東地震」とも。宇津による推定マグニチュードは7.4で、現在の関東地方南部に大きな被害をもたらした。また、松田(1989)らは、M7.0-7.5 と推定している。.

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相模トラフ

赤線) 相模トラフ(さがみトラフ)とは、日本海溝から相模湾に至る全長約250 km、水深約1000mの舟状海盆地形で、フィリピン海プレートの北東端に該当し斜めの衝突様式を持つプレート境界。 相模湾から伊豆大島・房総半島の間を通り、房総半島南東沖の三重会合点で日本海溝、伊豆・小笠原海溝と合流する。.

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相模トラフ巨大地震

模トラフ巨大地震(さがみトラフきょだいじしん)は、相模トラフのプレート境界(メガスラスト)で発生したと考えられている巨大地震石橋克彦(1991):, 地震学会秋季大会講演予稿集, No.2, p.251.

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相模国

模国(さがみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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銭洲

銭洲(ぜにす)は石廊崎の南方約70kmにある伊豆諸島の島。行政区画は東京都神津島村に属する。銭州、ゼニスと表記されることもある。別名、銭島。 北からダルマ、ヒラッタイ、ネープルスと呼ばれる3岩礁群で構成され、このうち最高地点のあるネープルス岩礁群には2015年6月に設置された一等三角点(現地には標石)がある。.

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銭洲海嶺

銭洲海嶺(ぜにすかいれい)とは、伊豆諸島の新島・式根島・神津島周辺から南西方向へ連なる海底の高まり(広義の海嶺)である。この海嶺の北西側は石廊海底谷および南海トラフと接している。南東側斜面には海嶺と平行に、複数の逆断層が発達している。また、石廊崎の南方およそ70kmの地点では海嶺の一部が海面上に突き出しており、銭洲と呼ばれている。.

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鎌倉

鎌倉(かまくら)は、現在の神奈川県鎌倉市の中心部に当たる地域。源頼朝を旗頭として、北条時政、北条義時らによって鎌倉幕府が置かれた都市であり、三浦半島の付け根に位置し、相模湾に面している。古くは鎌府(れんぷ)とも呼ばれた。三方を山に、一方を海に囲まれている。 鎌倉大仏.

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鎌倉大日記

『鎌倉大日記』(かまくらおおにっき)は、足利氏を中心とした作者不詳の年代記。南北朝時代末期頃の成立で、以後書き継がれたと考えられる。.

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鎌倉市

鎌倉大仏(高徳院) 建長寺 鎌倉宮(大塔宮) 荏柄天神社 鎌倉市(かまくらし)は、神奈川県、三浦半島西側の付け根に位置し、鎌倉を中心部とする市である。.

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遠江国

遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.

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静岡市

静岡市(しずおかし)は静岡県中部に位置する政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。.

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静岡県

静岡県(しずおかけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は静岡市。中部地方及び東海地方に含まれる。2017年(平成29年)現在、県の人口は約367万人であり都道府県別で第10位である。.

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飯田汲事

飯田 汲事(いいだ くめじ、1909年2月21日 - 2000年7月17日)は、日本の地震学者。.

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西伊豆町

西伊豆町(にしいずちょう)は静岡県の伊豆半島西岸に位置する町である。.

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駿河国

駿河国(するがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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駿河湾

薩埵峠から望む駿河湾越しの富士山と愛鷹山 駿河湾(するがわん)は伊豆半島先端にある石廊崎と御前崎を結ぶ線より北側の海域出典: - 国土交通省中部地方整備局 名古屋港湾空港技術調査事務所、2012年11月1日閲覧。最深部は水深2500mに達し、日本で最も深い湾である出典: - 静岡県、2012年11月1日閲覧。.

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言国卿記

『言国卿記』(ときくにきょうき)は、室町時代の公家、山科言国の記した日記。『史料纂集』所収。 記述は、文明6年(1474年)から文亀2年(1502年)までの30年近くに及ぶ。途中に一部欠落があるが、応仁の乱期の京都や朝廷、幕府などの動向などを知ることができる貴重な史料。音楽関係の記事や、一揆についての記載もあるという。また、絵双六の最古の記載があるという。文明9年(1477年)には自らが領主となっている荘園が有名無実化している実情を将軍足利義政に訴えたが戦乱の影響により為す術がなかった実情を記している。 Category:室町時代の日記 書ときくにきようき Category:15世紀の書籍 Category:16世紀の書籍.

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高徳院

大仏の後部。左下の穴から内部に入れる。 大仏の内部に入り上方を仰ぐ。くぼんだ部分が大仏の頭部。金属製の階段は関係者以外は利用できない。 高徳院(こうとくいん)は、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院。本尊は「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られる阿弥陀如来像(国宝)。山号は大異山。詳しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という。開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳である。 2004年(平成16年)2月27日、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定された。なお、大仏の造立経緯や、大仏殿の倒壊時期については諸説ある(後述)。 現在の住職は慶應義塾大学教授でもある佐藤孝雄が務めている。.

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高知県

知県(こうちけん)は、日本の県の一つ。四国の太平洋側に位置する。県庁所在地は高知市。.

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豊予海峡地震

豊予海峡地震(ほうよかいきょうじしん)は、江戸時代後期の1854年12月26日(嘉永7年/安政元年大地震を期に改元されたのは11月27日であるため、古記録は「嘉永七年」である。11月7日)辰下刻-巳上刻(9-10時頃)に、豊予海峡を震源として発生したマグニチュード(M)7.4の地震である。豊予地震、豊予大地震とも呼ばれる。.

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鳥羽市

鳥羽市(とばし)は、三重県南東部に位置する市。.

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鴨川市

市上空から 鴨川市(かもがわし)は、千葉県南東部に位置する市。太平洋に面し、安房地方の東部に位置する。安房地域における中核都市。.

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足利茶々丸

足利 茶々丸(あしかが ちゃちゃまる)は、室町時代後期の武将。初代堀越公方の足利政知の子。父の死後に一族間で内紛を起こして家督を相続するが、伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められて各地を転戦の果てに自殺、堀越公方家は滅亡した。「茶々丸」は幼名であり、元服をする前に死去したため、成人としての実名である諱は伝わっていないとされる。.

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鶴岡八幡宮

岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市にある神社。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 別称として鎌倉八幡宮とも呼ばれる。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では関東界隈で知名度が高く、近年では三大八幡宮の一社に入ることがある俗に三大八幡とは「大分の宇佐神宮・京都の石清水八幡宮」に「福岡の筥崎宮」または当社のいずれかを合わせた三社を指す。幕末から明治期の資料では、1868年(慶応4年)4月24日付け太政官達に示す八幡宮の例示3社(田中恆清『謎多き神 八幡神のすべて』 p.198 新人物往来社、2010年、ISBN 4404038291。)として官幣大社に列せられている3社は「宇佐・石清水・筥崎」であるが、近年発行された書籍中では「宇佐・石清水・鶴岡」を八幡神社の代表例としている(『全国八幡神社名鑑(別冊歴史読本―神社シリーズ (99))』新人物往来社、2004年、ISBN 4404030991。白井永二、土岐昌訓『神社辞典』東京堂出版、1997年、ISBN 449010474X。)。境内は国の史跡に指定されている。.

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黒川金山

黒川金山(くろかわきんざん)は、山梨県甲州市塩山上萩原に位置する遺跡。戦国時代から江戸時代前期まで鉱山として栄えた。 戦国期に甲斐国内統一を達成して領国拡大を行い、甲州金を流通させた武田氏の経営した金山と考えられてきたが、近年は直接経営は行われていなかったと推測されている。.

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right 辰(たつ、しん)は十二支のひとつである。通常十二支の中で第5番目に数えられる。前は卯、次は巳である。.

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都司嘉宣

都司 嘉宣(つじ よしのぶ、1947年9月21日 - )は、日本の地震学者。公益財団法人深田地質研究所客員研究員、防災科学技術研究所客員研究員。元東京大学地震研究所地震火山災害部門准教授。.

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興福寺

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。.

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閏(うるう、じゅん)とは、暦において一年の日数や月数が普段の年(平年)よりも多いこと、または一日の秒数が普段の日よりも多いことをいう。またはその余分な日・月・秒のこと。.

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藤沢市

藤沢市(ふじさわし)は、神奈川県南部中央に位置する、相模湾に接した市である。「湘南」と呼ばれる地域の中では、最大の人口を有する。.

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那智

那智(なち)とは和歌山県南部の熊野那智大社・那智滝などに関係する名前。.

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長江

長江(ちょうこう、中国語拼音字母: )は、青海省のチベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川である。全長は6300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位。 中国国外では、最下流部の異称である「揚子江」(ようすこう、Yangtze River)の名で良く知られる。古語では江(こう)。音訳する場合は「長」のみを音訳しチャン川 (Chang River) とすることもあるが、「江」が本来の河川名であることから、(他の中国の河川を「片仮名+川」とする場合でも)チャンチアンとすることもある。 青海省のタンラ山脈からチベット高原、四川盆地、三峡を経て湖北省宜昌市に至るまでが長江上流(最上流の通天河、四川西部の金沙江、四川東部の川江)、宜昌から江西省湖口県までが中流(荊江)、湖口から上海市の東シナ海河口までが下流(揚子江)にあたる。 その流域には成都、武漢、重慶などの重要工業都市、上海、南京などの商業都市を含む中国の19の省(市、自治区)があり、全流域の人口は4億5000万にも達している。古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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東海道

東海道(とうかいどう、うみつみち)は、五畿七道の一つ。本州太平洋側の中部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から近世)を指す。.

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板野町

板野町(いたのちょう)は、徳島県の北東部、阿讃山脈の麓に位置している町。町内には四国八十八箇所のうち、第3番札所金泉寺、第4番札所大日寺、第5番札所地蔵寺の三ヶ所のお寺があり、道を走るとお遍路さんに会うことも多い。Jリーグ徳島ヴォルティスの練習場&オフィスの徳島スポーツビレッジがある。.

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歴史地震

en) 挿絵/同年の作。 安政の大地震絵図/1855年に発生した安政江戸地震による災禍を伝えている。 日本の岩手県宮古市にある大津浪記念碑/1933年(昭和8年)に発生した昭和三陸地震の教訓を永く後世に伝えるべく同年に建立された災害記念碑。 歴史地震(れきしじしん)とは、歴史時代に発生した地震のうち、地震計を始めとする近代的観測機器が存在しなかった時代に属するもので、なおかつ、記録で確かめられるものをいう。それらは、古文書や災害記念碑という形で今日まで伝えられてきた。英語には "historical earthquake" という語 (cf. en) があるが、日本語の「歴史地震」よりやや広義かも知れない。 日本語(専門用語)「歴史地震」において定義されている「歴史」は、記録された人間社会の出来事の変遷を指すため、時期的に該当していようとも、伝わっていながら信頼するに足る記録の見当たらないものや、考古学的・地球科学的知見(遺跡発掘や地質調査を始めとする様々な学問から得られる情報と見解)によってその発生が推測あるいは確認されながら歴史として検証できないものは、歴史地震と見なされない。つまり、確かな記録の残っていることが「歴史地震」の定義上の前提である(2011年6月1日時点のアーカイブ) - 「歴史地震 -宝永地震を中心に-」出典先の定義するところでは「史料が残っていることが前提」ということであるが、定義上「史料」には記録だけでなく遺物・遺跡・口頭伝承なども含まれ、「記録」とは意味が大きく異なる。したがって、本項では狭義で「確かな記録の残っていることが前提」とした。このように、本項では「記録」と「史料」を明確に書き分ける。。 一方、先史時代(記録が残されるようになる以前の時代)に発生した地震は先史地震といい、地質学的成果や考古学的成果などがこれを証明し得る。なお、日本の歴史では、中央政権の勢力範囲において古墳時代以前を先史時代としているが、地域によって差異が大きく、例えば蝦夷地(北海道)は江戸時代以降に歴史時代が始まる出典先は歴史地震の範疇を奈良時代以降としているが、奈良時代の前の飛鳥時代を先史時代と見なすことには無理があるため、調整した。。日本では1885年(明治18年)に地震計を始めとする近代的観測体制の整備が開始されたため、歴史地震は一般的に1884年(明治17年)以前に発生したものを指す。 また、先史時代と歴史時代の別無く、さらには、歴史的(歴史学的)検証の有無を問わず、近代的観測機器の登場以前に発生した地震を総じて古地震という。 歴史地震の調査研究は、将来の発生を想定される地震の予測など、防災上欠かすことのできないもので、巨大地震の発生周期などを論ずる地震学の一分野であり、ある地域の地震災害の正確な評価を行うためには、地震によって開放されるエネルギーを見積もる必要があるが、計器観測が始まって以来の地震のみではデータの蓄積として不充分であり、古地震学の助けを借りる必要性が生じるT.レイ・T.C.ウォレス 『地震学 下巻』 柳谷俊訳、古今書院、2002年, ISBN 9784772230162。 また、歴史地震は歴史研究の一部を担う考古学の知見でもあり、地震考古学の分野も開拓されている寒川旭 『地震考古学 -遺跡が語る地震の歴史』 中公新書、1992年, ISBN 9784121010964寒川旭 『地震の日本史 大地は何を語るのか』 中公新書、2011年, ISBN 9784121919229。.

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気象庁震度階級

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の震度分布図。宮城県栗原市では、当時、計測の最大であった計測震度6.67の震度7を観測した。 気象庁震度階級(きしょうちょうしんどかいきゅう)は、日本で使用されている独自の震度階級。地震の揺れの大きさを階級制で表す指標である。単に震度ともいう。主に気象庁が中心となって定めたもので、2012年時点で、約4,300地点で観測が行われている。過去に基準や段階が変更されたこともあるが、現在はほぼ揺れを感じない震度0から震度1、2、3、4、5弱、5強、6弱、6強、7までの10段階が設定されている。地震の規模を示すマグニチュードとは異なる。.

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江の島

江の島(えのしま)は、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島。また、同島全体を指した地名。片瀬地区(旧片瀬町地域)に属する。現行行政町名は江の島一丁目及び江の島二丁目で、全域が住居表示実施地域。郵便番号は251-0036(藤沢郵便局管区)。.

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江蘇省

江蘇省(こうそしょう、、、)は、中国東部にある行政区。長江の河口域であり、北部は淮河が流れ黄海に面する。名称は江寧(現南京市)の江、蘇州の蘇による。省都は南京市(中華民国政府が公表している省都は鎮江市)。略称は蘇。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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河角廣

河角 廣(かわすみ ひろし、1904年7月12日- 1972年12月12日)は、日本の地震学者。.

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沼津市

沼津市(ぬまづし)は、静岡県の東部、伊豆半島の付け根に位置する市。施行時特例市。.

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沖積平野

沖積平野(ちゅうせきへいや、alluvial plain)は主に河川による堆積作用によって形成される平野の一種。海浜堆積物によって形成される海岸平野と区別される。河川の流速が減じて運搬された土砂が氾濫原や河口、さらに沖合にかけて堆積して平野となる。沖積平野のうち、主に第四紀完新世以降の海水準変動に伴う海進期に沖合の海底に堆積した部分が、その後の海退によって陸化したものを’海成平野’、河川による堆積が現在も継続しているものを’河成平野’と分類することがある。沖積平野を沖積低地や沖積地とも呼ぶことがある。 上流から下流に向かって、扇状地、自然堤防帯、三角州の順に配列される(沖積平野の三分類)。 沖積平野の地層は’沖積層’と呼ばれる。形成年代が若く締め固まっておらず、地下水面も高く水分に富むため軟弱地盤が広く分布している。一般には水害の危険が高いが利水しやすく、肥沃で平らであるため農耕に適する。多くの文明が沖積平野で発祥している。 日本においては、狭義の沖積平野だけでなく、完新世において海底に土砂が堆積しそれが隆起してできた海岸平野も含めて沖積平野という。.

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津市

津市(つし)は、三重県中部に位置する都市で、同県の県庁所在地である。日本で最初に市制施行地に指定された都市のひとつ。周辺自治体と共に人口約51万人(2010年時点)を擁する津都市圏を形成する。.

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津波

津波の発生原理を示す図 津波(つなみ、Tsunami)は、地震や火山活動、山体崩壊に起因する海底・海岸地形の急変により、海洋に生じる大規模な波の伝播現象である。まれに隕石衝突が原因となったり、湖で発生したりすることもある。強風により発生する高波、台風や低気圧が引き起こす高潮、副振動(セイシュ)、原因が解明されていない異常潮位とは異なる。 1波1波の間隔である波長が非常に長く、波高が巨大になりやすいことが特徴である。地震による津波では波長600km、波高5m超のものが生じた事がある(津波が陸上に達するとこの値は大きく変わる)西村、1977年、123-124頁。 津波という現象は、例えるならば大量の海水による洪水の様な現象であり、気象など他の要因で生じる波とは性質が大きく異なる。大きな津波は浮遊物と共に陸深くに浸入し、沿岸住民の水死や市街・村落の破壊など、種々の災害を発生させる。.

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液状化現象

中心部) 阪神・淡路大震災による液状化 液状化現象(えきじょうかげんしょう)は、地震の際に、地下水位の高い砂地盤が振動により液体状になる現象。これにより比重の大きい構造物が埋もれ、倒れたり、地中の比重の小さい構造物(下水道管等)が浮き上がったりする。ゆるく堆積した砂質土層では、標準貫入試験で得られるN値が10程度以下と小さい場合が多い。一般に、液状化現象が生じるかどうかは、FL値、液状化の程度はDcyやPL値などの指標を用いて判定する。単に液状化(えきじょうか、)ともいう。 なお、この現象は日本国内では新潟地震の時に鉄筋コンクリート製の建物が丸ごと(潰れたり折れたりではない)沈んだり倒れたりしたことで注目されたが、この地震当時は「流砂現象」という呼び方をされていた伊佐喬三「9-地球と人間 防災と自然改造」 『原色現代科学大事典2 地球』 株式会社学習研究社、竹内均 責任編集、1967年、P450。。.

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渥美町

渥美町(あつみちょう)は、愛知県の最南に位置した町。2005年10月1日に田原市へ編入された。.

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清水

清水、淸水(しみず、きよみず、せいすい、しょうず)とは岩の間などから涌き出る澄んだ湧水のこと。 転じて、日本の地名や人名としても用いられる。.

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清水区

清水区(しみずく)は、静岡市に3つある行政区のひとつ。2005年4月1日の政令指定都市移行と同時に発足。当初は旧清水市のほぼ全域を区域とし、その後2006年3月31日には旧蒲原町域が、2008年11月1日には旧由比町域が区の一部となった。.

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湯の峰温泉

湯の峰温泉(ゆのみねおんせん)は、和歌山県田辺市本宮町(旧国紀伊国牟婁郡)にある温泉。日本最古の共同浴場とも言われ、古くから熊野詣の旅人達にとっての湯垢離と休息の場として知られていた。2004年には紀伊山地の霊場と参詣道の構成資産の一部として、温泉としては世界で唯一の世界遺産にも登録されている。.

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湖西市

湖西市(こさいし)は、静岡県の最も西に位置する市である。旧浜名郡の一部で、1972年に市制施行。2010年3月23日に新居町と合併。歴史、漁業、自動車工業、農業の町。.

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戊午

戊午(つちのえうま、ぼご)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの55番目で、前は丁巳、次は己未である。陰陽五行では、十干の戊は陽の土、十二支の午は陽の火で、相生(火生土)である。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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戸田村 (静岡県)

戸田村(へだむら)は、静岡県田方郡にあった村。2003年12月に沼津市と合併協議会を設置。2005年4月1日に沼津市と合併し歴史を閉じた。.

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房総

房総(ぼうそう)とは、令制国の房総三国(安房国・上総国・下総国)をあわせた地域の呼称、現在の千葉県を主たる地域とするが、場合により範囲は異なる。 『古語拾遺』によれば、神武東征において畝傍山の麓に橿原宮を造営した天富命が、阿波国に続いて開拓した地が総国とされ、のち二国に分立、西国からの移住や開拓が黒潮にのって太平洋側から進められたことから、南東側が上総国となり、北西側が下総国となった。さらに、上総国から安房国を別け令制国としての房総三国が成立した。そのため、現在の徳島県や和歌山県(一部伊豆半島も含む)と、千葉県の太平洋側で共通の地名が見られる。 令制国の房総三国は、隅田川以東、鬼怒川(香取海)以西の、現在の東京都・埼玉県・茨城県を含んでおり、本来の房総の範囲は千葉県に限定されるわけではないが千葉県以外の地域を房総と呼ぶことはあまりない。うち半島である部分を房総半島と呼び、南側の一部は南房総国定公園の公園区域をなし、観光地であることからテレビの旅行番組や旅行雑誌の影響もあり、現在では南部の南房総のみを単に房総ということが多い。テレビや雑誌のみならず、吉田東伍著『大日本地名辞書』「上総国」では、「されば山武郡(旧の山辺武射)は上総の管内とするも、地形は全く下総に入り、房総半島に係らずと知るべし」としており、明治時代から南房総のみを房総や房総半島とする例もみられた。 さらに南房総(あるいは房州のことで、房総や房総半島ではない)の太平洋側を外房(そとぼう)、東京湾側を内房(うちぼう)と呼ぶ。しかしこれは湯桶読みであり、例えば国鉄時代の準急は外房(がいぼう)・内房(ないぼう)であったものが、現在は外房線(そとぼうせん)・内房線(うちぼうせん)のように読まれているのである。房総丘陵と下総台地のような例もあり、誤用は房州アルプスに限ったことではない。.

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房総半島

房総半島(ぼうそうはんとう)は、関東地方の南東部、太平洋に面した半島。千葉県の大部分を占める。 「房総」という地名は、令制国の安'''房'''国と上'''総'''国と下'''総'''国の三国にまたがることに由来する。現在の千葉県と茨城県の間に「古鬼怒湾」があり、ほとんど「島」の状態であったのは、それほど古いことではない。 房総半島の位置。スペースシャトル 房総半島のランドサット。スペースシャトル.

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明応

明応(めいおう)は、日本の元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇、後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義材、足利義澄。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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浜名湖

浜名湖(はまなこ)は、静岡県浜松市、湖西市にまたがる湖。.

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浜島町塩屋

浜島町塩屋の空中写真(1975年)(国土航空写真) 浜島町塩屋(はまじまちょうしおや)は、三重県志摩市の地名。郵便番号は517-0402。2015年8月31日現在の住民基本台帳に基づく人口は151人、1989年現在の面積は3.225km2。 半農半漁の地域で、地区は2つに分断されている「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):1429ページ。.

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浙江省

浙江省(せっこうしょう、中国語:浙江省、拼音:Zhèjiāng Shěng、英語:Zhejiang)は、中華人民共和国の省の一つ。略称は浙。華東地区中部に位置し、東シナ海に面す。省都は杭州市。浙とは省内最大の河川・銭塘江を指す。銭塘江は蛇行が激しいことから曲江・之江・折江・浙江などと呼ばれてきた。.

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新宮市

新宮市(しんぐうし)は、和歌山県の南部、熊野川の河口に位置する都市である。旧東牟婁郡。.

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新居宿

歌川広重『東海道五十三次・荒井』 新居宿(あらいしゅく)は、東海道五十三次の江戸・日本橋から数えて31番目の宿場。旧国名は遠江国、現在の静岡県湖西市新居町新居に相当する。.

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新居浜市

新居浜市(にいはまし)は、四国の中北部、愛媛県の東予地方に位置する市。.

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日向灘

日向灘(ひゅうがなだ)とは、フィリピン海(北西太平洋)の一部で、宮崎県東部沖合の海域。 海上保安庁が発行する日本の水路図誌(海図)にも掲載されており、宮崎県の南端都井岬から大分県佐伯市の鶴御埼までの沖合とされている。 黒潮が都井岬沖を経て四国沖に達するため、イワシ、マグロ、カツオの回遊する好漁場になっている。また、景観が美しく日豊海岸や日南海岸といった国定公園、更にシーガイアなどの観光資源にも恵まれている。 かつては碁石の産地として知られていたが、現在は原料となるハマグリが絶滅寸前に追い込まれている。 今では絶滅したと見られるが、シロナガスクジラなどの大型種やイルカなどの小型種にいたるまでの多様な鯨類、大淀川河口のニホンアシカの棲息地など、豊かな生態系が存在した。日南市には「いるか岬」と呼ばれる地名も残る。.

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日向灘地震 (1498年)

1498年日向灘地震(せんよんひゃくきゅうじゅうはちねん ひゅうがなだじしん)は、グレゴリオ暦1498年7月9日(明応7年6月11日、ユリウス暦1498年6月30日)に発生したと思われる地震である。1498年日向地震とも呼ばれる。また、この地震を指して単に日向灘地震(日向地震)と呼ぶ場合もある。その後の研究により6月11日の地震は日向灘地震であった可能性が否定されるとされている。.

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愛媛県

愛媛県(えひめけん)は、日本の都道府県の一つで四国地方の北西部から北中部に位置する県。県庁所在地は松山市。令制国の伊予国に当たる。.

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慶長豊後地震

慶長豊後地震(けいちょうぶんごじしん)は、1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)に豊後国(現在の大分県)で発生した地震である。別府湾地震、大分地震などとも呼ばれる。死者800余人。 この地震によって別府湾にあった瓜生島及び久光島の2島が沈んだと伝えられる。ただし、これらの島は実在自体が未確認であり、瓜生島は島ではなく沖ノ浜と呼ばれる沿岸の港町であったとする説等もある。.

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1495年

記載なし。

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1498年

記載なし。

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14世紀

ナスル朝。イベリア半島最後のイスラム王朝であるこの王朝はすでに半島南端を占めるだけの小国となっていたが文化や芸術は最後の輝きを見せていた。画像はイスラム特有のアラベスクに彩られたアルハンブラ宮殿の「二姉妹の間」。 Gilles Le Muisitの年代記』の挿絵)。 エドワード3世率いるイングランド軍にフランス軍が大敗を喫した。画像はこの戦いを描いたジャン・フロワサールの『年代記』写本の挿絵。 ユダヤ人迫害。中世末期の不穏な情勢の中でスケープゴートとして標的にされたのがユダヤ人であった。画像は15世紀にまとめられた『ニュルンベルク年代記』の木版挿絵で、1338年に起きたバイエルン地方のデッゲンドルフでの「聖餅󠄀冒瀆」の罪により、生きながら火炙りにされたユダヤ人たちが描かれている。 カルマル同盟。デンマーク摂政(事実上の女王)マルグレーテ1世がデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの三国を統合した。画像はロスキレ大聖堂に安置されたマルグレーテの石棺。 七選帝侯。神聖ローマ帝国では諸侯の分権化が強く選帝侯を味方につけることで帝権は維持された。やがてこの選出方法は金印勅書で法制化されることになる。 原初同盟は14世紀にはハプスブルク家との戦いに勝利し自立への道を踏み固めていった。画像は1315年のモルガルテンの戦いを描いたもの。 アヴィニョン教皇宮殿の正面入り口。 ダンテとベアトリーチェ。ダンテは地獄・煉獄・天国をまわる壮大な『神曲』を書いた詩人。画像は19世紀のヘンリー・ホリデーによるもの(ウォーカー・アート・ギャラリー蔵)。 シエナ。この街は黒死病の被害の影響が大きかったため景観が変化せず中世都市の面影を強く残した街となっている。画像はアンブロージョ・ロレンツェッティによるシエナのプブリコ宮殿(現シエナ市役所)九頭の間の壁画「善政の効果」。 セルビア人の帝国。ネマニッチ朝のステファン・ウロシュ4世ドゥシャンは東ローマ帝国を抑えバルカン最強の国家を樹立した。画像はウロシュ4世により創建されたコソボのデチャニ修道院にあるネマニッチ一族の系譜を描いたフレスコ画。 Codex Mendoza」。 後醍醐天皇。鎌倉幕府を亡ぼし建武の新政を行ったが、政権崩壊後には逃れて吉野に南朝を立てた。画像は清浄光寺所蔵の肖像画。 足利義満。室町幕府3代将軍で南北朝の統一を行い、将軍位を息子義持に譲ってからも法体で実際の政治を握っていた。画像は鹿苑寺所蔵の肖像画。 西アフリカのマリ王国の王マンサ・ムーサ。イスラム教徒としてメッカに巡礼に向かう旅路で黄金を惜しみなく使った逸話で知られる。 Baptistère de Saint Louis」。フランス歴代国王が実際に用いた洗礼盤だが、聖王ルイの時代より正確には半世紀ほど後のもので、マムルーク朝時代のエジプトまたはシリアで作られたイスラム工芸を代表する名品。現在はルーヴル美術館が所蔵している。 歴史家ラシードゥッディーン。その当時の知られていた世界の歴史を『集史』としてまとめ上げた。画像は彼が仕えたイル・ハン国の君主ガザンとオルジェイトゥの兄弟を描いた『集史』の挿絵。 草原の英雄ティムール。モンゴル帝国の分裂後の中央アジア・西アジアはティムールによって統一された。画像は1370年のバルフ包囲戦を描いたホーンダミール『清浄園』の16世紀の写本の挿絵。 ハンピ)のヴィルーパークシャ寺院。 チベット仏教の改革者ツォンカパ。綱紀粛正に努め左道密教を退けて現在のダライラマに連なるゲルク派(黄帽派)を大成した。 青花の誕生。元朝後期に西アジア産のコバルト顔料を用いて白磁に紋様を描く青花(染付)の技法が開発された。画像はこの世紀に造られた「青花魚藻文壺(ブルックリン美術館蔵)」。 明の洪武帝朱元璋。モンゴル人の元朝を北方に追いやり、漢民族の王朝を復興した。画像は洪武帝の肖像画(台北国立故宮博物院蔵)。 14世紀(じゅうよんせいき)は、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す世紀。.

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1522年

記載なし。

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15世紀

大航海時代。大西洋を渡り新世界を発見したコロンブス。 マチュ・ピチュ遺跡。アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿いの尾根にある遺跡で標高2430mの高さにある。用途は未だ明らかでない所もあるが、15世紀に建造されたインカ帝国の技術の高さを反映している。 National Museum of Anthropology (Mexico)蔵)。 香辛料の魅惑。15世紀には東方との交易路はオスマン帝国に遮断される事になり、香辛料の供給不足が大きな問題となった。画像は1410年代に描かれた『世界の記述(東方見聞録)』の挿絵で、インドでの胡椒採収が取り上げられている。 エンリケ航海王子。ポルトガルは東方への航路の開発を推進したが、その中心となったのは「航海王子」の名を持つエンリケ王子である。サグレスに設置した「王子の村」が航海士の育成に貢献したことはよく知られている。画像は「サン・ヴィセンテの祭壇画」で聖人のすぐ右隣に位置する黒帽で黒髭の人物が王子ととされているが異論もある。 キルワの大モスク跡。 サマルカンド近郊のウルグ・ベク天文台。ティムール朝の君主ウルグ・ベクは天文学に造詣が深く「ズィージ・スルターニー」のような精緻な天文表も作成させた。 Musée des Augustins蔵)。 ロシア正教会の自立。東ローマ帝国の衰退に伴い「タタールの軛」を脱したロシアでは独自の組織が形成され文化的にも新たな展開が見られた。画像はこの時代を代表するモスクワ派のイコン(聖画像)でアンドレイ・ルブリョフの「至聖三者」(モスクワのトレチャコフ美術館蔵)。 グルンヴァルトの戦い(タンネンベルクの戦い)。ポーランド・リトアニア連合軍がドイツ騎士団を破り、東方植民の動きはここで抑えられた。画像はこの戦いを描いたポーランド人画家ヤン・マテイコの歴史画(ワルシャワ国立美術館蔵)。 天文時計で1410年頃作成されてから、後世の補修はあるものの今日まで動いているものである。 プラハ大学学長ヤン・フスの火刑。コンスタンツ公会議の決定によりカトリック教会と相容れぬ異端の徒として処刑されたが、これがチェック人の憤激を呼び起こすことになった。 オルレアンの乙女ジャンヌ・ダルク。劣勢のフランス軍を鼓舞し百年戦争の終結に大きな役割を果たしたが魔女裁判で火刑に処せられた。 グーテンベルク聖書(42行聖書)』の「創世記」。 『中世の秋』。歴史家ホイジンガはこの題名でこの時代のブルゴーニュ公国の歴史を描いた。画像はヤン・ファン・エイクの「宰相ロランの聖母」。ロランはこの国の宰相で、背後にはブルゴーニュのオータンの風景が広がる。 ブルネレスキの巨大なドーム建築で知られる「花の聖母教会(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)」。 ボッティチェリの「春(プリマヴェーラ)」。メディチ家などの文化支援活動に支えられてルネサンス文化が花開いた。画像の中心の女神は美と愛の女神ウェヌス(ヴィーナス)で、その周囲を多くの神々が取り囲んでいる(ウフィッツィ美術館蔵)。 サイイド朝からローディー朝へ。北インドではデリーを中心にイスラム系王朝が続いた。画像はデリーのローディー・ガーデン内にあるサイイド朝の君主ムハンマド・シャーの霊廟。この公園の敷地にはローディー朝君主たちの霊廟もある。 タイを支配したアユタヤ朝は上座部仏教を保護し東南アジアでも有数の国家となっていた。画像はアユタヤに残るワット・プラ・シーサンペットで、1448年にボーロマトライローカナート王により建立された寺院である。 万里の長城。モンゴル人を漠北に追い払ってからもその侵入に備え明代には長城が幾度となく修復・増築を繰り返されていた。画像は1404年に「慕田峪長城」と名付けられた長城で北京市の北東に位置するもの。 鄭和の南海大遠征。永楽帝時代には明の国威を示す大艦隊が各地に派遣された。画像は1417年にベンガルから運ばれたキリンを描いた「瑞應麒麟図」。 「仁宣の治」。明は仁宗洪熙帝と続く宣宗宣徳帝の時代に安定期を迎えた。画像は明の宣宗宣徳帝の入城を描いたもの(台北故宮博物院蔵)。 如拙「瓢鮎図」。禅宗の流入は「五山文学」や「舶来唐物」などを通じて室町時代の文化に大きな影響を与えた。この「瓢鮎図」も将軍足利義持の命で描かれた水墨画で数多くの禅僧の画讃がつけられている。京都妙心寺塔頭退蔵院の所蔵。 文化を極めた。 応仁の乱。将軍後継をめぐる守護大名の争いで京都の町は焦土と化した。以後足利将軍の権威は衰え下剋上の時代へと進むことになる。画像は応仁の乱を描いた「紙本著色真如堂縁起」(真正極楽寺蔵)。 15世紀(じゅうごせいき)とは、西暦1401年から西暦1500年までの100年間を指す世紀。.

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16世紀

16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。 盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。 カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。 「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。.

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1703年

記載なし。

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1707年

記載なし。

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1854年

記載なし。

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18世紀

Jean-Pierre Houëlが描いたバスティーユ襲撃(フランス国立図書館蔵)。 国立マルメゾン城美術館蔵)。 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)。 18世紀(じゅうはっせいき)は、西暦1701年から西暦1800年までの100年間を指す世紀。.

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878年

記載なし。

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887年

記載なし。

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