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日野草城

索引 日野草城

日野 草城(ひの そうじょう、1901年(明治34年)7月18日 - 1956年(昭和31年)1月29日)は東京都出身の俳人。本名は克修(よしのぶ)。「ホトトギス」で学んだ後、「旗艦」を創刊、女性のエロスを主題とした句や無季俳句を作り、昭和初期の新興俳句運動を主導。戦後は「青玄」を創刊・主宰し一転して静謐な句を作った。.

57 関係: ところてん台東区大阪市天王寺区室生犀星山口誓子山本健吉上野中野重治中村草田男三井住友海上火災保険下谷区久保田万太郎京城府京都大学五十嵐播水伊丹啓子俳句俳句研究ホトトギス (雑誌)ソウル特別市ソウル高等学校神田秀夫神戸市第三高等学校 (旧制)結核無季俳句青玄西東三鬼馬酔木 (雑誌)高浜虚子豊中市鈴鹿野風呂長谷川素逝東山東京市東京都水原秋桜子沖積舎明治昭和新興俳句1901年1905年1918年1919年1921年1922年1924年1929年...1933年1934年1935年1946年1956年1月29日7月18日 インデックスを展開 (7 もっと) »

ところてん

ところてんの参考画像 ところてん(心太または心天、瓊脂)は、テングサやオゴノリなどの紅藻類をゆでて煮溶かし、発生した寒天質を冷まして固めた食品。それを「天突き」とよばれる専用の器具を用いて、押し出しながら細い糸状(麺状)に切った形態が一般的である。 全体の98~99%が水分で、残りの成分のほとんどは多糖類(アガロース)である。ゲル状の物体であるが、ゼリーなどとは異なり表面はやや堅く感じられ、独特の食感がある。腸内で消化されないため栄養価はほとんどないが、食物繊維として整腸効果がある。 関東以北および中国地方以西では二杯酢あるいは三杯酢をかけた物に和辛子を添えて、関西では黒蜜をかけて単体又は果物などと共に、東海地方では箸一本で、主に三杯酢をかけた物にゴマを添えて食べるのが一般的とされる。また、醤油系のタレなどで食べる地方もある。 ところてんを戸外で凍結乾燥させたものが寒天である。.

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台東区

台東区(たいとうく)は、東京都の特別区の一つ。23区東部に区分される。 面積は23区の中で最も狭い。.

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大阪市

大阪市(おおさかし)は、日本の近畿地方、大阪府のほぼ中央に位置する市で、同府の府庁所在地である。政令指定都市に指定されている。.

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天王寺区

天王寺区(てんのうじく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。.

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室生犀星

室生 犀星(むろう さいせい、本名: 室生 照道〈てるみち〉、1889年〈明治22年〉8月1日 - 1962年〈昭和37年〉3月26日)は、石川県金沢市生まれの詩人・小説家。別号に「魚眠洞」。 姓の平仮名表記は、「むろう」が一般的であるが、犀星自身が「むろう」「むろお」の双方の署名を用いていたため、現在も表記が統一されていない。室生犀星記念館は「「むろお」を正式とするが、「むろお」への変更を強制するものではない」としている。.

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山口誓子

山口 誓子(やまぐち せいし、1901年(明治34年)11月3日 - 1994年(平成6年)3月26日)は京都府出身の俳人。本名は新比古(ちかひこ)。高浜虚子に師事。昭和初期に水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝とともに「ホトトギスの四S」とされたが、のちに同誌を離反した秋桜子に従い「ホトトギス」を離脱。従来の俳句にはなかった都会的な素材、知的・即物的な句風、映画理論に基づく連作俳句の試みなどにより、秋桜子とともに新興俳句運動の指導的存在となる。戦後は「天狼」を主宰し現代俳句を牽引した。.

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山本健吉

福岡県八女市にある八女市立図書館2階にある山本健吉資料室の写真。 山本 健吉(やまもと けんきち、1907年(明治40年)4月26日 - 1988年(昭和63年)5月7日)は、文芸評論家。本名は石橋貞吉(ていきち)。 文芸評論家石橋忍月の三男。最初の妻は俳人の石橋秀野。なお秀野の妹は漫画家の清水崑の妻である歌人の清水恒子。俳文学会、日中文化交流協会、日本ペンクラブ、各会員。.

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上野

上野(うえの)は、東京都台東区の地名で、旧下谷区にあたる下谷地域内である。現行行政地名は上野一丁目から上野七丁目。郵便番号は110-0005。.

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中野重治

中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家、詩人、評論家、政治家。福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。 四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。 戦後再び日本共産党に入り、また『新日本文学』の創刊に加わった。平野謙、荒正人らと「政治と文学論争」を引き起こし、戦後文学を確立させた。1947年から50年まで参議院議員を務める。 しかし1964年には日本共産党と政治理論で対立をして除名された。神山茂夫とともに『日本共産党批判』を出版している。 代表作に小説『歌のわかれ』『むらぎも』『梨の花』『甲乙丙丁』、評論『斎藤茂吉ノオト』、詩集『中野重治詩集』など。 詩人の中野鈴子は実妹、女優の原泉は妻。.

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中村草田男

中村 草田男(なかむら くさたお、1901年(明治34年)7月24日 - 1983年(昭和58年)8月5日)は、中国アモイ出身の俳人。本名清一郎(せいいちろう)。東京大学国文科卒。高浜虚子に師事、「ホトトギス」で客観写生を学びつつ、ニーチェなどの西洋思想から影響を受け、生活や人間性に根ざした句を模索。石田波郷、加藤楸邨らとともに人間探求派と呼ばれた。「萬緑」を創刊・主宰。戦後は第二芸術論争をはじめとして様々な俳句論争で主導的な役割をもった。忌日は「草田男忌」として季語。.

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三井住友海上火災保険

三井住友海上火災保険株式会社(みついすみともかいじょうかさいほけん、)は、日本の損害保険会社である。MS&ADインシュアランスグループ傘下の完全子会社。 略称は三井住友海上(みついすみともかいじょう)。証券界では三住海上(さんすみかいじょう)が上場銘柄としての略称として使われていた「三井住友」は三井住友フィナンシャルグループの略称として使われている。。この略称は、2008年4月に設立された持株会社の三井住友海上グループホールディングスが東証の上場銘柄の略称として引き継いでいたが、同社は2010年(平成22年)4月にMS&ADインシュアランスグループホールディングスに商号変更された。.

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下谷区

下谷区(したやく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の台東区の西部に位置していた。.

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久保田万太郎

久保田 万太郎(くぼた まんたろう、1889年(明治22年)11月7日 - 1963年(昭和38年)5月6日)は、浅草生まれの大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家。生粋の江戸っ子として伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。俳人としては岡本松浜、松根東洋城に師事、戦後に俳誌「春燈」を主宰し文人俳句の代表作家として知られる。俳句の別号に暮雨、傘雨。別の筆名に千野菊次郎。文化勲章受章者。贈従三位勲一等瑞宝章(没時叙位叙勲)。.

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京城府

1930年頃の京城地図 日本統治時代の南大門通り 京城府(けいじょうふ、경성부)は、朝鮮王朝の漢城府に引き継いで置かれた日本統治時代の朝鮮の行政区域。現在のソウル特別市にあたる。京城市(けいじょうし)は誤り(#概説参照)。.

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京都大学

記載なし。

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五十嵐播水

五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - 2000年4月23日)は兵庫県出身の俳人、内科医。本名は久雄(ひさお)。姫路市鍛冶町に生まれる。野里尋常小学校、姫路中学校を経て1923年に京都帝国大学(京都大学)医学部を卒業。卒業後に松尾内科勤務を経て、神戸市立中央市民病院に勤務。同病院の副院長・院長を1959年まで務める。1961年に神戸市生田区で五十嵐内科を開業、1993年まで医師として務めた。 大学在学中の1920年より句作をはじめ、京大三高俳句会で高浜虚子と出会い師事する。1922年、「京鹿子」同人。1930年、山本梅史の跡を継いで「九年母」選者。1932年、「ホトトギス」同人。1933年、山口誓子・水原秋桜子・日野草城・鈴鹿野風呂らと共に「京大俳句」創刊に参加。1934年、「九年母」の発行所を神戸に移し主宰。1968年、兵庫県文化賞、1973年、神戸市文化賞、1979年、神戸新聞平和賞、1989年、兵庫県高齢者特別賞を受賞。2000年没、101歳。 虚子没後も「ホトトギス」最年長同人として尽力。海港を詠んだ叙情句を得意とし「港の播水」といわれた。妻は五十嵐八重子、息子は五十嵐哲也で共に俳人。哲也は播水の死後に「九年母」主宰を継いだ。.

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伊丹啓子

伊丹 啓子(いたみ けいこ、1948年2月25日 - )は日本の俳人。兵庫県生まれ。父は俳人の伊丹三樹彦、母も俳人の伊丹公子。.

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俳句

俳句(はいく)とは、五・七・五の十七音から成る日本語の定型詩である。世界最短の定型詩とされ、十七文字(じゅうしちもじ)、十七音(じゅうしちおん)、十七語(じゅうしちご)とも呼ばれる。俳句の有季定型性を捨象する形で派生した自由律俳句や無季俳句などもある。俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。.

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俳句研究

『俳句研究』(はいくけんきゅう)は、かつて刊行されていた日本の俳句雑誌。1934年創刊。その後何回か休刊と復刊を繰り返し、2011年8月が最終発行となっている。.

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ホトトギス (雑誌)

『ホトトギス』は、合資会社ホトトギス社が発行する俳句雑誌。1897年(明治30年)に正岡子規の友人である柳原極堂が創刊した。夏目漱石が小説『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』を発表したことでも知られる。明治期には総合文芸誌として、大正・昭和初期には保守俳壇の最有力誌として隆盛を誇った。.

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ソウル特別市

ウル特別市(ソウルとくべつし、、漢字: 서울特別市 、英語:Seoul)、通称ソウルは、大韓民国の首都。かつての朝鮮王朝の首都「漢城府」である。日本統治時代の朝鮮では漢ではなく京を使い「京城府」と呼ばれた。.

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ソウル高等学校

ウル高等学校(、)は、大韓民国ソウル特別市瑞草区に所在する公立高等学校。男子校である。ソウル特別市教育庁が所管する。韓国内で最も古い中等教育機関の一つであり、多くの人材を各界に輩出してきた。.

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神田秀夫

夫(かんだ ひでお、1913年12月20日 - 1993年9月18日)は、日本の国文学者、評論家。東京府入新井村山王(現東京都大田区山王)生まれ。1936年、東京帝国大学文学部国文科を卒業。1937年、応召により同大学院を中退。復員後は目黒書店に入社し、総合誌『俳句研究』の編集に携わりながら俳句評論を執筆。1947年、石田波郷、西東三鬼とともに現代俳句協会を設立。同年以降、国会図書館司書、共立女子大学教授、成蹊大学教授、武蔵大学教授を歴任。学者としては古代から近世までの文学を研究領域とした。1993年9月18日死去、79歳。翌年に第6回現代俳句協会大賞が贈られた。.

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神戸市

戸市(こうべし)は、兵庫県南部に位置する兵庫県の県庁所在地である。垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区・北区・西区から構成される政令指定都市である。日本の市で6番目の人口を有する。.

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第三高等学校 (旧制)

旧制第三高等学校(きゅうせいだいさんこうとうがっこう)は、京都市および岡山市に所在した旧制高等学校。略称は「三高」。現在の京都大学総合人間学部および岡山大学医学部の前身である。1894年に第三高等中学校(1886年設立)を母体として発足し、初代校長は折田彦市。 三高の淵源は、1869年に大阪で設立された舎密局に求められる。第三高等中学校時代の1889年に京都に移転した。東京の第一高等学校(一高)が「向陵」を称したのに対し、神楽岡(吉田山)の麓にあることから「神陵」を称した。また、一高が「自治」を標榜したのに対し、三高は「自由」を掲げた。.

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結核

結核(けっかく、Tuberculosis)とは、マイコバクテリウム属の細菌、主に結核菌 (Mycobacterium tuberculosis) により引き起こされる感染症Kumar, Vinay; Abbas, Abul K.; Fausto, Nelson; & Mitchell, Richard N. (2007).

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無季俳句

芭蕉の無季句「徒歩ならば杖つき坂を落馬かな」句碑(三重県四日市市杖衝坂)。ヤマトタケルが東征の帰途、傷ついた体を剣を杖代わりにして支えながらこの坂を登ったという伝説を踏まえる。 無季俳句(むきはいく)は、季語を持たない俳句のこと。また季語はあっても季感(季節の感じ)を持たない俳句や、季語の有無を問わず詩感(ポエジー)を第一義とする俳句を含めることもある宮坂静生 「無季俳句」 『現代俳句大事典』 548-549頁。川名大 「無季俳句」 『俳文学大辞典』 891-892頁。。「無季」に対し、句が季語・季感を持つことは「有季」(ゆうき)という復本一郎 「有季」 『現代俳句大事典』 586-587頁。。 無季の問題は江戸期、松尾芭蕉の時代から議論されてきた難題であった。近世に成立した俳諧(俳諧連歌)においては、連歌の約束事を継承し、発句(ほっく。最初の五七五の句)には必ず季語を入れるべきものとされる一方、連句の座を離れた場においては無季の発句もしばしば作られていた。近代になって独立した発句を俳句と呼ぶようになるが、「ホトトギス」を長く主宰した高浜虚子は、花鳥諷詠を俳句の本質として唱えて無季俳句を排斥し、俳句は季語を含むべきものとする伝統俳句の考えを普及させた。 近代俳句史においては、無季の問題は明治末期から大正期にかけての新傾向俳句運動、昭和初期の新興俳句運動、昭和30年代の前衛俳句運動という三つの俳句革新運動において提示され、時代ともに深まりを見せている。今日の俳壇においても、無季俳句に対する立場は個々の俳人や結社・師系などにより様々である。.

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青玄

青玄」(せいげん)は、俳誌。1949年10月、門田龍政・誠一の兄弟により、日野草城を主宰として大阪市で創刊宇多喜代子 「青玄」 『現代俳句大事典』普及版、三省堂、2008年、304頁。母胎は「まるめろ」(1946年創刊)で、草城は当時俳壇から引退していたが主宰を懇願されて俳壇に復帰した。創刊時より伊丹三樹彦、桂信子らが参加。全会員制の俳誌として出発し、1951年より同人制、同年に発行所が尼崎の伊丹三樹彦宅に移る。 1956年1月に草城が逝去、10月の同人会で三樹彦が主宰となり第二次「青玄」が発足。このとき桂信子、楠本憲吉、花谷和子、坪内稔典らがそれぞれ独立した。伊丹はリゴリズム・リアリズム・リリシズムの「三リ主義」を提唱し、定型を活かすこと、季語を超えること、現代語を働かすことを主張。また新仮名表記・分ち書き俳句を推進したほか、写真と俳句を組み合わせる「写俳」の掲載など実験的試みを行った。三樹彦の健康上の理由により、2006年1月号(通巻670号)をもって終刊。.

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西東三鬼

西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は、岡山県出身の俳人。歯科医として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。.

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馬酔木 (雑誌)

『馬酔木』(あしび)は、馬酔木発行所が発行する月刊俳句雑誌。.

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高浜虚子

浜 虚子(たかはま きょし、旧字体: 高濱 虛子、1874年〈明治7年〉2月22日 - 1959年〈昭和34年〉4月8日)は、明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体: 高濱 淸)。 『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。.

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豊中市

豊中市(とよなかし)は、近畿地方の中央部、大阪府豊能地域に位置する市。 中核市、保健所政令市。.

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鈴鹿野風呂

鈴鹿 野風呂(すずか のぶろ、1887年4月5日 - 1971年4月5日)は、俳人。本名・登。京都生、京都帝国大学卒。高濱虚子に師事、「ホトトギス」同人。1920年、「京大三高俳句会」を母体として日野草城らとともに「京鹿子」創刊。同誌はのちに野風呂が主宰となり、関西におけるホトトギス派の中軸となっていった。俳諧活動の傍ら学校でも教鞭をとり、戦後の一時期には旧制京都文科専門学校の最後の校長を務めている。1968年京都市文化功労者。句集に『野風呂句集』『浜木綿』 『俳諧大矢数』ほか多数。1971年に83歳で死去した。「京鹿子」発行所でもあった生家は現在は京鹿子社により野風呂記念館として運用されている。.

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長谷川素逝

長谷川 素逝(はせがわ そせい、1907年(明治40年)2月2日 - 1946年(昭和21年)10月10日)は、日本の俳人。本名・直次郎。 父が大阪砲兵工廠の技師であったため大阪府で生まれたが本籍は三重県津市。1915年父の退職により津に戻り、津中学校、京都市の第三高等学校を経て京都帝国大学に入学。 俳句を田中王城、鈴鹿野風呂に師事し、1929年野風呂主宰の「京鹿子」同人。また高濱虚子にも師事し、1930年「ホトトギス」初入選。 後に平畑静塔らとともに「京大俳句」創刊に参加するも、1933年に志を異にして決別。同年、「阿漕」を創刊・主宰。 1937年、砲兵少尉として応召。同年、病により内地送還。1939年、戦争を詠んだ句を集めた句集『砲車』を刊行。その後の句集に『三十三才』『ふるさと』『村』『暦日』がある。1946年、「桐の葉」を主宰。同年、結核により旧大里陸軍療養所で死去。39歳。一時旧制甲南高等学校の教授も務めた。.

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東山

東山(ひがしやま、とうざん).

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東京市

東京市役所(東京府庁との合同庁舎) 東京市(とうきょうし)は、旧東京府(現東京都)東部に1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)までの間に存在していた市である。東京府の府庁所在地。最終的な市域は現在の東京都区部(東京23区)に相当する。 東京市が存在していた時期以外の旧東京市地域の歴史については東京都の歴史を参照のこと。旧東京市地域の現状については東京都区部を参照のこと。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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水原秋桜子

水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、日本の俳人、医師・医学博士。秋櫻子とも表記する。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。.

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沖積舎

株式会社沖積舎(ちゅうせきしゃ)は文芸書・美術書を中心とした日本の出版社。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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新興俳句

新興俳句(しんこうはいく)とは昭和初期に始まった新俳句運動である。 1931年(昭和6年)、水原秋桜子は主宰誌「馬酔木」に「自然の真と文芸上の真」を発表し、高浜虚子の主張する花鳥諷詠俳句が些末な草の芽俳句を生み出しているとして、自然の真という素材を己のうちに溶かし込み、鍛錬加工した文芸上の真を求めようとした。 「馬酔木」独立の挙であったが、これがいわゆる伝統俳句からの脱却の端緒となった。秋桜子の主張は若い俳人の共感を得て「天の川」「土上」「句と評論」などの俳誌も活発に俳句の近代化を進めはじめた。近代的、都会的抒情の確立の運動でもあった。 「馬酔木」には、新素材の拡充と構成的手法によって注目されていた山口誓子が加入、叙情性豊かな作句をする秋桜子とともに新風の先頭にたった。 この新運動は連作俳句に積極的に取り組み、金児杜鵑花(「俳句月刊」主幹)によって、「新興俳句」の名称を与えられた。しかし連作俳句中の個と全、季語の有無が問題となり、無季や超季の容認まで行われるに及んで、秋桜子、誓子は無季俳句批判を行い1936年ごろよりこの運動から離れた。これ以降を後期と呼ぶ。 新興俳句は、秋桜子、誓子の離脱にも拘らず、反ホトトギス、反伝統の大きな潮流となった。モダニズム、ダダイスム、反戦的ニヒリズムなど様々な潮流もこれに合流した。 1935年、日野草城の「旗艦」が創刊され、俊秀を集め、「京大俳句」「土上」「句と評論」、新誌「傘火」(かさび)、「自鳴鐘(とけい)」などとともに、さまざまの芸術派的、社会派的試みを重ねた。 最初の総合俳誌である「俳句研究」(改造社)もこの運動に共感を示した。 日中戦争の始まった時期で、想像力による戦火想望俳句も試みられ、さらに厭戦句もつくられた。ついに1940年から1941年にかけて、「京大俳句」「土上」などの主要メンバーが治安維持法違反として検挙され、この運動は壊滅に至った。新興俳句運動は、現代俳句の母胎となる画期的な俳句革新運動であり、多くの秀作を残した。 代表的な俳人には、先述の水原秋桜子、山口誓子の他に、前期では高屋窓秋、石橋辰之助、横山白虹、篠原鳳作など。 後期では、平畑静塔、日野草城、西東三鬼、 富沢赤黄男、渡辺白泉、東京三(秋元不死男)などがいる。 新興俳句にかかわった俳人の多くは、戦後、日野草城の「太陽系」のちの「青玄」、山口誓子の「天狼」などに結集したが、新興俳句運動の名は消滅した。.

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1901年

20世紀最初の年である。.

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1905年

記載なし。

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1918年

記載なし。

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1919年

記載なし。

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1921年

記載なし。

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1922年

記載なし。

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1924年

記載なし。

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1929年

記載なし。

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1933年

記載なし。

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1934年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1946年

記載なし。

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1956年

記載なし。

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1月29日

1月29日(いちがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から29日目に当たり、年末まであと336日(閏年では337日)ある。.

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7月18日

7月18日(しちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から199日目(閏年では200日目)にあたり、年末まであと166日ある。誕生花はトルコキキョウ、ゲッカビジン。.

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