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日本人 (雑誌)

索引 日本人 (雑誌)

『日本人』(にほんじん)は、1888年(明治21年)4月から1906年(明治39年)12月まで発行された、政教社の政治評論雑誌。1902年から、『日本及日本人』になった。.

87 関係: 加藤弘之千葉亀雄坪井正五郎坪内逍遥境野哲天野為之小島烏水小川平吉尾崎行雄島地黙雷島田三郎巌谷小波中央公論新社中村千代松中村不折丸山幹治市島謙吉三宅雪嶺三淵忠彦幸徳秋水久保田譲井上円了井上毅建部遯吾徳富蘇峰志賀重昂内藤湖南内村鑑三元良勇次郎国府犀東国粋主義犬養毅石橋禹三郎神鞭知常福本日南田口卯吉田岡嶺雲田島錦治煙山専太郎牧口常三郎片山潜発禁白河鯉洋花井卓蔵菊池九郎高田早苗高橋亨 (朝鮮学者)高浜虚子講談社学術文庫鹿鳴館...鹿野政直黒岩涙香鈴木大拙鈴木券太郎藤田豊八肥塚龍長谷川如是閑陸羯南来馬琢道松岡好一松下丈吉杉浦重剛桐生悠々梁啓超棚橋一郎極右横井時雄樽井藤吉正岡子規江藤新作池辺三山渡辺洪基湯本武比古朝比奈知泉戸水寛人明治浮田和民日清戦争日本日本 (新聞)日本及日本人日本語政教社12月1888年1906年4月 インデックスを展開 (37 もっと) »

加藤弘之

加藤 弘之(かとう ひろゆき、1836年8月5日(天保7年6月23日) - 1916年(大正5年)2月9日)は、日本の政治学者、教育家、官僚。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。学位は文学博士(1888年)、法学博士(1905年)。旧名弘蔵(こうぞう)。 外様大名の出石藩の藩士の子に生まれ、出石藩藩校弘道館で学んだ後、済美館や致遠館でフルベッキの門弟として学ぶ。学門一筋で精進し幕臣となり、維新後は新政府に仕える身となる。明六社会員。外務大丞、元老院議官、勅選貴族院議員などを歴任、獨逸学協会学校の第2代校長、旧東京大学法・理・文3学部の綜理を務め、のち帝国大学(現・東京大学)第二代総長を務めた。大日本教育会名誉会員。その後男爵、初代帝国学士院院長、枢密顧問官。.

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千葉亀雄

千葉 亀雄(ちば かめお、1878年(明治11年)9月24日 - 1935年(昭和10年)10月4日)は、日本の評論家、ジャーナリスト。山形県酒田市に生まれ、5歳から母の実家がある宮城県美里町、13歳から仙台市で育つ。早稲田大学高等師範部中退。はじめ江東の号で小説を書いたが、以後国民新聞、読売新聞、時事新報、東京日日新聞など新聞の社会部長や学芸部長を務め、その傍ら文芸評論も書いた。『サンデー毎日』編集長として「サンデー毎日新人賞」を開始するなど大衆文学にもかかわる。 大正末から昭和初年にかけての大きな文学潮流となった「新感覚派」の命名者として知られる。.

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坪井正五郎

坪井 正五郎(つぼい しょうごろう、文久3年1月5日(1863年2月22日) - 大正2年(1913年)5月26日)は、日本の自然人類学者。.

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坪内逍遥

坪内 逍遥(つぼうち しょうよう、旧字体:坪內逍遙、1859年6月22日(安政6年5月22日) - 1935年(昭和10年)2月28日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。小説家としては主に明治時代に活躍した。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳があり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。本名は坪内 雄蔵(つぼうち ゆうぞう)。別号に「朧ろ月夜に如く(しく)ものぞなき」の古歌にちなんだ春のやおぼろ(春廼屋朧)、春のや主人など。俳句も詠んだ。.

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境野哲

境野 哲(さかいの さとる/さとし、明治4年8月12日(1871年9月26日) - 昭和8年(1933年)11月11日)は、日本の仏教史学者・仏教運動家。宗教家(真宗大谷派僧侶)。文学博士。専門は中国仏教史。号は黄洋(こうよう)。境野黄洋の通称で知られる。.

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天野為之

天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年12月27日) - 1938年(昭和13年)3月26日)は、明治・大正・昭和期の経済学者、ジャーナリスト、政治家、教育者、法学博士。衆議院議員、東洋経済新報社主幹、早稲田大学学長、早稲田実業学校校長を歴任した。勲三等瑞宝章受章。.

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小島烏水

小島 烏水(こじま うすい、1873年12月29日-1948年12月13日)は、日本の登山家、随筆家、文芸批評家、浮世絵や西洋版画の収集家・研究家。本名は小島 久太。.

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小川平吉

小川 平吉(おがわ へいきち、1870年1月2日(明治2年12月1日) - 1942年(昭和17年)2月5日)は、日本の政治家、弁護士。号は射山。東京府平民『人事興信録.

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尾崎行雄

尾崎 行雄(おざき ゆきお、1858年12月24日(安政5年戸籍上は翌6年の旧暦11月20日11月20日) - 1954年(昭和29年)10月6日)は、日本の政治家。日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有することから「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる。正三位勲一等(1946年5月4日付返上)。伊勢神宮内宮前の饗土橋姫神社左隣の参道の奥に鎮座する合格神社の祭神。 号は咢堂(がくどう。最初学堂。愕堂を経て咢堂)。称号は衆議院名誉議員、東京都名誉都民。世界連邦建設同盟(現、世界連邦運動協会)初代会長。.

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島地黙雷

島地 黙雷(しまじ もくらい、天保9年2月15日(1838年3月10日) - 明治44年(1911年)2月3日)は、明治時代に活躍した浄土真宗本願寺派の僧。周防国(山口県)和田で専照寺の四男として生まれる。雨田、北峰、六々道人などと号す。西本願寺の執行長。.

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島田三郎

島田 三郎(しまだ さぶろう、1852年12月17日(嘉永5年11月7日) - 1923年11月14日)は、日本の政治家、ジャーナリスト、官僚。幼名は鐘三郎、号は沼南。族籍は神奈川県平民し45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月10日閲覧。。衆議院議員。旧姓は鈴木。.

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巌谷小波

巖谷小波 巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人(さざなみ さんじん)、楽天居、隔恋坊、大江小波がある。.

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中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。.

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中村千代松

中村 千代松(なかむら ちよまつ、1867年2月19日(慶応3年1月15日) - 1941年(昭和16年)8月4日『昭和物故人名録』)は、日本の衆議院議員(立憲国民党)、ジャーナリスト。号は木公.

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中村不折

中村 不折(なかむら ふせつ、1866年8月19日(慶応2年7月10日) - 1943年(昭和18年)6月6日)は明治、大正、昭和期に活躍した日本の洋画家、書家である。正五位。太平洋美術学校校長。夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家として知られている。.

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丸山幹治

丸山 幹治(まるやまかんじ、男性、明治13年(1880年)5月2日 - 昭和30年(1955年)8月16日) は、ジャーナリスト・政治評論家。 号・侃堂。.

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市島謙吉

市島 謙吉(いちしま けんきち、安政7年2月17日(1860年3月9日) - 昭和19年(1944年)4月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、早稲田大学初代図書館長。.

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三宅雪嶺

三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、評論家。国粋主義者。右翼。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎.

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三淵忠彦

三淵 忠彦(みぶち ただひこ、1880年(明治13年)3月3日 - 1950年(昭和25年)7月14日)は、日本の初代最高裁判所長官である。栄典は正三位・勲二等瑞宝章。.

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幸徳秋水

幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。 本名は、幸徳 傳次郎(こうとく でんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。大逆事件(幸徳事件)で処刑された12名の1人。.

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久保田譲

久保田 譲(くぼた ゆずる、1847年6月22日(弘化4年5月10日) - 1936年(昭和11年)4月14日)は、近代日本の文部官僚、政治家。文部省草創の頃から行政に携わり、議定官、枢密顧問官、文部次官、貴族院勅選議員、文部大臣などを歴任した。位階勲等は正二位勲一等。男爵。.

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井上円了

四聖堂(哲学堂) 井上 円了(井上 圓了、いのうえ えんりょう、1858年3月18日(安政5年2月4日) - 1919年(大正8年)6月6日)は、仏教哲学者、教育者。 多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、哲学館(現:東洋大学)を設立した。また迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著し、一方で「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。.

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井上毅

井上 毅(いのうえ こわし、天保14年12月18日(1844年2月6日) - 明治28年(1895年)3月17日)は、日本の武士、官僚、政治家である。子爵。法制局長官、文部大臣などを歴任する。同時代の政治家・井上馨とは血縁関係は無い。.

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建部遯吾

建部 遯吾(たけべ とんご、明治4年3月21日(1871年5月10日) - 昭和20年(1945年)2月18日)は、社会学者、東京帝国大学教授、政治家。 新潟県蒲原郡横越村(現新潟市江南区横越中央)出身。1896年帝国大学文科大学哲学科卒。翌年から講師として母校の社会学講座を担当、1898年ヨーロッパ留学、留学中1900年助教授に任ぜられ、1901年帰国してただちに東京帝大教授。帝大社会学講座の初代担当教授として長く建部時代を築いた。1922年退官。1913年日本社会学院(学会)を創設、主宰した。オーギュスト・コントに依拠した総合的社会学を講じた。対露強硬論を唱えた。その後、衆議院議員をへて1938年貴族院議員。.

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徳富蘇峰

徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎(いいちろう)。字は正敬(しょうけい)。筆名は菅原 正敬(すがわら しょうけい)、大江 逸(おおえ いつ、逸郎とも)。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生前自ら定めた戒名は百敗院泡沫頑蘇居士(ひゃぱいいんほうまつがんそこじ)。 小説家の徳冨蘆花は弟。.

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志賀重昂

志賀重昂 志賀 重昂(しが しげたか、文久3年11月15日(1863年12月25日) - 昭和2年(1927年)4月6日)は、日本の地理学者、評論家、教育者、衆議院議員。誕生日は9月15日(1863年10月27日)ともいう。矧川(しんせん)・矧川漁長を号した。.

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内藤湖南

内藤 湖南(ないとう こなん、1866年8月27日(慶応2年7月18日) - 1934年(昭和9年)6月26日)は日本の東洋史学者。名は虎次郎。字は炳卿(へいけい)。湖南は号。別号に黒頭尊者。白鳥庫吉と共に戦前を代表する東洋学者であり、戦前の邪馬台国論争、中国に於ける時代区分論争などで学会を二分した。.

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内村鑑三

内村 鑑三(うちむら かんぞう、万延2年2月13日(1861年3月23日)- 昭和5年(1930年)3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。.

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元良勇次郎

元良 勇次郎(もとら ゆうじろう、安政5年11月1日(1858年12月5日) - 大正元年(1912年)12月13日)は、日本最初の心理学者である。旧姓は杉田、1881年に元良家の養子となる。墓所は青山霊園。.

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国府犀東

国府 犀東(こくぶ さいとう、明治6年(1873年)2月 - 昭和25年(1950年)2月27日)は戦前日本の記者、官僚、漢詩人。本名は種徳。石川県金沢市出身。新潟、台湾、東京で新聞記者を務めた後、内閣、宮内省、文部省等で地方改良運動、近代社格制度、詔勅起草、文化財行政等に関わった。また慶應義塾大学予科、旧制東京高等学校で漢文を講義した。 号は金沢西部を流れる犀川の東畔に生まれたことに由来する。対岸で生まれた室生犀星はこれを受けて犀西の意で犀星と名乗った。また、美術編集者坂井犀水の号も犀川による。.

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国粋主義

錦旗。 国粋主義(こくすいしゅぎ、Japanese nationalism)とは、近代の日本における国家主義の一形態で、衆議院議員の志賀重昂が1888年に雑誌『日本人』にて発表した論文「国粋保存旨義」の中で使用された用語。明治維新に始まる極端な西欧文化の流入による近代化に警笛を鳴らし、当時の明治政府の政策を欧化主義として非難したもので、日本人の本来の文化や歴史、その長所を尊ぶことを主張している。即ち天皇を頂点とする日本の国家体制を支持し、その優越性と長久性を強調する国体論が主となっている。 一般論としての国粋主義は、国家に固有の文化・伝統を礼賛して愛国心や愛郷心で意識の発揚をはかる、思想や運動のことで、一般的には保守思想の一つとされる。.

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犬養毅

養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日(安政2年4月20日) - 1932年(昭和7年)5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党総裁、立憲国民党総裁、革新倶楽部総裁、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)などを歴任した。.

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石橋禹三郎

石橋 禹三郎(いしばし うさぶろう、明治2年7月3日(1869年8月19日) - 1898年(明治31年)3月22日または23日)は明治時代のシャム王国入植者。長崎県平戸島に生まれ、福岡、東京で英語を学んだ後、アメリカ合衆国オークランドに留学した。帰国後シャム王国への植民事業を企てたが、暹羅殖民会社、石橋商会の事業はいずれも失敗し、東京で病没した。.

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神鞭知常

鞭知常(1898年) 神鞭 知常(こうむち ともつね、嘉永元年8月4日(1848年9月1日) - 明治38年(1905年)6月21日)は明治時代の官僚、衆議院議員(当選回数は計7回)。文官高等試験委員長,臨時政務調査委員などもつとめた。大日本協会、国民同盟会、対露同志会などの組織結成に参加した。.

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福本日南

福本 日南(ふくもと にちなん、安政4年5月23日(1857年6月14日) - 大正10年(1921年)9月2日)は、日本のジャーナリスト、政治家、史論家。.

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田口卯吉

口 卯吉(たぐち うきち、安政2年4月29日(1855年6月12日) - 明治38年(1905年)4月13日)は、日本の経済学者、歴史家、実業家。東京府会議員(明治13年(1880年)12月-明治23年(1890年)7月)、衆議院議員(明治27年(1894年)10月-明治38年(1905年)2月)なども歴任した。名は生年が乙卯であることにちなむ。名は鉉(みつ)。卯吉は通称。字は子玉。号は鼎軒で、『易経』に由来。.

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田岡嶺雲

岡 嶺雲(たおか れいうん、明治3年10月28日(1870年11月21日) - 大正元年(1912年)9月7日)は、近代日本の文芸評論・思想家。本名は佐代治。.

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田島錦治

島 錦治(たじま きんじ、慶応3年9月7日(1867年10月4日) - 昭和9年(1934年)6月28日)は経済学者。号は「赤城」。京都帝国大学初代経済学部長。立命館大学第2代学監。同大学第3代学長。財団法人立命館初代協議員。大日本武徳会弓道範士。日本漕艇協会第三代会長。関西漕艇協会初代会長。帝国学士院会員。.

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煙山専太郎

煙山 専太郎(けむやま せんたろう、1877年(明治10年)6月3日 - 1954年(昭和29年)3月21日)は、明治から昭和にかけての西洋史学者、政治学者。ロシア史研究の「草分け」早稲田大学名誉教授。岩手県出身。.

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牧口常三郎

牧ロ 常三郎(まきぐち つねさぶろう、1871年7月23日〈明治4年6月6日〉 - 1944年〈昭和19年〉11月18日)は、日本の思想家、教育者、地理学者、宗教家。.

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片山潜

片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。号は深甫。.

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発禁

禁(はっきん、はつきん)とは、『発行禁止処分』または『発売頒布禁止処分』の略称であるとともに、両者の総称である。 本項では略称の「発禁」に統一して記述する。.

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白河鯉洋

白河 鯉洋(しらかわ りよう、1874年(明治7年)3月2日 - 1919年(大正8年)12月25日)は、衆議院議員(立憲国民党)、ジャーナリスト、東洋学者。本名は次郎。.

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花井卓蔵

花井 卓蔵(はない たくぞう、慶応4年6月12日(1868年7月31日) - 昭和6年(1931年)12月3日)は、明治・大正に活躍した弁護士・政治家。第3代検事総長・中央大学教授を務めた花井忠の岳父。.

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菊池九郎

菊池 九郎(きくち くろう、1847年10月26日(弘化4年9月18日) - 1926年(大正15年)1月1日)は、日本の武士(弘前藩士)、教育者、官吏、政治家。東奥義塾創立者。新聞『東奥日報』創刊者。東津軽郡郡長、初代・第7代弘前市長、山形県知事、農商務省農務局長、衆議院全院委員長等を歴任。諱は武行。 「東奥の西郷隆盛」と言われ絶賛された。正五位勲四等旭日小綬章。.

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高田早苗

早苗(たかた さなえ、1860年4月4日(安政7年3月14日) - 1938年(昭和13年)12月3日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の政治家、政治学者、教育者、文芸批評家。法学博士。号は半峰。 衆議院議員、貴族院議員、文部大臣、早稲田大学総長内田満『政治の品位』東信堂、2007年、170頁。などを歴任した。.

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高橋亨 (朝鮮学者)

橋 亨(たかはし とおる、1878年12月3日 - 1967年9月4日)は、日本の朝鮮学研究者。.

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高浜虚子

浜 虚子(たかはま きょし、旧字体: 高濱 虛子、1874年〈明治7年〉2月22日 - 1959年〈昭和34年〉4月8日)は、明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体: 高濱 淸)。 『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。.

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講談社学術文庫

講談社学術文庫(こうだんしゃがくじゅつぶんこ)は、講談社刊の文庫判・学術書レーベル、1976年(昭和51年)に発足。シンボルマークは、古代エジプトで知識や学問の象徴とされていた「トキ」(アフリカクロトキ)の姿をした神トートである。 単行判・選書新書の(改訂・改題も含む)再刊、古典新訳のみならず、文庫書き下ろしでの出版も多い。約40年間で2000冊代を刊行、重版多数の書目がある一方で、初版のみで品切絶版となった書目も多い。 2011年(平成23年)より、電子書籍版を購入できるiOS用のアプリケーション「選書メチエ&学術文庫」をApp Storeを配信している。.

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鹿鳴館

鹿鳴館(ろくめいかん)は、国賓や外国の外交官を接待するため、外国との社交場として明治政府によって建てられた社交場である。鹿鳴館を中心にした外交政策を「鹿鳴館外交」、欧化主義が広まった明治10年代後半を「鹿鳴館時代」と呼ぶ。当時の極端に走った欧化政策を象徴する存在でもあった。 建物は後に華族会館となり、1940年(昭和15年)に取り壊された。.

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鹿野政直

鹿野 政直(かの まさなお、1931年(昭和6年)8月20日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近代史、思想史。早稲田大学名誉教授。妻は詩人の堀場清子。.

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黒岩涙香

黒岩 涙香(くろいわ るいこう、1862年11月20日(文久2年9月29日) - 1920年(大正9年)10月6日)は、日本の小説家、思想家、作家、翻訳家、ジャーナリスト。兄は黒岩四方之進。本名は黒岩周六。黒岩涙香のほか、香骨居士、涙香小史、冷眼士等などの筆名を用いた。号は古概、民鉄、正調庵、黒岩大。あだ名はマムシの周六。戒名は黒岩院周六涙香忠天居士。 翻訳家、作家、記者として活動し、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した。.

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鈴木大拙

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。1949年に文化勲章、日本学士院会員。 名の「大拙」は居士号である。同郷の西田幾多郎、藤岡作太郎とは石川県立専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。また、金沢時代の旧友である安宅産業の安宅弥吉は「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援した。 生前、1963年にノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

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鈴木券太郎

鈴木 券太郎(すずき けんたろう、文久2年12月〈1863年〉 - 1939年〈昭和14年〉3月14日)は、明治から大正・昭和にかけて非常に著名だった国権主義的なジャーナリスト、教育者。号は醇庵。他に乳水陳人、毛山狂生など。.

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藤田豊八

藤田 豊八(ふじた とよはち、1869年10月19日(明治2年9月15日) - 1929年(昭和4年)7月15日)は、明治・大正期の東洋史学者。文学博士。号は剣峰。.

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肥塚龍

肥塚 龍(こいづか りゅう、嘉永元年1月10日(1848年2月14日) - 大正9年(1920年)12月3日)は、東京府知事、新聞記者の民権活動家。 自由民権運動に関し、大胆で新しい言論活動で注目を集めていた。.

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長谷川如是閑

長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん、1875年(明治8年)11月30日 - 1969年(昭和44年)11月11日)は、日本のジャーナリスト、文明批評家、評論家、作家。明治・大正・昭和と三代にわたり、新聞記事・評論・エッセイ・戯曲・小説・紀行と約3000本もの作品を著した。大山郁夫らとともに雑誌『我等』(後に『批判』)を創刊し、大正デモクラシー期の代表的論客の一人。「如是閑」は雅号、本名は萬次郎。.

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陸羯南

羯南(くが かつなん、安政4年丁巳10月14日(1857年11月30日) - 明治40年(1907年)9月2日)は、日本の国民主義の政治評論家。日本新聞社長。正岡子規を育てた。幼名は巳之太郎、のち実号が羯南。.

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来馬琢道

来馬 琢道(くるま たくどう、1877年11月28日 - 1964年7月10日)は、日本の僧侶、参議院議員(1期)。東京出身。仏前結婚式の創始者ともされる。.

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松岡好一

松岡 好一(まつおか こういち、1865年 - 1921年6月29日)は、日本のジャーナリスト。.

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松下丈吉

松下 丈吉(まつした じょうきち、安政6年2月6日(1859年3月10日) - 昭和6年(1931年)7月1日)は、東京英語学校(日本学園中学校・高等学校)創立者、政教社同人、『日本人』発刊者。息子は海軍中将の松下元。号は鬼窟。.

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杉浦重剛

杉浦 重剛(すぎうら じゅうごう、安政2年3月3日(1855年4月19日)- 大正13年(1924年2月13日)は、明治・大正時代の国粋主義的教育者・思想家。幼名は謙次郎。父は膳所藩の儒者杉浦重文。近江国膳所藩(現・滋賀県大津市)出身。 若き日の昭和天皇、秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王の3兄弟に帝王学の一環として倫理を進講する。号は梅窓または天台道士。学生時の渾名は紙魚(しみ)。後に『人格高邁の国士』と評される。理学宗の世界観を確立。.

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桐生悠々

桐生 悠々(きりゅう ゆうゆう、1873年5月20日 - 1941年9月10日)は、石川県出身のジャーナリスト、評論家。本名は政次(まさじ)。明治末から昭和初期にかけて反権力・反軍的な言論(広い意味でのファシズム批判)をくりひろげ、特に信濃毎日新聞主筆時代に書いた社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」は、当時にあって日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘したことで知られる。.

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梁啓超

梁 啓超(りょう けいちょう)は清末民初の政治家、ジャーナリスト、歴史学者。字は卓如、号は任公、飲冰室主人など。さらに中国之新民他きわめて多数のペンネームをもつ。 建築家・建築史家の梁思成は長男、考古学者の梁思永は次男にあたる。.

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棚橋一郎

棚橋 一郎(たなはし いちろう、文久2年11月12日(1863年1月1日) - 昭和17年(1942年)2月7日)は、岐阜県出身の教育者、漢学者(今でいう倫理学者)。衆議院議員、東京市会議員。.

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極右

極右(きょくう、英:far right, extreme right)、または急進右翼(英:radical right)、または超右翼(英:ultra-right )とは、極端に右翼的な思想・個人・集団を指す。対義語は極左である。.

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横井時雄

横井 時雄(よこい ときお、安政4年10月17日(1857年12月3日) - 昭和2年(1927年)9月13日)は、日本の牧師、ジャーナリスト、編集者、元逓信官僚、元衆議院議員、同志社第3代社長(現・総長)。一時期、伊勢時雄を名のる。 父は幕末期に活躍した儒学者の横井小楠。 金森通倫・徳富蘇峰・徳冨蘆花は、母方の親戚にあたる。最初の妻・みねは山本覚馬の次女で、後妻は柳瀬義富の五女・豊。妹・みやは海老名弾正の妻である。.

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樽井藤吉

樽井 藤吉(たるい とうきち、嘉永3年4月14日(1850年5月25日) - 大正11年(1922年)10月25日)は、明治大正期の政治運動家。アジア主義者として知られる。別名森本藤吉。.

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正岡子規

松山市にある子規記念博物館 正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。.

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江藤新作

江藤 新作(えとう しんさく、1863年11月27日(文久3年10月17日) - 1910年(明治43年)1月6日)は、明治時代の政治家、衆議院議員。幼名松次郎。号は節山。初代司法卿、江藤新平の次男。次男は江藤夏雄(衆議院議員)。.

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池辺三山

池辺 三山(いけべ さんざん、1864年3月12日(文久4年2月5日)– 1912年2月28日)は、明治期の日本のジャーナリスト。本名は吉太郎、字は任道、諱は重遠、別号に鉄崑崙、無字庵主人、木生など。日本のジャーナリストの先駆けといわれる。.

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渡辺洪基

渡辺 洪基(わたなべ ひろもと / こうき、1848年1月28日(弘化4年12月23日) - 1901年(明治34年)5月24日)は明治時代の日本の官僚、政治家。幼名・孝一郎、号は浩堂。 学習院次長、元老院議官、工部少輔、東京府知事、帝国大学(東京大学の前身)初代総長、駐オーストリア公使、衆議院議員、貴族院議員を歴任し、東京統計協会(日本統計協会の前身の一つ)、国家学会、日本建築学会、工業化学会(日本化学会の前身の一つ)など多数の学会会長を務めたほか、工手学校(工学院大学の前身)、大倉商業学校(東京経済大学の前身)の設立に関わった。.

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湯本武比古

湯本 武比古(ゆもと たけひこ、1856年1月8日(安政2年12月1日) - 1925年(大正14年)9月27日)は明治時代から大正時代にかけての日本の教育者。.

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朝比奈知泉

朝比奈 知泉(あさひな ちせん、文久2年4月25日(1862年5月23日) - 昭和14年(1939年)5月22日)は日本の新聞記者、政論家。号は碌堂、他に珂南・河水懶魚・不染盧主人などがある。.

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戸水寛人

戸水 寛人(とみず ひろんど、1861年8月1日(文久元年6月25日) - 1935年(昭和10年)1月20日)は、日本の法学者、政治家。法学博士。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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浮田和民

浮田 和民(うきた かずたみ、安政6年12月28日(1859年1月20日) - 昭和21年(1946年)10月28日)は、日本の思想家・政治学者。法学博士、早稲田大学高等師範部長。同志社英学校最初の卒業生。熊本バンドの一人。 軍人の石光真清、石光真臣兄弟は従兄弟にあたる。先妻・末、後妻・五女は共に下村孝太郎の妹である。長女・操は原安三郎の妻、次女・恵美子の子は若林貴世志、三女・東子の子は浮田克躬.

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日清戦争

日清戦争(にっしんせんそう)は、1894年(明治27年)7月25日(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争である。前者がイギリス帝国に接近し、治外法権を撤廃させる実質的な外交材料となった。日清講和条約を結ばせた日本は戦勝国であったが、多くの兵を病死させている。また、利率の高い国内軍事公債も戦後に借り替えた。条約により台湾を譲り受けた日本は、台湾総督府や台湾製糖を設置し、民間からは大日本製糖などの製糖会社が台湾に進出した。また日清汽船(大阪商船)などの水運会社が上海に進出した。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本 (新聞)

『日本』(にっぽん)は、1889年(明治22年)2月11日から、1914年(大正3年)12月31日まであった日刊新聞。.

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日本及日本人

日本及日本人(にほんおよびにほんじん)は、1907年(明治40年)1月1日から1945年(昭和20年)2月まで、政教社から出版された、おもに言論の雑誌。1923年秋まで、三宅雪嶺が主宰した。.

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日本語

日本語(にほんご、にっぽんご「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。)は、主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語である。 日本は法令によって公用語を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令において日本語を用いることが規定され、学校教育においては「国語」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。 使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。統計によって前後する場合もあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。 日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を母語とする多くの場合、外国籍であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また琉球語を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。 2017年4月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、マレー語に次いで7番目に多い。.

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政教社

政教社(せいきょうしゃ)は、1888年(明治21年)、東京にできた政治評論団体。機関誌『日本人』、『亜細亜』、続いて『日本及日本人』を発行し、単行本も出版した。結成期の主張は、西欧化に盲進せず、西欧文化は消化した上で取り入れるべしとの、国粋主義だった。性格を変えながら、1945年(昭和20年)まで存続した。.

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12月

12月(じゅうにがつ)は、グレゴリオ暦で年の第12の月(最後の月)に当たり、31日ある。 日本では、旧暦12月を「師走」、「師馳」(しわす・しはす)又は「極月」(きわまりづき・ごくげつ・ごくづき)と呼んできた。 今では「師走」及び「極月」は、新暦12月の別名としても用いられる。 英語での月名 December は、「10番目の月」の意味で、ラテン語で「第10の」という意味の「decem」の語に由来している。 実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で(そのため年末の2月は日数が少ない)、3月から数えて10番目という意味である。 グレゴリオ暦の12月1日はその年の9月1日と同じ曜日になる(→365日)。 明治時代に日本が太陰暦から太陽暦に変更した際に、政府が年末の給料を削減するために12月の日数を2日とした(明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日とした)。.

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1888年

記載なし。

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1906年

記載なし。

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4月

4月(しがつ)はグレゴリオ暦で年の第4の月に当たり、30日ある。 日本では、旧暦4月を卯月(うづき)と呼び、現在では新暦4月の別名としても用いる。卯月の由来は、卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したものというのが定説となっている。しかし、卯月の由来は別にあって、卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだとする説もある。「卯の花月」以外の説には、十二支の4番目が卯であることから「卯月」とする説や、稲の苗を植える月であるから「種月(うづき)」「植月(うゑつき)」「田植苗月(たうなへづき)」「苗植月(なへうゑづき)」であるとする説などがある。他に「夏初月(なつはづき)」の別名もある。 日本では、新年度または新学期の時期として有名であり、学校・官公庁・会社などでは当月に入社式・入学式が行われ、前月の3月と同様に慌しくなる。世帯数や人口は少ないが、「卯月」という姓(名字)も存在する。4月は毎年7月と同じ曜日で始まり、閏年には1月とも同じとなる。 英語での月名、April はラテン語の Aprilis、ウェヌス(相当するギリシャの女神アフロディーテのエトルリア名 Apru より)に捧げられた月。.

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