ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

日本のキリスト教史

索引 日本のキリスト教史

日本のキリスト教史(にほんのキリストきょうし)では、日本におけるキリスト教の歴史とその展開について述べる。日本の宗教全般については日本の宗教を、世界のキリスト教の歴史については、キリスト教の歴史を参照のこと。.

708 関係: 厚岸町原城原マルティノ原胤信いのちのことば社博多千島列島千代田区千々石ミゲル単科大学と総合大学南蛮南蛮貿易口語訳聖書古屋安雄台湾司祭司教叙階名古屋市同志社大学同志社英学校吉川弘文館堀内文一夏季学校大友義鎮大名大島正健大川従道大主教大御所 (江戸時代)大和民族大秦景教流行中国碑大隈重信大覚醒大貫隆大阪市大阪信愛女学院大逆事件大村純忠大津事件大本営大浦天主堂大日如来大日本帝国憲法天皇天竺天草諸島天正遣欧少年使節太上天皇...外交官外海町奥山実奴隷貿易奄美カトリック迫害奉神礼学校法人南山学園学校法人大阪明星学園学校法人フェリス女学院学校法人白百合学園 (東京都)学校法人青山学院学校法人雙葉学園学校法人暁星学園学校法人東北学院学校法人東星学園学校法人明治学院宣教師宣教開始50年記念会宮川経輝宮部金吾宮津市宗門改宗教改革安土桃山時代安部磯雄寺院寺沢堅高富国強兵富田満小山宗祐小崎弘道小出朋治小西行長尾山令仁尾形守専門学校令山口市山室軍平山下りん山路愛山山本信次郎屋久島岡田稔岡本大八事件岩下壮一岩倉使節団岩波新書岩波書店島原の乱島原半島島原藩島田喜蔵上流階級上智大学上智大生靖国神社参拝拒否事件不平等条約不敬罪帝国議会中央情報局中国中田重治中村健之介中村喜和中村敏中浦ジュリアン丸山 (中野区)常葉隆興主教世界宣教東京大会世界福音同盟世界教会協議会三位一体三谷種吉三河一向一揆三教会同一揆九州九州平定平戸市幸徳秋水京都京都府京都暁星高等学校府主教府内 (豊後国)広井勇広隆寺五島市五野井隆史五榜の掲示井上哲次郎井深梶之助仏教仏教用語一覧以心崇伝仙台会衆派教会伊東マンショ伝教師佐藤昌介佐藤敏夫 (神学者)使徒座代理区御殿場市徳川家康徳川秀忠待労院信教の自由修道司祭修道会土井辰雄医学部北海道北海道大学ナチス・ドイツナチズムペトロ岐部と187殉教者ミサマルティン・ルターマルク・マリー・ド・ロノビシャドマカオチャニング・ウィリアムズネーデルラント連邦共和国ネストリウス派ハンセン病バーナード・ジャン・ベッテルハイムバークレー・バックストンバプティストバテレン追放令バスク人ポルトガルポルトガル王国ポーツマス条約ムラカメリマン・ハリスメルメ・カションメアリー・キダーメソジスト監督教会モラヴィア兄弟団モーセ五書モスクワ総主教ヤン・ヨーステンヤジロウユニテリアン主義ユダヤ人ユダヤ教ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)ヨーロッパヨゼフ・ライネルスヨゼフ・フロジャックラテン語リバイバルリバイバル (1883年)リロイ・ジェーンズルイ・テオドル・フューレルイス・デ・アルメイダルイス・フロイスレフ・トルストイローマ教皇庁ローザンヌ誓約ロシア帝国ロシア革命ロシア正教会トリエント公会議プリュダンス・セラファン=バルテルミ・ジラールプロテスタントパリ外国宣教会パゼット・ウィルクスビリー・グラハムビリー・グラハム国際大会ピウス10世 (ローマ教皇)ピエール・マリー・オズーフテオドール=オギュスタン・フォルカードデュアン・シモンズデウスフランシスコ会フランシスコ・カブラルフランシスコ・ザビエルフランスフランソワ・カロンフアン・フェルナンデス (宣教師)フィリピンドミニコ会ドイツニコライ (日本大主教)ニコライ堂ホーリネスホーリネス弾圧事件ホーリネス・リバイバルホーリネス運動ホーリネス教会ダニエル・クロスビー・グリーンベルナール・プティジャン列福切支丹屋敷和人アナトリイ・チハイアメリカ合衆国長老教会アメリカン・ボードアメリカ・オランダ改革派教会アメリカ正教会アルマダの海戦アレッサンドロ・ヴァリニャーノアレクシイ2世アーリアン学説アブラハムの宗教アイヌアジアアジア系民族イムマヌエル綜合伝道団インドインカルチュレーションイングランド王国イエズス会イコンイスラエルイタリアウィリアム・ブースウィリアム・アダムスウィリアム・スミス・クラークウィルフリード・スピンナーエディンバラ宣教会議エホバの証人エキュメニズムオランダ商館オットー・シュミーデルカムイカトリック名古屋教区カトリック山手教会カトリック中央協議会カトリック神田教会カトリック築地教会カトリック関口教会カトリック長崎大司教区カトリック東京大司教区カトリック本所教会カトリック浅草教会カトリック教会カピタンカピタン・モールガスパル・ヴィレラガスパール・コエリョキリシタンキリシタン大名キリスト教キリスト教の歴史キリスト教主義学校キリスト教年表キリスト教徒キリスト教青年会ギヨーム・ジョゼフ・シャミナードギリシャ正教会クリスマスクリスチャントゥデイクリスチャン新聞クレメンス11世 (ローマ教皇)グレゴリウス13世 (ローマ教皇)グイド・フルベッキコレジオコスメ・デ・トーレスシャルトル聖パウロ修道女会ショファイユの幼きイエズス修道会ジャン・ピエール・レイジョナサン・ゴーブルジョン・リギンズ (宣教師)ジョン・ストットジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティジェルマン・レジェ・テストウィードジェームス・ハミルトン・バラジェームス・カーティス・ヘボンスペインセミナリヨセルギイ (日本府主教)ソビエト連邦ソピアーサミュエル・ロビンス・ブラウンサレジオ会サン=フェリペ号事件唐津藩儒学者内村鑑三出島函館八十年戦争共同訳聖書共産主義典礼典礼聖歌元和の大殉教前田事件国家社会主義ドイツ労働者党国家神道国立京都国際会館国粋主義国際日本文化研究センター国泰寺 (北海道厚岸町)国教会四重の福音皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会石川三四郎石巻ハリストス正教会石井十次石井亮一火縄銃琉球王国琉球語社会派神は愛なり神奈川県神学部神山復生病院神仏習合神品 (正教会の聖職)神社神父神聖ローマ帝国神道神言会祈祷書 (正教会)祖国に対する信者のつとめ禁教令福島町福音同盟福音主義福音派福澤諭吉秦河勝種子島竹入高竹田俊造立命館大学立憲君主制第2バチカン公会議第三回全国基督教信徒大親睦会第一回全国基督教信徒大親睦会第二次世界大戦米国聖公会織田信長美濃ミッション結城忠正結核経済生活協同組合生活協同組合コープこうべ田村直臣無教会主義熊本市熊本バンド熊本県熊本洋学校牧会特別高等警察片山潜牛丸康夫百姓隠れキリシタン韓国併合鎌倉市鎖国聖心女子大学聖公会聖霊派聖歌聖母仏語学校聖母マリア聖書聖書信仰聖書キリスト教会菅野鋭蝦夷地静岡県飯清西園寺公望西暦西村眞悟西洋紀聞西方教会首座主教駿府高山右近高山友照高等教育高等批評高木甚三郎讃美歌 (1903年版)豊後国豊臣秀吉賛美歌賀川豊彦贖宥状踏み絵鹿児島市車田秋次軍事軍部輔祭辻啓蔵鈴木崇巨防共協定関口関ヶ原の戦い関西聖書神学校蒲生氏郷那覇市肥後国肥前国蔦田二雄野方町自由主義神学自治正教会金森通倫采覧異言長崎の教会群とキリスト教関連遺産長崎奉行長崎市長崎県長縄光男色丹島鉄砲伝来連合国軍最高司令官総司令部択捉島押川方義柏木義円授産所東南アジア東京東京基督教大学東京堂出版東京女子大学東京駅東北地方松前藩松倉勝家松江市松江バンド杉原千畝森有礼植村・海老名キリスト論論争植村正久植民地極東横浜市横浜バンド横浜海岸教会樺太檀家制度正定事件正教会正教徒殉教殉教血史 日本二十六聖人江戸幕府江戸時代池田長十郎法学部法律法華宗洗礼淀橋教会渡瀬常吉満州事変滝乃川学園朝鮮総督府木下尚江木村清松末日聖徒イエス・キリスト教会本多庸一札幌バンド札幌農学校朱基徹有馬晴信戦国時代 (日本)明仁明治天皇明治維新浦上四番崩れ海老名弾正海星中学校・高等学校 (長崎県)浄土真宗浅草斎藤保太郎新島襄新井白石新共同訳聖書新渡戸稲造新改訳聖書文部科学省検定済教科書日外アソシエーツ日中戦争日仏修好通商条約日米修好通商条約日露戦争日比谷焼打事件日本日本基督教会日本基督教団日本におけるカトリック教会日本の宗教日本の仏教日本のプロテスタント教派一覧日本のキリシタン一覧日本の花嫁日本の歴史日本の文化日本宣教百年記念聖書信仰運動日本万国博覧会日本人日本二十六聖人日本伝道会議日本伝道隊日本ハリストス正教会日本メソヂスト教会日本プロテスタント宣教150周年日本プロテスタント宣教150周年記念大会日本プロテスタント聖書信仰同盟日本イエス・キリスト教団日本キリスト改革派教会日本キリスト教協議会日本キリスト教婦人矯風会日本国憲法日本国憲法第20条日本福音同盟日本統治時代の朝鮮日本組合基督教会日本聖公会日本聖書協会日本語日本語訳聖書旧制中学校政治救世軍教会派教区教皇教育ニ関スル勅語教文館慈善普及福音教会10月1543年1549年1563年1582年1587年1590年1596年1597年1598年1600年1607年1612年1616年1619年1622年1623年1637年1638年1639年1641年1708年1844年1846年1850年1855年1857年1858年1859年1860年1861年1862年1863年1864年1865年1867年1868年1869年1871年1872年1873年1874年1875年1876年1877年1878年1880年1882年1883年1884年1885年1886年1887年1888年1889年1890年1891年1892年1893年1894年1895年1897年1898年1901年1902年1903年1904年1905年1906年1907年1908年1909年1910年1911年1912年1913年1916年1918年1919年1922年1926年1927年1929年1930年1931年1932年1933年1934年1936年1938年1939年1940年1941年1945年1946年1947年1948年1950年1953年1954年1955年1956年1959年1962年1965年1968年1970年1974年1978年1981年1987年1999年2000年2008年2009年2010年2013年5世紀5月 インデックスを展開 (658 もっと) »

厚岸町

厚岸町(あっけしちょう)は、北海道釧路総合振興局にある町。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と厚岸町 · 続きを見る »

原城

原城(はらじょう・はるのじょう)は、長崎県南島原市南有馬町乙にあった日本の城である。国の史跡。別名、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城。2018年6月30日に世界遺産登録が決まった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と原城 · 続きを見る »

原マルティノ

原 マルティノ(はら マルティノ、Martinão, 永禄12年(1569年)ごろ - 寛永6年9月7日(1629年10月23日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてのキリシタン。イエズス会員でカトリック司祭。マルチノ、またはマルチィノとも。天正遣欧少年使節の副使で、使節の少年4人の中では最年少であったが、語学に長け、ローマからの帰途のゴアでラテン語の演説を行い有名になる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と原マルティノ · 続きを見る »

原胤信

原 胤信(はら たねのぶ、天正15年(1587年)-元和9年10月13日(1623年12月4日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての旗本、キリシタン。原胤義の嫡男。幼名は吉丸。洗礼名はジョアン。受領名が主水助であったために、原 主水(はら もんど)の名で知られている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と原胤信 · 続きを見る »

いのちのことば社

いのちのことば社(いのちのことばしゃ)は、スウェーデン同盟キリスト教団内で運営される組織の名称。 プロテスタント福音派系の出版社、超教派の文書伝道団体である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史といのちのことば社 · 続きを見る »

博多

博多総鎮守櫛田神社 博多(はかた)は、九州北部筑前国、現在の福岡県福岡市の地域。 博多湾に面する港町・港湾都市で、博多津などとも呼ばれた。古代からの歴史を持ち、中世には、大商人達による合議制で治められた日本史上初の自治都市として栄えた。江戸時代に黒田氏が入国し那珂川を挟んで城下町福岡を築き、二極都市の性格を持った。明治時代には博多・福岡をまとめて1つの市・福岡市として市制施行されて現在に至り、博多の地名は博多区として残るが同義ではない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と博多 · 続きを見る »

千島列島

千島列島(ちしまれっとう)は、北海道本島の東、根室海峡からカムチャツカ半島の南、千島海峡までの間に連なる列島。クリル列島( Kuril Islands)ともいう。国後島、択捉島、得撫島、幌筵島、占守島などの島々からなる。総面積10355.61km2。 主に得撫島以北を北千島、択捉島以南を南千島と呼ぶ。また、南千島に対する日本の領有権を主張する立場から、これらの島々を北方四島(北方領土)と呼ぶことがある。日本政府は択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島を北海道の属島とし、千島列島に属さないとしている。 なお、得撫島から磨勘留島までを中部千島と呼ぶことがあり、本項でも便宜上.

新しい!!: 日本のキリスト教史と千島列島 · 続きを見る »

千代田区

千代田区(ちよだく)は、東京都の特別区の一つ。1947年(昭和22年)3月15日に麹町区と神田区が合併して誕生した山口恵一郎 『日本地名辞典 市町村編』1980年10月。。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と千代田区 · 続きを見る »

千々石ミゲル

千々石 ミゲル(ちぢわ ミゲル、Miguel 永禄12年(1569年)ごろ - 寛永9年12月14日(1633年1月23日)?)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武士、キリシタン。「ミゲル」は洗礼名で本名は千々石紀員(のりかず)。肥前国釜蓋城主千々石直員の子。大村純忠の甥、大村喜前及び有馬晴信の従兄弟。イエズス会による天正遣欧使節に派遣された正使の1人として、そして4人の正使の中で唯一、棄教してキリスト教から離れたことで知られている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と千々石ミゲル · 続きを見る »

単科大学と総合大学

単科大学(たんかだいがく)とは、小規模で単一の学問領域を教育・研究する大学の日本における呼称である。英称:college(カレッジ)。(小規模な総合大学と短期大学にも英語としてcollegeがあてはまる。) 総合大学(そうごうだいがく)とは、大規模かつ広範囲な学問領域について教育・研究する大学の日本における呼称である。英称:University(ユニバーシティ)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と単科大学と総合大学 · 続きを見る »

南蛮

四夷の名称 南蛮(なんばん)あるいは蛮(ばん)は、四夷のひとつであり、中国大陸を制した朝廷が南方の帰順しない異民族に対して用いた蔑称である。 日本でも当初は同様の意味で用いられていたが、15世紀にヨーロッパ人との南蛮貿易が始まって以降は、主にヨーロッパや東南アジア・スペインやポルトガルの文物や人物を指す語となった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と南蛮 · 続きを見る »

南蛮貿易

南蛮貿易(なんばんぼうえき)とは、日本の商人、南蛮人、明時代の中国人、およびヨーロッパとアジアの混血住民との間で行われていた貿易である。南蛮人とは、ポルトガル人とスペイン人を指す。時期は16世紀半ばから17世紀初期、場所は東南アジアから東アジアの海域にかけて行われた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と南蛮貿易 · 続きを見る »

口語訳聖書

口語訳聖書(こうごやくせいしょ)とは、口語文に翻訳された聖書。おもに日本語訳聖書にいう。次のようなものがあるが、本稿では日本聖書協会の翻訳・発行による『口語訳聖書』(新約1954年、完訳1955年)について詳述する。;『新共同訳聖書』(新約1987年、完訳1988年);『新約聖書 共同訳』(新約1978年);『新改訳聖書』(新約1965年、初版完訳1970年、2版1978年、3版2003年、20172017年);『リビングバイブル』;『現代訳聖書』(完訳1983年);『聖書』(改訂訳1980年);『原文校訂による口語訳聖書』(完訳2002年).

新しい!!: 日本のキリスト教史と口語訳聖書 · 続きを見る »

古屋安雄

古屋 安雄(ふるや やすお、1926年9月13日 -2018年4月16日)は、日本の神学者、牧師。プリンストン神学校、東京神学大学、東京大学、自由学園最高学部、講師。客員教授。東京女子大学宗教顧問。国際基督教大学教会牧師、チャプレンを務めた。国際基督教大学名誉教授、元聖学院大学大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科科長、教授。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と古屋安雄 · 続きを見る »

台湾

台湾(タイワン、臺灣 / 台灣、台: Tâi-oân)は、東アジアの国である。 1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島、金門島、馬祖島、東沙諸島、南沙諸島の太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2018年時点では同島で人口最多の都市である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と台湾 · 続きを見る »

司祭

司祭(しさい)とは、キリスト教における位階の一つ。東方諸教会、正教会、カトリック教会、聖公会に存在する。 プロテスタントには、万人祭司の教理により司祭がおらず、指導者として牧師がいる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と司祭 · 続きを見る »

司教

司教(しきょう、Episcopus, bishop)は、カトリック教会の位階の一つで、ある司教区(教区)を監督する聖務職のこと。 正教会や聖公会などではこれに相当するのは「主教」と呼び、福音主義(ルター派)教会やメソジストでは「監督」と呼ぶ。 なお、カトリック教会でも中国語・韓国語では訳語に「主教」を採用している(例:天主教台湾地区主教団)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と司教 · 続きを見る »

叙階

叙階(じょかい)とは、キリスト教カトリック教会の秘跡(サクラメント)の一つで聖職者を任命すること。 正教会では神品機密(叙聖)に相当。聖公会では聖職者按手(叙任)に相当するが、聖奠ではなく聖奠的諸式に位置づけられる。プロテスタント教会では按手礼に相当するが、サクラメントとは位置づけられていない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と叙階 · 続きを見る »

名古屋市

名古屋市(なごやし)は愛知県西部(尾張地方)にある市。政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。全16区から構成される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と名古屋市 · 続きを見る »

同志社大学

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と同志社大学 · 続きを見る »

同志社英学校

今出川校地移転後の同志社英学校(1886年) 同志社英学校(どうししゃえいがっこう)とは、1875年(明治の八とせという年)に上方の京都府・山城において開かれた私塾である。それは、キリスト新教改革教会(カルバン主義プロテスタント)清教徒運動組合派の宣教師であった新島襄らが創った学び屋だった。同志社英学校を創るにあたり新島は、アメリカ合州国に在る組合派系の海外伝道団体である「アメリカン・ボード」の力添えによった。この同志社英学校が今の、キリスト教主義の私立大学である同志社大学の元となっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と同志社英学校 · 続きを見る »

吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と吉川弘文館 · 続きを見る »

堀内文一

堀内 文一(ほりうち ぶんいち、1875年8月1日 - 1940年1月13日)は、日本の牧師、伝道者、日本伝道隊の指導者。奈良県大和郡山生まれ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と堀内文一 · 続きを見る »

夏季学校

夏季学校(かきがっこう、英:Summer School)は.

新しい!!: 日本のキリスト教史と夏季学校 · 続きを見る »

夢(ゆめ)とは、.

新しい!!: 日本のキリスト教史と夢 · 続きを見る »

大友義鎮

九州旅客鉄道(JR九州)大分駅府内中央口ロータリーにある大友宗麟像 神宮寺浦公園(大分県大分市)にある大友宗麟像 大友宗麟公像(大分県津久見市) 臼杵城跡(大分県臼杵市)にある大友宗麟公像(レリーフ) 大友 義鎮 / 大友 宗麟(おおとも よししげ / おおとも そうりん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。キリシタン大名。大友氏21代当主。宗麟の法号で知られている。 大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて少弐氏・島津氏と共に幕府御家人衆の束ね役として権勢を振るい、室町時代に入ってからは大内氏の進出に対し少弐氏と結び抗争している。 父は20代当主・大友義鑑。母は大内義興の娘とされるが、大内氏の家督を継いだ大内義長(晴英)と異母兄弟にあたるともいわれ、異説として公家出身の娘か家臣の娘が母とする説がある。一説に生母は阿蘇惟憲の娘。弟に大内義長、塩市丸、親貞など。子に義統(吉統)、親家、親盛など。 海外貿易による経済力と優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏を初めとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国時代の北九州東部を平定した。 当初は禅宗に帰依していたが後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。最盛期には九州六ヶ国を支配して版図を拡げた。しかし「キリシタン王国」建設間近で島津義久に敗れ、晩年には豊臣秀吉傘下の一大名に甘んじて豊後一国までに衰退した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大友義鎮 · 続きを見る »

大名

大名(だいみょう)は、大名主より転じた語。大いに名の轟く者のことを指す。対義語は小名である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大名 · 続きを見る »

大島正健

大島 正健 (おおしま まさたけ、安政6年7月15日(1859年8月13日) - 昭和13年(1938年)3月11日) は日本人の宗教家・教育者・言語学者。札幌農学校(現在の北海道大学)の第1期生であり、クラーク博士の教育指導を直接受けた一人となった。クラークの 'Boys, be ambitious' (青年よ、大志をいだけ) との言葉を後世に残す上で大きな役割を果たした。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大島正健 · 続きを見る »

大川従道

大川 従道(おおかわ つぐみち、1942年1月19日 - )は、日本の牧師、神学校教師である。大和カルバリーチャペル、東京カルバリーチャペル主任牧師。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大川従道 · 続きを見る »

大主教

大主教(ギリシア語: Αρχιεπίσκοπος (archepiskopos) )はキリスト教の役職のひとつ。主教の中で権威の高い位として用いられる称号。 正教会、ルター派、聖公会でこの訳語を用いる。日本カトリック教会では大司教に相当するが、他言語では両者を区別しないことが多い。たとえば英語ではともにアーチビショップ (archbishop) である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大主教 · 続きを見る »

大御所 (江戸時代)

大御所(おおごしょ)とは、江戸幕府において征夷大将軍職を退いて隠居した前将軍の敬称。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大御所 (江戸時代) · 続きを見る »

大和民族

大和民族(やまとみんぞく)は、日本列島の住民の大半を占める民族である。ほとんどが日本語を母語とし、日本列島に居住する民族である。しばしば和人倭人は古い日本人の呼称だが、中国中南部の百越の一部を起源とする説があるなど、大和民族と同義ではない。-->(わじん)とも呼ばれる。 日本列島の住民のうち古代の大和朝廷や中世の武家政権の施政下にあった人を指し、近世に幕藩体制下に組み込まれた琉球諸島の住民(琉球民族)を含む民族的日本人を指す場合は日本民族と呼称される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大和民族 · 続きを見る »

大秦景教流行中国碑

大秦景教流行中国碑拓本 大秦景教流行中国碑(だいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ)は、明末に長安の崇聖寺の境内で発掘された古碑。ネストリウス派(景教)の教義や中国への伝来などを刻す。唐代781年(建中2年)に伊斯が建立した。碑文は景浄。古代キリスト教関連の古碑ということで世界的に有名。現在西安碑林博物館に保管されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大秦景教流行中国碑 · 続きを見る »

大隈重信

大隈 重信(おおくま しげのぶ、天保9年2月16日(1838年3月11日) - 大正11年(1922年)1月10日)は、日本の武士(佐賀藩士)、政治家、教育者。位階勲等爵位は従一位大勲位侯爵(公爵)。菅原姓。 政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・10・13・28代)、農商務大臣(第11代)、内閣総理大臣(第8・17代)、内務大臣(第30・32代)、貴族院議員などを歴任した。早稲田大学の創設者であり、初代総長である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大隈重信 · 続きを見る »

大覚醒

大覚醒 (だいかくせい、)とは、1730年代から繰り返された、英米の歴史における大きな信仰のリバイバルの期間を指している。またこれは、合衆国の信仰の周期的な循環と言われている。この用語は、米国のリバイバルを指すだけではなく、1550年代、宗教改革とその後の信仰復興を指しても使われる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大覚醒 · 続きを見る »

大貫隆

大貫 隆(おおぬき たかし、1945年4月26日 - )は、日本の宗教学者、聖書学者。専攻は新約聖書学、古代キリスト教文学の研究。東京大学名誉教授。日本宗教学会理事。日本新約学会理事。日本聖書学研究所所員。静岡県出身。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大貫隆 · 続きを見る »

大阪市

大阪市(おおさかし)は、日本の近畿地方、大阪府のほぼ中央に位置する市で、同府の府庁所在地である。政令指定都市に指定されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大阪市 · 続きを見る »

大阪信愛女学院

大阪信愛女学院(おおさかしんあいじょがくいん)は、大阪府大阪市城東区古市二丁目にある私立女子校。学校法人大阪信愛女学院が運営する。通称は「信女」「信愛」。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大阪信愛女学院 · 続きを見る »

大逆事件

大逆事件(たいぎゃくじけん、だいぎゃくじけん)とは、1882年に施行された旧刑法116条、および大日本帝国憲法制定後の1908年に施行された刑法73条(1947年に削除)が規定していた、天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加えたり、加えようとする罪、いわゆる大逆罪が適用され、訴追された事件の総称。日本以外では皇帝や王に叛逆し、また謀叛を企てた犯罪を、大逆罪と呼ぶことがある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大逆事件 · 続きを見る »

大村純忠

大村 純忠(おおむら すみただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名。三城城主。大村氏の第18代当主。 永禄6年(1563年)に日本初のキリシタン大名となり、長崎港を開港した人物として知られる。同じくキリシタン大名の有馬晴信は甥にあたる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大村純忠 · 続きを見る »

大津事件

大津事件(おおつじけん)は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件である。 当時の列強の一つであるロシア帝国の艦隊が神戸港にいる中で事件が発生し、まだ発展途上であった日本が武力報復されかねない緊迫した状況下で、行政の干渉を受けながらも司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件とされる。裁判で津田は死刑を免れ無期徒刑となり、日本政府内では外務大臣・青木周蔵と内務大臣・西郷従道が責任を負って辞職し、6月には司法大臣・山田顕義が病気を理由に辞任した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大津事件 · 続きを見る »

大本営

昭和天皇御前の大本営会議の様子(1943年4月29日付朝日新聞掲載) 大本営(だいほんえい)は、日清戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)までの戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関である。天皇の命令(奉勅命令)を大本営命令(大本営陸軍部命令=大陸命、大本営海軍部命令=大海令)として発令する最高司令部としての機能を持つ。本来「本営」とは総司令官が控える場所(中世の本陣と同義)で、これを更に仰々しい名にしたもの。 日清戦争と日露戦争で設置され、それぞれ終戦後に解散した。日中戦争(支那事変)では戦時外でも設置できるよう改められ、そのまま、太平洋戦争終戦まで存続した。連合国からは「」と呼ばれた。 太平洋戦争末期の敗色が濃厚になるにつれて、さも戦況が有利であるかのような虚偽の情報が大本営発表として流され続けた。このことから現在では、権力者が自己の都合の良い情報操作をして虚偽の情報を発信することを揶揄した慣用として「大本営」「大本営発表」という表現が用いられることがある。 なお、陸海軍連合大演習および陸軍特別大演習においては司令部でなく、天皇の行幸行在所(あんざいしょ)を「大本営」と称した。 現在は防衛省市ヶ谷地区に庁舎遺構が残っている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大本営 · 続きを見る »

大浦天主堂

大浦天主堂(おおうら てんしゅどう)は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂である「天主教」は、かつて使われたカトリック教会の漢字表記で、中華人民共和国では現在もそう表記される。。江戸時代幕末の開国後、1865年(元治2年)に建立された。日本に現存するキリスト教建築物としては最古である。正式名は日本二十六聖殉教者天守堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。 1953年(昭和28年)、国宝に指定された。また、2007年(平成19年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まり、2018年(平成30年)に登録が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つである。2016年(平成28年)に日本初の小バシリカに指定された。 信仰の場であるとともに観光地でもあり、拝観は有料である。大人600円、2018年4月1日からは「キリシタン博物館」開設に伴い1000円となる。 観光客の増加に伴い、1975年(昭和50年)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われているとは言え現在も特定日などに限って礼拝を行うこともあるため、拝観の際には脱帽・静粛・(建物内)撮影禁止・禁煙となっており、その旨信徒発見記念の聖母像の下の看板に記載されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大浦天主堂 · 続きを見る »

大日如来

胎蔵曼荼羅の胎蔵大日如来(中央) 胎蔵曼荼羅 金剛界曼荼羅 大日如来(だいにちにょらい、Mahāvairocana)は、真言密教の教主である仏であり、密教の本尊。一切の諸仏菩薩の本地。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大日如来 · 続きを見る »

大日本帝国憲法

憲法発布略図1889年(明治22年)、楊洲周延画 新皇居於テ正殿憲法発布式之図1889年(明治22年)、安達吟光画 大日本帝国憲法(だいにほんていこくけんぽう、だいにっぽんていこくけんぽう、旧字体:大日本帝國憲法)は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、外見的立憲主義に基づく日本の憲法 大日本帝国憲法には、表題に「大日本帝国」が使用されているが、詔勅では「大日本憲法」と称しており、正式な国号と規定されたものではない。「大日本帝国」が正式な国号と規定された1936年(昭和11年)まで、他に「日本国」「日本」等の名称も使用された。。 明治憲法(めいじけんぽう)、あるいは単に帝国憲法(ていこくけんぽう)と呼ばれることも多い。現行の日本国憲法との対比で旧憲法(きゅうけんぽう)とも呼ばれる。 短期間で停止されたオスマン帝国憲法を除けば実質上のアジア初の近代憲法である。1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行まで半世紀以上の間正確には56年5か月4日(20608日)、一度も改正されることはなかった。1947年(昭和22年)5月2日まで存続し、1946年(昭和21年)11月3日に第73条の憲法改正手続による公布を経て、翌1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と大日本帝国憲法 · 続きを見る »

天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と天皇 · 続きを見る »

天竺

天竺(てんじく)とは、インドの旧名。ただし、現在のインドと正確に一致するわけではない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と天竺 · 続きを見る »

天草諸島

天草諸島(あまくさしょとう)は、九州西部の熊本県と、一部は鹿児島県にまたがる諸島である。 北は有明海、東・南東は八代海(不知火海)、西・南西は東シナ海の天草灘に囲まれる。 漢名は苓州・苓洲(れいしゅう)。天草を甘草(かんぞう、あまくさ)にかけ、その漢名「苓」から採っている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と天草諸島 · 続きを見る »

天正遣欧少年使節

天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案。1590年(天正18年)に帰国。使節団によってヨーロッパの人々に日本の存在が知られるようになり、彼らの持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって日本語書物の活版印刷が初めて行われキリシタン版と呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と天正遣欧少年使節 · 続きを見る »

太上天皇

太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)とは、譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊号、または、その尊号を受けた天皇。由来は、中国の皇帝が位を退くと「太上皇」と尊称されたことにあるとされる。元々は譲位した天皇が自動的に称する尊号であったが、嵯峨天皇の譲位以降は新天皇から贈られる尊号に変化した。 略称は「上皇」である。また、出家した太上天皇を、「太上法皇(法皇)」と称する。ただし、これは法的な根拠のある身位ではなく、太上法皇も太上天皇に含まれる。また、太上法皇の称号が用いられた初例は宇多法皇とされており、聖武上皇や清和上皇などそれ以前の退位後に出家した太上天皇には太上法皇(法皇)を用いるのは正確な表現ではない。 「院」とも称され、太上天皇が治天の君として政務を執った場合、その政治を院政という(太上天皇がみな院政をしいた訳ではない)。三宮(后位)と合わせて「院宮」といい、更に、皇族や有力貴族を含めた総称を「院宮王臣家」といった。院の御所が仙洞御所と呼ばれたことから、「仙洞」も上皇の謂として用いられる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と太上天皇 · 続きを見る »

外交官

外交官(がいこうかん、)は、外交使節団の長および使節団の職員で外交官の身分を有する外交職員の総称。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と外交官 · 続きを見る »

外海町

東出津町の海岸線 外海町(そとめちょう)は、1955年から2005年まで、長崎県の西彼杵半島南西部にあった町。西彼杵郡に属していた。 2005年1月4日に同じ西彼杵郡の香焼町・伊王島町・高島町・野母崎町・三和町と共に長崎市に編入された。 本項では、現在の長崎市の一地区としての外海(そとめ)についても記述する。外海地区(長崎市役所外海地域センター管内)の人口は3,576人(2018年2月末日現在、住民基本台帳)。内訳は黒崎地区が2,255人、神浦地区が1,181人、池島地区が140人。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と外海町 · 続きを見る »

奥山実

奥山 実(おくやまみのる、1932年7月9日- ) は、日本の牧師、宣教師、神学校教師。宣教学博士。日本民族総福音化運動協議会総裁、いのちの水計画実行委員長、日本リバイバル同盟(NRA)初代議長 、福音自由教会牧師、宣教師を経て、超教派の働きと指導にあたる。聖霊の第三の波の主唱者の一人として知られる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と奥山実 · 続きを見る »

奴隷貿易

奴隷貿易(どれいぼうえき)は国際間の奴隷の取引を指す。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と奴隷貿易 · 続きを見る »

奄美カトリック迫害

トリック聖心教会 聖堂上の十字架が切り倒され、日の丸になった 奄美カトリック迫害(あまみカトリックはくがい)は、奄美大島で日本のカトリック教会の教役者、信徒らに加えられた迫害である。 1891年に最初のカトリックの洗礼が行われた。フェリエ神父は初代教会のように数千人の人に洗礼を授けた夢を見たと語っていたという。1923年に信徒数4057人を数えた。 1922年にカナダのフランシスコ会モーリス・ベルタン神父が奄美を来訪したとき、住民らの願いがあり、1924年にミッションスクールの大島高等女学校が開校した。1925年、町が提供した600坪の敷地に鉄筋コンクリート2階建ての校舎が完成した。 1923年にカトリック信徒の中学生2人が高千穂神社の参拝を拒否したので、退学させられた。『鹿児島新聞』1924年10月11日号はこの事件にふれ「現在同島の三分の一はキリスト信者となり、その結果、過激の言動をなすものが増加し来たり」と報道した。ただし、宮下正昭は当時の信者のパーセンテージを5.6%としている。『鹿児島新聞』1924年10月31日号は大島高女が教育勅語を奉読していないとして非難した。 1927年8月に昭和天皇が来島。同年10月に教皇使節マリオ・ジャルディーニ大司教が来島。 奄美大島要塞司令部の昭和10年の報告書は「カ教教義は国体・国民精神と相いれず、かつ部落の統一・平和を害する」としている。 1933年に邪教排撃運動がおこり、名瀬町民大会は国体に反するとされた大島高等女学校の即時撤廃をもとめる決議文を宣言し、同年12月に翌年3月31日限りで廃校とすることが文部省に認可された。教育勅語への不敬があったとして1934年の臨時議会で廃校が決議。奄美のカトリック信者は日本宗教への改宗を強要される。軍人はカトリック信徒を集めて監禁し、背教しないと殺すと脅した。青年団員はカトリック信徒宅に押し入って十字架、ロザリオ、祈祷書を奪い、かわりに天照大神の札を貼った。憲兵は「天皇とキリストのどちらが偉いか」詰問した。教会は襲撃される。1936年に瀬戸内国防協会は大会を開いて、「国土防衛の生命線たる奄美大島におけるスパイ容疑外人、並びに邪教カトリックの徹底的殲滅を期す」と決議。聖心教会の聖堂内の十字架は壊された。大笠利の教会は焼失した。迫害の中、11月に14のカトリック教会は鹿児島県に無償譲渡された。1937年に町村に無償で払い下げられ、役場となった聖心教会の十字架は切り倒されて、かわって日の丸が掲げられた。 カトリック信者の家は、防空演習のためとして、順繰りに放水され、家中が水浸しになった。肺病の少女がいたカトリックの家も一連の防空演習により、少女が寝ていた布団ごと水に浸かった。商家では放水され売り物が被害にあった。 日本の敗戦後の1946年、カトリック信者、ホーリネス、米軍が共にクリスマスを祝った。 1991年時点での奄美大島のカトリック教会数は29、信者数は4300人である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と奄美カトリック迫害 · 続きを見る »

奉神礼

在のコンスタンディヌーポリ総主教座聖堂である聖ゲオルギオス大聖堂の内観。奉神礼時の光景。詠隊が歌っている。左側に至聖所のイコノスタシスが写っている。 奉神礼(ほうしんれい、λειτουργία高橋保行『ギリシャ正教』162頁、講談社学術文庫 1980年 ISBN 9784061585003 (4061585002), Богослуже́ние, Liturgy)は、正教会における奉事・祈りの総称。日本ハリストス正教会の訳語。カトリック教会における典礼に相当する。 公祈祷(時と場所を定めて行われる公的な祈祷)と私祈祷(日々の生活の場や私室等において行う祈祷や臨時祈祷等)のいずれも含む。公に行う狭義の奉神礼を指す事を特に示したい場合には「公祈祷」「公奉神礼」といった用語が用いられる。 聖体礼儀などの機密を含む礼儀の他にも、毎日の奉事である時課、さらに成聖式・各種祈願・モレーベン・パニヒダ・埋葬式などの機会に応じた祈祷などが含まれる。 より広義には、奉神礼には日々の生活までが含まれる。正教会では奉神礼(=リトゥルギア)の範囲をどこからどこまでというように明確に区分する事を避け、奉神礼を広義の奉神礼としての生活の雛形として捉えるべきである事を教えている。 本記事では祈り・儀礼の総称としての奉神礼について詳述する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と奉神礼 · 続きを見る »

学校法人南山学園

学校法人 南山学園(がっこうほうじん なんざんがくえん)は、愛知県、神奈川県藤沢市に幼稚園・小学校・中学校・高等学校・短期大学・大学・大学院を擁するカトリック系総合学園。学校法人。ライネルス記念.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人南山学園 · 続きを見る »

学校法人大阪明星学園

大阪明星学園(おおさかめいせいがくえん)は、フランスのマリア会を母体とするカトリック系の日本の学校法人。東京都三鷹市にある学校法人明星学園(共学)とは関係はない。 マリア会を母体とする学校法人は、大阪明星学園を含め、日本に4つ存在する。他の3つとは、東京都の暁星学園、長崎県の海星学園、北海道の札幌光星学園である。これらの学校法人は共通して、聖母マリアを象徴する「星」を法人名・学校名につけている。また、暁星学園から分離した学校法人として、晃華学園がある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人大阪明星学園 · 続きを見る »

学校法人フェリス女学院

学校法人フェリス女学院(がっこうほうじんフェリスじょがくいん)は、神奈川県横浜市中区山手町にある学校法人。フェリス女学院中学校・高等学校とフェリス女学院大学を設置する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人フェリス女学院 · 続きを見る »

学校法人白百合学園 (東京都)

学校法人白百合学園(がっこうほうじんしらゆりがくえん)は、東京都千代田区に本部を置く学校法人である。 設立母体はカトリックの女子修道会であるシャルトル聖パウロ修道女会(総本部:イタリア・ローマ)の日本管区本部(東京都千代田区九段北2-4-1。東京の白百合学園の隣で、靖国神社の参道脇)。東京・千代田区に置かれている本部校は、幼稚園に於いても女児のみである。 キリスト教の教えを大切にする学校であり、朝礼時に全校生徒で御祈りをする文化は設立以来続いている。また、クリスマスミサや卒業ミサ、入学ミサなど生徒がキリスト教に触れる機会を多く作っている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人白百合学園 (東京都) · 続きを見る »

学校法人青山学院

学校法人青山学院(がっこうほうじん あおやまがくいん)は、東京都渋谷区に本部を置く学校法人。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人青山学院 · 続きを見る »

学校法人雙葉学園

学校法人雙葉学園(がっこうほうじんふたばがくえん)は、東京都千代田区にある学校法人。設立母体は幼きイエス会(旧サンモール修道会)(カトリック)で、1909年(明治42年)にフランスの修道女メール・セン・テレーズ(初代校長でもある)により設立された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人雙葉学園 · 続きを見る »

学校法人暁星学園

学校法人暁星学園(がっこうほうじんぎょうせいがくえん)は、東京都千代田区富士見に所在し、幼小中高一貫教育を提供するフランス系カトリックの学校法人である。暁星幼稚園、暁星小学校、暁星中学校・高等学校を設置運営している。千葉県の学校法人暁星国際学園とは無関係である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人暁星学園 · 続きを見る »

学校法人東北学院

学校法人東北学院(がっこうほうじんとうほくがくいん)は宮城県に本部を置く学校法人である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人東北学院 · 続きを見る »

学校法人東星学園

学校法人東星学園(がっこうほうじんとうせいがくえん)は、東京都清瀬市に本部を置く私立の学校法人。カトリックの理念に基づくミッション系の学校を設置・運営している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人東星学園 · 続きを見る »

学校法人明治学院

学校法人明治学院(がっこうほうじんめいじがくいん)は、日本のプロテスタント系のキリスト教主義学校のひとつ。学校法人にして明治学院大学等の設置者。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と学校法人明治学院 · 続きを見る »

宣教師

宣教師(せんきょうし)は、ある特定の思想や宗教を伝えるために、自分の属する共同体を離れて活動する者のこと。もともとはキリスト教用語で、イエス・キリストの高弟たちのことを使徒と呼ぶが、そのギリシア語表現であるアポストロス(απόστολος)本来の意味は「遣わされた者」であり、これがラテン語に訳された際に、同じ意味を持つ"missio"の語が充てられた。宣教師を意味するヨーロッパの各言語における表記は、このラテン語表記に由来する。(missionary、Missionarなど。)現代では本来のキリスト教用語として意味だけでなく、広義で新思想の普及者を指してそう呼ぶことがある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と宣教師 · 続きを見る »

宣教開始50年記念会

宣教開始50年記念会(せんきょうかいし50ねんきねんかい)は、日本におけるプロテスタント宣教開始50年を祝って、1909年(明治42年)10月5日-10月10日に開催された記念大会。日本基督宣教開始五十年記念会とも言う。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と宣教開始50年記念会 · 続きを見る »

宮川経輝

宮川 経輝(みやがわ つねてる、安政4年1月17日(1857年2月11日) - 昭和11年(1936年)3月2日)は、日本の牧師、女子教育者。熊本バンドの中心人物で、日本組合基督教会の指導者。海老名弾正、小崎弘道と共に組合教会の三元老の一人と言われた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と宮川経輝 · 続きを見る »

宮部金吾

宮部 金吾(みやべ きんご、1860年4月27日(万延元年閏3月7日) - 1951年(昭和26年)3月16日)は、日本の植物学者。北海道札幌市名誉市民。札幌農学校第二期卒業生(現在の北海道大学)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と宮部金吾 · 続きを見る »

宮津市

宮津市(みやづし)は、京都府北部に位置する市。日本海の若狭湾に面しており、日本三景の天橋立がある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と宮津市 · 続きを見る »

宗門改

宗門改(しゅうもんあらため)は、江戸時代の日本で江戸幕府によって行われた宗教政策および民衆統制政策。民衆の信仰する宗教を調査する制度である。禁教令の発布に伴いキリシタンの摘発を目的に整備された制度であったが、江戸中期以降は住民調査的な制度に変移していった。 宗門人別改という名称もあるが、これは別の調査制度である人別改が、江戸中期以降に宗門改と事実上統合したことからくる名称である。宗門人別改帳も、本来は宗門改帳と人別改帳という全く別種のものであった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と宗門改 · 続きを見る »

宗教改革

フスの殉教 宗教改革(しゅうきょうかいかく、Protestant Reformation)とは、16世紀(中世末期)のキリスト教世界における教会体制上の革新運動である。贖宥状に対するルターの批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した。 ルターによるルター教会、チューリッヒのツヴィングリやジュネーヴのカルヴァンなど各都市による改革派教会、ヘンリー8世によって始まったイギリス国教会などが成立した。また、当時はその他にアナバプテスト(今日メノナイトが現存)など急進派も力を持っていた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と宗教改革 · 続きを見る »

安土桃山時代

安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。 なお、美術史では1615年(慶長20年)の豊臣氏滅亡までを「安土桃山時代」と称するのが一般的である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と安土桃山時代 · 続きを見る »

安部磯雄

安部 磯雄(あべ いそお、元治2年2月4日(1865年3月1日) - 昭和24年(1949年)2月10日)は、日本の社会主義者。キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、日本社会主義運動の先駆者であった。また、日本における野球の発展に貢献し「日本野球の父」と呼ばれる。 早稲田大学野球部創設者でもある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と安部磯雄 · 続きを見る »

寺院

日本の寺院の地図記号 寺院(じいん、梵、)は、仏像が祀られ、仏教の出家者が起居し、修行を行う施設である。寺(てら)、仏閣(ぶっかく)ともいう。 本来は仏教用語であるが、神道を除く諸宗教の教会・神殿を指す語としても広く用いられている(ごく稀に神社にも用いられることがある)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と寺院 · 続きを見る »

寺沢堅高

寺沢 堅高(てらざわ かたたか)は、江戸時代前期の大名。肥前国唐津藩2代藩主。寺沢広高の次男。島原の乱を発生させる原因の一部を作った。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と寺沢堅高 · 続きを見る »

富国強兵

富国強兵(ふこくきょうへい)とは、国家の経済を発展させて軍事力の増強を促す政策をいう。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と富国強兵 · 続きを見る »

富田満

富田 満(とみた みつる、1883年11月5日- 1961年1月15日)は、日本の神学者、牧師。教会合同、エキュメニカル運動の指導者。日本基督教会(現日本キリスト教会)大会議長、日本基督教団統理者として天皇に賜謁。神の国運動委員長、東京神学大学、明治学院大学理事長、金城女子専門学校理事長、日本基督教連盟議長、日本キリスト教協議会の幹部など要職を歴任。日本基督教団芝教会牧師を務める。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と富田満 · 続きを見る »

小山宗祐

小山 宗祐、(こやま そうすけ、1916年1月21日-1942年3月23日)は、ホーリネス派の日本聖教会、函館聖教会の牧師補であった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と小山宗祐 · 続きを見る »

小崎弘道

小崎 弘道(こざき ひろみち、安政3年4月14日(1856年5月17日) - 昭和13年(1938年)2月26日)は、日本の牧師。霊南坂教会を創設し、同志社第2代社長(現総長)、日本組合基督教会会長、日本基督教連盟会長などを務めた。神学者で牧師の小崎道雄は長男。日本の思想家、神学者、牧師の岩村信二は孫である。 海老名弾正、宮川経輝と共に「組合教会の三元老」と呼ばれた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と小崎弘道 · 続きを見る »

小出朋治

小出 朋治(こいで ともはる、1888年3月9日 - 1945年9月10日 社会教育学研究 第14号 2008年4月)は、ホーリネス弾圧事件で堺刑務所で殉教した、ホーリネス系の日本聖教会参与、牧師である。元日本ホーリネス教会、アライアンスの牧師。 日本基督教団ホーリネスの群の重鎮であった小出忍の実父。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と小出朋治 · 続きを見る »

小西行長

小西 行長(こにし ゆきなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。肥後宇土城主。アウグスティヌスの洗礼名を持つキリシタン大名でもある。 当初は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となる。文禄・慶長の役では女婿・宗義智らと共に主要な働きをし、序盤の漢城府占領の際には加藤清正と先陣の功を争った。関ヶ原の戦いでは西軍の将として奮戦したが、敗北して捕縛された。自殺を禁じられたキリシタンであったので、切腹を拒否して斬首された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と小西行長 · 続きを見る »

尾山令仁

聖書キリスト教会 尾山 令仁(おやま れいじ、1927年1月15日 - )は、日本の牧師、神学者、聖書学者、神学校教師、神学博士。聖書キリスト教会会長牧師。号は「唯人」。 陸軍経理学校、早稲田大学大学院博士課程修了。戦後、日本の福音派指導者として聖書信仰の確立のために働く。早稲田時代にキリスト者学生会を設立。日本プロテスタント聖書信仰同盟の3代目実行委員長として日本福音同盟の結成に関わる。第2回日本伝道会議京都宣言起草委員長。アジア各地への謝罪運動を敢行。 聖書信仰の福音派と聖霊派のクリスチャンの内にある一致に注目し、両者の御霊による和解を目指している。東京神学校を開設し後身を育てた。著名な後継者に尾形守、黒川知文など。長男の尾山謙仁は牧師、長女の岡野めぐみは牧師夫人。次男の尾山清仁は東京教会牧師。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と尾山令仁 · 続きを見る »

尾形守

尾形 守(おがた まもる、1953年3月8日 - )は、日本の牧師、宣教学者、神学校教師である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と尾形守 · 続きを見る »

専門学校令

専門学校令(せんもんがっこうれい)は、近代日本において、中等教育修了者を対象に高等専門教育を実施した専門学校(いわゆる旧制専門学校)を規定していた勅令である。 現在の専門学校(専修学校専門課程)を定める学校教育法第124条とは全く関係ない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と専門学校令 · 続きを見る »

山口市

山口市(やまぐちし)は、中国地方西部(九州・山口地方北東部)の市。山口県の県庁所在地である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と山口市 · 続きを見る »

山室軍平

山室 軍平(やまむろ ぐんぺい、1872年9月1日(明治5年7月29日戸籍上は8月20日) - 1940年(昭和15年)3月13日)は日本の宗教家。説教者。日本人初の救世軍士官(=牧師)で日本人初の日本軍国司令官(「日本軍国初代司令官」ではない)。最終階級は中将。岡山県阿哲郡哲多町(現在の新見市)生まれ。石井十次、アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と山室軍平 · 続きを見る »

山下りん

山下りん(山下里舞 やました りん、安政4年5月25日(1857年6月16日) - 1939年(昭和14年)1月26日)は日本の画家である。日本人最初のイコン画家として知られる。正教徒で聖名はイリナ。そのためしばしばイリナ山下りんとも言及される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と山下りん · 続きを見る »

山路愛山

山路 愛山(やまじ あいざん、元治元年12月26日(1865年1月23日) - 大正6年(1917年)3月15日)は、日本の明治から大正初期に活躍した評論家、歴史家。本名は彌吉。愛山はその号である。初め如山と号したが、静岡の愛鷹山に由来する愛山の名は明治20年(1887年)頃から用いられた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と山路愛山 · 続きを見る »

山本信次郎

山本 信次郎(やまもと しんじろう、1877年(明治10年)12月22日 - 1942年(昭和17年)2月28日『日本海軍史』(第10巻)「山本信次郎」)は日本の海軍軍人、カトリック教会信者。最終階級は海軍少将、正三位勲二等功五級。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と山本信次郎 · 続きを見る »

屋久島

屋久島(やくしま)は、鹿児島県の大隅半島佐多岬南南西約60kmの海上に位置する島。熊毛郡屋久島町に属し、近隣の種子島や口永良部島などと共に大隅諸島を形成する。より南方にトカラ列島と奄美群島が位置する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と屋久島 · 続きを見る »

岡田稔

戸神学校の神学生時代 岡田 稔(おかだ みのる、1902年12月11日 - 1992年7月13日)は、日本の牧師、神学者。日本キリスト改革派教会の創立者。その神学は神中心、徹底した聖書信仰に貫かれており、キリストにおける神の救いの確かさと豊さを明らかにすることを目指していた、と言われている。 カニンガム、アブラハム・カイパー、バーヴィング、チャールズ・ホッジ、ウォーフィールドのカルヴァン神学の正統的な改革派信仰を継承し、教会を形成した。四国学院大学名誉教授。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と岡田稔 · 続きを見る »

岡本大八事件

岡本大八事件(おかもとだいはちじけん)は、慶長14年(1609年)から慶長17年(1612年)にかけて発生した江戸時代初期の疑獄事件。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と岡本大八事件 · 続きを見る »

岩下壮一

岩下 壮一(いわした そういち、1889年9月18日 - 1940年12月3日)は、カトリック司祭・哲学者。大正から昭和初期の日本カトリック教会の精神的指導者と言われる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と岩下壮一 · 続きを見る »

岩倉使節団

左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通 岩倉使節団(いわくらしせつだん)とは、明治維新期の明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年9月13日)まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣された大使節団である。岩倉具視を正使とし、政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と岩倉使節団 · 続きを見る »

岩波新書

岩波新書(いわなみしんしょ)は、1938年(昭和13年)11月20日に岩波書店が創刊した新書赤版として。創刊の辞は、「岩波新書創刊50年、新版の発足に際して」(1998年1月)に「道義の精神に則らない日本の行動を深慮し、権勢に媚び偏狭に傾く風潮と他を排撃する驕慢な思想を戒め、批判的精神と良心的行動に拠る文化日本の躍進を求めての出発である」と引用されている。シリーズである。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と岩波新書 · 続きを見る »

岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と岩波書店 · 続きを見る »

島原の乱

島原の乱(しまばらのらん)は、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。島原・天草の乱、島原・天草一揆とも呼ばれる。寛永14年10月25日(1637年12月11日)勃発、寛永15年2月28日(1638年4月12日)終結とされている。乱のきっかけは圧政・重税であったが、乱勃発後にはキリスト教が一揆のよりどころとされた。鎮圧の1年半後にはポルトガル人が日本から追放され、いわゆる「鎖国」が始まった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と島原の乱 · 続きを見る »

島原半島

島原半島のランドサット。スペースシャトル標高データにより陰影を付けた。 島原半島(しまばらはんとう)は、九州の西北にあって、西、そして南に向けてくの字状に突き出した陸地の南部から、3つに分かれる半島群のうち、もっとも左、南東に突き出す半島である。全体は、北岸は有明海に面する。その西部、半島の付け根部の有明海は諫早湾と呼ばれる。東岸から東南岸は有明海の開口部である島原湾に面し、熊本市、宇土半島、天草上島と対峙する。南端は瀬詰崎といい、ここから早崎瀬戸を挟んで天草下島まで 4.4 km ほどである。西岸は橘湾に面し、長崎半島に対峙する。半島中央の幅は約 15 km 、長さは測り方によるが約 40 km である。 半島中心部は雲仙と呼ばれ、普賢岳の標高は 1359.3 m 、平成新山は 1486 m である。雲仙温泉などの温泉にも恵まれている。 一部は雲仙天草国立公園に指定されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と島原半島 · 続きを見る »

島原藩

島原藩(しまばらはん)は、肥前国島原周辺を支配した藩。初期は日野江藩(ひのえはん)と呼ばれる。藩庁は初期は日野江城(長崎県南島原市)、のち島原城(長崎県島原市)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と島原藩 · 続きを見る »

島田喜蔵

島田 喜蔵(しまだ きぞう、1856年(安政3年)3月15日 - 1948年(昭和23年)3月27日、正字では嶋田)は日本のカトリック教会の司祭。洗礼名は「トマス」。キリスト教禁教令下の江戸時代に五島列島で隠れキリシタンとして生まれ、司祭叙階後は九州各地のカトリック教会で布教にあたった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と島田喜蔵 · 続きを見る »

上流階級

上流階級(じょうりゅうかいきゅう、Upper class)は、社会的に上層に位置する階層から成る階級。社会学などでは大きな富、そして政府などの権力と近い地位を持った、貴族や大地主、大企業のオーナー社長などからなる社会階級として定義される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と上流階級 · 続きを見る »

上智大学

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と上智大学 · 続きを見る »

上智大生靖国神社参拝拒否事件

上智大生靖国神社参拝拒否事件(じょうちだいせいやすくにじんじゃさんぱいきょひじけん)は、1932年(昭和7年)に上智大学の学生が靖国神社参拝を拒否したことに端を発する事件。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と上智大生靖国神社参拝拒否事件 · 続きを見る »

不平等条約

不平等条約(ふびょうどうじょうやく、unequal treaty)とは、条約の性質に基づいてなされた分類の一種で、ある国家が他の国家に、自国民などに対する権力作用を認めない条約である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と不平等条約 · 続きを見る »

不敬罪

不敬罪(ふけいざい)とは、国王や皇帝など君主や、王族や皇族など君主の一族と宗教、聖地に対し、その名誉や尊厳を害するなど、不敬とされた行為の実行により成立する犯罪。 絶対君主制など、主権者たる君主と国家の存立を同一視する体制において定められることが多い。現在では、法の下の平等や思想・良心の自由、表現の自由の観点から、君主制を採用している国家でも、刑罰が廃止・失効している場合がある。サウジアラビアなどのイスラム諸国やデンマーク、オランダ、スペイン、タイ王国、カンボジアは、現在も不敬罪が存在する数少ない例である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と不敬罪 · 続きを見る »

帝国議会

帝国議会(ていこくぎかい)は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法(明治憲法)発布から1947年(昭和22年)の日本国憲法への改正まで設置されていた日本の議会である。公選の衆議院と非公選の貴族院から成る。「議会」もしくは「国会」と略称された『事典 昭和戦前期の日本』(吉川弘文館) 36頁。。1890年(明治23年)11月29日開会の第1回議会から、1947年(昭和22年)3月31日閉会の第92回議会まで行われた。今日の国会との連続性を持つ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と帝国議会 · 続きを見る »

中央情報局

CIA紋章 マクレーンにある中央情報局本部。かつては同州のラングレーに本部があり、ここから“ラングレー”と言えばCIAの別名だった。 中央情報局(ちゅうおうじょうほうきょく、英:Central Intelligence Agency、略称:CIA)は、外国での諜報活動を行うアメリカ合衆国の情報機関である。中央情報局長官によって統括され、アメリカ合衆国大統領直属の監督下にある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と中央情報局 · 続きを見る »

中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と中国 · 続きを見る »

中田重治

中田 重治(なかだ じゅうじ、1870年11月20日(明治3年10月27日)- 1939年(昭和14年)9月24日)は、明治、大正、昭和初期にかけて活躍した日本の教会監督、大衆伝道者、巡回伝道者、福音使(牧師)、神学校(柏木聖書学院)教師・院長(校長)、宗教家、説教家、翻訳家、賛美歌作家、実業家、ジャーナリスト、神学者、日ユ同祖論者である。 明治時代のメソジスト派の牧師中田久吉は実兄、日本を代表する教会音楽家の中田羽後は次男、日本アライアンス教団の大江寛人、日本基督教団の議長辻宣道、同じく日本基督教団の牧師有馬式夫は孫である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と中田重治 · 続きを見る »

中村健之介

中村 健之介(なかむら けんのすけ、1939年6月24日 - )は、日本のロシア文学研究者。新潟県三条市出身出身。北海道大学名誉教授。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と中村健之介 · 続きを見る »

中村喜和

中村 喜和(なかむら よしかず、1933年1月16日 - )は、日本の文学研究者。金子幸彦門下で専門はロシア中世文学、ロシア文化史、日ロ文化交流史。一橋大学名誉教授。ロシア科学アカデミー外国人会員。大佛次郎賞、ロモノーソフ金メダル受賞。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と中村喜和 · 続きを見る »

中村敏

中村 敏(なかむら さとし、1949年 - )は、日本の牧師、神学校教師。新潟県新発田市生まれ。日本伝道福音教団牧師、新潟聖書学院学院長、世界宣教研修センター講師。 長岡高校、岩手大学、聖書神学舎を卒業し、米国トリニティ神学校を修了 修士 (神学)。1989年から2008年まで新潟聖書教会の牧師をつとめ、現在は書籍執筆を中心とした活動を行っている。  日本キリスト教史、特に福音派の歴史の研究家である。 中村は、日本における最初のプロテスタントの教会である日本基督公会が福音主義同盟の9ヶ条を採用したことについて取り上げ、日本の福音派の歴史は、中田重治やバークレー・バックストンからではなく、日本のプロテスタントの最初からはじまったと指摘する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と中村敏 · 続きを見る »

中浦ジュリアン

中浦 ジュリアン(なかうらジュリアン、Julião, 1568年(永禄11年)ごろ - 1633年10月21日(寛永10年9月20日))は、安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタンで、天正遣欧使節の副使。ジュリアンは洗礼名。イエズス会士でカトリックの司祭となり、殉教した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と中浦ジュリアン · 続きを見る »

丸山 (中野区)

丸山(まるやま)は、東京都中野区の地名。現行行政地名は丸山一丁目及び丸山二丁目。郵便番号は165-0021。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と丸山 (中野区) · 続きを見る »

常葉隆興

常葉 隆興(ときわ たかおき、1897年 - 1977年9月20日)は、日本の牧師、神学者。日本キリスト改革派教会の創立者の一人。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と常葉隆興 · 続きを見る »

主教

主教(しゅきょう、Επίσκοπος, Episcopus, Bishop, Епископ)とは、正教会、聖公会における高位聖職者主教について、「最高位」(英語では"highest" もしくは"supreme")に類した表現を使用して居らず、「高位」(英語では"high")に当たる言葉も使っていないケースもあるが(、 )、一方で「最高位」 ("highest") を使用している文献もある。ここでは大辞泉での表現「高位」に拠った。。複数教会によって構成される教区を管轄する(大辞泉)正教会の出典:聖公会の出典:。 カトリック教会では司教と呼ばれる。「主教」は正教会に属する日本ハリストス正教会、および聖公会に属する日本聖公会などで用いられる訳語。なお朝鮮語および中国語では、カトリック教会の司教も「主教」である。ルーテル教会やメソジストでは監督と呼ばれる『キリスト教大事典』519頁、教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版。 2世紀初頭には既に主教職があり現代に至っているが、教派ごとにその位置付けは異なる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と主教 · 続きを見る »

世界宣教東京大会

ンバラ100周年記念世界宣教会議・東京大会、世界宣教東京大会(せかいせんきょうとうきょうたいかい、The Tokyo 2010 Global Mission Consultation and Celebration)とは、1910年のエディンバラ宣教会議を記念し、第三世界宣教団体協議会(TWMA)の主催により、2010年、日本国の東京で開催された宣教会議。会場は中野サンプラザ、大会会長は日本人の奥山実。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と世界宣教東京大会 · 続きを見る »

世界福音同盟

世界福音同盟(せかいふくいんどうめい、World Evangelical Alliance)は、1896年イギリスにおいて創設された、エバンジェリカル・アライアンスをもとに世界的に発展してきた福音主義教会の世界的連合体。1951年に現在の名称をとる。略称はWEA。 宣教委員会、信仰の自由委員会、神学委員会、女性委員会、青年委員会、情報技術委員会によって構成される。公式ウェブサイトでは英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語、日本語、韓国語により世界の福音派の現状を伝えている。 理事長は南アフリカのナダバ・マザバネ師。副議長はインドのリチャード・ハウェル師。最高経営責任者(CEO)兼国際ディレクターはカナダのジェフ・トゥニクリフ師。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と世界福音同盟 · 続きを見る »

世界教会協議会

世界教会協議会(せかいきょうかいきょうぎかい、英語:The World Council of Churches 、略:WCC)は、世界的なエキュメニカル組織である。スイスのジュネーヴを本拠地に、120か国以上からの340を超える教会と教派の会員が所属している。 世界教会協議会は、1970年代テロ活動を行っていたグループに資金援助をしていたため、論争をまき起こした。世界教会協議会自身は、「1948年のイスラエル建国以来、聖地の平和のために努力してきた」と主張している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と世界教会協議会 · 続きを見る »

三位一体

date.

新しい!!: 日本のキリスト教史と三位一体 · 続きを見る »

三谷種吉

寅之助(左)と三谷種吉(右) 中田重治、パゼット・ウィルクス、三谷種吉、1902年 両親の金婚式。1910年11月1日 1916年家族写真 1929年家族写真 バークレー・バックストン最後の来日、1937年 神は愛なり(福音唱歌13番) 三谷 種吉(みたに たねきち, 1868年 - 1945年)は、日本の伝道者、讃美歌作家、教会音楽家、音楽伝道の草分け的存在。日本最初の音楽伝道者であり、神癒の伝道者でもあった『三谷種吉:日本で最初の音楽伝道者:ただ信ぜよ』。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と三谷種吉 · 続きを見る »

三河一向一揆

大樹寺御難戦之図 三河後風土記之内」 月岡芳年筆 明治6年(1873年) 三河一向一揆(みかわいっこういっき)は、戦国時代に三河国の西三河全域で永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)まで半年ほど行われた一向一揆である。曹洞宗の勢力が強かった東三河は該当しない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と三河一向一揆 · 続きを見る »

三教会同

三教会同(さんきょうかいどう)は、1912年2月25日に、内務次官の床次竹二郎が主導して、神道(13人)、仏教(51人)、キリスト教(7人)の代表、計71人を華族会館に呼び、行われた会同。集まった代表を前に内務大臣の原敬が挨拶した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と三教会同 · 続きを見る »

一揆

一揆(いっき)とは、日本において何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとすること、またはそのために盟約、契約を結んで、政治的共同体を結成した集団及び、これを基盤とした既成の支配体制に対する武力行使を含む抵抗運動。ドイツ語のPutschの訳語としても使われる(カップ一揆や、アドルフ・ヒトラーらが起こしたミュンヘン一揆など)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と一揆 · 続きを見る »

九州

九州(きゅうしゅう)は、日本列島を構成する島の一つで島国 (領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け ⇒ 6,852島(本土5島・離島6,847島)。<出典>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識) 2009年11月27日閲覧。ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。、その南西部に位置する。 北海道・本州・四国とともに主要4島の一つでもあり、この中では3番目に大きい島で【参考】 日本の島の面積順に上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。  国立天文台 (編)理科年表 平成19年版 P565、ISBN 4621077635。、世界の島の中では、スピッツベルゲン島(ノルウェー)に次ぐ第37位の大きさである。 地質学や考古学などでは九州島という名称も使用される。 九州とその付随する島を合わせて九州地方(きゅうしゅうちほう)と言う。九州の最高標高は1,791メートル (m) で、大分県の九重連山・中岳の標高である。また、九州地方の最高標高は1,936 mで、鹿児島県の屋久島・宮之浦岳の標高である。(「#地理」および「日本の地理・九州」を参照) 九州には7つの地方公共団体(県)があり、7県総人口は13,108,027人、沖縄県を含めた8県総人口は14,524,614人である。都道府県の人口一覧#推計人口(右表 九州地方のデータ参照) 九州の古代の呼称は、「筑紫島」・「筑紫洲」(つくしのしま)である(#歴史書における呼称)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と九州 · 続きを見る »

九州平定

九州平定(きゅうしゅうへいてい)は、天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた、羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)と島津氏など、九州諸将との戦いの総称である。秀吉の「九州攻め」、「島津攻め」、「九州の役」「九州の役」の呼称は参謀本部(1889-1945)編集『日本戦史』による。、「九州征伐」などの名称で呼ばれることもある(詳細は#呼称と開始時期について参照)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と九州平定 · 続きを見る »

平戸市

北松浦半島側から見た平戸市中心部 平戸城から見た平戸瀬戸(対岸が北松浦半島) 平戸市(ひらどし)は、長崎県北西部の平戸島とその周辺を行政区域とする市で長崎県と九州本土の市としては最西端に位置する都市。旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港だった。 旧平戸市は、平戸島と度島などの離島を行政区域としていたが、2005年10月1日に周辺の北松浦郡田平町・生月町・大島村と合併(新設合併)して新たに平戸市となった。これにより本土にも市域が拡大した。市役所は旧平戸市役所の建物が引き続き使用されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と平戸市 · 続きを見る »

幸徳秋水

幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。 本名は、幸徳 傳次郎(こうとく でんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。大逆事件(幸徳事件)で処刑された12名の1人。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と幸徳秋水 · 続きを見る »

京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と京都 · 続きを見る »

京都府

京都府(きょうとふ)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。延暦13年(794年)の平安京遷都以来、天皇の御所がある。令制国でいう山城国の全域、丹波国の東部および丹後国の全域を府域とする。府庁所在地は京都市。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と京都府 · 続きを見る »

京都暁星高等学校

京都暁星高等学校(きょうとぎょうせいこうとうがっこう)は、京都府宮津市獅子崎にある私立高等学校。学校法人聖ヨゼフ学園が運営。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と京都暁星高等学校 · 続きを見る »

府主教

ンボスキニオン(チョトキ)と呼ばれる、正教会での数珠状の祈りの用具。リヤサを着用している。 府主教(ふしゅきょう、Μητροπολίτης, Митрополит, metropolitan)はキリスト教のうちで正教会の主教品の位階の一つで、日本正教会の訳語。カトリック教会の管区大司教、あるいは首都大司教に相当する。 正教会の場合、主教の上位聖職者として、総主教、府主教、大主教がある。各地域の正教会毎に序列が異なる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と府主教 · 続きを見る »

府内 (豊後国)

府内(ふない)は、大分県大分市中心部の明治時代初期までの旧称である。府内は、豊後国の国府であり、府内藩の藩庁である府内城が置かれた城下町であった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と府内 (豊後国) · 続きを見る »

広井勇

廣井 勇(ひろい いさみ、1862年10月24日(文久2年9月2日) - 1928年(昭和3年)10月1日)は、日本の土木工学者。元東京帝国大学教授。高知県出身。札幌農学校(現在の北海道大学)卒業。「港湾工学の父」と呼ばれた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と広井勇 · 続きを見る »

広隆寺

広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦にある寺。宗派は真言宗系単立。山号を蜂岡山と称する。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。帰化人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、聖徳太子信仰の寺でもある。毎年10月12日に行われる牛祭は、京都三大奇祭として知られるが、近年は不定期開催となっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と広隆寺 · 続きを見る »

五島市

浜海水浴場 五島市(ごとうし)は、長崎県の西部、五島列島の南西部に位置する市。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と五島市 · 続きを見る »

五野井隆史

五野井隆史(ごのい たかし、1941年6月11日- )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。 北海道えりも町生まれ。キリシタン史が専門。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と五野井隆史 · 続きを見る »

五榜の掲示

五榜の掲示(ごぼうのけいじ)は、慶応4年3月15日(1868年4月7日)に、太政官が立てた五つの高札である。太政官(明治政府)が民衆に対して出した最初の禁止令である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と五榜の掲示 · 続きを見る »

井上哲次郎

井上 哲次郎(いのうえ てつじろう、1856年2月1日(安政2年12月25日) - 1944年(昭和19年)12月7日)は明治時代の日本の哲学者であり、欧米哲学を多く日本に紹介し、帝国大学で日本人で初めて、哲学の教授となった。また、新体詩運動の先駆者でもある。号は巽軒。通称「井の哲(イノテツ)」。筑前国生まれ。大東文化学院総長(第2代)などを歴任した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と井上哲次郎 · 続きを見る »

井深梶之助

井深 梶之助(いぶか かじのすけ、嘉永7年6月10日(1854年7月4日) - 昭和15年(1940年)6月24日)は、日本の牧師。日本基督教会の指導者。明治学院の2代目総理、日本基督教青年会同盟委員長を務めた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と井深梶之助 · 続きを見る »

仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と仏教 · 続きを見る »

仏教用語一覧

仏教用語一覧(ぶっきょうようご いちらん)では、仏教の用語を、日本語にしているものを中心として一覧形式で表す。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と仏教用語一覧 · 続きを見る »

以心崇伝

以心崇伝(いしんすうでん、永禄12年(1569年) - 寛永10年1月20日(1633年2月28日))は、安土桃山時代から江戸時代の臨済宗の僧。字は以心、法名が崇伝で、南禅寺金地院に住したため、金地院崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれる。本光国師の称は、寛永3年(1626)に後水尾天皇の師となり授けられたもの。俗姓は一色氏。徳川家康のもとで江戸幕府の法律の立案・外交・宗教統制を一手に引き受け、その権勢から黒衣の宰相の異名を取った。 起草した武家諸法度は老中以下諸大名の前で崇伝により布告された。徳川家光、徳川忠長の諱は崇伝により名付けられた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と以心崇伝 · 続きを見る »

仙台

仙台(せんだい).

新しい!!: 日本のキリスト教史と仙台 · 続きを見る »

会衆派教会

会衆派教会(かいしゅうはきょうかい/Congregational Church)は、キリスト教のプロテスタントの一教派で、他に会衆派、組合派、組合教会とも。各個教会の教会政治において、会衆制とよばれる教会員の直接民主制に近い制度を採ることが特徴で、各個教会の独立自治を極めて重視する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と会衆派教会 · 続きを見る »

伊東マンショ

右上の人物が伊東マンショ グレゴリウス13世の謁見の場面 伊東 マンショ(いとう マンショ、Mancio, 満所とも、永禄12年(1569年)ごろ - 慶長17年10月21日(1612年11月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタン。天正遣欧少年使節の主席正使、イエズス会員でカトリック教会の司祭。マンショは洗礼名、本名は祐益。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と伊東マンショ · 続きを見る »

伝教師

伝教師(でんきょうし, catechist カテキスト, Катехизатор カテヒザートル)は正教会で教役者に数えられる役割。伝教者とも言い、いずれも日本正教会で用いられる正式な用語である。正教の教えを伝道する事に専念する役職である。カトリック教会ではカテキスタに相当する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と伝教師 · 続きを見る »

佐藤昌介

佐藤 昌介(さとう しょうすけ、1856年12月21日(安政3年11月24日) - 1939年(昭和14年)6月5日)は、北海道帝国大学初代総長。日本初の農学博士のひとり。岩手県花巻市出身。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と佐藤昌介 · 続きを見る »

佐藤敏夫 (神学者)

佐藤 敏夫(さとう としお、1923年1月1日 - 2007年6月5日)は、日本のキリスト教神学者、東京神学大学名誉教授。 山形県出身。慶應義塾大学中退、ハートフォード神学大学卒業、神学博士。東京神学大学教授、学長を務め、1991年退職、名誉教授。 .

新しい!!: 日本のキリスト教史と佐藤敏夫 (神学者) · 続きを見る »

使徒座代理区

使徒座代理区(Vicariatus Apostolicus、略称 代理区、また代牧区とも)とは、カトリック教会の教区がまだ設置されていない宣教地域に設立された管轄の一形態である。代理区は一世紀以上の長きにわたり設置される場合もあるが、本質的には当該地域のカトリック信徒数が十分な数に増加し、正式に教区に昇格するまでの暫定措置となる。 使徒座代理区を統率する使徒座代理は通常、名義司教である。 カノン法371.1に拠れば、使徒座代理の管轄は教皇の管轄権の行使であり、すなわち"普遍的な司教"であるところの教皇が使徒座代理を通じ、地域管轄権を行使するものである。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と使徒座代理区 · 続きを見る »

御殿場市

御殿場市(ごてんばし)は、静岡県東部に位置し、富士山周辺や箱根観光への交通拠点の高原都市である。気候は標高が高いので冷涼で降水量が多い。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と御殿場市 · 続きを見る »

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と徳川家康 · 続きを見る »

徳川秀忠

徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府の第2代征夷大将軍。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と徳川秀忠 · 続きを見る »

待労院

待労院(たいろういん)は、熊本県熊本市西区にあったカトリック系のハンセン病療養所(診療所)である。ジャン・マリー・コール(Jean Marie Corre、1850年6月28日 - 1911年2月9日)によって創設され、私立のハンセン病療養所として、114年間にわたって救らい活動を行った。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と待労院 · 続きを見る »

信教の自由

信教の自由(しんきょうのじゆう)とは、信仰の自由などから構成される宗教に関する人権。信教の自由(宗教の自由)とは、特定の宗教を信じる自由または一般に宗教を信じない自由をいう。 西欧では、教会権力からの自由を求める帰結として確立された。世界人権宣言や市民的及び政治的権利に関する国際規約の共に第18条で規定される。日本国憲法においては20条である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と信教の自由 · 続きを見る »

修道司祭

修道司祭(しゅうどうしさい)とは、正教会、カトリック教会、聖公会において、修道士かつ司祭である者を言う。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と修道司祭 · 続きを見る »

修道会

修道会(しゅうどうかい)は、キリスト教の西方教会における組織。カトリック教会においては教皇庁の認可を受けて、キリスト教精神を共同生活の中で生きる、誓願によって結ばれた信徒の組織である。修道会の会員は修道者といわれる。 なお、東方諸教会・正教会・聖公会・ルター派にも修道院制度は存在するが、前二者の東方教会には修道会制度は存在しない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と修道会 · 続きを見る »

土井辰雄

土井 辰雄(どい たつお、1892年12月22日 - 1970年2月21日)は、大正時代から昭和時代にかけて活躍した日本のカトリック教会司教。洗礼名は「ペトロ」。カトリック東京大司教区の初代邦人大司教となり、日本人で初めて枢機卿に任ぜられた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と土井辰雄 · 続きを見る »

医学部

医学部(いがくぶ)は、大学において医学に関する研究・教育を行っているところ。また医学を専門に学ぶ課程である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と医学部 · 続きを見る »

北海道

北海道(ほっかいどう)は、日本の北部に位置する島。また、同島および付随する島を管轄する地方公共団体(道)である。島としての北海道は日本列島を構成する主要4島の一つである。地方公共団体としての北海道は47都道府県中唯一の「道」で、道庁所在地は札幌市。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と北海道 · 続きを見る »

北海道大学

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と北海道大学 · 続きを見る »

ナチス・ドイツ

ナチス・ドイツは、アドルフ・ヒトラー及び国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチ党)による支配下の、1933年から1945年までのドイツ国に対する呼称である。社会のほぼ全ての側面においてナチズムの考え方が強制される全体主義国家と化した。ヨーロッパにおける第二次世界大戦が終結する1945年5月に連合国軍に敗北し、ナチス政権とともに滅亡した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とナチス・ドイツ · 続きを見る »

ナチズム

ナチズム(Nazism 、p, Nazismus)は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を代表とするイデオロギー。1933年から1945年までのナチス・ドイツの期間には国家の公式イデオロギーとされた。ナチズム以外の政治的立場からは極右に分類され、具体例として挙げられる場合が多い。日本においては国家社会主義、民族社会主義等の訳語が当てられることもある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とナチズム · 続きを見る »

ペトロ岐部と187殉教者

ペトロ岐部と187殉教者(ペトロきべと187じゅんきょうしゃ)は、1603年から1639年にかけて日本各地で殉教した日本人のカトリック司祭・修道者・信徒で、2008年に長崎市で行われた列福式でカトリック教会の福者に列せられた188人のキリシタンの総称。司祭になるべくローマへ徒歩で行ったペトロ岐部や、天正遣欧少年使節の一人である中浦ジュリアンらを含む。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とペトロ岐部と187殉教者 · 続きを見る »

ミサ

ミサ(, )は、カトリック教会においてパンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼(祭儀)。司教または司祭が司式し、信者全体が捧げるものとして位置づけられており新要理書編纂特別委員会/編、日本カトリック司教協議会/監修(2003年)『カトリック教会の教え』197頁、カトリック中央協議会、ISBN 9784877501068、カトリック教会で最も重要な典礼儀式である。 カトリック教会における他の典礼や、キリスト教の他教派における礼拝(公祈祷)一般をまとめて「ミサ」と呼ぶ事例がマスメディアや書籍などでさえも多く見られるがこれは誤りである及川信『オーソドックスとカトリック―どのように違うのか歴史と多様性を知る 第二部 三「ミサではないのに」』139頁 - 140頁、サンパウロ ISBN 9784805612279。「ミサ」とは、本項で詳述するカトリック教会における聖体の秘跡にかかる典礼だけを指す語彙である『キリスト教大事典 改訂新版』1033頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版。カトリック教会のミサは、正教会では聖体礼儀に、聖公会およびプロテスタントでは聖餐式に相当する。 特に、正教会およびプロテスタントでは「ミサ」という表記は全く使われない。教派や祈祷の種別を問わない場合は「礼拝」という表現を使うのが無難である。 ミサの様式は世界共通で、大多数の地域のカトリック教会で「ラテン典礼と呼ばれる様式によって行われるが、東方典礼カトリック教会においては、ビザンチン式などラテン典礼と異なるミサが行われることがあり、その場合の詳細な式次第などは後述と異なる場合がある。本項ではラテン典礼を中心に詳述する。古代以来1960年代までラテン典礼におけるミサはすべてラテン語で行われていたが、第2バチカン公会議以降の典礼改革により各国語でも行われることになった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とミサ · 続きを見る »

マルティン・ルター

マルティン・ルター(Martin Luther 、1483年11月10日 - 1546年2月18日)は、ドイツの神学者、教授、作家、聖職者である。 1517年に『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出したことを発端に、ローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した宗教改革の中心人物である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とマルティン・ルター · 続きを見る »

マルク・マリー・ド・ロ

マルク・マリー・ド・ロ(フランス語:Marc Marie de Rotz, 1840年3月27日 - 1914年11月7日)は、パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師(司祭)である。1868年(慶応4年)6月に来日し、長崎県西彼杵郡外海地方(現・長崎県長崎市外海地区)において、キリスト教(カトリック)の布教活動の傍ら、貧困に苦しむ人達のため、社会福祉活動に尽力した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とマルク・マリー・ド・ロ · 続きを見る »

ノビシャド

ノビシャド()は、カトリック教会の修道会員の養成機関のことで、日本語では修練院といわれるものであるが、歴史用語で「ノビシャド」という場合、特にイエズス会によって初め、1580年(天正8年)に豊後国臼杵(現大分県臼杵市)に設置され、後に各地に移転したキリシタン時代のものを限定して指す。ノビシアド、ノヴィシャド、ノヴィシアドとも。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とノビシャド · 続きを見る »

マカオ

中華人民共和国マカオ特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)、通称マカオ(Macau、澳.

新しい!!: 日本のキリスト教史とマカオ · 続きを見る »

チャニング・ウィリアムズ

チャニング・ムーア・ウイリアムズ(、、1829年7月18日-1910年12月2日)は、米国聖公会の宣教師。日本聖公会初代主教。日本各地に複数の教会や学校を設立するなど、日本聖公会の発展に力を尽くした。墓碑に記されている「道を伝えて己を伝えず」という言葉の通り、ウィリアムズは自分について知られることを嫌っていて、それは日本から帰国する際に自分に関する資料を燃やしてしまったほどだという。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とチャニング・ウィリアムズ · 続きを見る »

ネーデルラント連邦共和国

ネーデルラント連邦共和国(ネーデルラントれんぽうきょうわこく、Republiek der Zeven Verenigde Nederlanden、Republic of the Seven United Netherlands)は、16世紀から18世紀にかけて現在のオランダおよびベルギー北部(フランデレン地域)に存在した国家。現在のオランダ王国の原型であり、そのことからオランダ共和国などと呼ばれることもある。 連邦共和国はヘルダーラント州、ホラント州、ゼーラント州、ユトレヒト州、フリースラント州、オーファーアイセル州、フローニンゲン州のネーデルラント北部7州からなり、これにドレンテ準州、国境地帯の連邦直轄領ブラーバント、リンブルフ、フランデレンなどが加わっていた。中でもホラント州が連邦の経費の半分以上を負担し、人口、富、対外関係の面で他の6州より抜きんでていた。そのため、この州の名がそのまま連邦共和国、さらに今日の王国の通称となった。日本語名の「オランダ」もホラントのポルトガル語名に由来する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とネーデルラント連邦共和国 · 続きを見る »

ネストリウス派

ネストリウス派とは、古代キリスト教の教派の1つ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれた。431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥された。これにより、ネストリウス派はペルシャ帝国へ移動し、7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へと伝わった。唐代の中国においては景教と呼ばれる。のちアッシリア東方教会が継承した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とネストリウス派 · 続きを見る »

ハンセン病

ハンセン病(ハンセンびょう、Hansen's disease, Leprosy)は、抗酸菌の一種であるらい菌 の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である。 病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンに由来する。かつての日本では「癩(らい)」、「癩病」、「らい病癩が常用漢字に含まれないため、平仮名で書かれることが多い。」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的である。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ためで、それに関連する映画なども作成されている。 感染経路は、らい菌の経鼻・経気道よりのものが主であるが、他系統も存在する(感染経路の項にて後述)。感染力は非常に低く、治療法も確立した現状では、重篤な後遺症を残すことや感染源になることは稀であるものの、適切な治療を受けない・受けられない場合、皮膚に重度の病変が生じ、他者へ感染することもある。 2007年の統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は年間約25万人である。一方、近年の日本国内の新規患者数は年間で0〜1人に抑制され、現在では稀な疾病となっている。ハンナ・リデルは日本のハンセン病史に名を刻んだ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とハンセン病 · 続きを見る »

バーナード・ジャン・ベッテルハイム

バーナード・ジャン・ベッテルハイム バーナード・ジャン・ベッテルハイム(伯徳令、Bernard Jean Bettelheim、1811年 - 1870年2月9日)は、日本に派遣されたキリスト教宣教師。また沖縄県地域最初のプロテスタント宣教師でもある。ハンガリーではBettelheim John Barnardéと表記される場合が多い。ちなみにハンガリーではBettelheimはベッテルヘイムと発音される。なお、ハンガリーの資料では1869年9月11日に没したことになっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とバーナード・ジャン・ベッテルハイム · 続きを見る »

バークレー・バックストン

バークレー・バックストン最後の来日。三谷種吉らと。1937年 バークレー・フォーエル・バックストン(Barclay Fowell Buxton、1860年8月16日 - 1946年2月5日)は、戦前の日本で活動したイギリスの聖公会の宣教師。司祭、牧師、神学校教師。聖霊に満たされることを強調して教えた。バックストンとその弟子たちは、日本の福音派の源流の一つ「松江バンド」と呼ばれるクリスチャン集団を形成したとされる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とバークレー・バックストン · 続きを見る »

バプティスト

バプティスト、バプテスト、バプチスト(Baptist、Baptists、Baptiste).

新しい!!: 日本のキリスト教史とバプティスト · 続きを見る »

バテレン追放令

バテレン追放令(バテレンついほうれい・伴天連追放令)は、1587年7月24日(天正15年6月19日)に豊臣秀吉が筑前箱崎(現・福岡県福岡市東区)において発令したキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書。バテレンとは、ポルトガル語で「神父」の意味のに由来する。 原本は『松浦家文書』にあり、長崎県平戸市の松浦史料博物館に所蔵されている。通常、「バテレン追放令」と呼ばれる文書はこの『松浦家文書』に収められた6月19日付の五か条の文書(以下便宜的に「追放令」と記す)を指すが、1933年(昭和8年)に伊勢神宮の神宮文庫から発見された『御朱印師職古格』の中の6月18日付の11か条の覚書(以下便宜的に「覚書」と記す)のことも含めることがあるので注意が必要である。さらに後者の11か条の覚書が発見されて以降、五か条の追放令との相違点がある理由や二つの文書の意味づけに関してさまざまな議論が行われている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とバテレン追放令 · 続きを見る »

バスク人

バスク人(バスクじん、vascos, euskaldunak)とは、ビスケー湾岸でピレネー山脈西端部にある、伝統的にバスク地方として知られる地域に元来居住している系統不明の民族。文脈によって、以下のどちらかを指す。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とバスク人 · 続きを見る »

ポルトガル

ポルトガル共和国(ポルトガルきょうわこく、República Portuguesa、República Pertuesa)、通称ポルトガルは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置する共和制国家である。北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,214kmに及ぶ。西と南は大西洋に面している。ヨーロッパ大陸部以外にも、大西洋上にアソーレス諸島とマデイラ諸島を領有している。首都はリスボン。 ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家である。ヨーロッパで最初に海路で中国や日本など東アジアとの接触を持った。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とポルトガル · 続きを見る »

ポルトガル王国

ポルトガル王国(ポルトガルおうこく、)は、現在のポルトガルにあたる地域(当初はその一部)に、1139年から1910年まで存在した王国。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とポルトガル王国 · 続きを見る »

ポーツマス条約

ポーツマス条約(ポーツマスじょうやく、Treaty of Portsmouth, or Portsmouth Peace Treaty)は、アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋によって、大日本帝国とロシア帝国との間で結ばれた日露戦争の講和条約。日露講和条約とも称する。 1905年(明治38年)9月4日(日本時間では9月5日15時47分)、アメリカ東部の港湾都市ポーツマス近郊のポーツマス海軍造船所において、大日本帝国全権小村寿太郎(外務大臣)とロシア帝国全権セルゲイ・Y・ウィッテの間で調印された。 また、条約内容を交渉した会議(同年8月10日 -)のことをポーツマス会議、 日露講和会議、ポーツマス講和会議などと呼ぶ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とポーツマス条約 · 続きを見る »

ムラカ

展望台から見たマラッカ海峡側の風景 ムラカ(マレーシア語:Melaka、ジャウィ:ملقة)またはマラッカ(英語:Malacca)は、マレーシアの港湾都市。マレー半島西海岸南部に位置し、東西交通の要衝マラッカ海峡に面する、ムラカ州(マラッカ州)の州都である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とムラカ · 続きを見る »

メリマン・ハリス

メリマン・コルバート・ハリス(Merriman Colbert Harris、1846年7月9日 - 1921年5月8日)は、アメリカ・メソジスト監督教会宣教師で、アメリカ生まれの日本人であると言うほどに日本を愛して、明治期の日本人クリスチャンに大きな影響を与えた人物。 内村鑑三、新渡戸稲造、河辺貞吉、佐藤昌介、大島正健らに洗礼を授けた宣教師としても有名。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とメリマン・ハリス · 続きを見る »

メルメ・カション

ウジェーヌ・エマニュエル・メルメ・カション(Eugène-Emmanuel Mermet-Cachon、1828年9月10日-1889年3月14日)は、幕末に来日したフランス人の神父。日本語に堪能で、レオン・ロッシュの通訳を務めたが、単なる通訳以上の働きをしていたとも言われている。「和春」という和名も用いた松岡正剛の千夜千冊 0894夜 2003年11月20日。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とメルメ・カション · 続きを見る »

メアリー・キダー

メアリー・エディー・キダー(Mary Eddy Kidder、結婚後は Mary Eddy Kidder Miller、1834年1月31日-1910年6月25日)は、日本に派遣されて定住した最初の独身の女性宣教師である。フェリス女学院の創立者として知られる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とメアリー・キダー · 続きを見る »

メソジスト監督教会

メソジスト監督教会(メソジストかんとくきょうかい、The Methodist Episcopal Church)は、アメリカ独立戦争の折に、メソジスト教徒がイングランド国教会との関係を絶たれたので、ジョン・ウェスレーの手によって生み出されたキリスト教の教派である。 18世紀、イングランド、アイルランドなどに、ジョン・ウェスレー、および、その弟のチャールズを中心として展開した「メソジスト運動」が、信徒の働きによって、当時イングランドの植民地であったアメリカ大陸に移植された。折りしも、アメリカの独立戦争が勃発し、新大陸のメソジスト教徒は、それまで属していたイングランド国教会との関係を絶たれた。そこで、ウェスレーは、トーマス・コーク、フランシス・アズベリーを監督として按手礼を施し、彼らの指導の下にアメリカのメソジストの群を託した。このように、イングランド国教会の忠実な教職者であったウェスレーの願いに反して、摂理的に「メソジスト監督教会」が発足した。 ウェスレーは、イングランド国教会の39箇条を改訂して、ローマ・カトリック教会との関係など、新しい情況下では不必要と思われる条項を削除し、25箇条としてメソジスト監督教会に与えたので、この教団の基本的な信仰箇条は、イングランド国教会と同じである。 メソジスト監督教会は、19世紀半ば、奴隷制度、また、教会政治の形態を巡って意見が分かれ、ウエスレアン・メソジスト教会(現・北米ウエスレアン教会)など、多くのメソジスト系の教会・教派へと分かれていった。 1860年にアメリカ北メソジスト監督教会から分離したグループがアメリカ自由メソジスト教会を形成している。 日本のメソヂスト監督教会は、1873年にメリマン・ハリス宣教師が函館に到着し、宣教を開始した。1907年に本多庸一により、カナダ・メソヂスト監督教会、アメリカ南メソヂスト監督教会と合同して、監督制の日本メソヂスト教会が成立。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とメソジスト監督教会 · 続きを見る »

モラヴィア兄弟団

モラヴィア兄弟団(モラヴィアきょうだいだん、チェコ語:Moravští bratři)は、共通の体験、交わり、分かち合いを回復することによって教会の革新を目指す共同体運動の一つ。ドイツにおいてはモラヴィア教会(Herrnhuter Brüdergemeine)と呼ばれた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とモラヴィア兄弟団 · 続きを見る »

モーセ五書

モーセ五書(モーセごしょ)、時にはトーラ(תורה)とも呼ばれることがあるが、旧約聖書の最初の5つの書である。モーゼの五書、律法(りっぽう)、ペンタチュークとも呼ばれる。これらはモーセが書いたという伝承があったのでモーセ五書と言われるが、近代以降の文書仮説では異なる時代の合成文書であるという仮説を立て、モーセが直接書いたという説を否定する。ただし保守的なキリスト教会と学者は今日もモーセ記者説を支持している。また正教会における註解書には、こうした学説の対立に触れず、「伝統的に」モーセが著者であるとされているという記述にとどめているものもある"Orthodox Study Bible" (正教聖書註解) P. 1, 65, 117, 160, 210 (2008年)。 ケルンのグロッケンガッセ・シナゴーグのトーラー(羊皮紙に手書き) モーセ五書の巻物.

新しい!!: 日本のキリスト教史とモーセ五書 · 続きを見る »

モスクワ総主教

モスクワ総主教公邸の一室。歴代モスクワ総主教の肖像が掛けられている。ここでは多くの総主教達がクーコリを被った姿で描かれている。 モスクワ総主教(モスクワそうしゅきょう)は、ロシアの独立した正教会であるロシア正教会の長たる総主教。正式の称号はモスクワおよび全ロシアの総主教である。現在のモスクワ総主教はキリル1世である(2009年2月1日より)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とモスクワ総主教 · 続きを見る »

ヤン・ヨーステン

ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(Jan Joosten van Lodensteyn (Lodensteijn), 1556年? - 1623年)は、オランダの航海士、朱印船貿易家。日本名は耶楊子(やようす)。 教科書などで知られている「ヤン・ヨーステン」は名で、姓は「ファン・ローデンステイン」である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とヤン・ヨーステン · 続きを見る »

ヤジロウ

ヤジロウ(弥次郎、1511年(永正8年)頃? - 1550年(天文19年)頃?)は、史料上確かな最初の日本人キリスト教徒と目される人物。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とヤジロウ · 続きを見る »

ユニテリアン主義

ユニテリアン主義(ユニタリアン主義 、ユニタリアニズム、英語:Unitarianism)とは、キリスト教正統派教義の中心である三位一体(父と子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称をいう『キリスト教大事典 改訂新版第9版』教文館1988年。ユニテリアンはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、その神としての超越性は否定する。キリスト教正統派の中心教義を否定しているため、正統派キリスト教とは区別される『ユニテリアン派は偶像教に勝さる異端なり』と言及。- 内村鑑三『基督信徒の慰』警醒社,1893年米国の国勢調査ではキリスト教に含まれず「その他の宗教」に分類されている。- 八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』p181,朝日新聞出版,2012年日本ルーテル教団伝道委員会の要請により執筆された文献において、ユニテリアン主義は異端として言及されている。- 轟勇一『100の質問』コンコーディア社,1963年。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とユニテリアン主義 · 続きを見る »

ユダヤ人

ユダヤ人(יהודים、Jews、Djudios、ייִדן)は、ユダヤ教の信者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(血統)によって構成される宗教的民族集団である。 ムスリムやクリスチャンと同じで、ユダヤ人という人種・血統的民族が有る訳では無い。ヨーロッパでは19世紀中頃まで主として前者の捉え方がなされていたが、近代的国民国家が成立してからは後者の捉え方が広まった。ハラーハーでは、ユダヤ人の母親から生まれた者、あるいは正式な手続きを経てユダヤ教に入信した者がユダヤ人であると規定されている。2010年現在の調査では、全世界に1340万を超えるユダヤ人が存在する。民族独自の国家としてイスラエルがあるほか、各国に移民が生活している。ヘブライ人やセム人と表記されることもある。 ユダヤ人はディアスポラ以降、世界各地で共同体を形成し、固有の宗教や歴史を有する少数派のエスニック集団として定着した。しかし、それらを総体的に歴史と文化を共有する一つの民族として分類することはできない。言語の面をみても、イディッシュ語の話者もいればラディーノ語の話者もいる。歴史的にはユダヤ人とはユダヤ教徒のことであったが、現状では国籍、言語、人種の枠を超えた、一つの尺度だけでは定義しえない文化的集団としか言いようのないものとなっている。 で追加された記述だが、出典が示されていない。古代のイスラエル人やセファルディムは(いわゆる「白人」ではないものの)主にコーカソイドのはずで、これを単に「有色人種」と説明するのは誤りではないにしても誤解を招きかねず、不適切であろう。また、アシュケナジムをハザール人と関連づけるのは(当該記事の記述によれば)諸説があり、広く受け入れられている説ではない。 「古代のイスラエル人は有色人種で、12支族の1支族ユダ族のユダヤ人は有色人種セファルディムで、白系ユダヤ人アシュケナジム(ヘブライ語でドイツを意味する)は8世紀頃、ハザール人のユダヤ教への改宗によって、ユダヤ人を名乗った。」 -->.

新しい!!: 日本のキリスト教史とユダヤ人 · 続きを見る »

ユダヤ教

ダビデの星 ユダヤ教(ユダヤきょう、יהדות)は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェ(יהוה)を神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である。ただしメシア思想は、現在ではハバド・ルバヴィッチ派などを除いて中心的なものとなっていない。 『タナハ』(キリスト教の『旧約聖書』に当たる書物)が重要な聖典とされる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とユダヤ教 · 続きを見る »

ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)

ヨハネ・パウロ2世(羅:Ioannes Paulus PP.、英:John Paul II、伊:Giovanni Paolo II、波:Jan Paweł II、1920年5月18日 - 2005年4月2日)は、ポーランド出身の第264代ローマ教皇(在位:1978年10月16日 - 2005年4月2日)。ヨハネス・パウルス2世とも表記される。本名はカロル・ユゼフ・ヴォイティワ(Karol Józef Wojtyła)。 カトリック教会の聖人で、ヨハネ23世とともに、ピウス10世以来60年ぶりに列聖された教皇である。ハドリアヌス6世(オランダ出身、在位:1522年 - 1523年)以来455年ぶりの非イタリア人教皇にして史上最初のスラヴ系教皇。同時に20世紀中最年少で着座した教皇でもある。神学と哲学の2つの博士号を持っていた。 冷戦末期において、世界平和と戦争反対への呼びかけと、呼びかけだけにとどまらない数々の平和行動を実践し、共産党一党独裁下にあった母国ポーランドを初めとする民主化活動の精神的支柱としての役割も果たした。 また、生命倫理などの分野でのキリスト教的道徳観の再提示を行うとともに、エキュメニズムの精神からキリスト教内の他宗派や他宗教・他文化間の対話を呼びかけたことは、宗教・宗派の枠を超えて現代世界全体に大きな影響を与え、没後も多くの信徒や宗教関係者から尊敬を集めている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇) · 続きを見る »

ヨーロッパ

ヨーロッパ日本語の「ヨーロッパ」の直接の原語は、『広辞苑』第5版「ヨーロッパ」によるとポルトガル語・オランダ語、『デジタル大辞泉』goo辞書版「」によるとポルトガル語。(、)又は欧州は、地球上の七つの大州の一つ。漢字表記は欧羅巴。 地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈およびコーカサス山脈の分水嶺とウラル川・カスピ海・黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡が、アジアと区分される東の境界となる増田 (1967)、pp.38–39、Ⅲ.地理的にみたヨーロッパの構造 ヨーロッパの地理的範囲 "Europe" (pp. 68-9); "Asia" (pp. 90-1): "A commonly accepted division between Asia and Europe...

新しい!!: 日本のキリスト教史とヨーロッパ · 続きを見る »

ヨゼフ・ライネルス

ヨゼフ・ライネルス(Joseph Reiners、1874年3月20日 - 1945年8月28日)は、ドイツ出身のカトリック教会神言修道会司祭。宣教師として戦前の日本に到来し、南山学園の基礎を築いた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とヨゼフ・ライネルス · 続きを見る »

ヨゼフ・フロジャック

ヨゼフ・マリウス・シャルル・フロジャック(Joseph Marius Charles Flaujac、1886年3月31日 - 1959年12月12日)はパリ外国宣教会所属のフランス人宣教師である。1909年(明治42年)に来日し、結核患者及びその家族のための総合的な福祉施設を目指して活動し、東京における社会福祉活動に大きな足跡を残した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とヨゼフ・フロジャック · 続きを見る »

ラテン語

ラテン語(ラテンご、lingua latina リングア・ラティーナ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の言語の一つ。ラテン・ファリスク語群。漢字表記は拉丁語・羅甸語で、拉語・羅語と略される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とラテン語 · 続きを見る »

リバイバル

リバイバル、リヴァイヴァル()は、復活・再生・復興といった意の英単語である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とリバイバル · 続きを見る »

リバイバル (1883年)

リバイバル (1883年)では、1883年(明治16年)から1884年(明治17年)にかけて日本のプロテスタント教会で起こったリバイバル(信仰覚醒:しんこうかくせい)について記述する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とリバイバル (1883年) · 続きを見る »

リロイ・ジェーンズ

リロイ・ランシング・ジェーンズ(Leroy Lansing Janes、1838年3月27日 - 1909年3月27日)は、アメリカ陸軍の軍人。退役後は日本で熊本洋学校を設立し、熊本バンドの礎を築いた。L.L.ジェーンズと表記されるのが一般的である。明治時代日本では善斯(ゼンス)と呼ばれた。また、L.L.ジェインズとも表記される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とリロイ・ジェーンズ · 続きを見る »

ルイ・テオドル・フューレ

ルイ=テオドル・フューレ(Louis-Theodore Furet, 1816年11月25日 - 1900年1月15日)は、パリ外国宣教会のフランス人宣教師である。長崎県長崎市にある大浦天主堂(国宝)の設計を行った。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とルイ・テオドル・フューレ · 続きを見る »

ルイス・デ・アルメイダ

西洋医術発祥記念像(大分県大分市)。中央がルイス・デ・アルメイダ。 ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida 、1525年? - 1583年10月)は、戦国時代末期の日本を訪れたポルトガル人。商人であったが、医師の免許を持ち、西洋医学を日本に導入して日本初の病院を作ったことで知られる。後にイエズス会員となった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とルイス・デ・アルメイダ · 続きを見る »

ルイス・フロイス

ルイス・フロイス( 、1532年 - 1597年7月8日(慶長2年5月24日))は、ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を記したことで有名。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とルイス・フロイス · 続きを見る »

レフ・トルストイ

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露:, ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。 代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とレフ・トルストイ · 続きを見る »

ローマ教皇庁

ーマ教皇庁(ローマきょうこうちょう、Curia Romana)は、使徒ペトロに由来するとされる使徒継承教会の首長としての地位の継承者として存続するカトリック教会の使徒座のこと。また、ローマ教皇の下に全世界のカトリック教会を統率する組織でもある。現在の所在地はローマのバチカンであり、バチカン市国という世界最小の主権国家の中に置かれている。カトリック教会内や国際連合などでは、聖庁、聖座(Holy See, Sancta Sedes)という呼称も用いられる。 かつて教皇は世俗の領主のように自らの領地(教皇領)を持っており、事実上国家と同様に独立した行政権を領地内で行使していたが、19世紀末のイタリア統一運動の中で失っている。ラテラノ条約によって成立したバチカンは、教皇庁が支配する国際法上の主権国家であるが、かつての教皇領のような世俗的支配を行う領地ではなく、国民は教会関係者のみである。 なお、14世紀のいわゆる「アヴィニョン捕囚」の時代、教皇庁は南フランスのアヴィニョンに遷座された(アヴィニョン教皇庁)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とローマ教皇庁 · 続きを見る »

ローザンヌ誓約

ーザンヌ誓約(ローザンヌせいやく、英語:The Lausanne Covenant)は、キリスト教の世界宣教を促す、キリスト教徒の信仰宣言。現代の福音派的キリスト教の中で最も有力な文書の1つである。1974年、スイスのローザンヌで開催されたローザンヌ世界伝道会議に2,300人の福音派のキリスト者たちが集い、この誓約を結んだ。 最初のローザンヌ会議は、委員長ビリー・グラハムが世界中から150か国以上のキリスト教教派の指導者を招集して開かれた。文書作成委員長はジョン・ストットが務めた。会議の参加者は、誓約に署名し、また世界宣教のためのローザンヌ委員会を設立した。誓約は信仰告白の形をとっている。その中で誓約者たちは、イエス・キリストの福音を広める使命において失敗してきたことを認め、悔恨を表明している。 誓約は特にニカイア・コンスタンティノポリス信条の信条を確認している。また世界中にキリストの十字架の福音を広める誓いを表明する。誓約には、誓約者たちの信仰を表す15項目がある。これは英語で書かれ、少なくとも20の異なる言語に翻訳された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とローザンヌ誓約 · 続きを見る »

ロシア帝国

ア帝国(ロシアていこく、 ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とロシア帝国 · 続きを見る »

ロシア革命

ア革命(ロシアかくめい, Российская революция ラシースカヤ・レヴァリューツィヤ, Russian Revolution)とは、1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に史上初の社会主義国家樹立につながったことに重点を置く場合には、十月革命のことを意味している。また逆に、広義には1905年のロシア第一革命も含めた長期の諸革命運動を意味する。 「二月革命」、「十月革命」は当時ロシアで用いられていたユリウス暦における革命勃発日を基にしており、現在一般的に用いられるグレゴリオ暦ではそれぞれ「三月革命」、「十一月革命」となる。この項目で使用されている月日は1918年2月14日のグレゴリオ暦導入までの事柄についてはユリウス暦による月日で表記しており、13日を加算するとグレゴリオ暦の月日に換算できる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とロシア革命 · 続きを見る »

ロシア正教会

ア正教会(ロシアせいきょうかい、Русская Православная Церковь、Russian Orthodox Church)は、正教会に属するキリスト教の教会であり、数多くある独立正教会の一つである。 正教会は一カ国に一つの教会組織を具えることが原則だが(ロシア正教会以外の例としてはギリシャ正教会、グルジア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、日本正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではなく、同じ信仰を有している。 教派名は「正教」「正教会」であり、「ロシア正教」「ロシア正教会」は主にロシア連邦・近隣地域を管轄する一教会組織名である。 本項では日本正教会による訳語を断りなく用いる場合がある。 17世紀の奉神礼改革に反対し古い奉事方法を守ったために主流派ロシア正教会から追放された古儀式派は、自らこそが正統なロシア正教会だとしている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とロシア正教会 · 続きを見る »

トリエント公会議

トリエント公会議(トリエントこうかいぎ Concilium Tridentinum)は教皇パウルス3世によって1545年3月15日にトリエント(現在のイタリア領トレント)で召集され、1563年12月4日にピウス4世のもとで第25総会を最後に終了したカトリック教会の公会議。諸事情により、多くの会期が断続的に行われたが、宗教改革に対するカトリック教会の姿勢を明確にし、対抗改革といわれるカトリック教会の刷新と自己改革の原動力となった。トレント公会議(とれんとこうかいぎ)とも。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とトリエント公会議 · 続きを見る »

プリュダンス・セラファン=バルテルミ・ジラール

プリュダンス・セラファン=バルテルミ・ジラール(仏語:Prudence Seraphin-Barthelemy Girard、1821年4月5日 - 1867年12月9日)は、カトリック・パリ外国宣教会のフランス人宣教師である。沖縄で日本語を学び、初代フランス公使ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクールの通訳を務めた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とプリュダンス・セラファン=バルテルミ・ジラール · 続きを見る »

プロテスタント

プロテスタント(Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。日本ではカトリック教会(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とプロテスタント · 続きを見る »

パリ外国宣教会

パリ外国宣教会 (パリがいこくせんきょうかい、Missions Étrangères de Paris; 略称:MEP) は、フランスのパリに本部を置くカトリック教会の男子(司祭)の宣教会。1653年にフランソワ・パリューらによって設立された宣教会で、当初より東アジアの宣教を担当している。明治以降の日本のカトリック教会の再建に携わった。パリミッション会とも呼ばれ、「パリ外邦伝教会」と訳されることもある。現在の日本管区長は、アントワン・デ・モンジュロ。 さいたま教区所沢教会の主任司祭との兼任である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とパリ外国宣教会 · 続きを見る »

パゼット・ウィルクス

中田重治、パゼット・ウィルクス、三谷種吉、1902年 パゼット・ウィルクス(A.Paget Wilkes,1871年1月19日 - 1934年10月5日)は、日本で活動したイギリス人の宣教師、神学校教師。日本伝道隊創設の中心的人物。イングランド国教会の正規の牧師ではなく、立場的には信徒として来日した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とパゼット・ウィルクス · 続きを見る »

ビリー・グラハム

ビリー・グラハム (Billy Graham、KBE、1918年11月7日 - 2018年2月21日) は、現代アメリカの最も著名なキリスト教(南部バプテスト教会)の福音伝道師、牧師、神学校教師、福音派キリスト者。アメリカの伝道師と呼ばれる。1950年に「ビリー・グラハム福音伝道協会」を設立した。20世紀中ごろのリバイバル運動(信仰復興運動)聖霊運動の主力となった一人である。今まで生きた誰よりも多く世界中の人々に福音を語ったといわれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とビリー・グラハム · 続きを見る »

ビリー・グラハム国際大会

ビリー・グラハム伝道大会(- でんどうたいかい)及びビリー・グラハム国際大会(- こくさいたいかい)は、国際的な福音伝道者、ビリー・グラハムを講師とする伝道大会である。日本で4回にわたって開かれた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とビリー・グラハム国際大会 · 続きを見る »

ピウス10世 (ローマ教皇)

ピウス10世(Pius PP.

新しい!!: 日本のキリスト教史とピウス10世 (ローマ教皇) · 続きを見る »

ピエール・マリー・オズーフ

ピエール・マリー・オズーフ(仏:Pierre Marie Osouf、1829年5月26日 - 1906年6月27日)は、キリスト教・カトリックのフランス人宣教師である。パリ外国宣教会所属で、1877年(明治11年)に来日し、1891年(明治24年)6月にカトリック東京大司教区の初代大司教(教区長)に就任した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とピエール・マリー・オズーフ · 続きを見る »

テオドール=オギュスタン・フォルカード

テオドール=オギュスタン・フォルカード(Théodore-Augustin Forcade、1816年3月2日-1885年9月12日)は、フランスのカトリック教会の宣教師である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とテオドール=オギュスタン・フォルカード · 続きを見る »

デュアン・シモンズ

S・R・ブラウン、デュアン・シモンズ デュアン・B・シモンズ(Duane B. Simmons, 1834年(天保5年)-1889年(明治22年))は医師でアメリカ・オランダ改革派教会が日本に初めて派遣した宣教師の一人である。 横浜で医療活動を展開し、宣教師ジェームス・カーティス・ヘボンと共に、横浜の近代医学の基礎を築いたといわれる。横浜市立大学附属市民総合医療センター内にはシモンズ博士記念碑がある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とデュアン・シモンズ · 続きを見る »

デウス

デウス(deus, Deus)は、ラテン語(およびポルトガル語・カタルーニャ語・ガリシア語)で神を表す言葉。この語形は男性単数主格であり、厳密には1人の男神を表す。「デーウス」と発音されることもあるが、ラテン語本来の発音は「デウス」である。 古典期には男神一般を表す一般名詞 だった(ただし古典ラテン語に小文字はなかったので、全て大文字の表記しかなかった)。 その後、ヨーロッパでキリスト教が広まり、ヨーロッパでは学問の言葉などとしてラテン語が用いられており、ただひとつの神(ヤハウェ)を指すのには、大文字で始まる固有名詞 の と表記するようになった。(なお、この使い分けは、英語にも継承されており、英語でも一文字目を小文字か大文字で書き分け、 god/God とする。)日本語の文字には大文字小文字といった区別が無いので、日本語へ翻訳する時には も も「神」と訳している。 日本では戦国時代末期、キリシタンの時代に、キリスト教のDeusを日本語で呼ぶにはそれを音写し、「でうす」や「デウス」と表記された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とデウス · 続きを見る »

フランシスコ会

フランシスコ会の会章 フランシスコ会(フランシスコかい、Ordo Fratrum Minorum、Order of Friars Minor)またはフランチェスコ会(フランチェスコかい)は、13世紀のイタリアで、アッシジのフランチェスコによってはじめられたカトリック教会の修道会の総称であり、広義には第一会(男子修道会)、第二会(女子修道会)、第三会(在俗会)を含む。現在、その活動は全世界にわたっている石井(2004)「フランシスコ会」。 狭義には男子修道会、すなわち男子修道士による托鉢修道会である第一会に相当する3つの会のことを指し、特にそのなかの主流派である改革派フランシスコ会のみを指すこともある。この3つの会はいずれも「小さき兄弟会」Ordo Fratrum Minorum (OFM) の名を冠している。また、イングランド国教会系の聖公会でもフランシスコ会が組織されている。 フランシスコ会は、無所有と清貧を主張したフランチェスコの精神にもとづき、染色を施さない修道服をまとって活動している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とフランシスコ会 · 続きを見る »

フランシスコ・カブラル

フランシスコ・カブラル(、 1529年 - 1609年4月16日)は戦国時代末期の日本を訪れたイエズス会宣教師。カトリック教会の司祭。日本布教区の責任者であったが、当時のポルトガル人冒険者の典型のような人物で、日本人と日本文化に対して一貫して否定的・差別的であったため、巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに徹底的に批判され、解任された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とフランシスコ・カブラル · 続きを見る »

フランシスコ・ザビエル

フランシスコ・デ・ザビエル( または, 1506年頃4月7日 - 1552年12月3日)は、スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。 ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年(天文18年)に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。また、日本やインドなどで宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。カトリック教会の聖人で、記念日は12月3日。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とフランシスコ・ザビエル · 続きを見る »

フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

新しい!!: 日本のキリスト教史とフランス · 続きを見る »

フランソワ・カロン

平戸のオランダ商館(17世紀の版画) 『日本大王国志』に掲載された、カロンの発言に基づいた日本地図。カロンは『日本大王国志』の中で、「蝦夷地は探検が十分でなく、島か半島か不明であり、津軽海峡は大きな入り江である」と書いている。地図は1661年に作製されたものだが、その根拠は1636年のカロンの知識である フランソワ・カロン(François Caron、1600年 - 1673年4月5日)は、オランダに亡命したフランスのユグノー教徒。オランダ東インド会社に30年以上勤務し、最終的にはバタヴィア商務総監(植民地総督の次席)にまで昇進した 。後にはフランス東インド会社の長官(1667–1673)を務めたFrazer, Robert Watson.

新しい!!: 日本のキリスト教史とフランソワ・カロン · 続きを見る »

フアン・フェルナンデス (宣教師)

フアン・フェルナンデス(、 1526年? - 1567年6月26日)は、フランシスコ・ザビエルとともに戦国時代の日本を訪れたイエズス会宣教師。スペイン・コルドバ出身。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とフアン・フェルナンデス (宣教師) · 続きを見る »

フィリピン

フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく、Republika ng Pilipinas、Republic of the Philippines、) 通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本とパラオ、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んで中国およびベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海、西には南シナ海、南にはセレベス海が広がる。首都はマニラで、最大の都市はケソンである。国名のフィリピンは16世紀のスペイン皇太子フェリペからちなんでいる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とフィリピン · 続きを見る »

ドミニコ会

ドミニコ会(ドミニコかい)は、1206年に聖ドミニコ(ドミニクス・デ・グスマン)により立てられ1216年にローマ教皇ホノリウス3世によって認可されたカトリックの修道会。正式名称は「説教者修道会」(Ordo fratrum Praedicatorum) で、略号は「OP」である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とドミニコ会 · 続きを見る »

ドイツ

ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツ(Deutschland)は、ヨーロッパ中西部に位置する連邦制共和国である。もともと「ドイツ連邦共和国」という国は西欧に分類されているが、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の民主化と東西ドイツの統一により、「中欧」または「中西欧」として再び分類されるようになっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とドイツ · 続きを見る »

ニコライ (日本大主教)

ニコライ(修道誓願前の姓:カサートキン、Николай (Касаткин), 1836年8月1日(ロシア暦) - 1912年2月16日(グレゴリオ暦))は日本に正教を伝道した大主教(肩書きは永眠当時)。日本正教会の創建者。正教会で列聖され、亜使徒の称号を持つ聖人である。 「ロシア正教を伝えた」といった表現は誤りであり(後述)、ニコライ本人も「ロシア正教を伝える」のではなく「正教を伝道する」事を終始意図していた牛丸康夫『日本正教史』22頁、日本ハリストス正教会教団府主教庁 (1978/05) ASIN B000J8IFP0。 ニコライは修道名で、本名はイヴァーン・ドミートリエヴィチ・カサートキン(Иван Дмитриевич Касаткин)。日本正教会では「亜使徒聖ニコライ」と呼ばれる事が多い。日本ではニコライ堂のニコライとして親しまれた。 神学大学生であった頃、在日本ロシア領事館附属聖堂司祭募集を知り、日本への正教伝道に駆り立てられたニコライは、その生涯を日本への正教伝道に捧げ、日露戦争中も日本にとどまり、日本で永眠した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とニコライ (日本大主教) · 続きを見る »

ニコライ堂

ニコライ堂(東京都千代田区)。現在の姿は1929年に修復されたもの。 ニコライ堂 1891 ニコライ堂(ニコライどう、)は東京都千代田区神田駿河台にある正教会の大聖堂。「ニコライ堂」は通称であり、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライに由来する[タイムトラベル]ニコライ堂 祈り続く丘の尖塔屋根 2012年12月20日 読売新聞 東京夕刊 3頁 写有 (全560字)。 正式名称は「東京復活大聖堂」()であり、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶する大聖堂である。 日本正教会の首座主教座大聖堂(ロシア正教会の聖堂ではない。後述)。 建築面積は約800平方メートル、緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴であり日本で初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれる。1891年に竣工し、駿河台の高台に位置したため御茶ノ水界隈の景観に重要な位置を占めた。関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在に至る。1962年6月21日、国の重要文化財に指定された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とニコライ堂 · 続きを見る »

ホーリネス

ホーリネス (Holiness) とは、聖化を指す語であり、特にこれを強調する教派の呼称とされることが多い。日本では中田重治監督を指導者とした信仰・運動・教派・教会について呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とホーリネス · 続きを見る »

ホーリネス弾圧事件

ホーリネス弾圧事件(ホーリネスだんあつじけん)は、第二次世界大戦中にホーリネス系の教会が政府から弾圧された事件である。日本のキリスト教史上、プロテスタント教会に対する最大の迫害である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とホーリネス弾圧事件 · 続きを見る »

ホーリネス・リバイバル

ホーリネス・リバイバルは中田重治監督の指導の下にあった日本のホーリネス教会(東洋宣教会ホーリネス教会)で大正中期(大正8年-9年)と昭和初期(昭和5年-8年)に起こった大規模なリバイバル(信仰復興運動)のこと。ホーリネス内部では、大正のリバイバルを「信仰のリバイバル」、昭和のリバイバルを「望みのリバイバル」と称して、ホーリネス教会史の中に位置づようとする立場がある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とホーリネス・リバイバル · 続きを見る »

ホーリネス運動

ホーリネス運動(ホーリネスうんどう)は、キリスト教・プロテスタントのムーブメントのひとつ。この運動の結果として生まれた諸教派は「聖潔派」「きよめ派」とも呼ばれる。かつては純福音派とも呼ばれた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とホーリネス運動 · 続きを見る »

ホーリネス教会

ホーリネス教会は、ジョン・ウェスレーの後継者たちの築いたメソジスト教会内部から、信仰復興のための「ホーリネス運動」が起こされた結果、生まれたキリスト教プロテスタントの教派の一つである。ホーリネス教団及びその教会をいう。メソジストと同様、神学的にはアルミニウス主義の立場をとる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とホーリネス教会 · 続きを見る »

ダニエル・クロスビー・グリーン

ダニエル・クロスビー・グリーン(Daniel Crosby Greene, 1843年2月11日 - 1913年9月15日)は、宣教師、牧師、建築家、聖書翻訳者。アメリカ合衆国マサチューセッツ州出身。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とダニエル・クロスビー・グリーン · 続きを見る »

ベルナール・プティジャン

大浦天主堂敷地内にあるプティジャンの像 ベルナール・タデー・プティジャン(フランス語:Bernard-Thadée Petitjean, 1829年6月14日 - 1884年10月7日)は、フランス出身のカトリック宣教師である。パリ外国宣教会会員として幕末の日本を訪れ、後半生を日本の布教にささげた。1865年、大浦天主堂での「隠れキリシタンの発見」(信徒発見)の歴史的瞬間に立ち会ったことで有名。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とベルナール・プティジャン · 続きを見る »

列福

列福(れっぷく、Beatificatio, Beatification)は、キリスト教、カトリック教会において徳と聖性が認められ、聖人(Santo)に次ぐ福者(Beato)の地位に上げられることをいう。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と列福 · 続きを見る »

切支丹屋敷

切支丹坂(江戸図、菅原茂兵衛、明和8年 切支丹屋敷跡の碑 切支丹屋敷(きりしたんやしき)は、江戸時代に江戸小石川小日向(現在の東京都文京区小日向1-24-8)にあったキリシタンを収容する屋敷である。キリシタン屋敷とも表記され、山屋敷とも呼ばれる 文京区。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と切支丹屋敷 · 続きを見る »

和人

和人(わじん)は、アイヌ以外の日本人または大和民族が自分たちをアイヌと区別するために用いた自称である。和人は、アイヌの側からは「シサム」「シャモ」「シサムウタラ」(「隣人」の意)と呼ばれた百科事典マイペディア,コトバンク。類義語は、倭人。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と和人 · 続きを見る »

アナトリイ・チハイ

アナトリイ・チハイ(英:Anatoly Tikhai、1838年12月5日 - 1893年12月10日)は、正教会の掌院である。本名アレクサンドル・ディミトリヴィチ・チハイ。 1838年に当時ロシア帝国であったベッサラビアのホテイナに長男として生まれる。1871年キエフ神学大学を卒業する。1871年12月7日にニコライ・カサートキンの補佐として函館に行く。1872年1月、ニコライが上京すると、函館教会の牧会をする。1874年に三井道郎に洗礼を授ける。 1880年にロシア公使館付司祭として、東京に行く。駿河台の正教会内に住んで、伝道学校の教授になる。 1880年11月ロシアに一時帰国する際に、後のイコン画家山下りんが同行する。1881年11月30日に東京本会(現在のニコライ堂)へ帰任する。1882年大阪教会を管轄し、大阪にも伝道学校を設立する。1884年、大阪伝道学校の東京の伝道学校と合併したので、東京へ戻る。1890年4月30日ロシア本国へ帰国し、1893年ペテルブルグで死去する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアナトリイ・チハイ · 続きを見る »

アメリカ合衆国長老教会

アメリカ合衆国長老教会 (The Presbyterian Church in the United States of America, 、PCUSA, )は、アメリカ合衆国にかつてあった長老派教会の教派である。アメリカ合衆国の独立後の1789年に形成され、1958年まで存在していた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアメリカ合衆国長老教会 · 続きを見る »

アメリカン・ボード

アメリカン・ボード(英語:American Board of Commissioners for Foreign Missions)は北米最初の海外伝道組織。会衆派、長老派、オランダ改革派などが加わった、無教派的な組織で、後に事実上会衆派の団体になる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアメリカン・ボード · 続きを見る »

アメリカ・オランダ改革派教会

アメリカ・オランダ改革派教会(あめりかおらんだかいかくはきょうかい。ただし、1628年から1819年まで用いられた名称はNorth American branch of the Dutch Reformed Church、1819年から1867年まではReformed Protestant Dutch Churchであった)は、アメリカに移民したオランダ改革派の信徒が、1628年にアメリカで設立した団体である。現在は、Reformed Church in America(RCA)と言い、アメリカ合衆国で二番目に大きな改革派の教団である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアメリカ・オランダ改革派教会 · 続きを見る »

アメリカ正教会

アメリカ正教会(Orthodox Church in America, 略称OCA)とはアメリカ合衆国、カナダ、メキシコを管轄する独立正教会(モスクワ総主教庁が承認、ただしコンスタンディヌーポリ総主教庁は承認せず)。 正教会は一カ国に一つの教会組織を具える事が原則であるが(アメリカ正教会以外の例としてはギリシャ正教会、ロシア正教会、日本正教会など)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳では無く、同じ信仰を有している。ただしアメリカには、アメリカ正教会以外にもコンスタンディヌーポリ総主教庁系、アンティオキア総主教庁系等の教会組織が存在し、「一カ国に一つの教会組織」の例外として際立っている(後述)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアメリカ正教会 · 続きを見る »

アルマダの海戦

アルマダの海戦(アルマダのかいせん)、アルマダ戦争(アルマダせんそう、Battle of Armada, Armada Wars)は、スペイン無敵艦隊(Spanish Armada、Grande y Felicísima Armada)のイングランド侵攻において、1588年7月から8月(旧暦7月)に英仏海峡で行われた諸海戦の総称である。 広く知られる「無敵艦隊」の名称はスペイン語Armada Invencibleの訳で、スペイン海軍のC・F・ダロ大佐が1884年に著した論文の題名が原典とされている小林幸雄は、本当ならば無敵であったはずという慨嘆と哀悼の意を題名に込めたのではないかとしている。。イングランド側視点での歴史書では、“the Invincible Armada”の名称が揶揄的な表現として稀に用いられている。本国スペインにおいては、「最高の祝福を受けた大いなる艦隊」「至福の艦隊」(Grande y Felicísima Armada)と呼ばれていた。中立な視点からは、英語の文脈ではSpanish Armada、the Armadaなどと呼ぶarmadaそのものはスペイン語の普通名詞で、これに相当する英語はnavyである。ただしヨーロッパの言語では、ある国独特の組織・地位などを半ば固有名詞的に指す場合には、その国の言葉をそのまま用いる習慣がある。Czar(ロシア皇帝)、Shogun(江戸幕府の将軍)など。。 なお、両国での暦が異なる(当時イングランドはまだグレゴリオ暦を採用していない)ため、記録上の日付も異なっている。日付はスペイン側のグレゴリオ暦とイングランド側の旧暦(ユリウス暦)を併記する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアルマダの海戦 · 続きを見る »

アレッサンドロ・ヴァリニャーノ

アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(ヴァリニャーニ、、1539年2月15日 - 1606年1月20日)は、安土桃山時代から江戸時代初期の日本を訪れたイエズス会員、カトリック教会の司祭。イエズス会東インド管区の巡察師として活躍し、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアレッサンドロ・ヴァリニャーノ · 続きを見る »

アレクシイ2世

アレクシイ(アレクシー)2世(Алексий II, 1929年2月23日 - 2008年12月5日)は第15代のモスクワ及び全ロシアの総主教、ロシア正教会首座主教であった。俗名は、アレクセイ・ミハイロヴィッチ・リディゲル(Алексей Михайлович Ридигер Alexey Mikhailovich Ridiger)である。民族的にはバルト・ドイツ系。 アレクシイ2世はポスト・ソ連期の総主教で、かつてKGBの手先や国家保守主義の支持者であったと言われながらも、ソ連崩壊後の宗教再生を見守り、彼が総主教の座にあった18年間にロシア正教会は、ソヴィエト当局から厳しい迫害や統制を受ける対象から、国のエリート政治家に好意的に受け入れられて積極的に発言するロシアの象徴的存在へと変貌を遂げた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアレクシイ2世 · 続きを見る »

アーリアン学説

アーリアン学説(アーリアンがくせつ)、アーリア人種論 は、インド・ヨーロッパ語族の諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先アーリア人から発生したものとする学説。この場合、アーリア人という名前は拡大解釈される。この拡大解釈された意味でのアーリア人をアーリア人種(アーリアじんしゅ)と呼ぶことがある。学説としての根拠に乏しく、アーリア神話とも呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアーリアン学説 · 続きを見る »

アブラハムの宗教

アブラハムの宗教(アブラハムのしゅうきょう、英語:Abrahamic religions) とは、聖書の預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐと称するユダヤ教、キリスト教、イスラム教(イスラーム)の三宗教のことである。初期のイスラームはこの概念によって、先行するユダヤ教・キリスト教とイスラームは立場が同じであることを強調した。「セム族の啓示宗教」、あるいは単に「啓示宗教」と称されることがある。 比較宗教学の観点ではインド宗教(Dharmic、Indian religions)、東アジア宗教(Taoic、East Asian religions)と並ぶ三分類の一つに位置付けられる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアブラハムの宗教 · 続きを見る »

アイヌ

アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびカムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族。母語はアイヌ語。 1878年(明治11年)、イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが1923年(大正12年)に出版された知里幸恵のアイヌ神謡集では、その発音を、ローマ字で表記するなどの工夫がされている。、生業の毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。 1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアイヌ · 続きを見る »

アジア

アジア アジアの地図 東南アジア アジア(ラテン語: Asia古典ラテン語では「アシア」だが、現代ラテン語では「アジア」とも発音する。)は、世界の大州のひとつ。現在では一般的にヨーロッパを除くユーラシア大陸全般を指すが、政治的・経済的な立場の違いにより、様々な定義がなされる場合がある。亜州。 アッシリア語で東を意味する「アス」に語源をもつ。古代では現在の小アジアを指した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアジア · 続きを見る »

アジア系民族

アジア系民族(アジアけいみんぞく)とは、アジアに住む民族、及びアジアに住む民族出身の人々を表す。一般的にはアジア人(アジアじん、英語:Asian)と言う。 アジアとは、元々ヨーロッパの東を意味する言葉であり、時代と共にその定義は変化・拡大してきている。現在でもアジアという定義の範囲は揺れており、学問的に確立しているとは言い難い。そのためアジア系民族という定義も確立していない。 また、一般的に言うアジアの範囲は広大であり、トルコ人・アラブ人・ペルシア人・インド・アーリア人のようなコーカソイド(広義の白人)、スリランカ・スンダ列島のオーストラロイド(タミル人等)、東アジアを中心としたモンゴロイド(黄色人種、東洋人)等、多種の人種が住むだけでなく、民族的・文化的にも多種多様である。それゆえ、本来は同じアジア系民族として、一纏めに分類できるものではない。以下、一般的にアジア系民族と言われるものを説明する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とアジア系民族 · 続きを見る »

イムマヌエル綜合伝道団

イムマヌエル綜合伝道団(イムマヌエルそうごうでんどうだん)は、藤本満が代表を務める日本の宗教法人である。 東京都に本部を置くプロテスタントホーリネス系福音派のキリスト教団で、ジョン・ウエスレーによる18世紀のメソジスト運動、19世紀のホーリネス運動の流れを汲んでおり、聖書の真理に立つ福音的な立場を堅持し、メソジスト的ホーリネスの宣証と世界宣教を実践しているとのこと。日本福音同盟 (Japan Evangelical Association) 、アジア福音同盟 (Evangelical Fellowship of Asia) 、また、世界福音同盟 (World Evangelical Fellowship) にも加盟しているとのこと。通称は、「インマヌエル教団」、「インマヌエル教会」であるという。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とイムマヌエル綜合伝道団 · 続きを見る »

インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とインド · 続きを見る »

インカルチュレーション

インカルチュレーション(Inculturation、文化受容の意)はキリスト教、特にカトリック教会において使用される用語で、教会の教えが非キリスト教文化に対して適応し、展開していく上で、これら非キリスト教文化からの影響を指す。日本語ではしばしば「文化的(文化内)受肉」などとも訳される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とインカルチュレーション · 続きを見る »

イングランド王国

イングランド王国(イングランドおうこく、英語:Kingdom of England)は、927年のアングロ=サクソン七王国の一つウェセックス王国の王アゼルスタンのイングランド全土統一から、1707年のスコットランド王国との合同まで存在した国家。ウェセックス王エグバートの825年のイングランド統一から最初のイングランド王と言われることが多いが、実際の称号はブレトワルダ(覇王)であった。 スコットランド王であったステュアート朝のジェームズ1世が1603年に王位を兼ねて以来、スコットランドとは同君連合の関係にあったが、アンの時代の1707年の合同法により、スコットランド王国と合同してグレートブリテン王国となった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とイングランド王国 · 続きを見る »

イエズス会

イエズス会(イエズスかい、)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設され、1540年にパウルス3世により承認された。世界各地への宣教に務め、日本に初めてカトリックをもたらした。なおイエズスは、中世ラテン語による (イエス・キリスト)の古くからのカトリックの日本語表記。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とイエズス会 · 続きを見る »

イコン

イコン(εικών, Икона, Icon, Ikon)とは、イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像(多くは平面)である。"εικών"をイコンと読むのは中世から現代までのギリシャ語による(ειは中世・現代ギリシャ語では「イ」と読む)。古典ギリシャ語再建音ではエイコーン。正教会では聖像とも呼ぶ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とイコン · 続きを見る »

イスラエル

イスラエル国(イスラエルこく、מְדִינַת יִשְׂרָאֵל メディナット・イスラエル、دولة إسرائيل ダウラト・イスラーイール、State of Israel )、通称イスラエルは、中東のパレスチナに位置する国家。北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南にエジプトと接する。ガザ地区とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府(パレスチナ国)とは南西および東で接する。地中海および紅海にも面している。首都はエルサレムであると主張しているが、国際連合などはテルアビブをイスラエルの首都とみなしている(エルサレム#首都問題を参照)。 イスラエルは、シオニズム運動を経て1948年5月14日に建国された。建国の経緯に根ざす問題は多い。版図に関するものではパレスチナ問題がよく報道される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とイスラエル · 続きを見る »

イタリア

イタリア共和国(イタリアきょうわこく, IPA:, Repubblica Italiana)、通称イタリアは南ヨーロッパにおける単一国家、議会制共和国である。総面積は301,338平方キロメートル (km2) で、イタリアではロスティバル(lo Stivale)と称されるブーツ状の国土をしており、国土の大部分は温帯に属する。地中海性気候が農業と歴史に大きく影響している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とイタリア · 続きを見る »

ウィリアム・ブース

ウィリアム・ブース(英語:William Booth、1829年4月10日 -1912年8月20日) は、イギリスのメソジスト説教者。救世軍の創立者にして初代大将(在任期間1878年-1912年)。 このキリスト教運動は1865年にロンドンで創立され、世界中に広まった。軍隊式の組織を持っているのが特徴であるが、物質的な武器に寄らずに、運動を広めていった。 救世軍は今日、世界でも最大規模の人道援助の事業団体の一つとして知られている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とウィリアム・ブース · 続きを見る »

ウィリアム・アダムス

ウィリアム・アダムス(William Adams, 1564年9月24日 - 1620年5月16日(元和6年4月24日))は、江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人航海士・水先案内人・貿易家。三浦 按針(みうら あんじん)の日本名でも知られる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とウィリアム・アダムス · 続きを見る »

ウィリアム・スミス・クラーク

さっぽろ羊ヶ丘展望台のクラーク像 北広島市のカントリーサイン ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826年7月31日 - 1886年3月9日)は、アメリカ合衆国の教育者。化学、植物学、動物学の教師。農学教育のリーダー。 1876年(明治9年)札幌農学校(現北海道大学)開校。初代教頭。同大学では専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教えた。この他、学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じた。のちに学生たちは「イエスを信じる者の誓約」に次々と署名し、キリスト教の信仰に入る決心をした。日本ではクラーク博士として知られる。日本人から見るといわゆる「お雇い外国人」のひとりである。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とウィリアム・スミス・クラーク · 続きを見る »

ウィルフリード・スピンナー

ハインリヒ・ウィルフリード・スピンナー(Heinrich Wilfried(Wilfrid) Spinner、1854年10月12日 - 1918年8月31日)は、ドイツの普及福音教会より日本に派遣されたスイス人の宣教師である。姓はシュピンナーやスピンネルとも表記される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とウィルフリード・スピンナー · 続きを見る »

エディンバラ宣教会議

ディンバラ宣教会議(エディンバラせんきょうかいぎ、The 1910 World Missionary Conference,the Edinburgh Missionary Conference)は、1910年に開催されたエキュメニカル運動の出発点になったキリスト教の宣教会議。古い訳では万国基督教宣教師大会。日本の東京女子大学の設立はこの会議の決議による。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とエディンバラ宣教会議 · 続きを見る »

エホバの証人

ホバの証人を設立したチャールズ・テイズ・ラッセル(1911年撮影) ウォーウィックの世界本部 エホバの証人(エホバのしょうにん、Jehovah's Witnesses)はキリスト教系の新宗教。ものみの塔聖書冊子協会などの法人が各国にあり、ほぼ全世界で活動しており、「神の王国」という国境なき世界政府の確立を支持している。聖書は主に新世界訳聖書を使用している。また、キリスト教主流派が重要視する基本信条を否定しているため、主流派から異端とされている- ローマ教皇庁による2008年4月の公式見解。エホバの証人をプロテスタントのセクト(異端)としている。- アメリカ正教会「正教会のキリスト教徒と異端者」 。一般的には熱心な伝道活動を行うこと、輸血を拒否すること、戦争に参加しない事などで知られている「三大異端」に言及。- 伊藤正孝、市雄貴『血を拒む「エホバの証人」--異端の輝きと悲惨』朝日ジャーナル:第27巻第27号(1985),p22.

新しい!!: 日本のキリスト教史とエホバの証人 · 続きを見る »

エキュメニズム

ュメニズム(Ecumenism)とは、キリスト教の教派を超えた結束を目指す主義、キリスト教の教会一致促進運動のことである。世界教会主義(せかいきょうかいしゅぎ)ともいう。転じて、キリスト教相互のみならず、より幅広くキリスト教を含む諸宗教間の対話と協力を目指す運動のことを指す場合もある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とエキュメニズム · 続きを見る »

オランダ商館

ランダ商館(オランダしょうかん)は、オランダ東インド会社によって設けられた貿易の拠点。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とオランダ商館 · 続きを見る »

オットー・シュミーデル

ットー・シュミーデル(Otto Schmiedel, 1858年 - 1926年)は、ドイツ出身の普及福音教会の宣教師である。 1858年にザクセン王国で生まれる。ライプツィヒ大学でセム学を学び、ヘルマン・グーテ (Herman Guthe) や、アドルフ・フォン・ハルナックに師事する。 イェーナ大学で実兄のパウル・シュミーデル (1851 - 1935) に師事、史的イエスの研究を行う。また、リヒャルト・アダルバート・リプジウス (Richard Adalbert Lipsius, 1830-1892) よりドイツ観念論、カント批判主義、理想主義を学ぶ。 1887年に普及福音教会の宣教師として来日。キリスト教系雑誌『六合雑誌』の編集に携わる。1892年に帰国して、ドイツのゲッテルで牧師になる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とオットー・シュミーデル · 続きを見る »

カムイ

ムイ(kamuy)日本語での地名表記などにおいては、漢字を当て、神威、神居としばしば表記される。は、アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在のこと。アイヌ民族の伝統的信仰は日本神道に近いとする説もあり、その場合多神教に分類される。カムイが日本語のカミと共通起源の語彙であるとする説もある。 日本語の「カミ」と同様、「霊」や「自然」と表現してもおかしくない(キリスト教の神のような唯一絶対の存在ではない)。日本神道の「八百万の神」も、アイヌの信仰文化と同様の「アニミズム」の特徴があるという説もある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカムイ · 続きを見る »

カトリック名古屋教区

トリック名古屋教区(カトリックなごやきょうく、Roman Catholic Diocese of Nagoya)は、愛知県名古屋市に司教座を置くキリスト教・カトリック教会の司教区である。司教座聖堂(カテドラル)は布池教会。愛知県、岐阜県、石川県、福井県、富山県を管轄区域としている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック名古屋教区 · 続きを見る »

カトリック山手教会

トリック山手教会(サイドから) カトリック山手教会(カトリックやまてきょうかい)は、神奈川県横浜市にあるキリスト教カトリックの教会および聖堂。英語名はSacred Heart Cathedral(聖心大聖堂)。カトリック横浜司教区の司教座聖堂(カテドラル、大聖堂)である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック山手教会 · 続きを見る »

カトリック中央協議会

宗教法人カトリック中央協議会(Catholic Bishops' Conference of Japan)は、日本カトリック司教協議会(カトリック教会法に基づく常設組織)の法人としての名称。宗教法人としては包括宗教法人。 宗教法人法の公布および施行(1951年)に伴い、1952年(昭和27年)に現在の名称で法人登録した。所在地は、東京都江東区潮見2-10-10。 近くには、「蟻の町のマリア」で知られるカトリック潮見教会がある。 現在の会長は長崎教会管区大司教であるヨセフ高見三明大司教が、副会長は大阪教会管区大司教であるトマス・アクイナス前田万葉大司教が務めている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック中央協議会 · 続きを見る »

カトリック神田教会

トリック神田教会(カトリックかんだきょうかい)は、東京都千代田区にあるカトリックの教会。カトリック東京大司教区に所属する小教区の教会で、教会堂名は「聖フランシスコ・ザビエル」である。 カトリック築地教会と同じく、東京においてキリシタン禁教の解禁後に比較的早い段階から日本人のために開かれていた教会で、現在の聖堂は、「カトリック神田教会聖堂」の名称で国の登録有形文化財に登録されている。 なお、日本正教会にもかつて「神田教会」の名を持つ教会があったが、1974年(昭和49年)に東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)に組織的に統合されたため、現在では存在しない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック神田教会 · 続きを見る »

カトリック築地教会

トリック築地教会(かとりっくつきじきょうかい)は、東京都中央区明石町にあるキリスト教(カトリック)の教会およびその聖堂である。教会堂名は「聖ヨゼフ」。 カトリック神田教会と同じく、東京で比較的早い段階から日本人のために開かれていた教会で、現在の聖堂は東京都選定歴史的建造物および東京都中央区の区民文化財に指定されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック築地教会 · 続きを見る »

カトリック関口教会

トリック関口教会(かとりっくせきぐちきょうかい)は、東京都文京区関口にあるキリスト教(カトリック)の教会。カトリック東京大司教区の司教座聖堂(カテドラル)であり、教会堂名(聖堂名)が「無原罪の聖母」(聖母マリア)であることから、東京カテドラル聖マリア大聖堂(とうきょうカテドラルせいマリアだいせいどう)として知られている。 本項では、教会(信仰共同体)としてのカトリック関口教会だけでなく、建築物としての東京カテドラル聖マリア大聖堂についても記述する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック関口教会 · 続きを見る »

カトリック長崎大司教区

浦上教会(浦上天主堂) カトリック長崎大司教区(カトリックながさきだいしきょうく, Archidioecesis Nagasakiensis, )は、長崎県長崎市に司教座を置くキリスト教・カトリック教会の教区。司教座聖堂は浦上教会。管轄区域は長崎県1県だが、日本では東京大司教区に次いで信者数が多い教区で、大司教が管理する大司教区である。九州・沖縄地方の教区を統括する教会管区ともなっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック長崎大司教区 · 続きを見る »

カトリック東京大司教区

トリック東京大司教区(カトリックとうきょうだいしきょうく、Roman Catholic Archdiocese of Tokyo)は、東京都文京区に司教座を置くカトリック教会の司教区である。司教座聖堂は関口教会。東京都と千葉県を管轄区域としており、日本では信者数が最も多い教区で、大司教が管理する大司教区である。東日本のカトリックの教区を統括する教会管区ともなっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック東京大司教区 · 続きを見る »

カトリック本所教会

トリック本所教会(かとりっくほんじょきょうかい)は、東京都墨田区石原にあるカトリック東京大司教区の教会ならびにその聖堂。聖堂名は「日本26聖人殉教者」である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック本所教会 · 続きを見る »

カトリック浅草教会

トリック浅草教会(かとりっくあさくさきょうかい)は、東京都台東区浅草橋にあるキリスト教(カトリック)の教会およびその聖堂である。教会堂名は「聖パウロ」。 東京で比較的早い段階から日本人のために設立された教会で、明治初期から明治後期にかけて東京6教会で最も多い信徒数となり、大きく活動した教会である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック浅草教会 · 続きを見る »

カトリック教会

トリック教会(カトリックきょうかい、)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカトリック教会 · 続きを見る »

カピタン

復元された出島商館内部 カピタン(甲比丹、甲必丹、加比旦)とは江戸時代、東インド会社が日本に置いた商館の最高責任者「商館長」のこと。元はポルトガル語で「仲間の長」という意味があり、日本は初めにポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を開始したため、西洋の商館長をポルトガル語の Capitão(カピタン)で呼ぶようになった。その後ポルトガルに代わりオランダが貿易の主役になったが、この呼び名は変わらなかった。本来オランダでは商館長のことを Opperhoofd(オッペルホーフト)と呼ぶが、日本では使われなかった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカピタン · 続きを見る »

カピタン・モール

ピタン・モール()は、大航海時代にポルトガルからインド(ゴア)に、あるいはインドからアジア各地に派遣された船隊の司令官のこと。 カピタン・モールはポルトガル王による任命で1回の航海ごとに更任されることとなっており、在職中は管轄する船隊の一切の指揮、通商行為の全権を一任され、場合によっては派遣先に駐在する在留ポルトガル人や船舶に対する命令権や派遣先の政府に対する軍事・外交権限を与えられる場合があった。その権限とそれがもたらす名誉と経済的利益から、カピタン・モールには国家の功労者や王の側近が任じられることが多かった。また、ポルトガルのカピタン・モールは、貿易と並行して植民地拡大のための軍事指揮官としての要素も併せ持っていたために軍務経験が必要な要件と考えられていた。 1557年にポルトガルがマカオの居留権を得ると、同地にカピタン・モールが派遣されて行政長官を兼ねた。だが、船隊の司令官として日本など外洋への航海に出ることが多いカピタン・モールがマカオの市政を掌握することは困難であり、住民の反感から1585年にマカオに都市としての特許が与えられて、一定の住民自治が認められるようになり、1623年にはカピタン・モールとマカオの行政から切り離された。 なお、後発のオランダやイングランドは「会社」方式を採用して、船隊の司令官は原則として非軍人の「商務員」()が務めた。従って、江戸時代に長崎出島にいたオランダ商館長(カピタン)も原則として軍人ではない東インド会社の社員などが任命されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とカピタン・モール · 続きを見る »

ガスパル・ヴィレラ

パル・ヴィレラ(、 大永5年(1525年)? - 元亀3年(1572年))は、ポルトガル人イエズス会員でカトリック教会の司祭。日本のキリスト教史上最初期の宣教師の一人で、京都での布教を開始した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とガスパル・ヴィレラ · 続きを見る »

ガスパール・コエリョ

パール・コエリョ(、 1530年-1590年5月7日)はポルトガル出身で戦国時代の日本で活動したイエズス会司祭、宣教師。イエズス会日本支部の準管区長をつとめた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とガスパール・コエリョ · 続きを見る »

キリシタン

リシタン(吉利支丹、Cristão)は、日本の戦国時代から江戸時代、更には明治の初めごろまで使われていた日本語(古語口語)である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とキリシタン · 続きを見る »

キリシタン大名

リシタン大名(キリシタンだいみょう、吉利支丹大名)は、戦国時代から江戸時代初期にかけてキリスト教に入信、洗礼を受けた大名のことである。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とキリシタン大名 · 続きを見る »

キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とキリスト教 · 続きを見る »

キリスト教の歴史

本項では、成立期から近代に到るまでのキリスト教の歴史(キリストきょうのれきし)を概説する。 キリスト教とは何か、聖典である『聖書』の範囲がどこまでかは、「キリスト教」を名乗る教団の中でも定義は一定していない。そこで本項では、キリスト教を自称する教派・教団を網羅的に取り扱うものとし、紀元後1世紀前半からはじまるその歴史を、近代に到るまで概観する。近代以降の展開については「キリスト教」の頁の「近代以降のキリスト教の展開」の節を参照。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とキリスト教の歴史 · 続きを見る »

キリスト教主義学校

リスト教主義学校(キリストきょうしゅぎがっこう、)は、キリスト教の教えを教育理念とし設立され、運営されている私立学校をいう。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とキリスト教主義学校 · 続きを見る »

キリスト教年表

リスト教年表(キリストきょうねんぴょう)では、キリスト教宣教史に関する重要なできごとを年表としてまとめる。 ---- 1世紀 2世紀 3世紀 4世紀 5世紀 6世紀 7世紀 8世紀 9世紀 10世紀 ---- 11世紀 12世紀 13世紀 14世紀 15世紀 16世紀 17世紀 18世紀 19世紀 20世紀 21世紀 ----.

新しい!!: 日本のキリスト教史とキリスト教年表 · 続きを見る »

キリスト教徒

リスト教徒(キリストきょうと、Christianus; クリスティアーヌス)あるいはクリスチャン(Christian)とは、キリスト教の信徒のことである。 キリスト教はいくつかの教派に分かれているが、ナザレのイエスを救世主キリスト(メシア)と信じ、旧約聖書に加えて、新約聖書に記されたイエスや使徒たちの言行を信じ従い、その教えを守る者がキリスト教徒であると言える。 日本では、明治時代以前、キリスト教徒のことを「キリシタン」と呼んだ。近現代の日本のキリスト教徒はキリスト者(きりすとしゃ)と自称することがある。日本正教会ではロシア語から「ハリスティアニン(Христианин)」との転写も用いられる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とキリスト教徒 · 続きを見る »

キリスト教青年会

リスト教青年会(キリストきょうせいねんかい、Young Men's Christian Association)、通称YMCAは、キリスト教主義に立ち、教育・スポーツ・福祉・文化などの分野で様々な事業を展開する、150年以上の歴史を持つ世界的な組織である。世界的にはYMCAが通用名である。活動理念の根幹にキリスト教精神を据えているが、ボランティアおよびプログラムの参加者の信仰を規定してはいない。 日本では、1880年(明治13年)に初めて東京にYMCAが設立されて以来(東京YMCA)、全国の主要な都市・大学にYMCAの活動拠点がある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とキリスト教青年会 · 続きを見る »

ギヨーム・ジョゼフ・シャミナード

ャミナード ギヨーム・ジョゼフ・シャミナード(Guillaume-Joseph Chaminade, 1761年4月8日 - 1850年1月22日)は、フランス出身のカトリックの司祭である。1816年にアデル・ド・トランケレオン(修道女)と共に汚れなきマリア修道会を、1817年にはマリア会を創立した。2000年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。 一族に作曲家・ピアニストのセシル・シャミナード(1857年 - 1944年)がいる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とギヨーム・ジョゼフ・シャミナード · 続きを見る »

ギリシャ正教会

リシャ正教会(ギリシャせいきょうかい)は、以下の三通りの意義に使われる、キリスト教の教派・教会組織を指す言葉。本項では下記1番の用例による、ギリシャ共和国に存在するギリシャ正教会について詳述する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とギリシャ正教会 · 続きを見る »

クリスマス

リスマス()は、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭である(誕生日ではなく降誕を記念する日)『キリスト教大事典 改訂新版』350〜351頁、教文館、1977年 改訂新版第四版。毎年12月25日に祝われるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う()。ただし、キリスト教で最も重要な祭と位置づけられるのはクリスマスではなく、復活祭である正教会の出典:()カトリック教会の出典:(カトリック中央協議会)聖公会の出典:(日本聖公会 東京教区 主教 植田仁太郎)プロテスタントの出典:『キリスト教大事典』910頁、教文館、1973年9月30日 改訂新版第二版。 キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。教会では降誕祭といった表記もある。 一般的年中行事としても楽しまれ、ジングルベルなどのクリスマスソングは多くの人に親しまれている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とクリスマス · 続きを見る »

クリスチャントゥデイ

リスチャントゥデイ(英語:Christian Today)は、日本のキリスト教系新聞・インターネットメディア。2002年からインターネット上での報道を開始し、2004年と2009年には紙媒体も発行した。2013年からは出版事業も行っている。 なお、アメリカのキリスト教雑誌「クリスチャニティ・トゥデイ」、また韓国の同名のキリスト教新聞「クリスチャントゥデイ」とは別媒体であるが、クリスチャン新聞の報道では韓国クリスチャントゥデイ、(米国)クリスチャンポスト及びベレコムから資金援助を受けたとされる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とクリスチャントゥデイ · 続きを見る »

クリスチャン新聞

リスチャン新聞(くりすちゃんしんぶん)はいのちのことば社から発行されている福音派系の週刊キリスト教全国紙である。 昭和42年(1967年)5月1日に創刊された。B3版の8ページの週刊新聞である。創立者はケネス・マクビーティ、歴代編集長は関栄二、守部喜雅、根田祥一、中野晶正、髙橋昌彦である。 聖書信仰の確立、世界宣教のビジョン、健全な教会成長、実際生活の指針、を編集方針に掲げてきた。文書伝道を目的に月刊クリスチャン新聞福音版も発行している。紙ベースでの発行のほか、2014年から電子版(無料版/有料版)も開始した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とクリスチャン新聞 · 続きを見る »

クレメンス11世 (ローマ教皇)

レメンス11世(Clemens XI, 1649年7月23日 - 1721年3月19日)はローマ教皇(在位:1700年 - 1721年)。本名はジョバンニ・フランチェスコ・アルバーニ(Giovanni Francesco Albani)。フランスに興ったジャンセニスムを弾劾し、中国の典礼論争においてイエズス会の文化適応政策を批判。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とクレメンス11世 (ローマ教皇) · 続きを見る »

グレゴリウス13世 (ローマ教皇)

レゴリウス13世(Gregorius XIII,1502年1月7日 - 1585年4月10日)は、第226代ローマ教皇(在位:1572年 - 1585年)。本名はウーゴ・ブオンコンパーニ(Ugo Buoncompagni)。学問を好み、奨励したことで知られ、その治世にずれが累積していたユリウス暦を廃し、グレゴリオ暦とよばれる新暦を採用したことでも有名。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とグレゴリウス13世 (ローマ教皇) · 続きを見る »

グイド・フルベッキ

イド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック(Guido Herman Fridolin Verbeck、あるいはVerbeek、1830年1月23日 - 1898年3月10日)は、オランダ出身で、アメリカ合衆国に移民し、日本に宣教師として派遣され活躍した法学者・神学者・宣教師。 日本で発音されやすいようフルベッキと称したことから、現在に至るまでこのように表記されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とグイド・フルベッキ · 続きを見る »

コレジオ

レジオ(、学林)は、聖職者育成及び一般教養のための高等教育機関(大神学校)である。コレジヨともいう。狭義では、イエズス会によって1581年(天正9年)に豊後国府内(現大分県大分市)に設置されたものを指す。その施設は島原の加津佐(現長崎県南島原市)を経て、熊本の天草(現熊本県天草市)に移転した。 現在は、旧長崎大司教館に設けられたカトリック長崎大司教区が運営する司祭を目指す神学生の寄宿学習施設「長崎コレジオ」として名を残している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とコレジオ · 続きを見る »

コスメ・デ・トーレス

メ・デ・トーレス(Cosme de Torres, 1510年 - 1570年10月2日)はフランシスコ・ザビエルと共に戦国時代の日本を訪れたイエズス会宣教師。 カトリック教会の司祭。ザビエルの意志を受けて18年にわたって日本で宣教。彼の目指した「適応主義」(宣教師が現地の文化に根ざして生きること)は当時のヨーロッパ人の限界を超えた思想であり、日本におけるキリスト教布教の成功をもたらした。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とコスメ・デ・トーレス · 続きを見る »

シャルトル聖パウロ修道女会

ャルトル聖パウロ修道女会(シャルトルせいパウロしゅうどうじょかい、Soeurs de Saint Paul de Chartres、Sisters of St.、略称: S.P.C.)は、イタリアのローマに総本部を置くキリスト教 カトリック教会の女子修道会。現在、35か国で4,000人の修道女が活動している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とシャルトル聖パウロ修道女会 · 続きを見る »

ショファイユの幼きイエズス修道会

ョファイユの幼きイエズス修道会(略語、EJ)は、カトリック教会の女子修道会。 1859年、レーヌ・アンティエによってフランスのショファイユで創立されて、フランスを中心にカナダ、チャド、ドミニカ共和国等世界各国で福祉、教育で活動している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とショファイユの幼きイエズス修道会 · 続きを見る »

ジャン・ピエール・レイ

ャン・ピエール・レイ(Jean Pierre Rey、1858年11月3日 - 1930年5月25日)は、キリスト教・カトリックのフランス人宣教師である。パリ外国宣教会所属で、1882年(明治15年)5月に来日し、1912年(明治45年)6月にカトリック東京大司教区の大司教(教区長)に就任した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とジャン・ピエール・レイ · 続きを見る »

ジョナサン・ゴーブル

ョナサン・ゴーブル(Jonathan Goble、1827年3月4日 - 1896年5月1日)は、アメリカ北部バプテストの宣教師、聖書販売人、軍人。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とジョナサン・ゴーブル · 続きを見る »

ジョン・リギンズ (宣教師)

ョン・リギンズ(John Liggins、1829年5月11日 - 1912年1月7日)は、米国聖公会から派遣されたプロテスタントの宣教師。日本における最初のプロテスタント宣教師とされている。 はじめ、チャニング・ウィリアムズ(Channing Moore Williams)と共に中国で宣教を行っていたが、マラリアに感染し、その療養のために来日。1859年5月、長崎に上陸し、英語教師として活動を行った。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とジョン・リギンズ (宣教師) · 続きを見る »

ジョン・ストット

ョン・ロバート・ワルムスレィ・ストット(John Robert Walmsley Stott、1921年4月27日 - 2011年7月27日)は、英国国教会司祭。福音派運動の世界的なリーダーであった。イギリスキリスト者学生会(Intervarsity Christian Fellowship)を指導した。ローザンヌ誓約(The Lausanne Covenant)の起草委員長を務め、聖公会内の福音主義運動組織(The National Evangelical Aglican Congress in the UK)の指導者を務めた。聖書通読を推進している聖書同盟(Scripture Union)の責任者。福音的な文書出版の機関であるEvangelical Literature Trustの責任的立場を務め、世界宣教と福音主義運動の旗手として第三世界の諸教会の成長発展のために奉仕を行った。卓越した講解説教者としてまた、現代的なセンスをもった神学者として知られていた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とジョン・ストット · 続きを見る »

ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ

ョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(シドッチ、Giovanni Battista Sidotti、寛文8年(1668年) - 正徳4年10月21日(1714年11月27日))は、イタリア人のカトリック司祭。江戸時代中期の日本へ潜入して捕らえられ、その死まで江戸で幽閉された。時の幕政の実力者、新井白石はシドッティとの対話をもとに『西洋紀聞』などを著した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ · 続きを見る »

ジェルマン・レジェ・テストウィード

ェルマン・レジェ・テストウィード(Germain Leger Testvuide、1849年10月2日 - 1891年8月4日)は、パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師である。1873年(明治6年)9月に来日し、西関東及び東海地方の宣教に従事したのち、1889年(明治22年)に神山復生病院を設立した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とジェルマン・レジェ・テストウィード · 続きを見る »

ジェームス・ハミルトン・バラ

ェームス・ハミルトン・バラ(James Hamilton Ballagh、1832年9月7日 - 1920年1月29日)は幕末から明治初期にかけて来日したアメリカ・オランダ改革派教会派遣のアメリカ人宣教師。日本で最初にできたプロテスタント教会の牧師。明治期のプロテスタント教会に大きな影響を与えた。当時は、バラン、バラ―とも表記された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とジェームス・ハミルトン・バラ · 続きを見る »

ジェームス・カーティス・ヘボン

ェームス・カーティス・ヘボン(、1815年3月13日 - 1911年9月21日)は、米国長老派教会の医療伝道宣教師、医師。ペンシルベニア州ミルトン出身。 ヘボン式ローマ字の考案者として知られており、これは彼が編纂した初の和英辞典である『和英語林集成』における日本語の表記法が元になっている。 姓の「ヘボン」は原語の発音を重視した仮名表記とされており、本人が日本における名義として用いたことで彼固有の表記として定着したものだが、Hepburn 全般の音訳としては「ヘプバーン」「ヘップバーン」が普及したことから、彼の姓もそれに従って表記される場合がある。 幕末に訪日し、横浜で医療活動を行った。宣教師デュアン・シモンズと共に、横浜の近代医学の基礎を築いたといわれる。その功績を称えて、横浜市立大学医学部にはヘボンの名を冠した講堂「ヘボンホール」がある。 また、東京で明治学院(現在の明治学院高等学校・明治学院大学)を創設し、初代総理に就任。日本の教育にも貢献した。聖書の日本語訳にも携わったことで知られる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とジェームス・カーティス・ヘボン · 続きを見る »

スペイン

ペイン王国(スペインおうこく、Reino de España)、通称スペインは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。首都はマドリード。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とスペイン · 続きを見る »

セミナリヨ

ミナリヨ()は、歴史用語で、イエズス会によって日本に設置され、1580年から1614年の間に存在したイエズス会司祭・修道士育成のための初等教育機関(小神学校)のこと。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とセミナリヨ · 続きを見る »

セルギイ (日本府主教)

府主教セルギイ(ふしゅきょうセルギイ、俗名ゲオルギー・アレクセーヴィチ・チホミーロフ, Георгий Алексеевич Тихомиров、1871年6月16日 - 1945年8月10日)は、ロシア人の聖職者で、ロシア正教会の修道士。のちに日本正教会の府主教を務めた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とセルギイ (日本府主教) · 続きを見る »

ソビエト連邦

ビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、Союз Советских Социалистических Республик)は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもある。首都はモスクワ。 多数ある地方のソビエト共和国の政治および経済の統合は、高度に中央集権化されていた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とソビエト連邦 · 続きを見る »

ソピアー

ピアー、ソフィア(Σοφια,Sophia)または叡智(えいち)は、智慧の象徴である。グノーシス主義やユダヤ教などではアイオーンの名で、この世の起源に関して重要な役割を持つ。人間の救済における元型象徴とも見なせる。ソピアーはまた古代ヘレニズム世界で、智慧を象徴する女神とも考えられた。 キリスト教におけるソピアーは神の知恵を表している。日本の文献では早くとも16世紀末から上智(じょうち)という訳語が用いられる。後世には知恵、叡智とも訳され、日本ハリストス正教会では睿智(えいち)と訳される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とソピアー · 続きを見る »

サミュエル・ロビンス・ブラウン

ミュエル・ロビンス・ブラウン(Samuel Robbins Brown、1810年6月16日-1880年6月20日)は、アメリカ・オランダ改革派教会から派遣された宣教師。イェール大学、ユニオン神学校卒業。モリソン記念学校で教鞭をとる。明六社会員。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とサミュエル・ロビンス・ブラウン · 続きを見る »

サレジオ会

レジオ会(Societas Sancti Francisci Salesii、Society of Saint Francis de Sales、Salesians of Don Bosco、略称: S.D.B.)は、北イタリアの司祭ヨハネ・ボスコによって1859年に結成されたローマ・カトリック教会の修道会。会員数の規模はイエズス会に次ぐ。サレジオ修道会とも呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とサレジオ会 · 続きを見る »

サン=フェリペ号事件

ン=フェリペ号事件(サン=フェリペごうじけん)は、文禄5年(1596年)に起こった日本の土佐国でのスペインのガレオン船、サン=フェリペ号が漂着、その乗組員の発言が大問題となった事件日本大百科全書『サン・フェリペ号事件』文責松田毅一。。豊臣秀吉の唯一のキリスト教徒への直接的迫害である日本二十六聖人殉教のきっかけとなったとされる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史とサン=フェリペ号事件 · 続きを見る »

唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と唐 · 続きを見る »

唐津藩

唐津藩(からつはん)は、肥前国唐津を支配した藩。居城は唐津城(佐賀県唐津市)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と唐津藩 · 続きを見る »

儒学者

儒学者(じゅがくしゃ)とは、儒教を自らの行為規範にしようと儒教を学んだり、研究・教授する人のことである。一般的には儒者(じゅしゃ、ずさ)と称され、特に儒学を学ぶものは儒生(じゅせい)と呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と儒学者 · 続きを見る »

内村鑑三

内村 鑑三(うちむら かんぞう、万延2年2月13日(1861年3月23日)- 昭和5年(1930年)3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と内村鑑三 · 続きを見る »

出島

出島(でじま)は、1634年江戸幕府の政策の一環として長崎に築造された人工島である。扇型になっており面積は3969坪(約1.5ヘクタール)。1636年から1639年まで対ポルトガル貿易、1641年から1859年までオランダ東インド株式会社(AVOCアムステルダムに本部のあるVereenigde Oostindische Compagnie)を通して対オランダ貿易が行われた。出島全体は大正11年(1922年)10月12日、「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されている。 現在は、高度経済成長期以降の埋め立て工事とビル建設により、出島の周囲は全て陸地になっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と出島 · 続きを見る »

函館

函館(はこだて);地名・行政区分.

新しい!!: 日本のキリスト教史と函館 · 続きを見る »

八十年戦争

八十年戦争(はちじゅうねんせんそう、Tachtigjarige Oorlog)は、1568年から1648年にかけて(1609年から1621年までの12年間の休戦を挟む)ネーデルラント諸州がスペインに対して反乱を起こした戦争。これをきっかけに後のオランダが誕生したため、オランダ独立戦争と呼ばれることもある『スペイン・ポルトガルを知る事典』(平凡社)や『世界史B用語集』(山川出版社)等で、オランダ独立戦争の名称も並称されている。。この反乱の結果として、ネーデルラント17州の北部7州はネーデルラント連邦共和国として独立することになった。北部7州は、1581年にスペイン国王フェリペ2世の統治権を否認し、1648年のヴェストファーレン条約によって独立を承認された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と八十年戦争 · 続きを見る »

共同訳聖書

共同訳聖書(きょうどうやくせいしょ)は、エキュメニズムの流れを受けで世界各国でカトリック教会とプロテスタント諸派の共同作業により各国語に翻訳された聖書のことである。第2バチカン公会議以降、各国で取り組まれている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と共同訳聖書 · 続きを見る »

共産主義

主にマルクス・レーニン主義系の共産主義のシンボルともされる赤い星 共産主義(きょうさんしゅぎ、Communism、Коммунизм)とは、政治や経済分野での思想や理論、運動、政治体制のひとつ、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。その理念、共有化の範囲や形態、あるいは共産主義社会実現のための方法論などには古くから多数の議論があり、このため「共産主義」の定義は多数存在している。 共産主義のシンボルには、社会主義と同様に赤色や赤旗が広く使用されている。また特にマルクス・レーニン主義系の共産主義を表すシンボルには赤い星や鎌と槌なども使用されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と共産主義 · 続きを見る »

典礼

典礼(てんれい)とは、定まった儀式・儀礼あるいはこれを司る役である。通常はキリスト教(カトリック教会)のそれを指すことが多いが、釈奠典礼とも呼称される儒教の祖孔子を祀る儀礼である釈奠なども一般に典礼と呼ばれる。 本項目ではカトリック教会における典礼、すなわち公的礼拝およびその様式について述べるが、媒体によってはカトリック教会に限定されない術語として「典礼」が用いられる場合もあるため、キリスト教の他教派のものについても部分的に解説する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と典礼 · 続きを見る »

典礼聖歌

『典礼聖歌(てんれいせいか)』とは、日本国のカトリック教会の諸典礼で標準的に使用される聖歌集。昭和40年代にミサの使用言語がラテン語から日本語に変えられた当時、使徒書朗読後に歌われた昇階唱に代わる答唱詩編として公開された。現在ではミサ曲、教会の祈り(新しい聖務日課)、季節の讃歌、一般讃歌、アレルヤ唱、(四旬節)詠唱も収録され、日本語ミサ聖祭の全てをフォローするものになっている。 そのほとんどを高田三郎が作曲。典礼用詩編書からとられた詩編の数節に、リフレインを交えて歌う独自の形式のため、カトリック=グレゴリアンをイメージすると全く困惑することになる。ラテン語歌詞はすべて排除されているが、聖金曜日の典礼用に一部ギリシャ語を含む聖歌がある。 これ以前には各司教区ごとに発行されていたグレゴリオ聖歌集を統合する目的で刊行された『公教典礼聖歌集』、そしてその簡略版である『公教聖歌集』(のちに『カトリック聖歌集』と改称)が広く用いられていたが、昭和40年代までになされたミサの国語化に伴い、当時、使徒書朗読後に歌われた昇階唱に代わる答唱詩編の整備が急務とされた。 典礼改革により、昇階唱が詩編の1節のみだったのに対し、答唱詩編では複数節にまたがって歌われるようになった。 『答唱詩編集』は分冊で発刊されたが、最終的には『典礼聖歌』として一冊の本になった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と典礼聖歌 · 続きを見る »

元和の大殉教

元和大殉教図 元和の大殉教(げんなのだいじゅんきょう)とは、江戸時代初期の元和8年8月5日(1622年9月10日)、長崎の西坂でカトリックのキリスト教徒55名が火刑と斬首によって処刑された事件である。日本のキリシタン迫害の歴史の中でも最も多くの信徒が同時に処刑された。この事件後、幕府による弾圧はさらに強化されていく。また、オランダ商館員やイエズス会宣教師によって詳細が海外に伝えられたため、26聖人の殉教と並んで日本の歴史の中で最もよく知られた殉教事件の1つとなっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と元和の大殉教 · 続きを見る »

前田事件

前田事件(まえだじけん)は、1905年(明治38年)11月発行の『通俗宗教談』第38号に掲載された論説を発端に、当時のカトリック東京大司教区で起こった騒動である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と前田事件 · 続きを見る »

国家社会主義ドイツ労働者党

国家社会主義ドイツ労働者党(こっかしゃかいしゅぎドイツろうどうしゃとう、Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei 、略称: NSDAP)は、かつて存在したドイツ国の政党。一般にナチス、ナチ党などと呼ばれる(詳細は#名称を参照)。1919年1月に前身のドイツ労働者党が設立され、1920年に改称した。指導者原理に基づく指導者(Führer)アドルフ・ヒトラーが組織全体の意思決定を行い、カリスマ的支配を行っていた。1933年の政権獲得後、ドイツ国に独裁体制を敷いたものの(ナチス・ドイツ)、1945年にドイツ国が第二次世界大戦で敗戦し崩壊したことに伴い事実上消滅し、連合国によって禁止(非合法化)された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と国家社会主義ドイツ労働者党 · 続きを見る »

国家神道

国家神道(こっかしんとう)とは、近代天皇制国家において作られた一種の国教制度『日本大百科全書』(小学館)”国家神道"、あるいは祭祀の形態の歴史学的呼称である。「国体神道(こくたいしんとう)」や「神社神道(じんじゃしんとう)」、単に「神社(じんじゃ)」とも称した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と国家神道 · 続きを見る »

国立京都国際会館

国立京都国際会館、正面玄関 国立京都国際会館(こくりつきょうとこくさいかいかん、英語:Kyoto International Conference Center、略称:ICC Kyoto)は、日本の国際会議施設の一つ。京都府京都市左京区岩倉に所在し、宝が池公園に隣接する。運営は、公益財団法人国立京都国際会館。 敷地面積156,000m2。建築物は、日本人建築家・大谷幸夫の設計による代表作である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と国立京都国際会館 · 続きを見る »

国粋主義

錦旗。 国粋主義(こくすいしゅぎ、Japanese nationalism)とは、近代の日本における国家主義の一形態で、衆議院議員の志賀重昂が1888年に雑誌『日本人』にて発表した論文「国粋保存旨義」の中で使用された用語。明治維新に始まる極端な西欧文化の流入による近代化に警笛を鳴らし、当時の明治政府の政策を欧化主義として非難したもので、日本人の本来の文化や歴史、その長所を尊ぶことを主張している。即ち天皇を頂点とする日本の国家体制を支持し、その優越性と長久性を強調する国体論が主となっている。 一般論としての国粋主義は、国家に固有の文化・伝統を礼賛して愛国心や愛郷心で意識の発揚をはかる、思想や運動のことで、一般的には保守思想の一つとされる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と国粋主義 · 続きを見る »

国際日本文化研究センター

国際日本文化研究センター(こくさいにほんぶんかけんきゅうセンター、英:International Research Center for Japanese Studies)は、人間文化研究機構を構成する、京都府京都市西京区にある大学共同利用機関。中曽根康弘が設立に尽力した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と国際日本文化研究センター · 続きを見る »

国泰寺 (北海道厚岸町)

国泰寺(こくたいじ)は、北海道厚岸郡厚岸町のバラサン岬に所在する臨済宗南禅寺派の寺院。山号は景運山。国の史跡に指定されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と国泰寺 (北海道厚岸町) · 続きを見る »

国教会

国教会(こっきょうかい、State church)は、国家が主体となって運営を行っているキリスト教の教会の組織形態で、おもにイギリス、ドイツ、北欧などに見られる。教会税を徴収し、洗礼を住民登録に代え、教会での結婚式を入籍と扱う役所の行政事務を代行している側面もある。 宗教改革以後、国教会から離脱して独自組織を形成したプロテスタント教会は自由教会と呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と国教会 · 続きを見る »

四重の福音

四重の福音(しじゅうのふくいん、英語:The FourFold Gospel)とは、新生・聖化・神癒・再臨からなる信仰の強調点。キリスト教に含まれる中でこれを強調しない立場も存在する。 スコットランド長老教会の家系に生まれ、長老派の牧師となったアルバート・ベンジャミン・シンプソンが提唱した。 シカゴのムーディー聖書学院に学んだ中田重治は、四重の福音をホーリネスの信仰として受け入れ、ホーリネス・リバイバルに結びついていった。 日本福音連盟の『聖歌』の裏扉に、この根拠聖句が書かれてある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と四重の福音 · 続きを見る »

皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会

皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会(こうきにせんろっぴゃくねんほうしゅくぜんこくキリストきょうしんとたいかい)は、1940年10月17日の神嘗祭の日に、神武天皇即位紀元2600年を記念するため、青山学院に2万人を集めて開かれた紀元二千六百年記念行事。 大会は宮城遥拝の国民儀礼でもって開始され、この日のために創作された天皇を賛美する「讃美歌」が歌われた。その後集まった会衆はこぞって明治神宮まで参拝した。大会は「吾等は全基督教会の合同の完成を期す」と宣言し、この決議に基づいて日本基督教団が成立した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会 · 続きを見る »

石川三四郎

石川 三四郎(いしかわ さんしろう、1876年5月23日 - 1956年11月28日)は、日本の社会運動家・アナーキスト・作家。筆名の「旭山」も使用する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と石川三四郎 · 続きを見る »

石巻ハリストス正教会

石巻ハリストス正教会・聖使徒イオアン聖堂(いしのまきハリストスせいきょうかい・せいしとイオアンせいどう)は、宮城県石巻市にある日本ハリストス正教会の教会。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と石巻ハリストス正教会 · 続きを見る »

石井十次

石井 十次(いしい じゅうじ、1865年5月5日(慶応元年4月11日) - 1914年(大正3年)1月30日)は、明治期の慈善事業家で、岡山孤児院を創設した人物である。その功績から、「児童福祉の父」と言われる。アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助、山室軍平とともに「岡山四聖人」と称される。 彼は岡山で医師を目指して、岡山医学校(現在の岡山大学医学部)の医学生として研修中であったが、ある孤児を引き取ったことを経緯に、信仰的覚醒から孤児事業に専念するために医師として働くことを断念した。そして英国のキリスト者のジョージ・ミュラーをモデルにして、キリスト教信仰に根ざした岡山孤児院を創設して、生涯を孤児救済に捧げた。岡山孤児院はすでに存在しないが、その流れをくむ石井記念友愛社(宮崎県)と石井記念愛染園(大阪府)が、各種の福祉活動をおこなっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と石井十次 · 続きを見る »

石井亮一

石井 亮一(いしい りょういち、慶応3年5月25日(1867年6月27日) - 昭和12年(1937年)6月14日)は、明治時代から昭和時代初期にかけての心理学者・教育学者・社会事業家。 日本における知的障害者福祉・教育の創始者であり、社会福祉法人滝乃川学園、公益財団法人日本知的障害者福祉協会の創設者。日本の「知的障害者教育・福祉の父」と呼ばれている。 夫人は同じく近代女子教育の先駆者の一人であり、石井筆子。石井の業績は、日本における知的障害者福祉・教育の嚆矢として現代に至るまで極めて高い評価を受けている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と石井亮一 · 続きを見る »

火縄銃

火縄銃(江戸時代) 愛知万博のポルトガル館展示物) 火縄銃(姫路城天守閣蔵) 火縄銃(ひなわじゅう、Matchlock gun / Arquebus)は、初期の火器(火砲)の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式で滑腔銃身のマスケット銃の内で、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを鉄砲、大型のものは大筒と称する。 マッチロック式は、板バネ仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である。(詳細は#射法参照) 火縄銃は、15世紀前半にヨーロッパで発明され、特にドイツにおいて発展した 。最古の記録は1411年のオーストリア写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型のサーペンタインロック式が見られる 。また1430年代に描かれたサーペンタインの金具の図が残っている。 現代の日本では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するにしても登録が必要である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と火縄銃 · 続きを見る »

琉球王国

琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は、1429年から1879年の450年間、琉球諸島を中心に存在した王国。当時、正式には琉球國(りゅうきゅうこく、沖縄方言:ルーチュークク)と称した。 最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだりごもん、フィジャイグムン)」と呼ばれた。 勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではあったが、隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結び付きが知られる。 外交的に貿易上の理由から、明及びその領土を継承した清の冊封を受けていたが、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。ただし対外的には独立した王国として存在し、中国大陸、日本の文化の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と琉球王国 · 続きを見る »

琉球語

琉球語(琉球方言)で書かれた交通標語。(沖縄県金武町) 琉球語(琉球方言)で書かれた交通標語。那覇バスターミナルにて 琉球語(りゅうきゅうご、琉:島言葉・しまくとぅば)もしくは琉球方言(りゅうきゅうほうげん)とは、日本の沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる言語である。日本本土の日本語と系統を同じくするものの、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いがあるため、日本語とは別の言語と見なす立場と、日本語内部の一方言と見なす立場とがある(#言語か方言か参照)。また琉球語内部でも地域差が著しいため、諸言語の集合として琉球諸語(りゅうきゅうしょご)あるいは琉球語派(りゅうきゅうごは)と見なす立場もある(#下位区分か、個別言語か参照)。本項では、言語説と方言説の両論を考慮して、琉球語(琉球方言)と併記する。 独立言語として見た場合、日本語と系統が同じ唯一の言語と見なされ、日本語と琉球語を合わせて日本語族あるいは日琉語族と呼ばれる。一方、日本語の一方言とする立場からは、「琉球方言」または「南島方言」(なんとうほうげん)と呼ばれ、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大きく分類できる、とする。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と琉球語 · 続きを見る »

社会派

会派(しゃかいは)は、日本のエキュメニカル派においてキリスト教の社会に対する役割を重要視し、政治的・社会的運動にも積極的な教会およびキリスト教団体、関係者を指す。もともとは、日本基督教団の教団紛争において、対立グループを呼ぶための用語として、いわゆる「教会派」の語に対応して登場した用語である。日本基督教団戦責告白は両者の「対立構造のシンボル、あるいは踏み絵のように使われた。」という。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と社会派 · 続きを見る »

神は愛なり

は愛なり(福音唱歌13番) 神は愛なり(かみはあいなり、GOD IS LOVE)、とは、新約聖書ヨハネによる福音書3:16、第一ヨハネ4:16の聖句。また、この聖書箇所からの讃美歌「神は愛なり」は、日本最初の音楽伝道者三谷種吉の代表作である。聖書の神は、独り子であるイエス・キリストを与えられるほどに世を愛され、この方を信じる者は滅びず、永遠のいのちが得られると約束している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神は愛なり · 続きを見る »

神奈川県

奈川県(かながわけん)は、日本の県の一つ。関東地方の南西端、東京都の南に位置する。県庁所在地は横浜市。県名は東海道筋に古くから栄えた宿場町神奈川宿(現・横浜市神奈川区)、および幕末に戸部町(現・横浜市西区紅葉ヶ丘)に置かれた神奈川奉行所に由来する。これら「神奈川」の由来は、京急仲木戸駅近くに流れていた長さ300メートル (m) ほどの小川の名前からで、現在は道路になっている。 都道府県別の人口は東京都に次ぐ第2位、人口密度は東京都、大阪府に次ぐ第3位である。県内総生産も東京都、大阪府、愛知県に次ぐ第4位となっている。県内の政令指定都市数は3つと日本最多で、面積は第43位の規模である(平成19年度面積)、国土地理院。。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神奈川県 · 続きを見る »

神学部

学部(しんがくぶ)は、神学の研究・教育を行う学部。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神学部 · 続きを見る »

神山復生病院

山復生病院(こうやまふくせいびょういん)は、1889年(明治22年)5月22日に、静岡県御殿場市神山にて設立された病院。日本に現存する最古のハンセン病療養所である。パリ外国宣教会の神父・テストウィードにより設立された。2009年(平成21年)に創設120年目を迎えた。現在は一般外来、病棟、ホスピス病棟を備える。運営母体は、一般財団法人神山復生会。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神山復生病院 · 続きを見る »

神仏習合

仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神仏習合 · 続きを見る »

神品 (正教会の聖職)

宝冠を被って奉事に当たっているのが主教である。正教会では祭日ごとに祭服の色を統一して用いるのが一般的であり、このように諸神品が別々の色の祭服を用いるケースはそれほど多くはない。また、祭服をこのように完装するのは写真撮影などの特別な場合を除いて公祈祷の場面に限られている。 神品(しんぴん)とは、神品機密に於いて主教から叙聖された正教会の聖職者。日本正教会による用語である。 神品には大きく分けて主教(主教品)、司祭(司祭品)、輔祭(輔祭品)の三種がある。副輔祭、誦経者は神品に含まれない。輔祭になる前に結婚するのであれば、正教会の輔祭・司祭は妻帯が可能である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神品 (正教会の聖職) · 続きを見る »

神社

出雲大社(神代創建と言われる、島根県出雲市) 八坂神社(飛鳥時代創建)(京都府京都市東山区) 蒙疆神社(昭和時代創建、張家口。写真は1952年のもので、当時はもう廃社された) 神社(じんじゃ・かむやしろ)とは、日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設。産土神、天神地祇、皇室や氏族の祖神、偉人や義士などの霊などが神として祀られる。文部科学省の資料では、日本全国に約8万5千の神社がある。登録されていない数万の小神社を含めると、日本各地には10万社を超える神社が存在している。また、近畿地方には生国魂神社など創建が古い神社が多く存在する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神社 · 続きを見る »

神父

(しんぷ、πατήρ, pater, Father, don, отец (батюшка))とは、正教会・東方諸教会・カトリック教会で、司祭に対して呼びかける際に用いられる敬称正教会の出典:カトリック教会の出典:。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神父 · 続きを見る »

神聖ローマ帝国

聖ローマ帝国(しんせいローマていこく、,,, Holy Roman Empire)は、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家。9~10世紀に成立し、1806年まで続いた。西ローマ帝国の後継国家を称した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神聖ローマ帝国 · 続きを見る »

神道

道(しんとう)は、日本の宗教。教典や具体的な教えはなく、開祖もおらず、神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとずく多神教。自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。 天照大御神の孫であるニニギノミコトが降臨した高千穂河原 樹齢約3000年の武雄神社の御神木.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神道 · 続きを見る »

神言会

多治見修道院(2008年撮影) 神言会(しんげんかい、Societas Verbi Divini 略称 S.V.D.)は1875年にドイツのアーノルド・ヤンセンによって創設されたカトリック教会の修道会。正式名称を神言修道会(しんげんしゅうどうかい)という。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と神言会 · 続きを見る »

祈祷書 (正教会)

本項は正教会における祈祷書を扱う。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と祈祷書 (正教会) · 続きを見る »

祖国に対する信者のつとめ

国に対する信者のつとめ(そこくにたいするしんじゃのつとめ)は、カトリック教会の当時の教皇庁布教聖省が、日本のカトリック教会あてに送った1936年5月26日付の「第一聖省訓令」で述べられている指針である。神社への参拝は、「愛国心と忠誠心の表現である」とし、靖国神社参拝も認めている。教皇庁が何らかの手違いや間違いでそう言ってしまったのではなく、1951年11月27日付の「第二聖省訓令」でも再び確認されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と祖国に対する信者のつとめ · 続きを見る »

禁教令

禁教令(きんきょうれい)は、ある宗教を信仰したり布教したりすることを禁ずる命令(法令)のことである。日本においては特にキリスト教を禁じていたものを指し、キリスト教禁止令(キリシタン禁制、禁令)とも呼ばれる。禁制扱いになった宗教は邪宗門と呼ばれた。通常、単に禁教令と言った場合には、日本で1612年(慶長17年)及び翌1613年に江戸幕府が出したキリスト教を禁ずる法令を指す。 海外においては、ローマ帝国におけるネロやディオクレティアヌスなどの皇帝によるキリスト教禁止の勅令と、それに伴う弾圧が知られているが、一般にはキリスト教徒に対する弾圧、迫害と一括りに呼ばれ、禁教令の語を充てない(例えばディオクレティアヌスによる303年の勅令とそれに伴う弾圧は「最後の大迫害」と呼ばれる)。 本項では江戸時代のキリスト教政策を中心に安土桃山時代以降の日本で行われたキリスト教への禁教令および関連する事項について解説する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と禁教令 · 続きを見る »

福島町

福島町(ふくしまちょう)は、北海道渡島総合振興局管内にある町である。渡島半島南西部に位置し、松前郡に属する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と福島町 · 続きを見る »

福音同盟

福音同盟、(ふくいんどうめい、The Evangelical Alliance、略称:EA )は、イギリス連合王国で1846年に結成された福音主義キリスト教の機関である。福音主義同盟、福音同盟会、万国福音同盟とも訳される。会員は、個人、教会、教派、団体である。EAは1951年の世界福音同盟の創立メンバーでもある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と福音同盟 · 続きを見る »

福音主義

福音主義(ふくいんしゅぎ、Evangelicalism)とは、キリスト教の教派・神学分類の用語である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と福音主義 · 続きを見る »

福音派

福音派(ふくいんは、Evangelical、エヴァンジェリカル)は、キリスト教のプロテスタントを神学や信仰の姿勢によって比較分類する際に用いられる用語である。語源はギリシア語の「: 福音)」である。 福音派自身による簡潔な定義は、「福音に献身する者」である。日本福音同盟の「自由主義神学(リベラル)に対しての福音主義、エキュメニカル派に対しての福音派」という表現に、これが表されている。日本の福音派とは、「聖書は神の霊感によって書かれ、誤り無い神のことばであるという、聖書の十全霊感(聖書信仰)を信じるすべての教会」である。この聖書信仰は「福音派全体の恵みの絆」と呼ばれる。 組織としては、日本プロテスタント聖書信仰同盟から日本福音同盟、世界福音同盟が代表的であるが、そこに属さない福音派の教会も存在する。正教会の総主教やカトリック教会の教皇といった指導者は存在せず、聖書を信仰する多くの新宗教の緩やかな連帯である。 現在、世界的に福音派の信仰として広く認められているのはローザンヌ誓約である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と福音派 · 続きを見る »

福澤諭吉

福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体:福沢 諭吉、天保5年12月12日(1835年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。 諱は範(はん)。字は子囲(しい、旧字体:子圍)。揮毫の落款印は「明治卅弐年後之福翁」。雅号は、三十一谷人(さんじゅういっこくじん)。もともと苗字は「ふくさわ」と発音していたが、明治維新以後は「ふくざわ」と発音するようになった。 現代では「福沢諭吉」と表記されることが一般的である。なお「中村諭吉」と名乗っていた時期がある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と福澤諭吉 · 続きを見る »

秦河勝

河勝(はた の かわかつ、生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。姓は造。秦丹照『惟宗系図』東大史料編纂所蔵(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』)または秦国勝「秦氏系図」『山城州葛野郡楓野大堰郷広隆寺来由記』所収(太田亮『姓氏家系大辞典』)の子とする系図がある。冠位は大花上。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と秦河勝 · 続きを見る »

種子島

大隅諸島(薩南諸島、北部) 種子島(たねがしま)は、九州の鹿児島県に属し、大隅諸島を構成する島の一つ。 県内有人離島の中で最も東に位置し、人口(29,282人)は奄美大島に次いで2番目に多く、面積は444.30km2で、奄美大島、屋久島に次いで3番目に大きい。日本では、10番目の面積を持つ。標高は最高点は回峰(まわりのみね)の282.4mで、海側から見ると殆ど平らにしか見えない。1936mある隣の屋久島と比べると対照的である。中心都市は西之表市。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と種子島 · 続きを見る »

竹入高

竹入 高(たけいり たかし、1902年12月9日 - 1943年11月21日)は東洋宣教会日本ホーリネス教会の牧師であり、ホーリネス弾圧事件が原因で殉教した人物である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と竹入高 · 続きを見る »

竹田俊造

竹田 俊造(たけだ しゅんぞう、1873年12月26日 - 1950年11月21日)は、日本の牧師、伝道者、神学校教師。日本伝道隊の創始者の1人。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と竹田俊造 · 続きを見る »

立命館大学

末川記念会館前の木立に立つ。 第二次世界大戦前から戦中に掛けて、立命館大学は世相を反映して国家主義的傾向が強まっていった。 一方で滝川事件(立命館大学では「京大事件」と呼称)の際には同事件に連座して京都帝国大学を退官した教員を受け入れていた。終戦直後、同事件に連座した、京都大学法学部教授の末川博を総長へ招聘した。その末川を中心に大学の改革へ乗り出す。憲法と教育基本法を尊重して「平和と民主主義」を守ろうという末川の思想が中心となって、立命館大学は「民主的な学園運営」「自主的学習の尊重」の2本柱によって構成され、以下に記載する取り組みが現在の立命館大学に至るまで実施され続けている。末川が立命館大学に与えた影響は極めて大きく、これらの功績を讃えて、同大学では末川を名誉総長として顕彰している。また、末川が構成した思想を「立命館民主主義」と呼んでいる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と立命館大学 · 続きを見る »

立憲君主制

立憲君主制(りっけんくんしゅせい、Constitutional monarchy)または制限君主制とは、君主の権力が憲法により規制されている君主制。君主制とは、ある政治共同体において世襲の君主が主権を持つ政治形態。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と立憲君主制 · 続きを見る »

第2バチカン公会議

2バチカン公会議(だい2バチカンこうかいぎ、、1962年~1965年)は、ローマ教皇ヨハネ23世のもとで開かれ、後を継いだパウロ6世によって遂行されたカトリック教会の公会議である。 この会議では、公会議史上初めて世界五大陸から参加者が集まり、まさに普遍公会議というにふさわしいものとなった。教会の現代化(アジョルナメント)をテーマに多くの議論がなされ、以後の教会の刷新の原動力となるなど、第2バチカン公会議は20世紀のカトリック教会において最も重要な出来事であり、現代に至るまで大きな影響力をもっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と第2バチカン公会議 · 続きを見る »

第三回全国基督教信徒大親睦会

三回全国基督教信徒大親睦会(だいさんかいぜんこくキリストきょうしんとだいしんぼくかい)は、1883年5月8日から12日の5日間に東京府にある新栄橋教会(新栄會堂)、浅草會堂、井生村楼(井生村樓)などを会場にして行われた集会で、全国各地のキリスト者が相互の親睦交流や伝道上の協議のために行われた。日本のプロテスタント信者の超教派の集会である。基督教信徒大親睦会、日本基督教大親睦会とも言われる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と第三回全国基督教信徒大親睦会 · 続きを見る »

第一回全国基督教信徒大親睦会

一回基督教信徒大親睦会(だいいっかいきりすときょうしんとだいしんぼくかい、英:General Fellowship Meeting for All the Protestant Christian of Japan)は、1878年(明治11年)7月15日から三日間東京築地の東京公会(新栄橋教会)を会場に行われた日本プロテスタントの信者の最初の親睦会である。基督教信徒第親睦会とも言う。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と第一回全国基督教信徒大親睦会 · 続きを見る »

第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と第二次世界大戦 · 続きを見る »

米国聖公会

米国聖公会(べいこくせいこうかい Episcopal Church in the United States of America)は、キリスト教の一派のアングリカン・コミュニオンのひとつ。アメリカ合衆国、バージン諸島、ハイチ、台湾、コロンビア、ドミニカ国、エクアドル、ホンジュラスに主教区を持つほか、プエルトリコおよびベネズエラの主教区と地域を越えた関係にある。しばしばEpiscopal Church in the USA、略称ECUSAと言及される。 米国聖公会の団体としての正式名称は "The Domestic and Foreign Missionary Society of the Protestant Episcopal Church in the United States of America"であるが、この名称が教会としての米国聖公会に言及されるときに使われることはない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と米国聖公会 · 続きを見る »

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏(斯波武衛家)をも凌ぐ力をつけて、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼして、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。 しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と織田信長 · 続きを見る »

美濃ミッション

美濃ミッション(みのみっしょん)は、石黒イサクが代表を務める日本の宗教法人である。 聖書信仰に立つ福音派の単立の群れで、セディ・リー・ワイドナー宣教師によって1918年設立されたという。 美濃ミッションは聖書の無誤性、イエス・キリストの再臨を信じ、神社参拝を含むあらゆる偶像崇拝といわれることをしなかった。そのため、激しい迫害にあった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と美濃ミッション · 続きを見る »

結城忠正

結城 忠正(ゆうき ただまさ)は、戦国時代の武将。三好長慶、松永久秀の家臣。キリシタン。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と結城忠正 · 続きを見る »

結核

結核(けっかく、Tuberculosis)とは、マイコバクテリウム属の細菌、主に結核菌 (Mycobacterium tuberculosis) により引き起こされる感染症Kumar, Vinay; Abbas, Abul K.; Fausto, Nelson; & Mitchell, Richard N. (2007).

新しい!!: 日本のキリスト教史と結核 · 続きを見る »

経済

経済(けいざい、οικονομία、oeconomia、economy)とは、社会が生産活動を調整するシステム、あるいはその生産活動を指す。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と経済 · 続きを見る »

生活協同組合

生活協同組合(せいかつきょうどうくみあい、Consumers' co-operative、略称:生協(せいきょう)、CO・OP(コープ))、あるいは消費生活協同組合(しょうひせいかつきょうどうくみあい)とは、一般市民が集まって生活レベルの向上を目的に各種事業を行う協同組合である。 CO・OPはcooperativeの略で、協同組合全体を指す呼称であり、世界的には消費者が組合員となる生協よりは生産者や労働者が組合員となる農協・漁協やワーカーズ・コープのほうが組織数や構成員数が多い。国際協同組合同盟(ICA;Internationai Co-operative Alliance)が協同組合の世界的な同盟組織である。 生協は市民自らの手による生活事業組織である。 世界的には、2016年時点で、2億5000万人が協同組合に参加して働いており、また総売上高は少なくとも年間2.2兆米ドルになることがICAより報告されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と生活協同組合 · 続きを見る »

生活協同組合コープこうべ

ープこうべ・コープデイズ豊岡 生活協同組合コープこうべ(せいかつきょうどうくみあいコープこうべ)は、兵庫県神戸市東灘区に主たる事務所をおく消費生活協同組合。組合員数は日本の地域生協で最多の約168.8万人(2017年4月)、総事業高(売上高)でもコープさっぽろに比肩する大規模な生活協同組合で、単一生協としては世界的に見ても最大クラスである。スーパーなど小売業界を取材したレポートでは「巨大空母」とまで形容されることもある。 店舗は兵庫県神戸市を中心に、西は上郡町、東は大阪府三島郡島本町、北は豊岡市までと、広範囲にわたって展開している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と生活協同組合コープこうべ · 続きを見る »

田村直臣

村 直臣(たむら なおおみ、安政5年8月9日(1858年9月15日) - 昭和9年(1934年)1月7日)は、日本の牧師。 植村正久、内村鑑三、松村介石と共にキリスト教界の四村と呼ばれた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と田村直臣 · 続きを見る »

無教会主義

無教会主義(むきょうかいしゅぎ)は、内村鑑三によって提唱された日本に独特のキリスト教信仰のあり方で、プロテスタントの精神を継承している(ただし、プロテスタントの秘跡である洗礼・聖餐を廃止する主張を行う伝道者もいるため、プロテスタントでないキリスト教に分類されることもある)。英語では、Non-church Movementと表記する。無教会、無教会キリスト教、無教会主義キリスト教とも呼ばれる(信徒のあいだでは「無教会」と呼称されることが多い)。なお、「無教会派」という名称は通常用いない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と無教会主義 · 続きを見る »

熊本市

本市(くまもとし)は、日本の熊本県にある市の一つ。同県の県庁所在地、また日本最南端の政令指定都市である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と熊本市 · 続きを見る »

熊本バンド

本バンドの主要メンバー(同志社英学校の第1回卒業式)明治12年撮影 熊本バンド(くまもとバンド)は、1876年(明治9年)1月30日に熊本県熊本市の花岡山で、熊本洋学校の生徒34名が、米国人教師L.L.ジェーンズの影響を受けて、自主的に奉教趣意書に署名してプロテスタント・キリスト教に改宗し、これを日本に広めようと盟約を交わした集団を言う。直後に、熊本洋学校は閉校になり、その後新島襄の同志社英学校に移り、卒業後は同志社大学、日本組合基督教会の重鎮になり基礎を築いた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と熊本バンド · 続きを見る »

熊本県

本県(くまもとけん)は、九州地方の中央に位置する県。 県庁所在地は熊本市(政令指定都市)。令制国の肥後国に当たる。有明海、不知火海、東シナ海に面していて、また日本第2位の阿蘇カルデラを持つ阿蘇山が知られる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と熊本県 · 続きを見る »

熊本洋学校

本洋学校(くまもとようがっこう)は、明治時代初期に熊本県熊本市にあった全寮制の学校。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と熊本洋学校 · 続きを見る »

牧会

牧会(ぼっかい、英:Pastoral Care)とは、キリスト教の中で、プロテスタントおよび正教会における、牧師・司祭のミニストリー、人間の魂への配慮である。 医学、心理学など世俗の用語としても使われ、英語からパストラルケアとも音写される。 カトリック教会および聖公会では司牧と呼ぶ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と牧会 · 続きを見る »

特別高等警察

特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ、Special Higher Police, SHP)は、国事警察として発足した高等警察から分離し、国体護持のために無政府主義者・共産主義者・社会主義者、および国家の存在を否認する者や過激な国家主義者を査察・内偵し、取り締まることを目的とした日本の政治警察である。内務省警保局保安課を総元締めとして、警視庁をはじめとする一道三府七県北海道庁警察部、警視庁、神奈川県警察部、長野県警察部、愛知県警察部、京都府警察部、大阪府警察部、兵庫県警察部、山口県警察部、福岡県警察部に設置されたが、その後、1928年に全国一律に未設置県にも設置された。略称は特高警察(とっこうけいさつ)、特高(とっこう)と言い、構成員を指しても言う。第二次世界大戦後の1945年に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指示により廃止された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と特別高等警察 · 続きを見る »

片山潜

片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。号は深甫。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と片山潜 · 続きを見る »

牛丸康夫

プロクル牛丸康夫(うしまる やすお、プロクルは聖名:1936年 - 1986年)は、正教会(日本正教会)の司祭(長司祭)。 日本正教会の歴史に関する多くの著述のほか、ドストエフスキーと正教の関係についての考察を行った著述や、ロシア正教会史をまとめた著述、およびゲオルギイ・フロロフスキイからの翻訳などがある(遺稿集に収録)。 ロシア宗教思想のほか日本正教会史の研究をしている長縄光男と史料提供を通じた交流があった他、ロシア宗教思想・正教の研究をしている御子柴道夫が学生時代に会っている。この二人は遺稿集(『曙光 長司祭牛丸康夫遺稿集』)に追悼文を寄せている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と牛丸康夫 · 続きを見る »

百姓

姓(ひゃくせい / ひゃくしょう)とは、.

新しい!!: 日本のキリスト教史と百姓 · 続きを見る »

隠れキリシタン

れキリシタン(かくれキリシタン)は、日本の江戸時代に江戸幕府が禁教令を布告してキリスト教を弾圧した後も、密かに信仰を続けた信者である。以下の2つに分けられるが、一般に両者を区別せずに呼ぶ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と隠れキリシタン · 続きを見る »

韓国併合

韓国併合(かんこくへいごう、Japan's Annexation of Korea)とは、1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合した事実を指す。日韓併合、朝鮮併合、日韓合邦とも表記される。この後、日本による統治は1945年(昭和20年)9月9日に朝鮮総督府が米国に降伏するまで、35年間続いた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と韓国併合 · 続きを見る »

鎌倉市

鎌倉大仏(高徳院) 建長寺 鎌倉宮(大塔宮) 荏柄天神社 鎌倉市(かまくらし)は、神奈川県、三浦半島西側の付け根に位置し、鎌倉を中心部とする市である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と鎌倉市 · 続きを見る »

鎖国

鎖国(さこく)とは、江戸幕府が、キリスト教国(スペインとポルトガル)の人の来航、及び日本人の東南アジア方面への出入国を禁止し、貿易を管理・統制・制限した対外政策であり、ならびに、そこから生まれた日本の孤立状態及び、日本を中心とした経済圏を指す。幕末に「開国」を主導した井伊直弼は、「鎖国」のことを閉洋之御法とも呼んでおり、籠城と同じようなものだと見做していた『』 P.183 小林庄次郎 1915年。 対外関係は朝鮮王朝(朝鮮国)及び琉球王国との「通信」(正規の外交)、中国(明朝と清朝)当初は倭寇対策として「海禁」政策を採る明・清政府の正式な交流許可はなく、福建省をはじめとする南方中国の商人の私貿易であった。1684年に康煕帝により海禁が解除された後は寧波商人の貿易船が日本との交易を行うようになる。及びオランダネーデルラント連邦共和国、但し国際法上その独立をヨーロッパ諸国に承認されたのは、1648年のヴェストファーレン条約においてであった。さらにフランス革命戦争で本国がフランスに占拠され、1795年その衛星国バタヴィア共和国となり、併合を経て再独立したのは1815年であった。(オランダ東インド会社本国がバタヴィア共和国となっても、アメリカ合衆国の商船を雇用し、オランダの国旗を掲げて通商を行なっていた。なお、東インド会社自体は1799年に解散させられている)との間の通商関係に限定されていた。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。 一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。しかし、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降で、近年では制度としての「鎖国」はなかったとする見方が主流である。 なお海外との交流・貿易を制限する政策は江戸時代の日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた清は1684年に海禁を解いているが、その後も長崎貿易に類似した管理貿易制度を維持した(広東システム)。。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と鎖国 · 続きを見る »

聖心女子大学

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と聖心女子大学 · 続きを見る »

聖公会

聖公会(せいこうかい、Anglicanism, Anglican Church)は、イングランド国教会 (Church of England) の系統に属するキリスト教の教派。「聖公会」とは聖なる公同の教会(holy catholic church)という意味であり、1887年から日本で、その後中国でも用いられるようになった名称である。 聖公会は自らを、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、そのことから「中道(Via Media)」の教会であると自認している(系統概略図も参照)。 世界各地にある聖公会の諸教会の世界的連合を、アングリカン・コミュニオン (Anglican Communion)という。アングリカン・コミュニオンはイングランド国教会を母体とし、カンタベリー大主教の指導的地位を認めるが、裁治権はカンタベリー大主教にはない。聖公会の教会組織は、国家ごとに独立して自治を行う形態をとっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と聖公会 · 続きを見る »

聖霊派

聖霊派(せいれいは)は、キリスト教の教派のうち、三位一体の位格のひとつである聖霊の働きを強調する教派ないし集団の総称ないし俗称。 主にプロテスタントのホーリネス教会から1900年頃にペンテコステ運動として始まって結果的に分岐した教派であるペンテコステ派が最初の教派として挙げられるが、ペンテコステ派に限らず1960年代からはじまったカリスマ運動や1980年代からの動きである聖霊の第三の波に属する教団、教派、教会、個人も含めて呼称するのに都合がよい呼称であるため総称ないし俗称として使われる。カリスマ運動はカトリックまでも含めた教派を超えた運動であって、特定の教団、教派という区分がしがたいため、カリスマ派と呼ぶよりも、カリスマ運動と呼ばれる傾向が現在でもあるが、それらと一緒にペンテコステ派を含めた概念として用いられる。 現在でこそ、ペンテコステ派、聖霊の第三の波派及びカリスマ運動の一部は、福音派の有力な潮流として受容されているが、四重の福音を提唱し、福音派に影響力があったA・B・シンプソンがペンテコステ派に対して否定的な声明を出したこともあって、当初は、ペンテコステ派、カリスマ派の働きについて福音派は否定的な態度を示していた。第三の波派があらわれてから聖霊派を受容するようになった。 聖霊派の日本語訳聖書として『現改訳聖書』がある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と聖霊派 · 続きを見る »

聖歌

聖歌(せいか)は、キリスト教において用いられる宗教歌を幅広く指す語である。教派ごとにその指す内容は若干異なるが、下記のように「賛美歌」などに比べて広義の意味合いをもつ事が多い。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と聖歌 · 続きを見る »

聖母仏語学校

聖母仏語学校(せいぼふつごがっこう)は、かつて東京都文京区関口にあった工芸学校。孤児院、児童福祉施設。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と聖母仏語学校 · 続きを見る »

聖母マリア

聖母マリア(せいぼマリア、מִרְיָם,, ܡܪܝܡ,, Μαρία, )は、イエス・キリスト(ナザレのイエス)の母、ナザレのヨセフの妻。ヨアキムとアンナの娘とされている。 「聖母(せいぼ)」はカトリック教会、聖公会で最も一般的な称号である。おとめマリア、処女マリア、神の母マリアとも。 正教会の一員である日本ハリストス正教会では生神女マリヤ(しょうしんじょマリヤ)の表現が多用される。 この記事ではキリスト教におけるマリアのみについて取り上げる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と聖母マリア · 続きを見る »

聖書

聖書(せいしょ)とは、キリスト教、ユダヤ教の教典、正典であり、イスラム教でも教典とされている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と聖書 · 続きを見る »

聖書信仰

聖書信仰(せいしょしんこう)とは、キリスト教神学において、聖書を誤りない神のことばと信じる信仰、および、これを信じるクリスチャン、キリスト教会、教派を表す用語である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と聖書信仰 · 続きを見る »

聖書キリスト教会

聖書キリスト教会 東京教会 聖書キリスト教会(せいしょキリストきょうかい、THE BIBLICAL CHURCH)は、聖書信仰に立つ、福音主義プロテスタントの団体。福音派の日本福音同盟に加盟している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と聖書キリスト教会 · 続きを見る »

菅野鋭

菅野 鋭(すげの とし、1884年 - 1943年12月1日)は、日本の牧師。柏木聖書学院五教授の一人で、太平洋戦争中に宗教弾圧で獄死する。東京都生まれ。父母は銀座美以教会(日本基督教団銀座教会)員、三谷種吉夫人眞子は実姉。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と菅野鋭 · 続きを見る »

蝦夷地

蝦夷地(えぞち)は、日本人がアイヌの居住地を指して用いた言葉で、江戸時代に使われた。和人地の対語である。渡島半島周辺を除く現在の北海道を中心に、樺太と千島列島を含む。なお、アイヌ人はそれらの島々をアイヌモシリと呼んだ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と蝦夷地 · 続きを見る »

静岡県

静岡県(しずおかけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は静岡市。中部地方及び東海地方に含まれる。2017年(平成29年)現在、県の人口は約367万人であり都道府県別で第10位である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と静岡県 · 続きを見る »

飯清

飯 清(いい きよし、1922年2月9日 - 1995年8月10日)は日本の牧師、日本基督教団第9代総会議長。 1922年に京都に生まれる。父方の実家は愛媛県今治市。1939年4月、同志社高等商業学校(現同志社大学商学部)に入学し、同校を1941年12月に卒業。1942年4月、同志社大学文学部社会学科入学。1944年9月、同大学を繰り上げ卒業し、学徒出陣で二等水兵として海軍に召集。後に、予備士官として戦艦日向に乗り込んだ。この間、1943年10月25日、今治教会で瀧みどり(1919年5月23日 - 2011年12月28日)と結婚。戦後、1946年5月、同志社大学文学部神学科に入学し、1949年3月卒業。同志社大学助手、講師、京都教会伝道師を務める。1952年6月、米国カリフォルニア州バークレーの太平洋神学校(Pacific School of Religion)大学院に留学(1954年修了)。1953年1月からはバークレーのシカモア組合教会牧師も務める。1955年帰国し、倉敷教会牧師に就任。1960年4月、霊南坂教会牧師に就任する。1985年10月に新会堂を建設し、1987年3月に引退。 1969年に現職で死去した鈴木正久の後をついで、日本基督教団総会議長を務める、1971年2月に辞任し、吉田満穂が後任になる。当時の教団は反万博闘争で揺れていた。 後に、キリスト教音楽学校校長とキリスト教視聴覚センター(AVACO)理事長を務める。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と飯清 · 続きを見る »

西園寺公望

1871年〜1880年、パリ留学時代 西園寺 公望(さいおんじ きんもち、嘉永2年10月22日(1849年12月6日)グレゴリオ暦導入後、西園寺は10月23日を戸籍上の誕生日として登録している - 昭和15年(1940年)11月24日)は、日本の公家、政治家、教育者。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒京都市北区等持院ちかくの別邸「萬介亭」の竹に因んだ号(出典: 藤井松一「西園寺公望関係文書について」『立命館大学人文科学研究所紀要(27)』p.32) 。 戊辰戦争において官軍の方面軍総督を務め、フランス留学後には伊藤博文の腹心となった。第2次伊藤内閣にて文部大臣として初入閣し外務大臣を兼任、第3次伊藤内閣でも文部大臣として入閣した。第4次伊藤内閣では班列として入閣し、内閣総理大臣の伊藤博文の病気療養中は内閣総理大臣臨時代理を務め、のちに伊藤が単独辞任すると内閣総理大臣臨時兼任を務めた。 その後、伊藤の立憲政友会の総裁に就任した。明治39年(1906年)内閣総理大臣に任じられ、第1次西園寺内閣、第2次西園寺内閣を組閣した。この時代は西園寺と桂太郎が交互に政権を担当したことから「桂園時代」と称された。その後は首相選定に参画するようになり、大正5年(1916年)に正式な元老となった。大正13年(1924年)に松方正義が死去した後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と西園寺公望 · 続きを見る »

西暦

西暦(せいれき)とは、キリスト教でキリスト(救世主)と見なされるイエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法である。ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なるが、日本語や英語圏では、ラテン語の「A.D.」又は「AD」が使われる。A.D.またADとは「アンノドミニ (Anno Domini)」の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」という意味。西暦紀元、キリスト紀元ともいう。 今年は2018年 (JST) である。西ヨーロッパのキリスト教(カトリック教会、および後のプロテスタント)地域から徐々に普及し(後述)、西欧諸国が世界各地で進めた植民活動などによって伝わった結果、現在において世界で最も広く使われている紀年法となっている。 しかし、19世紀以降においては、非キリスト教徒との関係から、ADをCommon Era(略:CE、「共通紀元」の意)へ、同時に紀元前(BC)をBefore Common Era(BCE)に切り替える動きが広まっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と西暦 · 続きを見る »

西村眞悟

西村 眞悟(にしむら しんご、1948年(昭和23年)7月7日 ‐ )は、日本のこころ所属の日本の政治活動家で、同党参議院比例第三支部長。前衆議院議員(6期)、元弁護士(大阪弁護士会)。 防衛政務次官をはじめ、民社党国際局長、自由党代議士会会長、太陽の党代表、日本維新の会比例近畿ブロック支部長などを歴任した。氏名表記は一般に新字体の「真悟」が用いられている。 実父は元衆議院議員西村栄一(民社党第二代委員長)。従兄弟は元衆議院議員西村章三。岳父は元衆議院議員岡澤完治。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と西村眞悟 · 続きを見る »

西洋紀聞

『西洋紀聞』(せいようきぶん)は、新井白石が書いた西洋の研究書。自ら切支丹屋敷へ赴き、キリスト教布教のために来日したイタリア人宣教師ジョバンニ・シドッチを審問した白石が、その内容をまとめたもの。諸外国の歴史・地理・風俗やキリスト教の大意と、それに対する白石の批判などが記されている。1715年頃に完成したが鎖国下のため公にされず、秘かに写本によって伝えられたが、1807年以来広く流布されるようになり、鎖国下における世界認識に大いに役立った。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と西洋紀聞 · 続きを見る »

西方教会

西方教会(せいほうきょうかい、Western Christianity) は、西ヨーロッパに広がり成長したキリスト教諸教派(ローマ・カトリック教会、聖公会、プロテスタント、アナバプテストなど)の総称。ローマ・カトリック教会のみを指す場合もある。東方教会の対語。 ただし、東方典礼カトリック教会は完全にローマ・カトリック教会の一員であるが、基本的に東方教会に分類される(まれに西方教会に分類されることもある)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と西方教会 · 続きを見る »

首座主教

首座主教(しゅざしゅきょう、Προκαθήμενοι, Primate, Примас)とは、キリスト教の聖職者の役職のひとつである。正教会に属する日本ハリストス正教会、および聖公会に属する日本聖公会などで用いられる用語である。 英語表記は "Primate" が一般的だが、アングリカン・コミュニオンのうち、スコットランド聖公会と歴史上その流れを汲んだ米国聖公会では "Presiding Bishop" と呼ぶ。聖公会には「総裁主教」(そうさいしゅきょう)との表記もある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と首座主教 · 続きを見る »

駿府

駿府(すんぷ)は、駿河国(するがのくに)の国府が置かれた都市である。駿河国府中の略であるが、律令時代以後も近世まで長く駿府又は府中と言われ、江戸期、単に府中と言えば駿府を指した。明治になり徳川宗家ゆかりの地であるがゆえに新政府に恭順の意を示すため、市内の賤機山(しずはたやま)にちなみ静岡に改称。現在の静岡市葵区のほぼ中心市街地を形成している地域に当たる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と駿府 · 続きを見る »

高山右近

山 右近(たかやま うこん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。代表的なキリシタン大名として知られる。カトリック教会の福者。 父は摂津国人・高山友照、母は洗礼名マリア。同じく摂津国人の中川清秀は従兄弟とされる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と高山右近 · 続きを見る »

高山友照

山 友照 (たかやま ともてる)、高山図書(ずしょ)、通称・飛騨守(ひだのかみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。キリシタン大名。勇猛で教養もあり、領民にも慕われ、誠実な武士の鑑として知られた.

新しい!!: 日本のキリスト教史と高山友照 · 続きを見る »

高等教育

等教育(こうとうきょういく、Higher education)とは、中等教育における学修を受け、学修の成果として学位などの学術称号やサーティフィケートが授与される課程、具体的には、大学、高等専門学校、専門学校修了者に専門士または高度専門士の称号が授与される課程などで行われている教育のことである。国際標準教育分類(ISCED)ではレベル5以上のものを指す。 ISCEDによる「第3期の教育」(Tertiary education)における高等教育の区分は、学士レベル(Bachelor)の課程はレベル5A、準学士(Associate)課程はレベル5B、大学院課程はレベル6に区分される。 日本における上記の専門学校は、ISCEDレベル5Bに区分され高等教育とされるがISCEDレベル4の学位や学術称号を付与されない課程は、高等教育には区分されない。 また、「高等」教育という呼称から、日本の高等学校の課程が高等教育を行う課程であると誤認されることもあるが、正しくはそれは後期中等教育(ISCEDレベル3)を行う課程である。また、それらの学校の専攻科については中等後非高等教育(ISCEDレベル4)に位置づけられている。 世界人権宣言においては「高等教育は、能力に応じ、すべての者にひとしく開放されていなければならない」と定められている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と高等教育 · 続きを見る »

高等批評

等批評(こうとうひひょう、英語:historical criticism、higher criticism)は、文学分析の一分野で、文書の起源の批判的調査である。近代聖書学によって使われた手法で、聖書を対象とする。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と高等批評 · 続きを見る »

高木甚三郎

木 甚三郎(たかぎ じんざぶろう、1846年(弘化3年)3月 - 1928年(昭和3年)5月29日)は、かつて小石川関口台町19(現在の東京都文京区関口)にあった私立聖母仏語学校 初代校主。カトリック信徒で、霊名は「パウロ」。静岡県袋井市出身。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と高木甚三郎 · 続きを見る »

讃美歌 (1903年版)

讃美歌 (1903年版)(さんびか1903ねんばん)は1903年(明治36年)に日本最初のキリスト教各派の賛美歌集を総合した共通讃美歌集。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と讃美歌 (1903年版) · 続きを見る »

豊後国

豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と豊後国 · 続きを見る »

豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と豊臣秀吉 · 続きを見る »

賛美歌

賛美歌(さんびか、讃美歌)は、キリスト教(特にプロテスタント教会)において、礼拝や集会等で歌われる、神をたたえる歌のことである。「賛美」と言う場合には「賛美」・「讃美」のどちらの文字も使われるが、讃美歌集の書名には讃美歌の文字を使用することが多い。「聖歌」とも呼ばれるが、以下に説明する通り「聖歌」は「讃美歌」より多義的であり、指すものの範囲が広い。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と賛美歌 · 続きを見る »

賀川豊彦

賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年(明治21年)7月10日 - 1960年(昭和35年)4月23日)は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動において、重要な役割を担った人物。日本農民組合創設者。「イエス団」創始者。キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として日本以上に世界的な知名度が高い。茅ヶ崎の平和学園の創始者である。 妻の賀川ハルも社会運動家。息子の賀川純基は教会音楽家。孫の賀川督明はグラフィックデザイナーであるとともに神戸の賀川記念館館長。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と賀川豊彦 · 続きを見る »

贖宥状

贖宥状(しょくゆうじょう、indulgentia)とは、16世紀、カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。免罪符とも、免償符とも、贖宥符とも呼ばれる。 また、日本においては「罪のゆるしを与える」意味で、責めや罪を免れるものや理由、行為そのものを指すこともある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と贖宥状 · 続きを見る »

踏み絵

踏み絵(ふみえ)とは、江戸幕府が当時禁止していたキリスト教(カトリック教会)の信徒(キリシタン)を発見するために使用した絵である。本来、発見の手法自体は絵踏(えぶみ、えふみ)と呼ばれるが、手法そのものを踏み絵と呼ぶ場合も多い。 踏み絵には当初は文字通り紙にイエス・キリストや聖母マリアが描かれたものを利用したが、損傷が激しいため版画などを利用し、木製や金属製の板に彫られたものを利用するようになった。絵踏が廃止されると、そのまま廃棄されたり再利用されたりしたため、現存するものは少なく、表面が磨滅した形で現存しているものも多い。 また上記から転じて、ある事柄への該当者や反対者を燻り出すために用いる道具や、その手段を「踏み絵」と呼ぶ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と踏み絵 · 続きを見る »

鹿児島市

かごしま県民交流センター 鹿児島市(かごしまし)は、九州の南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地でもある。 鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観がイタリアのナポリからヴェズーヴィオ火山を望む風景に似ていることから、『東洋のナポリ』と称される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と鹿児島市 · 続きを見る »

車田秋次

車田 秋次(くるまだ あきじ、1887年4月10日 - 1987年)は日本の牧師。ホーリネス教会の初期に、中田重治監督の側近の五教授の一人として活躍。戦後は、日本ホーリネス教団の創設者で、同教団の指導者となった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と車田秋次 · 続きを見る »

軍事

軍事(ぐんじ、Military affairs、Res militaris レース・ミーリターリス)とは戦争、軍人、軍隊などに関する事柄の総称であるこの定義は決して厳密なものではない。。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と軍事 · 続きを見る »

軍部

軍部(ぐんぶ)は、最広義には陸軍・海軍・空軍など、国家が保有する軍隊全体を指していう言葉である。 この「軍部」が用いられるのは、文民政府との関係を論じる文脈で、軍部による政治介入、軍部クーデターによる文民政府の倒壊、軍事専門職集団である軍部に対する文民統制、アジア・ラテンアメリカの権威主義体制下における民政移管など、いわゆる「政軍関係 civil-military relations 」を論じる場合である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と軍部 · 続きを見る »

輔祭

輔祭(ほさい、Διάκονος、Диакон、Deacon)は正教会における神品(聖職者)の職分のひとつ。主教・司祭の許(もと)で、主教・司祭を奉神礼において補佐する。日本正教会の訳語。男性の正教徒が主教による神品機密によって叙聖されることにより、輔祭職に就く。 他教会との比較では、カトリック教会の助祭、聖公会の執事に相当する。なお、正教会における「執事」は、他教派では一般の信徒が務める「教会役員」等に相当する。 輔祭の中に細分化された位階として、首輔祭・長輔祭がある。稀に「補祭」との表記が見られるがこれは誤りである。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と輔祭 · 続きを見る »

辻啓蔵

辻啓蔵(つじ けいぞう、1886年2月7日 - 1945年1月18日)は、日本ホーリネス教会の福音使である。中田重治の次女の京の婿で、日本基督教団の議長の辻宣道の父でもある。ホーリネス弾圧事件で刑死した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と辻啓蔵 · 続きを見る »

鈴木崇巨

鈴木 崇巨(すずき たかひろ、1942年-)は、日本の牧師。聖隷クリストファー大学教授。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と鈴木崇巨 · 続きを見る »

防共協定

防共協定(ぼうきょうきょうてい、Antikominternpakt)は、1936年(昭和11年)11月25日に日本とドイツ(ナチス・ドイツ)の間で調印された共産「インターナショナル」ニ対スル協定(きょうさん「インターナショナル」ニたいスルきょうてい)を指す。 締結当初は二国間協定である日独防共協定(にちどくぼうきょうきょうてい)と呼ばれ、国際共産主義運動を指導するコミンテルンに対抗する共同防衛をうたっており、後の日独伊三国を中心とした軍事同盟、いわゆる枢軸国形成の先駆けとなった。 1937年にイタリア王国が原署名国として加盟し、日独伊防共協定(にちどくいぼうきょうきょうてい)と呼ばれる三国間協定となり、1939年にはハンガリー王国と満州国、スペインが参加したことによって多国間協定となった。 1941年には条約の改定が実施されるとともにドイツ勢力圏にある複数の国家が加盟したが、1945年における枢軸国の敗戦・崩壊とともに消滅した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と防共協定 · 続きを見る »

関口

関口(せきぐち)は、東京都文京区の町名。現行行政地名は関口一丁目から関口三丁目。郵便番号は112-0014。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と関口 · 続きを見る »

関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦、関ヶ原合戦とも呼ばれる。合戦当時は南北朝時代の古戦場・「青野原」や「青野カ原」と書かれた文献もある近衛前久書状(慶長5年9月20日付)、三河物語には「青野カ原ニテノ合戦」となっている。東照宮御実紀においては「関原青野が原に陣取て、関原の戦」と記載されている。また、吉川広家の書状や「慶長記略抄」所収の狂歌でも「青野か原」と記されている( 毎日新聞 2016年4月4日)。近衛前久書状では「大垣表」という記載もある。。 主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と関ヶ原の戦い · 続きを見る »

関西聖書神学校

関西聖書神学校(かんさいせいしょしんがっこう、英語Kansai Bible College)は、兵庫県神戸市垂水区塩屋町六丁目にある神学校。日本伝道隊と日本イエス・キリスト教団が共同経営する、きよめ派の代表的な神学校であるが、他教団出身の神学生も多数在籍する。法的には各種学校の位置付けにある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と関西聖書神学校 · 続きを見る »

蒲生氏郷

蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。 蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(やすひで)または教秀(のりひで)。キリシタン大名であり、洗礼名はレオン(またはレオ)。子に蒲生秀行。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と蒲生氏郷 · 続きを見る »

那覇市

那覇市(なはし、沖縄方言:ナーファ、ナファ)は、沖縄本島南部の中核市で、県庁所在地並びに沖縄県最大の都市である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と那覇市 · 続きを見る »

肥後国

肥後国(ひごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と肥後国 · 続きを見る »

肥前国

肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と肥前国 · 続きを見る »

蔦田二雄

蔦田 二雄(つただ つぎお、1906年3月19日 - 1971年7月25日)は、日本のキリスト教(プロテスタント)牧師・伝道者、イムマヌエル綜合伝道団の創設者・初代総理(代表)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と蔦田二雄 · 続きを見る »

野方町

野方町(のがたまち)は、かつて東京府豊多摩郡に存在した町の一つ。現在の東京都中野区北部に当たる地域。1924年(大正13年)に町制施行することにより誕生した。なお、その前身となった野方村(のがたむら)についてもここで言及する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と野方町 · 続きを見る »

自由主義神学

自由主義神学(じゆうしゅぎしんがく、Liberal theology, Theological liberalism、リベラル、リベラリズム)は、キリスト教のプロテスタントの神学的立場の一つ。その発生以来、プロテスタント教会の主流エキュメニカル派の多くが採用する立場。 「自由主義」の語は社会学・政治学用語からの仮借であり、神学分野では「歴史的・組織的な教理体系から自由に、個人の理知的判断に従って再解釈する」の意である。教義・教理の批判的研究である教義史を確立させたアリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』教文館。 かつては新神学()とも呼ばれ、日本のキリスト教界にも大きな影響を与えた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と自由主義神学 · 続きを見る »

自治正教会

自治正教会(じちせいきょうかい、Αυτονομία, Автономия(Автономная церковь), Autonomy(Autonomous Church)とは、キリスト教・正教会の教会組織の種別・地位。自治教会(じちきょうかい)とも呼ばれる。「自治正教会」「自治教会」のいずれも、日本正教会の各種公式ホームページや出版物といった日本語媒体で見られるものであって正式な訳語であるが、本項はルーテル教会およびその他の教派の用語と区別するために「自治正教会」の記事名を採った。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と自治正教会 · 続きを見る »

金森通倫

金森 通倫(かなもり みちとも、「つうりん」とも 安政4年8月15日(1857年10月2日) - 昭和20年(1945年)3月4日)は、日本の宗教家・牧師。別名はポール・カナモリ。晩年は湘南の嶺山に隠居、原始的な洞窟生活をして「今仙人」といわれた。 政治家の石破茂は曾孫にあたる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と金森通倫 · 続きを見る »

采覧異言

『采覧異言』(さいらんいげん)は、新井白石が、1708年布教のため来日したイタリア人宣教師ジョバンニ・シドッチを尋問して得た知識を基に著わされた日本最初の組織的世界地理書。マテオ・リッチの『坤輿万国全図』やオランダ製の世界地図等多くの資料を用い、 各州名国の地理を説明しながら所説に典拠を明らかにしている。全巻を通じて世界各地の地名そのほかの地理的称呼はマテオ・リッチの漢訳にならっており、エゥロハ(巻之一)・アフリカ(巻之二)・アジア(巻之三,上下)・ソイデアメリカ(巻之四)・ノオルトアメリカ(巻之五)の順に組織的に世界各国の地理が漢文で書かれている。 1802年(享和2年)、大槻玄沢門下の山村才助は本書の誤りを訂正し、オランダ語地理書から訳出して補足を施し、「訂正増訳采覧異言」とまとめた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と采覧異言 · 続きを見る »

長崎の教会群とキリスト教関連遺産

長崎の教会群とキリスト教関連遺産(ながさきのきょうかいぐんとキリストきょうかんれんいさん)は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ追加掲載が決まった長崎県と熊本県にある教会、キリスト教に関わる史跡、文化財の総称。その後、構成資産の再考の中で長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産と改名された。 2007年1月23日、文化庁が「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県富岡市など。2014年に世界遺産登録)、「富士山」(山梨県、静岡県。2013年に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産登録)、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」(奈良県明日香村など)とともに追加申請を決めた。 2018年6月30日、第42回世界遺産委員会において登録が決定した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と長崎の教会群とキリスト教関連遺産 · 続きを見る »

長崎奉行

長崎奉行(ながさきぶぎょう)は江戸幕府の遠国奉行の一つ。遠国奉行首座。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と長崎奉行 · 続きを見る »

長崎市

佐山から望む長崎市街地。長崎市の夜景は世界新三大夜景・日本三大夜景にも数えられている。 長崎市(ながさきし)は、九州の北西部に位置する都市で、長崎県の県庁所在地である。国から中核市に指定されている。 古くから、外国への玄関口として発展してきた港湾都市である。江戸時代は国内唯一の貿易港出島を持ち、ヨーロッパ(主にオランダ)から多くの文化が入ってきた。外国からの文化流入の影響や、坂の多い街並みなどから、日本国内の他都市とは違った景観を保持している。 人口は長崎県で最大である。市域面積の13.1%である市街地に人口の約78%が住み、市街地の人口密度は7,900人/km2となっている。人口密度が高いため山間部にも建物が密集する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と長崎市 · 続きを見る »

長崎県

長崎県(ながさきけん)は、日本の九州地方北西端に位置する県である。県庁所在地は長崎市。 五島列島、壱岐島、対馬など、数多くの島嶼を含み、47都道府県中最も島が多いことで知られる。また、多島であるうえにリアス式海岸を多く擁することから、海岸線の長さは47都道府県中第2位もしくは第1位である(※「地形」節にて詳説)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と長崎県 · 続きを見る »

長縄光男

長縄 光男(ながなわ みつお、1941年12月 - )は、ロシア文学者、横浜国立大学名誉教授。ロシア思想史、日露関係史、日本における正教史を主な研究対象としている。モスクワ大学客員教授、ドストエフスキー記念オムスク大学日本文化講座派遣教授等を歴任。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と長縄光男 · 続きを見る »

色丹島

色丹島(しこたんとう)は、北海道根室半島の東に位置する島である。ロシア名はシコタン島(Остров Шикотан)。島の名の由来は、アイヌ語の「シ・コタン(大きな村)」に由来する。古くは「斜古丹」「支古丹」とも表記された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と色丹島 · 続きを見る »

鉄砲伝来

鉄砲伝来(てっぽうでんらい)とは、16世紀にヨーロッパから東アジアへ火縄銃(鉄砲、鐵炮)が伝わったこと、狭義には日本の種子島に伝来した事件を指す。現物の火縄銃のほか、製造技術や射撃法なども伝わった。年代については、1542年説、1543年説やそれ以前とするなど、諸説ある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と鉄砲伝来 · 続きを見る »

連合国軍最高司令官総司令部

連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)とは、第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関である。連合国軍最高司令部、連合国最高司令官総司令部とも。職員はアメリカ合衆国軍人とアメリカの民間人が多数で、他にイギリス軍人やオーストラリア軍人らで構成されていた。 極東委員会の下に位置し、最高責任者は連合国軍最高司令官(連合国最高司令官 Supreme Commander for the Allied Powers; SCAP)。日本では、総司令部 (General Headquarters) の頭字語であるGHQや進駐軍という通称が用いられた。支配ではなくポツダム宣言の執行が本来の役目である。結果として、連合国軍占領下の日本は対外関係を一切遼断され、日本と外国との間の人・物資・資本の移動はSCAP の許可によってのみ行われた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と連合国軍最高司令官総司令部 · 続きを見る »

択捉島

択捉島(えとろふとう、)は、千島列島南部に位置する島。日本では固有の領土であるとしているが、現在はロシア連邦が実効支配している。 地名の由来は、アイヌ語の「エトゥ・ヲロ・プ(岬の・ある・所)」から。ロシア名はイトゥルップ島(ロシア語: Итуруп)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と択捉島 · 続きを見る »

押川方義

押川 方義(おしかわ まさよし、嘉永4年12月16日(1852年1月7日) - 1928年(昭和3年)1月10日、生年に関しては諸説ある)は、日本人のキリスト教宗教家、教育家。東北学院及び宮城学院の創立者。日韓同志組合代表者の一人。 長男は、冒険小説家の草分け押川春浪(本名、方存)。二男は、プロ野球の生みの親である押川清。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と押川方義 · 続きを見る »

柏木義円

柏木 義円(かしわぎ ぎえん、万延元年3月9日(1860年3月30日) - 昭和13年(1938年)1月8日)は日本の牧師、キリスト教思想家である。山川均に影響を与えた。日本組合基督教会牧師。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と柏木義円 · 続きを見る »

授産所

授産所(じゅさんじょ, Sheltered workshop)とは、障害を抱えた人々を他より隔離された環境において雇用する事業所や団体である。援助付き雇用と異なるのは、これが一般雇用から切り離された部門で行われる点である。 授産所の設置は生活保護法を根拠とし、保護施設の一つとして、おもに政府機関や社会福祉法人などの団体によって行なわれている。 かつて2006年までは、主に障害者関連の法律(身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神保健福祉法)に基づいて作られている法定授産施設と、それ以外のいわゆる小規模授産施設の2種類に大きく分けられていた。2006年の障害者自立支援法施行後は、法定授産施設は障害者自立支援法を障害福祉サービスを提供する施設・事業所に移行した。旧法における身体障害者授産施設、知的障害者授産施設、精神障害者授産施設は経過措置として、2011年まで従来の規定により運営可能である(特定旧法指定施設)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と授産所 · 続きを見る »

東南アジア

東南アジア(とうなんアジア)は、中国より南、インドより東のアジア地域を指す。インドシナ半島、マレー半島、インドネシア諸島、フィリピン諸島などを含む。主に、大陸部東南アジアと島嶼部東南アジアに分けられる。 '''東南アジア''' 東南アジアの地図 東南アジアの範域.

新しい!!: 日本のキリスト教史と東南アジア · 続きを見る »

東京

西新宿東京スカイツリー/レインボーブリッジ渋谷/国会議事堂 東京(とうきょう、)は、日本の関東平野中央部の東京湾に面する都市、あるいは都市圏であり、江戸幕府の所在地・江戸が慶応4年7月(1868年9月)に「東京」に名称変更されたものである。 明治2年3月28日に、日本の都(みやこ)が京都から「東京」に遷された。そして現在の日本の事実上の首都である。 現在の東京は世界都市であり、都市圏として世界最大の人口・経済力を擁している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と東京 · 続きを見る »

東京基督教大学

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と東京基督教大学 · 続きを見る »

東京堂出版

株式会社 東京堂出版(とうきょうどうしゅっぱん)は、東京都千代田区にある日本の出版社。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と東京堂出版 · 続きを見る »

東京女子大学

ディンバラ宣教会議.

新しい!!: 日本のキリスト教史と東京女子大学 · 続きを見る »

東京駅

東京駅全景(2012年9月30日) 東京駅夜景(2012年10月4日) 東京駅(とうきょうえき)は、東京都千代田区丸の内一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。 ※以下、JR東日本とJR東海を総称する場合は「JR」と表記する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と東京駅 · 続きを見る »

東北地方

東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置している。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。 その範囲に法律上の明確な定義はないものの「そもそも『〜地方』といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)」 首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか 『日本経済新聞』 平成24年6月16日S3面、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、pp.776-777 ISBN 4-09-523101-7。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と東北地方 · 続きを見る »

松前藩

松前藩(まつまえはん)は、渡島国津軽郡(現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。藩主は江戸時代を通じて松前氏であった。後に城主となり同所に松前福山城を築く。居城の名から福山藩とも呼ばれる。慶応4年、居城を領内の檜山郡厚沢部町の館城に移し、明治期には館藩と称した。家格は外様大名の1万石格、幕末に3万石格となった。 江戸時代初期の領地は、現在の北海道南西部。渡島半島の和人地に限られた。残る北海道にあたる蝦夷地は、しだいに松前藩が支配を強めて藩領化した。藩と藩士の財政基盤は蝦夷地のアイヌとの交易独占にあり、農業を基盤にした幕藩体制の統治原則にあてはまらない例外的な存在であった。江戸時代後期からはしばしば幕府に蝦夷地支配をとりあげられた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と松前藩 · 続きを見る »

松倉勝家

松倉 勝家(まつくら かついえ)は、江戸時代前期の大名。肥前島原藩2代藩主。初代藩主・松倉重政の嫡男。領国に悪政を敷き、島原の乱を引き起こした。 乱の鎮定後は江戸幕府に領国経営失敗と反乱惹起を問責され、大名としては異例の斬首刑に処された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と松倉勝家 · 続きを見る »

松江市

松江市(まつえし)は、島根県の東部(出雲地方)に位置する市。同県の県庁所在地である。 2012年(平成24年)4月1日に特例市に、2018年(平成30年)4月1日には中核市に移行した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と松江市 · 続きを見る »

松江バンド

バークレー・バックストン最後の来日。 三谷種吉らと。1937年 松江バンド(まつえバンド)は島根県松江市で始まった日本の純福音運動の源流の一つ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と松江バンド · 続きを見る »

杉原千畝

杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日)は日本の外交官。 第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ人系であった千畝の発給したビザによって生き延びた難民たちの子孫は、今日25万人にも及ぶという。cf.

新しい!!: 日本のキリスト教史と杉原千畝 · 続きを見る »

森有礼

森 有礼(もり ありのり、正字体:森有禮、弘化4年7月13日(1847年8月23日) - 明治22年(1889年)2月12日)は、日本の武士(薩摩藩士)、外交官、政治家。初代文部大臣を務めた他、一橋大学を創設し、明六社会長(発起人)、東京学士会院初代会員、大日本教育会名誉会員を務め、明治六大教育家に数えられる。正二位子爵。通称は助五郎、金之丞。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と森有礼 · 続きを見る »

植村・海老名キリスト論論争

植村・海老名キリスト論論争(うえむら・えびなキリストろんろんそう)は、日本基督教会の指導者植村正久と日本組合基督教会の指導者海老名弾正の間になされた、キリスト論についての論争。 1901年9月号の『福音新報』に、植村が「福音同盟会と大挙伝道」を発表し、自由主義神学の立場の海老名と論争がおこる。 この論争を経た1902年の福音同盟会の総会において「本同盟が福音主義と認める物は聖書を以って信仰と行為の完全なる規範とし、人とその救いのために世に降り給える吾等の主イエス・キリストを神と信じるものを言う。」と宣言され、海老名は福音同盟会から追放された。 ただし、植村はキリスト論に集中しており、論争で確認されたことは福音主義全体についてではない。その後に日本基督教会は植村の立場の東京神学社とより保守的な神戸神学校に分かれる。 また植村は言語霊感を否定しており、自由主義神学に対処しきれなかったとの指摘がある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と植村・海老名キリスト論論争 · 続きを見る »

植村正久

植村 正久(うえむら まさひさ、1858年1月15日(安政4年12月1日) - 1925年1月8日)は、日本の思想家・キリスト教の伝道者・牧師・神学者・説教家。号は「謙堂」あるいは「桔梗生」など。日本のキリスト教教会の形成に大きな役割を果たした植村は田村直臣、松村介石、内村鑑三と共にキリスト教界の四村と呼ばれた。日本基督教会、日本のプロテスタントの指導者であり、後の日本のプロテスタントにも大きな影響を与え、全日本キリスト教会のプロテスタント教皇といわれた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と植村正久 · 続きを見る »

植民地

植民地(しょくみんち、殖民地とも)とは、国外に移住者が移り住み、当事国政府の支配下にある領土のことで統治領(とうちりょう)とも呼ばれる。 古代史にはフェニキアや古代ギリシアにも見られるが多くは植民元との関係は維持しつつ独立した体制となっており、侵略によって獲得した海外領土の類型は古代ローマに見られる。近年はヴェネチアなどが行った東地中海における植民地経営をそれ以降の植民地支配と連続した流れと考える向きもある。 以下では16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主として扱う。近現代においては、本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、本国と異なる法的地位にあり、本国に従属する領土を植民地という。 また、植民地に対して従属させて、それらを所有している本国のことは「宗主国」と呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と植民地 · 続きを見る »

極東

極東 極東(きょくとう、Far East)とは、東アジア、東北アジアと東南アジアの一部地域を示す言葉。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と極東 · 続きを見る »

横浜市

横浜市(よこはまし)は、関東地方南部、神奈川県の東部に位置する都市で、同県の県庁所在地。政令指定都市の一つであり、18区の行政区を持つ。現在の総人口は日本の市町村では最も多く、四国地方に匹敵するおおよそ373万人であり1府37県の人口を上回る。人口集中地区人口も東京23区(東京特別区)に次ぐ。神奈川県内の市町村では、面積が最も広い。市域の過半は旧武蔵国で、南西部は旧相模国(戸塚区、泉区、栄区の全域と瀬谷区、港南区の一部)。 幕末以降(詳しくは後述)から外国資本が積極的に当地に進出。そのため近代日本において有数の外資獲得力を誇った。関東大震災後は政府による積極的な振興政策により、京浜工業地帯の中核都市となった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と横浜市 · 続きを見る »

横浜バンド

横浜バンド(よこはまバンド)は、ジェームス・ハミルトン・バラ、サミュエル・ロビンス・ブラウンら宣教師たちに導かれて1872年に結成された日本基督公会のメンバー。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と横浜バンド · 続きを見る »

横浜海岸教会

日本基督公会(にほんキリストこうかい、英語:The Church of Christ in Japan)は、1872年3月10日(旧暦明治5年2月2日)に横浜公会(よこはまこうかい)として設立された日本で最初のプロテスタント教会。現在は、日本キリスト教会・横浜海岸教会。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と横浜海岸教会 · 続きを見る »

樺太

樺太(からふと)、樺太島(からふととう、、)、サハリン、サハリン島は、ユーラシア大陸の東方、オホーツク海の南西部にあるロシア連邦サハリン州の島。広義の日本列島に含む場合もある。南北約948km、東西の幅最大約160kmで南北に細長い。面積76,400kmは世界第22位で21位の北海道(78,073km)より若干小さい。人口約50万人。最大都市はサハリン州の州都でもあるユジノサハリンスク(人口約18万人)。 樺太は、日露戦争後のポーツマス条約により北緯50度線を境界に南北に分割され、それぞれ異なる沿革を経たため、ここでは北緯50度以北を「北樺太」(または「北サハリン」)、以南を「南樺太」と表記する。 現在、サハリンプロジェクトが進められている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と樺太 · 続きを見る »

檀家制度

檀家制度(だんかせいど)とは、寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことを条件に結ばれた、寺と檀家の関係をいう国史大辞典「檀家制度」。寺請制度(てらうけせいど)、あるいは寺檀制度(じだんせいど)ともいう。 江戸幕府の宗教統制政策から生まれた制度であり、家や祖先崇拝の側面を強く持つ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と檀家制度 · 続きを見る »

正定事件

正定事件(せいていじけん)は、1937年10月9日、現在の中国河北省正定において、キリスト教・カトリックの司教ら9人が誘拐・殺害された事件である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と正定事件 · 続きを見る »

正教会

Σημειώσεις από τις παραδόσεις τού καθηγητού Ι. Δ. Ζηζιούλαより)。 正教会(せいきょうかい、Ορθόδοξη Εκκλησία、Православие、Orthodox Church)は、ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる、キリスト教の教会(教派)の一つ。 日本語の「正教」、英語名の"Orthodox"(オーソドックス)は、「正しい讃美」「正しい教え」を意味するギリシャ語のオルソドクシア "ορθοδοξία" に由来する。正教会は使徒継承を自認し、自身の歴史を1世紀の初代教会にさかのぼるとしている『正教会の手引き』8頁 - 11頁。 なお「東方教会」(とうほうきょうかい)が正教会を指している場合もある。 例外はあるものの、正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本である。コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、ギリシャ正教会、日本正教会などは個別の組織名であって教会全体の名ではない。いずれの地域別の教会組織も、正教として同じ信仰を有している。教会全体の名はあくまで正教会であり、「ロシア正教に改宗」「ルーマニア正教に改宗」といった表現は誤りである。 なお、アルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会なども同じく「正教会」を名乗りその正統性を自覚しているが、上に述べたギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別の系統に属する。英語ではこれらの教会は"Oriental Orthodox Church"とも呼ばれる。詳細は非カルケドン派正教会を参照。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と正教会 · 続きを見る »

正教徒

正教会の教会機構の図解。 正教徒(せいきょうと)とは、キリスト教の教派のひとつである正教の信者を意味する用語。正教信徒(せいきょうしんと)とも。日本ハリストス正教会でも頻繁に用いられる。一般には7つの全地公会議を認める諸教会(Eastern Orthodox)の信徒を指し、非カルケドン派(Oriental Orthodox)に所属する教会の信徒にはあまり用いられない。 グルジア正教会、ブルガリア正教会、セルビア正教会、ロシア正教会、ギリシャ正教会、ルーマニア正教会、日本正教会等、そのいずれもが正教会なのであり、同じ信仰を有している。 教義・教理は全く同じであり、機密(秘蹟)はいずれの教会のものも相互に有効であるとされ、いずれの教会に属する信徒も「正教徒」と呼ばれ、教会間の相互領聖は完全に行われており、フル・コミュニオンの関係にある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と正教徒 · 続きを見る »

殉教

殉教(じゅんきょう)とは自らの信仰のために命を失ったとみなされる死のこと。キリスト教の歴史でよく用いられる言葉であるが、キリスト教以外の宗教でも見られ、宗教的迫害において命を奪われた場合や、棄教を強制され、それに応じないで死を選ぶ場合など、様々な形の殉教がある。なおキリスト教の一教派である正教会(日本ハリストス正教会)では殉教との語を使わず、致命(ちめい)・致命者の語を用いる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と殉教 · 続きを見る »

殉教血史 日本二十六聖人

『殉教血史 日本二十六聖人』(じゅんきょうけっし にっぽんにじゅうろくせいじん)は、1931年10月1日に公開された日本映画である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と殉教血史 日本二十六聖人 · 続きを見る »

江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と江戸幕府 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と江戸時代 · 続きを見る »

池田長十郎

池田長十郎(いけだ ちょうじゅうろう、1891年(明治24年)10月11日 - 1943年(昭和18年)1月27日)は、ホーリネス教会の牧師、殉教者の1人である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と池田長十郎 · 続きを見る »

法学部

法学部(ほうがくぶ、英称:Faculty of Law / School of Law / College of Law)は、大学の学部の一つで、法学を研究・教授の対象とする。また法学部政治学科のように法学部内で政治学を研究・教授の対象とするところもある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と法学部 · 続きを見る »

法律

法律(ほうりつ)は、以下のように様々な意味で用いられる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と法律 · 続きを見る »

法華宗

法華宗(ほっけしゅう)とは、妙法蓮華経を依拠教典とする仏教の宗旨に対して使用される呼称のひとつ。以下の各種の用法で用いられる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と法華宗 · 続きを見る »

洗礼

洗礼(せんれい、Βάπτισμα, Baptism、「バプテスマ」とも)は、キリスト教の入信に際して行われるサクラメント(大辞林)(機密、秘跡)。浸水(浸礼、身体を水に浸す)または灌水(頭部に水を注ぐ)や滴礼(頭部に手で水滴をつける)によって行われる。 正教会、カトリック教会、聖公会、および大半のプロテスタントで「洗礼」と表記されるが、バプテスト教会では専ら「浸礼」(しんれい)または「バプテスマ」と表記される。 洗礼を受けることを「受洗(じゅせん)」もしくは「受浸(じゅしん)」と言う。日本正教会では「領洗(りょうせん)」とも言う。 日本語の「洗礼」には、ここから派生した語義として「初めての経験」や通過儀礼などがあるが、本項ではキリスト教における洗礼を扱う。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と洗礼 · 続きを見る »

淀橋教会

淀橋教会(よどばしきょうかい)はホーリネス運動で最初に誕生した教会。ホーリネス運動の中で重要な役割を果たして来た。現在は、ウェスレアン・ホーリネス教団の教会である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と淀橋教会 · 続きを見る »

渡瀬常吉

渡瀬 常吉(わたぜ つねよし、慶応3年7月28日(1867年8月27日) - 昭和19年(1944年)10月14日)は、日本組合基督教会の牧師、宣教師。牧師の千葉昌雄、渡瀬主一郎の実兄であり、牧師3兄弟であった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と渡瀬常吉 · 続きを見る »

満州事変

満州事変(まんしゅうじへん、)は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍満洲駐留の大日本帝国陸軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件石原莞爾と板垣征四郎は否定したが、極東国際軍事裁判の田中隆吉の証言と、当時関東軍司令部付であった花谷正の手記という形の原稿「満洲事変はこうして計画された」(別冊『知性』昭和31年12月号)により関東軍の関与が明らかとなった。ただし、南満州鉄道の日本爆破説の真偽を確証できないと主張するものもある(中西輝政・北村稔『歴史通』2011年3月号『さきに「平和」を破ったのは誰か』))に端を発し、関東軍による満州(中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。中国側の呼称は九一八事変現在柳条湖の事件現場には九・一八歴史博物館が建てられている。この博物館には事件の首謀者としてただ2人、板垣と石原のレリーフが掲示されている。 関東軍はわずか5か月の間に満州全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と満州事変 · 続きを見る »

滝乃川学園

会福祉法人 滝乃川学園(しゃかいふくしほうじん たきのがわがくえん、Social Welfare Foundation TAKINOGAWA GAKUEN)は、東京都国立市谷保に本部を置く社会福祉法人で、知的障害児施設「滝乃川学園児童部」、知的障害者施設「滝乃川学園成人部」等を設置・運営している社会福祉事業者である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と滝乃川学園 · 続きを見る »

朝鮮総督府

朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ、朝鮮語:조선총독부)は、1910年(明治43年)の韓国併合によって大日本帝国領となった朝鮮を統治するため、同年9月30日に設置された官庁である。庁舎は京畿道京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)の景福宮敷地内に設置された。 韓国統監府を前身とし、旧大韓帝国の政府組織を改組・統合したため朝鮮人職員を多く抱えていたが、枢要なポストはほぼ日本人が握っていた。初代総督は寺内正毅。総督は現役または予備役の陸海軍大将が歴任した。1945年、太平洋戦争(大東亜戦争)における日本の敗戦にともない、連合国の指示により業務を停止するため、政務総監遠藤柳作によって呂運亨らに独立に向けて朝鮮建国準備委員会の組織化の打診があるも、その後も総督府の行政は継続され、行政権限は北緯38度線以南の占領行政機関となったアメリカ軍政庁へ引き継がれた。 総督府によりインフラの整備がおこなわれ、結果として伝染病の予防や出生率の増加におよび朝鮮総督府『統計年報』黄文雄『歪められた朝鮮総督府』光文社、教育施設では皇民化教育、日本語やハングル崔基鎬『韓国 堕落の2000年史』祥伝社の教育が進められたが、言論の制限や結社の禁止、独立運動などへの取り締まりなども行われた相賀徹夫著・編『日本大百科全書 15』1987年 小学館。これらの政策や事業に対しては批判する意見と評価する意見があり、現在も議論が続けられている。 建物は1948年の韓国の建国から1995年に金泳三大統領に爆破解体されるまで国会議事堂、中央庁、国立中央博物館とされた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と朝鮮総督府 · 続きを見る »

木下尚江

木下 尚江(きのした なおえ、1869年10月12日(明治2年9月8日)- 1937年(昭和12年)11月5日)は、日本の社会運動家、作家。男性。尚江は本名。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と木下尚江 · 続きを見る »

木村清松

木村 清松(きむら せいまつ、1874年4月7日 - 1958年1月14日)は、日本の巡回伝道者、牧師。ナイアガラの滝を「自分のお父さんのものだ」と言ったことで話題になった。「キリストに虜われし清松」と呼ばれていた。伝記を書いた岩村清四郎は実弟.

新しい!!: 日本のキリスト教史と木村清松 · 続きを見る »

末日聖徒イエス・キリスト教会

末日聖徒イエス・キリスト教会(まつじつせいとイエス・キリストきょうかい、)は、1830年にアメリカ合衆国にて宗教家ジョセフ・スミス・ジュニアによって立ち上げられたキリスト教系の新宗教。通称はモルモン教会(モルモンきょうかい)で、教典の一つである「モルモン書」(The Book of Mormon)に由来する。本部はアメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティ。 創始者であるジョセフ・スミスを通して、原始キリスト教会が現代に回復されたとされる。聖書の他にモルモン書など独自の聖典を持ち、教義においては三位一体説の否認、キリストおよび死者の復活、キリストの再臨、福千年を説いている。また人の運命(救い)を決めるのは本人の自由に任されていると主張している点はメソジスト、バプティスト派に類似すると指摘されている。 宗教学上ではキリスト教系の新宗教に分類されている井門富二夫『カルトの諸相 キリスト教の場合』岩波書店1997年。アメリカ合衆国ユタ州を中心に多くの信徒を持ち、アメリカではカトリック教会、ルーテル教会、バプティスト派、メソジスト派、ディサイプルスとともにキリスト教における六大宗派の一つとされているものの、キリスト教主流派であるカトリック・正教会・プロテスタントの各団体は、公式に異端と表明している-全世界のカトリック教会を統率する組織であるローマ教皇庁の教理省は、モルモン教のバプテスマについて、キリストが制定したバプテスマではないことを表明している。-米国最大のルーテル派教会は「神の言葉のモルモン理解はキリスト教の理解と同じではないので、キリスト教のバプテスマが起こっていないと言うのは正しいです。」と表明している。-「モルモン教は自己定義によって、キリスト教信仰の歴史的、使徒的伝統の範囲内に収まりません。 」とし、 モルモン教のバプテスマを認めないことを表明している。 -米国最大の長老派教会である米国長老派教会 ( Presbyterian Church USA )は公式声明を発表し、キリスト教教会の歴史的な使徒的伝統とは異なる新宗教であるとしている。-ロシア正教会主教会議は「偽キリスト教セクト、新異教主義、オカルティズムについて」(1994年12月)においてモルモン教を挙げている。。 独自の聖典を持ち、その中心である『モルモン書』を「聖書より正確」とする 。また現代のキリスト教の多くの宗派が重視する三位一体とは異なり、神、イエス・キリスト、聖霊は別個独立の人格神であることは認めているが、「神は以前は人間であった」「神には妻(天母)がいる」「救われた人間は死後、天で現在の神のようになる」などという神概念を持つ多神教である尾形守『異端見分けハンドブック』プレイズ出版。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と末日聖徒イエス・キリスト教会 · 続きを見る »

本多庸一

本多 庸一(ほんだ よういつ、1849年1月7日(嘉永元年12月13日) - 1912年(明治45年)3月26日)は、日本のキリスト教伝道者・牧師・教育者・政治家。日本メソヂスト教会の初代監督。青森県弘前市生まれ。新島襄、内村鑑三、新渡戸稲造、本間俊平と並び、明治期日本におけるキリスト教主義教育の先駆者とされる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と本多庸一 · 続きを見る »

札幌バンド

札幌バンド(さっぽろバンド)は、日本のプロテスタントの発祥地の1つ。札幌バンドの中の内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾を中心とする青年の活躍は注目され、横浜バンド、熊本バンドと並んで日本のプロテスタント発祥の3基点の1つに数えられている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と札幌バンド · 続きを見る »

札幌農学校

札幌農学校(さっぽろのうがっこう)とは、明治初期に北海道札幌に置かれた教育機関であり、現在の北海道大学の前身である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と札幌農学校 · 続きを見る »

朱基徹

朱 基徹(チュ・キチョル、1897年11月25日 - 1944年4月21日)は、朝鮮長老派教会の牧師。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と朱基徹 · 続きを見る »

有馬晴信

有馬 晴信(ありま はるのぶ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての大名で、肥前日野江藩初代藩主。有馬義貞の次男。キリシタン大名で、大村純忠は叔父に当たる。 大友義鎮(宗麟)からは偏諱を賜って初めは鎮純(しげずみ)、鎮貴(しげたか)を名乗っていた。 なお正純、正俊と名乗った一時期があったするが、史料的に裏付けるものはない。名乗りが確認されるだけでも四つ、正純や正俊も含めるとそれ以上の数になり、これはその地位の不安定さによるものとされている。のちに島津義久からの偏諱で久賢(ひさまさ)、そして足利義晴から偏諱を受けた祖父の有馬晴純から一字取って晴信に改名。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と有馬晴信 · 続きを見る »

戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と戦国時代 (日本) · 続きを見る »

明仁

明仁(あきひと、1933年(昭和8年)12月23日 - )は日本の第125代天皇(在位: 1989年(昭和64年)1月7日 - )である代数は皇統譜による。。現時代においては「在位中の天皇」を意味する今上天皇(きんじょうてんのう)、または敬称をつけて天皇陛下(てんのうへいか)と呼ばれることが多い。 昭和天皇(第124代天皇)の第一皇子。母は香淳皇后。大正天皇の皇孫かつ明治天皇の皇曾孫。 御称号は継宮(つぐのみや)。皇室典範に定める敬称は陛下。お印は榮(えい、文字がお印)。 日本国憲法施行後初めて即位した天皇であり、また京都ではなく東京で即位の礼を執り行った初めての天皇である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と明仁 · 続きを見る »

明治天皇

明治天皇(めいじてんのう、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)- 1912年(明治45年)7月30日)は日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。御称号は祐宮(さちのみや)。お印は永(えい)。倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれる。功績・人物像から明治大帝(Meiji the Great)・明治聖帝・睦仁大帝(Mutsuhito the Great) とも呼ばれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と明治天皇 · 続きを見る »

明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と明治維新 · 続きを見る »

浦上四番崩れ

浦上四番崩れ(うらかみよばんくずれ)は、現在の長崎市で江戸時代末期から明治時代初期にかけて起きた大規模なキリスト教徒(カトリック信徒)への弾圧事件である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と浦上四番崩れ · 続きを見る »

海老名弾正

海老名 弾正(えびな だんじょう、改名前は喜三郎、安政3年8月20日(1856年9月18日) - 昭和12年(1937年)5月22日)は、日本の思想家・教育者・キリスト教の伝道者・牧師・説教家。小崎弘道、宮川経輝と共に「組合教会の三元老」と呼ばれた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と海老名弾正 · 続きを見る »

海星中学校・高等学校 (長崎県)

海星中学校・高等学校(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう, Kaisei Junior and Senior High School)は、長崎県長崎市東山手町にある私立中高一貫校。 フランス系カトリック・マリア会によって運営されているミッションスクールである。2017年に創立125周年を迎えた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と海星中学校・高等学校 (長崎県) · 続きを見る »

浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨である。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。「浄土真宗」の英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派・真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と浄土真宗 · 続きを見る »

浅草

浅草(あさくさ)は、東京都台東区の町名。または、旧東京市浅草区の範囲を指す地域名である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と浅草 · 続きを見る »

斎藤保太郎

斎藤 保太郎(さいとう やすたろう、1897年(明治30年)7月20日 - 1943年(昭和18年)12月8日)は、日本ホーリネス教会、きよめ教会の牧師である。太平洋戦争中に、治安維持法違反で検挙され、服役中に殉教した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と斎藤保太郎 · 続きを見る »

新島襄

新島 襄(にいじま じょう 英字表記:Joseph Hardy Neesima、天保14年1月14日(1843年2月12日) - 明治23年(1890年)1月23日)はキリスト教の教育者である。江戸時代の1864年(元治元年)に密出国してアメリカ合州国に渡り、そこでキリスト新教に入信して神学を学ぶ。そして、改革教会(カルバン主義)の清教徒運動の流れをくむ組合派系の伝道団体である「アメリカン・ボード」の宣教師となった。日本に帰った後の1875年(明治8年)にアメリカン・ボードの力添えによって京都府にて同志社英学校(後の同志社大学)を開いた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と新島襄 · 続きを見る »

新井白石

新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折し八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退、晩年は著述活動に勤しんだ。 学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白石は号で、諱は君美(きみよし、きんみ)。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と新井白石 · 続きを見る »

新共同訳聖書

新共同訳聖書(しんきょうどうやくせいしょ)は、聖書の日本語訳の一つ。1987年に初版が刊行された。正式な英語名は The Bible, The New Interconfessional Translation。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と新共同訳聖書 · 続きを見る »

新渡戸稲造

新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)は、日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。 国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。東京女子大学初代学長。東京女子経済専門学校(東京文化短期大学・現:新渡戸文化短期大学)初代校長。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と新渡戸稲造 · 続きを見る »

新改訳聖書

新改訳聖書(しんかいやくせいしょ)は、日本聖書刊行会より発行された聖書で、原語(ヘブライ語、ギリシア語)からの日本語翻訳聖書のひとつ。旧約聖書と新約聖書の両方を含み、カトリック教会が第二正典と呼ぶ外典を含まない66巻の書からなる。1970年初版発行、1978年第2版発行、2003年に差別語等を見直した(例えば「らい病」をヘブライ語の原音に近い「ツァラアト」に変更した)第3版が刊行された。また、全面的な改訂作業を行い、『聖書 新改訳2017』として2017年10月に刊行された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と新改訳聖書 · 続きを見る »

文部科学省検定済教科書

文部科学省検定済教科書(もんぶかがくしょう けんていずみきょうかしょ)とは、学校教育のうち、初等教育の課程、中等教育の課程(高等専門学校の課程を除く)に用いられる、文部科学大臣の検定を経た図書のことである。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と文部科学省検定済教科書 · 続きを見る »

日外アソシエーツ

日外アソシエーツ株式会社(にちがいあそしえーつ)は東京都品川区に本社を置く出版社・情報提供会社。1965年創業。紀伊國屋書店を主要株主、総発売元とする。出版梓会、日本電子出版協会、日本書籍出版協会加盟。 辞書、事典、年鑑、資料集などを制作するとともに、書籍やCD-ROM、インターネットを介した検索サービスの形で提供している。 日外ドキュメンツ貿易として1965年に設立された『中小公庫マンスリー』2002年3月、30-31ページ「ベンチャー企業訪問レポート インターネットが広げる人物情報データベース検索サービス 日外アソシエーツ株式会社 大高利夫」(調査部 池添誠)。2016年に大田区から品川区に会社を移転。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日外アソシエーツ · 続きを見る »

日中戦争

日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(民国26年、昭和12年)から1945年まで、中華民国と大日本帝国の間で行われた戦争である。日本政府は、勃発当時は支那事変としたが、1941年12月の対英米蘭との開戦に伴い、支那事変から対英米蘭戦までを大東亜戦争とした。中華民国側は、抗日戦争と呼称している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日中戦争 · 続きを見る »

日仏修好通商条約

日仏修好通商条約(にちふつしゅうこうつうしょうじょうやく)は、安政5年9月3日(グレゴリオ暦1858年10月9日)に日本とフランスの間で結ばれた通商条約。フランス側全権はジャン・バティスト・ルイ・グロ男爵、日本側全権は水野忠徳・永井尚志・井上清直・堀利煕・岩瀬忠震・野々山鉦蔵の六名。幕末の混乱期から明治初頭にかけ、日本が列強と結ぶことを余儀なくされた不平等条約の一つである。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日仏修好通商条約 · 続きを見る »

日米修好通商条約

日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく、Treaty of Amity and Commerce Between the United States and the Empire of Japan)は、安政5年6月19日(1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約である。 江戸幕府が日本を代表する政府として調印した条約であり、条約批准書原本には「源家茂」として当時の14代将軍徳川家茂の署名がなされている。欧語ではアメリカ全権タウンゼント・ハリスの名を冠して、ハリス条約(Harris Treaty)とも通称される。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日米修好通商条約 · 続きを見る »

日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日露戦争 · 続きを見る »

日比谷焼打事件

日比谷焼打事件(ひびややきうちじけん)は、1905年9月5日、東京市麹町区(現在の東京都千代田区)日比谷公園で行われた日露戦争の講和条約ポーツマス条約に反対する国民集会をきっかけに発生した日本の暴動事件。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日比谷焼打事件 · 続きを見る »

日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本 · 続きを見る »

日本基督教会

日本基督教会(にほんきりすときょうかい)は、日本にかつて存在した長老派教会。第一部として、日本基督教団の最大教派であったが、教団の部制解消と共に崩壊した。現在の略称は旧日基。 初期の指導者は植村正久、井深梶之助、最後の指導者は富田満である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本基督教会 · 続きを見る »

日本基督教団

日本基督教団(にほんキリストきょうだん、英語: United Church of Christ in Japan)は、1941年6月24日に日本国内のプロテスタント33教派が「合同」して成立した合同教会であり、公会主義を継承する唯一の団体である『キリストこそ我が救い-日本伝道150年の歩み』日本基督教団日本伝道150年記念行事準備委員会。通称は「日本キリスト教団」、略称は「教団」。 教会・伝道所に関しては日本基督教団の教会・伝道所一覧を参照.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本基督教団 · 続きを見る »

日本におけるカトリック教会

この項目では日本におけるカトリック教会(にっぽん、にほんにおけるカトリックきょうかい)について概説する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本におけるカトリック教会 · 続きを見る »

日本の宗教

この項目では日本の宗教(にほんのしゅうきょう)について概説する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本の宗教 · 続きを見る »

日本の仏教

日本の仏教(にほんのぶっきょう)について解説する。約8470万人が仏教徒であるとされる(2013年統計)。伝統的な仏教の13宗は、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗である。幕末まで、日本は仏と神を一体で不可分とする神仏習合の時代であった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本の仏教 · 続きを見る »

日本のプロテスタント教派一覧

日本のプロテスタント教派一覧(にっぽんのプロテスタントきょうはいちらん)は、日本にあるプロテスタントの教団・教派・宣教団体・単立教会等を系列別に分類して一覧にする。合同によって消滅した団体も含める。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本のプロテスタント教派一覧 · 続きを見る »

日本のキリシタン一覧

日本のキリシタン一覧は、戦国時代末期から明治時代初期までの日本の著名なキリシタン(当時のキリスト教徒)とその関係者の一覧。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本のキリシタン一覧 · 続きを見る »

日本の花嫁

『日本の花嫁』(にほんのはなよめ)は、キリスト教牧師の田村直臣の著書。内容が教界内外で問題となり、田村は自身の長老派教会から一時期追放された。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本の花嫁 · 続きを見る »

日本の歴史

日本の歴史(にほんのれきし)、日本史(にほんし)とは、日本または日本列島における歴史のこと。本項では世界的観点を交え日本の歴史を概観する。 各時代の詳細は、各時代区分項目(各節の冒頭のリンク先)を参照。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本の歴史 · 続きを見る »

日本の文化

本項では日本の文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。 分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本の文化 · 続きを見る »

日本宣教百年記念聖書信仰運動

日本宣教百年記念聖書信仰運動(にほんせんきょうひゃくねんきねん せいしょしんこううんどう、Japan Protestant Centennial)は、1959年、日本におけるプロテスタントの宣教100年を祝うため、「聖書信仰」を軸として福音的な諸教団・教派が協力し展開された運動。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本宣教百年記念聖書信仰運動 · 続きを見る »

日本万国博覧会

日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい、英:Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会。 アジア初かつ日本で最初の国際博覧会(General category:一般博、現・登録博)であり、当時史上最大の規模を誇った。略称は開催地の名から大阪万博、一般的な英語表記としてはEXPO'70が用いられた。また、日本国内において単に万博あるいは万国博とも略される(本項の記述にも用いる)。主催は、財団法人日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は当時の皇太子明仁親王、名誉会長は当時の内閣総理大臣、佐藤栄作。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本万国博覧会 · 続きを見る »

日本人

日本人(にほんじん、にっぽんじん、Japanese)は、日本の国籍(日本国籍)を持つ日本国民。または祖先が日本列島に居住していた民族集団を指す。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本人 · 続きを見る »

日本二十六聖人

日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本二十六聖人 · 続きを見る »

日本伝道会議

日本伝道会議、(にほんでんどうかいぎ)は、日本の福音派の伝道会議である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本伝道会議 · 続きを見る »

日本伝道隊

日本伝道隊(にほんでんどうたい、Japan Evangelistic Band、略称・JEB)は、イギリスに本部を置くプロテスタントの宣教団体。イギリス、アメリカ、日本で日本人に対する宣教活動が行われている。イギリスでは1999年より名称をジャパン・クリスチャン・リンク(Japan Christian Link, JCL)に変更しているが、日本では日本伝道隊の名前が引き続いて使用され、日本のプロテスタントの教派の1つとなっており5つの教会が属している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本伝道隊 · 続きを見る »

日本ハリストス正教会

函館ハリストス正教会復活聖堂 聖マトフェイ聖堂 日本ハリストス正教会(にほんハリストスせいきょうかい)は、キリスト教の教会。自治独立が認められている正教会所属教会のひとつである。ハリストスは「キリスト」の意(こうした独自の表記・翻訳については後述する)。英語表記は"Orthodox Church in Japan"である(略号はOCJ)。 通称・略称として日本正教会とも呼ばれる。1970年以前、自治正教会となっていなかったころにも、日本の正教会は日本人正教徒およびロシア人正教徒から「日本正教会」と呼ばれていた。 正教会は一カ国に一つの教会組織を置くことが原則だが(日本正教会以外の例としてはギリシャ正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉しているわけでは無く、同じ信仰を有している。 19世紀後半(明治時代)に、ロシア正教会の修道司祭聖ニコライ(のち初代日本大主教)によって正教の教えがもたらされ、これがその後の日本ハリストス正教会の設立につながった。聖ニコライによって建立されたニコライ堂(東京復活大聖堂)、函館の復活聖堂、豊橋の聖使徒福音記者マトフェイ聖堂は、国の重要文化財。 本項では日本ハリストス正教会で用いられている用語を断りなく用いることがある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本ハリストス正教会 · 続きを見る »

日本メソヂスト教会

日本メソヂスト教会(にほんメソヂストきょうかい)は日本のプロテスタントの教派の一つで、1907年に設立されて、1941年に日本基督教団の成立時に、教団に吸収されるまで存在した。この派は第二次世界大戦後もほとんどが日本基督教団に残留した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本メソヂスト教会 · 続きを見る »

日本プロテスタント宣教150周年

日本プロテスタント宣教150周年(にほんプロテスタントせんきょうひゃくごじっしゅうねん)になる2009年には、日本のプロテスタント宣教150周年を記念して、一連の記念行事が行われた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本プロテスタント宣教150周年 · 続きを見る »

日本プロテスタント宣教150周年記念大会

パシフィコ横浜国立大ホール 遠景 日本プロテスタント宣教150周年記念大会(にほんプロテスタントせんきょうひゃくごじっしゅうねんきねんたいかい)とは、日本のプロテスタント宣教150周年を記念して、エキュメニカル派、福音派、聖霊派の三派が共同し、2009年の7月8-9日にパシフィコ横浜で開催された記念大会。大会には延べ16000人が参加し、150周年を祝った。 開催テーマは「キリストにあってひとつ-主イエスの証し人(あかしびと)として-」。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本プロテスタント宣教150周年記念大会 · 続きを見る »

日本プロテスタント聖書信仰同盟

日本プロテスタント聖書信仰同盟(にほんプロテスタントせいしょしんこうどうめい、英語:Japan Protestant Conference、JPC)は、聖書信仰のクリスチャンの連絡機関で、日本福音同盟の三創立会員の一つ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本プロテスタント聖書信仰同盟 · 続きを見る »

日本イエス・キリスト教団

日本イエス・キリスト教団(にほんイエス・キリストきょうだん)は、水野晶子 (牧師)が代表(委員長)を務める日本の宗教法人である。 兵庫県神戸市兵庫区に事務所を置くプロテスタント福音派のキリスト教団。ホーリネス運動の流れを組み、日本福音同盟に加盟している。 34都道府県に127教会が所属する団体とのこと。 聖公会の宣教師で「松江バンド」の中心人物であったバークレー・バックストンが日本伝道隊を組織。その伝道組織として「日本イエス・キリスト教会」を設立、その後別個の教団として独立。 前委員長は川原﨑晃であり、2016(平成28)年までの宗教年鑑でも確認できる。宗教年鑑 平成 28 年版 (文化庁、121p).

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本イエス・キリスト教団 · 続きを見る »

日本キリスト改革派教会

日本キリスト改革派教会(にほんキリストかいかくはきょうかい)は、日本のプロテスタント系の団体。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本キリスト改革派教会 · 続きを見る »

日本キリスト教協議会

日本キリスト教協議会(にほんキリストきょうきょうぎかい、National Christian Council Japan, NCC)は、日本のキリスト教エキュメニカル運動団体である。前身は、1923年(大正12年)に日本のプロテスタントキリスト教諸教派・団体の相互連携と海外教会との連絡を目的に設立された日本基督教連盟である。 日本基督教連盟は、日米開戦・太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発した1941年(昭和16年)に、戦時下の宗教団体法に基づくプロテスタント諸教派の合同により、日本基督教団が設立されるとともに解散するが、1948年(昭和23年)には、日本基督教団からのプロテスタント諸教派の再分立などに伴い、日本基督教協議会として再び設立、その後、日本キリスト教協議会と改名し、現在に至る。略称は同じくNCCである。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本キリスト教協議会 · 続きを見る »

日本キリスト教婦人矯風会

公益財団法人日本キリスト教婦人矯風会(にほんキリストきょうふじんきょうふうかい)は、東京都新宿区百人町に本部を置く公益財団法人である。英語名は、Japan Christian Women's Organization。1886年(明治19年)に設立されたキリスト教系の日本の女性団体である。日本キリスト教協議会所属。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本キリスト教婦人矯風会 · 続きを見る »

日本国憲法

日本国憲法(にほんこくけんぽう、にっぽんこくけんぽう)は、現在の日本の国家形態および統治の組織・作用を規定している憲法。1947年(昭和22年)5月3日に施行された。ブルジョア憲法(資本主義憲法)の一種。 昭和憲法(しょうわけんぽう)、あるいは単に現行憲法(げんこうけんぽう)とも呼ばれる。 1945年(昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し『世界大百科事典』(平凡社)「日本国憲法」の項目より、その後の紆余曲折を経て起草された新憲法案は、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。 国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を定め、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という平和主義を定める。また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めている。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つは、日本国憲法を特徴付ける三大要素と呼ばれることもある。 2017年現在、現行憲法としては世界で最も長い期間改正されていない憲法である(Webアーカイブ)出典元記事の記載では、施行されてから一度も改正されていないという立場であるが、日本国憲法が一度も改正されていないか否かは、行われた改正手続き通り、大日本帝国憲法の全面改正として日本国憲法を捉えるか、事実上大日本帝国憲法を破棄して制定された新憲法と捉えるかで異論がある。日本国憲法は、当用漢字表と現代かなづかいの告示より前に公布されたもので、原文の漢字表記は当用漢字以前の旧字体であり、仮名遣いは歴史的仮名遣である。 原本は国立公文書館に保管されており、不定期に公開されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本国憲法 · 続きを見る »

日本国憲法第20条

日本国憲法 第20条(にほんこくけんぽう だい20じょう)は、日本国憲法の第3章にある条文で、信教の自由と政教分離原則について規定している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本国憲法第20条 · 続きを見る »

日本福音同盟

日本福音同盟(にほんふくいんどうめい、英語:Japan Evangelical Association、略称:JEA)は1968年に創設された福音主義教会の交流・協力機関。アジア福音同盟、世界福音同盟に加盟している。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本福音同盟 · 続きを見る »

日本統治時代の朝鮮

日本統治時代の朝鮮(にほんとうちじだいのちょうせん)は、1910年8月29日の大日本帝国による韓国併合から、1945年9月9日の朝鮮総督府の降伏まで、35年間続いた。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本統治時代の朝鮮 · 続きを見る »

日本組合基督教会

日本組合基督教会、(にほんくみあいキリストきょうかい)は、戦前のキリスト教会の主流派の一つで、1941年に日本基督教団に統合されて消滅した会衆派の団体。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本組合基督教会 · 続きを見る »

日本聖公会

日本聖公会(にっぽんせいこうかい, Nippon Sei Ko Kai, NSKK, The Anglican-Episcopal Church in Japan)は、キリスト教の一派のアングリカン・コミュニオンの形成団体のひとつ。聖公会は宗教改革の中からイングランドで生まれたキリスト教の一教派で、「英国教会」または「英国国教会」とも訳される。日本で宣教を開始したのは安政6年(1859年)で、国内の信者数はおよそ58,000人。受聖餐者はおよそ20,000人。300以上の教会のほか、立教大学、桃山学院、聖路加国際病院など、200あまりの関連施設を持つ。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本聖公会 · 続きを見る »

日本聖書協会

一般財団法人日本聖書協会(にほんせいしょきょうかい)は、主に日本語訳聖書などを出版する聖書協会である。プロテスタント系であるが、ローマ・カトリックとも共同作業を行うほか、正教会にも聖書を頒布している。所在地は東京都中央区銀座四丁目。聖書協会世界連盟加盟。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本聖書協会 · 続きを見る »

日本語

日本語(にほんご、にっぽんご「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。)は、主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語である。 日本は法令によって公用語を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令において日本語を用いることが規定され、学校教育においては「国語」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。 使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。統計によって前後する場合もあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。 日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を母語とする多くの場合、外国籍であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また琉球語を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。 2017年4月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、マレー語に次いで7番目に多い。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本語 · 続きを見る »

日本語訳聖書

日本語訳聖書(にほんごやくせいしょ)は、キリスト教などの聖典である聖書を日本語に翻訳したものである。聖書の日本語訳は、16世紀半ばのキリスト教伝来時から各教派により行われ、近現代には聖書学者らによる個人訳なども多数公刊されている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と日本語訳聖書 · 続きを見る »

旧制中学校

旧制中学校(きゅうせいちゅうがっこう)とは、1947年に学校教育法が施行される前の日本で、男子に対して中等教育(普通教育)を行っていた学校の1つである。学校教育法施行後は高等学校(新制)に移行した。 旧制中学(きゅうせいちゅうがく)と略されることも多い(高等女学校や実業学校を含んだ、より広い概念である旧制中等学校との違いに注意)。女子に対する中等教育は高等女学校で行われた。 「旧制」とは現在の学校教育法に基づく制度が実施される前の制度のことであり、当時は単に「中学校」と呼称した。 戦後、多くは普通科の新制高等学校へ移行した。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と旧制中学校 · 続きを見る »

政治

本記事では政治(せいじ)とは何かについて解説していく。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と政治 · 続きを見る »

救世軍

街頭での募金活動(社会鍋) 救世軍(きゅうせいぐん、)は、ケネス・メイナーが代表を務める日本の法人である。 なお、英語の「The Salvation Army」を「救世軍」と日本語に翻訳したのは尾崎行雄である。 世界128の国と地域で伝道事業(=宗教活動)、社会福祉事業、教育事業、医療事業を推進するキリスト教(プロテスタント)の教派団体。日本では日本福音同盟に加盟している。軍隊を模した組織をとって行う活動や、クリスマスを中心とした年末に行われる募金活動「社会鍋」で有名。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と救世軍 · 続きを見る »

教会派

教会派(きょうかいは)は、日本基督教団においてキリスト教会の役割を重要視し、政治的・社会的運動よりも、教会が救世主イエス・キリストの十字架と復活によって示された神の愛による人間の罪からの救いを生活、態度、言葉によって伝える伝道によって社会に積極的に出て行くことを優先させることが教会の使命であると認める教会、関係者を指す。社会派(造反派、問題提起者)に対応して登場した用語である。東京神学大学、山北宣久が代表的である。 1970年に日本万国博覧会(大阪万博)に出展された、万博キリスト教館を巡って、それに反対する社会派と推進する教会派の対立が起こった。日本キリスト教協議会(NCC)議長大村勇と東神大教授の北森嘉蔵が、推進派であった。東京神学大学では、万博反対派の学生たちが、東京神学大学全学共闘会議を組織し、教会派の東神大教授会は機動隊を投入して社会派の学生を排除した。 小林貞夫は、日本基督教団福音主義教会連合や、小島誠志、山北宣久を教団議長に推薦した一派を教会派と呼んでいる。伝道を教会勢拡大主義として非難した社会派に対して伝道派とも呼ばれる。 山北宣久、藤掛順一ら教会派は、日本基督教団の教憲・教規を重視し、フリー聖餐を行う日本基督教団紅葉坂教会の北村慈郎に対する戒規を求めているため、教憲・教規派とも呼ばれている。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と教会派 · 続きを見る »

教区

教区(きょうく、、)とは、宗教組織が行政や布教活動などのために地域ごとに設定する単位である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と教区 · 続きを見る »

教皇

教皇(きょうこう、Pāpa、Πάπας Pápas、The Pope)は、キリスト教の最高位聖職者の称号。一般的にはカトリック教会のローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。ヴァティカン市国の首長。教皇の地位は「教皇位」、あるいは「教皇座」と呼ばれる。また、教皇の権威のことを「聖座」、「使徒座」ということもある。現在の教皇はフランシスコ(第266代)。 日本語では「ローマ法王」と表記されることも多いが、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨している(後述)。またカトリックの内部では「教父」の呼称を用いる場合もある。なお、退位した教皇の称号は名誉教皇(名誉法王とも)という。 本項では主にローマ教皇について記述する。その他の教皇については称号の変遷とその他の「教皇」の節を参照。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と教皇 · 続きを見る »

教育ニ関スル勅語

教育ニ関スル勅語(きょういくにかんするちょくご)または教育勅語(きょういくちょくご)は、明治天皇の勅語として発布された、近代日本の教学の最高規範書「」。1890年(明治23年)10月30日発布、1948年(昭和23年)6月19日廃止。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と教育ニ関スル勅語 · 続きを見る »

教文館

株式会社教文館(きょうぶんかん、Kyobunkwan Inc., Christian Literature Society of Japan)とは、東京都中央区銀座四丁目に所在する出版社、書店。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と教文館 · 続きを見る »

慈善

慈善(じぜん)とは、他人に対して情けや哀れみをかけること、また、恵まれない人々に経済的・物理的な援助をすることである。 このような人の心情と行為は世界中に普遍的に存在する。キリスト教での「チャリティー」やイスラム教での「ザカート」、仏教では古くは「喜捨」が、現在では「施し」が行為としての慈善に近いものである。 英語の"charity"から日本語化したチャリティーは、元来はキリスト教由来の観念である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と慈善 · 続きを見る »

普及福音教会

普及福音新教伝道会(ふきゅうふくいんしんきょうでんどうかい,独:Allgemeiner evangelisch-protestantischer Missionsverein、略称:AEPM)は、日本のドイツ系の自由主義神学の団体である。日本の知識層、財界政界などの著名人に多くの影響を与えた。ドイツ・東アジアミッション(Deutsche Ostasienmission)ともいう。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と普及福音教会 · 続きを見る »

10月

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より10月 10月(じゅうがつ)はグレゴリオ暦で年の第10の月に当たり、31日ある。 日本では、旧暦10月を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、新暦10月の別名としても用いる。 英語での月名 October は、ラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第8の」という意味の "octo" の語に由来している。一般的な暦では10番目の月であるが、紀元前46年まで使われていたローマ暦では、一般的な暦の3月が年始であり、3月から数えて8番目という意味である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と10月 · 続きを見る »

1543年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1543年 · 続きを見る »

1549年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1549年 · 続きを見る »

1563年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1563年 · 続きを見る »

1582年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1582年 · 続きを見る »

1587年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1587年 · 続きを見る »

1590年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1590年 · 続きを見る »

1596年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1596年 · 続きを見る »

1597年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1597年 · 続きを見る »

1598年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1598年 · 続きを見る »

1600年

400年に一度の世紀末閏年(16世紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年となる(グレゴリオ暦の規定による)。。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と1600年 · 続きを見る »

1607年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1607年 · 続きを見る »

1612年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1612年 · 続きを見る »

1616年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1616年 · 続きを見る »

1619年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1619年 · 続きを見る »

1622年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1622年 · 続きを見る »

1623年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1623年 · 続きを見る »

1637年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1637年 · 続きを見る »

1638年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1638年 · 続きを見る »

1639年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1639年 · 続きを見る »

1641年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1641年 · 続きを見る »

1708年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1708年 · 続きを見る »

1844年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1844年 · 続きを見る »

1846年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1846年 · 続きを見る »

1850年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1850年 · 続きを見る »

1855年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1855年 · 続きを見る »

1857年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1857年 · 続きを見る »

1858年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1858年 · 続きを見る »

1859年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1859年 · 続きを見る »

1860年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1860年 · 続きを見る »

1861年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1861年 · 続きを見る »

1862年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1862年 · 続きを見る »

1863年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1863年 · 続きを見る »

1864年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1864年 · 続きを見る »

1865年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1865年 · 続きを見る »

1867年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1867年 · 続きを見る »

1868年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1868年 · 続きを見る »

1869年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1869年 · 続きを見る »

1871年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1871年 · 続きを見る »

1872年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1872年 · 続きを見る »

1873年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1873年 · 続きを見る »

1874年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1874年 · 続きを見る »

1875年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1875年 · 続きを見る »

1876年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1876年 · 続きを見る »

1877年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1877年 · 続きを見る »

1878年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1878年 · 続きを見る »

1880年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1880年 · 続きを見る »

1882年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1882年 · 続きを見る »

1883年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1883年 · 続きを見る »

1884年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1884年 · 続きを見る »

1885年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1885年 · 続きを見る »

1886年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1886年 · 続きを見る »

1887年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1887年 · 続きを見る »

1888年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1888年 · 続きを見る »

1889年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1889年 · 続きを見る »

1890年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1890年 · 続きを見る »

1891年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1891年 · 続きを見る »

1892年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1892年 · 続きを見る »

1893年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1893年 · 続きを見る »

1894年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1894年 · 続きを見る »

1895年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1895年 · 続きを見る »

1897年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1897年 · 続きを見る »

1898年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1898年 · 続きを見る »

1901年

20世紀最初の年である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と1901年 · 続きを見る »

1902年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1902年 · 続きを見る »

1903年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1903年 · 続きを見る »

1904年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1904年 · 続きを見る »

1905年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1905年 · 続きを見る »

1906年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1906年 · 続きを見る »

1907年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1907年 · 続きを見る »

1908年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1908年 · 続きを見る »

1909年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1909年 · 続きを見る »

1910年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1910年 · 続きを見る »

1911年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1911年 · 続きを見る »

1912年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1912年 · 続きを見る »

1913年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1913年 · 続きを見る »

1916年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1916年 · 続きを見る »

1918年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1918年 · 続きを見る »

1919年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1919年 · 続きを見る »

1922年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1922年 · 続きを見る »

1926年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1926年 · 続きを見る »

1927年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1927年 · 続きを見る »

1929年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1929年 · 続きを見る »

1930年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1930年 · 続きを見る »

1931年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1931年 · 続きを見る »

1932年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1932年 · 続きを見る »

1933年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1933年 · 続きを見る »

1934年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1934年 · 続きを見る »

1936年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1936年 · 続きを見る »

1938年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1938年 · 続きを見る »

1939年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1939年 · 続きを見る »

1940年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1940年 · 続きを見る »

1941年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1941年 · 続きを見る »

1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と1945年 · 続きを見る »

1946年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1946年 · 続きを見る »

1947年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1947年 · 続きを見る »

1948年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1948年 · 続きを見る »

1950年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1950年 · 続きを見る »

1953年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1953年 · 続きを見る »

1954年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1954年 · 続きを見る »

1955年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1955年 · 続きを見る »

1956年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1956年 · 続きを見る »

1959年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1959年 · 続きを見る »

1962年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1962年 · 続きを見る »

1965年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1965年 · 続きを見る »

1968年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1968年 · 続きを見る »

1970年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1970年 · 続きを見る »

1974年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1974年 · 続きを見る »

1978年

記載なし。

新しい!!: 日本のキリスト教史と1978年 · 続きを見る »

1981年

この項目では、国際的な視点に基づいた1981年について記載する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と1981年 · 続きを見る »

1987年

この項目では、国際的な視点に基づいた1987年について記載する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と1987年 · 続きを見る »

1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と1999年 · 続きを見る »

2000年

400年ぶりの世紀末閏年(20世紀および2千年紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年のままとなる(グレゴリオ暦の規定による)。。Y2Kと表記されることもある(“Year 2000 ”の略。“2000”を“2K ”で表す)。また、ミレニアムとも呼ばれる。 この項目では、国際的な視点に基づいた2000年について記載する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と2000年 · 続きを見る »

2008年

この項目では、国際的な視点に基づいた2008年について記載する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と2008年 · 続きを見る »

2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と2009年 · 続きを見る »

2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と2010年 · 続きを見る »

2013年

この項目では、国際的な視点に基づいた2013年について記載する。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と2013年 · 続きを見る »

5世紀

大仙古墳。5世紀頃に築造された全長486メートルの最大級の前方後円墳で、大阪府堺市に広がる百舌鳥古墳群を代表する。伝承では仁徳天皇陵とされている。 レオ1世とアッティラの会見」。 ラヴェンナのガッラ・プラキディア廟堂。ガッラ・プラキディアは西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世の母。初期キリスト教美術を代表するモザイク壁画が残されている。 慧遠と道士の陸修静と詩人の陶淵明の邂逅が画題となっている。 雲崗石窟。北魏時代に都の平城(大同市)から西方約20キロに位置する雲崗で造営された石窟寺院。 キジル千仏洞壁画。この石窟はシルクロード沿いのオアシス国家亀茲(クチャ)によって作られたもので、この時期には仏教が大いに繁栄したと伝えられている。訳経僧として名高い鳩摩羅什もここの出身である。 アジャンター石窟寺院。インドではこの時代にグプタ様式と呼ばれる表現が発達した。画像はアジャンター石窟の壁画でパドマパーニ(蓮華手(観世音)菩薩)の像。 シーギリヤ。スリランカのシンハラ朝のカッサパ1世は父王から王位を奪い、アヌラーダプラからこの地へと遷都した。画像はシーギリヤロックの全景で、この頂上にカッサパ1世は王宮を営んだが、最後は反乱軍の攻撃を受けここで自害している。 アルメニア教会。カルケドン公会議以後にキリスト論をめぐりキリスト教は分立した。「単性論派」と呼ばれる「非カルケドン派」にはシリア・エジプト・アルメニアの諸教会がある。画像は483年に再建されたアルメニア教会のエチミアジン大聖堂。 ラテラノ大聖堂に描かれた肖像画。 5世紀(ごせいき)は、西暦401年から西暦500年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と5世紀 · 続きを見る »

5月

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より5月 5月(ごがつ)はグレゴリオ暦で年の第5の月に当たり、31日ある。.

新しい!!: 日本のキリスト教史と5月 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

日本のキリスト教日本キリスト教史

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »