ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

新興俳句弾圧事件

索引 新興俳句弾圧事件

俳句弾圧不忘の碑」(長野県上田市「無言館」近辺「槐多庵」前庭)http://showahaiku.exblog.jp/ 新興俳句弾圧事件(しんこうはいくだんあつじけん)あるいは昭和俳句弾圧事件とは1940年から1943年の間に行なわれた、治安維持法に基づく、新興俳句の俳句誌・俳人に対する一連の言論弾圧事件の総称である。対象となった俳人が逮捕され、俳句紙の多くは廃刊に追い込まれた。契機となった「京大俳句」への弾圧事件を「京大俳句事件」とも言う。.

26 関係: 奥野誠亮嶋田青峰上崎洋一三省堂三谷昭平畑静塔京大三高俳句会井上白文地仁智栄坊マブソン青眼レジスタンス運動石橋辰之助秋元不死男田島和生西東三鬼角川書店東大俳句会栗林一石路横山林二橋本夢道殿岡駿星治安維持法渡辺白泉戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表)新興俳句思文閣出版

奥野誠亮

奥野 誠亮(おくの せいすけ、1913年(大正2年)7月12日 - 2016年(平成28年)11月16日)は、日本の内務官僚、政治家。「おくの せいりょう」と呼ばれることもある(有職読み)。浪速製氷冷蔵社長、奈良県議、御所町長を務めた奥野貞治の子。 奈良県御所市出身。みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会初代会長。平城遷都1300年記念事業協会特別顧問。奈良大学理事。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と奥野誠亮 · 続きを見る »

嶋田青峰

嶋田 青峰(しまだ せいほう、1882年3月8日 - 1944年5月31日)は、日本の俳人・翻訳家・新聞記者・教員。三重県答志郡青峰の生誕した当時の郡名。答志郡(とうしぐん)は後に英虞郡(あごぐん)と合併し、志摩郡となったため、「志摩郡」出身と表記する文献がある。的矢村(現在の三重県志摩市磯部町的矢)出身。本名は賢平。姓の「しまだ」は「嶋田」と書くのが正式であるが、一般に「島田」の表記も用いられる村山(1985):100ページ。俳号の青峰は、故郷の山・青峰山(あおのみねさん、標高336m)に由来する細井(1996):48ページ。 大正時代末期に俳句雑誌『ホトトギス』において、池内たけし・篠原温亭・鈴木花蓑らと並び、活躍したが、晩年は新興俳句弾圧事件の犠牲となり、俳句史上に悲しい印象を残している村山(1985):284ページ。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と嶋田青峰 · 続きを見る »

上崎洋一

上崎 洋一(うえさき ひろかず、1972年5月13日『新俳句人連盟70年 -歴史と作品-』(新俳句人連盟)2016年10月、237頁。 - )は、日本の編集者、著作家、俳人。千葉県野田市生まれ 全国俳誌協会。元株式会社コアマガジン、海紅社編集人『無中心』略歴(第三書館)2018年1月。。角川書店『コンプティーク』編集部を経てコアマガジン『G-type』『G'sister』『ティアラ』等の編集長を歴任。ペンネームは上崎よーいち『コンプティーク』「よーいちの代々々ライターズ学院」第14回、「もろもろライター、きっかけ編」、1998年8月号、149頁。。俳号は日野百草(ひの ひゃくそう)『現代俳句精鋭選集17』(東京四季出版)2018年3月、158頁。で全国俳誌協会賞受賞『新俳句年鑑2018』(北溟社)、2018年1月1日、205頁。。東京都日野市在住。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と上崎洋一 · 続きを見る »

三省堂

株式会社三省堂(さんせいどう)は、日本の出版社である。辞典・事典・六法・教科書などの出版で知られる。 本社はJR水道橋駅と神田川に挟まれたエリアにある。この場所は、かつて自社印刷工場の倉庫として使われていた場所であった。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と三省堂 · 続きを見る »

三谷昭

三谷昭(みたに あきら、1911年6月5日 - 1978年12月24日)は、東京府出身の俳人・編集者。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と三谷昭 · 続きを見る »

平畑静塔

平畑 静塔(ひらはた せいとう、1905年(明治38年)7月5日 - 1997年(平成9年)9月11日)は、和歌山県出身の俳人、精神科医。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と平畑静塔 · 続きを見る »

京大三高俳句会

京大三高俳句会(きょうだいさんこうはいくかい)は、京都大学関係者が中心となって設立された俳句会。旧制第三高等学校で日野草城、五十嵐播水らによって1919年7月に作られた「神陵俳句会」を前身として、1920年3月に創設。京大学生集会所で行われた発会式には高浜虚子も招かれた。運営は草城と鈴鹿野風呂が中心で、同年10月には山口誓子が参加、11月より『京鹿子』が実質的な機関誌として創刊された。 俳句会は1922年11月に一度解散されたが、1925年5月に井上白文地らによって復活された。1932年、『京鹿子』が野風呂の主宰誌となり、翌年に新たに機関誌『京大俳句』が創刊された。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と京大三高俳句会 · 続きを見る »

井上白文地

井上 白文地(いのうえ はくぶんじ、1904年2月24日 - 1946年5月行方不明)は、福井県出身の俳人。出生名・岸本久七。敦賀生まれ。1906年、報恩寺住職の養子となり、井上隆證(りょうしょう)と改称細井啓司 「井上白文地」『現代俳句大事典』 61頁。。法華寺学林、第三高等学校を経て、1928年、京都大学文学部哲学科を卒業。その後関西大学、立命館大学などで講師として教鞭を取る。 俳句は高校時代にはじめ、「京鹿子」「ホトトギス」「馬酔木」に投句。京大三高俳句会を復興し「京大俳句」を平畑静塔らと創刊。時事的な句や評論を執筆。1940年2月、京大俳句事件の第一次検挙に連座したが、不起訴。しかしこの事件により、内定していた関西大学教授のポストが反故になった 。1945年応召、朝鮮でソ連軍捕虜となり、1946年5月25日、延吉市の収容所から他地域へ送られて以降消息を絶つ。 1981年、永田書房より『井上白文地遺集』刊。1982年、戦時死亡宣告が確定した。2005年、ゆかりの寺である姫路市飾磨区の法華宗妙諦寺にて代表句「我(わが)講義軍靴の音にたゝかれたり」句碑が建てられている。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と井上白文地 · 続きを見る »

仁智栄坊

仁智 栄坊(にち えいぼう、1910年7月8日 - 1993年3月31日)は俳人。高知県高知市生まれ。本名は北尾一水(きたお かずみ)。新興俳句弾圧事件の犠牲者として知られる。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と仁智栄坊 · 続きを見る »

マブソン青眼

ムネイル マブソン青眼( - せいがん、1968年 - )は、フランス出身の俳人、比較文学者、エッセイスト、翻訳家、館主。本名はMabesoone Laurent(マブソン ローラン)。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件とマブソン青眼 · 続きを見る »

レジスタンス運動

レジスタンス運動(レジスタンスうんどう、Résistance、Resistance)は、権力者や占領軍に対する抵抗運動を指す用語である。レジスタンス集団(レジスタンスしゅうだん)とも称される。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件とレジスタンス運動 · 続きを見る »

石橋辰之助

石橋 辰之助(いしばし たつのすけ、1909年(明治42年)5月2日 - 1948年(昭和23年)8月21日)は、俳人。栗林一石路や橋本夢道とともにプロレタリア俳句運動に尽力した。別号に竹桜子。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と石橋辰之助 · 続きを見る »

秋元不死男

秋元 不死男(あきもと ふじお、1901年11月3日 - 1977年7月25日)は、神奈川県横浜市出身の俳人。本名は不二雄。前号は東京三(ひがし きょうぞう)。別号に秋元地平線。島田青峰に師事し「土上」「天香」に参加。新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄される。戦後は「天狼」参加を経て「氷海」を創刊・主宰。劇作家の秋元松代は妹。息子の秋元近史は『しゃぼん玉ホリデー』を手がけたテレビディレクター・プロデューサー。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と秋元不死男 · 続きを見る »

田島和生

島 和生(たじま かずお、1937年12月29日 - )は、日本の俳人。大学時代より俳誌「風」に所属し沢木欣一に師事。2008年に林徹より俳誌「雉」を主宰継承。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と田島和生 · 続きを見る »

西東三鬼

西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は、岡山県出身の俳人。歯科医として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と西東三鬼 · 続きを見る »

角川書店

角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と角川書店 · 続きを見る »

東大俳句会

東大俳句会(とうだいはいくかい)は、1922年(大正11年)にホトトギス発行所(牛込船河原町)にて誕生した俳句会。現在も活動中である。 設立当時は、高浜虚子を指導者として、中田みづほ、山口誓子、水原秋桜子、高野素十、山口青邨らが参加した。1932年(昭和7年)に会の名称を草樹会と改め、会員は学士会会員としていた。後日、名称は東大俳句会に戻り、他校在籍者でも参加できるようになった。東大ホトトギス会を吸収した形になっている。設立の経緯からホトトギス系が強かったが、出身者の所属結社は多岐に渡っている。ただし、出身者の大半は伝統俳句寄りである。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と東大俳句会 · 続きを見る »

栗林一石路

栗林 一石路(くりばやし いっせきろ、1894年(明治27年)10月14日 - 1961年(昭和36年)5月25日)は、日本の俳人である。プロレタリア俳句運動の中心的存在としてだけでなく、小林一茶の評論研究家としても知られる。本名は栗林農夫(くりばやしたみお)。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と栗林一石路 · 続きを見る »

横山林二

横山 林二(よこやま りんじ、1908年(明治41年)12月20日-1973年(昭和48年)2月25日)は、日本の自由律俳句の俳人。層雲の荻原井泉水に師事、のちプロレタリア俳句運動に転じ、新興俳句弾圧事件により投獄された。戦後は新俳句人連盟常任委員、現代俳句協会会員。東京都生まれ、本名は吉太郎。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と横山林二 · 続きを見る »

橋本夢道

橋本 夢道(はしもと むどう、1903年4月11日 - 1974年10月9日)は、徳島県出身の俳人。本名橋本淳一。自由律の俳人として知られ、プロレタリア俳句運動の中心人物の一人として活動した。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と橋本夢道 · 続きを見る »

殿岡駿星

殿岡 駿星(とのおか しゅんせい、1942年 - )は、静岡県出身のジャーナリスト。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と殿岡駿星 · 続きを見る »

治安維持法

治安維持法(ちあんいじほう、昭和16年(1941年)3月10日法律第54号)は、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。当初は、1925年に大正14年4月22日法律第46号として制定され、1941年に全部改正された。 とくに共産主義革命運動の過激化を懸念したものといわれているが、やがて宗教団体や、左翼活動、自由主義、市民運動等へも対象が拡大されていった。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と治安維持法 · 続きを見る »

渡辺白泉

渡辺 白泉(わたなべ はくせん、1913年3月24日 - 1969年1月30日)は東京出身の俳人。昭和初期の新興俳句運動において無季派(超季派)の俳人として活躍。「戦争が廊下の奥に立つてゐた」など、戦争の本質を鋭く突いた「銃後俳句」と呼ばれる無季俳句が特に知られる。本名威徳(たけのり)。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と渡辺白泉 · 続きを見る »

戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表)

戦前・戦中期日本の言論弾圧の年表(せんぜん・せんちゅうきにほんのげんろんだんあつのねんぴょう)においては、戦前の日本における、左翼勢力・自由主義者・宗教団体に対する言論弾圧・粛清事件を年表にして示す。治安当局が行った弾圧事件・粛清や、弾圧・粛清と主張される事件の年表である。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表) · 続きを見る »

新興俳句

新興俳句(しんこうはいく)とは昭和初期に始まった新俳句運動である。 1931年(昭和6年)、水原秋桜子は主宰誌「馬酔木」に「自然の真と文芸上の真」を発表し、高浜虚子の主張する花鳥諷詠俳句が些末な草の芽俳句を生み出しているとして、自然の真という素材を己のうちに溶かし込み、鍛錬加工した文芸上の真を求めようとした。 「馬酔木」独立の挙であったが、これがいわゆる伝統俳句からの脱却の端緒となった。秋桜子の主張は若い俳人の共感を得て「天の川」「土上」「句と評論」などの俳誌も活発に俳句の近代化を進めはじめた。近代的、都会的抒情の確立の運動でもあった。 「馬酔木」には、新素材の拡充と構成的手法によって注目されていた山口誓子が加入、叙情性豊かな作句をする秋桜子とともに新風の先頭にたった。 この新運動は連作俳句に積極的に取り組み、金児杜鵑花(「俳句月刊」主幹)によって、「新興俳句」の名称を与えられた。しかし連作俳句中の個と全、季語の有無が問題となり、無季や超季の容認まで行われるに及んで、秋桜子、誓子は無季俳句批判を行い1936年ごろよりこの運動から離れた。これ以降を後期と呼ぶ。 新興俳句は、秋桜子、誓子の離脱にも拘らず、反ホトトギス、反伝統の大きな潮流となった。モダニズム、ダダイスム、反戦的ニヒリズムなど様々な潮流もこれに合流した。 1935年、日野草城の「旗艦」が創刊され、俊秀を集め、「京大俳句」「土上」「句と評論」、新誌「傘火」(かさび)、「自鳴鐘(とけい)」などとともに、さまざまの芸術派的、社会派的試みを重ねた。 最初の総合俳誌である「俳句研究」(改造社)もこの運動に共感を示した。 日中戦争の始まった時期で、想像力による戦火想望俳句も試みられ、さらに厭戦句もつくられた。ついに1940年から1941年にかけて、「京大俳句」「土上」などの主要メンバーが治安維持法違反として検挙され、この運動は壊滅に至った。新興俳句運動は、現代俳句の母胎となる画期的な俳句革新運動であり、多くの秀作を残した。 代表的な俳人には、先述の水原秋桜子、山口誓子の他に、前期では高屋窓秋、石橋辰之助、横山白虹、篠原鳳作など。 後期では、平畑静塔、日野草城、西東三鬼、 富沢赤黄男、渡辺白泉、東京三(秋元不死男)などがいる。 新興俳句にかかわった俳人の多くは、戦後、日野草城の「太陽系」のちの「青玄」、山口誓子の「天狼」などに結集したが、新興俳句運動の名は消滅した。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と新興俳句 · 続きを見る »

思文閣出版

思文閣出版(しぶんかくしゅっぱん)は、京都府京都市左京区にある出版社。美術商思文閣の出版部で、人文系・美術系の書籍を刊行している。絶版となった古書や花道、歴史、国文、芸術などのオリジナル企画書を刊行している。ベストセラーにならなくても、命の長い本を出版していく方針を取っている[こんな出版社]思文閣出版 命の長い本作る 読売新聞 2007年9月27日 大阪夕刊7頁。所在地同ビルに企画展をメインとする美術館・思文閣美術館(しぶんかくびじゅつかん、2011年4月10日より休館中)、京都市東山区古門前通大和大路東入元町386にぎゃらりぃ思文閣を運営する。.

新しい!!: 新興俳句弾圧事件と思文閣出版 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

京大俳句事件昭和俳句弾圧事件

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »