20 関係: 台湾、宋明理学、島田虔次、中島隆博、中国、仏教、張君バイ、余英時、保守、唐君毅、儒教、熊十力、牟宗三、西洋哲学、馮友蘭、香港、老荘思想、杜維明、梁漱溟、新文化運動。
台湾
台湾(タイワン、臺灣 / 台灣、台: Tâi-oân)は、東アジアの国である。 1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島、金門島、馬祖島、東沙諸島、南沙諸島の太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2018年時点では同島で人口最多の都市である。.
宋明理学
宋明理学(そうみんりがく)は、またの名を道学という。中国の宋代・明代の儒学を代表するテーマが理であったことから、理学(りがく)と名付けられた。清代の儒学者たちからは宋学(そうがく)と呼ばれた。欧米からは、英語のに代表されるように、「新儒学」と呼ばれる(現代の新儒家(現代新儒学)とは区別される)。.
島田虔次
島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日 - 2000年(平成12年)3月21日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授。1997年(平成9年)から日本学士院会員。1940年代から中国近世・近代思想史の研究を続け、その後の日本の中国近世・近代思想史研究を牽引した研究者である。.
中島隆博
中島 隆博(なかじま たかひろ、1964年11月3日 - )は、日本の哲学者。専門は東洋哲学・中国哲学研究及びそれと西洋哲学との比較、西洋哲学(特に大陸哲学系現代思想)の手法を用いた中国哲学の再読、比較思想史、その他哲学史研究、倫理学、現代思想、表象文化論など。学位は博士(学術)(東京大学・2009年)。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論研究室、及び東洋文化研究所教授。.
中国
中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.
仏教
仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.
張君バイ
張 君勱(ちょう くんばい)は中華民国の政治家・ジャーナリスト・教育者・哲学者。名は嘉森で、こちらでも知られるが、現在は字の君勱がより通用している。弟に政治家・銀行家・経済学者の張公権(張嘉璈)。.
余英時
余 英時(よ えいじ, 1930年1月22日 - )は、中国の中国学者、歴史学者(思想史)である。青年時代の筆名は艾群。.
保守
保守(ほしゅ)、または保守主義(ほしゅしゅぎ、conservatism)とは、従来からの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方などを尊重し、革命などの急激な改革に反対する社会的・政治的な立場、傾向、思想などを指す用語、goo辞書。また、そのような政治的な立場を奉ずる人物、勢力をも保守、あるいは保守主義者(conservative)とよぶ。対比語は革新や急進主義、革命主義など。非社会主義国において保守主義は、左翼・右翼の政治的スペクトルでは、通常は右翼や右派に位置づけられる。.
唐君毅
唐 君毅(とう くんき、Tang Junyi、1909年1月17日-1978年2月2日)は,現代中国の著名な思想家。熊十力などに師事し、牟宗三や徐復觀などとともに新儒家の代表的学者とされる。 1949年以降は共産党支配から逃れ、錢穆らとともに香港で活躍する。香港中文大学の教授を務めたこともある。.
儒教
儒教の始祖、孔子 董仲舒 儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。.
熊十力
十力(ゆう じゅうりき、Xiong Shili, 1885年 - 1968年5月23日)は、現代中国の著名な学者であり、新儒家の代表的な思想家である。原名は継智だが、升恒、定中と改名し、後に十力と改める。号は子真、漆園老人と号した。.
牟宗三
牟宗三(ぼうそうさん)は台湾の思想家・哲学者。 熊十力の影響を受け、唐君毅とともに、新儒家(現代新儒家)の代表的哲学者として活躍し、中国語圏の思想界に巨大な影響力を与えた。.
西洋哲学
この項目では、西洋哲学(せいようてつがく)、すなわち西洋で発展した哲学について解説する。.
馮友蘭
馮友蘭(ふう ゆうらん、1895年12月4日 - 1990年11月26日)は、現代中国の哲学研究者。新儒家の一人に数えられる。河南省唐河出身、字は芝生(しせい)。 1915年に北京大学の哲学科に入学し、1919年にはコロンビア大学に留学を果たす。アンリ・ベルクソンやジョン・デューイ、バートランド・ラッセルの影響を受ける。 中国に帰国した後は、燕京大学・中山大学・清華大学で教鞭を執る。.
香港
中華人民共和国香港特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくホンコンとくべつぎょうせいく)、通称香港(ホンコン、、)は、中華人民共和国の南部にある特別行政区(一国二制度)である。同じ特別行政区の澳門からは南西に70km離れている。東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、150年以上のイギリス植民地の歴史で世界に知られる。 広大なスカイライン及び深い天然の港湾を抱える自由貿易地域であり、の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である。 .
老荘思想
老荘思想(ろうそうしそう)は、中国で生まれた思想。道家の大家である老子と荘子を合わせてこう呼ぶ。道家の中心思想としてとりわけ魏晋南北朝時代に取りあげられた。 老荘思想が最上の物とするのは「道」である。道は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として使われる場合もある。「道」には様々な解釈があり、道家の名は「道」に基づく。 『老子』『荘子』『周易』は三玄と呼ばれ、これをもとにした学問は玄学と呼ばれた。玄学は魏の王弼・何晏、西晋の郭象らが創始した。.
杜維明
杜維明(と いめい、Tu Wei-ming,, 1940年 - )は中国の新儒家の一人。ハーバード大学研究教授、同大学アジアセンター上級研究員。北京大学哲学科終身教授、同大学高等人文研究所所長。.
梁漱溟
梁 漱溟(りょう そうめい)は近代中国の思想家。祖籍は広西省桂林県。1911年に順天中学を卒業した。 1917年、蔡元培学長に招かれ、北京大学の教授となり、インド哲学を講じた。 その後、1928年に「村治」として提唱した自らの思想的実践を果たすために、郷村建設運動に没頭し、儒教の精神に法った農村社会運動家、教育家として、山東省の郷村建設の指導を行った。また、日本の二宮尊徳を敬愛したことでも知られている。 第二次世界大戦中は、1941年に結成された中国民主政団同盟に参加し、国共両陣営の橋渡し役を演じ、民主同盟の結成に参画した。 1946年、政治協商会議後にいったん引退した後、人民政府の成立後、四川省の土地改革に参加した。1951年、中国人民政治協商会議委員に補選され、思想改造の手記を公表した。毛沢東ら共産党中央が、農民の生み出す余剰を搾取し、都市における工業化に投入する、という社会主義過渡期の総路線政策に転換したのに対して、農民こそが中心であるとし、政治協商会議の場で毛沢東に対して自己批判を求めた。このため、1955年以降、思想批判にさらされ、1956年の中国人民政治協商会議第2次全体会議で自己批判を行った。.
新文化運動
新文化運動(しんぶんかうんどう)とは、1910年代の中国で起こった文化運動を指す言葉である。また、五・四新文化運動、五・四文化革命という呼ばれ方もする。.