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斎藤達雄

索引 斎藤達雄

斎藤 達雄(さいとう たつお、1902年6月10日 - 1968年3月2日)は、日本の俳優、映画監督。 松竹蒲田撮影所に入り、独特の存在感を持つ飄々とした演技で、脇役や短篇喜劇映画の主役として多くの作品に出演した。初期の小津安二郎監督作品に欠かせない俳優でもあり、『肉体美』『会社員生活』『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』などの小津作品に主演した。戦後も貴重な脇役として活躍し、監督作も発表している。.

163 関係: 城戸四郎お姐ちゃん罷り通るお嬢さん (1930年の映画)その夜の妻そよかぜ南旺映画台東区吉谷久雄吉村公三郎坂本武多羅尾伴内大学よいとこ大久保忠素大人の見る繪本 生れてはみたけれど大物養成計画大映夫婦百景 (テレビドラマ)女房紛失学生ロマンス 若き日宝塚映像家庭劇場家族会議 (映画)宗方姉妹小津安二郎山一名作劇場山田洋次岡田時彦島倉千代子島津保次郎上陸第一歩世田谷区九ちゃんのでっかい夢幻灯機幽霊暁に死す京華中学高等学校五所平之助井上雪子 (女優)会社員生活佐賀 (江東区)忠臣蔵 (1932年の映画)俳優地獄の顔ママとおふくろマンモスタワーハワイ珍道中ルナパーク (浅草)トーキーブルーバード映画テレビドラマテレビ朝日...テレビ映画フジテレビジョンドイツ人喜劇 にっぽんのお婆あちゃんエラ・ホールエロ神の怨霊カルメン純情すカボチャカボチヤキネマ旬報キネマ旬報社シャープ火曜劇場シンガポールサンヨーテレビ劇場サイレント映画やぐら太鼓やがて青空兄とその妹王将 (1948年の映画)獄門島 (1949年の映画)現代劇神田明神稲垣きくの突貫小僧筑波雪子簪 (映画)純情二重奏続・社長洋行記美人哀愁美貌の都結城一朗結婚学入門男性対女性牛原虚彦益田喜頓銀座落第はしたけれど青春の夢いまいづこ蝕める春街の手品師飯田蝶子高田稔足に触った幸運龍田静枝近代映画協会近鉄金曜劇場肺癌肉体美金色夜叉長運寺若人の夢離婚 (映画)陽気な渡り鳥TBSテレビ果てしなき情熱東宝東京の合唱東京市東京府東京ファイル212東京都東京映画東横映画東日興業松竹キネマ松竹蒲田撮影所櫻の國母と子江東区深川区淑女と髯淑女は何を忘れたか清水宏 (映画監督)演劇月田一郎朗かに歩め戸田家の兄妹映画の分類映画監督春は御婦人から春琴抄 お琴と佐助斎藤寅次郎新東宝新演伎座日夏百合繪日守新一日産スター劇場日活日活撮影所日本日本テレビ放送網日本橋区日本映画データベース日本映画新社日本放送協会日本敗れず日曜劇場愛よ人類と共にあれ愛染かつら時代劇1902年1922年1923年1926年1928年1929年1930年1947年1950年代1967年1968年3月2日6月10日 インデックスを展開 (113 もっと) »

城戸四郎

1952年城戸 四郎(きど しろう、1894年8月11日 - 1977年4月18日)は、日本の映画プロデューサー。元松竹会長。現在の松竹社長迫本淳一は孫。.

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お姐ちゃん罷り通る

『お姐ちゃん罷り通る』(おねえちゃんまかりとおる)は1959年制作の日本映画。副題は「3 Dolls Go to Hong-kong」(スリードールズゴートゥーホンコン)。.

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お嬢さん (1930年の映画)

『お嬢さん』(おじょうさん)は、1930年(昭和5年)に12月12日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、135分。 栗島すみ子、岡田時彦、田中絹代ら豪華スターが出演した大作ナンセンスコメディで、北村小松がシナリオを書き、小津はヂェームス・槇のペンネームで池田忠雄・伏見晁とともにギャグマンも務めている。初回興行は浅草の帝国館、および京都四條の南座で、併映作品は『薩南総動員』(冬島泰三監督)。第7回キネマ旬報ベスト・テンの日本映画・現代映画部門で第2位(小津作品初のランクイン)。ネガフィルム・上映用プリント等はすでに散逸し、脚本以外は現存しない作品とされている。.

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その夜の妻

『その夜の妻』(そのよのつま)は、1930年(昭和5年)7月6日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、66分。 雑誌『新青年』1930年3月号に掲載されたオスカー・シスゴールの短編小説『九時から九時まで』を原作に野田高梧が脚色した作品。映画化を薦めたのは松竹蒲田撮影所所長の城戸四郎『小津安二郎 名作映画集10+10 9 東京暮色』、小学館、2011年、p.9で、岡田時彦が小津作品で初主演した。洋風にしつらえたセット、刑事役にハリウッド映画への出演歴がある山本冬郷をキャスティングするなど、アメリカ映画に影響を受けた小津のモダニズムが表れている作品である。初回興行は帝国館。1952年(昭和27年)に池田浩郎監督によってリメイクされた。 本作の上映用フィルムは、東京国立近代美術館フィルムセンターが2,344.14フィートの16mmフィルム、65分尺のものを所蔵している。.

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そよかぜ

『そよかぜ』は1945年10月10日に公開された佐々木康監督による日本映画作品。松竹大船撮影所製作。戦後のGHQ(連合国軍総司令部)の検閲を通った第1号映画として知られる。この映画の挿入歌である「リンゴの唄」は大ヒットとなった。.

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南旺映画

南旺映画(なんおうえいが)は、かつて存在した日本の映画会社。 1933年に「映画国策樹立に関する建議案」を衆議院に提出して国家による映画統制を基礎づけた代議士岩瀬亮が南旺商事会社を1939年に設立し、そこに大日本児童映画協会を設立して教育映画を製作した。しかし収益が上がらないので南旺映画株式会社に拡大して東宝と配給契約を結び、一般映画も製作した。 1940年に製作された『煉瓦女工』(千葉泰樹監督)が検閲で公開不許可(1946年に公開)になるなど経営は思わしくなく、1941年には東宝の傘下となる。その時、藤本真澄が東宝から出向してくる。同年末、東宝に吸収されて解散する。 戦後1953年に『純情社員』(新東宝配給)、1954年に『少年ケニヤ』(大映配給)を製作して復活したが2作限りとなった。.

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台東区

台東区(たいとうく)は、東京都の特別区の一つ。23区東部に区分される。 面積は23区の中で最も狭い。.

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吉谷久雄

吉谷 久雄(よしたに ひさお、1903年10月30日 - 没年不詳)は、日本の俳優であるキネマ旬報社, p.631-632.

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吉村公三郎

吉村 公三郎(よしむら こうざぶろう、1911年9月9日 - 2000年11月7日)は、昭和期の映画監督である。兄はフランス文学者の吉村正一郎。4人の子供を儲け、長男は元NHK解説委員の吉村秀實。映画監督の西村昭五郎は、いとこ。.

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坂本武

坂本 武(さかもと たけし、1899年9月21日 - 1974年5月10日)は、日本の俳優。本名は永石 武平。 松竹蒲田撮影所で軽妙な脇役として活躍し、斎藤寅次郎監督らによる短篇喜劇映画に多く出演した。小津安二郎監督作品にも常連出演し、『出来ごころ』『浮草物語』などの「喜八もの」では主人公の喜八を演じて人気を得た。上記以外の出演作品に『カルメン故郷に帰る』『煙突の見える場所』など。.

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多羅尾伴内

多羅尾 伴内(たらお ばんない)は、比佐芳武原作・脚本のミステリ映画シリーズ、および同シリーズの主人公である架空の探偵の名。「七つの顔の男」シリーズまたは「藤村大造(ふじむらたいぞう)」シリーズと呼ばれることもある。 片岡千恵蔵主演で、1946年(昭和21年)〜1948年(昭和23年)に大映が4作品を、1953年(昭和28年)〜1960年(昭和35年)に東映が7作品を製作し、興行的に大成功を収めた。千恵蔵が七変化の活躍をするという痛快無比な面白さが大評判となり、とくにクライマックスの名ゼリフ「ある時は○○、またある時は××、しかしてその実体は……!(ここで名乗りを上げる)」は多くのファンによって模倣された。 昭和42年(1967年)には「七つの顔の男」の題名でテレビシリーズ化される。制作はNET(現・テレビ朝日)、比佐芳武の原作、高城丈二が主演した。 昭和53年(1978年)には、伴内ファン世代の小池一夫作・石森章太郎画による劇画『七つの顔を持つ男 多羅尾伴内』(講談社)が発刊。同年には、東映が小林旭主演でリメイク映画を製作して二代目シリーズ化をめざしたが、2作目が興行的に成功せず、シリーズは打ち切られた。 片岡千恵蔵が演じた多羅尾伴内を林家木久扇が頻繁に真似をしている。また、漫画家のバロン吉元も熱心な伴内ファンの一人であり、2005年に出版された『多羅尾伴内―七つの顔の男』(関 貞三【著】/林家 木久扇【編】、ワイズ出版)には林家木久扇と共にイラストを寄せている。書中には著者の関 貞三を加えた三人での鼎談もおさめられている。 音楽家の大瀧詠一は変名として使用した。.

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大学よいとこ

『大学よいとこ』(だいがくよいとこ)は1936年(昭和11年)公開の小津安二郎監督の日本映画。脚本のみ現存でプリントはない。.

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大久保忠素

大久保 忠素(おおくぼ ただもと、1894年2月10日 - 没年不明『日本映画人名事典 監督篇』、編集・発行キネマ旬報社、1997年 ISBN 4873762081, p.144)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。松竹キネマおよび松竹蒲田撮影所の創生にかかわり、小津安二郎の唯一の映画監督としての師であることでも知られる。.

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大人の見る繪本 生れてはみたけれど

『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(おとなのみるえほん うまれてはみたけれど)は、1932年(昭和7年)6月3日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、90分。 小津監督のサイレント期を代表する傑作で、サラリーマン社会の悲哀を子供の視点から描いた喜劇映画である。小津作品の特徴であるフェードイン・アウトを使わずに固定したカットでつなぐ場面展開はこの作品によって決定付けられた。第9回キネマ旬報ベスト・テン第1位。.

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大物養成計画

『大物養成計画』(おおものようせいけいかく)は、1965年2月7日から同年4月11日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作のテレビドラマである。大正製薬の一社提供。全10話。放送時間は毎週日曜 20:00 - 20:56 (日本標準時)。.

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大映

大映株式会社(だいえい)は、.

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夫婦百景 (テレビドラマ)

『夫婦百景』(ふうふひゃっけい)は、1958年5月12日から1965年1月25日、および1966年4月19日から1967年9月20日まで日本テレビ系列局が編成していた日本テレビ製作のテレビドラマ放送枠である。 当初は獅子文六原作の同名小説をドラマ化していたが、第14回以降は毎回1組の夫婦が登場する単発ドラマ枠になり、夫婦間の機微を描く内容になった。1965年1月に一度終了した後、1年以上の中断期間を経て1966年4月に再開した。.

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女房紛失

『女房紛失』(にょうぼうふんしつ)は、1928年(昭和3年)6月15日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、54分。 三角関係を題材にした5巻もののナンセンス喜劇で、雑誌『映画時代』の脚本懸賞募集で当選したものを映画化した作品である『小津安二郎を読む 古きものの美しい復権』、フィルムアート社〈本の映画館 ブック・シネマテーク〉、1982年、p.30。小津自身は面白いものとは思えず、話すらよく覚えていないと後年に述懐している。初回興行は浅草の電気館。現在、脚本・ネガ原版・上映用プリントのいずれも散逸している。.

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学生ロマンス 若き日

『学生ロマンス 若き日』(がくせいロマンス わかきひ)は、1929年(昭和4年)4月13日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、109分。『若き日』とも略される、蓮實重彦、東京大学、2010年3月3日閲覧。 現存する小津作品の中では最も古い作品で、スキー旅行に出かける学生風俗をテーマにしたコメディ映画である。伏見晁のオリジナルシナリオを小津が演出用に潤色した。初回興行は帝国館。現在、東京国立近代美術館フィルムセンターが9,230フィート(2,813.3メートル)の35mmフィルムと、3,691.15フィート(1,125メートル)の16mmフィルムの2バージョン、いずれも103分尺のものを所蔵している。2003年(平成15年)12月25日、松竹がリリースした『小津安二郎 DVD-BOX 第四集』に収録された。.

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宝塚映像

宝塚映像(たからづかえいぞう)は、兵庫県宝塚市にかつて存在した阪急阪神東宝グループの制作プロダクション。映画製作会社宝塚映画製作所(たからづかえいがせいさくしょ)が経営不振から解散した後、1983年9月に新たに設立された。 本稿では前身の宝塚映画製作所も記載する。.

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家庭劇場

『家庭劇場』(かていげきじょう)は、1965年4月11日から1966年4月3日までNHK総合テレビが編成していたテレビドラマ放送枠である。毎回1話完結型の子供向けドラマを放送していた。全49回。編成時間は毎週日曜 9:00 - 9:40 (日本標準時)。.

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家族会議 (映画)

『家族会議』(かぞくかいぎ)は、1936年(昭和11年)4月3日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は島津保次郎、主演は佐分利信。モノクロ、スタンダード、71分。 1935年(昭和10年)8月から12月にかけて新聞連載された横光利一の同名小説が原作。及川道子の最後の出演作であり、及川は公開の2年後に病死した。第13回キネマ旬報ベスト・テン第6位。1954年(昭和29年)に中村登監督がリメイクした。また4回に渡ってテレビドラマ化された。.

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宗方姉妹

『宗方姉妹』(むねかたきょうだい)は1950年(昭和25年)8月8日公開の小津安二郎監督の日本映画。.

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小津安二郎

小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年(明治36年)12月12日 - 1963年(昭和38年)12月12日)は、日本の映画監督・脚本家。「小津調」と称される独特の映像世界で優れた作品を次々に生み出し、世界的にも高い評価を得ている。「小津組」と呼ばれる固定されたスタッフやキャストで映画を作り続けたが、代表作にあげられる『東京物語』をはじめ、女優の原節子と組んだ作品群が特に高く評価されている。伊勢松阪の豪商・小津家の子孫にあたり、一族には国学者の本居宣長がいる。.

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山一名作劇場

『山一名作劇場』(やまいちめいさくげきじょう)は、1955年10月4日から1959年8月4日まで日本テレビが編成していたテレビドラマ放送枠である。山一證券の一社提供。 一般に知られた文芸作品から選ばれるのが特色である。.

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山田洋次

山田 洋次(やまだ ようじ、1931年9月13日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家。文化功労者、日本芸術院会員、文化勲章受章者。財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長。関西大学大学院文学研究科と立命館大学映像学部の客員教授。文化学院の特別講師でもある。.

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岡田時彦

岡田 時彦(おかだ ときひこ、本名・高橋英一、明治36年(1903年)2月18日 - 昭和9年(1934年)1月16日)は、大正・昭和初期の俳優。無声映画時代を代表する二枚目俳優であった。.

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島倉千代子

島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年(昭和13年)3月30日 - 2013年(平成25年)11月8日 日刊スポーツ 2013年11月8日)は、日本の演歌・歌謡曲歌手である。出身は東京都品川区北品川、学歴は日本音楽高等学校卒業。愛称は「」。.

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島津保次郎

島津 保次郎(しまづ やすじろう、1897年6月3日 - 1945年9月18日)は、大正・昭和期の映画監督。松竹蒲田撮影所で蒲田調と呼ばれる小市民映画を多数製作し、松竹の代表的監督となった。.

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上陸第一歩

『上陸第一歩』(じょうりくだいいっぽ)は、1932年(昭和7年)4月14日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は島津保次郎。モノクロ、スタンダード、88分。 ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『』を翻案した作品で、土橋武夫・晴夫兄弟の開発した「土橋式」トーキーを採用した、島津監督のトーキー映画第2作である。撮影中にスタジオが火事に遭い、撮影技師の水谷至宏が焼死しかける事件があった。第9回キネマ旬報ベスト・テン第8位。現在、東京国立近代美術館フィルムセンターが35mmフィルムを所蔵している。.

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世田谷区

世田谷区(せたがやく)は、東京都の特別区の一つで、東京23区の南西部に位置する。東京都内最大の人口を有する特別区。.

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九ちゃんのでっかい夢

『九ちゃんのでっかい夢』(きゅうちゃんのでっかいゆめ)は、1967年1月2日に、松竹が制作、公開した山田洋次監督の映画。カラー、ワイド、89分。.

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幻灯機

幻灯機(げんとうき、magic lantern)は、スライド映写機の原型にあたる機械、あるいはその後身であるスライド映写機の古典的呼称である。 ジョゼフ・ニーダムによれば、2世紀の中国で既に幻灯機が文献に現れているとされている。西洋では、1671年、イエズス会のアタナシウス・キルヒャーが Ars Magna Lucis et Umbrae(全文:ECHO(European Cultural Heritage Online)所収) に記したのが最初であった。これは、新たな発明の発表ではなく、既存の機器を描写したものかもしれない。ランプとレンズを使って、ガラスに描かれた画像を適当な幕に投影する。イギリスでは、19世紀には幻灯機を使った巡回上映が盛んとなった。スライドには特殊効果を施したものもあり、複数枚のスライドを重ねたり、一部を回転させたりといった手法が用いられた。子供に人気のあった有名なものとして、The Rat Swallowerがある。これはラットが列をなして眠っている男の口に飛び込んでいくという内容であった。ナポレオン戦争のころには、イギリスの戦艦とフランスの戦艦が戦ってフランスの戦艦が沈むという愛国心をかきたてる内容のものが人気となった。 写真の発明によってスライドの制作や複製が安価に行えるようになり、画像のレパートリーも劇的に増えた。スライドショーには、有名なランドマーク、海外の風景、著名人の肖像が登場するようになった。一連の写真で成功譚や道徳譚を構成させて販売された。19世紀の幻灯機とスライドの市場は映画の発明と共に映画に移っていき、残された幻灯機やスライドは好事家の収集の対象となっている。 日本へは嘉永年間にオランダからもたらされた 横須賀市教育研究所。明治時代になって普及し明治20年代には幻灯ブームもみられた。各地では幻灯会が開催されたほか 相馬デジタルミュージアム、学校では視聴覚教材としても利用された。.

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幽霊暁に死す

『幽霊暁に死す』(ゆうれいあかつきにしす)は、1948年(昭和23年)製作・公開、マキノ正博監督の日本の長篇劇映画である。長谷川一夫の新演伎座、マキノ正博のCAC(映画芸術協同)、それぞれの設立第1回作品である。.

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京華中学高等学校

京華中学高等学校(けいかちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都文京区白山五丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。高等学校において、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から外部進学生徒との間で、S特進コース及び進学コースにあっては第2学年から、特進コースにあっては第1学年から、それぞれ混合してクラスを編成する併設型中高一貫校でもある。.

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五所平之助

五所 平之助(ごしょ へいのすけ、1902年1月24日 - 1981年5月1日)は、日本の映画監督、脚本家、俳人。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。本名は五所 平右衛門(ごしょ へいえもん)。俳号は五所亭。.

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井上雪子 (女優)

井上 雪子(いのうえ ゆきこ、1915年6月5日 - 2012年11月19日)は、日本の女優である。本名は宮本 雪子(みやもと ゆきこ)。大阪松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)時代の芸名は鐘 一子(かね かずこ『東京人』 都市出版、2005年4月号、124頁。)。.

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会社員生活

『会社員生活』(かいしゃいんせいかつ)は、1929年(昭和4年)10月25日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、57分。 前作『大学は出たけれど』と同様に、失業問題を背景にサラリーマンの哀歓を描いた作品で『小津安二郎を読む 古きものの美しい復権』、フィルムアート社〈本の映画館 ブック・シネマテ−ク〉、1982年、p.33、まだ2年のキャリアだった小津はベテランの村田実と比較された。オープニングには後年の小津作品では見られないオーバーラップが使用されている。突貫小僧の名で活躍する子役の青木富夫の映画デビュー作でもある。初回興行は帝国館。現在、脚本・ネガ原版・上映用プリントのいずれも散逸している。.

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佐賀 (江東区)

佐賀(さが)は、東京都江東区の町名『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P843。。現行行政地名は佐賀一丁目及び佐賀二丁目。郵便番号は135-0031。.

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忠臣蔵 (1932年の映画)

『忠臣蔵』(ちゅうしんぐら)は、1932年(昭和7年)12月1日公開の日本映画である。松竹製作・配給。監督・脚本は衣笠貞之助。モノクロ、スタンダード、139分。 忠臣蔵映画の中では初のトーキー映画で、松竹オールキャスト・製作日数80日・総製作費は(当時の金額の)8万円で製作された鈴木晰也『人生仕方ばなし 衣笠貞之助とその時代』、ワイズ出版、2001年。前篇の「赤穂京の巻」、後篇の「江戸の巻」の2部構成で、公開時は3時間半ほど(全20巻)の作品だったが、現存するのは東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵の139分尺のポジフィルムのみである。第9回キネマ旬報ベスト・テン第3位。.

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俳優

俳優(はいゆう、actor)は、演劇、映画等において、その人物に扮して台詞、身振り、表情などで演じる人のこと。またその職業。役者(やくしゃ)とも呼ばれる。.

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地獄の顔

『地獄の顔』(じごくのかお)は、1947年公開の水島道太郎主演の松竹映画。原作は菊田一夫の『長崎』。.

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ママとおふくろ

『ママとおふくろ』は、1965年10月20日から1966年10月10日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作のテレビドラマである。トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車)のグループ単独提供。全51話。モノクロ放送。.

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マンモスタワー

『マンモスタワー』は、1958年11月16日の21時15分 - 22時35分にラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)にて、『東芝日曜劇場』枠で放映されたテレビドラマ。.

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ハワイ珍道中

『ハワイ珍道中』(ハワイちんどうちゅう)は、1954年(昭和29年)9月14日に製作・公開された日本の喜劇映画である。斎藤寅次郎監督。イーストマン・カラーによる新東宝初のカラー映画である。ハワイでロケーション撮影を行っている。.

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ルナパーク (浅草)

浅草公園ルナパーク正門 浅草公園ルナパーク(あさくさこうえんルナパーク)は、日本で最初にできたルナパークの名前を冠する遊園地である。東京・浅草公園六区で1910年に開業し、1911年に閉園した。.

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トーキー

ーモンの発声映画を宣伝するポスター(1902年) トーキー (talkie) は、映像と音声が同期した映画のこと。talkie という語は talking picture から出たもので、moving picture を movie と呼んだのにならったものである。サイレント映画(無声映画)の対義語として「トーキー映画」と呼ばれることもあるが冗語である。無声映画の対義語としては「発声映画」と呼ばれる。音声が同期した映画が一般的な現在では、あえて「トーキー」と呼ぶことはない。発声映画が最初に上映されたのは1900年のパリでのことだったが、商業的に成り立つにはさらに10年以上を要した。当初は映画フィルムとは別にレコード盤に録音したものを使っていたため同期が難しく、しかも録音や再生の音質も不十分だった。サウンドカメラの発明によって同期が簡単になり、1923年4月にニューヨークで世界で初めてその技術を使った短編映画が一般上映された。 発声映画の商業化への第1歩はアメリカ合衆国で1920年代後半に始まった。トーキーという名称はこのころに生まれた。当初は短編映画ばかりで、長編映画には音楽や効果音だけをつけていた(しゃべらないので「トーキー」ではない)。長編映画としての世界初のトーキーは、1927年10月公開のアメリカ映画『ジャズ・シンガー』(ワーナー・ブラザース製作・配給)であり、ヴァイタフォン方式だった。これは、前述のレコード盤に録音したものを使う方式で、その後はサウンド・オン・フィルム方式(サウンドトラック方式)がトーキーの主流となった。翌1928年に、サウンドトラック方式を採用したウォルト・ディズニー・プロダクション製作の『蒸気船ウィリー』が公開される。『蒸気船ウィリー』は短編ながら、初のクリックトラックを採用した映画である。しかし、世界初のトーキーアニメーション映画に関しては、1926年に、フライシャー・スタジオの『なつかしいケンタッキーの我が家』がすでに公開されている。 1930年代に入るとトーキーは世界的に大人気となった。アメリカ合衆国ではハリウッドが映画文化と映画産業の一大中心地となることにトーキーが一役買った(アメリカ合衆国の映画参照)。ヨーロッパや他の地域では無声映画の芸術性がトーキーになると失われると考える映画製作者や評論家が多く、当初はかなり懐疑的だった。日本映画では1931年(昭和6年)の『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が初の本格的なトーキー作品である。しかし、活動弁士が無声映画に語りを添える上映形態が主流だったため、トーキーが根付くにはかなり時間がかかった。インドの映画はトーキーの到来によって急速に成長し、1960年代以降はアメリカを抜き、世界一の映画製作数を誇るようになった。.

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ブルーバード映画

ブルーバード映画(ブルーバードえいが、Bluebird Photoplays Inc., 1916年1月1日 設立 - 1919年3月 合併消滅)は、かつて存在したアメリカ合衆国の映画製作会社である。わずか3年の間であるが製作した多くの映画が日本で公開され、米国での評価に比し、日本映画への影響が大きかったことで知られる『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、田中純一郎、中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.257-261.

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テレビドラマ

テレビドラマとは、テレビ番組の一種で、ドラマ形式のもののこと。.

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テレビ朝日

株式会社テレビ朝日(テレビあさひ、英称:)は、関東広域圏を放送対象地域としてテレビジョン放送を行う特定地上基幹放送事業者である(地上アナログテレビジョン放送の放送区域には、本来は沖縄県の放送対象地域である大東諸島が含まれていた)。また、スカパー!をプラットフォームとしてテレ朝チャンネルの2つのチャンネルの放送を行う衛星一般放送事業者でもある。 2014年4月1日、株式会社テレビ朝日(旧会社)は「株式会社テレビ朝日ホールディングス」へ商号変更、同時に地上波テレビジョン放送免許を含む現業全てを2013年10月15日に設立した完全子会社「テレビ朝日分割準備株式会社」に承継し「株式会社テレビ朝日(現行会社)」に商号変更、放送持株会社体制に移行した。本項では2014年3月31日までの旧会社と2014年4月1日以降の現行会社について述べる。.

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テレビ映画

テレビ映画(テレビえいが)とは、一般の映画のようにフィルム(現在はビデオが主)で撮影され、最初に映画館で上映される映画ではなく、テレビ番組のドラマとして放送されるために製作される映像作品をいう。.

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フジテレビジョン

株式会社フジテレビジョン(Fuji Television Network, Inc.)は、関東広域圏を放送対象地域とするテレビジョン放送の特定地上基幹放送事業者。また、フジテレビONE・フジテレビTWO・フジテレビNEXTの衛星一般放送を行う衛星一般放送事業者でもある。産経新聞や扶桑社などとともにフジサンケイグループに属する フジサンケイグループ。 略称は、開局から現在に至るまで正式に定められたことがなくフジネットワークの加盟局一覧にも略称の表記がない。なおOX仙台放送も略称表記がない。、後述の通りコールサイン「JOCX-DTV」(東京 21ch)から一般的に用いられるCX(シーエックス)が半ば公式略称の様相を呈している。通称はフジテレビ、フジただし、地上デジタル放送のEPGと『あしたのジョー』(第1作)での制作クレジットは、正式社名のフジテレビジョンと表示。。 FNNフジニュースネットワーク、FNSフジネットワーク(フジテレビ系列)のキー局である。リモコンキーIDはアナログ親局8chから「8」。.

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ドイツ人

ドイツ人(ドイツじん、)は、ドイツを中心としてヨーロッパに分布する住民の定義である。文脈により以下の三つの定義を有する。.

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喜劇 にっぽんのお婆あちゃん

『喜劇 にっぽんのお婆あちゃん』(きげき にっぽんのおばあちゃん)は、1962年(昭和37年)1月3日公開の日本映画である。M.I.I.プロダクション製作、松竹配給。監督は今井正。モノクロ、シネマスコープ、95分。 当時はあまり自覚されなかった「高齢化問題」を取り上げた社会派喜劇。 主演の北林谷栄、ミヤコ蝶々を始め、当時の老女・老人役で知られた名優たちが総出演している。 製作のM.I.I.プロダクションは本作のために設立され、名前は設立者の今井、市川喜一、水木洋子の3人の頭文字から取っている。 宣伝用資料・ポスター等でのタイトルは『喜劇・にっぽんのお婆あちゃん』で、主演はミヤコ蝶々・北林谷栄の順となっているが、本編のタイトルクレジットには『喜劇』は付かず『にっぽんのお婆あちゃん』となっており、主演も北林谷栄・ミヤコ蝶々と、宣伝資料とは逆になっている。第36回キネマ旬報ベスト・テン第9位。.

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エラ・ホール

ラ・ホール(Ella Hall, 1896年3月17日 - 1982年9月3日Ella Hall, Internet Movie Database, 2010年6月25日閲覧。 / 1897年 - 1981年説あり墓碑銘には「1897-1981」とある。Ella Hall, Find A Grave, 2010年6月25日閲覧。)は、アメリカ合衆国の女優、映画プロデューサーである。本名エラ・オーガスト・ホール(Ella August Hall)。.

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エロ神の怨霊

『エロ神の怨霊』(エロがみのおんりょう)は、1930年(昭和5年)7月27日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、27分。 小津作品としては珍しく、エロ・グロ・ナンセンスを取り扱ったコメディ映画であるが、エロの部分は検閲で取り除かれたという『小津安二郎を読む 古きものの美しい復権』、フィルムアート社〈ブック・シネマテーク5〉、1982年、p.49。前作『その夜の妻』を松竹蒲田撮影所所長の城戸四郎に褒められた小津は、お盆用の映画を撮る条件で温泉旅行の褒美を貰い、それで撮ったのが本作である。初回興行は帝国館。現在、脚本・ネガ・プリントは散逸している。.

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カルメン純情す

『カルメン純情す』は、1952年に松竹大船撮影所が製作した、木下惠介監督の日本映画である。モノクロ作品。.

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カボチャ

ボチャ(南瓜、、)は、ウリ科カボチャ属に属する果菜の総称である。原産は南北アメリカ大陸。主要生産地は中国、インド、ウクライナ、アフリカ。果実を食用とし、ビタミンA、ビタミンC、ビタミンEなどのビタミン類を多く含む緑黄色野菜。.

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カボチヤ

『カボチヤ』(かぼちゃ)は、1929年(昭和4年)8月31日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント''Pumpkin''、インターネット・ムービー・データベース 、2013年2月9日閲覧、57分。 当時の松竹蒲田撮影所所長・城戸四郎が量産する方針を出したノンスターの短編ナンセンス喜劇の一本で、カボチャを電車に乗って捨てに行くという物語。初回興行は電気館。併映作品は『銀蛇』(監督安田憲邦)と『夏の日の恋』(監督野村芳亭)。現在、脚本・ネガ原版・上映用プリントのいずれも現存していない。 小津は、「非常に短い尺の映画で、本作を演出した時期からの構成方法がようやくわかりかけてきた」と、回想している。公開当時の本作について北川冬彦は、スラップスティック専門の演出家・大久保忠素門下であった小津への影響を指摘している。松竹が編集した『小津安二郎 新発見』において、同社は本作を「後年の小津の特長が現れた短篇喜劇の佳作」と評している。.

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キネマ旬報

『キネマ旬報』(キネマじゅんぽう)は、キネマ旬報社が発行する映画雑誌である。1919年7月創刊。毎月5日・20日刊行。通称「キネ旬」。.

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キネマ旬報社

株式会社キネマ旬報社(キネマじゅんぽうしゃ)は、日本の出版社。『キネマ旬報』をはじめとして、数々の映画業界関連、映像エンタテインメント関連の雑誌・ムック・書籍を発行している。 2008年1月、親会社で業界誌『ビデオ・インサイダー・ジャパン』、『DVDナビゲーター』を発行するフットノート(映画配給会社ギャガ・コミュニケーションズの出版事業部が前身/沿革を参照)と合併した。.

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シャープ火曜劇場

『シャープ火曜劇場』(シャープかようげきじょう)は、1961年8月29日から1963年4月9日までフジテレビ系列局が編成していたフジテレビ製作の単発テレビドラマ枠である。その後も1963年4月15日から同年11月11日まで『シャープ月曜劇場』(シャープげつようげきじょう)と題して編成されていた。いずれも早川電機工業(現・シャープ)の一社提供。全84回+31回(いずれも過去に一度放送した作品の再放送回を含む)。 本シリーズ終了後の1965年10月から同系列局が編成していた『松本清張シリーズ』(関西テレビ製作)もシャープの一社提供枠であり、こちらもタイトルに『シャープ火曜劇場』を冠していた。同枠についての詳細は松本清張シリーズ (関西テレビ) を参照。.

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シンガポール

ンガポールの衛星写真 シンガポール共和国(シンガポールきょうわこく)、通称シンガポールは、東南アジアの主権都市国家かつ島国である。マレー半島南端、赤道の137km北に位置する。同国の領土は、菱型の本島であるシンガポール島及び60以上の著しく小規模な島々から構成される。 同国は、北はジョホール海峡によりマレーシア半島から、南はシンガポール海峡によりインドネシアのリアウ諸島州から各々切り離されている。同国は高度に都市化され、原初の現存植生はほとんどない。同国の領土は、一貫して埋立てにより拡大してきた。.

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サンヨーテレビ劇場

ンヨーテレビ劇場(サンヨーテレビげきじょう)は、1958年1月7日 - 1961年7月28日にラジオ東京テレビ(KRT)→TBS系列で放送されたテレビドラマ枠である。三洋電機の一社提供だった。.

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サイレント映画

イレント映画(サイレントえいが、silent film)は、音声・音響、特に俳優の語るセリフが入っていない映画のことである、デジタル大辞泉、小学館、コトバンク、2010年2月4日閲覧。。.

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やぐら太鼓

『やぐら太鼓』(やぐらだいこ)は、1952年(昭和27年)製作・公開、マキノ雅弘・滝沢英輔共同監督による日本の長篇劇映画である。.

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やがて青空

『やがて青空』(やがてあおぞら)は1955年の日本映画。.

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兄とその妹

『兄とその妹』(あにとそのいもうと)は1939年(昭和14年)公開の島津保次郎監督の日本映画。.

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王将 (1948年の映画)

王将」(おうしょう)は1948年10月18日公開の日本映画。製作は大映。94分。.

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獄門島 (1949年の映画)

『獄門島』(ごくもんじま)は、1949年(昭和24年)に製作・公開された日本映画。片岡千恵蔵版金田一耕助シリーズの第2作。前後編の前編に当たり、後編は『獄門島 解明篇』。東横映画製作、東京映画配給配給。.

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現代劇

代劇(げんだいげき)は、日本の演劇や映画(劇映画)、テレビドラマ等を2つに大別し、現代を題材とした作品を指す大ジャンルである。他方の大ジャンルは時代劇であり、時代劇が明治維新以前の江戸時代、あるいはそれ以前の日本史上における古い時代を舞台としたものであるのに対し、現代劇は、明治維新以降の近現代世界を描いた作品を指す。現代風俗、現代の世相における感情、現代における思想などをテーマとし、演劇、劇映画、あるいはテレビ・ビデオ等の映像メディアでの劇作品で描く。.

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神田明神

明神(かんだみょうじん)は、東京都千代田区外神田二丁目に鎮座する神社。正式名称「神田神社」。神田祭をおこなう神社として知られる。神田・日本橋(日本橋川以北)・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。旧社格は府社(明治3年(1870年)まで准勅祭社)。現在は神社本庁の別表神社となっている。また旧准勅祭社の東京十社の一社である。.

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稲垣きくの

垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1987年10月30日)は、日本の俳人、茶道教授であり、元女優である平井・鷲谷, p.73.

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突貫小僧

『突貫小僧』(とっかんこぞう)は、1929年(昭和4年)11月24日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、38分。初回興行は帝国館。.

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筑波雪子

筑波 雪子(つくば ゆきこ、1906年6月10日 - 1977年6月6日)は、日本の女優。10代で映画にデビュー、サイレント映画時代のスターであった。本名佐藤 ゆき子(さとう ゆきこ、旧姓)。.

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簪 (映画)

(かんざし)は、1941年(昭和16年)に公開された松竹配給の日本映画。松竹大船撮影所製作、モノクロ、16mmフィルムで、「土橋式フォーン」を採用したトーキー作品。井伏鱒二原作『四つの湯槽』を元に、清水宏が脚色して監督も努めている。清水が監督した『按摩と女』にも設定が似通っている。 夏休みに山中の温泉宿に集った泊まり客たちの長屋のような人間模様を交えながら、落とした簪をきっかけにめばえる男女の恋を描いた佳作。製作当時は日中戦争の泥沼と太平洋戦争開戦を控えた困難な社会状況でありながらも、人里離れた温泉宿を舞台にすることで、世相の厳しさが少し和らげられてやや牧歌的に描かれている。 後に日本映画史を代表する俳優となる田中絹代と笠智衆がお互いにほのかな思いを寄せる男女(2人とも30歳代)を演じている。ちなみに、主演の田中はかつて清水監督と「試験結婚」をして家出をして分かれた関係であり、またこの作品の設定や映像には清水の田中への思い入れが反映されているようにも感じられる。 海外では「Ornamental Hairpin」または「Kanzashi」という英題で知られている。.

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純情二重奏

『純情二重奏』(じゅんじょうにじゅうそう)は、1939年(昭和14年)の日本映画。および同年8月25日にコロムビアレコードから発売されたその主題歌。1967年にもリメイクされた。.

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続・社長洋行記

『続・社長洋行記』(ぞくしゃちょうようこうき)は、1962年6月1日に東宝系で公開された日本映画。カラー。東宝スコープ。副題は『THREE GENTLEMEN RETURN from HONG KONG』(スリー・ジェントルメン・リターン・フロム・ホンコン)。.

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美人哀愁

『美人哀愁』(びじんあいしゅう)は、1931年(昭和6年)5月29日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、158分。 フランスの詩人であるの小説『大理石の女』を原作に、それまで喜劇調の作品が多かった小津がリアルな作品を作ろうとして手がけたメロドラマ。小津の全作品の中で最も長い2時間30分超えの作品である。初回興行は帝国館。現存するのは脚本のみで、ネガおよびプリントは失われている。.

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美貌の都

『美貌の都』(びぼうのみやこ)は、1957年(昭和32年)3月13日に公開された日本映画。製作は宝塚映画製作所(現・宝塚映像)、配給は東宝。監督は松林宗恵。モノクロ、スタンダード・サイズ、上映時間は98分。製作期間は1956年(昭和31年)12月16日~1957年(昭和32年)2月16日。.

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結城一朗

結城 一朗(ゆうき いちろう、1904年7月20日 - 1988年9月15日)は、日本の俳優、演劇プロデューサーであるキネマ旬報社, p.622.

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結婚学入門

『結婚学入門』(けっこんがくにゅうもん)は、1930年(昭和5年)1月5日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、71分。 小津の傾倒するエルンスト・ルビッチ監督の『』を模倣した作品で、倦怠期の夫婦をユーモラスに描いたナンセンス喜劇である。小津が初めてアッパーミドルの階層を扱った作品でもある。松竹の大女優栗島すみ子が小津作品に初主演し、正月映画として帝国館で封切られた。現在、脚本は現存するも、ネガ・プリントは散逸している。.

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男性対女性

『男性対女性』(だんせいたいじょせい)は、1936年(昭和11年)8月29日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は島津保次郎。モノクロ、スタンダード、134分。 1936年(昭和11年)1月に落成された松竹大船撮影所の建設記念映画で、オールキャストで製作された。松竹歌劇団の水の江瀧子らが特別出演している。.

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牛原虚彦

牛原 虚彦(うしはら きよひこ、1897年3月22日 - 1985年5月20日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は牛原 清彦。 初期の松竹蒲田撮影所で活躍した映画監督で、鈴木傳明とのコンビで明朗な青春映画などを作り、島津保次郎らとともに蒲田映画の一翼を担った。渡米してチャールズ・チャップリンの映画『サーカス』の製作に参加したことでも知られる。監督引退後は日本大学芸術学部教授や日活芸術学院初代学院長などに就いて後進の指導にあたった。毎日映画コンクール創設メンバーの一人でもある。妻は女優の三村千代子で、息子は日活で活躍した映画監督の牛原陽一。.

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益田喜頓

喜頓(ますだ きいとん、本名木村 一、1909年9月11日 - 1993年12月1日)は、日本の俳優。昭和期を代表するコメディアンである。芸名の「ますだきいとん」は三大喜劇王の一人、「バスター・キートン」のもじり。.

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銀座

銀座(ぎんざ)は、東京都中央区の地名で、旧京橋区の地域にある。現行行政地名は銀座一丁目から銀座八丁目。郵便番号は104-0061。地域ブランドとしても知られている。.

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落第はしたけれど

『落第はしたけれど』(らくだいはしたけれど)は、1930年(昭和5年)4月11日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、77分。 大学を卒業しても就職口がないという深刻な社会状況を背景に、学生生活をエンジョイしている落第生を描いたコメディ作品で、東京国立近代美術館フィルムセンター、1週間で撮影された。ハロルド・ロイドの『』の影響を始め、小津のアメリカ映画への傾倒ぶりも随所に見られる。小津作品で初めて笠智衆が目立つ役で出演している。初回興行は帝国館。現在、東京国立近代美術館フィルムセンターがフィルムを所蔵している。.

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青春の夢いまいづこ

『青春の夢いまいづこ』(せいしゅんのゆめいまいづこ)は、1932年(昭和7年)10月13日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、91分。 前作『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』を完成後、『また逢ふ日まで』の撮影に入るも費用がオーバーしてしまい、急遽低予算で作ったのが本作である。小津としては手馴れた題材であったが、その分だけ充実した演出術が楽しめる。初回興行は帝国館。.

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蝕める春

『蝕める春』(むしばめるはる)は、1931年に『婦人倶楽部』で連載された菊池寛の小説、およびそれを原作として1932年に日本で公開された映画。.

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街の手品師

『街の手品師』(まちのてじなし)は、1925年(大正14年)に村田実が監督し、日活京都撮影所第二部が製作、日活が配給して公開された、日本の長篇劇映画、サイレント映画である''街の手品師''、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月5日閲覧。''街の手品師''、日本映画データベース、2012年7月5日閲覧。。初めてヨーロッパで上映された日本映画のひとつである石巻、p.429.

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飯田蝶子

飯田 蝶子(いいだ ちょうこ、1897年4月17日 - 1972年12月26日)は、日本の女優。本名は茂原 てふ(旧姓は飯田)。 松坂屋店員など様々な職を経て松竹蒲田撮影所に入社、庶民派の老女役や祖母役などの老け役を多く演じ、「日本を代表するお婆さん女優」として親しまれた(出演本数は300本を超え、息の長い活躍を見せた)。水木歌紅(栗島すみ子)の弟子として、水木 歌門の名で水木流日本舞踊の名取も務めた。夫は茂原英雄。.

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高田稔

(たかだ みのる、1899年〈明治32年〉12月20日 - 1977年〈昭和52年〉12月27日)は、大正・昭和期の俳優、映画プロデューサーである。本名同じ。旧芸名は高田 昇(たかだ のぼる)。妻は元女優の光喜三子。 無声映画・初期トーキー映画時代に松竹蒲田撮影所や新興キネマなどで活躍した二枚目スターである。初期は浅草オペラの舞台で活躍。戦後は東宝、テレビドラマなどで脇役として長く活躍した。.

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足に触った幸運

『足に触つた幸運』(あしにさわったこううん)は、1930年(昭和5年)10月3日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、74分。 サラリーマンの悲喜劇を描いた作品で、野田高梧がシナリオを書き下ろした。タイトルは阿部豊監督の『足にさはった女』からきている。初回興行は帝国館。シナリオは現存しており、1993年(平成5年)刊行の『小津安二郎作品集 1』(井上和男編、立風書房)および、2003年(平成15年)刊行の『小津安二郎全集 上』(井上和男編、新書館)に収録されているが、ネガ原版・上映用フィルムは現存されていない。.

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龍田静枝

龍田 静枝(たつた しずえ、1903年2月11日 - 1962年1月21日)は、大正末期から昭和初期のサイレント映画で活躍した女優である。本名塩野 静枝(しおの - 、旧姓)、山形県出身。.

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近代映画協会

株式会社近代映画協会(-きんだいえいがきょうかい)は、日本の映画会社である。1950年(昭和25年)、新藤兼人、吉村公三郎、殿山泰司らが設立した。.

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近鉄金曜劇場

『近鉄金曜劇場』(きんてつきんようげきじょう)は、1961年(昭和36年)10月6日から1967年(昭和42年)9月29日まで、当時JNN系列であった朝日放送(ABC)を幹事局に、TBS系列で毎週金曜日20:00 - 21:00(後に「JNNフラッシュニュース」が入ったことにより4分短縮)に放送されていたテレビドラマ専門枠。 制作は、TBS系列局であり、かつJNN基幹局であるABC・TBS・中部日本放送(CBC)・北海道放送(HBC)・RKB毎日放送(RKB)が持ち回りで担当した。1965年9月3日 - 1967年3月31日までは、ヒューマンドラマ路線を主とし、「愛とこころのシリーズ」というサブタイトルが冠されていた。 「東芝日曜劇場」とともに、名作ドラマを数多く輩出したドラマ枠ではあったが、当時の民放は地方都市を中心に1局しかなかった、オープンネットの状態が多く、回線の関係で、系列局によっては、この時間帯を日本テレビ(NTV)系列「三菱ダイヤモンドアワー」(三菱電機単独提供。「日本プロレス中継」と「ディズニーランド」との週替わり放送)との同時ネットに充当していた局もあったため、必ずしもTBS系列全局で同時ネットされていたわけではなく、遅れネットもしくは未ネットとなった局も少なくなかった。 近畿日本鉄道の一社提供であり、テーマソングとして楠トシエ「近鉄特急の歌」が使用された。.

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肺癌

肺癌(はいがん、英:Lung cancer)は、肺に発生する上皮細胞由来の悪性腫瘍。90%以上が気管支原性癌 (bronchogenic carcinoma) 、つまり気管支、細気管支あるいは末梢肺由来の癌である。肺腺癌(はいせんがん)とも呼ばれる。 国際肺癌学会によれば、肺癌は世界的に最も致死的な癌であるが、その理由の1つは、多くの場合発見が遅すぎて効果的な治療を行うことができないことであり、早期に発見された場合は手術や放射線治療でその多くを治癒することができる。 全世界での死亡患者数は159万人に上り(2012年)、主な原因としてタバコが挙げられる。.

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肉体美

『肉体美』(にくたいび)は、1928年(昭和3年)12月1日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、54分。 小津が最初に批評家たちの注目を集めた作品で、ナンセンスの下品さを脱していると一般の間でも好評だった。初回興行は電気館。川喜多記念映画文化財団に脚本が現存するが、ネガ原版・上映用プリントは現存していない。.

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金色夜叉

尾崎紅葉 金色夜叉(こんじきやしゃ)は、尾崎紅葉が書いた明治時代の代表的な小説。読売新聞に1897年(明治30年)1月1日 - 1902年(明治35年)5月11日まで連載された。前編、中編、後編、続金色夜叉、続続金色夜叉、新続金色夜叉の6編からなっている。執筆中に作者が死亡したため未完成である。紅葉門下の小栗風葉が1909年(明治42年)に「終編金色夜叉」を書き継いだ。昭和に入って、度々、映画、ドラマ化されるようになった。 この作品の種本は、バーサ・M・クレー(Bertha M.Clay)、本名:en:Charlotte Mary Brame(1836-1884) の『Weaker than a Woman(女より弱きもの)』であることが分かっている(後述)。.

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長運寺

長運寺(ちょううんじ)は、東京都台東区谷中にある日蓮宗の寺院。山号は大乗山。旧本山は身延山久遠寺、潮師法縁。谷中感応寺旧蔵の鬼子母神を祀る。境内には斎藤達雄(映画監督)の墓所がある。.

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若人の夢

『若人の夢』(わこうどのゆめ)は、1928年(昭和3年)4月28日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、50分。 小津が自らのオリジナルシナリオで演出した、大学生活を描いた青春コメディ作品。撮影の茂原英雄と初めてコンビを組み、その助手に後の小津作品でカメラを回す厚田雄春がついた。笠智衆の小津作品初出演作品でもある。初回興行は電気館。現在、脚本・ネガ原版・上映用プリントのいずれも現存していない。.

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離婚 (映画)

『離婚』(りこん)は、1952年(昭和27年)製作・公開、マキノ雅弘監督による日本の長篇劇映画である。.

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陽気な渡り鳥

『陽気な渡り鳥』(ようきなわたりどり)は、1952年(昭和27年)1月1日公開の日本映画である。.

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TBSテレビ

株式会社TBSテレビ(ティービーエステレビ、Tokyo Broadcasting System Television, Inc.)は、関東広域圏を放送対象地域としてテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者であり、スカパー!をプラットフォームとしてTBSニュースバード・TBSチャンネルの放送を行っている衛星一般放送事業者、赤坂サカスを業務区域とするエリア放送事業を行っている地上一般放送事業者でもある。また、東京放送ホールディングス(以下TBSHD)の連結子会社である。 略称はTBSであるが、ラテ兼営の過去からグループ会社の中波ラジオ単営局TBSラジオ(TBS R、旧TBSラジオ&コミュニケーションズ(TBS R&C))もしばしばそのように表記されるこのためTBSラジオの新サイトでTBSテレビは「TBS TV」と表記されている。。 本項目では、法人としての「株式会社TBSテレビ」、および地上基幹放送局としての「TBSテレビ」、「TBSテレビジョン」について記述する。 リモコンキーIDはアナログ親局6chから「6」。.

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果てしなき情熱

『果てしなき情熱』(はてしなきじょうねつ)は、1949年9月27日に公開された日本映画。新東宝製作、東宝配給。.

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東宝

東宝株式会社(とうほう)は、映画・演劇の製作配給・興行や不動産賃貸を行う日本の企業。一般には映画会社として知られる。 阪急阪神ホールディングスの持分法適用会社で、2015年現在、2つの直営演劇劇場(帝国劇場、新館シアタークリエ)を保有する。阪急阪神ホールディングス(阪急電鉄、阪神電気鉄道)、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急百貨店、阪神百貨店)とともに、阪急阪神東宝グループの中核企業となっている。本社は東京都千代田区有楽町一丁目2番2号。 他の阪急阪神東宝グループ同様三和グループのメンバーであるが、阪急電鉄と異なり三水会には参加せず、みどり会のみに参加している。.

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東京の合唱

『東京の合唱』(とうきょうのコーラス)は、1931年(昭和6年)8月15日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、91分。 世界的に不景気な時代に仕事を失った父親が再起する姿を描いた小市民映画で、悲劇的な内容に喜劇的な側面を持たせている。初回興行は帝国劇場。第8回キネマ旬報ベスト・テン第3位。1953年(昭和28年)に東宝で『サラリーマンの歌』としてリメイクされた。.

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東京市

東京市役所(東京府庁との合同庁舎) 東京市(とうきょうし)は、旧東京府(現東京都)東部に1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)までの間に存在していた市である。東京府の府庁所在地。最終的な市域は現在の東京都区部(東京23区)に相当する。 東京市が存在していた時期以外の旧東京市地域の歴史については東京都の歴史を参照のこと。旧東京市地域の現状については東京都区部を参照のこと。.

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東京府

東京府庁(東京市役所との合同庁舎) 東京府(とうきょうふ)は、1868年から1943年までの間に存在していた日本の府県の一つである。現在の東京都の前身に当たる。府庁所在地は東京市。.

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東京ファイル212

『東京ファイル212』(とうきょう-、Tokyo File 212)は、1951年(昭和26年)製作・公開、ダレル・マックガワン、スチュアート・マックガワン共同監督の日本・アメリカ合衆国合作の長篇劇映画である。初の日米合作映画とされる。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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東京映画

東京映画株式会社(とうきょうえいが)は、かつて存在した日本の映画製作プロダクションである。1952年(昭和27年)に東宝の関係会社として設立、東宝が配給した映画「駅前シリーズ」等のコメディ映画を製作し、東京映画撮影所を稼働させた。東宝は東西両撮影所制を敷いた大映や東映、松竹(1965年京都撮影所閉鎖)と異なり、戦前期に京都撮影所を閉鎖して砧撮影所に製作を原則一元化していたが、傘下の東京映画と宝塚映画は別に撮影所を持ち、盛期にはそれぞれ年間十本程度の作品を供給し続けている。ともに監督と俳優は東宝から供給されたが、技術スタッフは独自の機構を備えてそれぞれのカラーを発揮した。東京映画は、撮影所なのに皆ネクタイを締めている、と活動屋たちを驚かせた初期の東宝撮影所の社風を戦後まで引き継いだ紳士集団であったといわれる。 1983年(昭和58年)8月25日に株式会社東京映画新社(梅浦洋一社長在籍時の2004年9月1日、東宝に合併して消滅)に改組、消滅した、東宝、2004年6月22日付、2009年10月10日閲覧。。.

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東横映画

東横映畫株式會社(とうよこえいが、1938年6月8日 設立 - 1951年3月31日 合併)は、のかつて存在した日本の映画会社である。東急資本のもとに映画館経営から出発し、第二次世界大戦後に旧満洲映画協会(満映)のメンバーを中心にして、京都・太秦の「大映第二撮影所」で劇映画を製作した。東映の前身の1社である。.

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東日興業

東日興業株式会社(とうにちこうぎょう-)は、かつて存在した日本の映画製作プロダクションである。日本初のアメリカ合衆国との合作映画『東京ファイル212』を製作したことで知られる。 1949年(昭和24年)12月に設立『キネマ旬報』第698号、キネマ旬報社、1976年、p.475.

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松竹キネマ

松竹キネマ(しょうちく-).

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松竹蒲田撮影所

ニッセイアロマスクエア(松竹蒲田撮影所跡地に建つビルディング) 松竹蒲田撮影所(しょうちくかまたさつえいじょ、1920年6月開所 - 1936年1月15日閉鎖)は、かつて存在した日本の映画スタジオである。大正期から戦前期にかけて、松竹キネマの現代劇映画のスタジオとして稼働。通称:松竹蒲田。 初期はハリウッドから技術者を招いたり、スター・システムを導入するなど日本映画黎明期をリードする撮影所となった。城戸四郎が撮影所長になってからは、通称:蒲田調と呼ばれる作品を連発し、一時代を築いた。小津安二郎や成瀬巳喜男、田中絹代、高峰秀子等の映画人を輩出し、国産初の本格的トーキー映画を生み出したのも同撮影所である。.

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櫻の國

『櫻の國』(さくらのくに)は、大田洋子の長編小説。1940年(昭和15年)1月の朝日新聞創刊50周年記念一万円懸賞にて一等入選し、同年10月に朝日新聞社より刊行された。 松竹により映画化され、1941年に公開された日本映画。.

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母と子

『母と子』(ははとこ)は、渋谷実監督、1938年公開の日本映画。監督渋谷実の出世作と評価されている作品であるAVエクスプレス 編『映画大全集』(メタモル出版,1998)1114頁近藤富枝『花蔭の人 矢田津世子の生涯』(講談社,1978)145頁。.

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江東区

江東区(こうとうく)は、東京都の特別区のひとつで、23区東部に区分される。郵便番号(上3桁)は135・136。.

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深川区

深川区(ふかがわく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の江東区の北西部に位置していた。.

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淑女と髯

『淑女と髯』(しゅくじょとひげ)は、1931年(昭和6年)1月24日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、74分。 小津監督のナンセンス喜劇の中でも代表格とされる作品で、二枚目俳優の岡田時彦が喜劇的センスを発揮した。飯塚敏子のデビュー作でもある。初回興行は帝国館。現在、東京国立近代美術館フィルムセンターがフィルムを所蔵している。.

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淑女は何を忘れたか

『淑女は何を忘れたか』(しゅくじょはなにをわすれたか)は、1937年(昭和12年)3月3日公開の小津安二郎による日本映画。小津による37作目の監督作品。.

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清水宏 (映画監督)

清水 宏(しみず ひろし、1903年3月28日 - 1966年6月23日)は、大正・昭和期の映画監督。作為的な物語、セリフ、演技、演出を極力排除する実写的精神を大事にし、「役者なんかものをいう小道具」という言葉を残している。.

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演劇

演劇(えんげき、英語:theatre, theater)とは、観客に対し、俳優が舞台上で身振りや台詞などで、何らかの物語や人物などを形象化し、演じて見せる、芸術のこと。俳優が観客を前にして、舞台上で、なんらかの思想や感情などを表現し伝達しようとする一連の行為。.

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月田一郎

月田 一郎(つきた いちろう、1909年10月11日 - 1945年9月27日)は、日本の俳優である『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年、374頁。『日本映画美男俳優 戦前編』 ワイズ出版、2014年。。本名は築田 智二郎(つきた ともじろう)だが、本名同じの説もある。戦前に松竹蒲田撮影所、新興キネマ、東宝などで多数の作品に出演したバイプレーヤーである。身長は5尺4寸(約163.6センチメートル)、体重は14貫200匁(約53.3キログラム)。.

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朗かに歩め

『朗かに歩め』(ほがらかにあゆめ)は、1930年(昭和5年)3月1日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、95分。 小津がアメリカ映画に傾倒して作った作品で、作品中には自動車、ゴルフ、タイピスト、ピクニック、アパート、ベッド、洋服など、当時の日本の生活様式の中ではなじみのない洋風のものが登場し、主人公たちがモボ・モガであるなど、ハイカラ趣味を示している作品となった。また、俯瞰や移動撮影(自動車の走行シーンなど)の使用や、ツーショットで2名の人物が向かいあって会話するなど、後の小津映画にはない技法や演出が見られる。初回興行は帝国館。.

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戸田家の兄妹

『戸田家の兄妹』(とだけのきょうだい)は1941年(昭和16年)公開の小津安二郎監督の日本映画。.

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映画の分類

映画の分類(えいがのぶんるい)としては、どういう分類の仕方をするかによって名称が変わってくる。 映画を「作品」としてとらえ、単に知見を広めたり視聴覚的に情報を得るためではなく、 映画独自の表現を楽しむ事を主たる目的として「鑑賞」する観点からは以下の三つに大別する事が出来る。.

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映画監督

映画監督(えいがかんとく、film director)とは、映画の映像作成を統括する責任者で、テレビではディレクターとも呼ぶ。一般に、製作を担当する製作者(プロデューサー)に対して、その映画のトップ2となる。 テレビ番組やビデオ作品などについても「監督」・「ディレクター」という言葉が用いられるが、「映画監督」は、劇場用映画(劇映画)や、フィルムで撮影されたまとまったドキュメンタリー作品の監督のみを意味することがある。商業映画であれば何百という人間が動くが、「映画は監督のモノ」と映画評論家に言われるほどその立場は重要で、程度の違いこそあれ制作現場では作品創作全体の統一のための権力を有しているが、映画は創作者集団による総合芸術であり、芸術としての映画を厳密公正に研究・分析する場合「制作者」は俳優やプロデューサーや監督以外にも制作創作スタッフ全体がその対象となる。 「映画監督」と「(テレビ番組やビデオ作品の)監督」の職務内容には、規模の違いこそあれ大きな差はないため、本稿では両者をまとめて扱う。.

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春は御婦人から

『春は御婦人から』(はるはごふじんから)は、1932年(昭和7年)1月29日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、74分。 1931年(昭和6年)11月頃から断続的に撮影していた『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』が子役の怪我で一時撮影中止となり、その間の同年12月から翌年1月にかけて、新人俳優の城多二郎を起用して撮影した作品である。現存するのは脚本のみで、ネガおよびプリントは失われている。.

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春琴抄 お琴と佐助

『春琴抄 お琴と佐助』(しゅんきんしょう おこととさすけ)は、1935年(昭和10年)6月15日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は島津保次郎。モノクロ、スタンダード、110分。 これまでに6度映画化された谷崎潤一郎の中編小説『春琴抄』の最初の映画化作品である。当時の人気スターである田中絹代と高田浩吉の主演ということもあり、封切り2週続映の大ヒットを記録したが、島津の演出は、所詮谷崎文学に肉薄し得ずと評され、批評家の北川冬彦と島津の間に激しい論戦が交わされた。第12回キネマ旬報ベスト・テン第3位。.

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斎藤寅次郎

斎藤 寅次郎(さいとう とらじろう、1905年(明治38年)1月30日 - 1982年(昭和57年)5月1日)は、日本の映画監督である。本名は寅二郎。喜劇映画を非常に得意とし、しばしば喜劇の神様と称される。 妻は自作のコメディエンヌでもあった女優の浪花友子。晩年の1972年に芸名を本名の寅二郎に改めている。.

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新東宝

新東宝株式会社(しんとうほう)は、かつて東京に存在した日本の映画会社である。1947年(昭和22年)3月に株式会社新東宝映画製作所(-しんとうほうえいがせいさくしょ)として創業、1948年(昭和23年)4月に株式会社新東宝として設立され、1958年(昭和33年)2月に同商号に変更している、国際放映(新東宝の継承会社)公式サイト、2009年9月10日閲覧。。1961年(昭和36年)に倒産し、1964年(昭和39年)に国際放映株式会社に商号変更した。 同社が存続した1947年 - 1961年の14年間に800本以上の映画を製作。初期は文芸色が強く、ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞した『西鶴一代女』のように高く評価される作品もあった。後期は作品カラーを大きく変え、「エログロ」に代表される徹底した娯楽、大衆路線となる。 同社の倒産以降に「新東宝」を名乗る「新東宝興行株式会社」、「新東宝映画株式会社」とは別会社である。⇒ #倒産後、新東宝映画.

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新演伎座

新演伎座(しんえんぎざ)は、1942年(昭和17年)、俳優の長谷川一夫が山田五十鈴らと設立した日本の劇団であり、第二次世界大戦後、1948年(昭和23年)、長谷川が映画会社として改組した日本の劇団である。戦後の名称は株式会社新演伎座である。「新演技座」は誤り。.

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日夏百合繪

日夏 百合繪(ひなつ ゆりえ、1906年1月 - 没年不詳)は、日本の女優である日本映画史研究会, p.1532.

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日守新一

日守 新一(ひもり しんいち、本名:守山一雄、1907年(明治40年)(1900年または1901年生まれ説もある)1月10日 - 1959年(昭和34年)9月12日)は戦前、戦中、戦後と主に松竹映画で活躍した日本の俳優。.

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日産スター劇場

日産スター劇場(にっさんスターげきじょう)は日産自動車単独スポンサーによる冠番組。1963年11月23日のスタートより1969年3月29日の最終回に至るまで毎週土曜21:30~22:30(1966年4月以降は22:26まで)に日本テレビで放送された30分1話完結型のドラマである。 当時は元宝塚歌劇団の越路吹雪や高千穂ひづるなど人気スターが主な配役となっていた。 なお末期の1968年10月から、第一工業製薬(「モノゲン」名義)と三洋電機が新たにスポンサーに加わったため、タイトルから冠が取れ、単に「スター劇場」となった。 その後は、連続ドラマになり、1969年10月に当時木曜21:30に放送してきた「グランド劇場」という枠タイトルがついて「土曜グランド劇場」となり、1998年4月に現在の土曜ドラマに改題されて現在も放送している。.

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日活

日活株式会社(にっかつ)は、日本の映画製作、配給会社である。 社名は創立時の名称である「日本活動冩眞株式會社」の略称に由来する。.

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日活撮影所

日活調布撮影所(にっかつちょうふさつえいじょ)は、映画会社日活の名を冠した映画スタジオである。 日活の名を冠した映画スタジオは過去には「多摩川撮影所」(現・角川大映スタジオ)など東京・京都にいくつもの撮影所が存在した。 2016年現在、東京都調布市染地2-8-12に位置する日活調布撮影所、通称「にっかつ」(旧・にっかつ撮影所)が唯一の存在である。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本テレビ放送網

日本テレビ放送網株式会社(にっぽんテレビほうそうもう、英称:)は、関東広域圏を放送対象地域としてテレビジョン放送を行う特定地上基幹放送事業者である。1953年8月28日に日本国内で初めての民間放送テレビ局として開局した。 一般的には日本テレビ(にほんテレビ)または日テレ(にっテレ、Nittele)と呼ばれる。他に「NTV」(エヌティーヴィー)、コールサイン「'''JOAX-DTV'''」(東京 25ch)からの「AX」(エーエックス、アックス)という略称もある。 リモコンキーIDは「4」。 スカパー!プレミアムサービスをプラットフォームとして日テレジータスの放送を行う衛星一般放送事業者でもある。 なお、認定放送持株会社制移行のために、2012年10月1日に(旧)日本テレビ放送網株式会社(現日本テレビホールディングス株式会社・旧会社)から新設分割され、移管・放送免許を承継した(新)日本テレビ放送網株式会社(現行会社)が現業を行なっている。.

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日本橋区

日本橋区(にほんばしく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の中央区の北部に位置していた。.

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日本映画データベース

日本映画データベース(にほんえいがデータベース、Japanese Movie Database、JMDb)は、1997年(平成9年)から運営されている日本映画についての日本のデータベースサイトである。2004年(平成16年)以降のデータはWalWikiで運営されている。.

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日本映画新社

株式会社日本映画新社(-にっぽんえいがしんしゃ、Nippon Eiga Shinsha Co., Ltd)は、かつて存在した日本の映画会社である。 前身は、第二次世界大戦中にニュース映画、国策宣伝映画を量産した社団法人日本映画社である。2008年(平成20年)4月1日、同社のライブラリー業務を東宝ステラに移管し、2009年(平成21年)4月24日をもって解散した、日本映画新社、2009年10月10日閲覧。。.

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日本放送協会

日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、英称:Japan Broadcasting Corporation)は、日本の公共放送を担う事業者。よく誤解されるが国営放送ではない。日本の放送法(昭和25年法律第132号)に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人。総務省(旧・郵政省)が所管する外郭団体である。 公式略称は、「NIPPON HOSO KYOKAI」の頭文字を取り「」と呼称・記される。 公共放送としての事業規模は、英国放送協会 (BBC) などと並び、国内にNHKエンタープライズ、NHKグローバルメディアサービス、NHK出版など13の連結子会社を持つ。また、関連会社として日本国外にNHKコスモメディアアメリカ、NHKコスモメディアヨーロッパが設立されている。1986年には子会社である株式会社NHKエンタープライズを出資母体として、NHKエンタープライズ25%、株式会社電通25%の共同出資による株式会社総合ビジョンを設立した。しかし、これは事業の縮小を経て2013年7月1日付けでNHKエンタープライズに吸収合併した。 愛宕山。 中継車(いすゞ・フォワード).

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日本敗れず

『日本敗れず』(にほんやぶれず)は、新東宝映画が1954年に製作した日本映画。2012年に株式会社ケイメディアからDVDが発売された。.

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日曜劇場

『日曜劇場』(にちようげきじょう)は、1956年(昭和31年)12月2日よりTBS系列で放送されているテレビドラマ枠である。ステレオ放送。連動データ放送(2009年(平成21年)4月より)を実施している。.

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愛よ人類と共にあれ

『愛よ人類と共にあれ』(あいよじんるいとともにあれ)は、1931年(昭和6年)製作・公開、松竹蒲田撮影所製作、松竹キネマ配給、島津保次郎監督による日本のサイレント映画である愛よ人類と共にあれ 前篇 日本篇、日本映画データベース、2010年10月7日閲覧。愛よ人類と共にあれ 後篇 米国篇、日本映画データベース、2010年10月7日閲覧。。『前篇 日本篇』(ぜんぺん にほんへん)と『後篇 米国篇』(こうへん べいこくへん)から成り、同年4月17日に両篇一挙公開された。.

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愛染かつら

『愛染かつら』(あいぜんかつら)は、川口松太郎の小説。これを原作とする映画・テレビドラマが多数製作された。.

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時代劇

時代劇(じだいげき)は、日本の演劇や映画、テレビドラマなどで現代劇と大別されるジャンルとして、主に明治維新以前の時代の日本を舞台とした作品の総称である、コトバンク、2009年10月24日閲覧。、コトバンク、2009年10月24日閲覧。。.

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1902年

記載なし。

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1922年

記載なし。

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1923年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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1928年

記載なし。

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1929年

記載なし。

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1930年

記載なし。

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1947年

記載なし。

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1950年代

1950年代(せんきゅうひゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1950年から1959年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1950年代について記載する。.

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1967年

記載なし。

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1968年

記載なし。

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3月2日

3月2日(さんがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から61日目(閏年では62日目)にあたり、年末まであと304日ある。.

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6月10日

6月10日(ろくがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から161日目(閏年では162日目)にあたり、年末まであと204日ある。誕生花はジャスミン、ラベンダー。.

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斉藤達雄

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