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教皇子午線

索引 教皇子午線

南アメリカ上に記した教皇子午線(右側)、翌年のトルデシリャス条約ではより西寄りの線に置き換えられた 教皇子午線(きょうこうしごせん)は、クリストファー・コロンブスの「アジア」到達の知らせに、ローマ教皇アレクサンデル6世が1493年に設定したポルトガル・スペイン両国の勢力分界線。アフリカのヴェルデ岬西方の子午線で、大西洋のアゾレス諸島とヴェルデ諸島の間の海上を通過する経線の東をポルトガル、その西をスペインの勢力圏とした。.

19 関係: 大西洋大航海時代子午線ポルトガル王国ポルトガル海上帝国ヴェルデ岬トルデシリャス条約アレクサンデル6世 (ローマ教皇)アフリカアジアアゾレス諸島カーボベルデクリストファー・コロンブススペインスペイン帝国新世界教皇1492年1493年

大西洋

大西洋(たいせいよう、Atlantic Ocean、Oceanus Atlanticus)は、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、アメリカ大陸の間にある海である。なお、大西洋は、南大西洋と北大西洋とに分けて考えることもある。おおまかに言うと、南大西洋はアフリカ大陸と南アメリカ大陸の分裂によって誕生した海洋であり、北大西洋は北アメリカ大陸とユーラシア大陸の分裂によって誕生した海洋である。これらの大陸の分裂は、ほぼ同時期に発生したと考えられており、したがって南大西洋と北大西洋もほぼ同時期に誕生したとされる。.

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大航海時代

大航海時代(だいこうかいじだい)は、15世紀半ばから17世紀半ばまで続いた、ヨーロッパ人によるアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代。主にポルトガルとスペインにより行われた。.

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子午線

リニッジ天文台のかつての本初子午線(グリニッジ子午線)。現在の本初子午線は、この位置から、東へ、角度で5.301秒、距離にして102.478mの位置を通過している。 子午線(しごせん、)とは地球の赤道に直角に交差するように両極を結ぶ大円である。南北線(なんぼくせん)・南北圏(なんぼくけん)とも言う。同一経度の地点を結ぶ経線(けいせん、circles of longitude)と一致する。 子午線に対して直交するのが卯酉線(ぼうゆうせん)で、東西圏とも言う。これに対して同一緯度の地点を結ぶのが緯線である。.

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ポルトガル王国

ポルトガル王国(ポルトガルおうこく、)は、現在のポルトガルにあたる地域(当初はその一部)に、1139年から1910年まで存在した王国。.

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ポルトガル海上帝国

1410年から1999年までにポルトガルが領有したことのある領域(赤)、ピンクは領有権を主張したことのある領域、水色は大航海時代に探索、交易、影響が及んだ主な海域。 ポルトガル海上帝国(ポルトガルかいじょうていこく、ポルトガル語:Império Português)は、15世紀以来ポルトガル王国が海外各地に築いた植民地支配及び交易体制を指す。新大陸発見後はトルデシリャス条約によりスペインと世界を二分した。領域支配より交易のための海上覇権が中心であったので、このように呼ばれる(オランダ海上帝国も同様である)。それゆえ、既存の大国であったアステカ帝国やインカ帝国の、それぞれの中心地域であったメキシコおよびペルーにおける領域支配を中心としたスペインの場合は、とくに「海上帝国」とは言わない(スペイン帝国)。.

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ヴェルデ岬

ヴェルデ岬半島 ヴェルデ岬(Cap Vert、Cabo Verde)は、アフリカ大陸最西端、セネガル領内の岬である。首都ダカールの市街地は西の半島先端部にある。大西洋に突出した形で、沖にはゴレ島がある。最西端はである。西へ約500Km沖合にはベルデ岬諸島が点在する。「緑の岬」の意。サハラ砂漠沿岸を航海してきた船が、ようやく砂漠が尽き、植生に恵まれたこの岬を見て名付けられた。 1445年、このヴェルデ岬にポルトガルのエンリケ航海王子航海船団が到達した。.

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トルデシリャス条約

トルデシリャス条約(トルデシリャスじょうやく、Tratado de Tordesilhas, Tratado de Tordesillas)は、1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約。当時両国が盛んに船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、教皇アレクサンデル6世の承認によってヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めた。 本条約において西アフリカのセネガル沖に浮かぶカーボベルデ諸島の西370リーグ(1770km)の海上において子午線にそった線(西経46度37分)の東側の新領土がポルトガルに、西側がスペインに属することが定められた。名称の由来は、条約が批准されたカスティージャのトルデシリャスの地名からとられている。条約調書の原本は2007年にスペインとポルトガルの共同申請で、ユネスコの記憶遺産に登録された。 サラゴサ条約もまた同じ意図によって、1529年に両国の間で批准された条約である。.

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アレクサンデル6世 (ローマ教皇)

アレクサンデル6世(Alexander VI, 1431年1月1日 - 1503年8月18日)は、15世紀のローマ教皇(在位:1492年 - 1503年)。 本名はロデリク・ランソル(Roderic Lanzol)であるが、母方の伯父であるカリストゥス3世の教皇就任に伴って、母方の苗字であるボルハ(ボルジャ、Borja)に変えたため、ロデリク・ボルハのイタリア語読みであるロドリーゴ・ボルジア(Rodrigo Borgia)イタリア語名は正しくはボルジャのようになる。の名前で知られることになる。 ルネサンス期の世俗化した教皇の代表的存在であり、好色さ、強欲さやジロラモ・サヴォナローラとの対立によっても非難されることが多い。また、息子のチェーザレ・ボルジアを右腕とし、一族の繁栄とローマ教皇庁の軍事的自立に精力を注いだことで、イタリアを戦火に投じることになった。.

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アフリカ

衛星画像 NASA) 南部アフリカ アフリカ(ラテン語:Āfrica、英語:Africa)は、広義にはアフリカ大陸およびその周辺のマダガスカル島などの島嶼・海域を含む地域の総称で、六大州の一つ。阿州。漢字表記は阿弗利加。.

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アジア

アジア アジアの地図 東南アジア アジア(ラテン語: Asia古典ラテン語では「アシア」だが、現代ラテン語では「アジア」とも発音する。)は、世界の大州のひとつ。現在では一般的にヨーロッパを除くユーラシア大陸全般を指すが、政治的・経済的な立場の違いにより、様々な定義がなされる場合がある。亜州。 アッシリア語で東を意味する「アス」に語源をもつ。古代では現在の小アジアを指した。.

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アゾレス諸島

アゾレス諸島は、大西洋の中央部(マカロネシア)に位置するポルトガル領の群島。諸島全体は自治権を持ち、一つの行政区でもある。島名の発音はポルトガル語ではアソーレス (Açores) となる。.

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カーボベルデ

ーボベルデ共和国(カーボベルデきょうわこく)、通称カーボベルデは、大西洋の中央、北アフリカの西沖合いのマカロネシアに位置するバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島からなる共和制の国家。首都のプライアはサンティアゴ島に位置している。 カーボベルデは島国であり、15世紀から1975年までポルトガル領であった。独立に際してアフリカ大陸部のギニアビサウと連邦を形成する計画があったが、1980年の同国で発生したクーデターによって頓挫し、現在に至っている。かつてはポルトガルの重要な植民地であったが、史跡としてはフランシス・ドレークによって破壊された町シダーデ・ヴェーリャが残っている。ポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語公用語アフリカ諸国の加盟国。.

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クリストファー・コロンブス

リストファー・コロンブス(Cristoforo Colomboクリストーフォロ・コロンボ、クリストポルス・コルンブス、クリストバル・コロン、クリストヴァン・コロンボ、クリスタファ・カランバス、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した。.

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スペイン

ペイン王国(スペインおうこく、Reino de España)、通称スペインは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。首都はマドリード。.

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スペイン帝国

'''黄金の世紀'''におけるスペイン帝国(赤はスペイン王国、青はポルトガル王国)の領土、植民地、属領(1580年-1640年) スペイン帝国(スペインていこく、)は、スペインとその植民地・属領などの総称である。カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国がナスル朝グラナダ王国を滅ぼし、イベリア半島からイスラーム勢力を一掃した1492年以降、1898年の米西戦争に敗北して、ほぼ全ての海外植民地を失うまでの期間を指す。「帝国」の名称はその広大な統治領域に由来する(共和制のもとでのローマ帝国のごとし)。君主号(皇帝)とは無関係である。1868年から1874年は革命政権の支配の下で、国王は空位となり、やがて共和制に移行した。 とりわけ、16世紀中盤から17世紀前半までの約80年間はスペインが史上最も繁栄した時期であり、黄金世紀(Siglo de Oro)と呼ばれている。スペイン君主のカルロス1世が神聖ローマ帝国皇帝に即位した際には、ヨーロッパにも本国以外の広大な領土を持つなど、その繁栄の様は「太陽の沈まない国」と形容された。.

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新世界

緑の地域(南北アメリカ大陸やオーストラリア周辺)が大航海時代の新世界 新世界(しんせかい、New World)あるいは新大陸(しんたいりく、New Continent)とは、大航海時代に欧州人が新たに発見した土地に対する呼称である。.

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教皇

教皇(きょうこう、Pāpa、Πάπας Pápas、The Pope)は、キリスト教の最高位聖職者の称号。一般的にはカトリック教会のローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。ヴァティカン市国の首長。教皇の地位は「教皇位」、あるいは「教皇座」と呼ばれる。また、教皇の権威のことを「聖座」、「使徒座」ということもある。現在の教皇はフランシスコ(第266代)。 日本語では「ローマ法王」と表記されることも多いが、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨している(後述)。またカトリックの内部では「教父」の呼称を用いる場合もある。なお、退位した教皇の称号は名誉教皇(名誉法王とも)という。 本項では主にローマ教皇について記述する。その他の教皇については称号の変遷とその他の「教皇」の節を参照。.

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1492年

記載なし。

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1493年

記載なし。

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