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故事

索引 故事

故事(こじ)とは、大昔にあった物や出来事。また、遠い過去から今に伝わる、由緒ある事柄。特に中国の古典に書かれている逸話のうち、今日でも「故事成語」や「故事成句」として日常の会話や文章で繁用されるものをいう。 故事成語/故事成句(こじ せいご/こじ せいく)とは、故事をその語源とする一群の慣用語句の総称。本来の中国語ではただ「成語」というが、日本では故事を語源とするものをその他の熟語や慣用句と区別するために、このような呼び方となった。 ものごとのいわれ(由来)や、たとえ(比喩)、おもい(観念)、いましめ(標語)など、面と向かっては言い難いことを婉曲に示唆したり、複雑な内容を端的に表したりする際に便利な語句で、中には日本語の単語として完全に同化したもの(「完璧」「矛盾」など)や、日本語のことわざとして定着したもの(「井の中の蛙大海を知らず」「虎の威を借る狐」など)も多い。 以下には日本でも繁用される主な故事成語を五十音順にあげた。.

90 関係: 劉邦ことわざ南京市古典夏目漱石太守孟子孫康孫楚宣王 (楚)官吏宋 (春秋)寺院丞相中国井戸仏教令尹仙人張禹後漢待ちぼうけハマグリハチモロコトラヒトウヒキガエルドジョウ列子ウミガメウマウサギカラスカルタキツネシギ科サル儒学者光武帝動物四字熟語王郎科挙童謡竹林の七賢熟語 (漢字)韓信...韓非子道教荘子項梁詩経魏 (戦国)趙 (戦国)車胤辛慶忌錬丹術錬金術葛洪蕭衍耿エン抱朴子恵王 (魏)東晋桓温梁 (南朝)楚漢戦争楽府詩集歴代名画記殷通淮南子漁師漢書朱雲成帝 (漢)成語戦国策春秋左氏伝新末後漢初慣用句景公 (晋)晋 (王朝)晋 (春秋)晋書 インデックスを展開 (40 もっと) »

劉邦

劉 邦(りゅう ほう、、)は、前漢の初代皇帝。 沛県の亭長(亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと)であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となるも、東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。.

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ことわざ

ことわざ(諺、英語:proverb、ラテン語:proverbium)とは、鋭い風刺や教訓・知識などを含んだ、世代から世代へと言い伝えられてきた簡潔な言葉のことである。俚諺(りげん)ともいう。.

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南京市

南京市(ナンキンし、、、)は、中華人民共和国の副省級市で、江蘇省の省都。古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。2016年の都市的地域の人口は678.14万人であり、総人口は827万人である。 金陵(きんりょう)は南京の別名である。また清朝のころには江寧(こうねい、簡体字:江宁)と呼ばれたことから略称は「寧(簡体字:宁)」である。夏はとても暑く、重慶、武漢と並ぶ中国三大ボイラー(三大火炉)の一つと言われている。.

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古典

古典(こてん)は、古い書物、形式。また、長く時代を超えて規範とすべきもの。 英語のclassic/classical、またはそれに相当する西洋語の単語の訳に使われる。これらの語は、分野によっては、古典派と訳されたり、(classicかclassicalかを問わず)クラシックと音訳されたりすることもある。古典と訳されることのない用語については、#関連項目を参照。 古典の定義は、分野によって、厳密に決まっているものも、曖昧なものもある。曖昧な場合、その基準は衆知、あるいは(自称)識者の決するところによるため、価値観や世代の違いに影響されやすい。 自然科学ではしばしば、かつては正しいと思われたが、今は厳密には正しくないことがわかっていて近似としてのみ有用なもの、という意味合いを持つ。物理学や化学では、通常は量子(quantum)の対義語として用いられ、日常生活における古典という語とは意味合いがかなり異なる。.

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夏目漱石

夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。 大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。 その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。 夏目漱石誕生之地碑.

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太守

太守(たいしゅ)は、中国においては郡の長官のことで、単に守とも呼ばれた。秦代に置かれた郡守を改称したもので、前漢中期から南北朝時代の隋に置かれた。唐代の後期から五代になると太守の称号は使われなくなり、のち宋朝の知府事、明朝、清朝の知府の別称として用いられた。 転じて以下のように用いられている。.

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孟子

孟子(もうし、紀元前372年? - 紀元前289年)は戦国時代中国の儒学者。姓は不詳、氏は孟、諱は軻(か)、字は子輿(しよ)。亜聖(あせい)とも称される。孟子の「子」は先生という意味。儒教では孔子に次いで重要な人物であり、そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 あるいはその言行をまとめた書『孟子』(もうし)。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。.

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孫康

孫康(そん こう、生没年不明)は、中国の東晋から劉宋にかけての人物・官吏。孫盛の曾孫にあたる。父は孫秉、祖父は孫放。原籍は太原郡中都。 家が貧しかったことから灯火の油を買う余裕もなく、冬には窓の外に積もる雪が月光を受けて照り返す光で勉強していたと伝えられており、後に立身して御史大夫と昇進した。 蛍の光で勉強した車胤とともに「蛍雪の功」と並び称され、勉学に励み身を立てる例えとされた。日本においては、「蛍の光」の歌詞の冒頭「ほたるのひかり、まどのゆき」として著名である。 Category:東晋の人物 Category:中国南朝の人物 Category:生没年不詳.

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孫楚

孫 楚(そん そ、 生年不詳 - 293年)は、中国・三国時代および西晋の政治家、武将。字は子荊。太原郡中都県の人。祖父は孫資、父は孫宏(南郡太守)。子に孫衆、孫洵(恂とも)、孫纂。孫に孫盛(洵の子)、孫統・孫綽(纂の子)など。曾孫に孫騰・孫登(統の子)『晋書』に伝がある。.

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宣王 (楚)

宣王(せんおう、生年不詳 - 紀元前340年)は、中国の戦国時代の楚の王。姓は羋、氏は熊。諱は良夫。悼王の子。紀元前370年、兄の粛王が死去すると、後を嗣いで楚王となった。 紀元前353年、魏が趙の邯鄲を攻撃したため、趙は楚の援軍を求めた。楚の令尹の昭奚恤は軍の派遣に反対したが、宣王は景舎の意見を容れて出兵を決めた。景舎に軍を率いさせて出兵させると、趙の邯鄲は魏軍に攻め落とされたものの、楚軍は睢水と澮水のあいだの地を魏から奪うことができた。ときに昭奚恤は楚の権臣として勢威を振るったが、江乙は昭奚恤を憎み、宣王に昭奚恤を憎ませようと、たびたび画策した。紀元前341年、斉の田忌が斉の相の鄒忌に憎まれて、楚に亡命してきた。紀元前340年、宣王は死去した。在位30年。.

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官吏

官吏(かんり)とは、公法上の任命行為に基づいて任命され、官公庁や軍などの国家機関に勤務する者を指す。憲法により指す内容が異なる。「官人胥吏」の合成語。 大日本帝国憲法の下では天皇の官制大権および文武官の任免大権(大日本帝国憲法10条)によって任免される者を指し、軍務に服する武官とそれ以外の文官を包含する。 日本国憲法の下では公務員または国家公務員を指す(日本国憲法7条5号、73条4号)(高級官吏および各国の官吏については官僚の項目を参照のこと)。 また、天皇が認証する官吏を認証官という。.

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宋 (春秋)

宋(そう、紀元前1100年ごろ-紀元前286年)は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。都は商邱。.

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寺院

日本の寺院の地図記号 寺院(じいん、梵、)は、仏像が祀られ、仏教の出家者が起居し、修行を行う施設である。寺(てら)、仏閣(ぶっかく)ともいう。 本来は仏教用語であるが、神道を除く諸宗教の教会・神殿を指す語としても広く用いられている(ごく稀に神社にも用いられることがある)。.

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丞相

丞相(じょうしょう)は、古代中国の戦国時代以降のいくつかの王朝で、君主を補佐した最高位の官吏を指す。今日における、元首が政務を総攬する国(大統領制の国や君主が任意に政府要職者を任命できる国)の首相に相当する。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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井戸

戦国時代の井戸。井桁を備え、つるべと桶で使用する。 井戸(いど)は地下水、温泉、石油、天然ガスなどをくみ上げるため、または水を注入するために、地面を深く掘った設備である。 一般に「井戸」といった場合には地下の帯水層から地下水を汲み上げるために地層や岩石を人工的に掘削した採水施設を指すことが多い河野伊一郎著 『地下水工学』鹿島出版会 p.43 1989年野本寛一編『食の民俗事典』柊風舎 p.531 2011年。以下、地下水を汲む井戸を中心に説明する。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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令尹

令尹(れいいん)は、元々は古代中国の殷王朝における役職で宰相の位に相当する。原義は神官職の長のことであり、古代の政治は祭事と一体であったことが伺われる。 殷が周に滅ぼされたとき殷の役人の多くが南に亡命し、南方の王国楚は殷の進んだ文化を吸収するためにこれらの人々を積極的に受け入れた。 このため春秋時代の楚では殷の官職の呼称が受け継がれ、楚における宰相の地位に相当する位は令尹と呼ばれた。.

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仙人

仙人(せんにん)また神仙(しんせん)、真人(しんにん)、仙女(せんにょ)は、中国本来の神々(仏教を除く)や修行後神に近い存在になった者たちの総称。仙人は仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得て、「羽人・僊人」ともいう。もともと神である神仙たちは、仙境ではなく、天界や天宮等の神話的な場所に住み暮らし、地上の山川草木・人間福禍を支配して管理す。仙人や神仙はいずれも自分の体内の陰と陽を完全調和して、道教の不滅の真理を悟った。彼等は道教の道(タオ)を身に着けて、その神髄を完全再現することができる。基本的に仙人という言葉は男性に指すが、女性の仙人もかなりいる。.

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張禹

張 禹(ちょう う、? - 紀元前5年)は、前漢後期の人物。字は子文。河内郡軹県の人。政治家にして『論語』学の大家。.

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後漢

後漢(ごかん、東漢、、25年 - 220年)は、中国の王朝。漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許昌へと遷都)。五代の後漢(こうかん)と区別するため、中国では東漢と言う(この場合、長安に都した前漢を西漢という)。.

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待ちぼうけ

待ちぼうけ」(まちぼうけ)は、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の唱歌(童謡)である。1924年(大正13年)に、満州唱歌の一つとして発表された。 相対音階において、ドで始まらずドで終わらない珍しい曲である。ちなみに原曲はニ長調である。.

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ハマグリ

ハマグリ(蛤、文蛤、蚌、浜栗、)は、マルスダレガイ科に分類される二枚貝の1種である。食用として重要な貝類の一つである『新明解国語辞典』第3版、1981年、p948、には「食べる貝として、最も普通で、おいしい」と書いてある。。春の季語。.

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ハチ

蜂の巣。六角形の部屋が密集してできている。 ハチ(蜂)とは、昆虫綱ハチ目(膜翅目)に分類される昆虫のうち、アリ(ハチ類ではあるが、多くの言語・文化概念上、生活様式の違い等から区別される)と呼ばれる分類群以外の総称。ハバチ亜目の全てと、ハチ亜目のうちハナバチ、スズメバチ等がこれに含まれる(ハチ目を参照)。.

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モロコ

モロコ(諸子、諸魚).

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トラ

トラ(虎、Panthera tigris)は、食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。.

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ヒトウ

邳 彤(ひ とう、? - 30年)は、後漢の武将。字は偉君(いくん)。信都郡信都県(河北省衡水市冀州区)の人(『後漢書』列伝11・本伝)。光武帝の功臣であり、「雲台二十八将」の第27位に序せられる(『後漢書』列伝12)。.

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ヒキガエル

ヒキガエル、蟇蛙、蟾蜍、蟆.

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ドジョウ

ドジョウ(学名:、英: weather loach、weatherfish)は、コイ目ドジョウ科に分類される淡水魚の一種。日本の平野部の水田や湿地などに全国的に生息している。中国大陸、台湾、朝鮮半島にも分布するほか、日本をはじめとした東アジア地域では食用魚としての養殖も盛んに行われている。 広義にはドジョウ科全体を指す。英語のローチ (loach) は通常、ドジョウ科の総称である。しかしここではドジョウ科の 一種について述べる。.

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列子

『列子』(れっし)は、春秋戦国時代の人、列禦寇(河南鄭州人)の尊称(「子」は「先生」というほどの意)だが、一般的には、列禦寇の著書とされる道家の文献を指す。別名を『冲虚至徳真経』ともいう。.

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ウミガメ

ウミガメ上陸跡 ウミガメ ウミガメ(海亀)は、カメ目ウミガメ上科(ウミガメじょうか、Chelonioidea)に分類される構成種の総称。現生種は2科・6属・7種が知られる。.

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ウマ

ウマ(馬)は、ウマ目(奇蹄目)のウマ科に属する動物の総称である。現生は、いずれもウマ科に属するウマ、シマウマ、ロバの仲間、5亜属9種のみである。狭義の「ウマ」は、このうち特に種としてのウマつまり学名で「Equus caballus」) と呼ばれるもののみを指す。 社会性の強い動物で、野生のものも家畜も群れをなす傾向がある。北アメリカ大陸原産とされるが、北米の野生種は、数千年前に絶滅している。欧州南東部にいたターパンが家畜化したという説もある。 古くから中央アジア、中東、北アフリカなどで家畜として飼われ、主に乗用や運搬、農耕などの使役用に用いられるほか、食用にもされ、日本では馬肉を「桜肉(さくらにく)」と称する。軍用もいる。 競走用のサラブレッドは、最高87km/hを出すことができる。 学名は「Equus caballus(エクゥウス・カバッルス)」。「equus」も「caballus」ともにラテン語で「馬」の意。.

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ウサギ

ウサギ(兎、兔)は、最も広義にはウサギ目、狭義にはウサギ科、さらに狭義にはウサギ亜科もしくはノウサギ亜科 の総称である。 ここでは主にウサギ亜科について記述する(ウサギ目・ウサギ科についてはそれぞれを参照)。現在の分類では、ウサギ亜科には全ての現生ウサギ科を含めるが、かつては一部を含めない分類もあった。ウサギ目はウサギ科以外に、ナキウサギ科と絶滅したプロラグスなどを含む。.

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カラス

ラス(烏、鴉、鵶、雅)は、鳥類カラス科の1グループ。カラス属 または近縁な数属を含む。 多くは全身が黒く、黒い鳥の代表とみなされ、諺などではよく白いサギと対比させられる。ただし、実際は、白黒2色のコクマルガラス、暗褐色に白斑のホシガラスなどもおり、必ずしも真っ黒のものだけではない。.

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カルタ

ルタ(Carta).

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キツネ

ツネ(狐)は、哺乳綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ亜科の一部。 狭義にはキツネ属のことである。広義には、明確な定義はないがイヌ亜科の数属を総称するが、これは互いに近縁でない属からなる多系統である。 最も狭義にはキツネ属の1種アカギツネのことである。古来、日本で「狐」といえば、アカギツネの亜種ホンドギツネのことだったが、蝦夷地進出後は、北海道の別亜種キタキツネも含むようになった。 ただし、この記事では広義のキツネを扱うものとする。キツネ属、アカギツネについてはそれぞれの記事を参照。.

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シギ科

科(シギか、Scolopacidae)はチドリ目に属する科。模式属はヤマシギ属。.

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サル

ニホンザル 日本語におけるサル(猿)とは、通俗的な意味ではサル目(霊長目)のうち、ヒト(古人類を含む)を除いたもののことである。ただし、生物学的観点から見ればヒトもまた「サル」の一種に他ならない。 日本の歴史的文献においては、単に猿といえば日本固有種のニホンザルを指す場合が多い。 一方、英語のmonkey(モンキー)や、いくつかの言語での相当する語は、学術的な定義上はオナガザル科(旧世界猿、old world monkey)と広鼻猿(新世界猿、new world monkey)の総称である。つまり、サルのうち原猿(曲鼻猿とメガネザル)と類人猿を含まない(メガネザルは分類学上の地位が不安定だが、それとは関係なくmonkeyには含めない)。そのため日本語でも、特に翻訳文献で、サルにこれら(特にヒトに最も近いチンパンジー)を含めないことがある。.

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儒学者

儒学者(じゅがくしゃ)とは、儒教を自らの行為規範にしようと儒教を学んだり、研究・教授する人のことである。一般的には儒者(じゅしゃ、ずさ)と称され、特に儒学を学ぶものは儒生(じゅせい)と呼ばれる。.

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光武帝

光武帝(こうぶてい、前6年 - 57年)は、後漢王朝の初代皇帝。南陽郡蔡陽県(現在、湖北省棗陽市)の人。 王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。廟号は世祖。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残している(『後漢書』本紀1上・下・本伝)。中国史上、一度滅亡した王朝の復興を旗印として天下統一に成功した数少ない君主である。「漢委奴国王」の金印を倭(日本)の奴国の使節にあたえた皇帝とされている。.

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動物

動物(どうぶつ、羅: Animalia、単数: Animal)とは、.

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四字熟語

四字熟語(よじじゅくご)とは、日本において漢字4文字で作られた熟語を指す用語。学術的な用語ではなく、4字の熟語や成語を指す概念として自然発生的に現れた比較的新しい用語である。最広義には漢字4字で構成される言葉の全てを指すものとして解釈できるが、最近では、より狭い範囲をもって四字熟語とすることも一般的であり、しかもその定義は人によって一定でない。本項目では、この狭義の四字熟語について解説する。 敬天愛人(けいてんあいじん) - 「天を敬い人を愛する」という意味。画像は西郷隆盛の書。 四字漢語高島(2009), p.18、四字成語高島(2009), p.15、四文字熟語(よんもじじゅくご)とも呼ばれる。一般的に「四字」は「しじ」と読むことはまれ(#「四字」の読みについてを参照)。。-->.

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王郎

王 郎(おう ろう、? - 24年)は、中国の新代の武将、政治家。冀州趙国邯鄲県の人。新末後漢初の群雄の1人で、河北に勢力を張った人物である。本名は王昌で、王郎は別名である。しかし『後漢書』は王郎を多用し、一般にも王郎の名で知られている。そのため本記事も便宜を兼ね、王郎を用いる。.

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(しん、、紀元前778年 - 紀元前206年)は、中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間(紀元前221年 - 紀元前206年)を秦朝、秦代と呼ぶ。国姓の本姓は、氏は趙。統一時の首都は咸陽。.

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科挙

科挙の合格者発表(放榜) 貢院の号舎 科挙(かきょ、)とは、中国で598年~1905年、即ち隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験である。.

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童謡

ビクター・レコードから発売された童謡のシングルレコード「仲よし家庭音楽会」 童謡(どうよう)とは、広義には子供向けの歌を指す。 狭義には日本において大正時代後期以降、子供に歌われることを目的に作られた創作歌曲を指す。厳密には創作童謡(そうさくどうよう)と呼ばれる。この意味で用いる場合は、学校教育用に創作された唱歌や、自然発生的に作られたわらべ歌(自然童謡、伝承童謡)は含まれない。日本国外の子供向け歌曲についても、同様の傾向をもつものを「童謡」と呼ぶことがある。.

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竹林の七賢

竹林の七賢(ちくりんのしちけん)とは、3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した、下記の七人の称。.

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九龙壁 竜(りゅう、りょう、たつ、龍)は、神話・伝説の生きもの。西洋のドラゴンとの違いについては当該項目参照。 旧字体では「龍」で、「竜」は「龍」の略字であるが、古字でもある。「龍」は今日でも広く用いられ、人名用漢字にも含まれている。中華人民共和国で制定された簡体字では「龙」の字体が用いられる。 英語の (や他の西洋諸語におけるこれに相当する単語)の訳語として「竜」が用いられるように、巨大な爬虫類を思わせる伝説上の生物を広く指す場合もある。さらに、恐竜をはじめとする爬虫類の種名や分類名に用いられる saurus(σαῦρος、トカゲ)の訳語としても「竜」が用いられている。このように、今日では広範な意味を持つに至っている。.

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熟語 (漢字)

漢字文化圏において、熟語(じゅくご)と称する語は、2字以上の漢字が結合した言葉のことである『ベネッセ表現・読解国語辞典』ベネッセコーポレーション、2003年5月。『集英社国語辞典』第1版、集英社、1993年。『日本語大辞典』講談社、1989年11月。『学研国語大辞典』、学習研究社、1978年4月。「」小学館、2010年7月30日閲覧。などの記述による。構成要素が漢字であることを強調するために漢熟語あるいは熟字などと呼ぶこともある。日本語においては、複数の漢字で構成される単語として認識される。本項目では、特にことわりのない限り、この意味での「熟語」について解説する。 中国語における「熟語(shúyǔ)」、という語は、常用される俚諺や格言といったニュアンスで用いられることが多く、むしろ「複合詞(fùhécí)」、や「合成詞(héchéngcí)」、あるいは単に「2字の並び」という意味の「駢字(べんじ、piánzì)」、などの語の方が日本語で言うところの「熟語」に近いが『中日大辞典』 愛知大学中日大辞典編纂処、大修館書店、1987年2月、増訂第二版。、いずれも全く同義というわけではない。なお、中国語で「熟字(shúzì)」は、「よく知られている漢字」という意味になる。 なお、朝鮮語、ベトナム語についても、漢字に相当する語彙要素(字音形態素)が結合した言葉が数多く存在している。これについては、漢語系語彙にある各項目を参照のこと。.

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韓信

韓 信(かん しん)は、中国秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。 なお、同時代に戦国時代の韓の王族出身の、同じく韓信という名の人物がおり、劉邦によって韓王に封じられているが、こちらは韓王信と呼んで区別される。.

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韓非子

『韓非子』(かんぴし)は、中国戦国時代の法家である韓非の著書。内容は春秋戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるものである。 後世では、蜀漢の丞相の諸葛亮が幼帝劉禅の教材として韓非子を献上している。.

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道教

道教(どうきょう、)は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。中国の歴史記述において、他にも「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、それぞれ若干ニュアンスの違いがある横手(2008)、p.001-008、中国史の中の道教。.

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荘子

荘子(そうし、紀元前369年頃 - 紀元前286年頃)は、中国の戦国時代の宋国の蒙(現在の河南省商丘あるいは安徽省蒙城)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。荘周(姓=荘、名=周)。字は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。曾子と区別するため「そうじ」と濁って読むのが中国文学、中国哲学関係者の習慣となっている。.

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項梁

項 梁(こう りょう、拼音:Xiàng Liáng、? - 紀元前208年)は、中国秦代末期の武将、反乱指導者。陳勝・呉広の乱を引き継ぎ、秦に対する反乱を指揮したが、秦の章邯将軍に敗死した。項羽の叔父、楚の大将軍・項燕の末子、項伯の兄弟。自ら武信君と称した。.

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詩経

『詩経』(しきょう、)は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。 西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおしたという。孔子刪詩説には疑問も多いが、論語・為政篇にも孔子自身が詩句を引用していることから、その時代までには主な作品が誦詠されていたことが窺い知れる。 現行本『詩経』のテキストは毛亨・毛萇が伝えた毛詩(もうし)である。そのため現行本に言及する場合、『毛詩』と呼ぶことも多い。または詩三百・詩三百篇・或いはただ単に三百篇・三百五篇・三百十一篇とも呼ばれる。.

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魏 (戦国)

魏(ぎ、紀元前453年あるいは紀元前403年 - 紀元前225年)は、中国戦国時代に存在した国。戦国七雄の一つ。紀元前453年に韓、趙と共に晋から独立し、その地を三分した。このため、この三国のことを三晋という。また魏は、東西に領土が広がっていたため東に斉、西に秦、南に韓と楚、北東に趙と国境を接していた。首府は安邑、のちに遷都して大梁。.

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趙 (戦国)

趙(ちょう)は、戦国時代に存在した国(紀元前403年 - 紀元前228年)で、戦国七雄の一つに数えられる。国姓は趙、または嬴(秦の王室と同祖とされる)。首府は邯鄲。もともとは、晋の臣下(卿)であった。紀元前228年に秦に滅ぼされた。.

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車胤

車 胤(しゃ いん、? - 400年)は、中国の魏晋南北朝時代、東晋末期の政治家。南平の人。字は武子。『晋書』に伝がある。 同時代の孫康と共に、「蛍雪の功」の故事により知られる。蛍雪の功は「蛍の光」の歌詞として日本人にもよく知られている。.

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辛慶忌

辛 慶忌(しん けいき、? - 紀元前12年)は、前漢末期の武将。字は子真。狄道の人。.

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錬丹術

錬丹術(れんたんじゅつ)は、中国の道士の術の一つ。服用すると不老不死の仙人になれる霊薬(仙丹)をつくる。.

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錬金術

ウィリアム・ダグラス作 『錬金術師』 錬金術(れんきんじゅつ、خيمياء alchemia, alchimia alchemy)とは、最も狭義には、化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属に限らず様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。 古代ギリシアのアリストテレスらは、万物は火、気、水、土の四大元素から構成されていると考えた。ここから卑金属を黄金に変成させようとする「錬金術」が生まれる。錬金術はヘレニズム文化の中心であった紀元前のエジプトのアレクサンドリアからイスラム世界に伝わり発展。12世紀にはイスラム錬金術がラテン語訳されてヨーロッパでさかんに研究されるようになった。 17世紀後半になると錬金術師でもあった化学者のロバート・ボイルが四大元素説を否定、アントワーヌ・ラヴォアジェが著書で33の元素や「質量保存の法則」を発表するに至り、錬金術は近代化学へと変貌した。 錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現在の化学薬品の発見が多くなされており、実験道具が発明された。これらの成果も現在の化学に引き継がれている。歴史学者フランシス・イェイツは16世紀の錬金術が17世紀の自然科学を生み出した、と指摘した。.

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葛洪

葛洪 / 『列仙酒牌』より『抱朴子』内篇 葛 洪(かつ こう、283年(太康4年) - 343年(建元元年))は、西晋・東晋時代の道教研究家・著述家。.

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鄭(てい、紀元前806年 - 紀元前375年)は、中国の西周時代から春秋戦国時代まで存在した国。姓は姫、爵位は伯爵。現在の中華人民共和国河南省に位置した。 周の宣王の同母弟、姫友(桓公)が鄭(現在の陝西省渭南市華州区)に封じられたことに始まる。幽王の時、桓公は西周滅亡の混乱を避け、国民とともに東虢(とうかく)と鄶(かい)の間に遷った。 次の武公は即位すると、まず東虢と鄶を攻め滅ぼし、都を新鄭に定めた。武公・荘公は東周の平王の卿士となり周の再建をたすけた。しかし荘公はやがて周朝と反目するようになり、親征してきた周王直卒の連合軍を大破した。荘公には即位時からの謀臣として祭仲という賢臣がいたが、荘公の子である厲公は祭仲と対立し、暗殺しようとしたが事前に露見し、君主の座から逃げ出して副首都に逃げた。厲公は祭仲がいなくなった後、復位した。 その頃、斉の桓公が東方の覇者となり、その会盟に参加したもののむやみやたらと強い自尊心の為に会盟から脱退していた。その後、周の恵王が即位した際に再度卿士として政権の中枢へ返り咲いた。その後も鄭は王族である自尊心が強くみられ、それにより晋の文公(この時は重耳と名乗っていた)が諸国放浪中に鄭国内に立ち寄った際にも、厲公の子である文公は「流浪中の老人」と重耳を揶揄して粗略な扱いをしたために重耳から睨まれ、重耳が晋君に即位した後に誅されることとなった。 以降、晋と楚の二大勢力の狭間で、晋に属しながらも楚に表向きには従う、という、いわゆる「面従腹背」を繰り返し、それを嫌った楚の荘王による討伐軍を受けることになり、いわゆる邲の戦いへと発展することになった。このように春秋時代初期は強国であったが、小国であるが故に晋と楚との二大勢力による争いに巻き込まれ、徐々に衰退・没落した。それでも、名宰相として有名な子産が、土地制度・軍制・税制・法制を改革して国力を整理・増強し、外交にも手腕を振るったことで一時は荘公以来の全盛期となった。しかしそれも子産の死後は再び振るわなくなった。 紀元前375年、韓に滅ぼされた。.

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蕭衍

梁武帝 梁武帝真像 蕭 衍(しょう えん)は、南朝梁の初代皇帝。.

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耿エン

耿 弇(こう えん、3年 - 58年)は、後漢の武将。字は伯昭(はくしょう)。扶風茂陵県(陝西省興平市)の人(『後漢書』列伝9・本伝)。父は上谷太守の耿況。後漢・光武帝の功臣であり、「雲台二十八将」の第4位に序せられる(『後漢書』列伝12)。.

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抱朴子

『抱朴子』(ほうぼくし)は晋の葛洪の著書。内篇20篇、外篇50篇が伝わる。 とくに内篇は神仙術に関する諸説を集大成したもので、後世の道教に強い影響を及ぼした。.

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恵王 (魏)

恵王(けいおう、紀元前400年 - 紀元前319年)は、中国戦国時代の魏の第3代君主(在位:紀元前369年 - 紀元前319年)。または初代の王。姓は姫。氏は魏。諱は罃(おう)。.

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杞(き)は、古代中国の殷代から戦国時代にかけて存在した国。国姓は姒であり、禹の末裔と称した。殷末周初に一時滅亡するが、周初に再興され、史料では東楼公より20代の王が記録されている。紀元前445年、楚によって滅ぼされた。 杞は小国であったため、史書での記述は極めて限定的である。『史記』には「陳杞世家」の記述があるが、杞についての記述は僅か270字であり、「杞小微、其事不足称述(杞は小微にして、其の事称述するに足らず)」と扱われている。このように国力も十分でない小国であったため、周辺諸国との外交圧力の中で遷都を繰り返している。当初は河南省杞県一帯に位置していたが、その後山東省新泰に、更に昌楽、安丘と都城が移動した。 小国の杞であるが、杞が夏王室の末裔であり、夏礼を保存していることから儒家にとっては大きな意義があった。孔子も夏礼を学ぶために杞を訪問した記録がある。 現在まで考古学の成果による杞の出土品は限定的である。しかし殷墟より発掘された甲骨文字の中に杞の文字を記したものが発見されており、殷代には杞が存在していた証拠とされるが、杞県での考古学上の発見は未だなされていない。新泰では清代の道光年間及び光緒年間に青銅器が、2002年には周家庄で杞の貴族墓葬群が発見され、新泰に杞が存在していたことを証明している。 後に杞の公子の一人が斉に仕え、鮑の地を与えられた事から鮑氏を名乗り、賢臣として名高い鮑叔を輩出している。.

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東晋

前涼・前秦・前燕と東晋。 東晋(とうしん、)は、中国の西晋王朝が劉淵の漢(前趙)より滅ぼされた後に、西晋の皇族であった司馬睿によって江南に建てられた王朝である(317年 - 420年)。西晋に対し史書では東晋と呼んで区別する。.

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桓温

桓 温(かん おん、312年 - 373年)は、東晋の政治家・軍人。字は元子。譙国竜亢(現在の安徽省懐遠県)の出身。父は宣城郡太守桓彝。母は孔憲。後漢の儒学者桓栄の後裔であるという。東晋の将軍として、成漢を滅ぼし、洛陽を奪還する等の大功を挙げた。東晋を牛耳るようになると禅譲を目論んだが、周囲の反対に逢い失敗した。.

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梁 (南朝)

梁(りょう、502年 - 557年)は、中国の南北朝時代に江南に存在した王朝。蕭梁とも呼ばれる。.

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楚漢戦争

楚漢戦争(そかんせんそう)は、中国で紀元前206年から紀元前202年にわたり、秦王朝滅亡後の政権をめぐり、西楚の覇王項羽と漢王劉邦との間で繰り広げられた戦争。「楚漢争覇」「項羽と劉邦の戦い」とも呼ばれる。.

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楽府詩集

『楽府詩集』(がふししゅう)は、北宋の郭茂倩(かくもせん)による楽府集。 古代から五代までの楽府5290首を分類して網羅的に集めたもの。全100巻。.

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歴代名画記

歴代名画記(れきだいめいがき)とは、中国晩唐の高級官僚である張彦遠が著した画論・画史の著作である。先史から唐朝までの絵画資料を広く集め整理著述され、研究者にとり文献資料として不可欠とされる。.

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殷通

殷 通(いん とう/いん つう、? - 紀元前209年9月)は、秦の会稽郡の郡守。 紀元前210年に始皇帝が崩御して、翌年に漁陽郡で陳勝らが反乱を起こすと、各地域に謀反が相次ぎ、江南地方にも及んだ。 これを聞いて不安に慄いた殷通は部下と相談した。その部下は旧楚の武門出身で、会稽郡の顔役でもある項梁に相談すればよいと答えた。殷通は使者を派遣させて、項梁を召し出した。 数日後に、役所に赴いた項梁は殷通からこれからどのようにすればよいかと問われた。項梁は会稽郡付近の桓楚という豪傑を召し抱えれば、安全であると述べた。これを聞いた殷通は「江南地方のほとんどが反乱を起こした。これは秦を滅ぼす意味を指すであろう。『先んずれば人を制し、後るれば人に制せられる』というが、私は挙兵して項梁どのと桓楚を将軍にしたいと思う」と述べた。 さらに殷通は項梁に桓楚の行方はいずこにあるかと訊いた。項梁は自身の甥の項羽が存じていると述べたので、殷通は外間に控えている項羽を召し出した。殷通の目前に現れた項羽はいきなり殷通を刺し殺した。これに驚愕した会稽郡の軍兵も項羽に斬りかかるも、一部が項羽に斬り倒されて、こうして項梁はそのまま会稽郡を制圧した。.

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淮南子

『淮南子』(えなんじ/わいなんし、)は、前漢の武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年–紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなんじ」と読むのが一般的である。『淮南鴻烈』(わいなんこうれつ)ともいう。劉安・蘇非・李尚・伍被らが著作した。 10部21篇。『漢書』芸文志には「内二十一篇、外三十三篇」とあるが、「内二十一篇」しか伝わっていない。道家思想を中心に儒家・法家・陰陽家の思想を交えて書かれており、一般的には雑家の書に分類されている。 注釈には後漢の高誘『淮南鴻烈解』・許慎『淮南鴻烈間詁』がある。.

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漁師

ングアイランドの漁師 セイシェル諸島の漁師 インド西部、マハーラーシュトラ州の漁師 魚網を直す漁師の手(イタリア) 漁師(りょうし・ぎょし、)とは、漁業を職業としている人のこと。職漁師。漁夫(ぎょふ)とも。漁師のうち、川魚漁を専業とする者を特に川漁師という。 漁師には専業として従事する場合もあるが、出漁期以外にはもっぱら農業に従事する半農半漁のような労働形態をとる例もある。ただし、生業として漁撈活動をおこなうのではなく、趣味・娯楽として漁をおこなう者は遊漁者と呼んで、職漁師とは区別する。 なお、漁の字音はぎょ(漢音)であり、本来はぎょしと読むのが正しいのだが、漁業従事者は、獣を獲る猟師に対して、自分たちも魚介類を獲るりょうしであると称し、漁師と書いてりょうしの読みを当てた。転じて「漁」にりょうの慣用音が伴うようになった(大漁など)。漁師という表現がつくられる前は、漁業を生業とする者は男女ともに海人(あま)と呼ばれていた。.

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漢(かん、)は、中国の王朝である。通例、前漢(紀元前206年 - 8年)と後漢(25年 - 220年)の二つの王朝(両漢)を総称して「漢王朝」と呼ばれる。また、ここから転じて中国全土や中国の主要民族を指す名称ともなった。以下の記事では王朝について記述する。 中国初の統一王朝だった秦王朝が紀元前206年に滅亡すると、中国は秦を討った各軍の将帥による群雄割拠の状態に戻っていた。こうした中、漢中及び巴蜀に封じられていた劉邦が紀元前202年に垓下の戦いで項羽を討って中国を再統一した。中国を統一した劉邦は、皇帝として即位するにあたって旧来の国号であった漢をそのまま統一王朝の国号として用いた。この劉邦が開いた前漢と、いったん滅亡したのち劉秀によって再興された後漢の漢王朝は、あわせて400年の長きに渡った。初の統一王朝だった秦王朝が統一王朝としては実質的に一代で滅びたこともあり、漢王朝は中国の統一状態を実質的に確定した王朝となり、これから中国全土や中国の主要民族を指す名称として「漢」が用いられるようになった。 漢王朝の歴史の詳細については、前漢・後漢をそれぞれ参照。.

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漢書

天一閣に保管されている、明の時代の版である漢書 『漢書』(かんじょ)は、中国後漢の章帝の時に班固、班昭らによって編纂された前漢のことを記した歴史書。二十四史の一つ。「本紀」12巻、「列伝」70巻、「表」8巻、「志」10巻の計100巻から成る紀伝体で、前漢の成立から王莽政権までについて書かれた。後漢書との対比から前漢書ともいう。 『史記』が通史であるのに対して、漢書は初めて断代史(一つの王朝に区切っての歴史書)の形式をとった歴史書である。『漢書』の形式は、後の正史編纂の規範となった。 『史記』と並び、二十四史の中の双璧と称えられ、故に元号の出典に多く使われた。史記と重なる時期の記述が多いので、比較される事が多い。特徴として、あくまで歴史の記録に重点が多いので、史記に比べて物語の記述としては面白みに欠けるが、詔や上奏文をそのまま引用しているため、正確さでは史記に勝る。また思想的に、儒教的な観点により統一されている。.

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朱雲

朱 雲(しゅ うん、生没年不詳)は、前漢の学者、政治家。字は游。魯の人だが平陵に遷った。.

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成帝 (漢)

成帝(せいてい)は、前漢の第11代皇帝。.

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成語

成語(せいご)とは、.

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戦国策

『戦国策』(せんごくさく)は、前漢の劉向の撰になり、戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に編集し、まとめ上げた書物。全33篇。「戦国時代」という語はこの書に由来する。.

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春秋左氏伝

『春秋左氏伝』(しゅんじゅうさしでん、旧字:春秋左氏傳、)は、孔子の編纂と伝えられている歴史書『春秋』の代表的な注釈書の1つで、紀元前700年頃から約250年間の歴史が書かれている。通称『左伝』。『春秋左氏』『左氏伝』ということもある。現存する他の注釈書『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』とあわせて春秋三伝(略して三伝)と呼ばれている。.

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新末後漢初

新末後漢初(しんまつごかんしょ)は、中国で新朝(8年 - 23年)が滅びて光武帝により後漢(25年 - 220年)が栄えるまでの便宜的な時代区分。.

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慣用句

慣用句(かんようく)とは、習慣として長い間広く使われてきた、ひとまとまりの言葉・文句や言い回しのことで、類語に成句や成語がある。.

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景公 (晋)

景公(けいこう、? - 紀元前581年)は、中国春秋時代の晋の君主(在位:紀元前600年 - 紀元前581年)。姓は姫、諱は拠。成公の子。.

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晋 (王朝)

晋(晉、しん、265年 - 420年)は、中国の王朝の一つ。司馬炎が魏最後の元帝から禅譲を受けて建国した。280年に呉を滅ぼして三国時代を終焉させる。通常は、匈奴(前趙)に華北を奪われ一旦滅亡し、南遷した317年以前を西晋、以後を東晋と呼び分けているが、西晋、東晋とも単に、晋、晋朝を称していた。東晋時代の華北は五胡十六国時代とも称される。首都は洛陽、西晋末期に長安に遷った後、南遷後の首都は建康。宋により滅ぼされた。 詳細は西晋および東晋を参照。 * Category:魏晋南北朝時代の王朝 *.

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晋 (春秋)

晋(しん、紀元前11世紀 - 紀元前376年)は、現在の中国山西省に西周代、春秋時代にわたって存在した国家である。始めは唐と呼ばれていたが、後に晋と改める。国姓は姫である。首府は翼、後に曲沃の分家が翼の宗家に取って代わった際に名を改め、絳と呼ばれるようになった。.

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晋書

『晋書』(しんじょ )は、中国晋王朝(西晋・東晋)について書かれた歴史書。二十四史の一つ。唐の648年に太宗の命により、房玄齢・李延寿らによって編纂された。帝紀十巻・載記(五胡の単于・天王・皇帝に関する記述)三十巻、列伝七十巻、志二十巻によって構成される紀伝体。.

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