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摂津名所図会

索引 摂津名所図会

唐物屋 『摂津名所図会』四巻上 摂津名所図会(せっつめいしょずえ、当時の名称は「攝津名所圖會」)は、摂津国の名所を絵画と文章で紹介した地誌。 京都の町人・吉野屋為八が計画。1796年(寛政8年)~1798年(寛政10年)に刊行された、摂津国の通俗地誌。観光案内書でもあった。9巻12冊。.

39 関係: なにわ名所大阪岡田玉山島上郡島下郡川辺郡中井芳滝丹羽桃渓京都住吉郡俯瞰俳諧地誌八部郡秋里籬島竹原春朝斎絵画絵本町人菟原郡西成郡豊島郡 (大阪府)都名所図会能勢郡暁鐘成東成郡松川半山森芳雪武庫郡歌川広重歌川国員江戸名所図会挿絵有馬郡文章摂津国1796年1798年

なにわ

なにわ.

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名所

名所(めいしょ、などころ)とは、風景のよさや史跡、特有の風物(季節の花等)、特産品などで有名な場所を示す言葉。本来は肯定的な意味で用いる言葉であるが、「自殺の名所」「渋滞の名所」「遭難の名所」等、ある特定の事象が繰り返し起きる場所、という意味でも用いることがある。 近世には各地に関所が設けられ自由交通が制限される一方で諸街道が整備され観光旅行に近い旅の大衆化が進み、京都、伊勢をはじめとする諸街道や諸国の風景などを紹介した「名所記」や「名所図会(めいしょずえ)」、街道絵図などの出版物が流通し、これに伴い諸国の名所も確立し人々の間で広まった。 「名所に見所なし」という言い回しがあり、名所と言われるところほど大した価値がない、という意味で名が実を伴わないことの例えで使う(類似語として「名物に旨いものなし」)。 がっかり名所という言葉があり、名所となった理由の価値観の変化(例えば宗教観の変化)や、周辺の環境の変化(例えば背景にビルが立ち並ぶ)などがあり、名だけは残っているが、現状において「観光」をするに値するかどうかについて疑問がある名所のことを指す。.

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大阪

大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.

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岡田玉山

岡田 玉山(おかだ ぎょくざん、元文2年〈1737年〉 - 文化5年〈1808年〉、または9年〈1812年〉?)とは、江戸時代中期から後期にかけての大坂の浮世絵師。.

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島上郡

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島下郡

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川辺郡

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中井芳滝

中井 芳滝(なかい よしたき、天保12年2月22日〈1841年4月13日〉 - 明治32年〈1899年〉6月28日)とは、江戸時代末期から明治時代の大坂の浮世絵師。上方役者絵において五粽亭広貞とともに双璧といわれた。.

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丹羽桃渓

丹羽 桃渓(にわ とうけい、宝暦10年〈1760年〉 - 文政5年10月15日〈1822年11月28日〉)とは、江戸時代中期から後期にかけての大坂の浮世絵師。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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住吉郡

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俯瞰

記載なし。

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俳諧

俳諧(はいかい)とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。誹諧とも表記する。正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。.

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地誌

地誌(ちし)とは、地理上の特定地域を様々な諸要素(自然・地形・気候・人口・交通・産業・歴史・文化など)を加味してその地域性を論じた書籍。郷土誌。 また、その地域性について研究する学問分野を地誌学(ちしがく)という。近代以後、地誌学は特殊地理学(地域地理学)、地域文化へと発展する事になった。.

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八部郡

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秋里籬島

秋里 籬島(あきさと りとう、生没年不詳)は、江戸時代の読本作者、俳人朝日日本歴史人物事典。名所図会の先駆者として知られる。.

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竹原春朝斎

竹原 春朝斎(たけはら しゅんちょうさい、生年不詳 - 寛政12年11月30日〈1801年1月14日〉)は、江戸時代中期から後期の大坂の浮世絵師。.

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絵画

絵画(かいが)は、物体の形象を平面に描き出したもの広辞苑。 日本語では類語の絵が幅広く用いられ、絵画という語は、特に芸術作品としての絵を指す場合がある。ただし、絵と絵画を区別して用いるとは限らない。また画を後ろにつけて描写の技法や対象を示す用語もある(水墨画、静物画など)。 フランス語の peinture(パンチュール)、英語の painting(ペインティング)、日本語の雅言的表現で絵と呼ぶこともある。 文字などを「書く」ことより早く、絵画を「描く」行動は幼少期から見られる行動である。発達心理学などの分野では、14歳から18歳程度で完成期と呼ばれる時期を迎え、多くの人はその頃から、ほとんど描かなくなる。子どもの絵に関する社会科学的研究は豊富だが、大人の絵に関する同様の研究は少ない。その一方で、多くの人が描かなくなる年齢を過ぎても活動的に絵を描く人々が居る。歴史的に代表的なのは画家であると言えるが、現代ではより多くの業種に見出される傾向である。なお、人間の発達には個人差があり、柔軟な姿勢が必要である。.

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絵本

絵本(えほん、Picture book)とは、その主たる内容が絵で描かれている書籍の一種。絵画(イラストレーション)を主体とした書籍のうち、物語などテーマを設けて文章を付与し、これを読ませるものである。 絵物語とは似ている面がある。コマ割りがなされていない点などで漫画とは区別され、文章がなかったり物語(ストーリー)の代わりに解説が付されていたりする点で画集・イラスト集とは異なる。.

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町人

人(ちょうにん、まちにん)は、江戸時代に都市に居住していた職人、商人の総称である。.

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菟原郡

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西成郡

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豊島郡 (大阪府)

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都名所図会

都名所図会(みやこめいしょずえ)は、江戸時代後期に刊行された京都に関する地誌。「都名所」と称しているものの、その記述内容は洛中・洛外に限らず広く山城国全域に及んでいる。文章は秋里籬島・挿絵は竹原春朝斎。全6巻11冊。.

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能勢郡

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暁鐘成

暁 鐘成(あかつき かねなり、寛政5年(1793年) ‐万延元年12月19日(1861年1月29日))は、江戸時代の大坂の浮世絵師、戯作者。.

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東成郡

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松川半山

松川 半山(まつかわ はんざん、文政元年〈1818年〉 - 明治15年〈1882年〉10月21日)とは、江戸時代後期から明治時代にかけての大坂の浮世絵師。.

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森芳雪

森 芳雪(もり よしゆき、天保6年〈1835年〉-明治12年〈1879年〉)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての大坂の浮世絵師。.

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武庫郡

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歌川広重

歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)は、江戸時代の浮世絵師。本名は安藤重右衛門。江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。かつては安藤広重(あんどう ひろしげ)とも呼ばれたが、安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない。ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家である。.

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歌川国員

歌川 国員(うたがわ くにかず、生没年不詳)とは江戸時代の大坂の浮世絵師。.

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江戸名所図会

錦袋円」を売る勧学屋(『江戸名所図会』) 鶴見橋(現・鶴見川橋)。(『'''江戸名所図会'''』) 江戸名所図会(えどめいしょずえ)は江戸時代後期の天保年間に斎藤月岑が7巻20冊で刊行した、鳥瞰図を用いた江戸の名所図会(地誌紀行図鑑)。長谷川雪旦の挿図も有名。 神田の町名主であった斎藤長秋(幸雄)・莞斎(幸孝)・月岑(幸成)の3代にわたって書き継がれたもの。長秋は京都の地誌である『都名所図会』に刺激を受け、寛政期に編纂を開始。8冊本として刊行予定で、1798年に出版許可も得ていたものの、1799年(寛政11年)、長秋は63歳で病死(当初、『東都名所図会』という題であったともいわれる)。後を継いだ婿養子の莞斎は郊外分などの追補に努め、長谷川雪旦に画を依頼した。1818年(文化15年)に莞斎が死去し、その刊行は月岑に託された。 前半1–3巻(10冊)は1834年、後半4–7巻は1836年(天保7年)に刊行された(全7巻20冊)。日本橋から始まり、江戸の各町について由来や名所案内を記し、近郊の武蔵野、川崎、大宮、船橋などにも筆が及んでいる。江戸の町についての一級資料である。.

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挿絵

挿絵(さしえ、挿し絵とも表記する)とは、イラストレーションの一種で、雑誌や新聞あるいは書籍など文字主体の媒体において、読者の理解を助けるため等の目的で入れられる絵のこと。挿画(そうが)ともいう。雑誌や書籍の見開きにわたる大きなものから、雑誌の片隅に使われる小さなものまである。正確に説明すれば、挿絵は、本、雑誌、新聞の間にさまざまな大きさで挿入された主に白黒の版画をさして言う。特に小さなものはカットとも呼ばれる。文章の傍らにあるものだけだとする考え方と、それに口絵を含むとする考え方がある。 画家、イラストレーター、漫画家などが担当するが、 専門の挿絵画家も存在する。 日本文学においては、そもそも源氏物語絵巻などの文学作品を視覚化した絵画が多く制作されている。また、江戸時代には草双紙、合巻、狂歌本などに浮世絵師などによる白黒の挿絵が描かれていた。現代では、特に児童文学など低年齢層向けの書物や、図解なしでは理解の困難な専門書などに見られるが、識字率の急激に上昇している社会では一般書物にも多く用いられる傾向にある。たとえば19世紀イギリスの新聞、雑誌掲載の小説(「パンチ」「ストランド・マガジン」など参照)では、ディケンズ、アーサー・コナン・ドイルなどの例を挙げるまでもなく、また18〜19世紀日本の黄表紙・読本等においても挿絵が多用されており、演劇・絵画・文学の境界は非常に流動的なものだったとする研究もある。ライトノベルにおいては、とくに挿絵が不可分のものとなっている。アニメ化・ゲーム化される際の登場人物の造形イメージを共通させるなど挿絵に依存する比率は極めて高い。.

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有馬郡

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文章

Category:文.

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摂津国

摂津国(せっつのくに、旧字体:攝津國)は、日本の令制国の一つ。畿内に属する。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。.

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1796年

記載なし。

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1798年

記載なし。

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