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応神町古川

索引 応神町古川

応神町古川(おうじんちょうふるかわ)は、徳島県徳島市の町名。2011年7月現在の人口は1,711人、世帯数は857世帯。郵便番号は〒771-1151。.

33 関係: 吉野川吉野川橋 (徳島市)大字天光寺 (徳島市)小字川内町 (徳島市)人口今切川徳島市徳島県徳島県道137号土成徳島線徳島県道219号古川長原港線徳島県道39号徳島鳴門線徳島本線料金所応神町中原応神村北島町ピースリビング四国大学四国大学附属幼稚園町丁角川日本地名大辞典鯛浜橋郵便番号阿波西国三十三観音霊場板野郡榎瀬江湖川明治昭和1889年1966年1986年2011年

吉野川

吉野川(よしのがわ)は、一級水系である吉野川水系の本川で、高知県および徳島県を流れる幹川流路延長194 km、流域面積3,750 km2の河川である。最長川幅は荒川の2,537 mに次いで広く、2,380 mである。 日本三大暴れ川の1つとして数えられ、利根川(坂東太郎)・筑後川(筑紫次郎)と並び四国三郎(しこくさぶろう)の異名を持つ。(順位争いで「四国次(二)郎」といわれることもある)。.

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吉野川橋 (徳島市)

吉野川橋(よしのがわばし)は、徳島県の一級河川吉野川にかかる17径間曲弦下路式ワーレントラス橋。日本百名橋、とくしま市民遺産に選定。.

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大字

大字(おおあざ)は、市町村内の行政区画である字(あざ)の一種である。基本的には1889年(明治22年)に公布された市制および町村制の施行時に従前の村名・町名を残したものである藤岡謙二郎・山崎謹哉・足利健亮『日本歴史地名辞典 新装版』1991年(平成3年)1月、柏書房、pp.8-9。『国史大辞典 第一巻』吉川弘文館、1979年(昭和54年)3月、p.117。が、市制・町村制施行後の分離・埋立等によって新設された大字も多数存在する。この大字と区別して、江戸期からの村(藩政村)の下にあった区画単位である字を小字とも言うようになった。字は概して、「紀尾井町」などの市区町村の下にある「町」と同一視されることが多いと言える。町名と区別される理由は以下の歴史的経緯などによる。.

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天光寺 (徳島市)

天光寺(てんこうじ)は、徳島県徳島市にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は潮音山(ちょうおんざん)。本尊は聖観音。阿波西国三十三観音霊場11番札所。.

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小字

小字(こあざ)とは市区町村内の区画である字(あざ)のうち、大字を除くものにあたり、一筆耕地が集合したものを指す藤岡謙二郎・山崎謹哉・足利健亮『日本歴史地理用語辞典 新装版』平成3年(1991年)1月、柏書房、P8。ISBN 476010612X。単に字(あざ、あざな)ともいう。これはヨーロッパにおける耕区()にあたる。近世からの村(藩政村)が明治の市町村合併によって大字となり、これと旧来からの字を区別して「小字」と呼ぶようになった『国史大辞典 第一巻』吉川弘文館、昭和54年(1979年)3月、P117。。.

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川内町 (徳島市)

川内町(かわうちちょう)は、徳島県徳島市にある地名。1955年に旧・川内村が同市に編入した。なお、川内町一帯を川内地区という。徳島県の北東、徳島市の北部に位置する。.

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人口

人口(じんこう、仏: 英: Population、独: Bevölkerung)は、ある人間集団の総体を指す概念であり、またその集団を構成する人間の総数を指す統計上の概念である。.

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今切川

今切川(いまぎれがわ)は、吉野川水系の支流で主に徳島県徳島市の北端を流れる河川である。一級河川に指定されている。.

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徳島市

徳島市(とくしまし)は、日本の四国北東部に位置する都市で、徳島県の県庁所在地である。 徳島市のブランドステートメントは、心おどる水都・とくしま。.

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徳島県

徳島県(とくしまけん)は、日本の県の一つ。四国の東部に位置する。県庁所在地は徳島市。.

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徳島県道137号土成徳島線

徳島県道137号土成徳島線(とくしまけんどう137ごう どなりとくしません)は、徳島県阿波市から徳島市に至る県道である。吉野川左岸の堤防上を通る区間が長く、起点付近を除けば2車線が確保されている。また、旧吉野川の水門上は交互通行となっている。.

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徳島県道219号古川長原港線

徳島県道219号古川長原港線(とくしまけんどう219ごう ふるかわながはらこうせん)は、徳島県徳島市から板野郡松茂町に至る県道である。.

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徳島県道39号徳島鳴門線

徳島県道39号徳島鳴門線(とくしまけんどう39ごう とくしまなるとせん)は、徳島県徳島市北常三島町から鳴門市大麻町へ至る主要地方道である。 徳島市民病院から南西にある交差点(国道11号交点)を起点に西へ進む。その後、徳島県道30号徳島鴨島線の交点まで進むと北へ曲がって吉野川を渡りそのまま徳島県道14号松茂吉野線の交点まで北進する。合流してすぐの交差点を左折すると、そのまま北の方角を目指して旧吉野川を渡る。そのまま、徳島県道12号鳴門池田線の交点で終点となる。 徳島市と板野郡北島町を結ぶ幹線道路である。沿線には四国大学もあり、交通量は多い方である。特にラッシュ時の交通渋滞は混雑している。.

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徳島本線料金所

徳島本線料金所(とくしまほんせんりょうきんじょ)は、徳島県徳島市応神町古川字宮ノ前にあった徳島自動車道の本線料金所である。 2013年(平成25年)6月4日までは、徳島ICに料金所がなかったため、徳島IC利用者は当施設で通行券の受け取りと料金収受を行っていた。 鳴門JCT - 徳島IC間の開通に伴い、2013年6月4日に本料金所は廃止され、料金所機能は徳島ICに新設した料金所に移転された。 当施設には西日本高速道路株式会社 四国支社 徳島管理事務所と徳島県警察高速道路交通警察隊本部が併設されてたが、これらの施設は現存している。.

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応神町中原

応神町中原(おうじんちょうなかはら)は、徳島県徳島市の町名。2011年1月現在における徳島市の調査による人口は255人、世帯数は98世帯。郵便番号は〒771-1152。.

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応神村

徳島市応神町コミュニティセンター 応神村(おうじんそん)は、徳島県板野郡に属していた村。1966年に徳島市へ編入され徳島市応神町となる。また応神町一帯を応神地区という。東西5.44km、南北2.82km、面積9.06km2。.

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北島町

北島町(きたじまちょう)は、徳島県北東の平野部に位置する町で、徳島県内では最も面積の小さい自治体。数少ない人口増の町でもある。本項では町制前の名称である北島村(きたじまそん)についても述べる。 かつては日清紡徳島工場や東亜合成化学徳島工場、そして東邦レーヨン徳島工場(2001年閉鎖)などの企業城下町として栄えた北島町だが、近年は徳島市のベッドタウンとして発展を続けてきた。 特に鯛浜地区では大型商業施設のフジグラン北島が開店して以降、急速に宅地開発や商業施設の立地が進んでおり、徳島県内でも有数の発展地域となっている。 ちなみに、町の人口密度は1km2あたり2568.2人で四国の全市町村の中で一位(2015年(平成27年)10月現在)。また、隣町の藍住町は同三位。二位は香川県の宇多津町である。.

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ピースリビング

株式会社ピースリビング(PEACE LIVING CO.,LTD.)は、徳島県徳島市応神町古川に本社を置く不動産会社。.

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四国大学

記載なし。

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四国大学附属幼稚園

四国大学附属幼稚園(しこくだいがくふぞくようちえん、英称:Shikoku University Attached Kindergarten)は、徳島県徳島市応神町古川にある私立幼稚園。.

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町丁

丁(ちょうちょう)とは日本の市区町村下における区画であり、国勢調査などの人口統計等の分野で用いられる学術用語。法令上の正式な名称としては町であり、地方自治法では字と合わせた「町又は字」の区域・名称についての新設・変更・廃止の手続が規定されている同法第260条第1項。なお同項条文中は「町若しくは字」と表現されている。住居表示実施地区においては街区、未実施地区においては地番よりも上に位置づけられる単位である。成立の経緯から市街地を中心に設けられており、農村部における字(あざ:大字と小字)に対応するが、「町」と「字」は排他的なものではなく混在する場合もある。.

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角川日本地名大辞典

『角川日本地名大辞典』(かどかわにほんちめいだいじてん)は、角川書店の出版による日本の地名辞典である。 著者は「角川日本地名大辞典」編纂委員会で、委員長を務めた竹内理三は本書を制作する目的として「民族遺産としての地名を将来に伝えること」、現代の地名を収録したことについては「現代の社会生活上の必要を満たし、地域の現状を歴史として後世に伝えること」としている(それぞれ本書冒頭の「編纂のことば」より引用)。.

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鯛浜橋

鯛浜橋(たいのはまばし)は、徳島県の今切川に架かる橋。徳島市川内町榎瀬と板野郡北島町鯛浜を結ぶ。.

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郵便番号

郵便番号(ゆうびんばんごう、英語圏共通: postal code.

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阿波西国三十三観音霊場

阿波西国三十三観音霊場(あわさいごくさんじゅうさんかんのんれいじょう)は、徳島県(旧阿波国)一帯に広がる観世音菩薩巡礼地。徳島県の東部と西部にわけて33箇所の霊場がある。.

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板野郡

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榎瀬江湖川

榎瀬江湖川(えのきせえこがわ)は、徳島県徳島市を流れる吉野川水系の河川である。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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1889年

記載なし。

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1966年

記載なし。

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1986年

この項目では、国際的な視点に基づいた1986年について記載する。.

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2011年

この項目では、国際的な視点に基づいた2011年について記載する。.

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