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志筑藩

索引 志筑藩

志筑藩(しづくはん)は、常陸国新治郡志筑(現在の茨城県かすみがうら市)周辺を知行した小藩。藩庁は志筑陣屋に置かれた。厳密には藩(大名領)として存在したのは明治維新後の短期間であり、それまでは江戸時代の全期を通じて旗本領であった。.

36 関係: かすみがうら市大名天領常陸国幕末久保田藩交代寄合廃藩置県伊東甲子太郎佐竹氏御陵衛士土浦藩地方知行出羽国秋田県美郷町 (秋田県)相給茨城県鈴木三樹三郎関ヶ原の戦い陣屋板倉勝清正保本堂親久本堂親道本堂茂親本堂栄親本堂氏明治維新新選組新治県新治郡旗本慶長1868年1871年

かすみがうら市

かすみがうら市(かすみがうらし)は、茨城県の南部に位置する市。.

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大名

大名(だいみょう)は、大名主より転じた語。大いに名の轟く者のことを指す。対義語は小名である。.

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天領

天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領、徳川幕府領、徳川支配地、幕府領、幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通・商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。 幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。 大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。.

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常陸国

常陸国(ひたちのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。 上総国・上野国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は常陸介であった。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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久保田藩

『天保国絵図』より「出羽国秋田領」 久保田藩(くぼたはん)は、江戸時代の藩の一つである。秋田藩(あきたはん)とも呼ばれる「秋田市史 第四巻」7頁。。久保田城を居城とした。藩主は佐竹氏で、室町時代以来の常陸守護の家柄であったが、関ヶ原の戦いにおける挙動を咎められて出羽国(後の羽後国)秋田へ移封された。石高は約20万石(実高は約40万石)。家格は大広間詰国持大名。 支藩として、新田分知された家が2家有る他、2代義隆の実家亀田藩(岩城氏)が事実上の支藩となっていた時期もあった。.

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交代寄合

交代寄合(こうたいよりあい)は、江戸幕府における旗本の家格の一つ。広義の寄合に含まれる。江戸定府の旗本寄合に対して参勤交代を行う寄合の意。.

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廃藩置県

廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 各藩の武装解除の過程については「鎮台」を参照。.

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伊東甲子太郎

伊東 甲子太郎(いとう かしたろう、天保5年12月3日(1835年1月1日) - 慶応3年11月18日(1867年12月13日))は、新選組参謀及び文学師範、のち御陵衛士(高台寺党)盟主。諱は武明(たけあき)。初名は大蔵(大藏)。号は誠斎。変名は宇田兵衛。 名前については「きねたろう」とも読めるが、同時代の史料に「樫太郎」と表記されたものがあることから、「かしたろう」が正しいとされる。.

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佐竹氏

佐竹氏(さたけし)は、日本の氏族のひとつ。日本の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流。武田氏に代表される甲斐源氏と同族である。通字は「義」。佐竹氏は家紋として定紋の「扇に月」(一般的には日の丸扇と呼ばれている)の他に、源氏香(花散里)・笹竜胆・佐竹桐・丸に釘貫・丁子巴・鉄線を加えた七つの家紋を「御当家七ッ御紋」としている。源氏から中近世大名、華族として明確な系譜として現代まで残った中ではもっとも大きな流れの一つである。.

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御陵衛士

京都 御陵衛士屯所跡 御陵衛士(ごりょうえじ)は、孝明天皇の陵(後月輪東山陵)を守るための組織。高台寺党とも(高台寺塔頭の月真院を屯所としたため)。.

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土浦藩

土浦藩(つちうらはん)は、常陸国に存在した藩。藩庁は土浦城(現在の茨城県土浦市)。.

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地方知行

地方知行(じがたちぎょう)とは、江戸時代に将軍あるいは大名が家臣に対して禄として与える知行を、所領(地方と呼ばれる土地)及びそこの付随する百姓の形で与え、支配させること。将軍が大名に土地を与える場合には特に大名知行(だいみょうちぎょう)と呼ばれている。 ここにおける地方知行の解説に大名知行は含めないが、必要に応じて大名知行の例についても言及するものとする。.

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出羽国

出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.

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秋田県

秋田県(あきたけん)は、日本の東北地方の県の一つで日本海に面する。県庁所在地は秋田市である。.

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美郷町 (秋田県)

美郷町(みさとちょう)は、秋田県中東部の仙北郡にある町。.

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相給

給(あいきゅう)とは、村請制が確立した近世期における領知の一形態を表す言葉である。一つの村落に対し複数の領主が割り当てられている状態を指す。村(郷)が分割されたために分郷(ぶんごう)とも言った。なお、「長岡市史」などの越後長岡藩の歴史では「分散地方知行制」という表現がなされている。.

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茨城県

茨城県(いばらきけん)は、日本の県の一つ。関東地方の北東に位置し、東は太平洋に面する。県庁所在地は水戸市。都道府県人口は全国11位、面積は全国24位である。.

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鈴木三樹三郎

鈴木 三樹三郎(すずき みきさぶろう、天保8年7月15日(1837年8月15日) - 大正8年(1919年)7月11日)は、江戸時代末期(幕末)の武士・新選組九番隊組長・御陵衛士、明治時代の警察官・官吏。初名は多聞。.

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関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦、関ヶ原合戦とも呼ばれる。合戦当時は南北朝時代の古戦場・「青野原」や「青野カ原」と書かれた文献もある近衛前久書状(慶長5年9月20日付)、三河物語には「青野カ原ニテノ合戦」となっている。東照宮御実紀においては「関原青野が原に陣取て、関原の戦」と記載されている。また、吉川広家の書状や「慶長記略抄」所収の狂歌でも「青野か原」と記されている( 毎日新聞 2016年4月4日)。近衛前久書状では「大垣表」という記載もある。。 主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。.

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陣屋

復元された兵庫県佐用郡佐用町乃井野の旧三日月藩政庁三日月陣屋 兵庫陣屋絵図/神戸市立博物館蔵 陣屋(じんや)は、江戸時代の幕藩体制における、大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷、また徳川幕府直轄領の代官の住居および役所が置かれた建物のことである。.

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板倉勝清

板倉 勝清(いたくら かつきよ、宝永3年(1706年) - 安永9年5月28日(1780年6月30日))は、江戸時代中期の大名。官位は従四位下・佐渡守・侍従。はじめ15,000石。陸奥泉藩主→遠江相良藩主→上野安中藩主。老中。重形系板倉家3代。.

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正保

正保(しょうほう)は日本の元号の一つ。寛永の後、慶安の前。1645年から1648年までの期間を指す。この時代の天皇は後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.

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本堂親久

本堂 親久(ほんどう ちかひさ)は、江戸時代後期の旗本・大名、明治時代の華族。常陸志筑藩主。男爵。.

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本堂親道

本堂 親道(ほんどう ちかみち、文化7年1月21日(1810年2月24日) - 明治12年(1879年)1月23日)は、江戸時代末期の交代寄合、常陸国志筑第9代領主。第8代領主・本堂親庸の子。内蔵助。別名親通。妻は松平頼説の娘。妹弟に清(堀金直室)、久(戸田直増室)、金沢義近(金沢義保養子)、本堂親明。子に本堂親久、千賀子(菅谷政悳室)、佐橋佳致(初名親彬、佐橋佳為養子)、高橋重清(高橋重薩養子)、森村瓢造(森村兵蔵養子)、朝子(坪内定保養女、松平鎌蔵室)、松子(堀直倫室)、和喜子(遠山景彰室)、伊東祐護(伊東祐養子)、都子(吉野義巻室)。 嘉永5年(1852年)に致仕し、子の親久が家督を継ぐ。墓所は、茨城県かすみがうら市の長興寺。 ちかみち Category:幕末の旗本 Category:1810年生 Category:1879年没.

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本堂茂親

本堂 茂親(ほんどう しげちか、天正13年(1585年) - 正保2年5月2日(1645年7月3日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将・旗本。常陸国志筑初代領主。名乗りは伊勢守。子に本堂栄親、本堂親澄、本堂保親ら。.

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本堂栄親

本堂 栄親(ほんどう ひでちか、慶長15年(1610年) - 寛文7年12月21日(1668年2月3日))は、江戸時代初期の旗本。常陸国志筑第2代領主。通称は源七郎。先妻は内藤忠興の女、後妻は伊東長昌の女。子に本堂玄親、娘(堀利直室)。.

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本堂氏

本堂氏(ほんどうし)は、中世から近世初頭にかけて出羽国山本郡(現在の仙北郡)の小領主である。江戸時代には常陸国志築を領する幕府の旗本となり、代々交代寄合に属した。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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新選組

新選組(しんせんぐみ)は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織である。 なお、「選」の字は「撰」とも表記されることが有り、「新撰組」と表記された史料もある。新選組の局長の近藤勇を始め、隊士たちが残した手紙でも両方の字が表記に用いられている。隊の公印が押された文献は「選」の文字が使用されているため、2004年頃から高校日本史教科書では「新選組」の表記が増えてきている。.

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新治県

新治県(にいはりけん)は、1871年12月25日から1875年5月7日まで、日本の太平洋沿岸に存続した県の一つ。現在の茨城県南部と千葉県東部に当たる。県庁所在地は土浦。古代の新治国や律令制下の新治郡とは別の領域。.

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新治郡

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旗本

旗本(はたもと)は、中世から近世の日本における武士の身分の一つ。主として江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団のうち石高が1万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称。旗本格になると、世間的には「殿様」と呼ばれる身分となった。旗本が領有する領地、およびその支配機構(旗本領)は知行所と呼ばれた。 元は中世(戦国時代)に戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、主家からすると最も信頼できる「近衛兵」の扱いであった。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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1868年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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