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御食国

索引 御食国

御食国(みけつくに)は、日本古代から平安時代まで、贄(にえ)の貢進国、すなわち皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだと推定される国を指す言葉。律令制のもと租・庸・調の税が各国に課せられたが、これとは別に贄の納付が定められていたと考えられる。『万葉集』にある郷土礼讃の歌に散見され、『延喜式』の贄の貢進国の記述、平城京跡から出土した木簡の記述などから、若狭国・志摩国・淡路国などへの該当が推定されている。.

87 関係: 南伊勢町口分田史料批判壱岐島大宝律令大伴家持大飯郡宮内省宗教対馬海流小豆島小浜市尾張国山部赤人世襲万葉集三重県三方郡下野国平城京平安時代延喜式伊勢市伊勢国伴信友伴造強制律令制信濃国志摩市志摩国ハマグリリアス式海岸ブランドアワビアササザエ兵庫県前方後円墳副食国司皇室磐鹿六鴈神事神饌福井県租庸調...穀物熊野狩野久瀬戸内海遠敷郡道鏡養老律令観光高橋氏高橋氏文魚介類鳥羽市近国阿曇氏藤原京膳部若狭国東国正月江戸時代洲本市淡路国朝廷木簡海人海草新嘗祭日本書紀改新の詔政治景行天皇10月6日2006年768年8世紀 インデックスを展開 (37 もっと) »

南伊勢町

南伊勢町(みなみいせちょう)は、三重県度会郡南部に位置する町。.

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口分田

口分田(くぶんでん)とは、律令制において、民衆へ一律に支給された農地である。北魏(中国)の均田制における露田が口分田の前身であると考えられている。その後、唐律令に口分田の規定が置かれた。日本では、飛鳥時代に令(または律令)を制定する際、唐の制度を参考としたため、唐と同様に口分田が導入されたと考えられる。.

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史料批判

史料批判(しりょうひはん、Quellenkritik)とは、歴史学を研究する上で史料を用いる際、様々な面からその正当性、妥当性を検討することである。19世紀ドイツの歴史家レオポルト・フォン・ランケの提唱による歴史学研究法を指す。その著『近世歴史家批判』は史料批判をとおして近代歴史学の基礎を確立した画期的な著作だとされている。 日本で「史料批判」の訳語を用いた早い例としては、原勝郎が1898年(明治31年)の「」において「史料の批評に二樣の別あり」とその訳語を用いている。 さらに20世紀に入って1935年に、西洋史学者今井登志喜が『歴史学研究法』を著し「史料批判」を詳細に紹介する。ここでの史料とは「文献口碑伝説、碑銘、遺物遺跡、風俗習慣等、過去の人間の事実に証明を与えうるものすべて」今井(1953)。であるが、以下文献史料を中心に述べる。.

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塩の結晶 塩(しお)は、塩化ナトリウムを主な成分とし、海水の乾燥・岩塩の採掘によって生産される物質。塩味をつける調味料とし、また保存(塩漬け・塩蔵)などの目的で食品に使用されるほか、ソーダ工業用・融氷雪用・水処理設備の一種の軟化器に使われるイオン交換樹脂の再生などにも使用される。 日本の塩事業法にあっては、「塩化ナトリウムの含有量が100分の40以上の固形物」(ただし、チリ硝石、カイニット、シルビニットその他財務省令で定める鉱物を除く)と定義される(塩事業法2条1項)。.

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壱岐島

壱岐島(いきのしま)は、九州北方の玄界灘にある南北17km・東西14kmの島である。九州と対馬の中間に位置する。『古事記』によれば、別名を天比登都柱(あめひとつばしら)という。 周囲には23の属島(有人島4・無人島19)が存在し、まとめて壱岐諸島と呼ぶ。ただし、俗にこの属島をも含めて壱岐島と呼び、壱岐島を壱岐本島と呼ぶこともある。官公庁の定義では「壱岐島」と呼ぶ場合、周囲の属島は含めない。 現在は長崎県壱岐市の1市体制で、長崎県では島内に壱岐振興局(旧・壱岐支庁、壱岐地方局)を置いている。また、全域が壱岐対馬国定公園に指定されている。.

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大宝律令

大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年(大宝1年)に制定された日本の律令である。「律」6巻・「令」11巻の全17巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。大宝律令は、日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。.

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大伴家持

大伴 家持(おおとも の やかもち)は、奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。 『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残すを生き延び、延暦年間には中納言まで昇った。.

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大飯郡

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宮内省

宮内省(くないしょう)は、1947年(昭和22年)まで日本に存在した官庁名。古代のものと近代のものがあり、近代のものが1949年(昭和24年)以降の宮内庁の前身となる。.

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宗教

宗教(しゅうきょう、religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり『世界大百科事典』 231頁。、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。 。.

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対馬海流

対馬海流(つしまかいりゅう、Tsushima Current)とは九州西方沖に分布する黒潮系の水塊と、東シナ海の沿岸水が混ざり合った海水が対馬海峡を通って日本海に流入する暖流である。対馬暖流とも呼ばれる。地理学者の市川健夫により、青潮というニックネームもつけられている。.

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小豆島

北東方向より見た小豆島 小豆島(しょうどしま)は、瀬戸内海・播磨灘にある島。行政区分は香川県小豆郡に属し小豆島の西方3.7kmに位置する豊島も、行政区分は香川県小豆郡に属す。、小豆島町、土庄町の2町からなり、人口は28,764人(2016年度推計)。近年、人口が減少の一途をたどっており、2013年6月24日に隣接する沖之島とあわせて、国土交通省より「離島振興法」の指定を受けた。離島振興法の活用で、今後10年間の人口減少率を10%以内に抑えることを目指す2013年6月25日四国新聞記事より。 古代には「あずきしま」と呼ばれ、その後中世までは「しょうずしま」と呼ばれた。素麺、醤油、佃煮、胡麻油、オリーブなどの生産が盛んであり、いずれも日本有数の生産地となっている。特にオリーブは国内栽培の発祥地として広く知られる。また、小説『二十四の瞳』の作者壺井栄の故郷としても知られ 1952年(昭和27年)に発表された小説の『二十四の瞳』では、冒頭に「瀬戸内海べりの一寒村」とあるだけで、全編に渡って具体的な地名は示されず、「離島」か「本土」かも示していない。しかし、2年後の1954年(昭和29年)公開の映画『二十四の瞳』では、舞台を、作者の故郷である香川県の小豆島と設定した。、小豆島をロケ地として、同小説はこれまで2回映画化された。.

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小浜市

小浜市(おばまし)は、福井県南西部(嶺南)、旧若狭国の市である。.

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尾張国

尾張国(おわりのくに/をはりのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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山部赤人

山部赤人像/ 蜷川式胤所蔵品 山部 赤人(やまべ の あかひと、生年不詳 - 天平8年(736年)?)は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。大山上・山部足島の子とし、子に磐麻呂がいたとする系図がある鈴木真年『諸系譜』第二冊、山宿禰。官位は外従六位下・上総少目。後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。.

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世襲

世襲(せしゅう)とは、特定の地位(官位や爵位など)や職業、財産等を、子孫が代々承継することである。家に伝わる爵位を継承することを襲爵、位階・地位などを世襲することを襲位、先祖伝来の名跡などを世襲することを襲名という。法的な根拠を有する場合に限らず、事実上の場合についていうこともある。近代の政治家の世襲については、世襲政治家も参照のこと。.

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万葉集

元暦校本万葉集 『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以後とみられる。 日本文学における第一級の史料であることは勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料である。.

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三重県

三重県(みえけん)は、日本の都道府県の一つで紀伊半島の東側に位置する。県庁所在地は県中部の津市。.

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三方郡

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下野国

下野国(しもつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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平城京

平城宮跡 平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう)は、奈良時代の日本の首都。唐の都「長安」や北魏洛陽城などを模倣して建造されたとされ、現在の奈良県奈良市及び大和郡山市近辺に位置していた。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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延喜式

延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つである。.

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伊勢市

伊勢市(いせし)は、三重県南東部に位置する都市である。市域の大半は旧度会郡であり、一部に旧多気郡域を含む。.

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伊勢国

伊勢国(いせのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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伴信友

伴 信友(ばん のぶとも、1773年3月17日(安永2年2月25日) - 1846年12月2日(弘化3年10月14日))は、江戸時代後期の国学者。幼名は惟徳。通称は州五郎。号は事負。 博覧強記で、古典の考証に優れており、平田篤胤、橘守部、小山田与清とともに、「天保の国学の四大人」と呼ばれる。 若狭国小浜藩士・山岸惟智の四男として生まれたが、1786年(天明2年)、同藩の伴信当の養子となる。1801年(享和元年)村田春門を介して本居宣長没後の門人となり、宣長の養子の本居大平に国学を学ぶ。1821年(文政4年)、息子の信近に家督を譲り、以後、学問に専念した。 平田篤胤、黒川春村、本居内遠などと交流があり、篤胤からは君兄と慕われていたが、後に齟齬を来して決別した。師弟関係を好まず、弟子をとることはなかった。 1846年(弘化3年)、京都の堀川で死去。.

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伴造

伴造(とものみやつこ)は、連(むらじ)とも重なり、また連の下でヤマト王権の各部司を分掌した豪族である。 「伴」は友・供と同音でヤマト王権の長である大王に奉仕する意味があり、「造」は集団の長としての意味があった。伴造には連のような上位の姓(かばね)を持つ者も含まれるが、狭義では造・首(おびと)などの中位以下の姓を持つ者を指す。また、下級の姓の中には伴造から除外されて百八十部の身分に属する者もいた。 伴造とされた豪族はそれぞれの職掌を持ち、傘下の部民を率いてヤマト王権の中枢に人的あるいは物的に奉仕した。 伴造には、秦氏(はた)、東漢氏(やまとのあや)、西文氏(かわちのふみ)など代表的な帰化氏族がある。他に、弓削(ゆげ)、矢集(やずめ)、服部(はとり)、犬養(いぬかい)、舂米(つきしね)、倭文(しとり)などの氏がある。彼らは、連、造(みやつこ)、直(あたい)、公(きみ)などの姓(かばね)を称した。 律令制において品部・雑戸などを率いて器具の製作などの実務を担当する下級官人である伴部にその名残が見られ、伴部を「とものみやつこ」と読む用法が存在したことが知られている。.

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強制

強制(きょうせい)とは、相手が快諾しない物事を有無を言わせずに押し付けること。また、その物事を行うように命令すること。その物事を相手の許可なく行使すること。 通常、相手が快諾しない物事は押し付けるべきではないが、正当な理由がある場合はその理由の下に命令、または行使することができる。.

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律令制

律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである山内昌之・古田博司。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない菊池秀明p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、また秦から明までのおよそ1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」。.

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信濃国

信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。.

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志摩市

志摩市(しまし)は、三重県志摩半島南部に位置する市。 2016年、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)が市内の賢島で開催されたことでも知られる。.

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志摩国

志摩国(しまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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ハマグリ

ハマグリ(蛤、文蛤、蚌、浜栗、)は、マルスダレガイ科に分類される二枚貝の1種である。食用として重要な貝類の一つである『新明解国語辞典』第3版、1981年、p948、には「食べる貝として、最も普通で、おいしい」と書いてある。。春の季語。.

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リアス式海岸

リアス式海岸(リアスしきかいがん、Ría、ria coast)は、せまい湾が複雑に入り込んだ沈水海岸のこと。リアス海岸、あるいはスペイン語でリア(単数形)、またリアの複数形を用いてリアスともいう。.

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ブランド

ブランド(brand)とは、ある財・サービスを、他の同カテゴリーの財やサービスと区別するためのあらゆる概念。当該財サービス(それらに関してのあらゆる情報発信点を含む)と消費者の接触点(タッチポイントまたはコンタクトポイント)で接する当該財サービスのあらゆる角度からの情報と、それらを伝達するメディア特性、消費者の経験、意思思想なども加味され、結果として消費者の中で当該財サービスに対して出来上がるイメージ総体。 それが現在のブランドの概念と言える。ブランドを冠して財やサービスを提供する側の意思を端的に表現するものとして、文字や図形で具体的に表現された商標を使用することが多い。広い意味では高級や低品質など関係無しに全ての商品やサービスに対してブランドと呼ぶ。 狭義としては高級品や一流品などを示す意味で使われる。ファッション分野では「ブランド物」や「DCブランド」と呼ばれたり、電化製品や一般消費財では一流メーカーの物を「メーカー品」と呼んだりする。 ブランドという単語は従来はマーケティング(マーケティング・コミュニケーション)の世界の用語であったが、地域自体やその名称をブランドと考える「地域ブランド」も近年提唱されており、その概念は広がりを見せている。.

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アワビ

アワビの殻の穴(外側) アワビの殻の穴(内側) アワビ(鮑、鰒、蚫、)は、ミミガイ科の大型の巻貝の総称。アワビ属についてはHaliotisではなくてNordotisとしている図鑑もある。雌雄の判別は外見からではほぼ不可能で、肝ではなく生殖腺の色で見分ける。生殖腺が緑のものがメスで、白っぽいものがオスである。.

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アサ

和名アサ(麻、英名Cannabis)は、学名カンナビス・サティバ (Cannabis sativa)といい、中央アジア原産とされるアサ科アサ属で大麻草(たいまそう)とも呼ばれる、一年生の草本である。雌雄異株。ことわざ、麻の中の蓬(よもぎ)が凡人を感化する善人に麻をたとえているように、高くまっすぐ生育する。人類が栽培してきた最も古い植物のひとつとして1万年を超えるつきあいがある。茎の皮の植物繊維は、麻繊維として麻紙や麻布、神道における具など様々に、実(種子)は食用や生薬の麻子仁(マシニン)として、麻の実油は食用や燃料など、成分を酩酊や医療大麻にと様々な形で用いられてきた。実は大豆に匹敵する高い栄養価がある。伊勢神宮の神札の大麻と呼ぶ由来となった植物であり、三草のひとにつ数えられ、米と並んで主要作物として盛んに栽培されてきた。第二次世界大戦中に農林省が日本原麻を設立した日本でも、終戦後にGHQの指令により規制したが、繊維用の麻まで強く規制され伝統継承の問題が生じている。20世紀半ばより国際的に薬用の大麻が規制されたが、21世紀初頭には医療大麻、違法かつ非犯罪化という緩い規制への変化、米国首都での嗜好大麻の合法化など例外も増えてきた。 大麻(たいま)として、1961年の麻薬に関する単一条約で国際統制されるのは、繊維や種子や園芸「以外」を目的とした花や果実のついた枝端である。一方、日本では大麻取締法の大麻として、カンナビス・サティバ・エルの繊維型の品種「も」葉と花穂が規制されており、種子や茎を除外している。葉や花には向精神性のテトラヒドロカンナビノール (THC) が多く摂取すると陶酔する。薬用型あるいは「マリファナ」と呼ばれる。薬用型の代表的な品種ではTHCの含有量は15%を超える。一方、神道における大麻(おおぬさ、あるいは、たいま)は、神に捧げられた布(ヌサ)の多くが麻であったことから麻の字が当てられ、これを形式化した祓い具である。 ヘンプ (hemp) は、繊維型とされ、繊維利用のために品種改良した麻の呼称で、繊維利用の研究が進んだ欧米諸国でそう呼ばれ、規制法で表記される植物名のカンナビスと区別している。ディーゼルエンジンなどに使用できる化石燃料よりも低公害の油をとることもでき、近年その茎から採れる丈夫な麻繊維はエコロジーの観点から再認識されている。産業用へンプのTHC含有量は0.3%未満であり、摂取しても陶酔作用はない。 広義には、アサは麻繊維を採る植物の総称であり、亜麻や苧麻(カラムシ)、黄麻(ジュート)、マニラ麻、サイザル麻を指すことがあるが、本項目とは別の植物である。.

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サザエ

(栄螺、拳螺、学名:Turbo sazae )は、腹足綱古腹足目リュウテン科(別名:リュウテンサザエ科、サザエ科)に分類される巻貝の一種。サザエ亜属(Batillus Schumacher, 1817)のタイプ種。日本では代表的な食用貝類の一種で、サザエの壺焼きなどでよく知られる。棘のある殻が特徴的であるため各種の意匠や比喩などに利用されてきたが、個体によって棘のないものもある。小型のものは近縁種のナンカイサザエと同様に「姫さざえ」などの名で市場に出回ることもあるが、「ヒメサザエ」という種があるわけではない。.

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兵庫県

兵庫県(ひょうごけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中西部に位置し、近畿地方に属する。県庁所在地は神戸市。.

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前方後円墳

前方後円墳 (ぜんぽうこうえんふん)は、古墳の形式の1つ。円形の主丘に方形の突出部が接続する形式で、双丘の鍵穴形をなす。 主に日本列島で3世紀中頃から7世紀初頭頃(畿内大王墓は6世紀中頃まで)にかけて築造され、日本列島の代表的な古墳形式として知られる。.

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副食

副食(ふくしょく)または副食物(ふくしょくぶつ)とは、主食とともに食べるもののこと。 主食に対する概念が副食であり、副食はさらに主菜と副菜から構成される(さらに副副菜(副々菜)の概念を加える場合もある)。主食は一般に穀類であり、副食のうち主菜はタンパク質を中心とする料理、副菜はそれ以外の栄養素を補う。ただし、麺類の一品献立のように必ずしも主食と副食という構成ではない料理もある。.

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国(くに、こく)は、一般的に、住民・領土・主権及び外交能力(他国からの承認)を備えた地球上の地域のこと。ほとんどの国が憲法を成文法で作成し、自国の権利や能力を他国に表明している。新しい国を作ることに関し、すでに在る国が憲法改正や革命など「新憲法制定」によって生まれ変わる場合もある。.

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国司

国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す(詳細は古代日本の地方官制も併せて参照のこと)。守の唐名は刺史、太守など。 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。.

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皇室

皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。.

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磐鹿六鴈

鹿六鴈(いわかむつかり)は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の人物。 『日本書紀』では「磐鹿六鴈」や「六鴈臣(むつかりのおみ)」、他文献では「磐鹿六獦命」や「磐鹿六雁命」・「伊波我牟都加利命」とも表記される。『古事記』に記載はない。 第8代孝元天皇皇子の大彦命の孫で、比古伊那許志別命(大稲腰命)の子とされる。また膳臣(かしわでのおみ、膳氏:のち高橋氏)の遠祖とされるほか、現在では料理神としても信仰される。.

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(かみ)は、信仰の対象として尊崇・畏怖  されるもの。 一般的には「古代ギリシア語:Θεός テオス、ラテン語:deus、Deus デウス、英:god、God」にあたる外来語の訳語として用いられるが、これらの意味と日本語における「神」は厳密には意味が異なるとされる。詳細は下記を参照。また、英語において、多神教の神々はGodではなく、頭文字を小文字にしてgod、複数形:gods、もしくはdeity、複数形:deitiesと区別する。.

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神事

事(しんじ、かみごと)とは、神に関するまつりごと、儀式。神前での祈りや神に伺いを立てることなどで、特定の宗教の神と結びついたものが多い。「じんじ」とも言った。 宗教に従事する専業者が行うものと、一般民衆の行事になっているものがある。一般民衆の行事となるものには、生活に結びついた行事であり、農業、商売などそれぞれの生業に基づく現世利益、生活の安定を求めるものが多い。またこの場合、様々な宗教や土着の信仰などが合わさった行事が並列的、複合的に行われることも多い。.

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神饌

千穂河原に奉げられる神饌 神饌(しんせん)とは、日本の神社や神棚に供える供物のこと。御饌(みけ)あるいは御贄(みにえ)とも呼ばれる。.

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福井県

福井県(ふくいけん)は、日本海や若狭湾に面する日本の県。県庁所在地は福井市である。.

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租庸調

租庸調(そようちょう)は、日本、中国及び朝鮮の律令制下での租税制度である。.

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穀物

小麦畑。フランスで撮影。 イネの穂。 ハンガリーで撮影されたトウモロコシ。 カトマンズで売られている様々な豆類。 穀物(こくもつ)は、植物から得られる食材の総称の1つで、澱粉質を主体とする種子を食用とするもの。農学・経済学・人類学にの分野では、糧食(りょうしょく)と呼ばれる場合ある。 イネ科作物の種子を禾穀類(かこくるい、Cereals、シリアル)日本作物学会編『作物学用語事典』農山漁村文化協会 p.241 2010年といい、マメ科作物の種子を菽穀類(しゅこくるい、Pulses)という。そして、穀物は狭義にはイネ科作物の種子(禾穀類)のみを指し、広義にはこれにマメ科作物の種子(菽穀類)や他科の作物の種子を含む『丸善食品総合辞典』丸善 p.393 1998年。広義の穀物のうち、禾穀類の種子(単子葉植物であるイネ科作物の種子)と似ていることから穀物として利用される双子葉植物の種子をまとめて擬禾穀類あるいは擬似穀類(疑似穀類、Pseudocereals)と呼ぶ『丸善食品総合辞典』丸善 p.393 1998年日本作物学会編『作物学用語事典』農山漁村文化協会 p.242 2010年『丸善食品総合辞典』丸善 p.268 1998年。擬似穀類には、ソバ(タデ科)、アマランサス(ヒユ科)、キヌア(キノア、アカザ科)などが含まれる『食料の百科事典』丸善 p.18 2001年。.

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絹 蚕の繭 絹(きぬ、sericum、Seide、silk、soie)は、蚕の繭からとった動物繊維である。独特の光沢を持ち、古より珍重されてきた。蚕が体内で作り出すたんぱく質・フィブロインを主成分とするが、1個の繭から約800 - 1,200メートルとれるため、天然繊維の中では唯一の長繊維(フィラメント糸)である。絹織物などに用いる。 蚕の繭(まゆ)を製糸し、引き出した極細の繭糸を数本揃えて繰糸の状態にしたままの絹糸を生糸(きいと)というが、これに対して生糸をアルカリ性の薬品(石鹸・灰汁・曹達など)で精練してセリシンという膠質成分を取り除き、光沢や柔軟さを富ませた絹糸を練糸(ねりいと)と呼ぶ。ただし、100%セリシンを取り除いたものは数%セリシンを残したものに比べ、光沢は著しく劣る。生糸は化学染料、練糸はいわゆる草木染めに向くが、歴史的に前者の手法が用いられはじめたのは明治維新以降であり、昔の文献や製品にあたる際、現在の絹織物とは別物に近い外観と性質をもつ。また、養殖(養蚕)して作る家蚕絹と野性の繭を使う野蚕絹に分けられる。.

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熊野

野(旧牟婁郡)の範囲 青岸渡寺と那智滝(那智勝浦町) 熊野本宮大社(田辺市) 熊野灘(紀北町) 熊野川(紀宝町⇔新宮市) 三段壁(白浜町) 熊野(くまの)は、和歌山県南部と三重県南部からなる地域である。紀伊半島南端部を占める。 旧国では紀伊国南部にあたり、上古の熊野国と大概一致する。熊野三山(田辺市の熊野本宮大社・新宮市の熊野速玉大社・那智勝浦町の熊野那智大社)を中心とする熊野信仰の中心地として知られる。.

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狩野久

狩野 久(かのう ひさし、1933年8月5日 - )は、日本の歴史学者。元岡山大学教授。専門は日本古代史、木簡学、古代都城史。北海道斜里町出身。.

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瀬戸内海

戸内海(せとないかい)は、本州、四国、九州に挟まれた内海。山口県、広島県、岡山県、兵庫県、大阪府、和歌山県、徳島県、香川県、愛媛県、大分県、福岡県がそれぞれ海岸線を持つ。沿岸地域を含めて瀬戸内(せとうち)とも呼ばれている(ただし瀬戸内海の名称源ではない。瀬戸内海は「瀬戸の内海」の意である)。 古来、畿内と九州を結ぶ航路として栄えた。気候は瀬戸内海式気候と呼ばれ、温暖で雨量が少ない。.

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遠敷郡

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道鏡

道鏡(どうきょう、文武天皇4年(700年)? - 宝亀3年4月7日(772年5月13日))は、奈良時代の僧侶。俗姓は弓削氏(弓削連)で、弓削櫛麻呂の子とする系図がある。俗姓から、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とも呼ばれる。.

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養老律令

養老律令(ようろうりつりょう)は、古代日本で757年(天平宝字元年)に施行された基本法令。構成は、律10巻12編、令10巻30編。大宝律令に続く律令として施行され、古代日本の政治体制を規定する根本法令として機能したが、平安時代に入ると現実の社会・経済状況と齟齬をきたし始め、平安時代には格式の制定などによってこれを補ってきたが、遅くとも平安中期までにほとんど形骸化した。廃止法令は特に出されず、形式的には明治維新期まで存続した。制定内容の資料が未発見である大宝律令は、この養老律令から学者らが内容を推測して概要を捉えている。.

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観光

観光(かんこう)とは、一般には、楽しみを目的とする旅行のことを指す。 英語では観光する側(en:sightseeing)と、観光させる側(en:tourism)で言葉が(概念も)分かれている。 これには、後述される宗教行為の対象者(大衆:観光客)と行為者(仕掛け人:観光業者)の立場が現れているとも見られる。 なお狭義には、観光事業を指すこともある。.

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高橋氏

橋氏(たかはしし)は、日本の氏族、苗字、大姓。 高橋の名の由来については諸説あり、同姓には諸流ある。.

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高橋氏文

橋氏文(たかはしうじぶみ)は、日本の歴史書、古記録である。 宮内省内膳司に仕えた高橋氏が安曇氏と勢力争いしたときに、古来の伝承を朝廷に奏上した789年(延暦8年)の家記が原本と考えられる。しかし完本は伝わっておらず、逸文が『本朝月令』、『政事要略』、『年中行事秘抄』その他に見えるのみである。 伴信友が1842年(天保13年)に自序の『高橋氏文考註』にまとめた。これに関する791年(延暦11年)の太政官符が存在する。.

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魚介類

魚介類(ぎょかいるい)、魚介(ぎょかい)は、水産動物の総称。鯨などの哺乳類も含む。 まれにあるが、動物に限らず、コンブ・ワカメなどの海藻を含める場合は、水産物(すいさんぶつ)と同義である。 「魚」とは魚類とクジラ目のことであるが、「介」とは、古代中国の五行にもとづく動物分類で、亀・甲殻類・貝など甲羅を持つ動物の総称である。ただし、イカ・タコ・ナマコなどは、本来は魚類でも介類でもないが、魚介類に含められる。 魚貝類(ぎょかいるい)、魚蟹類という言葉もあり、魚介類の単なる書き間違いのこともあるが、それぞれ文字どおり「魚類と貝類」「魚類とカニ類(或いは甲殻類)」と解釈されることもある。 食物としてのシーフードを指すこともある。.

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鳥羽市

鳥羽市(とばし)は、三重県南東部に位置する市。.

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贄(にえ)とは、神または天皇に供する食物の総称、及びその制度。.

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近国

近国(きんごく)とは、律令国の等級区分の一つである。 律令制のもとで国家体制を整えていた古代の日本において、地方行政区画の一環として、畿内からの距離によって国を分けた。その結果、「近い位置にある国」が近国とされた(畿内の国は分類されない)。.

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阿曇氏

阿曇氏(あずみうじ、安曇氏)は、「阿曇(安曇)」を氏の名とする氏族。 海神である綿津見命を祖とする地祇系氏族。阿曇族、安曇族ともいう。.

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藤原京

藤原京条坊(拡大してご覧ください) 列柱は実際位置から南30メートルで標示。奥に大極殿跡(樹叢)。 藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城。日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。 『日本書紀』には新益京持統天皇6年正月12日(692年2月4日)条。読みを「あらましのみやこ」「あらましきょう」「しんやくのみやこ」「しんやくきょう」などとしている。と著されている。藤原京の名は、宮が同じく『日本書紀』で藤原宮と呼ばれていることから飛鳥京と同様に近世になって名づけた学術用語である。本項ではこの藤原宮についても述べる。.

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膳部

膳部(かしわでべ)とは、食事をつかさどった職業部(品部)。朝廷や皇族の宮で、御食(みけ)の調理に従事した。.

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若狭国

若狭国(わかさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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東国

関東地方 東国(とうごく、あづまのくに)とは、近代以前の日本における地理概念の一つ。東国とは主に、関東地方(坂東と呼ばれた)や、東海地方、即ち今の静岡県から関東平野一帯と甲信地方を指した。実際、奈良時代の防人を出す諸国は東国からと決められており、万葉集の東歌や防人歌は、この地域の物である。尚、東北地方は蝦夷(えみし)や陸奥(みちのく)と呼ばれていた。.

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正月

正月(しょうがつ)は、各暦の年初のことである。文化的には旧年が無事に終わった事と新年を祝う行事である。正月飾りをし、正月行事を行ったり御節料理を食べて、盛大に祝う。 日本では、1月1日の元日のみを国民の祝日としているが、実際には少なくとも3日までの三箇日は事実上の祝日と同じ状態となる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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洲本市

洲本市中心部周辺の空中写真。1974年撮影の3枚を合成作成。国土航空写真。 洲本市(すもとし)は、淡路島の中部西から南東に貫き、淡路市、南あわじ市および紀淡海峡を隔てて和歌山県和歌山市と接する市である。.

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淡路国

淡路国(あわじのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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朝廷

朝廷(ちょうてい)とは、君主制下で官僚組織をともなった政府および政権で、とりわけ中国と日本におけるものを指す。また、君主が政治執務を行う場所や建物(朝堂院:朝政と朝儀を行う廟堂)。.

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木簡

木簡(もっかん)とは、古代の東アジアで墨で文字を書くために使われた、短冊状の細長い木の板である。紙の普及により廃れたが、荷札には長く用いられた。.

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海人

海人(あま)は、海に潜って貝類や海藻を採集する漁を(専業あるいは兼業で)職業とする人。古くは漁師全般を指していた。.

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海草

日本で一般的な海草であるアマモ 海草(かいそう、Seagrass)は、水草の一種で、海域に生育する種子植物のこと。 藻類である「海藻」と同音異義語であるため、しばしば両者の混同を招く場合があり、区別の観点から海草を「うみくさ」と呼ぶこともある。.

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新嘗祭

新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は宮中祭祀のひとつ。大祭。また、祝祭日の一つ。 収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。 今上天皇の大嘗祭 また、天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭を大嘗祭という。.

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日本書紀

日本書紀(平安時代の写本) 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体にて記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。.

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改新の詔

改新の詔(かいしんのみことのり)は、日本の飛鳥時代中期の大化の改新において、新たな施政方針を示すために発せられた詔。難波長柄豊碕宮で発せられたとされる。 この詔は『日本書紀』に掲載されている。従来はこれにより、公地公民制、租庸調の税制、班田収授法などが確立したと考えられていた。しかし、藤原京から出土した木簡により『日本書紀』に見える詔の内容は編者によって潤色されたものであることが明白になっている。.

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政治

本記事では政治(せいじ)とは何かについて解説していく。.

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景行天皇

景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年 - 景行天皇60年11月7日)は、『古事記』『日本書紀』に記される第12代天皇(在位:景行天皇元年7月11日 - 同60年11月7日)。日本武尊(やまとたけるのみこと)の父。『日本書紀』には自ら九州に遠征して熊襲・土蜘蛛を征伐し、東国には日本武尊を遣わして蝦夷を征討させたと伝わる。和風諡号は大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・大帯日子淤斯呂和氣天皇(古事記)。常陸風土記には大足日足天皇。播磨風土記には大帯日子天皇、大帯日古天皇、大帯比古天皇。 「タラシヒコ」という称号は12代景行・13代成務・14代仲哀の3天皇が持ち、時代が下って7世紀前半に在位したことが確実な34代舒明・35代皇極(37代斉明)の両天皇も同じ称号をもつことから、タラシヒコの称号は7世紀前半のものであるとして、12,13,14代の称号は後世の造作と考える説があり、景行天皇の実在性には疑問が出されている。.

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10月6日

10月6日(じゅうがつむいか)はグレゴリオ暦で年始から279日目(閏年では280日目)にあたり、年末まであと86日ある。.

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2006年

この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.

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768年

記載なし。

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8世紀

イスラム帝国の拡大。ウマイヤ朝時代までにイスラム帝国は中央アジアからイラン・イラクを経て、エジプト・北アフリカを超えてイベリア半島まで拡がった。 ウマイヤド・モスク。ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世により705年にシリアのダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。 イスラムの書法。すでに正統カリフ時代にはクルアーンの編纂が行われていたが、この世紀になると洗練された書体が生み出され用いられた。画像はアッバース朝初期に置かれた都クーファの名から「クーフィー体」と呼ばれた書体によるクルアーンの一節。 円城(ムダッワラ)都市バグダード。アッバース朝の第二代カリフ・マンスールによって766年に完成したこの都市はティグリス川に面した交通の要衝で最盛期にはその人口は100万人を擁した。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームとも呼ばれる。画像はアッバース朝時代のバグダードの再現地図。 エローラ石窟群。画像は8世紀にインドのラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世によりヒンドゥー教のシヴァ神の住むカイラス山(須弥山)になぞらえて建てられた第16窟のカイラサナータ寺院。 ボロブドゥール遺跡。インドネシアのジャワ島ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、シャイレンドラ朝のダルマトゥンガ王時代に造営された。 唐の世界帝国。西域での覇権を確立した唐は華やかな異文化交流で知られることになる。画像は706年に造営された章懐太子李賢の墓の壁画「賓客図」で、黒衣で禿頭の人物は東ローマ帝国の使節と考えられている。 楊貴妃。絶世の美女として名高いばかりでなく、治世後半の玄宗皇帝の寵愛をほしいままにしたことで「傾城」とも「傾国」とも呼ばれる。安禄山の乱に巻き込まれ悲劇的な最期を遂げた。画像は日本の上村松園による歴史画。 大秦景教流行中国碑。781年にキリスト教ネストリウス派(景教)信者で中央アジア出身の伊斯がその伝来の経緯を記録した石碑。画像はその拓本の一部で、碑題の上に十字架があるのが読み取れる。 唐三彩の駱駝。8世紀前半まで唐は中央アジアの覇権を握り交通の要衝を保持していた。画像は駱駝に乗るソグド人と思われる西域の商人(上海博物館蔵)。 国立アジア美術館(ベルリン美術館)蔵)。 天平文化。遣唐使の頻繁な行き来により盛唐の文物が招来され、710年に遷都された平城京では国際色の豊かな文化が花開いた。画像はこの時代を代表する東大寺法華堂執金剛神。 平安遷都。桓武天皇により平城京から長岡京を経て平安京に都が遷った。平安京は長きにわたって都となり「千年の都」と呼ばれるようになる。画像は桓武天皇の肖像(延暦寺蔵)。 キー・ローのモノグラムの頁(Folio 34r)でトリニティ・カレッジ (ダブリン大学)図書館が所蔵している。 アーヘン大聖堂宝物館のカール大帝の胸像。カール大帝の800年の「西ローマ帝国復興」は東ローマ帝国との間に「二帝問題」の軋轢を生んだ。 8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。.

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