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待った

索引 待った

待った(まった)とは、勝負事において、相手の行動に対して満足な状況でないことによりやり直しを要求する状態である。 相撲用語では、やむを得ない理由で勝負開始前、あるいは途中で止める際のかけ声であり、またその止める行為そのものを意味する。 囲碁や将棋では相手の次の手を見て、それが自分が困る手の場合にもう一度前回の自分の手まで戻って指し直しをすることを求める場合に「待った」という。これは正式にはルール違反である。 転じて重要なイベントなどで横やりが入って中断するのを「待ったがかかった」と言ったり、切羽詰っていることを「…まで待ったなし」と表現する例がある。スポーツなどで、相手に優勝がかかる試合などで勝利した場合にも「待ったをかけた」という表現がされることがある。.

36 関係: 加藤一二三力士双葉山定次大相撲大鵬幸喜大関大雪嶺登将棋享保二子山 (相撲)廻し伊勢ヶ濱チェスハガシ前頭囲碁立合い紀伊国縁台将棋相撲銀河戦預り (相撲)行司鬼面山谷五郎谷風梶之助 (初代)龍王山光関脇若乃花幹士 (初代)横綱水入り慶応1716年1735年1865年1991年1998年

加藤一二三

加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年1月1日 - )は将棋棋士。 実力制6人目の名人。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。2017年6月20日に現役を引退した。福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - )。 戦前生まれの名人経験者最後の存命者である。「の天才」「神武以来(じんむこのかた)」とは「(初代天皇神武天皇が即位して)我が国始まって以来の」または「他に例がないほど非常に優れた」という意味で、神武景気に沸く1955年の流行語。 ・「1分将棋の神様」「interview 信念を貫き通した棋士人生60年」『マイナビムック 将棋世界スペシャルno.4 加藤一二三』、マイナビ、2013年、p.36-49の異名を持つ。.

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力士

力士(りきし、ちからひと)とは、相撲をする人間のこと。厳密には、相撲部屋に所属して四股名を持ち、番付に関わらず大相撲に参加する選手の総称。相撲取り(すもうとり)とも呼ばれる。しばしば関取(せきとり)と呼ばれることもあるが、元来は大関のことを指す異称であり、現代では十両以上の力士のことを指す。幕下以下の力士は力士養成員(りきしようせいいん)と呼ばれる。また、本来は神事に関わる者であるため、日常会話では親愛と尊敬をこめてお相撲さんとも呼ばれる。 わんぱく相撲や大学の相撲部などのアマチュア相撲で相撲を取る者は四股名を持たないため厳密には力士ではない。.

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双葉山定次

双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身の元大相撲力士。第35代横綱。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。.

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大相撲

大相撲(おおずもう)は、.

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大鵬幸喜

大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉(出生地は樺太敷香郡敷香町)出身の元大相撲力士。第48代横綱。本名は納谷 幸喜(なや こうき)であるが、一時期は母親の再婚によって住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていたこともあった。.

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大関

大関(おおぜき)とは、大相撲の力士の地位の一つ。横綱の下、関脇の上。三役の最上位。幕内に属する。.

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大雪嶺登

大雪 嶺登(だいせつ みねと、本名:秋田 芳夫(あきた よしお)、1944年11月30日 - 1980年4月16日)は、北海道夕張市出身(本籍地は北海道夕張郡由仁町)で、1960年代後半から1970年代初めにかけて活躍した大相撲力士。宮城野部屋に所属していた。最高位は東前頭3枚目(1971年7月場所)。現役時代の体格は183cm、120kg。得意手は右四つ、投げ、蹴返し。.

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将棋

将棋(しょうぎ)は、2人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種で、一般に「将棋」というときは特に本項で述べる本将棋(ほんしょうぎ、古将棋や現代の変形将棋類、変則将棋などと区別するための名称)を指す。 チェスなどと同じく、古代インドのチャトランガが起源と考えられている。 以下、本項では主に本将棋について解説する(本将棋以外の将棋及び将棋に関連する遊戯については将棋類の一覧を参照)。.

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享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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二子山 (相撲)

二子山(ふたごやま)は、日本相撲協会の年寄名跡の一つである。2005年5月に当時の所有者である元横綱・一代年寄の貴乃花光司の父、貴ノ花利彰が死去してから1年程株が行方不明になっていたが、2006年12月より正式に貴乃花名義となった。その後は2013年3月に元大関の雅山哲士が取得し、現在襲名中である。.

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廻し

廻し(まわし)は相撲競技で用いられる用具。絹で作られ、相撲競技者の腰部を覆い、重心部となる腰や腹を固めて身を護り、更に力を出すために用いられる。ふんどしの一種。まわし、回し、相撲褌とも表記され、外国人競技者の間では「相撲ベルト」とも呼ばれている。 稽古廻しや幕下以下の力士、アマチュア競技者が締める廻しは雲斎木綿または帆布と呼ばれる硬い木綿布で出来ている。これは転倒時の怪我の防止と身体の保護や取組みでの技を掛けることを目的としている。.

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伊勢ヶ濱

伊勢ヶ濱(いせがはま)は、日本相撲協会の年寄名跡のひとつである。名称の由来は「伊勢ノ海部屋の分家」という意味あいによる。6代までは伊勢ケ濵を名乗っていた。.

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チェス

チェスの駒 チェス(chess、شطرنج šaṭranj シャトランジ)は、2人で行うボードゲーム、マインドスポーツの一種である。先手・後手それぞれ6種類16個の駒を使って、敵のキングを追いつめるゲームである。その文化的背景などから、チェスプレイヤーの間では、チェスはゲームであると同時に「スポーツ」でも「芸術」でも「科学」でもあるとされ、ゲームに勝つためにはこれらのセンスを総合する能力が必要であると言われている。.

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ハガシ

ハガシは囲碁のルールにおける反則の一つ。一旦「自分が打った手を取り消して別の場所に打ち直す」行為をさす。公式ルールでは反則負け。 現在の「日本棋院囲碁規約」にはハガシおよび待ったに関する明確な取り決めはなされていないが、「日本棋院囲碁規約」「付属囲碁作法に関する特別規定」(1949年10月2日制定)の第四条第六項には;対局は、一旦着手した自己の石を、再び他の点へ置き換えること(俗に「待った」という)をしてはならない。 とある。この項では「待った」と「ハガシ」が同一視されているが、「待った」が「相手の着手と自分の着手のやり直し」であるのに対して「ハガシ」は「自分の着手のやり直し」として区別されている。 どこまでがセーフでどこからが「ハガシ」になるのかということについては、「石を碁盤に置いた後、指が石から離れていなければセーフ。離れた後ならば『ハガシ』」とされているが、反則ではないとしても重大なマナー違反であることは間違いない。 ヒカルの碁でもこの反則を犯し、その場で負けとなった対局がある。 Category:囲碁.

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前頭

前頭(まえがしら)とは、大相撲の力士の地位の一つ。幕内力士のうち、横綱と三役(大関・関脇・小結)を除いた力士をさす。役についていない幕内力士という意味で、平幕(ひらまく)と呼ばれることもある。幕内力士なので本場所では15日間毎日取組が組まれる。.

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囲碁

囲碁(いご)とは、2人で行うボードゲームの一種。交互に盤上に石を置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを争う。単に碁(ご)とも呼ばれる。.

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立合い

立合い(たちあい)とは、相撲において、両力士が蹲踞(そんきょ)の姿勢から立ち上がって取組を開始する瞬間のことを言う。.

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紀伊国

紀伊国(きいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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縁台将棋

縁台将棋(えんだいしょうぎ)は、縁台に将棋盤を出して将棋を指すこと。将棋大会や将棋クラブと異なり、気軽に指すことができることから庶民に人気があった。 指し手の棋力は低いことが多く、アヒル囲いなど特定の戦法・囲いが多用されるなどの特徴もあり今日ではあまり上手でない将棋の代名詞ともなっている。 おもに夏の夕方に縁台と将棋盤を庭先や路地に出して将棋を指す。ビールを飲みながら指すことも一般的であり、ほとんどの場合は夕涼みを兼ねている。路地で指す場合には通行人が観戦し、通行人をも巻き込んで熱中する姿も見られた。また銭湯で湯涼みを兼ねて指されることも多かった。 このような光景は昭和時代の映画や漫画、もしくは扱ったそれらでも描かれた(たとえば昭和30年代・40年代を扱った北見けんいちの『焼けあとの元気くん』、長谷川町子の『サザエさん』など)が、縁台が使用されなくなるとともに徐々に姿を消した。平成時代における今日では、都市部でこのような光景を見ることは稀である(青空将棋や縁台将棋のイベントがある程度)。一方で中国では今も中年男性が街角でシャンチー(中国象棋)を指す姿が見られる。 Category:将棋.

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相撲

隅田川テラスにかかる歌川広重の「相撲の図」の模写 相撲(すもう)は、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭りであり、同時に武芸でもあり武道でもある(「弓取り式」の本来の意味から)。古くから祝儀(懸賞金という表現)を得るための興行として、大相撲が行われている。日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。.

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銀河戦

銀河戦(ぎんがせん)は、囲碁将棋チャンネル主催の将棋のテレビ棋戦。双方の持ち時間が少ない早指し戦である。毎年8月から9月にかけて、決勝トーナメントが行われる。1991年度創設で、2000年から公式戦となった。最多優勝は、羽生善治の7回である。 銀河戦は同社のCS放送『囲碁・将棋チャンネル』で毎週火曜と木曜に放映されているほか、ネット配信も行われている。(詳しくはテレビ放送の項を参照).

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預り (相撲)

撲用語としての預り(あずかり)は、引き分けの一種。.

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行司

行司の服装 房の色は三役格だが、実際の三役格行司は帯刀しない 土俵での配置図・土俵中央が行司・土俵脇にいる紋付姿が勝負審判 行司(ぎょうじ)とは、大相撲において、競技の進行及び勝負の判定を決するもの、またはそれを行う人である。.

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鬼面山谷五郎

面山 谷五郎(きめんざん たにごろう、1826年(文政9年) - 1871年9月7日(明治4年7月23日))は、美濃国鷲巣村(現・岐阜県養老町)出身の元大相撲力士。第13代横綱。本名は田中 新一(たなか しんいち)。.

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谷風梶之助 (初代)

谷風 梶之助(たにかぜ かじのすけ、1694年(元禄7年) - 1736年7月7日(元文元年5月29日))は、陸奥国苅田郡宮村(現・宮城県蔵王町)出身の江戸時代の大相撲の力士。最高位は大関。本名は鈴木善十郎。第4代横綱の谷風梶之助(仙台の谷風)と区別するため「讃岐の谷風」と称される。.

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龍王山光

龍王山 光(りゅうおうざん ひかる、1910年3月25日 - 1948年2月18日)は、福岡県飯塚市出身で1940年代に活躍した大相撲力士である。本名は高鍋 光。最高位は東前頭2枚目(1941年1月場所)。得意手は突っ張り、叩き。現役時代の体格は180cm、113kg。.

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関脇

関脇(せきわけ、せきわき)は、大相撲の力士の地位の一つ。大関の下、小結の上。三役の第二位。幕内に属し、幕内の地位の中では横綱から数えると第三位に当たる。.

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若乃花幹士 (初代)

初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ)本名:花田 勝治(はなだ かつじ)、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、青森県弘前市青女子(あおなご)出身で、入門当時は二所ノ関部屋(1953年に花籠部屋の独立とともに移籍)に所属した大相撲力士、第45代横綱。身長179cm、体重107kg。血液型はB型。弘前市名誉市民。土俵の鬼と呼ばれた。戦後最軽量横綱である。(歴代史上最軽量は栃木山の103kg)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p22 引退後二子山部屋を創設し、弟である大関・初代貴ノ花(のち藤島→二子山)、横綱・2代若乃花(のち間垣)、横綱・隆の里(のち鳴戸)、大関・若嶋津(のち松ヶ根→二所ノ関)らを育て、日本相撲協会の理事長もつとめた。 第65代横綱・貴乃花(一代年寄・貴乃花親方)と第66代横綱・3代若乃花(のち藤島、現実業家・タレントの花田虎上)の二人は甥にあたる。 愛人関係にあった韓国人女性との間の息子が藤島部屋に入門し、1989年3月初土俵。若剛志の四股名で幕下まで昇進した(1997年1月に引退)。 .

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横綱

35代横綱・双葉山定次(在位1938 - 1945年) 横綱(よこづな)は、大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号である。語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。 大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。 横綱は、天下無双であるという意味を込めて「日下開山」(ひのしたかいさん)と呼ばれることもある。 本場所では幕内力士として15日間毎日取組が組まれる。 なお、大関が横綱の地位を狙うことを綱取りという。.

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水入り

水入り(みずいり)とは、大相撲(十両以上の取組)において、長時間の取組(いわゆる大相撲)になり、疲労などのために取組に進捗が見られない状態になった際、行司あるいは審判委員の判断によって取組を一時中断することである。水入りになることを「水が入る」(あるいはただ単に「水」)ともいう。 また、他のスポーツでも雨天順延のことを「水入り」と呼ぶことがある。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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1716年

記載なし。

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1735年

記載なし。

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1865年

記載なし。

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1991年

この項目では、国際的な視点に基づいた1991年について記載する。.

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1998年

この項目では、国際的な視点に基づいた1998年について記載する。.

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