目次
45 関係: 十六国春秋、宋混、尚書令、中原、五胡十六国時代、伊尹、張玄靚、張琚、張祚、張駿、張茂、張重華、張耀霊、張掖郡、後趙、函谷関、前秦、前趙、前涼、王擢、索孚、隴西郡、衛将軍、衛綝、西平郡、馬太后、驃騎将軍、資治通鑑、霍光、関中、藩、臨夏県、酒泉郡、苻健、苻生、苻柳、李儼 (前秦)、東晋、杜洪、楊初、永和 (東晋)、河州 (甘粛省)、河西回廊、戎、晋書。
十六国春秋
『十六国春秋』(じゅうろっこく しゅんじゅう)は、中国の北魏に撰せられた、五胡十六国時代に関する歴史書である。五胡十六国時代という名称の由来になった。『隋書』「経籍志」によれば、全100巻。
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宋混
宋 混(そう こん、? - 361年)は、五胡十六国時代前涼の人物。字は玄一。敦煌郡の出身。
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尚書令
尚書令(しょうしょれい)とは、前近代中国の官職で、尚書台、およびその後身である尚書省の長官である。
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中原
中原 冬の華北平原 中原(ちゅうげん)は中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと。狭義では春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯を指していたが、後に漢民族の勢力拡大によって広く黄河中下流域を指すようになり、河南省を中心として山東省の西部から、河北省・山西省の南部、陝西省の東部にわたる華北平原を指すようにもなった。 古代でいわゆる「中国」や「中州」、「中土」と同義で、異民族から隔てられる文明の中心地という意味があった。その後、南方へと発展していった漢族にとって中原は民族の発祥の地とされてきた。また、周王のいたこの地域は権力の象徴とみられることがあり、即ち覇権争いの場、または覇権そのものを指す言葉として用いられ、魏徴の詩から「中原に鹿を逐う」という成語が生まれた。
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五胡十六国時代
五胡一六国の変遷 五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)は、中国の時代区分のひとつ。304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一までを指す。五胡十六国(ごこじゅうろっこく)は、当時、中国華北に分立興亡した民族・国家の総称である。十六国とは北魏末期の史官の崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づくものであり、実際の国の数は16を超える代は北魏の前身であり、仇池は南北朝時代まで存在し、冉魏・西燕・翟魏・後蜀は2-10年と短命であったため、十六国に数えられていない。。 後漢末期から北方遊牧民族の北方辺境への移住が進んでいたが、西晋の八王の乱において諸侯がその軍事力を利用したため力をつけ、永嘉の乱でそれを爆発させた。
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伊尹
伊尹(いいん)は、夏末期から殷(商)初期にかけての伝説的な政治家。商の成立に大きな役割を果たしたとされる。諱は摯(し)。
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張玄靚
張 玄靚(ちょう げんせい)は、五胡十六国時代の前涼の第8代君主。字は元安。父は第5代君主張重華。
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張琚
張 琚(ちょう きょ、生年不詳 - 352年)は、五胡十六国時代の人物。馮翊郡の出身。秦王を自称して自立したが、苻健に敗れて殺された。
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張祚
張 祚(ちょう そ)は、五胡十六国時代の前涼の第7代君主。字は太伯。小字は螽斯。第4代君主張駿の庶長子。
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張駿
張 駿(ちょう しゅん)は、五胡十六国時代の前涼の第4代君主。字は公庭。安定郡烏氏県(現在の甘粛省平涼市涇川県)の人。父は張寔。巧みな外交戦略と有能な人材登用により国力の充実に努め、前涼の全盛期を築いた。
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張茂
張 茂(ちょう も)は、五胡十六国時代の前涼の第3代君主。字は成遜。安定郡烏氏県(現在の甘粛省平涼市涇川県)の人。父の張軌、兄の張寔はいずれも涼州刺史として河西を治めた。
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張重華
張 重華(ちょう ちょうか)は、五胡十六国時代の前涼の第5代君主。字は泰臨。第4代君主張駿の次男。
見る 張瓘と張重華
張耀霊
張 耀霊(ちょう ようれい)は、五胡十六国時代の前涼の第6代君主。字は元舒。第5代君主張重華の次男。
見る 張瓘と張耀霊
張掖郡
張掖郡(ちょうえき-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。漢代から唐代にかけて、現在の甘粛省張掖市一帯に設置された。
見る 張瓘と張掖郡
後趙
後趙(こうちょう、、319年 - 351年)は、中国の五胡十六国時代に羯族の石勒によって建てられた国。国号は単に趙(ちょう)であるが、同時代に劉淵によって建てられた同じく国号を趙とする国があるために、劉淵の趙を前趙、石勒の趙を後趙と呼んで区別する。また、石氏の王朝のために石趙(せきちょう)とも呼ばれる。
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函谷関
函谷関(かんこくかん、Hangu Pass)は、中国河南省にあった関所(関塞)。この関より西を関中といい、以東の中原とを結ぶ通路にある、古くからの要衝であった。多くの戦闘が行われ、さまざまな故事の舞台としても知られている。 「函谷関」の名を持つ関はもともと霊宝に置かれていたが、漢代に東へ約150km離れた洛陽付近の新安に移転したため、大きく分けて2か所に「函谷関」がある。霊宝の函谷関を「旧関」「秦函谷関」、新安の函谷関を「新関」「漢函谷関」などと呼んで区別している。新安の函谷関(新安県漢代函谷関)は世界遺産「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の構成資産である。
見る 張瓘と函谷関
前秦
前秦(ぜんしん、、 351年 - 394年)は、中国の五胡十六国時代に氐族によって建てられた国。国号は単に秦だが、この秦を滅ぼして起こった西秦と後秦があるために前秦と呼んで区別する。 一時は華北を平定し中華統一を目指したが、南下して東晋に大敗。敗戦後に華北で諸国の自立と離反が相次ぎ滅亡した。
見る 張瓘と前秦
前趙
前趙(ぜんちょう、拼音:Qiánzhào、304年 - 329年)は、中国の五胡十六国時代に存在した国。建国者は劉淵。当初の国号は漢であり、劉曜の時代に趙に改めたため、漢趙、また劉趙とも呼ばれる三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P60。また、匈奴によって建国された国家であるため、劉曜による国号改名以前を匈奴漢と呼ぶ研究者もいる。同時代に石勒が同じ趙を国号とした国を建てているので、劉淵の趙を前趙、石勒の趙を後趙と呼んで区別している。
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前涼
前涼(ぜんりょう、拼音:Qiánliáng、301年 - 376年)は、中国の五胡十六国時代に漢族の張軌によって建てられた国。
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王擢
王 擢(おう てき、? - 生没年不詳)は、五胡十六国時代の軍人。秦州休屠(匈奴の部族名)の出身。後趙・東晋・前燕・前涼・前秦と実に5つの王朝に服属した。
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索孚
索 孚(さく ふ、? - 355年)は、五胡十六国時代前涼の人物。字は国明。敦煌郡の出身。
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隴西郡
隴西郡(ろうせいぐん)は、中国にかつて存在した郡。秦代から唐代にかけて、現在の甘粛省東南部に設置された。
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衛将軍
衛将軍(えいしょうぐん)は、中国の前漢以降の官職である。軍を率いる将軍位の一つ。 前漢の文帝元年(紀元前179年)に、文帝が即位前から信頼していた宋昌を衛将軍に任命したのが初見である。その後、匈奴の侵入に対して出動した中尉の周舎など、既に軍の官職につく者に対し付加的な称号として与えられた。 『史記』は大将軍の衛青につき「衛将軍」の名で列伝を立てたが、官職の衛将軍とは別である。 『続漢書』百官志によれば、常に置かれるわけではなく、反乱の征伐を掌り兵を指揮する。将軍位としては大将軍、驃騎将軍、車騎将軍に次ぐ。 属官には長史、司馬(各秩禄比千石)、従事中郎(秩禄比六百石)がいる。兵を領する場合、部・曲が置かれる。部には校尉(秩禄比二千石)、軍司馬(秩禄比千石)が置かれる。部の下に曲があり、軍候(秩禄比六百石)が置かれる。曲の下には屯があり、屯長(秩禄比二百石)が置かれる。
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衛綝
衛 綝(えい ちん、生没年不詳)は、五胡十六国時代の人物。西平郡の人。
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西平郡
西平郡(せいへい-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。魏晋南北朝時代に2カ所の西平郡が立てられた。
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馬太后
馬太后(ば たいごう、? - 363年)は、五胡十六国時代前涼の人物。夫は第3代君主張駿。子に第4代君主張重華がいる。
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驃騎将軍
驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)は、中国の前漢以降の官職名。軍を率いる将軍位の一つ。票騎将軍と記述されることもある。 前漢の武帝の元狩2年(紀元前121年)に霍去病が就任したことに始まり、元狩4年(紀元前119年)には大将軍と同等の秩禄とされた。 『続漢書』百官志によれば、常に置かれるわけではなく、反乱の征伐を掌り兵を指揮する。将軍位としては大将軍に次ぎ、車騎将軍、衛将軍の上位に当たる。 属官には長史、司馬(各秩禄比千石)、従事中郎(秩禄比六百石)がいる。兵を領する場合、部・曲が置かれる。部には校尉(秩禄比二千石)、軍司馬(秩禄比千石)が置かれる。部の下に曲があり、軍候(秩禄比六百石)が置かれる。曲の下には屯があり、屯長(秩禄比二百石)が置かれる。
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資治通鑑
『資治通鑑』(しじつがん、)は、中国北宋の司馬光が、1065年(治平2年)の英宗の詔により編纂して1084年(元豊7年)に完成した、編年体の歴史書。全294巻。もとは『通志』といったが、神宗により『資治通鑑』と改名された。『温公通鑑』『涑水通鑑』ともいう。 収録範囲は、紀元前403年(周の威烈王23年)の韓・魏・趙の自立による戦国時代の始まりから、959年(後周の世宗の顕徳6年)の北宋建国の前年に至るまでの1362年間としている。 この書は王朝時代には司馬光の名と相まって、高い評価が与えられてきた。また後述のように実際の政治を行う上での参考に供すべき書として作られたこともあり、『貞観政要』などと並んで代表的な帝王学の書とされてきた。また近代以後も、司馬光が執筆に用いた史料で既に散逸したものが少なくないため、有力な史料と目されている。
見る 張瓘と資治通鑑
霍光
霍 光(かく こう、? - 地節2年3月8日(紀元前68年4月21日))は、前漢の政治家。字は子孟。昭帝・宣帝の2代を補佐し政治を取り仕切った。霍仲孺の子で霍去病の異母弟。霍禹・霍成君の父。上官皇后の母方の祖父。
見る 張瓘と霍光
関中
関中(かんちゅう)とは、中華人民共和国の地域で、函谷関の西側の地域の渭河平原(いがへいげん)、渭水盆地を指す。現在の中国陝西省の西安を中心とした一帯である。八百里秦川とも呼称される。 南の秦嶺山脈、北の黄土高原に挟まれており、西は宝鶏市の隴山周辺、東は渭水(渭河)と黄河の合流地点までで東西300㎞の地帯である。気候は乾燥しており、水が貴重な地域である。 春秋戦国時代の秦の領地であり、前漢・隋・唐は、この地に首都である長安を置いた。 関中とは函谷関、、、の四つの防衛拠点である関所()の中にあることから、戦国時代に命名された。
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藩
藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。
見る 張瓘と藩
臨夏県
臨夏県(りんか-けん)は中華人民共和国甘粛省臨夏回族自治州に位置する県。県人民政府の所在地は韓集鎮。
見る 張瓘と臨夏県
酒泉郡
酒泉郡(しゅせん-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。漢代から唐代にかけて、現在の甘粛省酒泉市一帯に設置された。
見る 張瓘と酒泉郡
苻健
苻 健(ふ けん)は、五胡十六国時代の前秦の初代皇帝。
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苻生
苻 生(ふ せい)は、五胡十六国時代の前秦の第2代皇帝。字は長生。元の姓は蒲といった。略陽郡臨渭県(現在の甘粛省天水市秦安県の東南)出身の氐族で、初代皇帝苻健の三男である。母は強氏(明徳皇后)。
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苻柳
苻 柳(ふ りゅう、? - 368年)は、五胡十六国時代前秦の皇族で、初代君主苻健の八男。生母は皇后。兄に天王太子苻萇・平原公苻靚・2代君主苻生・長楽公苻覿・高陽公苻方・北平公苻碩・淮陽公苻騰がおり、弟に汝南公苻桐・魏公苻廋・燕公苻武・淮南公苻幼がいる。
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李儼 (前秦)
李 儼(り げん、生年不詳 - 371年)は、五胡十六国時代の人物。隴西郡の人。
見る 張瓘と李儼 (前秦)
東晋
前涼・前秦・前燕と東晋。 東晋(とうしん、)は、中国の西晋王朝が劉淵の漢(後の前趙)によって滅ぼされた後に、西晋の皇族であった司馬睿によって江南に建てられた王朝である(317年 - 420年)。西晋に対し史書では東晋と呼んで区別するが、また西晋と併せて晋と総称される。
見る 張瓘と東晋
杜洪
杜 洪(と こう、生年不詳 - 352年)は、五胡十六国時代後趙の人物。京兆郡の出身。冉閔の乱により中原が乱れると、長安を占拠して自立した。
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楊初
楊 初(よう しょ、? - 355年)は、前仇池の第4代君主。弟は楊俊。子は楊国。孫は楊安。
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永和 (東晋)
永和(えいわ)は、東晋の穆帝司馬聃の治世に行われた元号。 345年 - 356年。
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河州 (甘粛省)
河州(かしゅう)は、中国にかつて存在した州。五胡十六国時代から民国初年にかけて、現在の甘粛省臨夏回族自治州一帯に設置された。
見る 張瓘と河州 (甘粛省)
河西回廊
河西回廊(かせいかいろう、河西走廊、甘粛走廊)は、チベット高原北西端に接する細長い形の地域・交通路の呼称で、黄河の西側にあるためにこの名で呼ばれる。日本では、河西回廊と呼ばれている。 古くからシルクロードを含めた東西交通史上において重要な役割を果たしてきた地域で、西域へ抜ける交通の要路として、東と西を結ぶ回廊地帯となっていた藤島範孝「河西走廊における地名の変遷 武威(涼州)と永昌(番和)について」北海道駒澤大学研究紀要21、1986年。 河西回廊の北側にはゴビ砂漠の一部をなすバダインジャラン砂漠が広がっている。漢王朝は砂漠を超えた異民族からの防衛のため、武威から玉門関まで万里の長城を建設した。
見る 張瓘と河西回廊
戎
戎(呉音:にゅう、漢音:じゅう、拼音:Róng)は、中国の五帝時代から戦国時代にかけて、中国の西および北に住んでいた遊牧民族。中国の歴代王朝領土にたびたび侵入しては略奪をおこなった。大別して西の戎を西戎といい、北の戎を北戎という。また、戎が滅んだ後世になっても、中国では蔑称として西戎や戎狄の語を用いた。「戎」とは、古代中国の兵器を指し、「槍術が上手な民族」の意とされる。
見る 張瓘と戎
晋書
『晋書』(しんじょ、)は、中国晋朝(西晋・東晋)について書かれた歴史書。二十四史の一つ。唐の貞観20年(646年)に太宗の命により、房玄齢・李延寿らによって編纂が開始され、貞観22年(648年)に完成した。帝紀十巻・載記(五胡の単于・天王・皇帝に関する記述)三十巻・列伝七十巻・志二十巻によって構成される紀伝体。
見る 張瓘と晋書
張カン 別名。

