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弘仁・貞観文化

索引 弘仁・貞観文化

弘仁・貞観文化(こうにん・じょうがんぶんか)とは、日本史において、弘仁・貞観年間を中心とする平安時代前期(ほぼ9世紀に相当)の文化。この期間を弘仁・貞観時代という。なお、日本美術史では20世紀末頃から「弘仁・貞観時代」という表記をあまり用いなくなり、「平安時代前期」と称することが多くなっている。.

63 関係: 十一面観音大学寮大学別曹天台宗奨学院如意輪観音学館院室生寺密教不動明王三筆平安京平安時代仏像延暦寺弘仁弘文院在原行平園城寺嵯峨天皇和気広世凌雲集元興寺勧学院神仏習合神護寺空海算道紀伝道綜芸種智院真言宗真済経国集遣唐使菅原道真類聚国史風信帖観心寺高野山貞観 (日本)薬師如来薬師寺藤原冬嗣釈迦如来金剛峯寺東寺橘嘉智子橘逸勢橘氏公檜皮葺...比叡山法華寺清和天皇最澄明経道明法道文章経国文鏡秘府論文華秀麗集日本国現報善悪霊異記曼荼羅性霊集景戒 インデックスを展開 (13 もっと) »

十一面観音

十一面観音(じゅういちめんかんのん)、梵名エーカダシャムカ (एकदशमुख)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、六観音の1つでもある。頭部に11の顔を持つ菩薩である。梵名は「11の顔」、「11の顔を持つもの」の意。.

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大学寮

大学寮(だいがくりょう)は、律令制のもとで作られた式部省(現在の人事院に相当する)直轄下の官僚育成機関である。官僚の候補生である学生に対する教育と試験及び儒教における重要儀式である釋奠を行った。唐名は「国子監」又は「国子寺」。.

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大学別曹

大学別曹(だいがくべっそう)は大学寮の付属機関である。ただし、実際の運営は設置した氏族に属し、大学寮の統制下にはなかった。.

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天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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奨学院

奨学院(しょうがくいん)とは、平安時代の大学別曹の一。大学別曹とは、平安時代の貴族(公家)の教育機関である。.

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如意輪観音

如意輪観音(にょいりんかんのん)、梵名チンターマニチャクラ (चिन्तामणिचक्र)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊に数えられる。 三昧耶形は如意宝珠、紅蓮華。種字はキリーク(ह्रीः、)。.

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学館院

学館院(がっかんいん)は大学寮に付属する大学別曹の一つである。 なお『日本文徳天皇実録』には、「学宦院」、『伊呂波字類抄』には「学官院」と表記されている。.

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室生寺

室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。山号を宀一山(べんいちさん)と号する。開基(創立者)は賢憬(賢璟)、本尊は釈迦如来である。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。なお、山号の「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという。仏塔古寺十八尊第十八番。.

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密教

密教(みっきょう)とは、秘密の教えを意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、秘密仏教の略称とも言われる。金剛乗、あるいは金剛一乗教、金剛乗教ともいう。中国語圏では一般に密宗(ミイゾン)という。.

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不動明王

不動明王 (ふどうみょうおう)、梵名アチャラナータ (अचलनाथ)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。 五大明王の一員である、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王らと共に祀られる。.

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三筆

空海(三筆の領袖神田喜一郎 p.21) 三筆(さんぴつ)とは、日本の書道史上の能書のうちで最も優れた3人の並称であり、平安時代初期の空海・嵯峨天皇・橘逸勢の3人を嚆矢とする春名好重 pp.106-107。その他、三筆と尊称される能書は以下のとおりであるが、単に三筆では前述の3人を指す。.

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平安京

平安京復元模型写真(大内裏付近) 平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)は、延暦13年10月22日(西暦794年11月22日)から、一説には明治2年(1869年)まで日本の首都であった都市である。平安城ともいい、桓武天皇によって長岡京からの遷都地に選ばれ、唐の首都長安城に倣って計画都市として建設された。現在の京都府京都市・京都市街であり、当時の街路をほぼそのままに主要都市として現存している。明治2年(1869年)に政府(太政官)が東京(旧江戸)に移転して首都機能を失った。平安京が置かれてから鎌倉幕府が成立するまでの約400年間を日本史では「平安時代」という。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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仏像

仏像(ぶつぞう)は、仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏(仏陀、如来)の原義は「目覚めた者」で、「真理に目覚めた者」「悟りを開いた者」の意である。初期仏教において「仏」とは仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈尊、釈迦如来)を指したが、大乗仏教の発達とともに、弥勒仏、阿弥陀如来などの様々な「仏」の像が造られるようになった。 「仏像」とは、本来は「仏」の像、すなわち、釈迦如来、阿弥陀如来などの如来像を指すが、一般的には菩薩像、天部像、明王像、祖師像などの仏教関連の像全般を総称して「仏像」ともいう。広義には画像、版画なども含まれるが、一般に「仏像」という時は立体的に表された丸彫りの彫像を指すことが多い。彫像の材質は、金属製、石造、木造、塑造、乾漆造など様々である。.

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延暦寺

延暦寺(えんりゃくじ、正字: 延曆寺)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。比叡山、または叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので南都の興福寺と対に北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年には、古都京都の文化財の一部として、(1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。寺紋は天台宗菊輪宝。.

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弘仁

弘仁(こうにん)は、日本の元号の一つ。大同の後、天長の前。810年から824年までの期間を指す。この時代の天皇は嵯峨天皇、淳和天皇。.

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弘文院

弘文院(こうぶんいん)は、平安時代初期の平安京に和気広世が建てたとされる施設。通説では和気氏の大学別曹として機能したとされているが、異論もある(後述)。早い時期に断絶した。.

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在原行平

在原 行平(ありわら の ゆきひら、弘仁9年(818年) - 寛平5年7月19日(893年9月6日))は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。平城天皇の第一皇子である弾正尹・阿保親王の次男(または三男)。官位は正三位・中納言。在中納言・在民部卿とも呼ばれた。小倉百人一首では中納言行平。.

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園城寺

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。 開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。 なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。.

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嵯峨天皇

嵯峨天皇(さがてんのう、延暦5年9月7日(786年10月3日) - 承和9年7月15日(842年8月24日))は、日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月18日) - 弘仁14年4月16日(823年5月29日))。 諱は神野(賀美能・かみの)。 桓武天皇の第二皇子で、母は皇后藤原乙牟漏。同母兄に平城天皇。異母弟に淳和天皇他。皇后は橘嘉智子(檀林皇后)。 嵯峨天皇宸翰『哭澄上人詩』部分(最澄の死を悼む詩)釈文:(香煙は)像爐に(続く) 蒼生橋梁に少なく 緇侶(しりょ)律儀疎(うと)し 法軆何ぞ久しく住(とど)まらん 塵心傷みて餘り有り.

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和気広世

和気 広世(わけ の ひろよ)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族・学者。民部卿・和気清麻呂の長男。官位は正五位下・左中弁。.

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凌雲集

『凌雲集』(りょううんしゅう)は、平安時代初期の弘仁5年(814年)に嵯峨天皇の命により編纂された日本初の勅撰漢詩集。全1巻。正式名称は凌雲新集。小野岑守、菅原清公らによって編纂された。作者は平城天皇、嵯峨天皇、大伴親王(後の淳和天皇)ら23人で、全90首。なお、後に1首が加えられ、91首となって現在に伝わっている。.

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元興寺

日本最古、飛鳥時代の瓦(極楽坊禅室・本堂) 元興寺(がんごうじ)は、奈良市にある、南都七大寺の1つに数えられる寺院。蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身である。.

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勧学院

勧学院(かんがくいん)(旧字=勸學院)は平安時代の藤原氏の大学別曹である。大学寮の南側(左京3条1坊5町 / 現在の京都市中京区西ノ京勧学院町)の地にあったため、大学南曹(だいがくなんそう)とも呼ばれていた。.

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神仏習合

仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。.

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神護寺

護寺(じんごじ)は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺迹(ゆいせき)本山の寺院で、山号を高雄山と号する。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂である。.

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空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

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算道

算道(さんどう)とは、日本律令制の大学寮において、算術を研究する学科。.

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紀伝道

紀伝道(きでんどう)とは、日本律令制の大学寮において、歴史(主に中国史)を教えた学科。後に漢文学の学科である文章道(もんじょうどう)と統合して歴史・漢文学の両方を教える学科となり、学科は「紀伝道」・博士は「文章博士」と別々の正式名称を用いて、通称として「紀伝博士」「文章道」という呼び方も用いられた(ただし、統合当時には「紀伝道」「文章道」の呼称はまだ成立していなかったとする説もある)。 ただし、実際には通称に過ぎないとされている「文章道」という呼称が、明治以後には混同されて、文章道が紀伝道を吸収して「文章道」「文章博士」となったという誤った解釈がされていた時期もある。 本項目でも統合以後の記述については、本来の記述に従って学科は「紀伝道」・博士は「文章博士」と記述するものとする。.

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綜芸種智院

綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は、天長5年12月15日(829年1月23日)、空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、藤原三守から譲り受けた京都の左京九条の邸宅に設置した私立学校といわれている。本来は綜藝種智院だが、新字体による表記の綜芸種智院が、現在は一般的。綜芸とは、各種の学芸を綜合するという意味。.

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真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

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真済

真済(しんぜい、延暦19年(800年) - 貞観2年2月25日(860年3月25日))は、平安時代前期の真言宗の僧。父は巡察弾正紀御園。『続日本後紀』『文徳天皇実録』に見える紀松永を真済と同一人物とする説(参照)があるが、非現実的。 空海の十大弟子の一人で、真言宗で初めて僧官最高位の僧正に任ぜられた。詩文にも優れ、空海の詩文を集めた『性霊集』を編集している。また、長く神護寺に住し、その発展に尽力した。高雄僧正・紀僧正・柿本僧正とも称される。.

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経国集

『経国集』(けいこくしゅう)は、平安時代初期の天長4年(827年)、淳和天皇の命により編纂された勅撰漢詩集。全20巻。良岑安世、菅原清公らが編纂。作者は、淳和天皇、石上宅嗣、淡海三船、空海ら。なお、現存するのは第1巻など計6巻。.

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遣唐使

遣唐使(けんとうし)とは、日本が唐に派遣した使節である。日本側の史料では唐の皇帝と対等に交易・外交をしていたとされるが、『旧唐書』や『新唐書』の記述においては、「倭国が唐に派遣した朝貢使」とされる。中国では618年に隋が滅び唐が建ったので、それまで派遣していた遣隋使に替えてこの名称となった。寛平6年(894年)に56年ぶりに再開が計画されたが、遣唐大使の菅原道真の建議により休止され、907年に唐が滅び、そのまま消滅する形となった。遣唐使船には、多くの留学生が同行し往来して、政治家・官僚・僧にも多くの人材を供給した。留学生井真成の墓も中国で発見された。.

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菅原道真

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。 小倉百人一首では菅家。.

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類聚国史

類聚国史(るいじゅこくし)は編年体である六国史の記載を中国の類書にならい分類再編集したもので、菅原道真の編纂により、892年(寛平4年)に完成・成立した歴史書である。中国の唐代では、詩文の作成や知識の整理のために、古典の中から必要な箇所を抜き書きして分類編纂することが広く行われ、これを類書と称した。この書もまた、類書の形態を踏襲しており、この書を類書として見ることも可能である。 本書の成立時期に言及すれば、『日本三代実録』の部分については、同書は901年(延喜元年)完成であり、その直前に道真が大宰府に流されているために同書部分は後世の加筆であるという説と「三代実録」の編纂には道真自身も関与していたために完成前にその草稿を保有しており、流罪前にその草稿を元にして加筆されたとする説がある。 もとは本文200巻目録2巻系図3巻の計205巻であったが、応仁の乱で散逸したとされ、現存するのは62巻のみである。神祇、帝王、後宮、人、歳時、音楽、賞宴、奉献、政理、刑法、職官、文、田地、祥瑞、災異、仏道、風俗、殊俗という18の分類(類聚)ごとにまとめられており、散逸した部には國學院大學教授の高田淳(出典明記)によれば、東宮、征討、地名など5つの分類があったという。特筆すべきは検索が容易な平安前期の史書で特に先例を調べるのに便宜を図っており、原文主義をとって余計な文章の改変を一切排している。『日本後紀』の多くが失われているため、復元する資料としても貴重である。.

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風信帖

信帖』(1通目) 空海筆 風信帖(ふうしんじょう)は、空海が最澄に宛てた尺牘(せきとく)3通の総称である。国宝に指定されており、指定名称は弘法大師筆尺牘三通(風信帖)(こうぼうだいしひつ せきとく さんつう)。.

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観心寺

観心寺(かんしんじ)は、大阪府河内長野市にある高野山真言宗の寺院。山号を檜尾山と称し、遺跡本山である。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は実恵である。 仏塔古寺十八尊第十三番。奥河内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。.

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高野山

壇場伽藍 壇場伽藍 不動堂(国宝) 高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。 2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。.

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貞観 (日本)

貞観(じょうがん)は、日本の元号の一つ。天安の後、元慶の前。859年から877年までの期間を指す。この時代の天皇は清和天皇、陽成天皇。.

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薬師如来

薬師如来(やくしにょらい、Bhaiṣajyaguru, バイシャジヤグル)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する。 三昧耶形は薬壺、または丸薬の入った鉢。種字は尊名のイニシャルのバイ(भै、)。.

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薬師寺

薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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藤原冬嗣

藤原 冬嗣(ふじわら の ふゆつぐ)は、平安時代初期の公卿・歌人。藤原北家、右大臣・藤原内麻呂の次男。官位は正二位・左大臣、贈正一位・太政大臣。閑院大臣と号す。.

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釈迦如来

釈迦如来(しゃかにょらい、しきゃじらい)または釈迦牟尼仏とは、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)を、仏(仏陀)として敬う呼び名である。.

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金剛峯寺

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部、pp.39,75。 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。本項では「金剛峯寺」を中心に、高野山全体の歴史、信仰、文化財について触れる。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。.

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東寺

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗の仏教寺院。東寺は真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の見解では、真言宗全体の総本山としている。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋(東寺雲)。 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。.

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橘嘉智子

橘 嘉智子(たちばな の かちこ、延暦5年(786年) - 嘉祥3年5月4日(850年6月17日))は、第52代嵯峨天皇皇后。橘奈良麻呂の孫、贈太政大臣・橘清友の娘。母は田口家主の娘で、贈正一位・田口三千媛。兄弟に右大臣・橘氏公がいる。諡号は檀林皇后(だんりんこうごう)。.

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橘逸勢

橘 逸勢(たちばな の はやなり、延暦元年(782年)? - 承和9年8月13日(842年9月24日))は、平安時代初期の書家・貴族。参議・橘奈良麻呂の孫。右中弁・橘入居の末子。官位は従五位下・但馬権守、贈従四位下。書に秀で空海・嵯峨天皇と共に三筆と称される。.

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橘氏公

橘 氏公(たちばな の うじきみ、延暦2年(783年) - 承和14年12月19日(848年2月1日))は、平安時代前期の公卿。参議・橘奈良麻呂の孫。内舎人・橘清友の七男『続日本後紀』承和14年12月19日条。仁明天皇の外叔父。官位は従二位・右大臣、贈従一位。井手右大臣と称される。.

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檜皮葺

檜皮葺(東寺) 檜皮葺(ひわだぶき)とは、屋根葺手法の一つで、檜(ひのき)の樹皮を用いて施工する。 日本古来の伝統的手法で、世界に類を見ない日本独自の屋根工法である。多くの文化財の屋根で檜皮葺を見ることができる。.

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比叡山

比叡山(ひえいざん)は、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称である。高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。東山三十六峰に含まれる場合も有る。別称は叡山、北嶺、天台山、都富士など。.

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法華寺

南門 法華寺(ほっけじ)は、奈良県奈良市法華寺町にある仏教寺院。奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。山号はなし。本尊は十一面観音、開基は光明皇后である。元は真言律宗に属したが、平成11年(1999年)に同宗を離脱し、光明宗と称する。.

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清和天皇

清和天皇(せいわてんのう、嘉祥3年3月25日(850年5月10日) - 元慶4年12月4日(881年1月7日))は、平安時代前期の第56代天皇。在位は天安2年11月7日(858年12月15日) - 貞観18年11月29日(876年12月18日)。諱は惟仁(これひと)。後世、武門の棟梁となる清和源氏の祖。 文徳天皇の第四皇子。母は太政大臣・藤原良房の娘、女御・明子。.

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最澄

最澄像(能福寺) 哭澄上人詩(嵯峨天皇宸翰)(部分) 最澄(さいちょう)は、平安時代の僧(766/767年 - 822年)。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られる。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。 中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった。 先祖は後漢の孝献帝に連なる(真偽は不明)といわれる登萬貴王(とまきおう)なる人物で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。.

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明経道

明経道(みょうぎょうどう)は、日本律令制の大学寮において儒学を研究・教授した学科。.

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明法道

明法道(みょうぼうどう)とは、古代日本の律令制の元で設置された大学寮において、律令法(法学)を講義した学科。.

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文章経国

文章経国(もんじょうけいこく)とは、詩文が作られて文学が栄えることが国家経営の大業につながり、ひいては国家・社会の平和と安定につながるとする政治思想。.

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文鏡秘府論

文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)は、平安時代前期に編纂された文学理論書で全六巻、中国の六朝期から唐朝に至る詩文の創作理論を取りまとめたものである。唐代中期の長安に留学した空海が、帰国後、日本の弘仁年間(810年 - 823年)に完成させたとされる。 取り上げられている諸家の評論の取捨選択に空海の主観が入っているとはいえ、そこに引用されている文章はすべて唐土の文人のものであり、彼自身が執筆したことが確実であるのは、各巻に見える序文のみである。空海は、本書に関しては「著者」ではなく、編者の位置にあると言える。.

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文華秀麗集

『文華秀麗集』(ぶんかしゅうれいしゅう)は、平安時代初期の弘仁9年(818年)に、嵯峨天皇の勅命により編纂された勅撰漢詩集。全3巻。先に編纂された『凌雲集』に続くもので、勅撰三集の一。藤原冬嗣、菅原清公などにより編纂された。作者は嵯峨天皇、淳和天皇をはじめ28人に及び、渤海使節や女流詩人の作品も収めるという。もともとは148首が収められていたが、内5首は伝わらない。.

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日本国現報善悪霊異記

『日本国現報善悪霊異記』(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)は、平安時代初期に書かれ、伝承された最古の説話集で『日本霊異記』と略して呼ぶことが多い。著者は景戒。上・中・下の三巻。変則的な漢文で表記されている。.

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曼荼羅

曼荼羅(まんだら、梵語:मण्डल 、チベット語:མཎྜལ(めんでる, maNDal), དཀྱིར་འཁོར་(きんこる, dkyir 'khor))とは、密教の経典にもとづき、主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣を模式的に示した図像。ほとんどの密教経典は曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表すので、その種類は数百にのぼる。古代インドに起源をもち、中央アジア、日本、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国などへ伝わった。21世紀に至っても、密教の伝統が生きて伝存するチベット、ネパール、日本などでは盛んに制作されている。 漢字による表記のバリエーションとして「曼陀羅」があるが、日本の重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されており、ここでも「曼荼羅」と表記する。 日本では、密教の経典・儀軌に基づかない、神仏が集会(しゅうえ)する図像や文字列にも、曼荼羅の呼称を冠する派生的な用法が生じた。またチベットでは、須弥山を中心とする全世界を十方三世の諸仏に捧げる供養の一種を「曼荼羅供養」と称し、この供養に用いる金銅製の法具や、この法具を代替する印契に対しても、「曼荼羅」の呼称が使用されている。 画像:Mandala1 detail.jpg|胎蔵曼荼羅中央部の中台八葉院 画像:Vishnu Mandala.jpg|ヴィシュヌ神の曼荼羅 画像:Hokke mandala.jpg|文字曼荼羅(法華曼荼羅) 画像:Painted 19th century Tibetan mandala of the Naropa tradition, Vajrayogini stands in the center of two crossed red triangles, Rubin Museum of Art.jpg|金剛瑜伽女の曼荼羅(チベット仏教).

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性霊集

『性霊集』(しょうりょうしゅう)は、空海(弘法大師)の漢詩文集。10巻。編者は弟子の真済。成立年不詳。.

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景戒

景戒(きょうかい/けいかい、生没年不詳)は、奈良時代の薬師寺の僧。日本最初の説話集『日本霊異記』の著者として知られる。.

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