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広目天

索引 広目天

広目天(こうもくてん)、梵名ヴィルーパークシャ (विरूपाक्ष 、毘楼博叉)は、仏教における天部の仏神。持国天、増長天、多聞天と共に四天王の一尊に数えられる。ヴィルーパークシャとは本来サンスクリット語で「種々の眼をした者」あるいは「不格好な眼をした者」という意味だが、「尋常でない眼、特殊な力を持った眼」さらに千里眼と拡大解釈され、広目と訳された。三昧耶形は三鈷戟、羂索(両端に金具を付けた捕縛縄)。種子はビ(vi)。 広目天は四天王の一体、西方を護る守護神として造像されることが多い。仏堂内では本尊の向かって左後方に安置するのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。 持物は、古くは筆を持ち巻物に何かを書き留めている姿で表現された。しかしこれは主に天平時代のもので、平安時代以後は徐々に別の持物を持つようになった。 例えば密教の胎蔵界曼荼羅では体色は赤色、右手は三鈷戟を持ち、左手は拳にして右腰に置く姿で描かれる。また羂索を持った姿で表されることもある。また、中国の民間信仰においては赤い顔で竜を持った姿で表される。 左図は鎌倉時代作の四天王像のうちの広目天(左)と多聞天(右)で、広目天は邪鬼の上に静かに立ち、筆と巻物を持つ姿に表されている。 本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1員として白銀埵(はくぎんた)に住み、西の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち西牛貨洲(さいごけしゅう)を守護するとされる。 また、諸龍王や富単那(ふたんな、梵名puutana。子供の熱病を引き起こす病魔)を配下とする。.

37 関係: 千里眼増長天天平天部宇治市密教帝釈天両界曼荼羅三昧耶形平安時代仏 (曖昧さ回避)仏の一覧仏像仏教ナーガヴィルーパークシャヴィルーパークシャ (アスラ)ボストン美術館ブータフリーア美術館インドラインド神話サンスクリット四天王玉名市種子 (密教)萬福寺須弥山高砂市蓮華院誕生寺東大寺大仏殿毘沙門天持国天浄瑠璃寺

千里眼

千里眼(せんりがん)とは千里先など遠隔地の出来事を感知できる能力または能力を持つ人。透視と呼ばれることもある。仏教における天眼通(てんげんつう)。 広目天がこの能力を行使出来たとされるほか、媽祖に使役されている鬼に、この能力を持つ千里眼と呼ばれる鬼がおり、順風耳と呼ばれる鬼と共に一対で仕えている。.

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増長天

増長天(ぞうじょうてん、ぞうちょうてん)、梵名ヴィルーダカ (विरूढक 、毘楼勒叉、 『成長、増大した者』)は、仏教における天部の仏神。持国天、広目天、多聞天と共に四天王の一尊に数えられる。三昧耶形は刀剣、戟。種子はビ(vi)。 増長天は、四天王の一体、南方を護る守護神として造像される場合が多い。仏堂では本尊の向かって左手前に安置するのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。 持物は戟の場合が多い。例えば胎蔵界曼荼羅では体色は赤肉色、右手は右胸の前で剣を持ち、左手は拳にして右腰に置く姿で描かれる。そして増長天の前には鬼形の従者がいて両手で剣を持ち跪いている。 また、中国の民間信仰においては青い顔で宝剣を持った姿で表される。左図は鎌倉時代作の四天王像のうちの増長天像で、足下に邪鬼を踏みつけ、左手に戟(げき)を持ち、右手を腰に当てた姿に表されている。 本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1人として南瑠璃埵(みなみるりた)に住み、南の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち南贍部洲(なんせんぶしゅう)を守護するとされる。 また、鳩槃荼や薜茘多(餓鬼)といった眷属を配下とする。.

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天平

天平(てんぴょう)は、日本の元号の一つ。神亀の後、天平感宝の前。729年から749年までの期間を指す。この時代の天皇は聖武天皇。 奈良時代の最盛期にあたるため、東大寺、唐招提寺などに残るその時代の文化を天平文化と呼ぶことが多い。.

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天部

天部(てんぶ、サンスクリット देव, deva, देवता, devatā)は、仏教において天界に住む者の総称。天、諸天部、天部神ともいう。インドの古来の神が仏教に取り入れられて護法神となったものである。 梵天、帝釈天、吉祥天、弁才天、伎芸天、鬼子母神、大黒天、四天王、竜王、夜叉、聖天、金剛力士、韋駄天、天龍八部衆、十二神将、二十八部衆などの天部が存在し、貴顕天部と武人天部に二分される。仏教の尊像においては、如来、菩薩、明王、天という4区分の4番目にあたる。.

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宇治市

朝日山から宇治市市街地 宇治市(うじし)は、日本の近畿地方中部、京都府の南端近くに所在する市。京都盆地の東南部に位置し、京都市や大津市と隣接する。京都市に次いで京都府内第2位の人口を擁する都市である。 ユネスコ世界遺産ともなっている平等院、宇治上神社等の文化財や宇治茶等の特産品で知られる。西側に非常に大きな巨椋池があったが、豊臣秀吉により干拓地となり、現在は農地と住宅街になっている。京都市への通勤率は29.1%(平成22年国勢調査)。.

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密教

密教(みっきょう)とは、秘密の教えを意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、秘密仏教の略称とも言われる。金剛乗、あるいは金剛一乗教、金剛乗教ともいう。中国語圏では一般に密宗(ミイゾン)という。.

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帝釈天

帝釈天(たいしゃくてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。天主帝釈・天帝・天皇ともいう。バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)でヒッタイト条文にも見られるインドラ(इंद्र、इन्द्र)と同一の神。妻は阿修羅の娘であるシャチー(舎脂)。梵天と一対の像として表されることが多く、両者で「梵釈」ともいう。朝鮮の檀君神話では釋提桓因(しゃくだいかんいん)とも記載される。釋は字(あざな)、提桓因は天主のこと。 別名三十二天とも呼称される。また、仏教では東南西北のそれぞれに、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)が仕えることから四天王天と呼ばれることがある。.

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両界曼荼羅

両界曼荼羅(りょうかいまんだら)は、日本密教の中心となる仏である大日如来の説く真理や悟りの境地を、視覚的に表現した曼荼羅である。.

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三昧耶形

三昧耶形(さんまやぎょう/さまやぎょう)とは、密教に於いて、仏を表す象徴物の事。三形(さんぎょう)とも略称する。 ちなみに三昧耶とはサンスクリットで「約束」、「契約」などを意味するサマヤ(samaya)から転じた言葉で、どの仏をどの象徴物で表すかが経典によって予め「取り決められている」事に由来する。 伝統的には如来や菩薩などの仏の本誓、即ち衆生を救済するために起こした誓願を示したものと定義されている。 多くの場合、各仏の持物がそのままその仏を象徴する三昧耶形となる。 例えば不動明王なら利剣(倶利伽羅剣)、聖観音なら蓮華、虚空蔵菩薩なら如意宝珠など。 また、通常持物を持たない如来の場合は特別の象徴物が三昧耶形とされる場合もあるが(大日如来が宝塔など)、印相を以て三昧耶形とする場合もある。 曼荼羅などの仏画では、仏の絵姿の代わりに三昧耶形で描く事も多い。よく知られている例としては、金剛界曼荼羅の三昧耶会と降三世三昧耶会がある。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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仏 (曖昧さ回避)

佛がもとの漢字。国語国字改革以後は「仏」(当用漢字、常用漢字)。.

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仏の一覧

仏の一覧(ほとけのいちらん)では、日本で信仰されている大乗仏教における信仰・造像の対象である広義の仏(ほとけ)の一覧を示す。.

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仏像

仏像(ぶつぞう)は、仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏(仏陀、如来)の原義は「目覚めた者」で、「真理に目覚めた者」「悟りを開いた者」の意である。初期仏教において「仏」とは仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈尊、釈迦如来)を指したが、大乗仏教の発達とともに、弥勒仏、阿弥陀如来などの様々な「仏」の像が造られるようになった。 「仏像」とは、本来は「仏」の像、すなわち、釈迦如来、阿弥陀如来などの如来像を指すが、一般的には菩薩像、天部像、明王像、祖師像などの仏教関連の像全般を総称して「仏像」ともいう。広義には画像、版画なども含まれるが、一般に「仏像」という時は立体的に表された丸彫りの彫像を指すことが多い。彫像の材質は、金属製、石造、木造、塑造、乾漆造など様々である。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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ナーガ

ラオスの公園の像。ナーガに守られたブッダ ナーガ (नाग, Nāga) は、インド神話に起源を持つ、蛇の精霊あるいは蛇神のことである。.

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ヴィルーパークシャ

* 広目天の梵名。.

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ヴィルーパークシャ (アスラ)

ヴィルーパークシャ は、インド神話におけるアスラ族の名である。どのヴィルーパークシャも「様々な目をした者」「不格好な目をした者」という意味の名である『インド神話伝説辞典』, p. 90.

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ボストン美術館

内部 ボストン美術館 (Museum of Fine Arts, Boston、略称はMFA) は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市にある、全米有数の規模を持つ美術館。.

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ブータ

ブータ(Bhūta)はインドに伝わる悪霊・吸血鬼の類。ブータナとも呼ばれ仏教においては富単那(ふたんな)と音訳されて広目天の眷属、仁王経の八部衆の一つとされる。ヒンディー語ではブート(Bhūt)と呼ばれる。 事故死、自殺、刑死などで急死しプレータ(Preta)と呼ばれる浮遊霊となった死者は、死後11日目に跡取り息子によって供養されなければ家を守護する祖霊ピトリ(Pitṛ)となることができず、墓地で排泄物や腸を食べ、たまに人間を騙してその肉を食らうようになる。ブータは傲慢であり、人の話に全く耳を傾けず、襲われた人間は重病となったり死亡したりする。人間に化け旅人の邪魔をするだけの比較的無害な場合もある。.

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フリーア美術館

フリーア美術館(フリーアびじゅつかん、英語名Freer Gallery of Art)は、アメリカ合衆国首都ワシントンD.C.にある美術館の名称。首都中心部のナショナル・モールに沿って建てられており、スミソニアン協会が管理・運営するスミソニアン博物館群の一つである。隣接するアーサー・M・サックラー・ギャラリーと同様に、日本を含む中国やインドを中心としたアジアの古美術品が展示されている美術館である。.

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インドラ

インドラ。アイラーヴァタに乗っている ミャンマー、タヂャーミン寺院のインドラ(サッカ) インドラ(Indra、इंद्र、इन्द्र)はバラモン教、ヒンドゥー教の神の名称である。省略しない名称は「サンスクリット語:シャクロー・デーヴァナーン・インドラハ、パーリ語:サッコー・デーヴァナン・インドー」で「強力な神々の中の帝王」を意味する(シャクラ・デーヴァナーン・インドラハ)とする文献も。「」は、男性名詞「(男神)」の複数形・属格。は、(王、征服者)の単数形・主格。「(シャクロ―)」は形容詞「(強力な、有能な)」の変化形。インドラの修飾語であるが、固有名詞とする説もある。その場合は「神々の帝王であるシャクラ」となる。。「シャクラ()」や「サッカ()」とも呼ばれる。 デーヴァ神族に属する雷霆神、天候神、軍神、英雄神である。ディヤウスとプリティヴィーの息子。 特に『リグ・ヴェーダ』においては、最も中心的な神であり、ヴァルナ、ヴァーユ、ミトラなどとともにアーディティヤ神群の一柱とされる。また、『ラーマーヤナ』には天空の神として登場する。 漢訳では、因陀羅・釋提桓因・帝釈天・天帝釈・天主帝釈・天帝・天皇などと書かれ、特に仏教における帝釈天の名で知られている。 株式会社日立ソリューションズ・ビジネス 『世界大百科事典 第2版』 Kotobank、2014。楠戸義昭 『戦国名将・智将・梟将の至言』 学習研究社、2009。楠戸義昭 『戦国武将名言録』 PHP研究所、2006。。-->.

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インド神話

ヒンドゥー教の最高神の一柱、シヴァの石像 インド神話(インドしんわ)は、インドに伝わる神話であり、特にバラモン教、ヒンドゥー教、仏教に伝わるものを指す。成立時期や伝承者の層などによって様々な神話があるが、概ねヴェーダ神話がバラモン教に、叙事詩・プラーナ神話がヒンドゥー教に属し、ブラーフマナ・ウパニシャッド神話がその両者を繋ぐものと考えられている。 以下、ヴェーダ神話とブラーフマナ・ウパニシャッド神話、叙事詩・プラーナ神話の3つに大別して概説する。.

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サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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四天王

四天王(してんのう)は、仏教の世界観における須弥山の中腹にある四天王天の四方に住んで、仏教を守護する四つの神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)のこと。四大王(しだいおう)ともいう。.

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玉名市

玉名駅前 玉名市(たまなし)は、熊本県北の中心的な市で、国や県の出先機関や九州新幹線新玉名駅が置かれている。.

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種子 (密教)

子(しゅじ、बीजाक्षर )は密教において、仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)。チベット密教ではサポン(蔵: )と訳される。種子真言(しゅじしんごん)ともいう。 梵字で表記したものを、日本密教では特に種子字(しゅじじ)と言い、また種字(しゅじ)とも略称し、一般にはこの「種字」という表記が多用される。これは通常一文字で表記されるが、極めて稀に閉音節の物があり、この場合は二文字で表記される。 種子の例を挙げると、वं()は金剛界大日如来、ह्रीः()は阿弥陀如来、स()は聖観音、हां()は不動明王、सु()は弁才天を象徴するものである。種子は梵字の神秘的解釈(悉曇五十字門)から作られるほか、その仏尊の真言から一文字取ったり、仏尊の梵名の頭文字を取って作ることも多い。 これら種子は、密教の修法において本尊となる仏を想起するためのシンボルとなるので、これを植物の種に譬えて種子という。 また護符や曼荼羅などに、仏尊の絵姿の代わりに種子を書くことも多い。 これには、絵姿を描くより梵字で済ませた方が手間がかからないという実用的な意味もある。.

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九龙壁 竜(りゅう、りょう、たつ、龍)は、神話・伝説の生きもの。西洋のドラゴンとの違いについては当該項目参照。 旧字体では「龍」で、「竜」は「龍」の略字であるが、古字でもある。「龍」は今日でも広く用いられ、人名用漢字にも含まれている。中華人民共和国で制定された簡体字では「龙」の字体が用いられる。 英語の (や他の西洋諸語におけるこれに相当する単語)の訳語として「竜」が用いられるように、巨大な爬虫類を思わせる伝説上の生物を広く指す場合もある。さらに、恐竜をはじめとする爬虫類の種名や分類名に用いられる saurus(σαῦρος、トカゲ)の訳語としても「竜」が用いられている。このように、今日では広範な意味を持つに至っている。.

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萬福寺

萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院。山号は黄檗山、開山は隠元隆琦、本尊は釈迦如来である。日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した、黄檗宗の中心寺院で、中国・明出身の僧隠元を開山に請じて建てられた。建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有する。 「万福寺」と表記されることもあるが、宗教法人としての名称は「萬福寺」であるため、本項でも「萬福寺」と表記する。.

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須弥山

弥山を描いた絵画 須弥山(しゅみせん、旧字体:須彌山、サンスクリット:Sumeru)は、古代インドの世界観の中で中心にそびえる山。インド神話のメール山、スメール山(su- は「善」を意味する接頭辞)の漢字音訳語。.

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高砂市

市(たかさごし)は、兵庫県の播磨南東部に位置する市。東播磨県民局管轄区域。 播磨灘沿岸地域に工場が林立する工業都市。漁業や採石業も盛んで古い歴史を持つ。市内南部を中心に神社が多く、播州の秋祭りと総称される祭礼が知られる。.

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蓮華院誕生寺

蓮華院誕生寺(れんげいんたんじょうじ)は、熊本県玉名市築地にある真言律宗の寺院。山号は高原山(たかはらさん)で、本尊は皇円大菩薩。寺格は別格本山であり、奈良の西大寺を総本山とする。平安時代後期か鎌倉時代初期に創建され戦国時代に焼失した浄光寺蓮華院の跡地に、皇円から霊告を受けた初代住職の川原是信が昭和5年(1930年)に、蓮華院誕生寺として中興した。檀家はなく、信者や一般の人のために祈祷をする祈祷寺である。 江戸時代に著された肥後の地誌「肥後国誌」には、この地に浄光寺蓮華院があったと記載されているので、寺名はここから蓮華院を取り、また本尊皇円が誕生した地に中興した寺という意味で、蓮華院誕生寺と称している。.

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東大寺大仏殿

東大寺大仏殿 東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)は、奈良県奈良市の東大寺にある仏堂。東大寺の本尊、盧舎那仏坐像(奈良の大仏)を安置している。 正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。この記事でも、以下「大仏殿」と表記する。 大仏殿は、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の戦火で2度にわたり焼失し、現在の建物は1709年(宝永6年)に落慶したもので、日本の国宝に指定されている。.

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毘沙門天

多聞天像(東大寺金堂) 毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナ、वैश्रवण, 、Vessavaṇa)は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされる。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。種子はベイ(वै, )。.

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持国天

持国天(じこくてん)、梵名: ドゥリタラーシュトラ (धृतराष्ट्र 『国を支える者』、提頭頼吒)は、仏教における天部の仏神。増長天、広目天、多聞天と共に四天王の一尊に数えられる。三昧耶形は刀。種子はヂリ(धृ、)。 持国天は四天王の一体、東方を護る守護神として造像される場合が多く、仏堂内部では本尊の向かって右手前に安置されるのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。 持物は刀の場合が多い。例えば胎蔵界曼荼羅では体色は赤く、右手を拳にして右腰に置き、左手に刀を持つ姿で描かれる。また、中国の民間信仰に於いては白い顔で琵琶を持った姿で表される。左図は鎌倉時代作の四天王像のうちの持国天像で、足下に邪鬼を踏みつけ、刀を持つ右手を振り上げて仏敵を威嚇し、左手を腰に当てる姿に表されている。 本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1人として東面の中腹である第四層の賢上城に住み、東の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち東勝身洲(とうしょうしんしゅう)を守護するとされる。 また、乾闥婆や畢舎遮を配下とする。.

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戟(げき、ほこ、jǐ)は、古くから中国に存在する武器で戈(か)や矛(ぼう)の機能を備えたもの。異体字として象形文字の屰がある。主に殷から唐代にかけて多用された。複数の武器の機能を併せ持たせた武器というものはヨーロッパにも見られる。 矛を思わせる先端の穂先は刺(し)、戈を匂わせる横に突き出た刃は援(えん)もしくは枝(し)と呼ばれている。刺と援は、一体のものと分かれている物がある。 様々な機能を取り揃えていたためか、戟を用いる兵士も様々で、戟にも種類があった。両手で用いる長い戟は長戟、片手で扱う短い戟は手戟と呼ばれる。手戟は、両手にそれぞれ持つ事もあったが、片方に手戟、もう片方に楯という事もあったという。 初期の物は木製や青銅製で主兵装ではなかったが、戦国時代以降、鋼鉄が生産されるようになると共に主兵装となり、中国では長きに渡り用いられた。 戟は時と場合に応じて戈のように引っ掛け切る、或いは矛のように突き刺す事が可能だったが、それぞれの用途に対して中途半端な物となり、やがて矛(槍)にその地位を奪われる事になり、北宋においては祭儀用として用いられるようになった。 なお、先述の通り『三国志』の時代には戟が一般的であり、呂布が愛用したという方天画戟は当時存在しないとされる。.

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浄瑠璃寺

浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、京都府木津川市加茂町西小札場(にしお ふたば)にある真言律宗の寺院。山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基(創立者)は義明上人である。寺名は薬師如来の居所たる東方浄土「東方浄瑠璃世界」に由来する長谷川周、2000、『仏塔巡礼 西国編』、東京書籍 ISBN 4487795966 p.34。 本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)の通称があり、古くは西小田原寺とも呼ばれた。緑深い境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。本堂は当時京都を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重である。堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも当寺が登場する。.

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